たそがれまで
DiaryINDEXpastwill


2005年12月16日(金) サンストン



ふと気になった。
気にし始めたら、ずっと頭から離れない。

もうずっと前、
私がセーラー服なんて着ていた時代のクリスマス。
私は「とりあえず愛してます」と書かれたミラーを貰って
なぜか泣き出してしまったのだけれど
私はプレゼントをあげてたのかしら・・・

何も渡してないくせに
貰ったプレゼントに難癖をつけたんだっけ・・・

あ〜どうだったか思い出せない。

想い出って、自分の都合の良いことだけを
美化して覚えているもんだよね。

だってその年の誕生日に
一升瓶のお酒を渡したことだけは
しっかりとしっかりと覚えているんだから。

楽しかったよね、
海が見える茶店でたくさん喋ったよね。
もう21年も経っちゃったよね。

お互いトシとったね。
お誕生日おめでとう。

もしも記憶があったなら
私からのクリスマスプレゼントの内容を教えてよ。
どーしても思い出せない。



2005年12月08日(木) 最後の夜に




明日、母を送って行く。
前に日記で『あと一週間』と書いたけれど
その後一週間延びて、3週間の滞在だった。

前半はあれこれと出かけたものの
疲れが出たのか母が鼻風邪をひき
後半はのんびりゆったりと。
それは『日常生活』そのものだった。

今夜の食卓にも母が作った
長芋と蓮根の煮物が上がった。
長芋はほくほく炊けていて
蓮根もまた美味だった。
あ〜、これぞ母の味。



土産物を箱に詰める母に
小さな袋を渡した。
それはお年玉を入れるポチ袋ほどの大きさ。

中には我が家の鍵と
我が家への道のりを記した紙、
そして片道だけの交通費。

そんなことは起こらないと思いつつも
もしも何かあった時、
母はここに来ればいい。
どこにも行き場が無いんじゃない。
そう伝えたかっただけ。

お守りと云うにはおこがましいけれど
そう思ってくれれば嬉しい。



長居をしてしまって・・・
何度もそう言う母。
だけど、本当に嬉しかったんだ。
私も、子供達も、そして夫も。

クリスマスプレゼントを母に贈ろうと
言い出してくれたのも夫だった。
最後の夜だからとせっせと布団を運んで
祖母の横を取り合ったのも子供達だった。

こんなに長い時間を一緒に過ごせて楽しかった。

いつでも歓迎するから。
また来て。






東風 |MAILHomePage

My追加