ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEXpastwill


2003年07月27日(日) 夏、始まる

昨日まで、曇天続きで夜も涼しい日が続いていた。

7月27日(日)、朝は薄日が差すくらいであったが、お昼頃から雲も払われ、真っ青な空になった。かつて、梅雨明け宣言に一度失敗しただけで臆病者となった気象庁の宣言を待つまでもなく、今日が夏の始まりだ。

お父さんは感心にもチョッと休日出勤、そして夜は昨日に続き地元の夏祭りの交通整理係となる。いくつかの自治会が中心になってやっている夏祭りは子供たちも楽しみにしている。少年野球チームや老人会が店を出し、綿菓子や籤(くじ)を売り、箸置きなどを商っている。
会場中央には盆踊りのやぐら、会場の周辺にはちゃんとプロの夜店も出て本格的な夏祭りの装いである。祭りといいながら盆踊り、というのも真面目に考えてみると奇妙だが、宗教色は全くないので許されている。

小学生や中学生の男の子は小遣いを握りしめて悪ガキどもと徘徊し、女の子たちは浴衣姿で男の子の気を引く。かつての悪ガキどもは、小さな子を肩車したり、ヤンママとの間にヨチヨチ歩きの幼な子の手を引く。いい景色だ。




2003年07月21日(月) パラグライダーで飛んできた

那須高原は霧だった。

20メートルくらい先しか見えない状況で、中止になるのではないかと思っていたパラグライダー、専門家に言わせると実は風待ちの必要もない好コンデションだという。ビデオを見てガイダンスを受け、一度は飛び上がらずに走るだけ。本当に飛ぶチャンスは2回。


ゼイゼイとスキー場の斜面を登り、自分でパラグライダーを広げる。パートナーに凧上げのように本体を持ってもらい、両手を肩の高さにしたままコーチの指示に従って力いっぱい走る、走る。

パラグライダーが頭上まで上がった頃、合図があり、両手を頭上に上げてフロントライズを離し、手を肩の高さまで戻すとフワッと浮いた感じがしてヨシッと思う。だが、最初は失敗だ。初心者が失敗するのは浮いた感じがしたときにすぐ腰を下ろして「乗ってしまう」ことだそうだ。まだ、浮力が十分でないために、滑空状態で終わってしまう。これで十分な気もする。30センチ浮けば本望だと思ってやってきたからだ。ただ、欲も出るのが人間というもの。


2回目は、空中でも走り続ける覚悟で臨む。本当は、また斜面を登ってきたのでだいぶ疲れている。合図とともにソレッと駆け出す。最初にパラグライダーを立ち上げる力が要るのだ。ぜんぜん前に進まないような気がするが、負けずに頑張る。合図に合わせて、握っていたフロントライズを離す。手を肩の高さに戻して、なお頑張り続けるとフワッと浮く感じがする。ここで「乗ってしまわずに」ビデオで見た子供のように空中でもバタバタ走り続けていると、今度は本当に舞い上がった。


霧がかかっていたせいもあるかもしれないが、実は夢中だったので、空中でのことはあまり覚えていない。3メートルくらいの高さまで上がったのだろうか。着地してからコーチがガッツポーズをしてくれたのが嬉しかった。

ブーたれていた某パートナーも、二人でペアを組んだ息子たちも皆成功し、全員がハッピーだった。次男は来年も来たいという。小学生でもできるのは体重が軽いからだろう。非力な点はコーチが押してやればカバーできるので、最初から成功するのは教わったとおりにする小柄な子供たちだった。

優しく、しかし力強く励ましてくれたコーチの方々に感謝したい。


2003年07月13日(日) 祝 日記一年

インターネットを利用して日記をつけ始めてから1年が経った。よく続いたものだと思う。

改めて読み返してみると、色々なことがあったが、総じて楽しく生きているようだ。

身の回り、すなわち会社の同僚に読者が多いのは自ら宣伝したせいだ。

中学時代の友人も一人か二人、見てくれている。高校、大学の友人にはあまり知られていない。今度の年賀状で知らせてみようか。

遠くの見知らぬ人からメールが届くかと期待したが、それは外れてしまった。忙しいビジネスマンの興味を引くには、ただの身辺雑記では力不足なのだろう。当たり前だが、そもそも、大部長の存在自体が知られていない。

多少改善した方がいいのか、継続すること自体に価値があるのか、少し考えてみることにしよう。


2003年07月06日(日) 東京タワーを見下ろすレストランにて

美しく優しい女性と、東京タワーを見下ろすレストランで秘密の愛を語り合った。いつも直接日記のページにお越しの方は、右下の「HomePage」をクリックすると衝撃の映像を見ることになる。



(エ〜、のっけから白々しいウソで始まって申し訳ありません)


まあ、美しく優しい女性と一緒ではなかったが、行ったことは行った。そして、衝撃を受けたのは大部長の方であった。

5時に待ち合わせて、超高層ビルの最上階でエレベーターを降りると目の前は真っ暗だった。きっと展望レストランがいくつかあって店を結ぶ通路で時間つぶしができるだろうと思って多少早めに着いたのだったが、案に相違して進める方向は一方しかない。

ようやく目も慣れてきて薄暗い通路から店の入口を覗くと受付があり、長身の外人女性が「オープンハゴジハンカラニナッテマス」と話しかけてきた。「ヒエーッ あのあの、イエイエまた来ます。」とほうほうの体で逃げ出して1階のロビーに避難した。

ちょうど待ち合わせの仲間が来たので今度はいかにも堂々とした態度で挑戦した。受付も無事通過し、入り口を入ると周り中が全面ガラス窓になっていて東京のすべてが見渡せる。なんとひとつの入口から中に入ると中でバーラウンジと和食とイタリアレストランとに分かれているらしい。贅沢なスペースに細長いシャンパングラスを持った日本人の男とすらっとした外人の女性が女性週刊誌のパーティ写真から抜け出てきたように自然な姿で立って談笑している。

ビルの周りを3分の1ほど回るとちょっとした段差を降りてイタリアレストランになっている。

美しい景色だ。この方面はレインボーブリッジから東京タワーまでが見渡せる。東京タワーなど遠くに見るというよりほとんど隣り合っている。おのぼりさんの地が出てデジカメで「シャ、写真を撮ってもいいですか?」とスマートなウェイターのお兄さんに聞くと「それなら、ちょっと向こうに歩けば今はやりの六本木ヒルズも見えます」と案内してくれた。おのぼりさんにも親切にしようという従業員教育がなされているのだろうか。

席に着くとお飲み物は何にしますかと聞かれる。せっかくだからワインにしようとつぶやくと、同席した人々からどよめきが起こった。こんな高級なレストランでワインを頼むなんて、身の程知らずにもホドがあるというのだろうか。あるいは、銘柄を指定して頼むくらい高い教養があることに驚いたのだろうか。が、大部長が長身でハンサムなソムリエに厳かに宣言したのは「赤ワインのほうがいいな」という一言だけだった。

最初に出てきたのは美味しいシャンパンであった。なんでも、あまり泡が出ないのが特徴の特別製だという説明があったような気がする。そうか、泡が盛大に出るほうが高級ということではないんだ。覚えておこう。

次に赤ワインが出てきたが、理解できたのはボルドーがどうしたこうしたということだけで、あとは分りましぇ〜ん。実は大部長、アルコールには強くて一杯で十分なのだが、飲みっぷりが良かったのかおのぼりさんをからかうと面白いのか、違うボルドーもありますとまた赤ワインが出てきた。確かにこちらはちと渋い。「ウ〜ン、やっぱり違いますね」と頷くと例のハンサムで長身のソムリエはにっこりと笑った。

イタリアレストランといえば、パスタたっぷりで魚介類のグラタンが出て味は大味と思っていたが、何種類かのパスタが一口ずつ皿の端に載るくらいでメインディッシュも何とか鴨とビーフが仲良く盛られた懐石風であった。ワインはもう飲めないぞと密かに思っていると、さらにデザートワインをどうぞと奨められた。余の辞書に「デザートワイン」などという文字はない。甘くて美味しいと思ったら、畏れ多くも貴腐ブドウで作ったワインなのだそうだ。あっ、そう。

という訳で、高級ワインと格闘し、美味しい食事を満喫した大部長であったが、なんといっても度肝を抜かれたのは高級な雰囲気そのものであった。暗くなると、大柄な黒人の弾くピアノに合わせてすらっとしたやはり肌の浅黒い女性が歌っている。東京タワーもライトアップに赤くくっきりと浮かび上がり、なんとも夢のような世界が東京の空の上で繰り広げられていたのであった。

大部長の後ろ、窓際のカップルは誕生日なのか、店じゅうのウェイターが集まって囲み、ケーキに挿した花火がチラチラ輝く中で上気する二人の雰囲気を歌を歌って盛り上げていた。ある人が、ここは東京ではない、マンハッタンだと言っていた。まさにそのとおりだと、酔いの回った大部長は大きく頷くのであった。







MailHomePage