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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「実録 連合赤軍 あさま山荘への道程」
あぁこれがリンチ事件の核心だったのかと感じました。学生運動にも社会でも浮かび上がる術を失った森には、田宮の誘いは涙が出るほど嬉しかったはず。誰もいなくなった赤軍派で、実力不足のまま指導者になった森は、必死に理論武装して、他の活動家に弱みを見せられなかったのでは?と感じました。総括と称し、暴力で他の兵士を従わせようとしたのは、やられる前にやる、そんな思いもあったのかも。同志と呼び合うには、本来平等のはずですが、自由のない有無を言わさぬ縦社会を築いたのが、とっても皮肉です。

対する永田洋子の考察は、私が観聞きしたものと似たようなものでした。永田洋子は女性性を著しく否定した人で、美容や容姿に気を使う事を嫌悪し、男性兵士と仲良く話すと、それは男に色目を使っているとなります。要するに女を捨てる事を強要するわけです。永田はある持病を持ち、そのため容姿が悪く、殺された女性兵士は皆美しかったのも相まって、彼女たちに嫉妬したからだ、というのが定説です。演じるのも微妙に美の足らない並木愛枝ということで、今回もその域を出ません。

しかしそんなことで、人が殺せるでしょうか?私がこの事件で当時一番震撼したのは、妊娠8か月の妊婦も殺害されたということです。そんなこと、同じ女性が出来るのか?自分は夫である坂口弘と行動を共にし、のちには思想から理想的だと思うと、森に乗り換えます。これは女らしさではないのでしょうか?蛇のような目で遠山美恵子(坂井真紀)を見つめ、森以上に過激に総括を求める彼女。そこには森よりも上になりたい、そういう風にも感じられます。征服欲が強過ぎたから?イマイチ私の解釈では、彼女に謎が残りました。

リンチ事件は、観る前は、追い詰められてトランス状態になった兵士たちが引き起こしたものかと思っていました。しかし私が観るに、やる者やられる者、皆正気でした。お化粧をしていた、風呂に入った、車の止め方が悪かった、恋仲の男女がキスをして神聖なベースを汚した、などなど、信じられない些細な理由で、総括なるものを求められる被害者たち。いつも次は誰かと怯えていたろうとは、想像に難くありません。

二人の命令で、凄惨なリンチが繰り返されます。被害者女性の一人が「私は森さんや永田さんの言う事が、全然わからない」と泣きじゃくります。私も全然わかりません。これは単に私の頭が悪いだけじゃなく、難しい言葉を駆使して、屁理屈をこねまわすだけの、机の上の空論に振り回されている彼らを、意図的に観客に知らせるためだと思います。だからわからなくて、当たり前なんでしょう。

ほとんどが一般的には知られていない俳優を使っている中、重要な主要キャストである遠山美恵子だけは、名のある坂井真紀を使っています。当初実年齢30前後の彼女だけ、劇中から浮いて見え違和感がありました。しかし共産思想を信じ「地下にもぐって(山岳ベースに行くこと)、生まれ変わりたいの」と言う彼女は、まるで滝に打たれに行くような清々しさです。山岳ベースで訓練に汗を流し、笑顔を見せ、訳の分らぬ幹部の総括の問いに戸惑い、同志を殴れと言われて涙を流し拒否する彼女は、きっと私たち観客なのでしょう。だから感情移入し易いように、観客が親しみを覚える坂井真紀をキャスティングしたのかと感じました。十分彼女に同情し痛みを分かち合った後での、あの凄惨なシーンは、本当に辛くそして猛然と怒りが湧くのです。

森の演説の中で、「プロレタリア精神を大切にし、人間性を重んじ」と出てきますが、彼が永田が兵士たちを問題視したのは、その人間らしさでした。この矛盾に観客は気付くのに、彼らはわからないまま、映画は続きます。自分たちだけの内にこもると、何も見えなくなってしまうのですね。

そしてあさま山荘事件。森・永田のいない場所では、少しずつ彼らの呪縛から解放されて行くのも感じます。ここのシーンで不満だったのは、彼らの母親が外から説得する時の声が、全然若すぎるし、演技も下手。ここまで細部にこだわって作っていたのに、興覚めしてしまいました。


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05月09日(金)
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