ミドルエイジのビジネスマン
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2004年06月27日(日) レンタルDVD「24」にハマる

「24」とは意味不明のタイトルだが、想像したとおり、24時間の出来事だ。

アメリカの多分テレビ番組だろう。1編が1時間ずつ、リアルタイムで進行していく。大統領予備選の日、黒人の候補が暗殺されるという情報が入り、テロ対策チームが活動するというストーリーだ。ただし、チームの中に敵に内通している者がいたり、ちょっと夜遊びに出ただけの主人公の娘が誘拐されたりと、息をもつかせぬ展開で観るのを止められなくなってしまった。

全体の4分の3までたどり着いたところで、当方の時間切れ、残りは来週の楽しみということで。


2004年06月20日(日) 父の日に梅酒をつける

日本の南から季節外れの台風が近づいてきているそうだ。風が強かったものの良く晴れた週末、あこがれのショッピングセンターに本を持ってコーヒーショップ行った。ついでに寄ったそこのスーパーには青梅、氷砂糖、焼酎と、おまけに容器の広口壜まで梅酒の材料が全部一箇所に並んで置いてあった。

ハタと思いついたお父さんの超豪華特製梅酒は、売り場に書いてあった「ブランデーで作ると一味違います」という謳い(うたい)文句に直ちに反応し、フラメンコを踊り手をたたきながら棚から取ったブランデー(紙パック入り)で仕込まれることとなった。

梅酒のセットを衝動買いしたばかりか、隣の「鳥取のラッキョウ」も目に入り、ラッキョウの甘酢漬けまで作ることにした。好き嫌いはありますかと聞かれると「食べられないものはないが、強いて言えばラッキョウが苦手」と答えるのが常であっただけに、つい先日テレビの健康番組で見た「ラッキョウでみんなが健康な街」がフラッシュバックしてフラフラとなってしまった自分が情けない。「鳥取のラッキョウ」を見た瞬間、酢漬けのラッキョウを1回食べた後の、体は柔らかくなって手のひらが床につき、少なくとも5キロは体重が減り、頭の芯までスッキリ青空、物忘れとはおさらばの若々しい自分の姿が浮かんできたのだった。

この週末、日本全国至る所で「青梅」と「ラッキョウ」が売り切れになったに違いない。

あとは、畑でジャガイモの収穫と草取り。夏場になると草取りが億劫で、趣味の野菜作りも強制労働に成り果てる。


         ***青春を燃焼するトマト***








2004年06月13日(日) 大部長、オフィスの椅子を蹴り飛ばす

「パイプラインに入っている案件は大体予定通り」などと、うそぶいたバチがあたったか、先週はある案件が急遽計画変更となり、大慌てする一幕があった。通常なら予想もしない状況ではあったが、それにしても、定められた手続きをステップ・バイ・ステップで進めていれば、少なくとも事態の兆候には気がついたはずだ。一応の対応策を決めた後、あまりにふがいない出来事に、思わずオフィスの椅子を蹴ってしまった。

全体として見れば概ね大丈夫という案件であり、また、社内の複数の関連部署にも担当者がいて、一概に、誰が悪かったと決めつけるのは難しいところではあるが、たとえ、自らの非を認めざるを得なくなったとしても、それがどんなに苦しくても「この案件を、私のような者が止めることはできないと思った」というような台詞を吐くことは私たちには許されていない。万が一の場合、プロジェクトの進行を止めるのが私たちの使命だからだ。

聞いてきたことを書き留めるだけなら中学生でもできる。様々な比率をはじくことなら派遣社員でもできる。なぜ、私たちが独立した立場を保証され、私たちの意見が社内で尊重されるのだろうか。収益を追求する会社組織の中にあって、関連部署にはそれぞれの立場があり、言いたいことがあっても言えないときもある。それを言い当てるのが、まさに、私たちの使命なのだ。

「色々な事情があるでしょうから、まあ、今回は仕方ないですな」といつも言っていれば、なんとか丸く収まって関連部署の担当者も感謝するかもしれない。いやいや、それは感謝したふりをしているだけ。唯一、常に正論を述べることが期待されている部署が、その役割を放棄し、易きについたと馬鹿にされるのがオチなのだ。

常にあるべき姿を考え、いつも、これでいいかと自問する。そのためには、業務上の基本的なステップを踏み外さず、何か忘れていないだろうかと振り返る。さらに、もっと考慮すべき要素はないかと問いかける。もっと別のアプローチをすべきだったのではないかと思いを巡らす。私たちの業務にはいつも不安が付きまとう。その細心さが、仕事の中身の完璧さにつながり、プロジェクトのパートナーや社内の同僚の信頼を獲得していく手だてとなる。

私たちは、プロジェクトの参加メンバーや関連部署の同僚たちから尊敬を得たいと思う。それは一日ではできない。自分の言葉の重みを畏れ、謙虚になること、そうして、ひとつひとつの案件を地道に積み重ねていくこと。これしかないのだと思う。


横山秀夫の「半落ち」を読み終えた。結末部分は確かに意表をついたものであったが、十分な伏線が張られていて読者が十分納得したかというと、そうとも言えないのではなかろうか。最愛の妻も、それが言いたくてウズウズとしていたらしく、二人で「結末は感動的だけど、推理小説としての期待にも応えてもらいたいね」と意見が一致した。


2004年06月06日(日) 大部長、仕事に迷う

世の中不況、デフレと下を向くような話ばかりしていたが、昨今そうとも言えないようなことになっているらしく、先週も最愛の妻がリッター当たり99円だったガソリンが一挙に106円になったと驚いていた。しばらく前から原油価格が1バーレル当たり40ドルを超えたなどとニュースになっていたので驚きはしないが、ここ10年くらい、物価が上がったという話題を夫婦でした覚えはない。

大部長の仕事もパイプラインに入っている案件は大体予定通り進行しており、ほぼ順調と言える。だが、気持ちの上でもうひとつ晴れ々々としないのはなぜだろうかと考える。

この案件はAさんのもの、あのプロジェクトはBさんのもの、改めて考えてみれば大部長のものは一つもない。人がやっているものを小姑のように横から眺め、たまさか気がついたことをさも鬼の首でも取ったかのように言い募る。時々、担当者も大部長も気がつかず、判明したときにはどうしようもないということもある。部全体でバックアップしているので、大事に至ることはあまりないが、こんなことをやっているだけでいいのだろうかと時々思う。

最愛の妻が図書館から借りてきた横山秀夫の「半落ち」を半分くらいまで読む。地方都市に住む警視や検察官や新聞記者、そして弁護士の生活まで書き込まれ、リアリティがあっていいなあ。人物像としては映画の宣伝で寺尾聡がすっかり頭に刷り込まれているので、小説を読んでも主人公の会話は寺尾聡がしゃべっている姿しか想像できない。映画のDVDもレンタルが開始されているので、そのうち借りてこようと思う。妻は最後の場面で涙を流したそうで、感動を分かち合いたいらしく、顔を見ると読んだか、読んだかと聞いてきてしつこい。早く読まないと結末を言われてしまいそうで心配だ。


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