2008年02月27日(水)  母の愛 無償のようで 無償でない


相方の風邪をまなティ経由でもらい、この週末40℃の熱でまた寝込む。しかし一日で嘘みたいに復活。相方が咳き込むまなティと私を見て気の毒そうに、次に風邪引いたら家には帰らない!と言っていて笑った。

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人と人との関係って、危うくバランスを取るやじろべえみたいなもんだ。うまくいってる関係も、ちょっとバランスを崩せばダメになる。ダメになるときって、たいてい誤解かすれ違いか理解不足で、本当に悪意があることなんてめったにない。


まなティが体調を崩して機嫌激悪で、あれやだこれやだあれ欲しいそれやって、とキーキー要求ばかりしてくるもんで、最初はしょうがねーなーと思っていたけど、だんだん「やれやれ」という気になって、夜にはくたくたになって仕事中の相方に愚痴電話までしてしまった。

母の愛は無償の愛と言うけれど、私はそんなことはないと常日頃から思う。ちゃんと、かわいい寝顔とか、甘えるしぐさとか、満面の笑みとか、ママ大好きなんて言葉でご褒美をもらっているからやっていけるのだろうと思う。それらが一切なければ、とてつもなく心の広い人でない限り、育児ノイローゼにでもなんでもなってしまうだろう。

まなティを外で遊ばせていると、癇癪持ちというか、前後の見境なく暴れて、叫んで、ほかの子にいじわるしまくる子供というのがたまにいて、そのお母さんは皆に謝り通しで気の毒になる。我が子なんだからかわいくて当然、ではない。もちろん、その子の家での姿はかわいらしいのかもしれないが、それでも外でいつもああなら相当疲れるだろう。


何が言いたいのかというと、人と人との関係において、たとえどんなに親しい仲でも、ちょっとした潤滑油になるものが必要だということである。家族とか気の置けない仲こそ油断大敵で、ちゃんと感謝の気持ちを伝えたり、笑顔を心がけたり、相手を思いやる言葉を忘れなかったり、そういう些細なことが関係を良好に保つのには不可欠である。

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去年の4月に英語の偏差値40切ってた子を、1年足らずで中央大学に入れました。すばらしい。本人の頑張りもすばらしいけど、私が一番スッバラシイ、とホクホク自画自賛中。


つづく。


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・自分でもうまく言えないなぁと思ってたんだと思います。
 突然堤防が決壊したみたいに(?)、
 ブロッコリーと言えるようになってました。おもしろい。

・ちょっとぉー、久しぶり!
 今どこで何やってるんだろうか、と時々思い出していたよ。
 そっかー、2級建築士かー、あのYちゃんがねぇ。
 そしてもう26歳かぁー。なにもかもがすげぇなぁ。
 頑張ってるんだね。
 子供はまだいいでしょ。やりたいことやればよいよぉ。
 私の26歳なんて、あの渡豪した年だわよ。
 またここに時々遊びに来てメールちょうだいね!

2008年02月20日(水)  焦らせる 大人の予定に 巻き込むな


夜寝かしつけているときのまなティはなんだか弱気で、「ママ、赤ちゃんが生まれたら抱っこいっぱいできる?」とか「ママ、赤ちゃん生まれなくてもいっぱい甘えていい?」とか言ってくる。いつもは強気なまなティも下の子が生まれることで色々我慢してるんだなぁと、胸がキューンとなる瞬間。実際に下の子が生まれたら今以上に我慢しまくりそうな性格なので、しっかりサポートしてやらんといかん。

そんなまなティだが、今日突然ブロッコリーが言えるようになったようで、「ママ、ママ、ブロッコリー言える!」と驚いた表情で報告しにきた。「昨日までなんて言ってたっけ?」と聞くと、「昨日はボッコリーって言ってたね」と照れ笑い。そして、「『おやすみー』も昨日は『おさみー』だったの」と。まなティよ、昨日から今日までの間に何が。異様な言語発達に自分でも驚いているまなティなのである。

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時間のユトリって、子育てに不可欠だ。大人の忙しい時間にのみこまれた子供への悪影響って、案外デカイと思う。私は幸い自由業で拘束される時間が短いし、仕事の間は近くの実家に頼りっ放しなので、かなりユトリを持って子育てができているが、お母さんがフルタイムで働いている場合、なかなか大変だろうと思う。

時間のユトリがなくて起こる問題は、大人が焦ってイライラモードになる、子供を急かす、子供の話をゆっくり聞いてあげられない、子供と一緒に遊べない、子供の成長やSOSを見過ごす、などなど考えられる。

子供って小さいうちは、本当になんでも時間がかかる。食事ひとつとっても、モタモタしてるし、手や口の周りやテーブルをベタベタにしたり、床に味噌汁をぶちまけたり。着替えもお風呂も寝かしつけるのも一苦労だ。話す内容もまどろっこしいので、時間がないときはイライラするだろう。子供との生活は、大人だけだった頃には予想もできないような事態がしょっちゅう起きて、そのたびに時間がかかるのだ。


私はたいてい「まあ、のんびり行こうや」というスタンスだが、それでも出かける前なんかは「ほらほら、早くして」などと少し急かしたりしてしまう。そのたびに、「大人の作った予定に子供を巻き込んではいかん」と自分に言い聞かせ、少し焦りモードになっていた自分を引っ張り戻す。

子供に時間がかかるなら、その他で時間を短縮するしかないだろう。最短で物事が済むように、生活用品を並べ替え、無駄を省く。子育ては知恵の勝負だ、と最近思う。

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相方が風邪を引いて寝ている。相方は最近風邪を引く頻度が上がった。足りないものは運動だと自己分析していた。


つづく。


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・私はそのつもりで、半分まなティの成長記録として書いています。
 だって、いつ頃どんな風だったかなんて、
 すぐ忘れちゃうんですよ、私。

2008年02月16日(土)  思いやり 育てるよりも 想像を


毎日電車に乗っている。妊婦になってシルバーシートにお世話になることもたまにある。そうなって初めて、シルバーシートって案外みんな意識しないで座ってしまうんだなぁということに気づいた。

私にとってシルバーシートってよっぽどのことがない限り座っちゃいけない席で、前に立つどころか近寄りもしないゾーンなんだが、注意してみてみると若い男も女も何の躊躇もなく座っている。前に年配の人が立っても何も気にすることなくおしゃべりに夢中になっていたりして。

日本人って、こんなに冷たかったっけ?と思うほど、ムカツクほどに他人に無関心だ。東京だからか。


関係ないが、うちの相方は席が空いていても座らない男だ。なんでと聞いたら、「自分よりも座りたい人がいるから」だそう。そういう優しさと身軽さが好きだ。我れ先にと席に座る人って、独断と偏見で、仕事のできないヤツだと思う。思いやりがなく、疲れていて、ケツが重そうだから。

この腹の子が男の子だったら、相方に席に座らない男に育ててもらおう。男の子は父親に教育されるのがいいと思う。母といる時間より、父といる時間を大切に。男の子は男親から学ぶことが多いと思う。そして、相方に教育されれば、必ずや強くたくましく男前になるであろう。

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自分の子供には思いやりのある子に育って欲しいなぁと思う。他人への思いやりってどうやったら持てるようになるんだろうか、と日々考えているが、一番大事なのは想像力を育てることなのかもしれんと思う。


私の机の上に、この前ディズニーランドに行ったときに買った友達の子供(以下、ヒロちゃん)へのお土産が置いてあって、それを昨日まなティが見つけて、どうしても欲しいと言い出した。

私が「ヒロちゃんへのプレゼントだから絶対ダメ」と何度も言ったら、じゃあミッキーの袋だけ欲しいと言う。袋だけならいいかと思い、中からプレゼントを出してミッキーの袋をまなティの前に差し出したら、真剣な顔で、

 「ヒロちゃん、ミッキーの袋持ってない?」

とまなティ。「持ってないと思うよ」と答えたら、なんと、

 「じゃあいらない。ヒロちゃんにあげる」

と言って隣の部屋に駆けて行ってしまった。

取り残された私は呆然と、たった2歳2ヶ月の頭で、目に見えない他人の感情をいったいどうやって想像しているのか、と驚愕してしまった。


さらに、こんなことも。小さな大福が6つ入ったパックを私とまなティで食べていたときのこと。私が3つ食べて、まなティが2つ食べて、パックには1つだけ大福が残っていた。それを指差して、「まなティ食べていいよ」と言うと、「ママちゃんと食べた?」と聞いてくる。「食べたよ」と答えると、ニッコリ微笑んでやっと最後の1個に手をつけたのだ。


ほかにも、DVDや絵本の登場人物に共感して大泣きしたりなんてしょっちゅうだ。まなティは感受性や想像力に優れている。ちょっと強すぎるほどかもしれない。このまま、この感受性と想像力からくる優しさを潰すことなく歪めることなく育ててあげたいと切に思う。


つづく。


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・出会いって不思議で面白いですよね。
 世の中には最高の相性の相手(Better half とかいうんでしたっけ?)
 が必ず1人存在すると言いますが、
 なんかそういうのあると思います。

2008年02月09日(土)  女の子 生まれながらに 女の子


この前、児童館で私と同じ妊娠7ヶ月の人と話した。その人、ものすごく細い人だったのだが、お腹が全然出ていなくて、全くと言っていいほど妊婦に見えない。一方私の腹は結構目立つ。

痩せている人ほどお腹の出っ張りが目立たないというのは聞いていたが、どうしてなのかなんとなくわかった。痩せている人は、骨盤内に余裕があるのだ。私を含めた太めの人の腹の中は脂肪でいっぱいなので、内側に子宮が膨らむ余裕がなくて前にせり出してくるのだろう。妙に納得。

その人ってば、身軽でうらやましかった。私なんて、前かがみの体勢がすでに結構ツライ。私も3人目があるとしたら、絶対に痩せてからにしようと心に誓った。快適妊婦生活を一度味わってみたいものだ。ふう…。

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女の子って、教えなくても生まれながらに女の子だ、というのをまなティを見ていて日々思う。

やれと教養したわけでもないのに、毎日ままごとや人形の世話ばかりしている。洋服を買いに行けば、ピンクの花柄のワンピースを選んできて、「これかわいーねー」なんて言ってるし、DVDはたくさんあるのにディズニーの『シンデレラ』ばかりリピートしてみている。絵本も姫系が出てくるのがお気に入りだ。

大人と遊ぶときも、美容師か医者になりきって大人を座らせて、「はい、チョキチョキしますからね」とか「どこが痛いですか?」なんて世話好きっぷりを発揮。私や母がキッチンに立っていると、自分も皿を洗うといってきかないので、隣に椅子を置いてあげて「洗い物」をしてもらう(もちろんあんまり上手とは言えないが)。お風呂では私の背中を流させろとうるさいし、外でどこかの赤ちゃんの泣き声が聞こえてくると、「どこで泣いてるの?」と必死に探したりする。


まなティの世話好き&女の子っぷりは相当だ。母に聞くと、私はぜんぜんこのタイプではなかったらしい。ままごとも縫い物もお人形も大好きだったが、「世話好き」というのとは違ったらしい。

下の子が生まれたら、まなティはさぞや喜ぶことだろう。目に浮かぶようだ。今もすでに私のお腹をなでながら子守唄を歌ってくれたり、お風呂でお湯をかけてくれたりするほどだ。楽しみ楽しみ。


関係ないが、まなティはおへそが開いてそこから赤ちゃんが出てくると思っているらしく、おへそを指さして「赤ちゃん見たいから、ママおへそ開けて」と言ったりする。

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受験シーズンど真ん中なので、デカイ腹抱えて週6で仕事している。家事をするのは億劫で「難儀だなぁ」と思うが、仕事はなんてことないのが不思議。授業中、お腹の子供もズンドコズンドコ元気である。

今年書く教材の案が頭の中で徐々に具体化しているので、受験シーズンが終わったら早速書き始めようと思っている。当初は1冊だけと思っていたが、今は3冊は書きたい気持ちだ。今ある教材ではダメな場面に出くわして一時期悩んだりもしたが、お陰で新しい教材の案が浮かんだ。仕事での悩みって、次への飛躍につながる。


つづく。


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2008年02月07日(木)  すばらしき 恋愛感情 友情に 


昨日、まなティと児童館に出かけようと黙々と準備をしていてふと後ろを振り返ったら、まなティが立っていて、悲しげな顔でポツリと「ママ、全然お返事してくれないね」と。うわっ、やっちまった!と思った。私って何かに没頭すると人の話が聞こえなくなるのだ。そういえば、後ろでずっとまなティが私に何か質問してたような。愕然として、「ごめんね、ごめんね」とまなティをギュッと抱きしめてもう一度質問の内容を聞いた。

まなティは一日中マシンガンのように質問してくるので、だんだんと私の中で雑音化(ヒドイ!)している感じだ。気をつけねばいかん、と肝に銘じた出来事だった。

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今日は結婚記念日だ。付き合って6年、一緒に暮らして5年、結婚して4年。チーズケーキを作っておいたので、夜コーヒーとともにささやかなお祝い。

生物学的に言ってヒトの恋愛感情は4年しかもたないというのを聞いたことがある。動物として、子を作って子供が少し成長するのに必要なのが4年という期間なんだと。確かに、私の相方への感情ももはや恋愛感情ではない感じだ。恋愛感情だった期間って、4年なんかよりずっと短かった気がする。


私たち夫婦は、共通の趣味がない。というか2人ともこれといった趣味自体ない。職種も違うし、性格も違う、酒も飲まない。似ているところといえば、お互いに友達が少ないところだ。だから仕事以外はいつも一緒だ。夜は一緒にコーヒーを飲んだり、同じ部屋で別々のパソコンに向かったり、休みの日は大抵、買い物、外食、子供の遊び場、本屋、カフェ、だ。

それでも飽きないし、退屈しないし、話は尽きないし、笑いっぱなしだし、もっとずっと一緒にいられればいいのに、と思う。ときどきまなティも猫のパスカリーナも私たちの仲を嫉妬して、邪魔しに来たりするほどだ。


私たちをつないでいるものは、友情に近いと思う。それもお互いを高め合える友情だ。相手のパーソナリティを尊重しているので、相手の話をよく聞いて、気持ちをくんで、自分の非は認め、自分を変えていける柔軟性を素直に持つことができる。私はこんなに人の忠告に従順になれるのは相方しかいない。


まだまだ発展途上の私たちなので、これからどんな風に成長して、2人で何を築いていくのだろうか、と我ながら楽しみだ。


つづく。


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2008年02月01日(金)  シアワセな ニコニコ子供 作るため


上等の空気清浄加湿器を奮発して買ったら、空気がウマイ。ンパンパ無駄に呼吸したくなる。いやほんと、大都会の水道水と、清流の水くらいの違いはあるんじゃないか。相方がハウスダストアレルギーなので、まなティもそろそろ気をつけてやらんとと思って。前までは布団をバサバサ敷いたあとはしばらく咳で寝付けなかった相方が、ひとつも出ないまま安眠している。スゴイ。

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最近思うこと。子供を幸せな人間に育てるには、親との信頼関係をがっちり築くことだろう、と。もう、それしかナイ。いや、親じゃなくても、身近にいる大人ならジジババでも、なんなら近所のおっちゃんでもいいと思う。とにかく、その子供より年上の一目置ける大人との信頼関係。

信頼関係をうまく築けた子供は、何よりも心が平安だ。なぜなら、自分のことを十分理解して、受け入れて、見守っていてくれる人がいるから。そうなると何事もうまく運ぶ。情緒が安定して、勉強にも集中できるだろうし、自信も出るだろうし、人に優しくするユトリができるだろうし、何かに依存することもないだろうし、人の話に耳を傾けるようになるだろう。

子供を幸せにするためには高学歴をと必死になっている親がよくいるが(仕事がらよく目にするのです)、そんなところに幸せの入り口はないし、逆に、欲丸出しで必死こいてる親との間に信頼関係なんて築けない。親は、子供の幸せのためと言うだろうが、本当にそうか? 子供はきっと違和感を感じているだろう。


最近のまなティの様子を見ていて思うのは、私の心が平安な日はまなティの心も平安だということだ。まなティの機嫌が悪いとき、ふと立ち止まって考えてみると、必ずと言っていいほど自分の心が不安定なときで、知らず知らずのうちに思いやりのない態度や言動でまなティと接していたりする。または、上の空ということもあるだろう。

子供って、機嫌がいいときは本当にいい子だ。モリモリご飯を食べて、目を輝かせて遊び、友達にも優しくし、親の注意も素直に聞き、お風呂も寝るのも嫌がらない。そういう日を振り返ってみると、自分も調子がよかったし、まなティの姿を見てよりいっそう心が弾んだりして、好循環なのだ。


そんな日々の観察の中で、子供との信頼関係を築くには、まずは自分の心の平安ありきなのだと実感した。心が平安なら、子供が何をやっても感情まかせに怒ることもないし、落ち着いて話も聞いてあげられる、子供も親の顔色をうかがうこともないだろう。

まなティの集中力が散漫で、情緒不安定で、友達に意地悪したり、聞き分けがないときは、自分の姿や態度を振り返ってみる。そうすると、自分自身が、集中力散漫でまなティの話を上の空で聞いていたり、情緒不安定だったり、ちょっとばかり意地悪な気持ちになっていたり、人にばかり変化を求めていたりするのである。(今思いついた具体例:子供に「おとなしく待っててって言ってるでしょ!」というわりには、自分は日頃子供を急かしたりしてるとか)本当に、人の姿って、鏡に映った自分の姿だ。


子供をいい子に幸せに育てたいなら、怒ってあれこれ命令するより、子供の話をよく聞き、よく理解し、安定した首尾一貫した態度で、冷静に、あたたかく見守って、受け入れ、信じて、信頼関係をがっちり築くことである。

私自身、子供の頃にこの信頼関係を築き損ねて、今相方との間に構築中で、毎日子供の気持ちで実感しているのでよくわかる。なんかギリギリセーフで間に合った感じだ。


つづく。


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>>「匿名メールフォーム」へのレス

・ありますよねー。
 うちは、まなティが「あの猫は歩ける?」とか聞いてきて、
 「歩けるんじゃない?」と答えたのに、
 「誰が?」とか返されると脱力します。
 でもまあイライラはしませんが。
 どちらかというと、笑ってしまいます。「おいおい」と。
 子供なりに色々考えてるのでしょうなー。計り知れませんな、子供は。

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