生きる。を消費する

2011年03月18日(金) あれから1週間

あの悪夢のような日からはや1週間が経過しました。
1週間ぶりに出社した会社は暗くて人が少なくて、寂しかったです。
同じ部署の人で実家が仙台にある人が居て、その人がずっと来てないので
かなり心配なのですが、誰も何もそれに触れないので不明のまま。

んで、私の派遣先はとても優しくて地震で出社できなかった分の
時給も払ってくれるとのこと。今日も停電があった場合困るのでと
早退させてくれました。もちろん時給は定時まで支給で。

給料ちゃんと出なかったらマジで死亡するんでこれは嬉しかった・・・

人が少ないことはとても快適で、人ごみが苦手な私は電車も街もみな
ほどよい混み具合なのでとてもすばらしいと思っています。
このままじゃ日本経済がアウトなのかもしれんが、ホント快適。
私の故郷は東京なので、悪いけどここしか居るところないんだもん。
だから、このままで居てほしいと切実に願ったりしてるのでした

家に居る間、いろいろ考えましたがとにかく自分が後悔しないように
悔いのないように行動すること、これを一番の信念として
この非常時を生き抜く事にします。
だから、行動は慎重になるかもしれないですがそれはしょうがない。
与えられた試練に立ち向かうべく、がんばります。それだけです。

それにしても彼は私と付き合って良かったと思ってるみたいだし、
私が男性から嫌がられる所を欲しがってる人が居てよかったと思ってる。
それはこの1週間で実感させられました。


2011年03月13日(日) 生まれて初めての大きな地震

地震すごかったね…。
以前震度4の地震でかなりテンパった私としては
今回の地震は「もう終わりだ・・・」と思っていました。

仕事中だったアタシは、最初の揺れで遠くから波動の様なものが
ずずずとやって来るイメージが頭に浮かんだので、もしかしてこれって・・・
と思っていたら、大きな横揺れがかなり長い時間続きました。
揺れてる間、机の下に潜りながらずっと窓の外に見えるスカイツリーを凝視。
折れるわけ無いのに、なぜか「アイツが大丈夫だから私も大丈夫」だって(笑)
でも避難訓練の成果があり、避難経路の確保とか落ち着いて行動出来ました。

派遣先の担当者が派遣社員だけ先に帰っていいとの指示が出たので、
体感で尋常じゃないと思った私は、まげが気になって仕方なく徒歩で帰宅。
浜町〜日本橋〜東京駅〜桜田門〜赤坂〜表参道〜渋谷〜三宿〜若林。
トータル4時間。
途中、渋谷で帰れなくなった友達をピックアップして合流。
渋谷から徒歩がかなりキツかったので、ホント嬉しかった!
彼女はそのまま我が家に泊まりました。

いやはや、遠かった…。でも意外と歩けるもんです。
今回は本当に災害時は初動が命だってのを痛感しました。


korekara doushiyo
DIARY INDEX過去未来