かっしーのつぶやき
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2007年09月23日(日) がんばれ常磐ハワイアンセンター

懐かしの常磐ハワイアンセンター、改めスパリゾートハワイアンズに実に四半世紀ぶりくらいに行きました。
最寄のインターを通った時点で既に係員のおじさま達がみんなアロハを着ているのを見て、胸が温まりました。ああ、この手作り感はまさに懐かしの常磐ハワイアンセンター…<ハワイアンズって言ってあげなさいよ

ここは、子供の頃には水泳少年団の遠足で毎年行ってたところです。所属していたのは水泳少年団、とはいえ私が小学校の頃に近在に温水プールなんてありませんでしたから、冬場は筋トレとなぜか剣道とバスケットという変則活動を余儀なくされており、年に一度の常磐ハワイアンセンターといえばそれは即ち「冬なのに泳げるとっても貴重な機会」であったのでした。みんななんだかんだ言って水泳好きの子たちだったので、団体様用の貸切お座敷(今はありません)みたいなところで男の子も女の子もいっしょくたに着替えた後は、それこそ身体で水をむさぼるようにプールで泳ぎ倒した感覚をぼんやり覚えています。

大きなプールと流れるプール、そしてハワイアンダンスショーの舞台という基本的な構造はあの頃からほとんど変わっていなくて、入場して思わず言ってしまった最初の言葉は「うわー、変わってないー」。もちろんそれなりにいろんなところが現代風にリニューアルされてて、滑り台の形は直滑降(!)じゃなくて曲線になってるし、舞台でドサ回りの演歌歌手(!)も歌ってたりしないけど、それでも、えーとその、いろんな意味で昭和的つーか田舎的つーか、とにかくこう全体的になんともいえず垢抜けない感じが漂ってるあたりはわりとそのままでありまして、嗚呼、ここはやっぱり、紛うかたなくあの「常磐ハワイアンセンター」なのだと思い知らされた私なのでしたよ。

しかし、21世紀の私的にはナニでアレな部分はあっても、それでも現在でも思ったよりずっとたくさんの人が来ていて、プールも水着で入れる温泉も水という水はこれすべて家族連れでいっぱいで、比喩でなく文字通り芋洗い状態でした。
「フラガール」が話題になって人気が急に出ちゃったためなのかどうか、ともあれ来場者数の多さに対して設備が追いついていない感じがあちこちでありましたですね。繁盛するのは結構だけど、こうなるといよいよ「時代に合わせた大改修」が必要になるのかもしれないなー、などと我がことのように心配してみたり。だって、ここは私にとってやっぱり、子供の頃の楽しい思い出の地なのですもん。田舎っぽいよなー、ショボいよなーと言いつつその一方で、やっぱりここはいついつまでも多くの人に愛される楽しき夢の場所であってほしいと、けっこう真面目に思い願ってもいるわけなんですよ。

がんばれ常磐ハワイアンセンター、あの宝塚歌劇団だって元はと言えば温泉プールの付属合唱団なんだ、フラガールの流れを汲むダンス文化が常磐線伝いに茨城北部に流入して来ていなかったらもしかしたらあの七帆ひかる様だって生まれなかったのかもしれないんだ<注:地元民に流布している牽強付会ミラクル伝説(笑)

そんなわけで、限りなく常磐ジモティーな私としてはたいへん複雑な感慨に溢れた一日でございました。
でも、思い返せば回りの家族連れの子供達は何がそんなに楽しいのかと傍目に不思議になるほどみんな笑顔全開ではしゃいでいたし、今回初めて行ったという同行の皆さんも最終的には「楽しかった」と言ってくれたことだし、なんというかそういう人の心の純真さみたいなものに救われた思いがいたしましたことでした。

いろいろあると思うけど、これからもがんばれ、常磐ハワイアンセンター。<どうしてもそう呼びたいらしい


2007年09月21日(金) 駆けつけ3杯・有楽町22時

「女で最初の一杯にギネス飲む人、初めて見ましたよ」

って10歳年下男子に真顔で言われましてん。
今まであんたの周りにいた女ってどんな妖精ちゃん達じゃー、と毒づきたくなるのを押さえて「いやー、喉渇いてたんでさあー」とニッコリ笑って、ってよく考えたら何の説明にもなってないなそれ。

ギネスから松露の水割り経由で伊佐美のロック、の頃には彼の目が素で怯えていたよーな気がするがまあどうでもいい。
初対面の10歳年上女に向かって俺の元カノが今度結婚するんですよ話とか俺長男なんスけど実家の親と親戚の折り合い悪くて話とか語るからにはそれ相応の覚悟ができてるんだろうなと勝手に解釈して、こっちもなんか思いつくままに罵倒もとい語り倒して終わったような気がする。

月曜日に彼が会社に来なかったらそれは多分私のせいだろう、すまんtimutaん、と後からちょっとだけ思った。


2007年09月15日(土) 応援歌は大きな声でまっすぐ歌うほうが気持ちいい

例年の如く甥っ子1号の運動会を観戦してまいりました。
去年は赤組でしたが今年は白組。またしても白い応援服&帽子を新調して乗り込んでいった叔母バカは私ですよ。

私の母校は、田舎の公立小学校のくせになぜか校歌のほかに愛唱歌と応援歌がそれぞれ別にあって、在校中の児童は事あるごとにその3曲をガッチリ歌わされます。私はその中でも、運動会の時だけ歌われる「応援歌」が大好きで、子供の頃から毎年秋の運動会のたびに「なんていい歌なんだろう」と感激し胸ふるわせながら歌っていたものでした。大人になり甥っ子1号の運動会を観戦しにいくようになってからは、この大好きだった応援歌を子供にまじって声を出して歌えるのが実はひそかな楽しみでもありました。

今年の運動会は、甥っ子1号に
「みんな絶対さいしょの開会式から来てね」
と事前に重ねて言われていたのでいったい何があるのだろうかと思っていたら、開会式の次の応援合戦において彼はなんと、応援団の大太鼓係という大役に任じられていたのでした。
生まれつき体が小さくて病弱で運動会ではてんで目立ったことのなかった彼が、白軍手りりしくでっかい太鼓を応援歌にあわせて必死で叩いてるその姿は、なんとも健気やらいじらしいやらで、ああ、彼にとってはこれは一世一代の晴れ姿なのね、家族に一部始終を見届けてほしかったのね、とか思うとそれだけでなんかもうウルッと来てしまう私はつくづく叔母バカなんでした。

私は今年、子供の頃に大好きだった母校の応援歌を己が甥っ子の叩く太鼓の音頭に合わせて歌うことができたわけで、考えてみればそれはとても幸運で贅沢なひとときだったのだろうと思います。
サンキュー甥っ子1号。今年もよんでくれてありがとな。


2007年09月12日(水) 君は光僕は影

流山での近藤と土方の別れは考えるだに切ないねえ、とtimutaんと話していた時のこと。
長年のベルばらマニアのtimutaんさんは言いました。

「土方さんはさながら先に死ななかったアンドレみたいなものかしら…」

じゃあ近藤がオスカルなのか、さよなら私の春風って沖田はロザリーなのか、どっちかっつーと土方は立ち位置的にフェルゼンじゃないのか等々私が素人意見を述べてみたところ、ベルばらマニアのtimutaんからはすかさず

「私の中でフェルゼンはかなりヒエラルキー低いので土方に喩えられるとむかつく。
それからオスカル様にはちゃんと“様”をつけるように!」

と厳しいご指摘をいただきました。

かくの如くはげしく近土スキーなこの頃のtimutaんさんであらしゃいます。


2007年09月09日(日) だけど愛はいつだって答えがあるわけじゃない

近藤×土方で萌えつづけているtimutaんの余波を受け、なんか私もふすふすと類焼気味です。

所詮私は、10年くらい前どこかの幕末同人誌で見かけたか誰かから聞いたかした
「土方ファンは、“土方さんは鬼の副長だなんて言われるてるけどほんとは優しい人なのよ、私だけがほんとの土方さんを知っているの”と、ほぼ全員が思っている」
みたいなフレーズに素直に納得してしまった、そんなピュアないち土方ファンですから。

えー…
だってね、今になってこうも近くで近藤とか土方とかそういう名前を親しく聞くようになると、もう否が応でも思い出してしまうわけですよ、自分が初めて土方歳三のことを知った15の頃を。
あの頃の私ゃまだ田舎でゴロゴロしてた芋中学生でしたからね。初めて『燃えよ剣』を読んだ時には、日本史上にこんなカッコイイ人が実在したのかとまるで雷撃食らったような気がしましたからね。実物のブロマイド、もとい形見の写真見てもう完全ノックアウトでしたからね。日野行っても壬生行っても五稜郭行っても歴史萌えオトメゴコロきゅんきゅんでしたからね。流山から箱館へ至るまでの土方さんの心持ちを思うと胸が痛んで痛んでマジ涙さしぐみつつ史料読みましたからね。もうね、そのへんの、ファンがハマるツボの定番という定番はひととおり踏んできましたみたいなベタなファンでしたからね。その後どんな同人描き散らしても土方さんだけはなんか扱いが別格でしたからね。いつだって心の中のなんかキレーな場所に置いてありましたからね土方さんは。

心がまだやーらかい時に見聞したものというのはかくの如く鮮やかに美しいまま焼きついて、そしていつしか自分でも触れられない心の中の聖域になってしまうものなのです。


えー…
なんか烈しく痛い字面が続いてますが…

ダラダラ類焼しててもなんなので、もうこのあたりで華々しく極言かましてピュア納めしとこうと思います。

えいっ

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もうね!
この際、言い切るから!

土方さんに惚れないオトメなんて、この世にいないから!
土方さんにかかればもう老若男女関係ないから!世の中のすべてのオトメゴコロ根こそぎだから!何かに意地になってるあの人を好きでいたいうしろゆびさされ組だから!

そんでもってね、もうね、そうやって土方さんに惚れちゃったオトメゴコロにとっては『星の王子さま』も『銀河鉄道の夜』も土方さんで読解可能だから!「大切なものは、目に見えないんだ」って砂に倒れるプチ・プランスの姿に箱館戦争での土方さんの最期見ちゃうから!愛するということはお互いに顔を見合うことではなくいっしょに同じ方向を見ることだから!近藤さんは土方さんの永遠のカムパネルラなんだから!

ピュアと書いて触るな危険と読むんだから!

(ドカン)

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以上、独断と偏見の因果地平☆ピュア納めでした!!(納まってんのかコレ?


2007年09月08日(土) 最も甘い酒が最も酸っぱい酢になる

異議を認めます(笑)

つーか既に近藤×土方を「近土」と略して呼ぶようになったtimutaんの急激な腐れぶりに一種の感動すらおぼえる私です。
むう、さすがは日本史上最大にして最強の腐女子の虎の穴、おそるべし・新撰組パワー(笑)

さてなるほどそれは確かに事実誤認でした。すみません。なんせ私は今回、お前人生で最初に作った個人誌は松下村塾のだったろがって人から言われて初めて「あー、そう言われればそうだった、うわなんかそれって凄くね?」って思ったくらいネジのゆるんだ人間だからどうか許してくれたまい。

そうかそんなに幕末狂いの長州好きでしたか高校生の頃の私は。<他人事のように

今思い出したけどそういえば文化祭に野球のユニフォーム着た高杉晋作の等身大立て看板描いたりしたっけなー。あっ、さらに今思い出したけどその2、でもその同じ文化祭の恒例行事の仮装行列では私、新撰組のコスプレしたんだったよ!浅黄のダンダラ羽織に、文字通り修学旅行ではしゃいで買ったオモチャの刀差して街歩いたよ!ギャーーー

バタリ(蓋を閉める音)

べべべべ別に照れたフリしてるわけじゃなくてマジでシャレにならないんでこれ以上のピュア自分史発掘は中止します。
ああああまあまあまずっぱいどころかもうかなり腐敗が進んでて私的にはほとんど危険物つか凶器です>そのへんの思い出

はあはあ。
あーびっくりした。

まー、私も昔はそのくらい節操の無いバカ幕末ファンだったということで(今は違うと言い張りたいらしい


あ、拍手ありがとうございます。
何かあったんですか昔?って、いやいやそんなわざわざここで語るほどのことは何ーもー(笑)

強いてネタを探すとすれば、大河ドラマ「新選組!」の時代考証をなさったことでも有名なかの山村竜也先生がその昔やってた新選組バンドのライブを観に行った事があるってくらいですかねえ。新宿3丁目あたりのライブハウス…てか薄暗い音楽スタジオみたいなとこで、若き日の山村竜也先生がダンダラ羽織に鉢金付きの誠ハチマキ姿で自作の新選組ソングを熱唱してくれたんですよ。♪そんなSensitive night♪、ってフレーズ今でも覚えてるんですがもちろん何の自慢にもなりません。


2007年09月05日(水) 二十歳の頃もきっとそうだった

学生時代からの友人・T野くんが、このたび司法修習を無事修了し、晴れて!弁護士さんになりました!
おめでとう〜〜!!
就職も決まったそうで、重ねておめでとうおめでとう〜〜!!

考えてみれば、同い年とはいえ出身地も大学もまったく違うT野くんと私がハタチの頃に友達になることができたのも、元はといえばお互いの幕末好きがご縁だったんでした。出会った頃のことはもう遠い昔だけれど、この歳になった今でも何かがあるとこうして「酒飲んでバカ話しに行こうぜぃ」と言い合えるってことは、ほんとに嬉しく有り難いことだと思っとります。

これからもいろいろなことがあると思うけど、がんばれ、T野くん。

(追記)
そんなT野くんにお祝いを兼ねて「また一緒にバカ酒飲みに行こうぜー!イエー!」とメールを送ったら、彼女からの返事には
「イエ〜!今年は電王だぜ〜!?」
と。
ああ、本当に変わらずにいてくれて嬉しいよT野くん…


2007年09月04日(火) ユメノヒジカタサン

「実際の歴史上の新撰組のことが好きで調べたりした人はさ、みんな新撰組のその後の悲しい終わり方のことも知ることになるんだよね。そういう人が読むとさ、『銀魂』の真選組って、すごく幸せなしんせんぐみの姿なんじゃないかなあ」

突然timutaんがそんなヘビーなことを言うのでついこっちも真顔になりました。

「そうだよ。
『銀魂』の土方は夢の土方さんで、近藤さんは夢の近藤さんなんだと思うよ。実際の歴史上の彼らの人生のこと考えると、『銀魂』の世界ってなんか天国みたいだなって思うよ」

…。

言ってて自分で泣きそーになってやんの。
どんだけピュアだオレ。


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