ミドルエイジのビジネスマン
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2005年03月27日(日) 一線を越えてはならない

「時間がなかったもので、やってしまいました。」
先週の金曜日、大魔神と化した大部長に詰め寄られて、関係者は異口同音の言い訳を口にした。何が悲しいと言って、味方にコケにされるほど打ちのめされることはない。

確かにこのひと月ほど、私たちは一週間ががあっという間に過ぎ去るほどの忙しさに見舞われている。特に、担当プロジェクトをいくつも並行して持っている者にとっては、時間がいくらあっても足りないくらいだった。心の内(うち)はあせっても、具体的な報告書を作成するには物理的に相当の時間が必要なのだ。そもそも、資料となる数字が正しいかどうかさえ、疑ってかからなければならない。それを並べてみて、一定の傾向はないだろうか、この変化をどう解釈するべきだろうか、単に量的な変動ではなく、もしかしたら劇的な質的変化が起きている、あるいは起きかけている兆候ではないかと目を凝らし、それらをどのようにウェイト付けて報告すべきだろうかなどと、考え始めたらキリがない。迫り来る締切りの日を気にしながら、苦労して創りあげた作品を携えて報告のときを迎え、仲間や関係者の評価を受けるのだ。

そうして、やっと完成した報告書のエッセンスをいかに関連部署とはいえ、気軽にそっくり渡してしまい、あまつさえ、あたかも関連部署が作成したかのような顔で報告されてしまったとしたら、もし自分だったら、悔しくてとても堪えられない。もしかしたら、そのような扱いを受けても心に打撃を受けないほど粗雑になされた業績(しごと)だったのだろうか。大部長が日々強調している私たちのプライドはどこに吹っ飛んでしまったのだろうか。

おそらく、この件に関係した人々は「プロジェクトの円滑な遂行こそが最も重要視されるべきであって、ちょっと踏み越えたところはあったけれども、それは時間が足りなかったからで、全体として間違った方向に行ってしまった訳ではないので、このような非難を受ける程のものではない」と思っているかもしれない。だが、大部長の考えは違う。私たちは、プロジェクトにおいては密接な協力関係にあるが、求められる役割はそれぞれに異なるものが課せられている。だからこそ本件についても、あらかじめ役割分担を決め、どの作業がどちらの領域なのかを定めておいたのではないか。自分たちの時間がなくなったからといって、断りなく人のものを使っていいということではない。

もし、事前に相談を受けていれば、そのように締切りに間に合わないようなスケジュール管理やチームとして担当者の準備状況の把握が不十分だったことについては指摘したかもしれないが、決して、冷たく突き放すようなことはなかったと思う。これまで、互いにそういう信頼関係にあったではないか。少なくとも、こちらは十分な信頼関係があると思っていたのだ。究極的には同じ目的を持っていると思うからこそ、押し付けがましいと思いながらも、このように進めたらどうかと担当者ベースでアドバイスすることもしてきた。そちらが言いにくいなら、大部長サイドから申し入れようかと提案したこともあったはずだ。前日には自分たちがやろうとしていることがどういうものか解っていながら、どうして言ってくれなかったのだろう。

私たちはお互いにプロだ、あらかじめ定めてある一線を越えてはならない。何がそのギリギリの境界なのか、私たちは常にセンスィティブであらねばならない。その鋭敏さを失った者はこれからも同じように言うことだろう、「いやいや、時間がなかったもので。でも、全体としては間違った方向に行っていませんから」と。そのような者に大部長は問いたい、お前にはプロとしてのプライドがないのか。


2005年03月20日(日) 六本木ヒルズに行くT君へ

自分のことは「大部長」の日記に書いてくれないのかと言いながら、六本木ヒルズの会社に転職していった若いT君、何といっても、ヘッドハンティングのことを書くのは3度目だからなあ。これじゃあ、まるで大部長に全然魅力がなくて、同僚はみんな去っていくみたいで書きにくいよ。

今から4年近く前、若くて優秀な人材が転職して来てくれることになったとき、大部長は本当に嬉しかった。これで、あと5年は何の手を打たなくても左団扇だと思ったからだ。それまでは、全員優秀だが人数が足りなくて、大部長も自分で担当案件を持つべきだろうかと考えていたくらいだったからだ。嬉しさのあまり、「安い買い物だった、安い買い物だった」と言って、「僕は安く買われてしまったんだろうか」と、当の本人を困惑させていたんだったね。

若いといっても、三十代の半ばにさしかかっているちょうど今、職場を取り巻く環境が大きく変わろうとしはじめた。個人的にも、どうもな、と思っている、まさにその時タイミング良く(大部長には運悪く)、若い会社の話が入ってきたという。待遇の上でも文句なく、任せられる権限も今より大きくなるというのでは、こっちの方が大きくて安定しているよといっても耳を貸してもらえないよね。そもそも、退職の意向を聞いた人事部も説得の術(すべ)がなかったというのだから。

フットワークのいいT君とは大阪や九州のプロジェクトを戸惑いながらやったものだ。東京や埼玉の仕事もしたけど、どれもこれも特徴のある案件ばかりで面白かったね。最後には2月6日の日記に書いた出張もあったね。若いながら実績もあり、自分の意見を率直に言ってくれるので、プロジェクトがへんてこりんな展開になれば何やら言って来るだろうと、任せておいても安心だった。

君から借りている高橋克彦の小説「火怨」(かえん)はやっと上巻を読み終えたところだ。蝦夷(えみし)の勇者「アテルイ」は騎馬軍団を率いて古代の戦場を縦横無尽に疾駆している。もしかしたら、君もこのアテルイに日本経済の中を疾駆する自分の姿を見ているのかもしれない。それもいいだろう。平成のアテルイにはその生き方もあると思う。まだまだ、無限の可能性を秘めている業界だ。日本経済のダイナミズムも今動き出したばかりだ。力の限り、その能力を発揮してもらいたい。

こちらの会社はまだまだ力不足だが、朝廷軍のように大規模で組織だった戦闘力を目指そうとしている。もし、自分たちだけの力でもっとメジャーなステイタスを求めて戦うのであれば、決して去ったりしなかったのにという君の言葉には、わずか数年前に人生をかけて私たちの会社に来てもらった者として返す言葉もない。本当に、ずっと一緒に働いていきたかったと思う。そして、もう一度一緒に出張して5百円の機内ビールを買ってあげたかったと思う。

T君、いつか草原の戦場で相まみえよう。そのときは古代の勇者「アテルイ」のように雄々しく戦う騎馬武者の姿を見せてくれ。


2005年03月12日(土) 夜行特急でカラオケバーに駆けつける

金曜の夜、特急列車でなければ行けないその街に降り立ち、冷たい小雨の中、居抜きで借りたという店のドアの前にようやくたどり着いた。中からはカラオケの歌声がする。力を込めて開けてみると、そこには銀座のカラオケバーと同じ光景が繰り広げられていた。携帯電話のカメラで撮られた小さくぼやけた顔しか知らない彼女は、店の主(あるじ)として大きな笑顔で迎えてくれた。彼女のご主人も若い衆と連れ立って来ており、互いにぎこちなく挨拶した。

あれほど心細そうに開店前の不安を日記につづっていたのに、彼女は10年前からずっとこうだったのよと言わんばかりに店内の雰囲気を堂々と支配し、一方、顔なじみの客たちは何度も通い慣れた常連のようにくつろいでいる。新規開店は、どうやらうまく滑り出したようだ。日記仲間の「マキュキュ」のお店がとうとう3月9日にオープンし、開店3日目に客として訪問したのだ。

カウンターの隅に座り、IWハーパーのボトルを入れて、おとなしく飲んでいると、ハンサムな男の人が友人と一緒に入ってきた。彼はマキュキュと何年も付き合いがあり、ときどきおいしいお米を分けてくれるのだそうだ。少し経つと、やせて背の高い男が現れた。店の中でもマフラーを取らず、矢沢永吉になりきって歌い続けた。さらに暫くすると、小学生の子供がいるという女の人がやってきた。彼女はマキュキュよりちょっと若いが、どうも彼女のお目付け役らしく、自分が高校生のときから付き合いがあると言っていた。

初めての店、どの人とも初対面、それどころか店の主(あるじ)とも初めて会ったのだ。この日、この瞬間に、バーチャルな日記の世界が現実の世界と融合したとも言える。顔を合わす前から、相手がどんなことを考えているか知っている間柄。

約束どおり、マキュキュはテレビ番組「優しい時間」のエンディングに流れる「明日」(あした)という曲を歌ってくれて、予告どおり間奏の間に涙があふれてきたようだ。仲間が集まって協力してくれた店がようやく開店にこぎつけ、新しい「明日」への出発だ。おそらくそればかりではなく、自分が若いときにこの街にやって来て苦労した事ごとをこの歌を歌うと思い出すのだと思う。もしかしたら、遠い昔、歌詞にあるような別れと新しい旅立ちがあったのかもしれない。

少し前の時間帯には、知り合いの地元の新聞社の人も客として来てくれていたという。そういう好ましいお客様が、また知人を紹介してくれて、良質の客層が拡がっていけばいいと思う。

彼女は酔った客がカラオケだけ歌うただのカラオケスナックにはしたくないのだという。男も女も、年配も若い人も、知り合いも初めての人も、様々な人が寄り集まり語り合って楽しみ、時にはマキュキュが悩み事も引き受ける。そうして、ちょっとした工夫が生きている彼女自慢のお料理も楽しんで欲しいのだそうだ。彼女自身は洋風居酒屋と言っていたが、少なくとも店の雰囲気は最新鋭カラオケ装置が鎮座している立派なカラオケバーだ。店の風格は、マキュキュ自身と集まってくるお客様が、これからゆっくりと形造っていくことになるだろう。

しばらくは店を軌道に乗せることが肝心、忙しいとき以外は一人で切り盛りしていくというのだが、お客様の何気ない言葉や仕種(しぐさ)に込められているリクエストや批評を謙虚に感じ取って、小さなことでもできることはすぐに改善し、満足して帰ってもらえるようにしていただきたい。どんな商売でも、「何も不平を言わず、ただし、二度と来ない客」を出さないようにすることが肝要なのだと思う。

(これまでの経緯については2004年11月7日、2005年1月23日の日記もご覧いただきたい。)


2005年03月06日(日) エスタブリッシュメントの狼狽

またしても、お騒がせホリエモンことライブドアの堀江社長が、今度はこともあろうにニッポン放送を買占めにかかった。

今回の騒動で大部長が一番驚いたのは、普段、証券取引所の規則など興味もないであろう経営者や政治家がほとんど反射的に法律違反だなどとコメントしたことだ。

この問題はあちこちで関心を呼んでいるようで、大部長も出張先でどう思いますかと聞かれたものだから、思っているとおり「ホリエモンに理があります」と言ったら問いかけをした人は不機嫌になってしまった。聞いてきた人は堀江社長の経営者としての品格と規則の隙を突くような行動を問題にして、「拝金主義で礼儀知らずの若者が社会のルールを破っている」と思っているに違いない。だれも堀江社長が崇高な理念に基づいて経営革命を起こそうとしているなどと擁護つもりはない。ただ、品位とルール違反は明らかに別の問題だ。

いつもは賢そうにしている人々が、思わずカッとして感情的な発言をしたのは、自分たちの足元が掬(すく)われそうになったことを本能的に察知したからに他ならない。金融庁も何日かしてから、やっと規則に抵触していないことを正式にコメントした。

そもそも、「一連の出来事の背景にはブッシュ大統領の弟分である小泉首相が、アメリカの企業が日本の会社を簡単に買収できるようにしろ、と命令されて様々の法改正をしているさ中に起きた。すなわち、こんなことはこれから日常的に目にすることだ」と言う人もいる。ブッシュの命令というのが真実かどうかは分からないが、確かに、日本中の大企業が自己防衛に本気で取り組む契機となるだろう。

肝心の買収劇には、とっくに退場したはずの創業者一族である鹿内家が登場して大和証券SMBCに株式を返せと捻じ込んだりして、ますます混沌としてきた。大部長はホリエモンの失敗は一撃で仕留められなかったことだと思うが、それでもまだ彼に勝ち目はあるのではないかと思っている。

こんな話を先輩と金曜日の飲み会で話していたら、ボソッと「エスタブリッシュメントの狼狽だよね」と言われた。核心をついていると思う。


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