ディリー?闇鍋アラカルト
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2004年01月25日(日) 透明石鹸

高級感を感じさせる石鹸に透明石鹸=グリセリン石鹸がある。
これは石鹸にグリセリンやグラニュー糖やアルコールを混ぜて作り、一手間も二手間も多くかかるので僕は余程の事がないと作ろうと思わない。
それだけの手間をかけて肌に対する適性はどうかと言えば、市販の大量生産石鹸よりは良く、良く出来た廃油石鹸にはかなわないという程度だ。
これはグリセリンを加えて作る為に必然的に軟らかくなり、石鹸の硬さを維持する為には硬い石鹸を作る脂肪酸を多く含んだ油、つまりパーム油やココナッツ油を使う事になりやすいためだ。それらに含まれる脂肪酸・カプリン酸・カプリル酸・ラウリン酸・パルミチン酸はお肌に優しいとは言えない。
きのうアメ横カワチヤでMPソープ(透明石鹸・溶かして型に入れて造形を楽しむ為の石鹸素地)の成分を見たけれど、大量生産石鹸よりも肌への適性は悪いかも知れないと思ってしまった。
それはラウリル硫酸塩が含まれていたからだ。これは合成洗剤で台所洗剤やシャンプーに含まれていたりする物質だ。これではグリセリンが含まれて保湿性が増した分の長所がかなり引き算しなくてはならない事になる。
メーカーを聞いたら外国の会社だと言う。
そこで、日本で売られている透明石鹸はひょっとしたらこういう石鹸素地を輸入してほんのちょっぴり加工して売られているのが多いのではないか?と思ってしまった。今日本の生産に関わるかなりの部分が外国に移転しているという経済的な状況がある。人件費の安い外国で生産した方が安上がりにつく為だ。
しかし、それでは安全が落ちこぼれる可能性は無いか?生産の技術が日本からなくなっていくという問題もある、雇用の問題もある・・・とMPソープを見て考え込んでしまった。


2004年01月23日(金) おしゃれ

男である僕はいわゆるおしゃれにあまり気を配らない人なのだけれど、おしゃれな女性は見ていて素直に「いいなあ」と感じる。
唇・眼差し・肌・髪・・・僕が素直に「いいなあ」と感じるおしゃれは本質的なもののように思う。
ブランド品のバッグを持っている事などは僕にとって価値を持たない。どのように高価なブランドバッグを持っていても、ガサガサの肌をしていたら寂しいと思う。その上にどんな高価な化粧品を塗りつけた所でおしゃれと感じられるかどうか?
知性美という言葉があるけれど、東大やお茶大に行けば知性が有って美しいというわけでもない。それが美であるなら、肌にも物腰にも表われるはずだ。好奇心溢れるいたずらっぽい眼差しや、オリジナリティを感じさせるバランスの良い料理を作れるなんて事も十分おしゃれであると僕なら思う。学校で与えられたものに良い点を取るだけでは想像力や個性が生かされていると言えるか?
おしゃれのキーポイントは想像力を以って個性を活かす事だと信じている。
だから、素肌の美しさはおしゃれの重要なポイントの一つだとは思っていても、それで全部を決め付ける事はない。
素肌の美しさだけで判断したら、アトピー性皮膚炎の人などおしゃれじゃないって事になってしまうしね。
むしろ、僕が言いたい事は想像力・知恵といったおしゃれの核心は、いつか素肌をも美しくする力を秘めているという事だ。
僕が路上で石鹸を売っているとセンスの良い服装をした女性が「もう何年もアトピーで医者から薬を貰っているんですが、良くなってもすぐにぶり返すんです。アトピーに効く石鹸って置いてますか?アトピーって体質なんですよね?」と尋ねるので、「その前にどんなアトピーなのかを教えて下さい。」と言うと、「うなじとおでこにカサカサが出来るんですよ。どんな薬を塗っても再発してしまうんです・・・」
「あ、それなら割と簡単だと思いますよ。そのカサカサの部分でどんな事が起こっているのかを考えてみればいいんです。その場所って他の場所とは違う事が有るんですよ」「違う事というと・・・・???」しばらく考えて、「ああっ!」「何か分かった?」「もしかして・・シャンプー?」「ピンポーン!リンスかも知れないけどね」パッと晴れやかな笑顔になる。僕はこんな瞬間が好きだ。知恵が宿る瞬間とでも言おうか。
その女性は前髪をたらしていた。おでこの湿疹を隠す為だろう。でも、湿疹が改善されるなら違ったおしゃれ・ヘアスタイルも楽しめる。湿疹が改善されるだけでなく他の部分の皮膚も全体に美しくなるだろう。
僕は石鹸洗髪と酸性リンスについて教え、尿素入り石鹸とそれ以外の石鹸について話した。
納得した女性は早速石鹸お買い上げ!
僕はいわゆるおしゃれには興味はないけれど、おしゃれに貢献出来るのは嬉しい。
へいっ!お買い上げ有難う御座います!


2004年01月22日(木) 未病を治す

大学時代に漢方薬局でアルバイトをしていた時に出会った言葉に「未病を治す」というのがある。
出典は分からないしもっと長い言葉の一部でもあるのだけれど、全部を正確に覚えているかどうかは分からない。
「上医は未病を治し、中医は病を治し、下医は病を作る」というような言葉であった。
医者の上等な者は病気になる以前の状態の者を治してしまうので病気になる事が無い、中等の医者は病気になってしまった者を治し、下等な医者は新たな病気を作ってしまう」という意味だ。
僕が医の世界で目指すとしたら、当然上医を目指そうと考える。
漢方医学の世界を覗きながら深入りしようと思わなかったのは、漢方医にしろ漢方薬剤師にしろ病気になってしまった者に対応するのが仕事(=中医の仕事)だからだ。
職業としての医術でなく、生きる事の医術、病気にならない医術。
それが大切だ。
僕が食事や姿勢や生活について職業としての医術者よりも知っているとしたら、こうした考えが背景にあるからだ。
それは、予防医学とも重なっていた。

しかし、現在の僕には予防医学とはかなり違っているもののように感じられる。
現在の予防医学と言えばどんなイメージを持っているだろうか?
僕には早期発見・早期治療のイメージがある。
また、人間ドックや検診のイメージがある。
しかし、「医原病(講談社)」に依ると検診によって寿命が伸びたという事は証明されていないと言う。それどころか検診によって不要な医療を受けさせられる可能性さえ大きいという。
例えば血圧が150という事で血圧が高めと判断され(この時点では病気と言えない)、降圧剤を飲まされ結果として病人になってしまうという事が有り得るのだ。
降下剤については
http://www.enpitu.ne.jp/usr9/bin/day?id=99310&pg=20031003
に既に書いた。降下剤による延命も確認されていない。血圧は下がり脳溢血の危険は減っても心筋梗塞や癌の発生が多くなり、健康にも長寿にも貢献していないのだ。
何のための医学!未病を治療する事で新たな病気を作り出してしまうのだ。
これこそ下医。
転倒した形の未病治療。
こういう事が分かってしまうと、予防医学というものにも懐疑的になってしまうのだ。
僕の目指しているのは、生きていく為の医術!


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