かっしーのつぶやき
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今まで見つけたモノは 全部覚えている 君の震える手を 握れなかった痛みも
(Song by BUMP OF CHICKEN 「天体観測」)
今年も暮れて行こうとしております。 いろんなことがありました。いろんなことを知りました。
このごろ私は、自分が見聞きしたものを「覚えていたい」、と思うようになりました。 私が見聞きしたもの、私に関わってくれたすべてのものを、出来得る限り。
昔の私は、嫌なことは片っ端から忘れ捨ててしまう人間でした。 でも今は、何事もできるかぎり受け止め続けていられたらいい、と願うようになりました。 丈夫なマスクとプロテクター、レガースつけてでっかいミットで、ホームベースを守るキャッチャーみたいに、ね。
一年、おつかれさまでした。 来年もよろしくお願いいたします。
ね、晴れたでしょ?(>timutaんの日記参照)
とか言って実は今年は異常気象が続くから30日も雨が降ったらどうしよう、とヒソカに心配してたんですが(笑) 少なくとも私の田舎のほうでは、十二月三十日は餅を搗く日と決まっていて午前中は必ず晴れるんです。 一夜餅は縁起が悪いから、とか二十九日は苦に通じるから、とかそれっぽい理由はあるんですが、本当に三十日がこうも晴れた日ばかりだと、これは晴れの特異日を見越した昔の人の知恵だったのかも、とか思います。
ともあれ今年は喪中なんで臼と杵での年末餅つきができません。不謹慎ですが、なにか物足りません。 年末、朝はやくの乾いた空気の中に、燃える薪の香ばしい匂いと蒸けたての餅米のふわあんと甘い匂いとが混ざり合って流れてくるのを感じると、なんとも言えず幸せな気分になるものなんですよ…
会社の大掃除&仕事納め。しかし朝から霏々と降る雨雪に雑巾を絞る手も縮む。そして経費節減で暖房をケチった会議室で飲むこんな日のビールはあんまりおいしくない、というかあっ、熱燗が欲しい…<この頃飲み過ぎです
温暖な海っぱたに育ったので、寒さに弱いんです私。 実はこの年末年始、喪中で正月が出来ないんでその代わりに、家族旅行で蓼科へ行くんですけど… この程度の冷え込みでブルブルしてて、果たして「日本のリゾート地で最も標高が高い&寒い」と言われている蓼科の気候に耐え切れるんでしょうか。
| 2004年12月27日(月) |
八海山 vs 出羽桜 |
明けて月曜は会社の忘年会。ハードだ…
私の前の席に座った上司が「日本酒はやっぱり八海山だな、これが一番だ」と言い張ってきかないので、なんとなく私も意地になって「いやー、出羽桜もなかなかですよ」と、勢い飲みっくら状態に。
上司「こっちに八海山、3本ねー!」 私「あ、こっちには出羽桜お願いします!」
…こ、こんな禄でもないことでも少しでも山形経済の一助になればと…(遠い目)
どうでもいいけど居酒屋の店員が持ってくるたびに「こちら、でばざくらでーす」と言うのには参った。 「デバじゃなくて、でわ!」と何度叫んだことか…(涙)
| 2004年12月26日(日) |
花よりも星よりも 2 |
山田屋のふうき豆はおそろしいほどの美味で、1000円の化粧箱入りを買ったはずなんですがゆうべと今朝であっという間に完食してしまいましたとさ。
というわけで今日も連続観戦。 初めて見る日立佐和リヴァーレの応援団に度肝を抜かれました。 timutaんも書いてるように、実は日立佐和、限りなく私の実家の地元に近いんですよ。あのへん一帯の人間はですね、「♪この木なんの木気になる木〜♪」という例のメロディーには条件反射してしまうようになっておるですよ。しかも、応援用にマイナーアレンジしてある「この木何の木」は、なんとも無駄に悲壮な感じでカッコいい。なんかこう、パブロフの犬というか血が騒ぐというか、ぐわー、ごめんなさいっっ向かい側で敵チームの応援なんかしててっ!!という良心の呵責に非常にさいなまれましたです。はい。 応援団のリーダーみたいな人が、これまたイバラキテイスト満載つか…。あの今時ありえない形のグラサン、あの流れるようなコテコテ援団アクション、そしてなぜかダンダラ模様の長半被をまとって踊り狂うピンクレディーの「UFO」、一世風靡セピアの「前略、道の上より」。嗚呼、その見事なまでの正しいヤンキーぶり、かなりイバラキ魂取られましたよアニキ!
で、またそのヤンキー応援団のコテコテぶりを、心優しき山形の人々は「おお〜!」と素直に面白がって下さり、敵チームなのに演舞が終わると惜しみなく拍手して下さったりするわけで… うっうっうっ。ありがとう山形の人。その温かい拍手にオレの良心の呵責もだいぶ救われました。
試合内容については昨日同様、所詮人間とは自分の見たいものだけを見たいようにしか見ない生物ですから、他のサイトをご参照下さい(笑)
戦う吉原知子は、やっぱり花よりも星よりも美しかったです。<それはもういいから
一つだけあえて申し上げるとしたら、この二日間で改めて思い知ったことがありまして、それはですね、私ゃ、昔自分でバレーボールをやってたとか80年代日立の黄金時代が好きだったとか今の日本バレーの現状を憂えるとかそういういろんなごたく(いや、それはそれで真剣な話なんだけれども)はともかくとして、今現在なんでわざわざ山形まで新幹線乗って行ってしまうほどバレーボールにイレ込んでしまったかというとそれはもうただ・ただ・シンプルに、
「吉原知子と佐々木みきのツーショットが美しいから」
という本当にたーだーそれだけが理由だったんですねええ結局は。 この二人がコートの中で並び戦うその姿は実に実に美しい。造形としてまず美しい上に、裂帛の気合と胸すく豪打、絶妙な速攻とガッツなプレイがついてくるとあっては、もう今見るしかない、今見に行くしかない。 以前某宝塚ファンをやっていたころの経験から私は、自分が「これがベスト!」と思うお気に入りのスター同士の「並びの美」は、その時一瞬・一瞬がまさしく「花」なのであって、それは自分の心の目にできる限り焼き付けて記憶しておく以外に留め置く術のない質の、まったくあえかな、でもだからこそ自分にとってはあらゆる時空を越えて真に意味のあり続けるものなのだということを、骨身にしみて知っているのです。だから見に行く。何を惜しんでも投げ捨てても、それは、今、見るしか、ないものだから。
で、そんな美しい二人が試合後、地元TVのインタビュー待機中に、関係者のお子様らしき坊ちゃんと素にもどってほにゃほにゃと遊んでいたのを目撃した時は、いやほんとーに心が融けるかと思いました。 どのくらい融けたかというとそれはもう、その時の美しい想い出のよすがに思わず自分でウルトラマンネクサスのDXアームドネクサスを買ってしまおうかと思うくらい…<やめなさい
かくして、万感胸にせまる夕闇の山形を、後ろ髪引かれる思いで後にした私らでした。
♪ 花の山形 紅葉の天童 雪を眺むる尾花沢 ♪ (<花笠音頭の歌詞)
いやー。 いいところです山形。 皆さんもぜひお運び下さい。東京からなら東北新幹線で一本で行けて便利です。 水も空気もきれいです。おいしいものとおいしいお酒がたくさんあります。 景色は雄大、住む人はほんのり。決して大上段には構えない、はにかむような愛郷心が落花の如くあちこちに溢れこぼれている、そんな優しい気配を感じる街です。温泉だって近くです。
ぜひぜひ皆さん、もっともっと、行きましょう!山形へ。
追記。 えー今回、私の目標といたしましては
山田屋のふうき豆 庄司屋の板そば相盛り 天童の地酒・出羽桜
この三つは絶対押さえようと思っていたので、コンプリートできてよかったです。
| 2004年12月25日(土) |
花よりも星よりも 1 |
Vリーグ、パイオニアレッドウィングスの試合を見るために遠路山形へ。
戦う吉原知子は、花よりも星よりも美しかったです。
と言っても所詮人間とは自分の見たいものだけを見たいようにしか見ない生物ですから、現実の試合内容及び選手の動向については他のサイトをご参照下さい(笑)
山形市総合スポーツセンターに向かう前、少し時間があったので山形駅周辺を少しだけ観光しました。 timutaんお勧めの「文翔館」へ。これが素晴らしかった。 今回の山形行にあたって、私は「これを食べてみたい」系は調べましたが「これを見てみたい」系はまったくノーチェックだったので、なんだか不意打ちを食らったような感動がありました。 古い町並みの中、思わずぽかんと口を開けて見上げてしまうほど壮麗な西洋建築が、大通りの真正面に聳え立っています。 建てた人も偉いし、それを大事に使いつづけて来た山形のかたがたも素晴らしい。 古いものをできる限り残して原型を再現することに10年もの時間をかけたという復元工事も本当に意義深い。古いものは、壊して捨てるのなんかあっという間で、そして二度と元には戻らないんですよ。古い建築物好きで、今までいろんな古い建物が老朽化を理由に無残に取り壊されるたびに「もったいない、ああ私が億万長者ならあの建物を買い上げて修繕するのに…」と悲しんでいた私なので、この文翔館という建物がいろんな人の努力によって今ここに在り続けていることが、なんとも健気で、感動しました。 復元修理にあたっては国から補助が出たそうで、そうです、国はこういう仕事にきちんとお金を使わねばなりませんですよ。 館内を案内してくれた年配のおじさまは、「賭けてもいいが絶対現役時代は学校の先生」というタイプの気さくなかたで、そのお国訛りにも心あたたまるひとときを過ごしました。
そんなふうにかなり魂とられた状態で体育館へ行ったので、しばらくは頭が切り替わらずヘンな感じでした(笑)。
で、試合。 繰り返しますが、戦う吉原知子は、花よりも星よりも美しかったです。 そして細かった…TVで見るより数段細かった…というか骨と筋肉しかなくて、その上にいきなりうっすらとばら色の肌が(ばら色言うな)乗ってるだけって感じでやっぱりどこからどう見てもその姿は「美しき阿闍梨」だった… あんなに痩せてたらたしかに回転レシーブしたときに腰骨が直に体育館の床に当って痛いはずで、あの腰骨のところに当ててるでっかいタオルはそのためのものだったんでつねトモしゃん…
というように基本的に涙目観戦でしたので、客観的なことは何も申せませなんだ。すみません。
山形市総合スポーツセンターからの帰り道、お国訛りも温かいタクシーの運転手さんに話し掛けられました。
「栗原は、一緒に来てるんですか?」 「いやあ、新聞記事によれば、トレーニングは一緒だけど試合には帯同していないみたいですが」 「そうですかー…」 「やっぱり、地元のかたにとっては気になるものなんですか?」 「そうですねえ、スター選手がまた山形に来てくれた、ってことでやっぱり皆盛り上がりますねえ。お客さんもいっぱい来られますし。活躍してほしいですよねえ」
文翔館で山形のかたの温かさに心洗われ感動した後だったので、その運転手さんのピュアな言葉を聞いて、自分の心の貧しさ加減ヨゴレさ加減を改めて思い知り、素直ーに反省いたしました。 体育館も、応援する地元の人でいっぱいでしたし。 栗原にもバレーボール協会にも言いたいことはいっぱいあるが!山形の、地元の人がそうおっしゃるなら!もうオレは何も言うまい思うまい、ただただ山形の地に更なる隆盛あれかしと祈るのみ!
晩御飯はガイドブックに載ってた居酒屋へ。 出羽桜に米沢牛に芋煮汁に手打ち蕎麦で、もう思いっきり山形郷土料理かため撃ち。ううう旨かったです…
そして帰り道、酔った勢いで「山形の経済活動に貢献するのらー」と突然CD店に入りサザンオールスターズの「愛と欲望の日々/LONELY WOMAN」を購入。CD屋さんの窓にスウィングガールズのポスターが貼ってあるのを見て「おお、まさに地元じゃ〜!!ジャズやるべ、じゃ〜!!」と感動したりしながら宿へ。 さくらんぼワイン飲んで山田屋のふうき豆食べて寝ました。
残業の帰り道、駅前のファーストフードでチキンとケーキの大セール。 酉年の前夜祭でチキン、っていうんだったらいっそアホらしくていいなあ…とかふと考えてしまうあたり、要するに年末対応胸突き八丁スケジュールで疲れてるんですな。
それでも私は山形へ行く!吉原をそしてパイオニアレッドウィングスを守り育んでくれた山形の天地と優しき人々に感謝と敬意を捧げそして地元の経済活動に少しでも貢献する為にも私は行くのだ!!<いいから早く寝ろ
timutaんちのご家族忘年会にご相伴に預かりました。 いい感じの鶏料理屋さんで鳥わさと日本酒。鳥すき初体験。あああ有難や有難や。
鶏料理を食べながらなんとなく話題がニワトリのことになったのですが、そういえば私の実家でも私が子供の頃、チャボを飼っていたのでした。 飼っていたと言っても別にペットとして可愛がったりしてたわけでは全然なくて、はっきりシンプルに「食料源」として飼育していました。 まあさすがに当時でも毎朝卵を取るだけで鶏肉としての需要は見込まれていませんでしたが、それでも実家内で何か大きなイベントがあるたび亡き祖父が 「どれ、何ならトリさシメっか?」 と言い出しては家族に止められてたりはしました。
まあ田舎なんで。よくある話です。
一時期、隣町の軍鶏が自分の小屋を脱走して、番で飼ってたうちの雌鶏を狙って毎日通ってきては雄鶏と連日死闘を繰り広げていたこともありました。 うちは国道沿いの急な坂の上にあるんですが、その軍鶏は毎朝その国道をたった独り、いや一羽でわき目もふらず駆け上がって来るのでした。そしてそんなガッツな軍鶏相手に、互角に戦って多分負けなかったうちの雄鶏は今思えば気骨のあるやつだったと思います。
まあ田舎なんで。よくある話です。
少女時代に手乗り文鳥を飼っていたこともあるtimutaんが訊ねました。 「そのチャボ、名前なんて付けて飼ってたの?」 「名前?…いや、ただ“トリ”って言ってただけ」 「そう…」
そういえば鶏だけじゃなくて、うちでは確か十姉妹を飼っても怪我した目白を保護しても戸袋に椋鳥が巣をかけてもとにかく「トリ」としか呼ばなかったような気が。
というわけで、そんな私ですが来年は年女です(笑)
timutaんの日記の通り、先日実家の母から大量に会津のリンゴが送られてまいりました。
「あんたはリンゴ食べられないのよね、でも××さんは好きでしょ?今年も1箱送っといたから」
…そうです、私に嫌がらせをしたい人は別に銃器刃物類を持ってこなくても、私に聴こえる距離内でリンゴを食べるか皮を剥くかすればそれでいいのです。 ただそれだけで私は全身鳥肌立ててぞわぞわと苦悶します。 普通の人はよく黒板やスリガラスを爪先で引っかく音を嫌がりますが、それと同じ効果が私に対してはリンゴ1個あれば得られます。 ハタから見るとさながら三蔵法師に調伏される孫悟空のように見えるかと思います。平然とおいしいそうにリンゴを食べる三蔵法師の隣で孫悟空が七転八倒して 「おっ、お師匠さんっ、それだけはカンベンしてくれぇぇぇ〜〜〜!!」
今年の冬も厳しい母の愛に試される私です(笑)。
というわけで、そんな私を見かねたtimutaんがりんごじゃみを作ってくれたというわけです。 味はもう、そりゃ旬の上等な材料を使ったホームメードの食べ物ほどおいしいものはこの世に無いわけで… 仕事むちゃくちゃ忙しい時なのにありがとうtimutaん。ウマくてシアワセです。
来年の2月放映開始の新・仮面ライダーは、「仮面ライダー 響鬼(ひびき)」という名前だそうで…
…。
「正義のばちで悪をたたく!」って、本気か!本気なんだな!
じゃあ何ですかその変身ベルトは山鹿流陣太鼓でつか?一打ち二打ち三流れ、ばちの唸りもとうとうと、響くは山鹿流陣太鼓!大石のは二つ巴、響鬼のは三つ巴!
ここまで来るともう怒ったらいいのか笑ったらいいのかお姉さんにもよくわかんないやハハハハハ。
2年続けて「喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮いたします」。 昨年の1月には母方の祖母、今年は5月に父方の祖母が亡くなりました。
私が「おばあちゃん」と呼ぶのは母方の祖母のことだけです。 私の父方の祖母は、正月の挨拶に来た嫁と孫娘に面と向かって「あんたらが来るとなんだか家に巨人族が入って来たようだねえ」と真顔で言い放ち自らの心に何ら感ずることのないようなタイプの人でした。そして、今思ってみればそれからしばらくして彼女の心は子供に還り私は故郷を離れてしまったので、私と彼女が挨拶以外の会話と呼べるものを交わしたのは、その面と向かって巨人族と呼ばれたときが最後だったのでもありました。
彼女の葬式の時、ただ茫々とした気持ちで式壇を見ていたら、叔父(彼女にとっては実の息子)が寄って来て「なんだよ、そんな神妙な顔するな、98まで生きたんだからお祝いみたいなもんだ」と言いました。 私の仏頂面が哀しそうな顔に見えたんでしょうか。 叔父は善良な人です。
そしてここまで書いてきて、私はその父方の祖母の名前を覚えていないことに気がつきました。 この薄情さは、まさしく私が彼女の血を引いていることの証左なのだと思います。
旅館やホテルでお部屋に付いてくる石鹸。 カフェでお茶やコーヒーに付いてくるお砂糖。 どっちも捨てられません。我ながらみみっちいと思いながら、いつも持ち帰ります。 子供のころ、母方の祖母が、何かにつけて繰り返し言っていたことが今でも頭にしみついているからです。
「昔、戦争が始まって、一番最初に手に入らなくなって一番困ったものは、石鹸とお砂糖だ」
太平洋戦争が始まって夫は徴兵され、幼い娘二人を抱え、日を追うごとに劣悪になっていく衛生環境と栄養状態の中、彼女はその時、どれほどひとかけの石鹸とひと匙のお砂糖が欲しかったのでしょう。 戦争が終わってそのあとどれほど暮らしが豊かになっても、彼女はどんなに小さくなった石鹸でもほんの少しの砂糖の残りでも、無駄にすることを家人に許しませんでした。 そのことを思い出すと、やっぱり今でもどうしても粗末にできないのです。石鹸とお砂糖。
毎年12月8日がくるたびに、今の自分が石鹸とお砂糖を、そういう心がけを、ちゃんと大事にしているかどうか、心のすみっこで、確認します。
1日1匹の勢いでキンメの煮付け。 しかし今日入った店のキンメの煮付けは急いで作ったらしく薄味でいまひとつ、つかいま三つくらい。 魚はそりゃ新鮮さが命だけど、ただフレッシュであれば味は二の次かっていうとそればっかりじゃないと思う。キンメとかアカジとかの類の魚は、うーんとこさお砂糖とお醤油効かせて濃いーい味を染み染みにしないと、せっかく乗った脂がもったいないような味になっちゃうんだよなあ。
…って何だか知ったかぶりの食通じじいのような言い草ですみません。煮魚好きなもんで、つい。 ちなみにキンメとキンキ(うちの在のほうではアカジと呼びます)はよく混同されるけど別の魚。
昔うちの田舎の居酒屋で食べたアカジの煮付け、ありゃーうまかった…〆張鶴の純米が死ぬほど合って、鳥肌もんだったっけなあ…
(うーん、やはりじじくさい言い草だ)
伊豆ったら金目鯛だよなあ、という訳で下田でキンメの煮付けを食す。うまー。 どうでもいいけど、温泉旅館の夜の食事で、いわゆる四足の動物の肉が出てこなかったのって初めてかも…
12月は、「カナリア」。匠ひびきファンにはもはや説明不要。
12月、一年で最後の月、夜空が冷気でツンと澄み街角にクリスマスツリーが飾られるようになるこの季節が来るたびに、あのお芝居を見たあの時間、暗い劇場の中であのキャラクター達と一緒の空間に居た「あのとき」が、そのまま結晶になってこの宇宙のどこかにいまだ在るような、そんな不思議な感覚に陥ります。
東京の銀座・中央通りも、毎年恒例のクリスマスツリーが華やかに飾られました。ミキモトの大きなクリスマスツリーの周りには、今年もまた沢山の人が集まってイルミネーションを見上げています。 そんな街角を歩いていると、ふとあちこちに、そのクリスマスツリーの梢、そのビルの時計塔のてっぺんに、なんだか「彼」が、そう、ヴィムが、あのビー玉みたいな大きな瞳を光らせながら不思議そうにこっちを見ているようなそんな気がして、胸がぎゅうっと切なくなるのです。
優しくはなれないけど、せめてしばらく冷たい言葉を人に投げつけずにいようとか、思ったりします。
こうして毎年毎年12月が来るたびに、カナリアに救われるんだろうなあ、と思います。 ありがとう正塚せんせい…
| 2004年12月02日(木) |
我らハイパーレスキュー隊 |
東京消防庁の消防救助機動部隊、通称「ハイパーレスキュー」。阪神大震災の教訓から配備された超精鋭部隊です。 災害時のニュースなどで、困難な使命を果たそうとするその姿に胸打たれた方も多いのではないかと思います。
このハイパーレスキュー隊の、シンボルマークというのがですね、犬のマークなんですよ。 ふにゃーと優しいセントバーナード犬の横顔。 ああいう厳しい仕事をする人たちがこんなマークを胸や肩につけてがんばっているのかと思うと、かなりグッときますです。
がんばれ、ハイパーレスキュー隊。
会社のぷち接待で新橋でちゃんこ鍋。 気持ち的にはこっちが接待する側。つまりたいこもちをしなければならない側。
お相手は御年70過ぎ・でも現役バリバリ商売人のおじさま。 戦前の榛名湖天然氷スケートの話やら戦後の闇市、アメリカさん相手の荒稼ぎ武勇伝等々、貴重な昭和史の1ページといった感じの濃いい話をたっぷり伺って参りました。 私は自分よりも年かさの方に昔話を聞くのが基本的に好きなので特に苦にはなりませんでしたが、一緒に連れてこられた後輩@1980年生まれ24歳は、そもそも話に出てくる単語からしてほとんど解らなかったようで、ただただ目を白黒させながら終始無言でちゃんこをつついておりましたとさ。
まあそういう私も、御年95過ぎの商売人おじさまに
「地下鉄で日比谷の練兵場跡に行くにはどれに乗ればいいの」
と聞かれた時は、さすがにそれが今でいう日比谷公園のことだと判るまでには一拍時間がかかりましたけどね…
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