ディリー?闇鍋アラカルト
DiaryINDEXpastwill


2004年11月30日(火) 当店では合成洗剤を使っていません

無添加という言葉がある。化粧品に良く使われる。
その意味は受け取る側からすると、「有害な成分が添加されていないんだろうな」と誤解するのだけれど、実際は有害な成分が含まれている事が多い。
多くの場合、化粧品の無添加は、表示指定成分(肌に有害なので表示が義務付けられた102成分)に付いてだけと考えた方が良さそうだ。
この表示指定成分というのは現在では全成分表示に変わっている。一長一短だけれど、表示指定成分を定めただけでは、他の有害成分を排除しにくいという事も制度変更の理由でも有ろう。しかし、あまり有効でないからこそ、制度変更になったのだし・・・それなのに、それを「無添加」と表示するとは・・・トホホな業界だなあ・・・・
しかし、「無添加」と表示する事によって売上げは上がるのだ。それは、買う人たちはそんな事まで知らないという事だ。言わば、客の無知に付け込む商売!それによって金を出す人の肌は美しくなるのだろうか?なるはずがない。
客は「肌に有害な成分を含まない無添加の化粧品しか使っていないのに、私の肌が悪いのは、化粧品のせいではないはずだ」と思い込む。つまり、事態をこじらせる。
売上げの為とは言え、そんな事をしているなら、自分の子供たちに「お父さんは会社の為にこんな仕事をして来たんだよ。」と胸を張れないでしょう?
それだったらむしろ、「この商品には合成界面活性剤は使われていません」という表示の出来る製品を開発した方がよほど良いのでは?
今日では合成界面活性剤(ほぼ合成洗剤と同意・水にも油にも溶ける性質を持つので、洗浄に使う他クリームの基材や乳液やリンスやファンデーションにも使う)の害を知る人も増えてきているし、「合成界面活性剤 害」と入力して検索すればパソコンを持っている人なら誰でも調べられる時代なんだから。
それを表示する事で売上げを上げられるだろう。
そして、おしゃれギャルの肌も綺麗になるはずだ。

更に、合成洗剤による肌への害の問題は大きいのだが、合成洗剤を食器洗いに使う事についても考えなくてはならない。何しろ、食器に微量に残る合成洗剤は口から人間の体にはいる事になるのだから。
僕は飲食店の洗い場を幾つも体験しているが、殆どが合成洗剤であった。
「当店では合成洗剤を使っていません」と看板に表示したら、売上げは伸びると思うよ!


2004年11月29日(月) 風雲児たち

「風雲児たち」はみなもと太郎作によるコミックだ。
幕末を描いて現在進行中。
200余年続いた徳川の世が行き詰まった時に現れた風雲児たち。鎖国によって海外情報がはいらない事から、当然武器や兵力・科学力で欧米に劣るという状況で植民地にもならず危機を脱したのは風雲児たちの働きがあってこそだ。

さて、現在の日本・世界を見る。鎖国こそしていないが、人類を危機に陥れる力があちらこちらで強力に働いているのに、それに関する情報が流れにくいという現状!それは、ある人たちには、その情報が流れる事が不利益に繋がると感じられるので、意識的にその情報を流さないようにするという事なのだが(ex.サトウキビによるアルコール燃料車が増えると石油で儲けている人たちの減益に繋がる)、では、その情報が人類の共有するものにならないとしたら、地球温暖化をどのように効果的に食い止める事が出来るのだろう。
つまり、資本主義の世の中が続いた事による結果としての情報鎖国状態がある。
合成洗剤の害についての情報も流れにくい。だから、スーパーでは石鹸よりも沢山の合成洗剤が売られている。化粧品には肌に有害な物質が沢山使われている。
ステロイドの害についての情報が患者に知らされていない事が多い。農薬を減らせる不耕起栽培はあまり知られていない。原発の放射能処理技術は出来ていないのに安全であるかのような宣伝をしている。健康の基本の情報は医者も知らない。必要のない薬が大量に投与されている・・・・・・・・・・

誰もが不安に思いながら、仕方がないでズルズルと大きな破局に近付いている・・・しかし、本当は破局に至らない方法はあるのだ。それが情報として流れないのは、それが流れると損をする人たちが居るからでもある。また、社会の変革を恐れる保守的な心情も原因だろう。また、知らないがゆえに知る事に対する抵抗もある。

こうした現状を打開する風雲児たち、出でよ!


2004年11月28日(日) たまにはCM

皆さん。このサイトの記事を読んで、闇鍋を読んでどのような感想を持ちましたか?
是非皆さんの感想をメールや掲示板で聞かせて下さい。
そして、実行した方はその結果を教えて下さい。
うまく行かなかった場合には、どういう事が不足だったのかをアドバイス出来るかも知れません。わたしではなく他の人がレスをつけてくれるかも知れません。
うまく行った場合にも、報告が掲示板にあれば、それを読む人が取り組みやすくなります。

また、わたしは11/28の時点で居酒屋の店員をしています。他にはお掃除おじさんのバイトもやっています。石鹸伝道人では生活出来ない為です。と言うより、石鹸伝道人ではやっと生活が出来る程度なのですが、色々な人の相手をしているとそれも出来なくなったりして・・・・・
居酒屋の店員は今月いっぱいで辞める事になっています。
やはり、他人の為に働くよりももっと甲斐ある生き方をしたいのです。

来年から、試して+作ってすべすべ講習会を月例でやろうと思っています。手作り石鹸製作を中心に据えてすべすべの全方位からのポイントを分かりやすく納得出来るような構成にするつもりです。
それは掲示板で告知しますから参加宜しくお願いします。

また、すべすべの他にも、高血圧やダイエットをテーマとしても語り合いたい方が居りましたら、御連絡お願いします。どこへでも行きます。交通費と日当はお願いする事になりますが、ファーストクラスである必要はありません。
居酒屋の仕事をしているよりも、そういう仕事を増やしたいのです。

極貧のわたしという事情も有りますが、このような情報を共有する人が増えないと人類の見通しが暗いという切羽詰った気持ちも有るのです。


2004年11月27日(土)

近年日本では鬱病が非常に多いのだと言う。
それは長引く不景気が関係しているだろう。精神科に通う人も多い。
所で、精神科医は鬱病を治せるのだろうか。
僕は精神障害者の付き添いで、その現場に何度も足を運んだが、投薬が根本的な治療法とは感じなかったし、カウンセリングや生活指導というものも十分には思えなかった。
大体、鬱になるには原因がある。日本のように鬱が増えて来たのはそれなりの社会背景があるのだ。しかし、精神科医は脳内物質に注目する事が多いようだ。鬱にさせる物資が増えるから、それを投薬で減らそうと考える。また、元気になる薬を与える。精神科医は社会背景をどうのこうのは出来ないから、どうしても薬に頼りたくなる。しかし、社会背景はどうにもなら無くても、対処する生き方を示す事は可能だ。問題は、そうした知恵を精神科医が伝えられるかどうかという事なのだ。
高血圧について以前に書いた時にも
http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=99310&pg=20040430
同様のことを感じていた。
薬で鬱や不安や不眠に対処したとしても、本人の行き方が同じで社会背景・家庭の状況が変わらないなら、薬の効き目が終われば再び鬱・不安・不眠はおきる事になる。こういう事については
http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/month?id=99310&pg=200307
2003年7月30日に「精神科」というタイトルで書いている。
不景気が原因で鬱になったのなら、お金の心配もあるだろう。女房に「こんなはずじゃなかった」と責められているかも知れない。子供の成績が悪いのかも知れない。会社が倒産しそうなのかも知れない。窓際に座らされているのかも知れない。
困難な状況は存在し、それぞれに対処する様々なやり方や気持ちの持ち方がある筈だ。
女房や子供とうまくいっていないのならアドラー心理学を学んで貰うのも良いだろう。
金銭的な事であるなら、安上がりでおいしく健康的なやり方で生きる方法を伝えられれば低収入でもやって行けて、もっと楽しく生きられる事に目を見開くかも知れない。
また、絶望的な状況で、どのような生きる意味があるのかを書いた本としてV.フランクルの「それでも人生にYESと言う(春秋社)」があり、それを読んで生き方を変えるヒントを得る人もいるだろう。フランクルはユダヤ人の精神科医で、ナチスの強制収容所に居た。あしたはガス室送りになるかも知れないというような極度に絶望的な状況であっても、美や人間の真心・尊厳と言ったものに触れた数々のエピソードが書かれてある。
「なんて美しい夕日だ!」という感動は絶望的な強制収容所にあっても、会社や家庭で困難に囲まれた鬱病患者に有っても持ち得るものだ。しかし、絶望に囚われているとそちらに目が向かわない事も有ろうし、鬱病患者も空を見上げる事は滅多に無いだろう。
「おおい!すっげえ綺麗な夕日だぜ!みんなも外に出て御覧よ!」という声が変わるきっかけになり得る。
おいしい味噌汁の作り方も変わるきっかけになり得る。

所で、精神科医はそうした言葉をもっているだろうか?


2004年11月14日(日) 類友じゃなく

付き合っている人間を見れば、友を見ればその人間が分かると言われる。
友を選べとも言われる。類は類を呼ぶ、朱に交われば赤くなる・・・

では、酒飲みには酒飲みの付き合いが多いのだろうか?確かにそうだろう。でも、酒の上で知り合った人が、酒の席以外でも友になってくれるという事も有り得る。
そして、ハイキングに誘ったり、ブーメランに誘ったりという事も有るかも知れない。そして、誘われた酒飲みは、一度体験するとその楽しさに目覚めて、いつの間にか酒量が減るという事も有り得るのだ。

僕自身は好奇心に富む人、自立する人を好んでいるけれど、「何をすればよいのか分からない」「誰を信用して生きればよいのか分からない」なんて人に「来るな!」とは言わない。
結果として、自分とはかなり違うタイプの人々とも付き合う事になる。
それは、困難や負担を伴う事も多いけれど、自分の知らない世界への入口であるとも考える。もし、地球レベルで物事を考えたいと思う人がいるなら、そういう人たちを無視してはいけないのだと思う。
環境のことを考える人だけが集まる会議はそれなりに有効と思うが、環境の事など考えもしない多数の存在を大切にしよう。同じ仲間だけでなく、違った人たちと友になろう。
「環境が大切だよ」じゃ近付いてくれなくても、「おいしいよ」だったら近付いてくれる。
「廃油石鹸!」じゃ近付いてくれなくても「すべすべお肌でセクシー!」なら近付いてくれる。
同じ事なんだけどね!


いなっち |MAILHomePage

My追加