寺本写真館職員日報
寺本写真館



 理系。

気づけば大学3年目のシーズンもそろそろ佳境です。
ついに周りの奴等は就職活動を本格的にはじめだし、スーツでの登校もボチボチ珍しいものではなくなってきました。

そんななか。

相変わらず暇さえあれば寝に入る生活を今も続けています。
相変わらず休みの日は隠居です。
勉強なんて微塵もしません。
テストなんてしりません。(一つは逃げました。)
一応学校には行っていますが、何もせず帰ってきてます。

えぇ、無駄に定期を使っていますとも。
こうでもしないと元が取れないんです。

さて。
ワタクシの(一応)通う理学部地球惑星科学科では、4年次にそれぞれが各研究室に配属になって、研究活動をしながら卒業に備えたり大学院に向けて勉強したりするわけです。
で、昨日。
その研究室を決める日が訪れました。
4回生の一年間(院に進学する人にとってはさらに数年先まで)を決める重要な日です。
ワタクシの行くことになった研究室は「太陽系物理学研究室」
例年ならば定員をオーバーするために毎年じゃんけんがおこなわれるという人気研究室ですが、今年は見事にみんな牽制しあって、闘争は起きませんでした。

しかしまだまだ心配も尽きません。
この研究室、2003年度のCOE(国が決める優良研究機関)にも選ばれる、とても大きい研究室です。
そこに配属された、枚方代表の阿呆一匹。
「ちゃんと学校に行けるだろうか。」
と気にせずにはいられません。

まぁどうにかなるよ。
4回生になったら、あんまし学校に行かんでもいいらしいし。
(ダメ大学院生からの有力情報)
寺田が夢に向かっていくのなら、俺も這いつくばってやろうじゃないか。
あぁ、そうさ。
寺本はそろいもそろって人生の賭けにでたってことさ、ジョニー。(誰

ってなわけで、この春休みが大学生活最後の長期休暇になりそうです。
寺田、春季キャンプの準備だ。
写真とるぜ。

ほんだ

2004年01月30日(金)



 試験2時間前。

昨日、うちの大学の校舎の一つである、「以学館」地下と、
河原町にある「カメラのナニワ」の匂いが非常に似ていることに気づいた、ちょっと鼻の調子が悪いてらだです。

でもホンマに似てるわ。
R大学をご利用の際は、是非帰りにカメラのナニワに少し寄ってみるのもいいかもよ。

さて、世間一般の皆様は試験真っ最中だとか。
もう終わった人もいるみたいですけどね。
えぇ、僕も真っ最中ですよ。どうせそうですよ。
しかし、そこはご安心を。

希望とは、それなりに努力した人のみが、持つことのできる楽しみなのである。

OK謎は解けた。どうりで俺は何も持ってないんだ。

今回の試験は一瞬勉強した日もあるけど、何故か勉強をほとんど要しない試験が多いようで、
例えば、
講義の内容から、自分で質問を作って、それについて自分なりの回答を求められるレポートだとか(その回答は間違っていてもよい)、
しかもそれ、A4一枚で収めなければならない、ある意味
度胸試しのような課題もあったりするのよ。

まぁそれでさえ、友達のレポート内容の語尾を少しいじっただけのものを出してる俺は、人間としてどこか間違ってる気もするけど。

大学生の皆さん!あなたも
人から借りたプリントとかで勉強して単位が取れたり、95%インターネットからコピー&ペーストで作成したレポートで単位が取れたときの、あの何ともいい難い、非常に微妙な喜びを知ってるでしょ!

それに溺れてしまって、どうしようもない人もいるのです。

今回は5つ試験を受けるけど、その内3つが、あらかじめ問題でてるしね(1つは完全に持ち込み可)。

なんだ、余裕じゃないですか。
今日の試験も問題わかってるから、昨日家でちゃんと回答作ったしね〜。

失礼な、今回は100%自分の力。
インターネットで情報を収集したのも、それを全部ワードにコピペしたのも、できたものに若干の達成感を覚えたのも、全部自分の力ですよ。

それを今から覚えるんです。

では行ってきます。

細く補足:今回の日記はだいぶいい加減なことを書いてますが、全てが自分のことを書いているわけではないのです。
多少おもしろおかしく書いてみたい衝動にかられてしまっただけです。

では行ってきます。

2004年01月29日(木)



 試験勉強。

やっぱり色々と考えた結果、やっぱり大学は出ておいたほうがいいのかも、という結果に落ち着きそうなダメ大学生てらだです。

ん〜ほんとに色々と考えたけど、親にも迷惑をかけられへんしなぁ、というのが、一応休学を止めようと思った原因になるわけですが。

でもカメラの道を諦めたわけじゃないのでご安心を(誰に?)

むしろ、カメラで何十年も生きていこうと思ってる人間が、大学の4年間を過ごせずにどうするんだこらぁ!
と自分に言い聞かせてるだけやけどね。

やっぱりカメラ一本で頑張りたいけど、
そう甘くないと思う社会は。

本田も休学って言うてるし、旅とか出れたらおもしろいかなぁとか思ったけど。


さて、そうとなったら勉強勉強!
今は試験期間中やし、学生らしく勉強しなきゃ!

明日の試験は何々…
ほほぅ「近代政治思想史」ね。
これまた難しそうな。
ちなみに1回も講義出てません。ていうか学校にも行ってない不登校生徒でしたから。

何々…
さー、明日は休みだし、今日は徹夜で勉強するぞーっ!
えーっと、プリントもあるぞー!暗記は得意!何々……?


人間は自由である、という近代的な意識が強まり、それに基づく国家論は、先に見ましたJ.ロックの思想に代表されるように、それまでのプラトン以後に提唱されてきた国家論とは正反対のものとなりました。
かつては、人間は国家によって生きることができるのだから国家に従属するべきであり、国家的な権威は絶対的であり、それだけに、プラトンは国家のあり方を問題にしましたし、中世では、国家的権威は神聖視されました。
しかし、近代の人間の自由な権利(本性として自由であるという自然権)の意識は、国家を国民による契約によって成立するものという認識を生みだし、さらには、国家は人々の間に秩序を維持する責任はあるが、国家の個人への干渉は最低限のことに限られるべきだという主張を生み出しました。
こうして、国家論としての「自由放任(レッセ・フェール)」の思想が芽生えたのです。国家は、集団の安全を脅かされない限り、個人には不干渉であるべきで、国民はあらゆる点に置いて自分の自然権を行使できるという考えへと向かったのです。
近代的自我意識や自己意識は、こうした、社会的形態の変革の中で、自由国家の成立と不可分に発達しました。
経済分野での活動も、社会は最小限度の干渉しかすべきではないということが明確に打ち出されました。
一方、18世紀フランスを代表する啓蒙主義のヴォルテールは、3年間ほど渡英したこともあり、イギリスの自由思想の影響を受けましたが、人間の自由を全面的に養護することはありませんでした。
彼自身は、自由を大事にしましたが、それは啓蒙された知識人だけの自由であり、「無知な烏合の衆」は抑制が取り除かれると危険な存在になり、下層階級の人々には自治能力はないと考えていました。
だからこそ、彼は「啓蒙」ということを主張したのですが、彼の膨大な仕事には、そうした貴族趣味が漂っています。
これに対して、ルソーは真っ向から異議を唱えました。ルソー自身はヴォルテールのようには社会的境遇に恵まれなかったのですが、彼は、すべての人間の自由と平等を唱えました。
彼は、それまでの代表制による政治を廃して、すべての人民による直接民主制に基づく政府を創ろうとしました。彼は、ロックの民主政治の理念を受け止めて、特権階級によって支配されることを拒否し、社会的な事柄の付属物を取り去り、自然に帰ることを主張したのです。
自然社会の基礎は「社会契約」であり、その契約によって、個人の自由は法的に守られるべきで、主権は常に人民にあり、人民からそれを取り上げてはならないと論断しました。彼の『社会契約論』は、そうした主張の集成ですが、その中で、政府は単に人民の意志を実行するに過ぎず、人民はいつでも政府を解散して、別の政府を作る権利を持つ、と語ります。
このルソーに見られるように、近代の思想家の多くは、人間の真の自己は正しい社会集団の中で初めて実現されるのだから、社会は個人の人間の自己実現のために奉仕すべきであり、また、社会は人間が自己実現させるための最善の生活形態であると信じていました。
個人の自由を最も尊重しましたが、それによって非社会的になったり、反社会的になることはなかったのです。人間は仲間と共に生活をすることによってその個性を発揮させることができるのであり、他の人と共に生きることによって、初めて、その自由の意味を知り、他者との間の抑制によって、自由の意味を理解できると考えていました。
だからこそ、正しい社会集団を求め、自由が最も多い集団こそが最善のものだと考えたのです



………パサッ。(プリントを落とす)


(友達にもらったプリントが間違ってないか内容を確認)


(ため息)


(試験まで何時間か確認しようと時計に目をやる)


(涙目)



………。



とりあえず気分転換にワンピース全巻読破します(32巻)

2004年01月28日(水)
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