「間違ってます。」
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2009年04月11日(土)
長男との約束
夕食時、五歳の長男がひいばあちゃんと、ひいひいばあちゃんの話をした。
「ひいばあちゃんとひいひいばあちゃんは、お墓の中だよね?」
彼の父方の祖母の母と祖母で、私は面識が無いが、毎年お盆には皆で墓参りをしている。
「そうだね。お参りしたものね」
そう答えると、彼は何を思ったか、
「次は、誰が死んじゃうの?」
と問うてきた。
「それは神様しかわからないよ」
と、私は答えた。
それから彼はまたご飯を口に運びはじめたが、ややして、食べながら涙を流しはじめた。
私は自分が幼かった頃、自分なりに「死」というものを考えているうちに、怖くなって、無言のまま、家事をしていた母の背中にしがみついたことを思い出した。
「死んじゃったら会えなくなるから、寂しいね」
「みんな長生きするといいね」
そんな話をした。
布団に入る前に、彼が言った。
「お母さん、長生きしてね」
「うん。長生きしようね」
私は言った。

私の父が逝ったのが、五十九の時だった。
それでなんとなく、自分もあと二十年くらいかな、なんて思っていた。
図らずも長男としてしまった約束。
それでも約束は約束。がんばって、身体を大事にしないとね。


2009年04月10日(金)
私に向かない仕事
以前病院の待合室で、一人の老人男性と付き添いの青年を見ました。
親子には見えず、おそらく青年は福祉関係の方。お仕事として老人に付き添っているように見受けられました。
で、その老人なんですが、診察を待つ間、ずっと生活や知人の愚痴を言っておりまして、青年の方は相槌を打つでもなく、硬い表情でずっと老人の隣に添っていました。
(きっと、いつものことなんだろうな。大変な仕事だなぁ。私には絶対無理だわ)
そう思ったものでした。

そんな私が、この春から何を思ったか、専門学校の社会福祉士養成通信課程を受講することになりました。二年後の社会福祉士の国家試験合格を目標としております。もちろん、その後はそちらの仕事につきたいと。

人付き合いが苦手です。どちらかと言えば鈍く、人の痛みに添えるタイプの人間ではありません。人の役に立ちたいなどと思う前に、自分のことでいっぱいいっぱいだったりします。
旦那様は「お前には向かない」と言いました。私もそう思います。
それでも学費を出してくれました。不況のあおりで我が家の家計も無傷ではないのですが、ありがたいかぎりです。実習もありますし、まだ幼い子供もおりますから、周りの人の協力無しには目標達成はありえないでしょう。
一発合格決めねば、申し訳が立ちません。
と、やる気はあるのですが、いまだテキストも教材も一切無く、気持ちばかりが空回り、と。


2009年04月09日(木)
変える努力と変えない努力
鬱つながりで。
高齢者の鬱が多いそうです。自分の身内にもありました。
ものすごく憶測に過ぎないのですが、変わりすぎてしまった環境というものも、一因なのではないでしょうか。
まだまだ四十前の若輩者ですが、最近思うのは、人間それなりの時間を生きていると、自分が生まれ育った環境を必要とする時期があるのではないかということです。数年前に昭和ブームなどがありましたが、結局なくなってしまったから、再現して懐かしんでいる一面があるわけで。
変わることを否定する気はないですし、変わるために努力をしなければならない局面もあるでしょう。
でも、変えない努力というのも、評価してしかるべきではないでしょうか。


2009年04月08日(水)
ぷち
二月に体調を崩しまして、見聞きするところの鬱の症状に似ていましたので心療内科に行ったのですが、ある程度の期間続かないと断定できませんとのことでした。それでも、育児に支障をきたすことを避けたかったので、薬だけは処方してもらいました。
三月に二十年来頭を悩ませていた問題に解決のめどがつきまして、これで体調もよくなるだろう。うなされることもなくなるだろうと、第二の人生エンジョイするぞくらいの気持ちでいたのですが、ここにきて、どうもまたよろしくないです。まあ、「ぷち」程度なんですが。
症状のひとつに「不安感」というのがありまして、それに圧迫されるように呼吸が苦しくなるのですが、まあ、その不安感を誘発するのが前出の問題が大きかったのですが、そっちはもう大丈夫なんですよ。じゃあ、何が問題か。
どうも、これが「地球温暖化」らしい。なんかこうなってくると、原因があって「不安」という状況になるというより、状況を説明するために原因を添付している感じです。せめて、個人的な努力でなんとかなる問題にしてほしかったです。
結局人間、なんかしら問題を抱えて生きていかなきゃいけないってことでしょうか。
それでも天気予報は見ちゃうんだよね。
四月だってのに、夏日だってさ。


2009年04月06日(月)
小市民
暖かいですね。
五月の陽気です。
日なたは熱いくらいでした。
昔に比べて、日差しが強い気がします。
温暖化、進んでますね。
昔を知らない子供達にとって、この暖かさは普通のことなのかな。
ソメイヨシノが卒業シーズンに咲くこととか、花びらが散るのではなく、花そのものが落ちることが、普通のことになっちゃうのかな。
普通のことには、危機感は覚えないよね。
そういう意味でもこの問題は、十年、二十年前に比べて、明らかに「変だ」って感じられる大人が、死ぬまでになんとかしないといけない問題なんだろうな、とは思う。
けれど、一介の主婦に出来るのは、せいぜい買い物袋を持参することとか、お風呂の残り湯で洗濯することくらいで。
たぶん、「将軍様」がミサイルひとつ飛ばしたら、簡単に吹き飛んじゃう発射台の塵みたいに小さなことで。


2009年04月02日(木)
いちご狩り
「いちご狩りに行きたい」と長男が言った。
正直、私はあまり行きたくなかった。いわゆる「味覚狩り」に対して、私の腰は重い。その原因を考えていたら、ひとつの思い出に行き着いた。

私が小学生のときである。父がぶどう狩りに連れて行ってくれた。地元の、父の知り合いの農園だった。父は付き合いが広く、場合によっては押しの強い人であった。その時もすでにシーズンが終わっていた農園を、無理に開けてもらったのだ。貸しきり状態である。それはまあいいのだが、当然、ぶどうはほとんど無い。あっても熟れ過ぎで半分身が落ちているような、見るからに美味しくなさそうなものがちらほら見えるだけだ。足元には落ちたぶどうが踏みしだかれて、いやなにおいがする。私はぶどう畑をぐるりと一周し、父はみやげ用のぶどうジュースを買った。
今だから笑って言える。
「お父さん。ごめん。本当に楽しくなかったよ」

で、いちご狩りである。
込むと嫌なので、平日の朝一番に行った。今時は時間制限食べ放題。
結果。
たのしかったです。おいしかったです。
何より子供達の「たのしかった」の声がうれしかったです。
いちご狩り、ありがとう。
また、行きたいです。


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