rioshimanの日記
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毎日がとても暑い。 なんとなく仕事はやっているが、明らかにスピードはのろい。 この日記も特別に書くことがないからとだらだらと書くのを諦めていると 書かない日がいつまでも続くことになる。
今日は一仕事を終えたところで、帰り図書館に寄る。 借りていた本を返すためである。 貸借期間は2週間であるが一度に5冊ぐらい借りて来るから 全部読むのに3週間ぐらいかかってしまう。 今回も絵の資料にしたいと借りたものだから 絵の制作に合わせてその間参考にしてたから期日を過ぎてしまった。 それに「ウィーンのカフェ」なんて洒落た装丁も美しい本を借りて来て これは東京に出掛けた電車をいつもなら快速に乗るところを 各駅停車鈍行にして車中で読んだ。とてもいい時間の過ごし方だった。
今日も5冊借りてくる。 マグリット・デュラスに関する本2冊と ミラノ、ヴェニスなどイタリアに関する本3冊。 マグリット・デュラスは全然知らない女流作家だが 書棚の中に偶然見つけ面白そうだから借りてきた。
また新しい世界が開けて来そうなワクワクした気分。
久々にサントリーホールにマーラーを聞きに行く。 以前は会場に行くのに虎ノ門や六本木から歩いて便が何かと悪かったが 数年前に銀座線などに新しく「溜池山王駅」が出来てから ホール近くまで地下道が通じて大変行きやすくなった。
今日は茨城交響楽団創立40周年記念演奏会でマーラーの第9番と サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲で 指揮は山下一史。
(未完)
テレビインタビューの番組でゲスト片岡鶴太郎が話していたが 彼の一日の食事は朝と昼、二食だけらしい。 彼は朝早く5時か6時頃起きる。 そして朝食を済ませ、仕事をしてお昼に食事をする。 それから翌日まで食事をしないそうだ。
夜にお腹が空かないのかと聞かれると その空きっ腹のストイックな感覚がとても好きだとのこと。 以前、彼はボクシングをしていたことがあるので そういう経験は十分味わって来た結果そう思うのだろう。 そうでないと今のような調子いい体形は保てないと言う。
これに似たような体験が自分にもあるので、その感覚は推測出来る。 ただこの頃は何も考えず欲望に身をまかせて行動しているに過ぎない。
私も彼の言葉を頭の隅に忍ばせて、 少しは努力して行動し、又ある程度は出来そうな気がする。 決められたように3食するのが常識ではなく、 各人それぞれで良いのではないか。
| 2002年07月23日(火) |
中村俊輔イタリア移籍 |
マリノスの中村俊輔がイタリアのレッジーナに移籍した。 レッジーナの本拠地はイタリア本土最南端のレッジョ・ディ・カラーブリアだ。シチリア島と向き合っている。ほとんどシチリア島といっていい。 昨年セリアAに2部から上がった。こういうところでなくては恐らく名も知らぬ日本の選手など採りはしなかっただろう。 ナポリからも急行で4,5時間かかる。オリーヴ油の日本への輸出や観光客を当て込んだ計算もあるだろう。カラーブリア地方といえば南イタリアの中でも最貧州なのだ。 彼には勿論がんばって欲しい。
ところで、これでイタリアでも日本人の名前を知ってもらえる。 ホテルなどでパスポートを差し出す時、その日本人固有の発音の珍しさに驚きを隠し切れないでいるフロントの顔の様子をまじまじと見てきたからだ。 今までは中田英寿の「中田」と今度の「中村」で私も日本人の名前の代表的なものに類していることを認識してもらえるようになる。これはとても嬉しいことだ。
先日NHK番組「ためしてガッテン」をみていたらこの頃お世話になっているエアコンの常識をやっていた。
この中で冷房温度のお勧めは28℃のことや扇風機を併用すると良いことはナルホドと聞いていたが、「エアコンのドライ」ではいままで考えていたことを完全にひっくり返されてしまった。
エアコンの設定温度を保つためにもっと低い噴出し温度を決める場所は噴出し口の中で、風量を弱くすると部屋の温度を保つ為にはその分だけ余計に冷たい空気を送り出さなくてはいけない、ドライでは湿度を飛ばすためにじっくりと空気を通しもっと余計に冷やさなくてはいけない。室温を下げないドライというのをうたっているのがあるが、その場合冷やした空気をもう一度ヒーターで暖め直している機種さえあると聞いて驚いてしまった。
今までは軽い気持ちでドライを使っていたが、つまり一番電気代がかかるのはドライだったのだ。ゲストの皆も驚いていたがおそらく世間のみんなも同じ考えだったのではないだろうか。聞いてみないと分からないこともあるものだ。目から鱗が落ちた感じ。
私の通っているグループ絵画教室には様々な職業の方が通っている。 先生から絵に対する厳しい批評を授かった後の開放された気分の食事会は実に楽しい。いろんな話題に花が咲き、臆することなく本音の話が出来る。 昨年、私は実父が糖尿気味だったので自分も少し気にしているという話をした。すると仲間一人の医師が調べてやるからと言って次週に検査器具を持って来て私の血液を試験管に3本たっぷり持ち帰って行った。 ただ中年腹というのか、私のおなかもそれなりに何度か多少出たり入ったりした経験があり、体重も学生時代から10kgは増えていたから何とかして元に戻せないだろうかとかは考えていた。 次週、団欒上で友人の医師はおもむろに血液検査のデータを懐から取りだし、一度病院に行ったほうがいいと私に切り出した。正常と危険の境目だと言うのである。 たっぷり砂糖を入れて味わったコーヒーや、疲れを癒すためケーキなど買って来るのをそれ以来スパッと止めてしまった。(未完、つづく)
毎週日曜日をクラブ活動に当てている身としては、今日の日曜日の練習が休みなので出掛けなくて良いとなると本当に休日の味が楽しめる。 いつもの日曜だとお昼頃になると午後1時の練習開始時間が気になりそわそわし始める。NHK素人喉自慢を横目で見ながら食事を口の中にかき込む。落ち着いてなどいられない。 今日はゆっくりと時間が流れるのを楽しみ、食べ物が本当に美味いと思った。 アマオケ活動も長いこと続けた。もうそろそろ自団の最前線から降りて又違った広い目で世界を見てみたい。 毎日曜日をオケの活動に取られていると日曜に開催される他の事業には顔を出すことは不可能だ。ここらで転換を図り、外に向かって顔を出して行こうと思っている。
私の仕事部屋には本が散らばっている。 いろんな資料本を引っ張り出して見るのだが、その後それらの本がどこにあるのかが分からなくなる。これを探すには自分の勘だけが頼りだ。
今日のような蒸し暑い日はその感覚も鈍って来る。探すのさえ面倒になる。 こんな時には気分転換に外に出掛けたいのだが仕事を急いでいる場合にはそうもいかず何ともならない。
またパソコンのホームページ作成の知識をもっと身につけて、パソコン表示画面を変えたいと思っているのだが。
日本のあちこちに被害を与えた昨日の台風が嘘のように、今日は抜けるような空だが同時に夏の暑さも運んできた。昼には気温が36度ぐらいになるとの予報だった。
銀座の画廊に大きなキャンバスを持ってはとても行けない。 途中で荷物を置けるとすれば東京駅ぐらいしかないだろう。階段あたりに沢山コインロッカーが並んでいるのを地下道を八重洲口に向かう時よく見かけた。 小さいのは沢山あるが大きなロッカーはなかなか見つけ出せない。 が幸いなことに偶然「臨時荷物預かり所」という係員のいる窓口を見つけた。地下待合所の傍である。ここならいくら大きな荷物でも大丈夫のようだ。 夕方6時には窓口のシャッターが降りるということだったがそこに預けることにした。
羽田の飛行機出迎えまでにもう一時間ぐらいしかなかったので先ず飛行場に向かう。 到着出口は1から5まであって手荷物の「ある人」と「ない人」では出てくる場所が違う。これにはまいってしまった。 姉達ははたしてどちらから出てくるか。短い滞在なのでおそらく「ない人」の1番口だろう、と一番見やすい椅子に腰掛けて30分待つが出てこない。 時々心配で数十メートル先の「ある」の3,4番口まで覗きに走る。 しばらくして義兄が回って来てくれて遭えたのだがとても不便を感じた。
銀座の個展を見てから5時過ぎ東京駅に行く。 荷物を受け取ったあと係員さんに大きなロッカーのあり場所を訊ね自分の持っているキャンバスが入るかどうか確かめる。 500円の割合大きなロッカーにギリギリだがどうにか入った。もう少し大きい(ゴルフ道具も入りそうな)のが600円。 一番多くて小さいのは1日300円だが、それにしても日本のロッカー料金は高い。 ヨーロッパを旅した時には大体100円ぐらいだった。
帰ってきてキャンバスの大きさを計ると約80cm×60cm(50P二つ折をバックに入れて)。あの時斜めにしてやっと入ったからロッカーの奥行きはおそらく55cmぐらいだろう。
台風6号が静岡県御前崎沖をこちらに向けてやって来ている。今夜半から明日の未明にかけて関東地方の沿岸を通過するようだ。 久し振りの台風。とても湿度が高い。動かなくても汗が噴出してきそうだ。 今年になって初めてエアコンを動かしドライをかける。 交通機関も半分ぐらいがストップしている。飛行機、新幹線、高速道路など。 明日に姉が飛行機で田舎からやってくるが少し心配だ。お昼出発なので大丈夫だと思うが。
日動画廊でどうしても見たい「石垣定哉展」がいま開催されている。彼は3,4年前に好きで購入したカレンダーに使われていた色彩感覚に衝撃的なものを感じてしまった作家だ。その後彼のレゾネなどを見あさり今後とも私には目の離せない画家になっている。 明日、羽田に姉を迎えに行く前に是非とも銀座に寄って行こう。夕方からの横浜である絵画教室に運ぶ大きなキャンバスP50号(二つ折り)を脇にかかえたままなので、邪魔になるのがちょっと気にかかるのだが。
| 2002年07月09日(火) |
久し振りのギリシア語 |
今日から始まったI駅前で開催しているT氏の個展に顔を出し、すぐ新宿のギリシア語教室に駆けつける。
行く電車の中で教室は高層ビルの何階だったかはっきり覚えていないのに気が付き受講票をもって来るんだったと少し心配したが、先週一度行った感覚を思いだしエレベーターを選ぶと真っ直ぐに教室に行くことができた。
五年振りのギリシア語教室。女性教授は体つきが少し裕福になり落ち着きが出て来たようだ。 実は先週行った時、パンフレットには記されていたが日程が変更になり授業は行われていなかった。 この教室では珍しいことではない。ギリシアで開かれる会議のため出張するとかで度々先生は不在になる。その間、日本で勉学しているギリシア人の学生が代わりにやってきてくれるのだが、日本人の先生の説明でもやっとついて行けるギリシア語がネイチャーの話す言葉となるとほとんど理解出来ない。そのうえネイチャーは日本語での説明がカタコト語でしか出来ないと来てるのであまり理解できず、そのうちに段々とお互いにパニック状態になって来る気配が感じられるのである。
教科書は以前の文法重視のものから会話重視のものに変更されていた。内容も日常会話を何度も繰り返しながら進んで行くもので大分考慮のあとがみられた。 巻尾には五カ国語の簡単な辞書が付いていて大変助かる。 幸いにも間が空いたにしても以前少し習っていたので感覚を取り戻すにはそう時間は掛からないと思う。しかし、四月開始のところ七月の今回途中で入られた方は努力しないと大変だろう。生徒約10名のところ古代ギリシア語を他の教室で今まで習って来た人のほか、全くの初心者の方が2,3人いるようだ。
仕事を与えられると先ず資料を探す。東京駅前の八重洲ブックセンターに出掛けることが多い。四階に音楽・デザイン関係のものが揃っている。経費の一割までは資料に使っても良いと考えていたので、欲しいものは買って来た。 そして仕事をする度に一冊一冊と蔵書が増える。 学生時代に買った歴史・哲学・芸術書など今差し迫って読む必要のないものは帰郷の際に田舎の家に大分持ち込んだのだが、仕分けするめんどうさからこの頃は進んでいない。
昨年春この近くに図書館が出来た。歩いて10分足らず。市立のとても大きな施設で生涯学習センターと併合であるが図書館部分の延面積は約一万平方メートル、蔵書は現在のところ約40万冊。喜んだのは言うまでもない。 一度に5冊ぐらい借りてくる。高価な美術書は数万円するものもあるので特にありがたい。
ところがこの10日間ぐらい総点検とかで図書館は休みになった。
今日は久し振りの開館日。待ちかねたかのように福井爽人の作品集を2点借りてくる。現在制作している人物画バックの参考の為に。
昨年(2001年)秋ギリシア旅行をした際に予期しないハプニングが起きた。全く計画してなかった見知らぬ島に二泊したのだ。
その名は「スペツェス島」。アテネから高速フェリーで最初に向かった目的の「イドラ島」で降りられなかったのが原因だが(2時間ぐらいの距離なのだが時刻表より相当早く到着した為まさか最初に着いたのがイドラ島とは判断出来なかった)フェリーはどこに行くか判らないままに長い間航行しつづけた。私は地図を懸命に見ながらこのあたりの対岸の名跡地に着くのではないか、目的になかった史跡を見るのも又いいのではないかと新しい旅の覚悟を決めた。 やがてフェリーは小さな島に横付けされた。そして客の大部分がゾロゾロ降りて行くので私の体も自然にどこだろうと後にくっ付き降りてしまった。
時刻も夕方になっていたので引き返すフェリーはないとのこと、仕方なくその日の宿を探すことにした。 後で調べて分かったことだが、このスペツェス島も人気あるリゾート地で、'86年には村上春樹氏が居をかまえ一時創作活動をしていたそうだ。宿には困らなかった。 私は港の周辺を数回廻って割合にこじんまりとし、花で飾られた宿の階段を上り二階部分にある入口のドアを叩いた。 しばらくして何事だろうという顔をした小柄で上品な老婦人が現れた。彼女の顔を見てホッとしたのか私の口から最初に出た言葉は、何と「二晩泊めてください」だった。全く予期せぬ出来事で自分でも自分の突飛な行動に軽い驚きを覚えた。
もう季節は10月、夏には海水浴客で賑わうだろう部屋たちはガランとしていた。道路側にある一番明るく小奇麗な部屋を与えられ、一人客である私にいろいろ気を使ってくれたことは言うまでもない。おばさんの片言の英語と私の片言のギリシア語とジェスチャーを織り交ぜながら。
緑色の島はのんびりとした時間が流れ、美しい砂浜やホテル前の海で数名の客が何の気兼ねもなく泳いでいた。二日間ずっと私は島を歩き回り、数枚のスケッチと数十枚の写真を残した。 出発の日にはほつれたバッグを縫って頂き、お礼に私は日本から写真集を送ることを約束した。
その約束は残念ながらも未だ果たしていない。 彼女に書いて頂いたギリシアの住所が判断できず、先日ギリシア観光協会に行って活字に直してもらって来る。
そして今月からはまた某カルチャー教室でギリシア語の勉強を再開する。 実はこの教室には少し問題があり、生徒の大半が一挙に止めてしまった経緯があるのだが。それに類することが何とまた今度の第一日目から起こってしまったのだ。 それらの事情をあるいは書く機会が訪れるかも知れない。
とにかくギリシア語の宿題が残っているのだ。昨年旅して一生付き合うであろう言葉の楽しい宿題でもある。先ずは第一課題として。
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| 2002年07月02日(火) |
rioshimanについて |
そう、私がパソコン・アドレスに使っている号「rioshiman」について説明しなければならない。
私は幼年時から世界地図を見るのが大好きだった。少年期を過ごした(約小・中学生時代に則している)高知県西部に位置する人口1,000名にも満たない小さな漁村の近くには、子供にとってなんとも読み難い名前のついた割に大きな川「四万十川」が横たわっていた。地図上で蛇のように曲がりくねり、その特異な形と共にその川の名を、私は何か獲物を得たかのように何度も繰り返して覚えた記憶がある。 そして故郷の方に思いを馳せるとき、緑の自然と共に決まって目に浮かぶ四万十川の悠姿。
パソコンでアドレスを付ける時、すぐ「四万十川」の名が浮かんだ。 しかし shimantogawaでは長過ぎるし、shimanto類もすでに十分に登録されている。そこで頭を少し回転させて他の言語のことを考える。 とっさに rio(スペイン語で「川」)のことを思う。私の好きなイタリアのヴェネツィアでは「運河」をも意味する。ブラジルの首都リオデジャネイロの「リオ」でもある。 それに「四万」をくっ付けて「rioshiman」。
眺めてみてこれは良い名前だと思った。「漁師マン」「漁師人」とも読めるのを発見した時の驚き。 私の戸籍上の実家の職業は漁師だった。
今ではこちらの方で主に覚えている。密かな喜びとともに。
 四万十川
以前から気になっていた日記に登録参加の初日7月1日。 さて使い心地は?
今日は一日中曇り空。とても湿気があり蒸し暑い。 昨日サッカーのワールドカップが小雨の中にでも終わってとても良かった。 ニュースでは各国の代表選手がバスに乗り込み母国に帰る様子が映し出され まだ昨日までのワールドカップ開催による興奮の余韻が漂っている。 その中で秋の演奏会用ポスターの構成を考えている。
それにしても一週間前までは自分達の演奏会と展覧会が重なって とても忙しかった。やっと平日が戻ってきた・・・
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