Kozの日記
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2002年08月29日(木) みんな頑張れ!

今日祖母に会った。

若返った優しい顔をしてた。

親戚と久しぶりの再会。

みんな大人になっていた。

明日の告別式いけなくてごめんね。




今日から受講生達の徹夜作業が始まった。

4人の教え子が制作に追われている。


明日は卒業制作展の準備の日。

明後日から3日間、大勢のお客様に作品を見てもらう。


今日会場の下見に行ってきた。

夏休みとあって子供達が溢れ返っていた。

きっと素晴らしい作品展になるはず。


みんな大変だけど、頑張ろうね。

子供達に素敵な時間が提供できるように。



2002年08月28日(水) 祖母のこと

母方の祖母が亡くなった。

確か84才だったと思う。


良く頑張ったね。
会う度に窶れてたのに、おしゃべりは達者で
いつも笑わせてくれた。

いっぱい苦労もしたみたいだけど、
おばあちゃんがしてきたことは、間違ってないからね。

5月におばあちゃんのところへ行って会って以来、
最後は7月。僕をテレビ番組で画面を通して見てくれた
とき。それが最後になるなんて…。

今日か、明日おばあちゃんの家に行くね。
今頃優しい顔で、ゆっくり眠ってるんやろね。

「やれば何でもできる」おばあちゃんの口癖。


嫌いなところも含めて、好きだった。



おじいちゃんとケンカしたらあかんで。
約20年振りの再会やねんから。

今度は仲良くしてね。


本当にお疲れ様でした。

今までありがとうね。


今、そばにいられなくてごめんね。


2002年08月27日(火) 幸せの余韻を抱きしめて

久しぶりに幸せと思える時間が訪れた。

充実したひとときだった。



しかしその余韻は儚く、

あっさりと現実に引き戻されてしまった。


まだ間に合うかもしれない。


現実がまだ浅いうちに、

幸せの余韻を抱きしめて、

夢の中で続きを感じていたい。


君の手の温もりが、僕の手に残っているうちに…


2002年08月26日(月) 幸せな時間

幸せな時間ってどんな時?



穏やかで、おおらかな気持ちで、ゆっくりと、
過ごせる時間。



木漏れ日の中で、揺れる木の葉を見ながら、
風のざわめきが耳を掠めて行く、静かな時間。





誰かが言ってた。

男は自然に戻りたくなる。

女は喧騒が恋しくなる。


どっちだっていい。
同じ時間を共有できるのなら。


どっちだっていい。
君といられるのなら。



時間に追われると、きっとこうなんだ。



僕の思う時間が現実になっても、
例えば仕事がうまくいっていなければ、
追われる時間が恋しくなるのだろう。



どちらもバランスよく味方につけるには、
2倍の努力じゃ足りない。

きっと10倍、20倍の努力が必要なんだ。




幸せな時間が先か…。


尽きるのが先か…。






体が不調を訴え始めているような気がする。




こんな静かな夜。

今、君が隣にいてくれたら…。



月明かりの中で、眠る君の顔を見ていたい。

涼し気な風が流れる中で、君の寝息を聞いていたい。


あとは何も欲しくない。



君との時間だけ…。









もしかして…



あまり時間がないのかもしれない。









もしかして…







2002年08月25日(日) 穏やかな空気の中で

ピアノを触る時間が少なくなってきた。
今日も軽くノクターンを弾く。

考え事が多いと、手が動かない。
集中できない。


最近家ではピアノの曲をよく聴いている。
演奏は、ピアニストの仲道郁代さん。

彼女の演奏はやさしい音で心地いい。

月のきれいな今日のような日には、
静かに聴いて眠りたい。




今日は先生の家にお邪魔した。
月の光を弾いてくれた。

穏やかに流れる空気の中で、
ピアノを弾く先生が輝いていた。

この安らぎにいつまでも浸っていたい…
先生の横顔を見ながらそう思った。




2002年08月24日(土) Kozについて

何だか近頃日記の内容が重い。

Kozについて。

かれこれ10年程前。

スティービー・レイボーン、ロベン・フォードに
ハマっていた時期があった。

特にロベン・フォード。
毎日彼の曲を聴いていた。

ある日タワーレコードへCDの物色をしに出かけた。
視聴コーナーを占拠し、迷惑な客になりすました。

そのとき出会ったのがデイヴ・コズ。
サックスプレイヤーだ。

ビバリーヒルズ白書でも彼の曲が使われていたり、
最近はあまり聞かないが、色々な番組のBGMでも使
われていた。

視聴コーナーで彼のCDを手にとって、参加ミュージ
シャンのクレジットを見た時、ロベン・フォードの
名前があった。

そのCDタイトルは「Lucky man」。

それだけでこのCDを買った。

ロベン・フォードの参加する曲はアルバムの1曲目。
コズの楽曲はブルースの曲ではないが、ロベン・フォ
ードの「味」がうまく相まっていた。

それに感動しつつ、アルバムの曲を順番に聴いて行く
と、タイトルの「Lucky man」に行き着いた。
基本的にはインストが多いけど、歌モノもある。

その「Lucky man」を聴いてからコズにハマって行った。
それは曲というよりは、歌詞が最高に良かったから。



You, standing there, unaware
I look at you and I understand
That I am such a lucky man


You, slowly turn, slowly smile
And it hits me so hard,
once again I am such a lucky man


Sometimes it's all so clear
There's a reason you are
here with me

Life has its ups and downs

But I'll get through
If I can stay with you
Forever

I look in your eyes and
I understand

I am such a lucky man


There's a reason you are
here with me

I know I'll get through
If I can stay with you Forever

I know I don't tell you enough

But it's the way that I feel


I look at you and I understand
That I am such a lucky man

Who could have planned
That I would be such a lucky man.....


この歌詞とは別に…


In the best of times or the worst times,
for every person there is at least one things
in life to feel good about, to hold dear,
to feel fortunate in being able to experience.
In that sense, we are all lucky.


と記されている。

身の回りにそこまで思える人の存在が、悲しい事にない。
当時も今もそう。
自分には持てなかったある意味「恩師」の存在。

10年前は今の僕の状況が訪れるとは夢にも思っていなか
った。

DAVE KOZと出会った。そしてこの曲に惹かれた。
そして今の僕がいる。

僕が恩師と呼ばれるべき存在にならなければという事なの
か、今はまだ分からない。

現実「弟子」を持って4年になる。


今思えばKozとの出合いは、必然的やったのかな。

とりあえず、Kozとの出合いは大切にしたい。



でも、やはり重い日記になってしまった。







2002年08月23日(金) これが現実?

毎年のこと。

夏の終わりと同時に年明けまで、ロングランの忙しい
日々が続く。

今年もそうなるのかどうかわからないけど、そうなっ
て欲しい。いやそうなりながらも、どこかで少し開放
されたいというのが、正解かも。

今までいろんな事で突っ走ってきたつもりだ。でも止
まろうとは思わない。戻ろうとも思わない。ただもう
少し速度を落としたい。

同じ距離またはそれ以上の距離を確保しながら、もう
少し速度を落としたい。

こんな弱音すら、人に言う事が出来ない自分の立場。
いつも独り言のように飲み込んでしまう。

でも全ては知らず知らずのうちに、自分でそんな環境
を作っているんだろうね。


思いとは裏腹な現実。それがなくなればイヤなくせに、
「今」を逃避したい気持ちが生まれてくる。

これは休息の時間。これは仕事の時間。と明確なインタ
ーバルができればいいのに…。貧乏性なのかな。

目指す所や目的を変えてみる。

それで価値観が変るかも。







英名ロバートが言った。

「レストハウスまで一日で往復する人も珍しいよ。何で
こんな無謀なことをするんだ?」

「日本で大掛かりなパーティをプロデュースするんだ。
そのテーマがジャングルなんだ。この目でどうしてもウ
ツボカヅラやできればラフレシアを見たい。観光でこん
なことしてるんじゃない。」

「ウツボカズラのあるところへ案内して欲しい」

僕が答えた。


「とりあえずレストハウスまで行ってその帰りに教える
よ。とりあえず僕についてくればいい。」

入山手続きをする前にガイド役の彼が言った。

マレーシアのボルネオ島にあるコタキナバルのキナバル
山に行った時のこと。

標高3272.7mまでの登山が始まった。


このパーティの依頼主は、まさか本当に僕がジャングル
まで行くなんて思っていなかったらしく、予定を話すと
顔が硬直してた。それは「その費用はでないよ…」とい
う焦りの面持ち。

「空想のジャングルで誰が納得しますか?少なくとも僕
は納得しません。実費でも行ってきます。あなた方のた
めではなく、僕自身の納得とその納得についてお客様の
反応がみたいから。出発は来週です。」

2000年の6月のこと。5日間をジャングル行きに費やした。

クアラルンプールからコタキナバルへ。
ジャングルにはまる3日間篭りっぱなし。

携帯やファックスなどの通信手段はなにもないから、気
になる仕事の事もあきらめがつく。

登山終了後の翌日。朝4時30分から夜12時まで。

空気の流れ、動物や鳥たちの声、木々のざわめき、湿度、
雨、匂い、星のきらめき、高山植物、体で感じる太陽の
温度、鳥の羽ばたき、生まれて初めて見る昆虫、苔から
落ちる水滴。

空想では得る事のできない空気を、存分に感じた。

実際のパーティは個人的には納得の行くものだったが、
反面僕のこだわりに批判もあった。

それはそれでいい。

客入れのBGMはキナバル山で録音してきたジャングルの音
を使った。CDで販売されている電子音のジャングルSEでは
ない。お客様には分からなかっただろうけど、経験や体験
は臨場感に繋がることを改めて知る。


それから2年。

「今」を逃避したいと思う時、時々彼の言葉が蘇る。

「何でこんな無謀な事をするんだ?」

彼はそう言いながらも、最後まで僕のペースを把握して時
間の管理を完璧なまでにしてくれた。

往路4時間。

復路2時間。

往復6時間。

握手の時に彼の言った「Good Luck」。


無謀な僕に付き合ってくれた彼の輝きのある目は、人間と
しての余裕にさえ思えた。


黒川紀章氏が関係するクアラルンプールの国際空港は、マ
レーシアの表玄関で、立派な素晴らしい建物だ。


全てにおいてプリミティヴな世界が実はその奥に存在する。


理想と現実。それが共有して初めて「自分」になるのかも
しれない。

またジャングルの空気に包まれたい…。

今の僕の思いははきっと【理想  僕  現実】の図式の
様に狭間を行ったり来たりしているんだろう。



とりあえずこれからは現実に向かい、理想のための現実で
あることを理解しよう。


もうこんな時間だ!

これが現実?



2002年08月22日(木) 夏の風景

最近は8月とは思えない涼しさ。
過ごしやすくなったと言えば、なったのだが…。

蝉の声もいつしか身の回りから遠ざかり、
体を掠める風に秋の気配を感じる。

まだ小さな頃は、8月末でも「夏」だった。
僕の生まれ育った海に囲まれた小さな島では、お盆を過ぎ
てクラゲが多発しても、海に潜れば太陽の光が底まで届き、
終わらない夏の海の景色があった。

ヒグラシやツクツクボウシも9月に入ってからもなお近く
の神社の裏山で鳴いてたり、アキアカネが田んぼを舞うま
では、オニヤンマ、ギンヤンマ、シオカラトンボ、イトト
ンボも見ることができた。

もう30年も前のこと。


昨日、今日と近くの公園で地区の納涼大会が行われていた。
納涼といってもこんなに涼しいのに。

いつの間にか過ぎ去る夏を惜しむように、浴衣を着た近所
の人が本当にたくさん集まっていた。

これだけの浴衣に遭遇するのも今年最後かも。

スクール終了後、受講生達と納涼大会へ足を伸ばした。卒
業制作展を間近に控え、詰めて作業する受講生達の息抜き
になれば…とみんなで少しの時間散歩してきた。

盆踊りのような櫓が組んであるにもかかわらず、フォーク
ダンスが行われてたのには、驚き。そしてみんな大騒ぎ。

大人になってから、あんなに大きな音量でフォークダンス
の曲を聴くこともなかったから、それはそれで新鮮。イカ
ヤキ、ジャガバターを食べながらそぞろ歩くのも僕にして
みれば何年振りのことだろう。

何だか人生少し損してるって気もする。

この数年夏らしいことをした…という記憶がない。
今年もまた、そんな夏で終わりそうだ。


中学の頃、波ひとつない誰もいない夜明けの海で泳いだ。

このまま水平線の彼方まで泳いで行けそうな、静かな海。

今、失われるものが多く、過去との対比の中で失いたくな
い記憶が蘇るんだろうね。




窓の外から聞こえる虫の声が、秋の調べを奏でているよう。


2002年08月21日(水) 酷な日々…。

今日はピアノに触れることなく仕事で終わりそうな勢い。

なんか間違っているよね。
こんなに老体にムチ打って頑張っているのに…。
いつになったら報われるんだろう。

やれ協会の仕事…
やれ講師の仕事…
やれ試験官の仕事…

慈善事業並みにボランティア。

体が潰れそうだ。


自分の会社の仕事の方が大切やっちゅうねん!

とは言えないよなぁ。
受けてしまった以上は。

ショパンの曲のようにゆるりと流れるような生活は
いつくるんやろ?

週末にはきっと倒れるかも。

酷な時間はきっと自分の為になると信じなしゃーないよね。


今度ゆったりとソファに座り、先生の素敵なピアのが聴ける
のはいつになることやら。


切ないけど、仕事に戻ろう…。


2002年08月20日(火) 恐るべしショパン

ただ今、午前2時40分。

仕事は続く延々と…。


しかし、夜11時位から小1時間程ノクターンを練習。
今できるところまで、できるだけミスタッチを無くすよ
うに何回も何回も弾く。

なぜか、弾けば弾く程下手になって行くのはきっと気の
せいではないような気がする。

いわゆるマジックにはまるというやつかな。

それでも1日時間を開けた最初は上手く弾けてるような
気もする。


なんでだろ?ドラムでもそういうのがある。


あまり気合いを入れて力んで練習することではないのか
な?練習時間の長い人はどんな精神状態で弾き続けてい
るんだろ?



ノクターンは上手く弾けたら、心からの癒しになる。
曲自体も聴いてて癒し系?やし。落ち着く。

こんな美しい曲が作れるとは…。

恐るべしショパン。


39才の人生の間で凄いものを残したことに、ホント脱帽
です。

僕も来月で39才になる。だから他人ごととは思えない。
おくがましいけど。

ショパンについては160年前迄生存していたということも、
ピアノを触るようになってから新ためて知った。


ところでそんなクラシックを超える楽曲が最近というか
近世にないのはどうしてなんだろう?

いろいろな物があり過ぎるからなんだろうか?



謎…。


2002年08月19日(月) 今日はドラマーな日

やっと「今の」出来事が書けるようになった。

僕の仕事に悲しいかな、今日は終わりという日がない。
一つ仕事が片付いても、次から次へとしなければならな
いことが出てくる。

まるで今年の台風のよう。

そう言えば台風は関西から関東方面へ抜けるみたいだけ
ど影響のある地域は大丈夫でしょうか?

関西は今日の夕方から雨でまだ降り続いています。
久しぶりの雨で良かったかもしれない。
草木が喜んでいるに違いないし。



昼下がり事務所からマンションに戻るまでの約6分の間に
舗道でメジロが死んでいた。

このあたりはスズメやメジロがよく死んでいる。
この地に引っ越して4年。これで6羽目の小鳥たちを近くの
公園に埋めた。僕のお店で生花も売っているので、お店の
お花を少し拝借し(代表の特権です)埋めた後に、お花を
置いた。

交通量が多いので仕方ないといえば仕方ないけど、人間中
心の社会の犠牲になった小鳥達はせめて野ざらしではなく
気がついた人がちゃんと埋めてあげればいいと思う。

たまたま僕の目の前にいるから僕が埋めるだけだけど…。




そんなこんなで、仕事にケリをつけたのが12時30分。
何故か今日はドラムの気分だったので、1時間程叩きまくる。
電子ドラムだからヘッドホンをすれば、近所迷惑にはなら
ないはず。
汗まみれになりながら、叩く。叩く。叩く。

バスドラのペダルワークと、ロール、パラディドル、フラム
ソロの練習の後、スピッツのベストにあわせた。


先日カシオペアの20th Annversaryのビデオを仕入れた。
やっぱ神保 彰はすごい!

僕自身もともとロックやブルース系中心で叩いていたけど、
最近はフュージョン系の難しいものを意識している。
細かなスティックワークやフレーズのバリエーションの勉強
になるから。

カシオペアはそれぞれが職人だから、テクニッはもちろんス
テージングもうまいしスゴイ。
あまり言葉では表現できないけど、とにかくすごい。

時々神保 彰のフレーズがスティーヴ・ガッドのフレーズに
似ている気がする。でも僕にはまねが出来ない。
あーゆうの見てるとまたバンド組みたくなるよね。



スピッツの太鼓の人(名前は知りません)は確実にビートを
きざむ上、フィルインやアクセントが複雑で以外と小技を使
っている。草野くんの詩や曲も好きだから、叩いていても楽
しくなる。




仕事の合間にこんな時間を持つ大切さは、何と言われようと
必要と感じる。


次はピアノの話題かな?


さあ、もう一仕事頑張るとしますか。




2002年08月18日(日) 心の夜想曲


心の夜想曲



心が悲しい時

心が辛い時

君に会えない時

どんな時でも、この曲で癒された


心が楽しい時

心が幸せな時

君に会えた時


どんな時でも、この曲に癒される



君からこの曲の弾き方を教わっている

だからこの曲を耳にすると

だからこの曲を弾こうとすると

たとえ君が目の前にいなくても

君が僕の側にいる


そして君を感じることで

僕の心は「幸せな気持ち」で癒される


物質的なものでなく

目の前にあるものだけでなく


心で幸せと感じることを

君と出逢ってから初めて知った


その幸せにずっと浸っていたい

僕の心が そう求めてる


何の駆け引きもなく

純粋に同じ空気の中に君と居ることが

僕の幸せ…


だからこの曲を耳にすると

だからこの曲を弾こうとすると

たとえ君が目の前にいなくても

いつも君が僕の側にいる



今 君は何に癒されてるのだろう

今 君の幸せはどこにあるのだろう


交錯する君の心の中で

僕は君の幸せになっているのだろうか

君が幸せを感じる僕になっているのだろうか

君が癒される僕になっているのだろうか




何があっても君を手放したくない

何があっても君を離さない


もし これが僕の独り善がりでも

もし 君にこの思いが伝わっていなくても

もし 何かの間違いで離ればなれになっても

もう一度君に巡り会いたい

もし 生まれ変わるとしても

もう一度君に巡り会いたい 




夜想曲 第2番 変ホ長調 Op.9-2


人知れず悲しい時

人知れず辛い時

君に会いたくて会えない時

どんな時でも、君を感じるこの曲で癒された


君を感じた時

君の手の温もりを感じた時

君に会えてうれしい時


どんな時でも、君を感じるこの曲に癒される


君と過ごした時間

君を感じた時間

この曲は幸せな時間の余韻を奏でてくれる


そして僕の心は君に癒されていく

これからも

ずっと…

ずっと…



ずっと…




2002年08月17日(土) 夜想曲 第2番 変ホ長調 Op.9-2

ゴールデンウィークを控え、社内は慌ただしさを帯び、
社員も目の色を変えて作業する中…

「ブンブンブン ハチ が  とぶぅ」

のフレーズに仕事の緊迫感が一挙に失速してしまった。
社員の風当たりは強く、飛んでたハチも失速する勢い
の空気に包まれ、とてもピアノの練習どころではなく
なった。


練習中に社員が後から入ってきたくせに!
ぶつぶつ言うな!

とはさすがに言えなかった。

忙しい時期のバイエルは危険と判断し、その日は中断。
内心は「仕事で鍵盤の音を使いたいから、練習している
のに…」と思っても、「ブンブンブン」はまずかった。

翌日社員から、多忙な日は練習をやめるようにと申し出
があり、それから練習日を変えることとなった。




先生の好きなものは、「甘いもの」と「いちご」。
4月に先生と一度いちご狩に行った。
その時本当にいちごが好きなことを知った。
食べるのもそうらしいけど、いちごという物体に関して
いろいろと観察をしている先生を感心しながら僕は見て
いた。


「早く食べないと、なくなるよ」

「いちごって、かわいいねぇ」

それはまるで、

いちごというかたちがあって
いちごの赤があって
ヘタの緑があって
いちごの大きさがあって
いちごの味があるから
かわいくて、そして食べたくなる。

だから急がなくてもいいの!

と言わんばかりの目でいちごをみつめる。

でも、しっかり食べているようにも見えたけど…。



そんなにいちごが好きなら、アメリカへいちご食べに行
こう!ということで、カリフォルニアのオクスナードの
ストロベリー・フェスティバル・2002へと足を伸ばした。

いちご畑が続く風景を車で走り、フェスティバルの会場
に到着。日頃は何にもないところだけど、この日だけは
人で溢れかえっていた。

いちごの流通では全米20%のシェアを持つオクスナード
のいちご。いちごワインやいちごビール、いちごクレー
プ、いちごのファンネルケーキ、山盛りのいちごケーキ
いちごの直販など、いちごだけでよくこんな大規模なイ
ベントができるなぁ…と思わずにはいられない。

さすがアメリカ。先生も大満足の様子。

この日は近くのモーテルでと思ったけど、この日だけは
どこに行っても満室。歩くこと40分。やっと見つけたモ
ーテルでチェックイン。しかしこのモーテル、ヒッチコ
ックの裏窓やサイコにでてきそうな、怖いところ。
ベッドにボタンが落ちてたり、床は湿っているし、ドア
は閉まらない。お風呂のお湯もチョロチョロと出放し。

BPスタイルで歩き疲れたせいか、早速就寝。

翌朝何事もなかったことに安心して、ターミナルへと。
ここからグレイハウンドでLAまで。そこから今回拠点に
決めていたサンタモニカへと戻る。

ユースに行き早速チェックイン。スーパーで夕食の買い
物をすませたあと、リビングにピアノがおいてあったの
で、先生と「ABCの歌またはキラキラ星」の連弾。
なんとなく上手くできた。そして、ソファに深く腰を掛
け先生のピアノソロを聞く。やっぱり上手いよね。

そばにいた外国人?も大きな拍手。そしてその外国人と
バトンタッチ。彼も上手い。そしてやはり大きな拍手。
ピアノでこんなコミュニケーションがとれると、言葉な
んかいらないし、上手い下手ではなく音楽を楽しむこと
に意味があることを実感した。

さすがに「ABCの歌またはキラキラ星」を弾く勇気はなか
った。今度の機会のために、曲で何かを弾きたい!とい
う気持ちに駆られ、これ以降ノクターンの練習を始めた。

バイエルもろくに終わっていないのに…。まだ15番終わ
ったところだっていうのに。

今はノクターンの基本形 夜想曲 第2番 変ホ長調 Op.9-2
を特訓中。譜面を見ながらは手が動かないので、一つず
つ音を拾って、先生のアドバイスももらいながら何とか
転調っていうのかなぁ、レ ミ♭ ファ ソ ファ ド
の手前までは、少しのミスタッチもあるけどできるよう
になった。トリルもなんとかクリアーした。ただ、譜面
でなく鍵盤で覚えている関係上、ほぼ毎日忘れないよう
に弾かないと、ここから先は覚えきれるかどうか、少し
不安になる。

今年のクリスマスあたりには完成させたいけど、これか
らの繁忙期で、ますますピアノを弾く時間がなくなる。


結局今現在、社内の教室での練習はなくなってしまった。
まだノクターンを始める前のこと。その理由は、仕事の
場で練習をして欲しくないという社員からの要望。

このノクターンも、必ず弾けるようになってとりあえず
社員に聞かせるつもりだ。社員が会社にいるうちに完成
できるかどうか…。

頑張るしかないよね。




2002年08月16日(金) 連弾にときめく心

という訳で、桜の花が咲く頃にレッスンは始まった。

今あるピアノはYAMAHAのCS6xというシンセサイザー
で本当のピアノではない。仮にピアノを買ったとし
てもあの重量のものを置くスペースはなく会社にで
も置こうものならスタッフからどれ程ヒンシュクを
買うか…

これだけの楽器があって、日常的に少し練習してい
ても、スタッフの視線をはずさないと動揺してしま
うくらいだ。

最近はSEの制作があったりするので、堂々とキーボ
ードやドラムを前にすることができる。それは唯一
仕事を楽しめる時間になる。


ところでピアノのレッスンは一応2時間。先生自身
が人に教えたことがないとあって、メドがつくまで
月謝無し!でも罪悪感は否めない。

先生も貴重な時間を割いて、終電ギリギリまでいて
くれるのだから真剣にやる他ない。


この先生。時々本当に24才なのかな?と疑ってし
まう程、落ち着いているし、勉強家だ。

今の仕事をしていると大体20代半ばの世代との接
触が多く、ジェネレーションギャップを感じてしま
うが、先生の前だと感じないのが不思議で仕方ない。

「ピアノはいつから始めたの?」

「小学校から中学校まで」


普通この会話から、「ピアノを習う」お決まりの習
い事のような印象を受けるが…


「先生の得意なの弾いてみてよ」の質問に

「最近弾いてなかったからね」とさらりと流し、

「これ右手と左手の役割が変るのよね…」と言いな
がら指を踊らせていた。バッハの曲。
手とキーボードが一体になっているように見えた。

「それからこれはベートーベン」
僕には早すぎる指の回り。

「あー指が回らない…」

「えっ!うそっ 回ってるやん………。」

「鍵盤の重さも違うし…」


「小学校から中学までの、何年ピアノやってたの?」

「5、6年間かな?」


「5、6年間でそこまでできるの?」

「できるわけないっちゅーねん!」←心で叫んだ。

「習ってたのがそれくらいで、あとは独学…」

僕はこの「独学」という言葉にめっぽう弱い。
独学は努力なしで結果がでないし、それが正しいか
どうか検証するのにも時間がかかってしまうから、
大変だということはホントよくわかる。

近頃類を見ない24才の先生。


で、バイエルのはじまり。

1番からいきなり譜面が読めない。

先生「………………」

僕 「これがドやから…」

先生「ニコニコニコ」

僕 「これがミで…」

先生「ニコニコニコ」


まるで小学1年生の4月にすることと同じかも。

あー大丈夫なんかな?

一抹の不安がよぎる。


それにしても先生の気の長いこと。

今まで嫌な顔は見せたことがなく、いつもニコニコ
している。

その時、右のエクボがかわいく思えた。

先生の書き込むノートには、こと細かくその日の内
容と次の課題が書き込まれているらしい。絶対に見
せてはくれない。

僕も先生の立場で生徒に教えているが、彼女の教え
方は根本的に僕とは違う。彼女は絶対に怒らない。

僕が間違いに気付いて直したら、出来て当たり前と
も思ってなく、良く出来ましたと誉めるのではなく
「ありがとう」と言ってくれる。

なんでありがとうなんだろう??
そんなのはどうでもいい。
正直その「ありがとう」は僕を勇気づけた。そして
その一言を聞きたいために、頑張る自分がいた。

なんて単純なんだろ、男って…。


「本当のピアノ弾いて欲しいな…」
ある日先生がそう言った。

「いやまだまだ」
僕が言った。


「バイエルの他に何か弾いてみたいのある?」

「ビリージョエルの『素顔のままで』」

「じゃ練習しとくね」

「でもムリやん、そんなん」

「ムリっていう言葉つかったらダメって先生がいつも
 言ってることちがう?」

「はい…」

やっぱり彼女には勝てないかも。


先生のひた向きさに、ピアノのレッスンが楽しくて仕方
なくなった。

先生によってこれだけ前向きになれる。

そう言えば中学1、2年の時英語の先生が大嫌いで、英
語が苦手だった。成績はいつも20点とか30点で10
段階評価で2とか3だった。

しかし中学3年の時の英語の先生は、すごくよかった。教
科書通りの授業なんて滅多にしなかった。話が楽しくて、
言ってることがわかりやすくて。だから成績はグングン伸
びた。テストはいつも80点以上をキープしてた。

小学校の頃音楽の先生が好きだったら、今頃どうなってた
んやろ。ちなみに中学の音楽の先生も嫌いだった。

自分も嫌われない先生にならなくては…。


「本当のピアノ」がやけに耳に残る。
翌日楽器屋さんへ行って、「ピアノ」に触れてみた。

鍵盤が重い。音がアコースティックだ。響きが違う。
新ためて「ピアノ」を感じてみた。

「早く連弾ができるといいね」

なぜか胸がドキドキした。


「ブンブンハチが飛ぶー」の練習はゴールデンウィーク前。
かなり遅いペース。

「この曲できたら連弾しようね」と先生。

めちゃくちゃ頑張った。


しかし、そこには重要な問題があった。


2002年08月15日(木) バイエルから…

15才年下の先生は今24才。

僕が本職で開講するスクールの生徒だ。

仕事柄、音楽とは全く関係ないがキーボードに
電子ドラム、エレキ、アコギ、ベースとそれぞ
れのアンプ関係やミキサーなどが教室内に置か
れてある。

ある日キーボードをみて生徒が

「あっ!ピアノ弾きたい」とボソッと?言った
その言葉に僕はスグに反応した。


「ピアノ弾けるんだ?」

「うっ、うん少しだけ…」

ピアノはいずれ何才になっても習おうと心に決め
てたこともあり、いいタイミングでキッカケがで
きた。


20才の時、バロック音楽が自分のブームになりバ
ッハの音源を少し買ってみたりたりした。

理由は1台であれだけの音域を持つ楽器が存在する
すごさを感じたから。

まるで雷鳴なみ。

今でも雷鳴に勝る音域の広い楽器はないんじゃな
いかと思うくらいだ。

人間の耳に聞こえる周波数のレンジで判断してい
るからかも知れないけど。



2年前ニューヨークの教会に何気なく入ってみた。
礼拝が行われる前だったようで、人が集まりつつ
あった。

日本ではみられないような宗教建築、蝋燭の灯に
驚き、唖然としていた。するとパイプオルガンが
なり出した。

立ちすくんだ僕は身動きがとれずに、数分後には
涙が止まらなくなっていた。
横に座る信者の女性が温かく僕を見つめ頷いた。
そしてハッとして周りを見るとたくさんの人。

あわてて外に飛び出してしまった。
5th アヴェニューまで歩く間涙が止まらない。
日常の人通りを見て、涙が引いた。

なんで泣いたんやろ…?

今にして思えば、初めて体で感じた聖なる空間と
体にまとわり付くような空気の流れ、そしてパイ
プオルガンからの重圧、空気振動。

どんな曲かどんなリズムかも何も覚えていない。
涙で滲んだ祭壇と信者の女性の顔しか思い出せな
い。いい意味のショックだった。

以前いずみホールで聞いたパイプオルガンの演奏
とは類が違う。

この頃から感動はテクニックもそうだが、心に伝
えるための「空気」が必要だと知った。そしてそ
れを構成する「条件」も必要だと。

日本と欧米の音楽感、音楽性の違いの原点を目の
当たりにした、そんな経験だった。

その経験を仕事でも役立てたいと発展して、今の
楽器くんたちが集まった。

自分にできることはお客様の為になんとかしてあ
げたい。奇しくもこのポリシーが足下を見られる
そんな大人の世界。でもこのスタンスは持ち続け
たい。



約2年前、仕事でどうしてもキーボードが必要だっ
たので、弾けもしない鍵盤楽器を購入した。

ギターにはスケール(ブルーノート・ドミナント他)
がある。あるポジションを押さえるとリードらしい
ことができてしまうことをほんの少しだけ知ってい
たので、同じ楽器だからできるはず!とタカをくく
ってた。

曲のキーさえわかればと…。
譜面なんてなくってもと…。


そして、仕事で使用するSEは何とかできた。

ただ一回弾けたつもりになってしまうと、その先を
目指すのが人間。右手だけでできていた一回きりの
SE制作も音域を広げたいという欲求にかられる。

なんか、こんなフレーズいいなと思って両手を鍵盤
の上に乗せ、よしオクターブで挑戦だ!とチャレン
ジしてみるものの、指が動かない…………。

その時ピアノの偉大さに気付いた!←遅いっ。

そこからWEB上でピアノ教室を調べたが、譜面が分か
らない自分にとって、30分のレッスンが普通のレッス
ンの30分になるまで、どれくらいかかるのかを考えた
だけで、あきらめもーど。


そんな時の先生?生徒?との出会い。

授業終了後に、2時間ピアノ教えてください。

生徒に先生というのは、何だか妙な気もするが、そん
なことはいってられない。

先生は教室内にキーボードがあるから、僕が譜面読め
ないんでと言っても、初めは謙遜だと思っていたらし
い。しかーし、ホントに読めないことを知った先生は、

何か弾けるものは?何か弾きたい曲は?

と子供に話すように僕に問いかけた。

「ハノンの最初の…」

きょとんとした先生は、

「じゃ弾いてみて…」とやさしく声をかけた。

「では、緊張するなー」


今迄の卒業生に「ピアノしたいっ」と言うと、バイエ
ルもいいけど「ハノン」の最初からした方がいいかも
しれないですね。
と言われ、にわかにドミフソラソフミ レフ…と教え
られた通りに密かに練習はしていた。

「ドミフソ…」

「ハイ!そこまで」

先生の声はもう先生の声になっていた。


「お母さん指とお兄さん指が仲良すぎますねー」

「???????」

「音が重なってますね」

「音が重なる??んっ?」

「ハノンはお預けですね」

まるで僕は子供に戻ったような気分になった。

「来週からバイエルしましょーねー」
「今日はおしまいっ!」
「今後の予定を立てましょうねー」

まだ、10分も経ってないのに…。


その瞬間、先生と生徒は生徒と先生になっていた。



例年より桜の開花が早いと報じられていた、穏やかな
日の締めくくりの出来事だった。





2002年08月14日(水) まだまだ道は長い?

今年の3月から始めたピアノ。

小学校の頃、音楽の先生が大嫌いで学校で習う
音楽を嫌いになって早27年。
音楽が好きなくせに譜面を遠ざけてた。
そしてそれをコンプレックスと思ってた。

音楽の授業とは全く別のところで、音楽に魅せられて
小学校5年生のころから、ドラムに興味を持ち始め、
枕を太鼓代わりに叩いてた。



耳でコピーする曲は山口百恵やフィンガー5、岩崎宏美
の曲。叩き方も知らずにスティックの代わりに模型用の
木の棒でバタバタ…。


日常的に枕の消耗がこんなに早い家はないだろうね。
両親は僕の行動が理解できなかったみたいで、
「やかましーっ!」と怒鳴られる毎日。
そのうちお小遣いで枕を買う始末。
子供ながらに、枕から飛び出るホコリを見ながら、
いつかはドラムセットを買ってやる!と心に決めたものだった。


中学に入り洋楽に興味を持った。KISS ベイシティローラズ
ランナウェイズ ディープパープル レドツェッペリン…。

しかし、周りはギターを目指す友達が多く、自分の目指す
ドラムが違うんじゃないか?と疑問を持ち始めた。


そして友達はフォーク系で、趣向に溝があることを
当時の女の子の人気度から感じ取ることができた。


恐るべしアコギ。


そんな時知り合いから、当時でさえ10年程前のドラムセット
パールのバレンシアを5000円で購入。
中学2年の時。この時の5000円はかなり高価!


早速家に持ち帰り、親の目を盗んで自分の部屋に持って入った。
いづれはバレると分かっていながらも、持込めば勝ち!と
強行手段を取った。

嬉しさにドカドカジャーンってやってると、瞬く間にご近所さん
からのクレーム続出!

ミュートするテクニックなど知らないこともあり、軽く音を抑えて
叩いていても、不完全燃焼で終わるだけ。


そんなある日先輩に「ドラム貸してくれ!」といわれて貸したが
最後、二度と戻らなかった…。


で、ギターを始めたがコードを覚えることができても、譜面に対して
拒絶反応が起きる。


結局、この年になるまで譜面と向き合うことはなかった。


ある日ひょんなキッカケで、15才年下の女の子が僕のピアノの
先生になってくれた。
そして大人になって始めて譜面と向き合う瞬間が訪れた。


Koz |MAIL

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