ミドルエイジのビジネスマン
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2011年12月28日(水) 仕事納め

官公庁や多くの会社が仕事納めの日。

夕方、下町のホルモン焼きに屋に足を向け、「梅ワリ」を一杯。かつて、スーツ姿では入りにくかったその店も、三十代くらいの女の人が一人で座っていたり、若い男が友人にホルモン焼きのウンチクを語りながら値の張るビールを飲むようになった。その後、商店街で安いうどんを食べていると、店のテレビが詩人金子みすずの生涯を紹介していた。地震のときに「こだまでしょうか」と何度も聞いた詩の作者だ。現代の人かと思っていたら、明治生まれだそうだ。しかも、苦労の末に若くして亡くなっている。東日本大震災の記憶と繫がって、なんだか辛いなあ。

駅からフラフラと歩いていると、三日月がもう傾き始めていた。天頂には大きな木星、雲ひとつない。夜間飛行の旅客機が上空を飛んでいく。まだ上がり切っていないのか胴体にオレンジ色の窓が一列に並んでいるのが見える。どこか南の国に飛んで行くのだろうか。ひとつの窓にひとつの家族の幸せが輝いて、幸せが並んでいるように見えた。

こだまでしょうか、と問いかけていた境遇と飛行機でお正月にリゾートに向かう人たちとが共存する奇妙な時代の年末だ。


2011年12月18日(日) 仙台からの新幹線

ある者は大学教授となり、ある者は自ら興した上場企業の社長となった。

一介の主婦に見える女性は何年か前に禅の悟りを開き、鮮やかに見える景色に涙を流したと言う。若い時分に老師の許しを受けたが、未熟者であることは自らが最も良く知っていて、40年間苦しい思いをしてきたという。ある夜、いつものように布団に仰向けになり、寝ようとすると周りに見えるものの見え方が、これまでと一変していることに気が付いた。そうして、これまで考えてきた公案に思いをめぐらすと、それでいいのだとすっきりした気持ちで整理できた。翌朝、用事があって車を運転していると遠くの山々が万歳々々と祝福している。これまで、そういうことがあると知識としては知っていたが、本当なのだと涙が溢れ出て、事故を起こしては危ないと車を停めて喜びを噛み締めたそうだ。

仙台から帰る新幹線は暗闇の中を疾走していた。


2011年12月11日(日) 皆既月食

12月10日土曜日の夜、11時半頃風呂上りにデッキに出てみると、天頂の満月が泥をかけて汚したような色になっていた。一部が欠けて見える。月食だなと思って、ネットで調べると皆既月食だそうだが、同心円の美しい形にはとても見えなかった。見上げていると、小さな流れ星が見えて、運が良かった。
翌日の日曜日、10時半頃、また外に出てみると、前日とは印象が全く違い明るい満月だった。見上げていると、今度は大きな流れ星が西の方に流れた。きっと、運勢がより明るい未来に変わったのだろう。


2011年12月04日(日) 不耕起栽培秋の陣は大成功

不耕起栽培の秋冬野菜は豊作だった。

ダイコンは直径9センチ、長さ47センチという巨大なものもできた。新たに買った種の小松菜は大きく育ったし、春に種を採った小松菜まで生育したのは感動ものだった。

昨年は冬を越えて、ようやく親指くらいまで成長するのがやっとだったニンジンも、間引きをしなかったにもかかわらず、人並みのものが交じっている。発芽率が50%くらいだったのは、種まきが早すぎたからかもしれない。

初めて2株作ったサトイモも無事収穫でき、家族の間では美味しいと評判だった。
ついでに言うと、時期を分けて後半に植えたナスは生育期間が長く、秋まで実をならせた。

他に生育中の作物は、キャベツ、白菜、ミズナ、そして来春のビールのお供の紫タマネギだ。

不耕起栽培は雑草の勢力が圧倒的に強くなる夏場さえ乗り切れれば、草やムシたちと共存して家庭菜園を楽しくやっていけることが分かった。
あれは2週間くらい前のことだっただろうか。刈り取った草を積み上げておいたところの様子を見るため、ちょっと掘り返してみると、太さが4〜5ミリほどもあるミミズが急いで土にもぐっていった。日頃は目に見えなくても、こんな大きなミミズも一緒にいるんだと思うと豊かな土壌をありがたいという気持ちが湧いてきた。


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