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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「ラブレース」
この「俺のもの」思考は洋の東西を問わないのかと、暗澹たる思いに駆られたのは、耐え兼ねたリンダが実家に戻った際の、母の発言です。「殴られるのは、あんたが悪いからだ。妻は夫を喜ばすものだ」と言う返事。それは夫によりけりでしょう。一度「失敗」しているリンダに、二度と同じ轍を踏ましたくない母もまた、18の時に出産した我が子を里子に出していました。この叱責に込められた母の愛情はわかる。でも売春まで強要させられていると母が知ったら?また違う言葉が出たはず。しかし言えないリンダ。何故言わないのか?自分のプライドではなく、母の怒りを買う事が怖かったのでしょう。
母は自分の過去を心底悔やみ、「神様が授けて下さった」リンダの誠実な父に誠心誠意尽くして結果を得た。だから娘にも導いているつもりが、娘は母ほど後悔しておらず、相手を間違えた。なんて哀しいすれ違いでしょう。親子が本当の信頼関係を結ぶのは、簡単ではないのです。
有名になったのに、寂しさのあまり実家に電話するリンダ。父が「お前の映画を観た。悲しかった。母さんはお前がテレビに出ると消しているよ。お父さんたちは、どこでお前の育て方を間違ったんだろう?」この言葉は、娘を責めているのではありません。自分たちを責めているのです。このシーンでは親の立場に立ってしまい、物凄く泣けました。
金の成る木のリンダを、チャックは手放しません。やっとの事でプロデューサーのロマーノ(クリス・ノース)の助けを得て、チャックから開放される彼女。逃げ出すチャンスはいくらでもあるのにと思って見ていましたが、それが出来ないのがDVの恐ろしさなのでしょう。
そして六年後、自叙伝を出すリンダ。結婚して子供もいます。しかしDV撲滅はわかりますが、ポルノ産業にも牙を向く内容らしい。いやいや、業界の人があなたを食い物にしたんじゃなくて、夫が食い物にしたんだよ。この辺は事実に則ってあるでしょうから、納得させるには描き方に工夫が必要だと思いました。彼女を取り巻く人たちで彼女を蹂躙したのは、業界の人たちではなく、夫と売春客だけでした。柳の下を狙うのは、産業面から考えれば当たり前ですから。
何故彼女が六年後、こうした行動を起こしたのか?私が想像するには、「リンダ・ラブレース」はポルノ女優として商標登録しているようなもの。どこにいても、彼女だとわかるでしょう。リンダ・スーザン・ボアマン(本名)の人生の中で、悪しき想い出だった「リンダ・ラブレース」から再生するために、真実を語るという攻撃的な方法に出たのだと思います。そこには夫や子供が後ろ指さされないように、そして親への贖罪があったと思います。この辺のリンダの感情の軌跡は、描き込んで欲しかったかと思います。
アマンダは清楚な役柄が多いのに、体当たりで演じて脱ぎっぷりもよく、とても好感が持てました。実際のリンダより美人なので、ソバカスを描いてみたり、逆メイクで平凡に映るように工夫したり、暴力場面にもきちんと応じて、熱演でした。サースガードは、この手の男性に惹かれる事事態、リンダのお里が知れるようなチャックを好演。最低の夫ながら、彼女を支配しながら依存している様子も、相変わらず上手いです。
私が感心したのは、シャロン・ストーン。いつもの美貌をかなぐり捨てての怖いお母さんぶりは、出色でした。猛母でしたが、その厳しさに母としての愛情もわかり、不器用な人だと可哀相に思いました。これは女優として新たなステージに立ったと言うシャロンの宣言かしら?でもあれだけの美貌の人ですもの、目指すならヘレン・ミレン系の、カッコイイおばさんを目指して欲しいです。パトリックの妻の思いを汲んで、誠実な良人である役作りも、とても良かったです。

紆余曲折を経てのめでたしめでたしのラストは、月並みですが良かったです。まー、しかし、やはり女の一生は男次第、平凡な方が良いと言う人生を今再現する意味は?40年前と今とは、さほど違いは無いようです。映画ではなく、そういう世の中に対して、少し残念に思いました。
03月13日(木)
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