ミドルエイジのビジネスマン
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2008年07月27日(日) ゴルフコンペの打上げだけ参加(2)

新幹線の止まる駅の内部は改装されて、綺麗になっていた。いつもなら、そこで在来線に乗り換えればほとんど時間のロスもなく目的地まで行けるのだが、時間が中途半端なせいか、在来線も切り捨てられようとしていて新幹線との接続などどうでもよくなったのか、電車の接続は全く折り合わず、タクシーで会場に向かった。

打ち上げ会場というのは、同級生が五十歳を超えて新たに開いたというイタリアンレストランだった。イタリアンと言っても、千円に満たないスパゲッティなどがメインのようだ。

若いときから、喫茶店やらクラブやらその道一筋で生きてきた男だ。市場環境に合わせて今度の店を開いたのであれば、そのマーケットのセンチメントはかなり低価格路線にシフトしているに違いない。

ゴルフを終えた男たちは、日に焼けた笑顔とともにサッパリとした姿で次々と現れた。天候に恵まれた今日のゴルフを語り、互いのナイスショット場面を再現しては、あれはとんでもないまぐれだったと爆笑する。これが自分の求めていた裏表のない同級生との付き合いだ。

この場で語られることはないであろうメンバーそれぞれの心の有りようも聞いてみたいと思うのは「旅をしている」身分の者には贅沢なことだろうか。それは、年老いた親を養い、故郷の神社の祭礼を担い、中核都市の発展に貢献していると自負する者だけに共感を許される「思い」なのであろうか。

夜の新幹線のスピードは速く、めぐらした思考もまとまらないうちに、再び東京に到着した。休みの日にオフィスに寄って朝2時間ほど仕事をしても、昔の仲間と飲んで話して、その日のうちに帰れると器用に振る舞ったつもりでも、中途半端な行いから得たものは中途半端な満足感であったような気がする。


2008年07月21日(月) ゴルフコンペの打上げだけ参加(1)

けだるい夏の日の午後3時にターミナルを出発した新幹線は静かに神田、秋葉原を抜けて東京駅から離れていく。自暴自棄の無差別殺人事件が起きた街もあっという間に通り過ぎ、これでもかというくらいぎっしりと雑居ビルを詰め込んだオモチャ箱の都会を高架から眺めても、行き詰まった若者の心のうちなど見える訳もない。

田端、王子、戸田とマンションやら小さな家々やらがこれまた延々と続き、こんなところでチマチマと働くために何十年も生きてきたのだろうかとこれまでの生き方を振り返させる。

隣に座っている母娘は栄養士学校のパンフレットを眺めている。来春あたり、あこがれの東京暮らしをしたい娘と専門学校を見に来たのだろうか。故郷に向かう新幹線から景色を眺めると、自分だけではなく同級生や知り合いがどんな気持ちでこのとてつもなく高速の文明の利器に乗っていたのだろうかと思う。車内販売のコーヒーを飲んで窓の外を眺めながら故郷に向かう。今日は同級生コンペの打ち上げにだけ参加するのだ。


2008年07月13日(日) デッキにオーニングを架ける

週末、ウッドデッキに幅2.7メートルのオーニングを架けた。白と紺のストライプで、落ち着いたデザインだ。お披露目として土曜の午後は奥様方がお茶飲み会、小さな子供たちに、ハンドルを廻して順番にオーニングを広げたり、巻き取ったりさせてあげた。

日曜の夕方は近所の旦那様数人とビアパーティを開いた。家の中に迎え入れなくても良い気軽さは本当に便利だ。それぞれ黒ビールや出し巻き卵を持ってきてくださって2時間ほど盛り上がった。

土曜日には強烈な夕立ちがあったので、一人で巻き取ろうとしていたら突っ張り棒で支えている反対側が外れた。向こう側には到底手が届かない。大声で家族を呼んでもなかなか反応が鈍い。やっと子供たちが駆けつけてようやく事なきを得た。翌日話を聞くと、近所の人に大慌ての様をしっかりと見られていたようだ。この夕立をもって、ひとり梅雨明け宣言をした。

30キロの大物を突っ張り棒で支えるというのは、やはり少し無理があるように思う。取りあえず、ネジをしっかりと巻いておくか。


2008年07月06日(日) エンプティ ネスト症候群

土曜日の朝、妙に遠いところでシジュウカラの声がしたなと思いながら起床、巣箱の前でいつものように餌を運んでくるのを待っていたが、いつまでたっても親鳥は一向に現れない。雛鳥の、あれほど大きくなっていたさえずりもなく、妙に静まりかえっている。まさかと思いつつ、そおーっと覗いてみると、案の定、巣箱はもぬけの殻となっていた。

あれほど可愛がっていたのに、何の挨拶もなしに旅立つのか。なんとなく、雛鳥は何日か羽ばたきの練習を見せ、最後には巣箱の前に一列に並んで別れの挨拶をしてから飛び立っていくように思い込んでいたのだが。

別れはいつも突然だ。

もう、怖がらせることもないので、気兼ねなしに巣箱をかけてある木の周りの芝刈りをした。しかし、気分は一向に晴れない。ウチのシジュウカラはどこに行ってしまったのだろう。遠くに行かなくて、電線にとまって鳴いてもいいじゃないか。様々な繰り言が沸いてきても、もう賑やかな鳴き声はしない。今となっては、ギギギッと威嚇されて、人の方が家の中に追い込まれたのも懐かしい。

元気で暮らせ、幸せな「ウチのシジュウカラ」の家族たち。


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