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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「肉弾」
翌日砂浜で出会う様々な人たち。「ニッポンヨイクニ、ツヨイクニ」以下、小学校の修身の教科書に書かれているような、「神国・ニッポン」を表現するような文章を音読する少年(雷門ケン坊)。これはもう、本当に痛烈な皮肉です。まだ戦後23年で、よくこんな表現が通ったと感心。もしかしたら、今より40年前の方が「表現の自由」が大手を振って闊歩してたんでしょうね。戦災で親が亡くなり、一人きりで暮らす弟を心配した兄(頭師佳孝)が、軍需工場から脱走します。追いかけて来て激しく殴る教官。独りぼっちの弟を思いやる兄の気持ちは、当然なのに。でも兵隊さんに詰問されると、何故兄を殴らなければならないか、答える事が出来ない教官。本当は国の教えなんて思い込まされていただけで、みんなわかっちゃいなかったんだよ、と監督は言いたいのでしょう。
砂浜で若い兵隊さんを観て、「強チンしちゃおうかしら?」と、艶然と微笑む三人のナース。戦時下の白衣の天使にしちゃ、色っぽ過ぎるでやんの。でも大和撫子らしからぬその言動は、漁師たちに輪姦されるというオチです。でも何となく凌辱されているというより、合意で楽しんでいると言う風に見えなくもない。この作品で強調される人間の欲は、食と性でした。それは戦時下でも同じ事。むしろ飢餓感がいっぱいの戦時下だからこそ、見果てぬ夢のように、その二つを追い求めていたのでしょうね。因幡の白ウサギに見立てられたナースたちで、寓話的に表現されていました。
そしてラスト。せっかく漁師(伊藤雄之助)に見つけてもらいながら、陸へ生還することができなかった兵隊さん。狭い中で一日中いたので、足が立たなく、船に上がれなかったからとは、本当に何ということでしょう。死ぬ気だったんですもの、明日のことは考えていないのは当たり前のこと。明日のある生活。そんな当たり前のことが、本当に素晴らしく思えるのです。
享楽的に海水浴場で遊ぶ人々の中、ドラム缶の中で白骨と化した兵隊さんの姿が。岡本喜八は、愛する人を守りたかった、市井の人々の心はしみじみ深く描きながらも、そこには「お国のために頑張った英霊」を賛美する、靖国的感情の対局を描いていたと思います。
その他小沢昭一・菅井きん夫婦の、俗っぽくも夫婦の愛情あふれる隠れた逢瀬、高橋悦史の敗戦を感じてやけ酒を飲む兵士など、人間味溢れた戦時下の底辺の人々を淡々と描く事で、強烈な反戦映画となっているこの作品。とてもわかり易く描いているのに、監督の旺盛な気骨とインテリジェンスも強く感じます。戦争当時士官候補生だったそうな岡本監督の、これが戦争に対しての答えなのですね。
監督の分身だそうな兵隊さんを演じた寺田農が絶品。圧巻じゃなくて、絶品だというのも、監督の意図するところに、大いに応えたことでしょう。現在は名バイブレーヤーの彼ですが、私は何故か子供の頃から彼が大好き。彼のエッセイも何度か読みましたが、文章も軽妙洒脱で、とても上手い人です。そんな彼の初めて観た主演作がこんな傑作だとは。
戦闘場面は全くなくても、人が殺される場面が出てこなくても、強烈な反戦映画は作れるのですね。戦争が舞台というのは、一種「時代劇」です。なので時代にあせない強さのある作品は、己の頭に反戦を叩きこむためにも、繰り返し見る必要があるのだなぁと、つくづく思った次第です。
08月22日(土)
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