rioshimanの日記
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| 2002年08月28日(水) |
トリエステと記憶の町(続) |
閉館間際だったが、本はカードを受付に差し出すと係員がコンピュータの画面を確認してすぐ出てきた。 借りる時、もう次の予約者がいるので期限までに返却するように念を押された。 この本を借りる人はきっとイタリア旅行に幅を広げている女性かな、と勝手に考えたりした。
150ページの清潔感のある装丁の小さな本。河出書房新社から何冊か出版されている故・須賀敦子シリーズの一冊だ。 本はいつもの東京往復電車内のゆっくりした時間内で楽しませてもらった。 内容は須賀の夫ペッピーノが大好きで訪れたトリエステや周辺北イタリアの様子、現在甥っ子家族の住んでいるフォルガリアなど須賀敦子が辿った跡を丁寧に追跡している。 それらのゆったりと流れる北イタリアの空気を感じながら私も行ってみたい衝動を感じた。特に古都アクイレイアはこれまで全く私の知らなかった場所、とても魅力を感じる。機会があれば是非訪れてみたい。
須賀敦子の住んでたミラノは昨年までの私には旅の通過点としてのみだったが、実際にこの都市に滞在してみて、ミラノはこれまで私が勝手に思い描いていたビジネスだけの街なんかじゃなく、背景に深い歴史を持ち、又センスや落ち着きを持ち合わせていてこの都市が一度に好きになってしまった。これからもミラノを中心としてイタリアを訪れることになるだろう。
| 2002年08月27日(火) |
トリエステと記憶の町 |
今年の年賀状にも書いたが、昨秋のイタリア旅行中にトリエステのサン・ジュスト城で出会った盛んに町を写真に撮っていた若者が就筆して出版するという書籍のことが気になっていた。
5月頃になって新聞上の河出書房広告にその書籍のタイトルが載っていた。 間もなくして八重洲ブックセンターに行ってその本が売っていないか尋ねたが、まだ店頭に出ていないようだった。 それから本屋さんに行く度に見るようにしていたが、なかなかお目にかからなかった。 一方、図書館の検索も時々していたがこの方もなし。まあいつかその中に出るだろうと急ぐまでもなくゆっくりと待っていた。
ところが先月末だったろうか、10日間ぐらいの図書館長期休日があって不便を感じていたが、この間にデータも書き換えがあったのだろう、その本の名が書き込まれていた。 「須賀敦子のトリエステと記憶の町」。著者は岡本太郎。え、どこかで聞いたことのある名前!。 すぐにパソコンの検索で「岡本太郎」を引いてみる。見事に例の岡本太郎画伯と著書の名前がゴッチャになって列んでいる。 同姓同名。東京大学大学院イタリア文学科修士課程修了。須賀さんには東京大学大学院で教えを受け、以来、愛弟子また友人として親しく行き来していた。とある。 よほど須賀敦子さんに興味ある人とかでないと、こんなところに日本人はめったに来ないね、とその時トリエステの町を撮影しながら二人で話し合ったものだ。 彼はどこかそのような経歴の雰囲気を持っている青年だった。
図書館の検索で本の入っているのは一番近い中央図書館のみ。しかし貸出中と表示されている。 次に行った際まだ貸出し中とあったので予約を入れて来る。まだ2人待っている人がいるので1ヶ月ぐらいかかるかも知れないと言われた。何故そんなに人気があるのだろうと不思議に思った。
しかし連絡は予約申込みから2週間とかからず日曜日にあった。月曜は休館なので待ちきれない気持ちもあってそそくさと散歩がてら借りに出掛けることにした。
(NEXT)
今年の甲子園、夏の高校野球は高知の明徳義塾学園が優勝した。 今回は少しならず応援していたので正直言ってとても嬉しい。
この学校は高知県須崎市の太平洋に突き出た横浪半島の山の中にある。 街の賑やかさから全く隔離された位置にあり、生徒も寮生が多いと聞く。 野球部員はもちろん全員が親元からはなれ修行僧のような生活を送っている。 新聞によると部員118人の中で地元出身者は3人だけだそうだ。 強い選手を育てる目的のためだけに全国から生徒を集めている。
数年前帰郷した際、一度横浪半島に回り道をして(メインの道からそれているので) 偶然に側を通りかかり、地味な存在に、えっ!こんなところに、と驚いた記憶がある。
高知のチームは毎年いいところまで行くが少し粘りが足りないなあと何時も感じていたので 9回目の出場で初の優勝、良くやった「おめでとう」を言いたい。
それにしても須崎市、私が故郷にいた時には確か高知県の中で高知に次いで2番目に 大きな都市だったが現在の人口は約2万8千人と書かれている。全然増えていない。 小さくなったのかなぁ。
先週17日の土曜日に新マックがヨドバシに展示された。 午後5時頃訪れた時に見かけなかったので、今日発表というのはいいかげんなものだと感じたのだが そのうち店員がそそくさと二人やって来て早速展示の作業をし始めた。 側で見ていたが、いかにも嬉しそうな動作だった。 新しいマックの姿もなかなかのもの。
尋ねると今日入った分はもう売れ切れていて注文しなくては入らないとのこと。 もう少し様子をみることにした。 発表された時にはどんなことが起こるか分からず、他の人の評価が入らないと不安なのだ。 マックのメーカーのこと、点検も十二分で大丈夫だとは思うのだが。 購入するにしても一日二日そう急ぐこともなし、一度雑誌に講評が載って安心してからでも遅くない。 時々店に顔を出し、眺めながら余韻を楽しんでいる。 22インチか23インチのモニターと併せて購入することになるだろう。
今日明日にも新しい形のマッッキントッシュのパソコンを買おうと思っていたが、 今夜のメール号外でデザインが新しくなったマックが発表された。 変更は概観だけでなく、内容の方に大きな変更があったようだ。 まだ新機種の価格発表がないが、近日中にニュースが送られて来るだろう。 買うのはそれからでもいい。とても楽しみだ。
自分の場合新しいものにそんなにすぐ飛びつきはしない。何事もそうだ。 いま使っているマックを買ってからもう何年になっただろう。 あの時から今までにマックの新機種発表は少なくても5回はあった。 その間、新しいものを購入しなくても十分に仕事は出来た。 恐らく仕事としてマックを使っている職場の方々も殆どそうだと思う。 仕事の経費として十分償却して購入したいものだ。
それにしてもマックのデザインには新鮮な驚きがある。他のメーカーには感じられない独特のものだ。 国産ではソニーのデザインが群を抜いているのだが。
今日が今年の「習志野第九演奏会」のポスター等の第一回デザイン校正日だった。 この習志野第九演奏会も第25回。最初にこの演奏会が行われたのは習志野文化ホールが出来て、そのこけら落としとして開催された。一日ではお客さんが入りきらず、急遽開催日を追加して二日間の満員御礼となった。
その後、毎年暮れに開かれ今年でもう25年になる。毎年飽きずによくもまあ、と思うがその主催者側の熱心さも素晴らしいもので私もそれに乗せられ頑張って来たようだ。
しかしこの時勢で今年の予算はこの位でと決められてしまった。今までは2色刷りのところを良いポスターを仕上げようと3色刷りにしたり、カラー刷り(4色刷り)にしたりしてサービスをして来たが、今年のようにあからさまに価格を下げられて来るとこちらもそれではと明らかに二色刷りだと分かるデザインを提出した。 だが本当のところ色数を制限してデザインをする方が難しいのだ。少ない色でインパクトのある画面を作らねばならず頭を余計に使う。デザインの力がより必要となる。その苦労を考えると色数を増やしてでも欲しい色を使える方が楽なのだ。
その点では絵画の方が自由に絵具を選べて自由だが、これがまた色彩を多く使うと良い絵にはならない。 絵具を絞り込んで絞り込んで不要な色は使わないようにする。これが大変なのだ。
今は横に現在描いているギリシアの海の色を頭の中に思い描いている色に近づけるにはどんな絵具を混合すればいいだろう、と眺めながらそればかり考えている。絵の中でも一番重要になるだろう肝心な色を。
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