生きる。を消費する
いくらあがいても、仕方が無い。
コツコツ努力するとか向いて無い。
でも、それでもやるしかない。
自分に厳しくなりたいな。
ストイックに生きていきたい。
私のこの行為が迷惑なだけと解っていながらも。
私は自分の為にこうするしかないとわかっているから。 だから受け手がどうとかはどうでも良くて、ただ単に自己満足で 自分の思うがままに動いて、話しているだけなんだ。 だから相手の不愉快な表情なんて見て見ぬ振りするに決まってる。
私が他人を好きになるなんて事はこれから先無いのかもしれない。 自分が傷ついた事に、反省点は無いのかというと嘘になる。 だが、私はその時考えられる事をしただけだ。出来る事をしただけだ。 それについて文句を言われて何が辛いんだ?私は。 自分が嫌だと思う事は他人にするな、と言われているが 私はそこまで他人を愛せない。所詮他人は私を愛する事は無いから。 今までどれだけの人が私を裏切って来たのだ、とそればかり思い出し ムカムカしてくるだけ。そんな気持ちをどうこうするなんて 私ですら無理だ。どうしようもないもの。それについてどうしようも出来ない。 小さい頃からの経験がこんなにも大人になってからまだ引きずるとは 自分でも思わなかったけど。難儀なもんだ、しかし。
相手は何とも思ってないんだろうけど ちょっとした優しさに触れた時、ほんわかした気持ちで 夜空を見上げたりして、良い事だなあと思ったりする。
人と真剣に向かい合っていても、それが相手にとっては 苦痛でしかない事もあったりして、何だか辛いなあとかあるんだけど でも、それは私の価値観を押し売りしてるだけであって そんなに他人と自分との関係は上手く行く訳では無い。 本心はどこにあるんだろう、なんて腹の中で色々考えても 結局本心は何処にも無かったりして、なんだかなあって事もある。
私の想いが、ちゃんと届きます様に。 あったかいまま、届きます様に。
私が感じた幸せを、あなたにも感じて欲しいと思うのは ちょっと強引すぎるのかな、なんて思ったりもしますが なかなかどうして、知ると楽しいのにね。 一緒に、楽しく生きようよ。そこには良い事があるぜ!
だって人生なんてそんなもんでしょ?
他人と自分との距離感を掴めない事に対する苛立たしさは尋常ではない。 どうやったら苛つく事無く他人と共存出来るのか。 私はいつもそれを考えている。少なくとも10年は。 でもどうしても上手く行かないんだよな。冷静になれない自分が居るんだ。
みんなに好かれる人間になんてなりたくない。 別にたくさんの人に好かれようなんて思ってない。 でも、嫌われない様にする事も大事だと思う。 それが解ってるだけに、もどかしいのかもしれない。
私は何が欲しいんだろう。 他人からの感謝の言葉?私が居てくれないと困ると言われたいの? でもそれってかなり傲慢。自分で言う事じゃないでしょそれ。 私は本当に自制心が無い人間なんだなあ。頭が悪くて嫌になるぜ!
| 2007年04月02日(月) |
相反するものの対立について |
今、自分自身の中で2人の私がつかみ合いのケンカをしている。 最初にそいつらがケンカを始めたのは かれこれもう10年くらい前だと思う。 当時は自分に気づかれないようにケンカをしていたと思う。 だから自分はずっとそれに気がつかなかった。 気が付き出したのはいつなのか解らない。でも確実に自分の意思で コントロール出来ない感情や考えが起こり出していた。
ケンカってどうやって仲直りするんだっけ? ごめんなさい、ってどう言ったら良い?
木刀をブンブン振り回して「てめーら全員死ねよおらあああ!」 と暴れてる人を取り押さえて鎮めるのってどうするんだっけ? 殴られたら鎮まるのかな?でもそいつの天下は取らせたくない。 今、絶賛殴られ中でもう一人の私は大けが負ってます。あれ? これって非常にヤバいよねえ?どうすればいいんだっけ?????
ラブアンドピースなんて、要らねえんだよアホ! でも、愛と平和は欲しい。切実に。 自分の心に潜む2人の私は、どうしたら愛し合ってくれますか? 二面性がある人間は軽蔑されるべき存在なのだとしたら 私はどうやって生きて行ったら良いのだろうか。 むしろ生きている事がおかしいのか? 色々な人に聞いてみたい、普通はどうやって生活してるのかを。 私の様にケンカしないで生きていっているのかと。 生きているだけで迷惑かけるなんて最悪ではないか。
2人のケンカを鎮める為に、第三者の力を借りた事もある。 でも結局解決はしない。だって本当の事を誰も口にしないから。 誰も、私自身の事について本当の事なんて話さないんだから。 自分が言わないのに、他人が解る訳が無い。
こんな苦しい想いをするなら、いっそ死んだら良いと思う。 自分で自分を終わらせられたら、それは素敵な事だろう。 でも、私は厄介な事にそういう人がどうなるか見てしまった。 ああなるくらいだったら、生きてる方がましなのかも。 でも「まし」かどうかで選択するのはおかしくないか?
「考える」ってこういう事だったのかと自分自身に思い知らされ 私は喉元を血が出る位掻き乱している。 こんなはずじゃなかったのに・・・
| 2007年04月01日(日) |
この場所の存在価値について |
私は自分がここ数年ずっと行っている 「自分を文章で綴る事」を ちょっと軽く考えていたのかもしれない。 私という存在が、どうなっていくのかを もっとキチンと記すべきなのかもしれない。 もしかしてこの世の中に居るかもしれない 私と同じ思いで苦しんでる人に対して マニュアル的な、または反面教師的な存在として この行為がどうか誰かを救ってあげられますように。
自分を痛めつけ、他人を痛めつける事でしか 自分の存在価値が確認出来ない、可哀想な人の文章です。 そう、笑い者になってもいい。馬鹿にされてもいい。 それでもいいから、こうして書いていたい。
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