雪さんすきすき日記
リサイクル戦術シミュレーション『リサイクルプリンセス』 倒れてもその場で復活するリサイクルSLG。全力で応援中!
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2006年09月19日(火) 続・「チェルシーさんは7の魔神をブッ殺さねばならない。」のこと

 今日から3日間、フォークリフトの技能講習。御覧のとおりの爛れた生活(笑)だが、朝型の生活に戻すのは思ったほど辛くなかった。
 しかし、フォークリフトは自動車とは全く別の乗り物であるな。

 帰宅後、「チェルシーさんは7の魔神をブッ殺さねばならない。」。ラスボス前まで到着したが、折角なのでアイテム回収に。アイテムは流石に紫雨飯店Wikiに頼らなければならなかったが、それでも一筋縄ではいかない嫌らしさ(笑)。


2006年09月18日(月) 「チェルシーさんは7の魔神をブッ殺さねばならない。」のこと

 いよいよ「チェルシーさんは7の魔神をブッ殺さねばならない。」(Platine Dispositif)を開始。
 体験版で途中まではプレイしていたので、途中まではすんなり進む。その後は詰まりながら何とか進む。どうやらボスを倒すのが先行していたようで、緑オーブ取った後に体力や時間がわんさか出てきた。
 現在は暗い洞窟。隠しスイッチが偶然発見できたのは僥倖。そして、最後のスイッチは絶対あそこにあると思ったら、本当にあって大笑い。文字通り手探りではないか。
 そういえば、私の環境では公式の日記にあった人柱パッチを当てないと操作を受け付けなくなる場面があった。回避できて一安心。


2006年09月17日(日) 「魔壊屋姉妹。」のこと

 急遽妹の旦那の叔父の葬式が入り、県央の斎場まで足を運び参列してきた。今までほとんどが地元の斎場だったので、地方の斎場は結構新鮮だったりする。お骨を拾うときに、第二頚椎は座禅を組んだお坊様に形が似ているので、ここものど仏と称するという話を初めて聞いた。

 帰宅後、「魔壊屋姉妹。」(ヒガガガ)をプレイ。無限旋律にて紹介済みだったが、FLIPFLOPsにて2時間程度で終わるとのことだったので、「ひぐらしのなく頃に」を終えた後には丁度良いと思った。
 ファーストプレイで一応全面目標レベル以下クリア。ザコ戦は普通のRPG感覚でもどうにでもなるが、ボス戦はコマンドや式神のローテーションを考慮しないと少なくとも目標レベル以下でのクリアは困難。逆に、考えれば低レベルでも勝率が上がる(必勝ではない)辺り、良く出来ている。しかし、目標レベル−3クリアで新たなご褒美があるとは知らなかった。2〜4面で目標レベル−2までは達成したのだが。惜しいことをした。
 あと、2面ボスのパンダゴールド(だっけ?)が物凄い衝撃でツボにはまりまくり。羽入が変化球だとしたら、こちらは直球ど真ん中。こういう素晴らしい(笑)キャラを生み出すセンスに脱帽。


2006年09月16日(土) 続々・「ひぐらしのなく頃に解」のこと(ネタバレあり)

 祭囃し編は夏の新作だったということでネタバレ表記。

 というわけで祭囃し編であるが、昨日の20時に開始して今日の6時に終了。長かった〜。
 カケラ紡ぎが終わって漸く本編か…って羽入〜。何か…ここで…全て吹っ切れた(笑)。そこまで手を尽くしたなら、大団円以外の終わり方はあり得ない。
 皆殺し編がお子様大活躍なら、祭囃し編は大人大活躍。大石の裏工作に始まり、赤坂と葛西は山狗相手に大立ち回り。入江は物語の核心を語り、富竹の技能と機転で事件は終了。お子様も裏山で見事なゲリラ戦を展開していたが、今回は大人陣営の迫力の方が勝っていたかな。
 まあ、話的には大団円を迎える為のものなので意外な展開は無かったが、その分単純にこの無茶苦茶で痛快な物語を楽しむことができた。最後の梨花の「奇跡」は蛇足のような気がしたが(言いたいことは分かるが)、何にせよ全員揃って昭和58年6月を乗り越えられて目出度し目出度し。出来すぎたほどの大団円だが、この世界のルールであれば納得の結末である。

 それにしても、この作品は曲が良い。中でもお気に入りの曲は、
・you
・彷徨いの言葉は天に導かれ
・虚
・being
・you-destructive
 この作品のテーマ曲ともいえる「you」もさることながら、そのアレンジ曲も良い曲が揃っている。久しぶりにゲームミュージックとしてサントラが欲しくなった。

 「ひぐらしのなく頃に」をプレイするに当たり、推理ということをほとんど放棄したのは作者にとって不本意だったかもしれない。しかし、その分物語としては十二分に楽しむことができたはず。そんな事を本編終了時にふと思った。そして、その後見た祭囃し編のスタッフルームで「ひぐらしはエンターテイメント、楽しんだもの勝ち」とあったのが少し嬉しかった。


2006年09月15日(金) 続・「ひぐらしのなく頃に解」のこと

 皆殺し編、圭一の口先の魔術師の本領発揮で、罪滅し編以上に今までの惨劇を尽く覆してしまった。不可避と思われていたルールも、またルールによって打ち破られたということであろう。後者のルールはここで薄々感づいたが、それが祭囃し編のスタッフルームで確証(法則という形で述べられていた)を得ることができてちょっと嬉しかったりする。
 とはいえ、結局は最後のルールが破れなくてあと一歩のところで終焉を迎えるのだが、不思議とこの場面で悲壮感は無かった。勿論、祭囃し編が後に控えていることを知っているというのもあるが。
 あと、この話でも記憶引継ぎが使われているが、2回目ということと導入が罪滅し編ほど露骨でなかったので、さほど問題は感じなかった。
 それにしても羽入は、なんというか…嗜虐心を煽る(笑)。


2006年09月14日(木) 「ひぐらしのなく頃に解」のこと

 罪滅し編開始。早々にケーキが食べたくなる。ちょっと中断してケーキ買ってこよう。
 ケーキを3個消費して終了。前半の悲壮な展開から一転して、後半はまるで喜劇。そして、終盤は大活劇と起伏に飛んだ内容であった。まあ、喜劇というのは鬼隠し編同様物語の構造をある程度分かってしまった上で言えることだが。
 さて、問題の圭一の記憶引継ぎ。ここまで露骨にやられると、確かに不快感を覚える。例え謎解きには影響しなくても、物語としては三文ファンタジーの展開のようで萎える。じゃあ、「梨花のループ」は可で「圭一の記憶引継ぎ」は不可なのは何故と問われると、伏線の差としか言いようが無い。前者は薄々そういうのもありという雰囲気を漂わせていたが、後者は本当にいきなりである。作中では「奇跡」という表現を使用していたが、この「奇跡」を「御都合主義」と置き換えても何ら問題ないため、悪い意味でそのとおりだと思った。
 でも、最後の決闘が非常に痛快だったので、そんなことはどうでも良くなってしまった(笑)。あの場面は、まるでレミリア嬢と対峙しているかのような高揚感を覚えたくらいである。

 只今20時。今日は何だか頭痛がするので、罪滅し編だけで止めておこうか。


2006年09月13日(水) 続々・「ひぐらしのなく頃に」のこと

 う〜む、何故座ってクリックをしているだけなのに、腕が重くなるのだ。

 というわけで、重い腕に鞭打って今日も「ひぐらしのなく頃に」をプレイ。
 暇潰し編はとにかく大石の格好良さが際立っていた。特に最後の場面、あの恫喝は本当に無念さが滲み出ていた。
 そして、いよいよ「ひぐらしのなく頃に解」に突入。
 目明し編、何とも遣り切れない悲しい話である。これほど誰も救われない結末というのも滅多に無いかも。特に、最後のTipsは既にPARADOXの考察でその意味を把握していたが、それが無くて自力でその結論に達したならば、恐らくその優しさと残酷さに泣き崩れていたであろう。大災害が起きていないことだけが唯一の救いである。
 あと、この話では痛い描写を伴う拷問の場面が何度か出てきてむず痒い思いをしたが、痛い描写が無ければ戯れに蟻を団子にするときのような愉悦感を覚えてしまいそうである。まあ、やはり痛いのは受けるのも与えるのも嫌だが。臆病なので。

 「ひぐらしのなく頃に解」は、その物語の性質上ホラー要素が皆無なので安心して読める(笑)。

 「チェルシーさんは7の魔神をブッ殺さねばならない。」(Platine Dispositif)のパッチが公開された様子。「ひぐらしのなく頃に」が終わったら即プレイしよう。


2006年09月12日(火) 続・「ひぐらしのなく頃に」のこと

 仕事始めは10/3から。モラトリアムが少し延長。無収入期間も少し延長。
 しかし、部屋を探すと結構有価物が出てくるものである。先日もスーパーの商品券が出てきたので、今日早速お酒とお菓子に変換。

 今日は綿流し編と祟殺し編を読み終えた。相変わらずWikiとPARADOXの考察が頼り。これが無いと話の謎が分からない以前に、怖くてこんな時間(現在26時半)までプレイできない(笑)。ぺた、とか怖すぎ。しかし、文字による恐怖は低減できても、画像によるものはそうはいかないもので、綿流し編をプレイしたのが日中で本当に良かったと心底思う次第である(笑)。あの目はトラウマになりそうだ。
 綿流し編はとても読み応えのある話で、最後の最後でプレイヤーを落とすところまで存分に楽しめた。そういえば、夏コミの頃に見たアニメ版が目明し編の話だったようで、漸くあの話の内容が何だったのか理解できた。
 一方の祟殺し編は、前半の圭一の稚拙な行動が退屈で仕方なかったのだが、その後の不思議世界は俄然面白かった。エンドロールのローマ字文は作者からのヒント?
 しかし、1話読み終えるのに5時間。さすがに一日2話はきつかった。今週中に最後まで読めるかな?


2006年09月11日(月) 「ひぐらしのなく頃に」のこと

 「ひぐらしのなく頃に」の体験版をプレイしたのは一昨年の7月。その時点で怖くて続編はプレイできず、その後は作品の流れを情報として把握していた位。とはいえ、暫く前には話の展開に非難轟々だったり、最近は完結編が良く纏まっていたようだとその程度でしかなく、話の内容には相変わらず触れることは無かった。怖いので(笑)。
 しかし、やはり最近の完結編の評判を聞いて興味が再燃し、プレイする気になってはいたのである。そこで、先ずはプレイの最大の障害となっていた恐怖を克服するために、ひぐらしのなく頃にWikiPARADOX考察の助けを借りて、鬼隠し編を「ホラー」から「オカルト」へと変換した。つまり、ネタバレを解禁して謎解きを放棄し、物語として取り組むことにしたのである。
 そして、鬼隠し編を再度プレイしたところ、オカルトどころか喜劇にまで至ってしまったわけだが(笑)。よし、これなら綿流し編以降も大丈夫…だといいなぁ…。

 ところで、インストールした後にパッチがあるかどうか調べに07th Expansionを訪れたところ、非常に興味深い事が製作日記に記されていた。次回作の正解率は目指せ0%、キャッチコピーは「推理は可能か、不可能か」ではどうかとのこと。正解率に関してはともかく、キャッチコピーについては非常に面白いのではないかと思う。
 そして、「ひぐらしのなく頃に」でこのコピーを使用していたら、かなり状況は異なっていたのではとも思う。
 思うに、「正解率1%」というコピーが全ての齟齬の始まりだったような気がする。製作側はこの1%という値に条件をつけていたが、コピーだけが一人歩きして、極端な場合鬼隠し編だけで全ての謎(フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット)を解き明かすことができるような錯覚をプレイヤーに覚えさせてしまい、結果一般的な正統ミステリとして取り組んだプレイヤーは罪滅し編で非難轟々だったものと考えられる。しかし、次回作のコピーであれば、プレイヤーはこの作品について「何が正解か」ではなく「何を推理するのか」に主眼を置けたのではなかろうか。結果論ではあるが。


2006年09月10日(日) 映画のこと

 昨日は日記を記した後に上京して呑み会。題目は当初私の再就職報告会だったのだが、予定を変更して「アイドルマスター」初プロデュースアイドル引退コンサート大成功を祝して、となった(笑)。結局、ファン85万でBランク。コンサート会場は安全策を採って武道館にしたのだが、ドームでも楽勝だったのが心残りといえば心残り。面白かったけど、次回プレイは未定。1ユニットを今回並に終わらせる為には5k円以上必要というのがやはり厳しいところ。5k円といえば、同人ソフトが何本買えることやら。
 あと、久しぶりに高校のときの後輩と会うことができた。全然変わってなかったなぁ(笑)。

 その後、秘密基地にて「デッドライジング」の体験版のプレイを眺めたり駄弁ったりしながら、午前4時頃までだらだら過ごす。そのまま起きて始発で帰ろうかと思っていたのだが、結局昼頃まで寝てしまった。
 昼過ぎにほげ山氏と竜次氏とで秋葉に繰り出し、ほげ山氏が「デッドライジング」を購入。当然北米版であるが、店頭デモがあまりにも面白かったので私もソフトだけでも購入しようかと思った次第(今回は見送ったが)。そのまま色々な店を巡って石丸のソフト館へ。ここで、以前から気になっていた「有頂天ホテル」と、予告編で興味を惹かれた「V FOR VENDETTA」を天秤に掛け、結局安かった「V FOR VENDETTA」を購入。その後、二人と別れて帰宅。

 で、「V FOR VENDETTA」であるが、まあまあ面白かった。圧制や管理と戦う反逆者の活躍というのは、以前観た「リベリオン」もそうだがとても好きな題材である。ただし、この作品の主人公であるVは単純な正義の味方ではなく、むしろ私怨や遺恨が行動原理である題名どおりの復讐者。薄い正義などとは無縁な分、その言動には重みがある。
 そして、Vの活躍は思ったとおり予告編にほとんど凝集されており(笑)、それ以外の場面はVを取り巻く人々の視点で描かれている。Vと行動を共にすることで自分の運命に目覚めていくヒロインの視点と、Vの犯罪の調査を進めていくうちにVにまつわる陰謀に迫っていく刑事の視点が中心だが、後者の視点による描写はサスペンス色が強く、中々引き込まれるものがあった。ただ、全体的に画像が暗く、状況が分かりにくい場面が多かったのが残念。
 あと、この手の原作付きの作品は原作との乖離度合いが常に気になるところ。そこで、この作品のWikiを見たところ、細かいところでは差異があるものの、全体的には原作をかなり忠実に再現しているようであった。最も大きな違いはVの後継者であるが、これは映画のクライマックスを盛り上げるための演出のために変更したものであろう。ただ、原作のままでも、一度下げて持ち上げるという形でかなり盛り上がるとは思ったが。あと、Vは政府の資源を容易く横取りできたり、そもそもその活動は何で支えられているのか終始疑問であったが、原作では政府の統括コンピュータシステムをVがコントロールしていたという描写があり納得。


氷室 万寿 |MAIL
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