かっしーのつぶやき
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2005年04月22日(金) 牡蠣は熱いうちに食え

今を去ること2年前、職場に新人としてやってきてやっぱり私が当初の指導を担当した後輩がおるですが、幸いなことにそれが今では部内きっての稼ぎ頭にまで成長しました。

本日それと一緒にメシを食いに行きました。
さすがに生牡蠣はもうアウトでしたが、熱々の牡蠣料理をいろいろと。


思い返せば彼女が入ってきた時に、「今の会社の経営状況を鑑みれば、新入社員といえども即戦力になってくれなくては困る」という判断から、あえて生意気上等で育てるべし・それが最善かつ最も効果的な新人教育方針に他ならぬと強く上司に進言したのはこの私だったのでありましたよ。

つまり彼女の社会人としてのあり方の基礎はこの私が自ら望んでそう据えさせたものなのだから、今のあれのあの生意気も破天荒も、それはすべて私自身が望んだことだと、笑って御してやるしかない。

若いもんのキツい冗談に苦笑いしながら、過ぎて来たはるかな日々の出来事のくさぐさをふと思い出してしまったりする牡蠣ナイトなんでした。


2005年04月21日(木) 愛しのトップさん

トモさんを見てついジェンヌ萌えしてしまうこと浜村淳と同等のわたしです。

それにしてもやっぱりトモさんてヅカのトップスターさんのイメージがカブるんだよねー、なんでかなー、と改めて問うてみるに、元ヅカファンのtimutaん曰く、

「トップさんて、みんなに笑いかけるからじゃないの?

トップさんて、トップ娘役ばっかり見てるわけじゃないのよ。
組子みんなを見てるのよ。
トップスターは、トップになったその瞬間から“みんなのトップさん”になるのよ。

そういうとこが、トモさんぽいのよ」


なるほろー。


閑話休題。
ところでハイ、今年の黒鷲旗に向けてのパイオニアレッドウィングス記者会見の写真見て「うわ、なんかこれって“新トップコンビお披露目記者会見”みたい」と思ってしまった元ヅカファンはあたしでーす(笑)
つかもうレオさんはけっこう前から現キャプ張ってるんで別に新しく何かになったわけでもないんですが…

だってホラあたしにとってのキャプならぬ現トップさんは当然トモさんなわけだから。
つか彼女はあたしにとって永遠のトップ・オブ・トップなわけだから!!(うるさい)


2005年04月20日(水) B'zの曲は、肌に馴染む

TVをつけたら吉原が歌ってた、と思ったらそれはB'zの稲葉だった罠。

吉原知子=B'zの稲葉に似てる人、とはよく言われることですが、私のこの1年あまりひたすら吉原のことばーっかり見つづけてきたイカれた視神経をもって今改めてB'zの稲葉を見ると「うっわー、こんなに吉原に似てなくてもいいだろう稲葉!」みたいな。

しかしまあ、あえて改めて言いたくなるほど、ほんとにまあ恐ろしいまでに似てますね。顔の形・顎の線・頬の陰影の入り方、ああああそんなふうに眉根を寄せて逆手に拳を握りしめつつ細い身体を反らせて吼えるその表情とか仕草とか、もう絶対に生き別れの兄妹だとしか思えません(あらゆる意味ですごい兄妹)。


さて標題の「B'zの曲は、肌に馴染む」というのは先日私の大学の同期が言った言葉ですが、蓋し名言かと。

大学時代に「Easy Come,Easy Go!」のCDシングル買ってヘビーターン世代・歴代転んだほぼ全部のカプに「BAD COMMUNICATION」当てはめて遊んできた前科持ちの私は、それほど大ファンてわけでもないのにそれでも今もコンビニの有線でB'zが流れて来るとたとえそれがもう10年前の曲だろうが最新リリースだろうがとにかく立ち止まってその場で最後まで聴いて「ああ、今日もB'zはB'zのままだったよ…」とヒソカに胸熱くしてから店を出る、というくらいB'zって自分の時間軸と並走している感覚が強いわけです。
「肌に馴染む」というのはまあつまりはそういう意味。

トモさんも去年あたり「ultra soul」聞いてるとかどこかで言ってたような気がするし、まあその顔が似てる云々の件は脇におくにしても、なんとなく同世代的感覚として、ふとした局面でB'zの曲がどうにも「肌に馴染んでしまう」感じってあるかもしれない、なんて思ったりします。


で、そうやってつくづくと吉原に思いを馳せつつB'zのPVを見ていたら、稲葉はあの渡辺謙にも似ているという事実に気がついたりして。
吉原知子→B'zの稲葉→渡辺謙。吉原でラストサムライ、とかバカ話かましてたらマジになってしまった…


2005年04月18日(月) 吉原殿中の思い出

で、またしても田舎から銘菓・吉原殿中を買って帰ってきたわけですが(バカだ!俺は本当にバカだ!!)。
今回、買ってきたのはあさ川製菓の吉原殿中。
なんであさ川のを選んだかと言うと、味が好きなのもあるけど、実は私にとって非常に思い出深い一品だからです。

実は私の「はじめてのおつかい」の思い出といえば、この吉原殿中なのでした。

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あれは幼稚園の時だったか小学校低学年の時だったか、とにかくまだ小さい頃のこと。
おばあちゃんが私にお金を渡して、言いました。

「でんちゅう1個、買ってきて」

子供だった私にとっては、近所の雑貨屋へのおつかいは文字通り大冒険。途中には国道だって渡らなきゃなりません。子供心にとてもとても緊張して、渡された岩倉具視の青い500円札を握り締め、近所の雑貨屋へ一目散に走っていきました。
走りながら、忘れないように心の中で「でんちゅう、でんちゅう、でんちゅう…」と必死に唱えつづけていたのを今でも覚えています。

かくしてなんとか無事に雑貨屋へたどり着き、お店の人に向かって言いました。

「でんちゅう、1個、下さい!」

が、お店の人はレジの向こうで、きょとんとしています。

「でんちゅう?…でんちゅう、って、何?おじょうちゃん」

この瞬間、私はおばあちゃんに言いつかった「でんちゅう」というものがいったいどのような物品であるのかを、自分がまったく知らないということに初めて気が付いたのでした。
最初に気付けよ、あらかじめ聞いとけよ、というのはまあオトナになってから思うことであって、あの時は何しろ「はじめてのおつかい」で必死だったので、言われたままを伝えてお金を渡せば当然それが買えるのだと思い込んでいたのです。

さあ困った。私も困ったがお店の人も困った。突然子供がお店に飛び込んできて「でんちゅう下さい」、ってそりゃ困りますわな。他の店員さんもわらわらと集まってきて、「でんちゅう、って言ってもまさか電信柱のことじゃないだろうし…」と相談が始まってしまい、子供の私は不安と恥ずかしさとでその時点でもう既に半泣き状態。

やがてある店員さんが、パッと明るい声で言いました。

「わーかったぁ!でんちゅうって、吉原殿中のことだ!」

そう、さすが地元の銘菓、誰でも知ってる・どこでも売ってる・それが吉原殿中。ああそうだでんちゅうと言えば吉原殿中のことじゃないか、なあんだ気が付かなかったよ、と店員さんたちは皆笑顔に戻りました。私も、そうかでんちゅうとは吉原殿中というもののことだったのだなとすっかり安堵し、かくしてお店のお菓子売り棚から店員さんが出してきてくれた「あさ川製菓」の吉原殿中(9個入り)を買ってしっかり胸に抱き、泣きべそをかいた目をこすりこすり家へ帰ったのでした。

だがしかし。この話にはなお続きがありまして。

家へ帰って、お釣り銭と一緒に「はい、でんちゅう」と差し出したところ、おばあちゃんはなんとも拍子抜けしたような呆れたような表情になって、言いました。

「あらあら違うわよ、殿中じゃなくて電球を買ってきてって言ったのよ」

電球!
それなら私だって知ってた!
買ってこなきゃならなかったのは、でんちゅうじゃなくて吉原殿中じゃなくて、
「電・球」!!

我ながらアホらしくも衝撃的な聞き間違いに、結局その後どうしたのか記憶がありません(笑)。
あんまりおバカな間違いだったので、笑われはしても叱られはしなかったと思います。

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このあさ川製菓の「吉原殿中」は、おそらく30余年前からパッケージデザインがほとんど変わっていないと思います。あの不思議なしっとりした手触りの黄な粉色の包み紙に、ちょっと素朴な堂々とした字体で「吉原殿中」。枕木みたいに9個並んで1パック。子供の頃の私が必死な思いで買いに行き、大事に大事に持って帰った、あの時のまま。

だから今でも、私にとって吉原殿中といえば、忘れられないあさ川製菓の「吉原殿中」なんです。


バリキャリ御殿女中の吉原さんは草葉の陰で、さても間抜けな子供よのう、と苦笑してたかもしれません。とほほ。


2005年04月17日(日) 満桜散る豪々と

名作マンガ『摩利と新吾』持堂院高校第一桜豪寮寮歌の一節、「♪満桜散る豪々と」。
このフレーズがぴったりハマる程、毎年春が来ると街じゅうが桜の花の雲に埋め尽くされてしまう我が故郷です。

戦前、あたり一面をハゲ山にしてしまった某鉱山の煤煙対策として会社が植樹しまくった桜の木、その数約260万本(!)のうち、今でもその樹齢を保っているのはいったい何本なのかは定かでないですが、とにかくもう山のてっぺんから海辺まで街じゅうが桜・桜・桜だらけ、今日あたりはちょっと見回せばどこかに必ず満開の桜の梢が視界に入ってくるという、そういう豪奢極まりない街になります。

煙害に強い品種である大島桜に染井吉野を接ぎ木したと言われている我が故郷の桜たちは、東京のいわゆるソメイヨシノと比べるとその花びらにピンク色がとても強く、そして枝ごとにポンポンか綿菓子の如く丸くまとまって咲くのが特徴です。
さながら「お赤飯のおにぎりが枝に串団子になってる」とでも表現したくなるような咲き方、というよりむしろ実り方で、その姿はもはや「美しい」というよりどこからどう見ても
「おいしそう」。

大学の入学式の時、東京は九段下の神社や御濠の桜を見て「東京の桜って、なんて白くてたおやかなんだろう」とびっくりしたもんです。樹の一本一本が、みんな白い日傘を差した深窓の令嬢みたいに見えました。そのくらい、我が故郷の桜の姿はよく言えば健康的、悪く言えば田舎っぽくてドロくさい(笑)。ほっぺたが紅くて腕の太い田舎のおねえちゃんみたいです。でも、まあ、そこが愛らしくて、味わい深いところなのだけど。

というわけで、今年も、生まれ故郷で、満開の桜が見られました。

帰りがけ、夕方の光の中で振り返った桜並木は、田舎のおねえちゃんが「いやぁそっだら喜んでくれたんだらばはー、また来年も見に来たら良がっぺさ」と、にこにこ笑って手を振ってくれてるように見えました。


2005年04月14日(木) サムライで行こう

4月1日付けで職場に新人さんが配属されてきました。
右も左もわからず頼りなげにオフィスに来て挨拶した新人さんを、とりあえず当面使えるようにせねばならんわけですがその担当が何故か私に振られてしまいました。

他にもっと気の合いそうな若いもんがいるのに何で私なのよー、とかちょっと思いながら、それでも指導開始。

新人さんが基本的におどおどした気配でいっぱいなので、教える私もなんとなくおどおどしてしまいます。
当然業務の歯車はかみ合わず、弱いなー、肝据わってないなー私、と自己嫌悪に陥ることしきり。


それで思い出したのは、去年TVで見た吉原知子選手。

弱冠中学三年生の狩野舞子が全日本女子バレーの合宿に途中合流した時、「よろしくおねがいしまーす」と挨拶したカノマイに対して、「いらっしゃい!」と、ハスキーな通る声で答えていた彼女の姿。

あの時は画面見ながら「さすがトモさん、平常心だよー、あたしだったら中学生がひょこんと入ってたらウロタエて声とか上ずっちゃうかもー」などと他人事のように思ってただけでしたが、こうして今、自分が若いもんを指導しながらあのシーンを思い返してみると、あの時吉原は本当はどんな気持ちだったんだろう、そしてあの時吉原の「いらっしゃい!」を狩野はどんな風に受け取ったんだろう、と改めて考えてしまいます。


例えば今の私などは、バッサリ任されてしまった新人を内心では「さて、どう扱ったもんか」とやや困惑しているけれど、かと言って自分からアタシ困惑してるのよーと誰彼かまわず訴えて歩けるわけでなし、結局いつもより寡黙になるのが関の山だったりするわけですが、その私の姿勢だって、無関係な他人の目には「度胸が据わってるベテラン社員」みたいに見えてるのかもしれないし、あるいは人によっては「何て無愛想なやつだ、若い子にはもっと優しくしてやればいいのに…」なんて不快に思ってたりするかもしれない。

結局のところ何事も自分流にこなしていくしかないし、会社というものが営利追求団体である以上決算の数字がすべてを証明することになるのだから、事業の途中で余計なことをあえて言い立てる必要もないわけで。


この頃、吉原選手に関しては、きゃートモさんカッコいいー、っていう感じだけではなくて(いやそういう感じの時も少なからずありますけど)、こういう時に吉原だったらどう考えるだろう、どう動くだろう、というように「組織の中で働く者の身の処し方」みたいな切り口から、彼女の存在に思いをいたすことが多いです。

たとえ彼女と同じようには出来なくても、今まで見聞きした彼女の言動の中に、組織人として私でも少しは見習えることがあるんじゃないかなあ、なんて思いながら、日々の仕事をこなしていたりします。


そう、せっかく吉原知子という人に惚れこんだんだから。
たとえ足軽雑兵といえども、心はサムライ、で、行きましょう。


2005年04月11日(月) 吉原殿中 拾遺

吉原殿中の話、つづく。
週末実家方面に行く用があったので、またしても吉原殿中を買って帰ってきたお茶目さんは私です。
作ってるお店によってけっこう味が違うので、食べ比べ甲斐がありました。

さて、あさ川製菓のパッケージ文章もふるってましたが、井熊総本家のもなかなかでした。

「吉原殿中の由来

 水戸藩九代藩主徳川斉昭(烈公)様のお側に吉原と申す御殿女中がおりました。
 たいそう心懸けのよい婦人で、毎朝神前に捧げた御飯と、殿様が食前農人形に
 備えた飯粒とを毎日丹念に糒(ほしい)として貯えて置きました。或る日殿様から
 この御飯の始末について御下問がありました時、吉原は糒を煎って黄粉(きなこ)を
 からみ茶菓として差上げましたところ、殿様の御気に召され且つその処置を
 非常に褒められました。それから各家々にこの風が伝わり、其の後是れを漸次改良
 工夫して菓子化したものが今日の吉原殿中で、古くより水戸に伝わった銘菓でございます。」 
           
                               (井熊総本家 「吉原殿中」 パッケージより)

斉昭くんはお菓子好き殿様として有名で、自筆の「俺様お菓子デザイン帳」みたいなのが残ってたりもするんですが、その一方で「兵糧(今で言う戦闘糧食)」を熱心に研究してたりもしたんですね。「兵糧丸」という名前の、忍者の携帯食みたいなのを水戸藩で独自開発したりもしていたそうで。
そういう殿様なので、吉原さんのそのアイディアレシピにはかなりグッときちゃったんではないかと思います。


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