ミドルエイジのビジネスマン
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2003年10月26日(日) サイクリング、銀杏拾い

通信販売で小さな赤い自転車を買った。20インチで6段変速のマウンテンバイクスタイルをしている。折り畳み式でしかもダブルサスペンションと機能満載でお値段は14,800円と驚くほど安い。まあ、届いてみれば案の定高級感とは程遠いが、まずまずというところか。これを折り畳んで車の中に放り込んでおけばいつでも手軽にサイクリングができて、ついでにお腹も引っ込むという寸法だ。

早速、サイクリングと洒落込み、次男の通う小学校の近くで銀杏拾いなどした。幾つも拾ってこなかったので、あわよくば子供にもっと拾ってこさせようか思ったが、臭いくさいと取り合わない。食べさせれば気も変わるかと焼いて食べさせてやっても、それほど美味しくないと言う。大人が拾えば単なる銀杏泥棒でも、子供が拾っていれば微笑ましい秋の情景ということになるのだが、段々生意気になってきて親の言うこともきかない。


2003年10月19日(日) 某社U様、OW.C社の件

U様

先週はプライベートで会食にお越しいただき、ありがとうございました。招かれたのに割り勘とは是れいかに、というお気持ちもごもっともではございますが、大部長の権限もこれくらいということで平にご容赦ください。

その代わりと言っては何ですが、某国OW.C社の情報はお気に召したのではないかと・・・ムフフフフ。あっと驚く洗練されたビジネスモデルと既に従業員の確保まで計算し尽くされている周到さに、さすがのU様も舌を巻かれたのではないでしょうか。

最新の情報によれば、先方は商号を含む全てのパテントとあらゆるノウハウを譲渡しても良いとのことで、もし貴社グループでこのビジネスを展開されるおつもりであれば、その対価として5億円程度から交渉のテーブルに就けるのではないかと存じます。ただし、またしてもグループ会社が増え、業務量がかつての4倍になるかもしれないK様のご意向も無視できないところではありますし、もしかしたら文字通り自ら駆けずり回ることになるかもしれないT様など健康状態と相談が必要かもしれませんので、熟慮の上、社長とご相談くださいますよう。

それにしても、閉塞状況と言われるこの時代に資本主義経済を謳歌し、飛ぶ鳥落とす勢いの貴社にして、渦中にいる方々の感想が「あんまり変わらないよ、ネェ」というのも面白いものでした。往々にして当事者というのは、そういうものかもしれませんね。どのような事業であっても、環境は常に変化しますので現在の波動がどのように動くかにもよりますが、掴んだチャンスはトコトン生かして、一気呵成に登り詰められますよう期待しております。セルフイメージと外部者の持つイメージとは常に整合している訳ではないでしょうが、貴社のように誠実に取り組んでおられれば遠くない時期に必ず追いつくものです。

今回の割り勘に懲りず、またいつかご一緒させてください。今度はテレビドラマに出てくるようなシティホテルのバーカウンターでドライマティ二のグラスをチンとか交わすのがいいなァ。「おめでとう」「いや、ナニ、運が良かっただけだよ」とかニヒルに笑って、イヨッ大統領、カックイイ。







2003年10月13日(月) 旧友と新橋にて

先週の金曜日、中学校の同級生と新橋で落ち合い、「越後茶屋」という居酒屋の座敷に上がり込んで一杯。今年の春、新橋は家と反対方向なのであまり足を向けないと書いたのだが、たまにはこういうこともあるのか。SLが陳列されている駅前広場は待ち合わせの人々で大混雑だった。

お互い、同じような課題を抱えているせいか、話ははずんだ。昔、確かにそういうことがあって、思い出すことさえなかったことも話に出た。

しばらく話していると、前の上司から携帯電話。やはり旧友と飲んでいるとのこと。話の中で大部長の名前が出たのか、相手の方にも電話でご挨拶。金曜日は旧い友達と飲むに限るということのようだ。そうだね、翌日は休みだし、世知辛い話は今日でおしまい。大部長も、同級生も、前の上司も、そのお友達も金曜の夜はみんな雲の上でふわふわと楽しい時間を過ごしている。
実は隣の卓に座っている客も同級生同士だという。なんとなく話が合って談笑した。お一方は公務員、もう一人は外科医だそうだ。面白い話も聞かせていただいたが一部に気持ち悪いという感想も予想されるため割愛。

着物姿の可愛い女の子が注文をとってくれた。いまどき珍しく、ハキハキと気持ちのいい応対だと好感を持っていたところ、だいぶ経ってから中国からの留学生だと分った。上海の人だという。ちょっと中国語を話してみて、と頼むと、まじめな人なのだろう、上海語ですか北京語ですかと問い返す。上海語でなにやら唱えた後「素敵な方ですね」と言ってくれたと解説。上海語は音楽のように美しかった。












2003年10月05日(日) 大部長の施政方針

大部長、最近ひとりのメンバーと話をしていて思うところがあった。10月から他社に引き抜かれていった人のことを話題にしていたときのこと、「彼は仕事に自信があったから、何をしても許されていた。」と言う。何をしてもということの中には「何をしないでも」ということも含まれているのだろう。そして、それを指摘した人は「許されていた」のではなく、「実力者の振る舞いを許容せざるを得なかったのではないか」と言いたかったのかもしれない。大部長としては、彼は任せておけば仕事上必要なことはきちんとするので、あれこれ心配するより、預けっぱなしの方がうまくいくと思っていたのだが、人様から見ればまた違うのだと思い知った。

大部長の属する部署は一人ひとりがそれぞれのプロジェクトを担当して、業務を完結する。また、各メンバーは既に中核社員として位置づけられ、基本的には自律的に業務ができるものとして扱われている。だが、現実には要求される知識の量は多く、経験の幅は広いため、何年経ってもこれで十分ということはない。チーム全体の業務水準を維持し、さらにアップするためには、各自の遭遇した事例をケーススタディとして共有したり、あるいは制度改正によって新たな対応が必要になったときには知識を分業の形で吸収、消化しなければならない。このような、部全体でナレッジを共有しようという試みに対して彼は消極的であった。なぜか。会社が彼の知識、経験、業務ノウハウを正当に評価してそれに値する報酬を支払っていないと感じていたのではないか。彼は「どうせ勉強会をやるなら業務として行うべきで、発表テーマを与えてくれればきちんと報告する」と言っていた。「部内研究会」と称して形としては自発的に、だが現実には一方的に知的財産を供出させられることに抵抗していたのではなかろうか。また、積極的に手を挙げて良い子ぶりっ子をすることにも反発があったかもしれない。それでは、と上半期発表者とテーマを指示して公平にやろうかと思っていたが、後から後から押し寄せてくる仕事に忙殺されて(と、その時点では思っていた)結局、定期的に「部内研究会」を実施することはできなかった。
もう彼は会社から去っていった。新しい高層オフィスの窓から当社の方を見ながら、「大部長と称していても、何をテーマに研究しろと指示することさえ、できなかったではないか」と呟いているだろうか。

実際、評価と報酬は彼が期待するような明確な形では行われていない。だが、他のメンバーも全てが明確な報酬を求めているかどうかは分らない。
当部においては、なべて同僚は馬車馬のように働いているのであるが、ある者は同期の何百人かと伍していくには当然のことと思っているかもしれないし、ある者は求められている業務の質を追求すれば必然的にこうなってしまうと思っているかもしれない。また、業務に余裕のあるときには、純粋に知的好奇心の満足のために研究しているだろう。ごく稀に、誉められることの少ない私たちがお客様から直接感謝の言葉をいただき、この瞬間のために今まで一生懸命やってきたのだと心密かにガッツポーズをすることもある。

彼がいなくなって、おそらく「部内研究会」に無言の抵抗を示す人はなくなるだろう。だが、実態が彼の指摘するそのままであったなら、その矛盾はいつかまた別の彼が指摘することになるに違いない。大部長は、当部の本質は何本のプロジェクトをこなしたかではなく、どれほど上質の仕事をしたかであることだと確信を持っている。その意味では、忙しすぎるという状態はただそれだけでも危機的状況だ。それでも、私たちは当面その状況を乗り越えなくてはならない。自分が研究し、報告することで他のメンバーに何らかの示唆を与え、同僚の発表を聞くことで自らの未知の地平を切り開く。その好循環のうちに当部の業務の水準が上がり、実は当社のプレステージを高めていく。各メンバーが相互の啓発が自らの価値を高めるに役立つと実感するなら、「部内研究会」も継続されるだろう。

現状、確かに当部の業務は正当に評価されているとは言えない。忙しすぎて、しかも高い評価を受けていないのだとしても、下期、大部長はなんとかして好循環のエンジンを始動させたいと思っている。私たち自身の精進と研鑽により自分自身の価値を高め、将来、ある者は堂々と出世し、ある者は高い報酬でヘッドハンティングされ、またある者は異動先の業務に生かしていけばいい。

願わくば、多数のメンバーがこの趣旨に賛同して積極的に部内研究会を活用し、大部長がオフィスの席で心安らかに左団扇のコーヒーを楽しめるようご協力願いたい。なに?偉そうに言ってないで、お前も芸をして見せろって?ウヘッ。




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