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鈴木君たちのシュールな一日
信井柚木
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2002年08月31日(土)
実習中。

 3・4時間目は、嬉し楽しの調理実習であった。
「これで今日の昼飯代が少し浮くな」
 フライパン片手にウキウキと呟いた佐藤に、
「まともなものが作れたら、の話でしょ」
 高橋女史が調味料をそろえながら、調理台の向こうで冷静なツッコミを入れている。
 黒板に書かれた今日のメニューは『炒飯、酢豚、卵スープ』。
 そして、鈴木の目の前には野菜の山。
「・・・・・・」
 これ洗ってね。
 高橋女史から指令を出され、早々にガス台から隔離された鈴木は、現在洗い場で黙々と水仕事の真っ最中である。
「ああああの、鈴木君」
「なんだ小林」
「て、手伝おうか・・・?」
「いや、いい。それより手元のボウルに集中してろ」
「あ、うわわわ」
 ボウルが傾いで、水溶きしていた片栗粉がこぼれそうになっていることに気付き、小林は慌てて手元に注意を引き戻す。
「ちょっと、大丈夫?」
「う、うん。ゴメン委員長」
「ホントに・・・しっかりしてよ?」
「あああ、うんそうだね」
 不安げな高橋女史だが、無理もない。
 どういう割り振りが行われたのか――彼女は裏工作があったのではと疑っている――ここの班の面子は、鈴木・山本・小林・佐藤、そして高橋女史の5名である。
 二年五組内で、これほどまでに徹底したラインナップがあるだろうか。
 ある意味、恐怖の具現であった。
 不幸中の幸いは、今日は山本が休みだということだろう。
 小林は唐突な奇行が目につくくらいで、彼自身に問題があるわけではない(?)らしいし、佐藤もどちらかというと『巻き込まれ型』である。
 あと注意すべきなのは・・・鈴木のみ。
 それが最大の問題でもあるのだが・・・。
「とりあえず、鈴木君は直接調理に関わらなくていいから。野菜を切った後は、洗い物に専念しててくれるだけでいいからね。それ以外は絶対に何もしないでね
「・・・わかった」
 高橋女史に逆らうべからず。
 二年五組の鉄則であった。


 そうして、黙々と野菜の山を片付けていた鈴木は、最後の獲物に手を伸ばし――、

 スカッ

「・・・」

 スカッ

「・・・・・・」
 鈴木はまず自分の手をじっと見つめ、次にざるの外にころがるニンジンを見つめる。

 スカッ
 スカスカサササササッ

「むう、お主やるな」
 などと呟いてみる鈴木。
「何やってんだ、お前」
 張り詰めた空気を漂わせニンジンとにらみ合いを続けている鈴木に、呆れたように佐藤が声をかけた。
 あくまでもニンジンから目は離さない鈴木。
「ちょうどいいところへ」
「はぁ?」
「ちょっとそっちに立っててくれないか」
「・・・ああ、いいけど」
 示した先に佐藤が移動した瞬間、
「今だ!」
 シュバッと手を伸ばす鈴木!

 ビョン!!

「うわあっ!」
 佐藤は手元に飛び込んできたものを反射的に捕まえる。
「助かった。でもまだ油断するな。そのまましっかりと捕まえててくれ」
「・・・ニ、ニンジン?」
 自分の手のなかであがくニンジンに目を落とし、口元を引きつらせる佐藤。
 鈴木は平然とそれを受け取り、巧みに抵抗を封じて洗いを終えるとそのまま皮むき器を手にした――。


∞・∞・∞・∞・∞


「いただきまーす。・・・あら、うまく出来たじゃない。ねぇ」
「ホ、ホントにおいしいね」
 無事に実習を終えご機嫌の高橋女史は、複雑な表情で酢豚をつつく佐藤に目をやった。
「なに? ・・・まさか、私が知らないだけで何かあったっていうんじゃないでしょうね?」
「いや、なんでもねぇよ」
 そう応えてレンゲを手にする佐藤に、隣の小林がコッソリささやいた。
「あああ、あの、大丈夫だよ。もう普通のニンジンだから」
「そうか・・・・・・もう?
 それじゃあ、あれは一体・・・。
 一瞬硬直した佐藤は、目の前で黙々と料理を平らげる幼馴染みを凝然と眺める。
「どうした、ウマイぞ。食わないならもらうが」
「お前・・・まぁいいけどな」
 佐藤は箸に持ち替えるとニンジンを一切れ口に放り込み、疲れたような表情で咀嚼するのであった。



2002年09月01日(日)
口やかましい。

「なぁ、ちょっと辞書貸してくれ」
「・・・辞書?」

 自習中、佐藤は隣の鈴木に左手を差し出す。
「ああ、ちょっとココんとこがわかんねぇんだよ」
 プリント中のある問題を示し、再び鈴木の机の上を指差した。
「机の上のそれだよ。国語辞典。使ってないなら貸してくれてもいいだろ」
「ああ、これか。・・・別にいいけどな」
 カバーごと辞書を渡し、鈴木は肩を竦める。
「そこまで真面目にやってるのか」
「一通りざっと埋めておくんだよ。そしたら、騒ぎさえ起こさなきゃ後は遊んでても評価は付くだろ」
「詐欺師だな」
「せめて知能犯と言え。人聞きの悪い」
 軽口を叩きあいながら、佐藤は辞書を開こうとカバーを外す。
 その時だった――。

『愚民どもめ!』

「うっわあぁぁあっ!」
 突然、手元から不穏な発言が飛び出した。
 佐藤は、思わず手に持っていたソレを放り出す。

 ドサッ!
『何をするか! ――愚民どもめ!』

「ななな、一体なにが・・・」
 床に落ちてもなお不穏な発言を繰り返すソレを指差し、佐藤は本来の持ち主に引きつった顔を向ける。
「ああ。最近の口癖っていうか、流行りらしいんだ。
 その『愚民どもめ!』・・・ってやつ」
「流行りってそういう問題か?!」
 問題点を逸脱した会話が展開されているその間も、問題の品は床の上に落ちたまま、
『無礼千万であるぞ! ――愚民どもめ!』
『見世物ではないぞ! ――愚民どもめ!』
 静まり返った教室の中で、ただひとり(?)口うるさく苦情を並べ立てている。
 しかも――すこぶる偉そうに。
 壊れたカセットデッキのように、必ず語尾に『愚民どもめ!』と付け加える彼(?)は、その名も「明解 国語辞典 第三版」
 使い古されてしわのよった表紙が渋い個性を表現している、鈴木愛用の国語辞典である。
「使うには問題ないぞ。ちょっとうるさいけど」
「だから、そういう問題か?! ・・・って、小林なにそこで平謝りしてんだ」
「え、え? だだだ、だってすごく偉そうなんだけど。偉い辞典(ヒト)じゃないの・・・?」
「勝手に偉そうにしてやがるだけだ、気にすんな」
「そ、そうなの・・・?」
「そうとも小林、気にすることはない。今日はたまたま偉そうなだけだから」
 ・・・たまたま?
「もしかして・・・定期的に変わってんのか?」
「ああ。今回は『愚民どもめ!』が決まり文句だが、前回は『な〜にマジメにやってんだよーっ♪』だったし、その前は『どうか、死なせて下さい・・・』だったな――」
 あれはうっとおしかった。
 腕を組んでしみじみと邂逅する鈴木。
「しかも、ひとつひとつのセリフに表現力もある。真に迫っているだろう」
「ていうか・・・元々辞書は喋ったりしねぇ」
「そうだな。確かに昔は普通の辞書だったんだが・・・図書館で通りすがりの誰かに貸してから際立った個性が――」
「それは個性とは言わねぇ」
「それもそうか。で――」
 鈴木は、そう言いながら未だに喋り倒している床の辞書を拾い上げ、バシバシと軽く叩く。
 と、束の間静寂が戻った。
「さぁ、今のうちだ。何を調べたいんだ?」
「・・・いい。そこんとこは適当に埋めとくから」
「そうか、じゃあ片付けても構わないな?」
「ああ、そうしてくれ」
 なげやりに頷きながら、自宅に忘れてきた愛用の辞書を恋しく思い出した佐藤少年は、忘れ物などするものではない、そう深く心に刻んだのであった。



2002年09月02日(月)
誤植。

『なにしろ、キミはがんものカタマリだからね』

「・・・はぁ?」
 鈴木から借りた文庫本を読んでいた佐藤は、世界的に有名な名探偵のセリフに目を疑った。
 黒い魔犬の伝説が息づく荒れ野で、探偵と親友の医師とが感動の(?)再会を果たしたシーンである・・・のだが。
「がんも?」
「ああ、誤植だろう。その出版社の同じ版は、どれをみてもそこの部分が同じようになっているぞ」
 疑いの眼差しを向けられた鈴木は、誤解だと言わんばかりの表情で顔をしかめる。
「ああ、そうなのか。悪い悪い。いや、いつものコトがあるからな」
「・・・だからといって、いつものことも俺が仕掛けているわけではないんだぞ」
 鈴木のささやかな苦情を聞き流しながら、
「多分、がんこの間違いだろうな。うん」
 佐藤はサクサク続きを読み進める。
「・・・なんなんだよ」
 が、じーっと自分に注がれ続ける視線に、うっとうしげに目を上げた。
「面白いことを教えてやろ――」
「いらねぇ」
 にべもなく答えを返し、文面に再び目を落とす。
 しかし、鈴木はめげていない。
「その本を一回閉じてだな」
「いらねぇって言ったろうが――人が読んでるものを勝手に閉じるな」
「で、もう一度開くんだ」
「人の話を聞け!」
 お前はいつも勝手に・・・と文句を言ってみるものの、通じるわけはないと経験から把握してはいる。
 把握はしているが、面白いことではない。
「・・・で?」
 諦めたように溜め息をつき、面倒くさそうに鈴木に視線を投げる。
「まぁ読んでみろ」
 鈴木の指し示す通り、文章に目を走らせる。
「・・・・・・はぁぁ?」

『なにより、キミはがんものカマタリだからね』

「・・・おい?」
「もう一度閉じて、開く」

『なにやら、キブンはがんものカマありだからね』

「面白いだろう。読むたびに内容が変わるんだ。この本だけのオプションだ」
 誇らしげな鈴木。
 佐藤はガックリ肩を落とす。
「お前・・・マトモな本は持ってねぇのか。
 ていうか、俺、読んでる途中だったんだぞ?! ホラみろ、もう話の筋がわかんねぇじゃねぇか!!」



2002年09月03日(火)
お見舞い  そのいち

「えーと・・・。あそこに番地表示が出てるな」
「おっ、間違いないな。小林ってこのあたりに住んでんのか。へぇーっ」

 不案内な土地を連れ立って歩いていた鈴木と佐藤は、佐藤言うところの「野生の勘」――別名、方向音痴ともいう――を佐藤がいかんなく発揮したことから、ついうっかりと遭難の一歩手前であったのだが・・・どうやら見事に危機を脱したらしい。
 電信柱の番地を確認して一息ついた佐藤は、後ろからただついて歩いていただけの級友に視線を投げた。
「で、なんで山本(おまえ)まで一緒に来るんだ? 方向が全然違うだろ」
「いいじゃんかべつにー」
「おまえバイトはどうしたんだよ」
「今日は休みなのさー、たまには休養とらないと人間働き詰めじゃあ大事な時に力が出ないって言うからさー先輩が」
「先輩?」
「バイトの先輩だよ。イロイロ物知りでさーこの間はヒロエモンの攻略法教えてもらったんだよね」
「・・・何だそのヒロエモンって」
「坂田さんチの番犬なんだけどさー配達のたんびに自転車のタイヤに噛み付いてくるもんだからパンクばっかりするんだよ。いやんなっちゃうよホントに」
「番犬ねぇ。大きい犬ともなりゃ撃退もオオゴトだな」
「ううん、スピッツなんだー」
 勇猛果敢だな、と佐藤が呟いたその時、黙々と歩いていた鈴木がふと足を止めた。
「どうやら、ここのようだな」
 メモの住所と目の前の建物の名称を確認して頷く。
「へぇ・・・ワンルームか」
「しかもオートロックだよスゴイねぇ」
 ほぇぇと羨ましげな声を上げる山本は、さっさとロビーに入って行ってしまう。
「どんなトコロなんだろうなぁうわースッゴク楽しみだーっ」
「・・・おまえ、何しに来たんだよ」
「えーっ、だってビックリドッキリのお宅訪問なんじゃないの?」
「違う!」
 短く言い切り、ずいっと手に提げた買い物袋を鼻先に突きつける。
「見舞いだ見舞い!」
「予告なしっていう意味じゃどっちも変わらないよー」
「全然違うだろうが」
 インターホンを押す前にどっちもどっちの論戦を展開しはじめた同伴者を眺め、鈴木は手の中の封筒に目を落とした。
「いや・・・俺は、コレだけポストに入れてさっさと帰るつもりだったんだけどな」
 担任から預かった書類を手にしてなされた発言は、あっけなく無視されてしまったようだ。
 鈴木は重ねて呟く。

「ビデオ予約してきたか心配なんだがな。今日放映の『哀愁の油壷が奇跡を招く』の回は本放送で録りそこねてるし・・・」

 先程よりもさらに小さい声だった。
 しかし、その呟きが劇的な効果をもたらした。
 唐突に訪れた静寂に鈴木が目を上げると――二人分の視線が痛かった。
「どうした」
「おまえ・・・なにソレ」
 しばし絶句の後、ようやく口を開いた佐藤に、鈴木は不思議そうな面持ちで瞬きを繰り返した。
「『それゆけ、名探偵 西向本島(にしむかいほんじま)サトル』っていう、今再放送してるドラマなんだが・・・知らないか?」
 聞いたこともない番組名に、知るわけないだろと言いかける佐藤。
 しかし、その佐藤を押しのけたのは、瞳を輝かせている山本であった。

「そうじゃないかと思ったんだけどやっぱりーっっ!!」

「・・・は?」
 ――なんですと?
「鈴木君も見てるんだー面白いよねアレ! 僕おととい分の話が大好きなんだよー! ゲストキャラが面白かったよね、話の途中で裏返るところとか」
「そうだな、あの回はヒロインの背面落しが決め手だったな」
「あれが事件解決のカギになるんだよねー。あのトリックには僕ビックリでさー!」

 どんなゲストキャラで、どういうドラマなんだ。しかもトリックって何。

 そんなツッコミを入れる余裕すら、今の佐藤には残っていない。
 ただただ、早く家に帰って常識の世界に戻りたい・・・と、ひたすらそれだけを祈りつつ、泣きそうになりながら無視されっぱなしのインターホンに手を伸ばす佐藤少年であった。



2002年09月04日(水)
お見舞い  そのに

 ピンポーン

 ―――――――――――――
 ―――――――――――――
 ――――――――――カチャ

は〜〜いぃ〜〜〜・・・
「・・・大丈夫か、おい」

 相当待たされた挙句インターホンの向こうから聞こえてきた古い扉が軋む音・・・否、小林(びょうにん)の死にそうな声に、佐藤は顔をしかめた。
え・・・あぁ〜〜さとうくん、きてくれたんだぁ〜〜、っゴホゴホ
「あー、いいから喋るな。センセイに書類預かってきたんだ。あと見舞いもな。勝手に上がるから、カギだけ開けたらあとは寝てろ」
あ〜〜そうなんだ〜〜・・・ありが・・・ゴフッ
「だから寝てろって」
うん・・・そ〜するね・・・

 カチャリ

 小林との対話が終ると同時に、建物内への入り口のガラスが「ガーッ」と開く。
 未だに「西向本島」熱を発症している連れ二人を振り返り、佐藤は呆れて溜め息をついた。
「おい、いつまでやってんだ。行くぞ」
「ああ、すまない」
「えーっインタホン終ってるー! 僕やって見たかったのになー」
「おまえらが妙な話に没頭してるからだろ」
「妙ってなんだよもーっ。佐藤クンも見れば判るの――」
絶対にいやだね。ていうか俺を巻き込みたがるんじゃねぇ


∞・∞・∞・∞・∞


「――ということだから、預かってきたこの書類、来週には提出だそうだ」
うん・・・ありがとう
 ベットに横になったまま、小林は力なく頷く。
「小林クン風邪ー?」
うん・・・たちのわるいカゼみたいでね。さっきも・・・うっかりゆだんしてまたうたいだしそ・・・ごほごほ
「・・・歌?」
ううん。なんでもないよ、さとうくん
「あ、そう」
 相手が否定したのを良いことに、佐藤もそれ以上の追求を避ける。
「おっと、そういやコレ冷やした方がいいんだっけ。冷蔵庫開けてもいいか?」
・・・・・・れいぞうこ?
「なんかマズイのか?」
そ・・・そんなことはないよ、うん。ありがとう
 微妙な間が気にはなるが――まぁいいだろう。
 佐藤は、ゼリーだのスポーツ飲料だのの入った買い物袋を提げて、小さいキッチンのすみに置いてある冷蔵庫へと向かう。

 チャ、バタ

「・・・・・・」
 扉を開けるなり、思わず閉めた佐藤。
 取っ手に手をかけたまま一つ深呼吸をして――もう一度開ける。
「・・・気のせいだな。うん」
 そう、きっと気のせいだ。
 開けた途端、得体の知れない何かと目が合ってしまったのは。
 一見、普通の家庭と変わらない冷蔵庫の中身を眺めながらそう判断を下し、不可思議な記憶は忘却の彼方へと流し去る。
 ガサガサと袋の中身を取り出し、適当に片付けていく。
 ――視界の隅でチラチラと控え目に存在を主張するものは無視しながら。
 と、後ろから覗き込んできた鈴木が手を伸ばした。
 ヒョイとそれを取り出す。
「なぁ小林。なんでインスタントコーヒーの瓶がこんなところにあるんだ?」
え・・・なにが?
「氷点下以下になるところでは冷蔵庫の中の方が暖かいから、凍り付き防止に色々しまうのは聞いたことあるが・・・今は氷点下とは縁がないしな」
そ・・・・・・そうなんだ。きっといままでのクセだとおもうよ、うん
「そうか。おや、通帳がこんなところに。なにかと思ったらアレは貯金箱か」
「へーっ小林クン貯金箱とか冷蔵庫にしまうんだー。でもそれってドロボウ避けにいいかもしれないねーこんなところにあるなんて思わないからさー」
そ・・・そうなんだよ、うん
「なるほど、確かに一理あるな」
「・・・そりゃ、誰もそんなこと思わねぇだろうなぁ」
 和気あいあいと語り合う三人を背に、そんなにすんなりと納得しないで欲しいかもしれない、と佐藤はどこか遠い目で、ポテトチップスの袋の陰からこちらを窺うピンク色の陶器のブタを眺めて溜め息をついた。



2002年09月05日(木)
昔のこと

「うわあぁぁん! すずきのバカヤロー! どっかいっちゃえー!!」

 泣きながら走り去る友人――佐藤少年を見送る鈴木少年、この時小学二年生。
「・・・いったい、どうしたんだ」
 ぼんやりと佇む少年の手には、ギチギチと凶悪な鳴き声をあげながらワシャワシャ暴れているカブトムシらしき甲虫が一匹。
 下校中の鈴木が見つけて捕まえ「めずらしいだろう」と佐藤に見せた。
 ・・・までは良かった(?)が。

 佐藤が覗き込んだその甲虫には――足が八本と鋭く小さな歯が生えていた。

 そのあまりの恐怖に泣きながら逃げた友人の心境を知ってか知らずか、鈴木少年、
「いえにかえったら、本でシラベてみよう」
 捕まえた虫を、あろうことか上着にくるんで持ち帰る。
 帰宅後その事実を忘れ、放置していた上着を広げた母親に、
「服が汚れるでしょう?!」
 と、雷を落とされることになるのはまた別の話であった。



2002年09月07日(土)
二年五組

「なぁ、さっき教生が泣いて逃げてったけど、お前今度はなにやらかしたんだ?」

 廊下ですれ違った教育実習生の様子に、佐藤は顔をしかめて教室に戻ってきた。
「・・・開口一番、俺に尋ねるか?」
「お前以外に、誰が何やるってんだ」
 冷静な反応に、周囲の級友たちが揃ってコックリと頷く。
「鈴木クンいわれちゃったねアハハハハハ」
「お前が言うなお前が」
「えーっなんでだよーっ!」
 ぶーたれる山本をサクサク無視して、
「で?」
 佐藤は改めて問を重ねた。
「ああああ、あの・・・」
「なんだ小林」
「と、特に悪いことしたってわけじゃないと、僕は思うんだけど・・・」
「何言ってるのよ」
 とりなそうとした小林に、高橋女史が呆れて口を挟む。
「あんなのに遭遇したら、免疫ない普通のヒトって逃げるものよ?」
「そ、そうかなぁ・・・」

「普通はね、標本の課題として提出された植物って閲覧者を攻撃したりしないものなの」

 柳眉を逆立て委員長が指し示した方向には――標本とされながらもなお、威嚇のためか、近くの指にかぶりつこうとする意気盛んな謎の植物があった。
「・・・なるほど。課題が近くの植物、ということだったからな。アレは下校途中に発見して・・・先生にみてもらえれば、元がどういう植物だったかわかるかと思ったんだが」

「んな無茶な要求、教生にするんじゃねぇ」

 佐藤から飛んだ鋭い指摘に、周囲も再びコックリと大きく頷いた。
「特にあのセンセ市外のヒトみたいだもんねー仕方ないかもしれないけどさー」
「やめてよ、それ! なんだか、田中安田市の市民って皆揃って変人みたいじゃないの!」
 なかなかに切実さのこもったセリフである。
 高橋女史の絶望的な叫びが響くそんな時、ガラッと扉が開いて新たな人物が姿を見せた。
「鈴木ぃ〜、お前また面白いもの拾ってきたんだって〜?♪」
「・・・げ。また出た」
 マッドと噂の生物部顧問である。
 生物部そのものはまともなのだが、この顧問と一部の部員が『裏生物部』を組織しているなどと、校内でまことしやかな噂が囁かれていた。
 ・・・いや、事実ではなかろうか。
「お、小林いたのかぁ! オレが熱烈に生物部に誘ってるのに、お前ちっとも来てくれないんだもんなぁ。センセーは悲しいぞ!」
「ああああ、あの、いえ僕は・・・」
「ちょっと先生?! 小林君が怯えてるじゃないですか!」
 教室の向こうで、委員長と生物部顧問のバトルが始まる。
 こちら側では、件の標本をしげしげと眺めながら、
「よく見たら愛嬌あると思わないか?」
 自分に同意を求める幼馴染みがいる。
「俺に訊くんじゃねぇ」
 一言で返しておいて、佐藤は遠い目で窓の外を眺めた。
 視線の先では、校庭で化学の教師が生徒を借り出してロケット打ち上げの実験に勤しんでいる。
「・・・なんでこの学校、変人ばっかなんだ」
 佐藤の呟きが、窓の表面を空しく滑った。
「あっれー佐藤君なんだかアンニュイだね」
「違う」
「わかったー!フトコロが寂しいんだーでも僕は今貸してあげる余裕ないからね」
「違うっつってるだろーが! お前も人の話を聞け!」