たそがれまで
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2005年11月28日(月) 母娘ごっこ




先々週に養母の法事のために家族で帰省した。
帰りに実母を車に乗せて一緒に帰宅。

あれから1週間、母娘ごっこのような毎日を過ごしている。
平日は洗濯をしてくれ、夕飯にも母の手料理が一品並ぶ。
一緒に台所に立ち、あれこれと料理も教えてもらった。

休日はあちこちに出かけ、紅葉の具合に一喜一憂し
名物料理に舌鼓を打つ。
最近家族で出かけることも少なくなっていたけれど
母が一緒だと子供たちも喜んでついてくる。

こんなに長い時間を過ごすのは
息子を産んで、産後の一ヶ月を世話になった時以来かな。


この一週間、親バカだけれど子供たちの成長ぶりに目を見張る。
実母と会う前に一度だけ、子供たちに言ったをことを
精一杯実行してくれている。


お祖母ちゃんが言ったことはママやおとうが言ったことと同じ。
つまり、ちゃんと言うことを聞かないといけない。
それから優しくしてあげてね。・・・・・と。

食卓に見たこともない料理があると、祖母が作った料理だと気づき
嫌いなものでも一生懸命食べている。
祖母が見ていない時に顔をしかめながらも、
見ていると美味しそうに食べる。
祖母が洗濯物を畳み始めると、言われもしないのに手伝う。
自分がお茶を飲む時は祖母の分まで煎れてあげる。
お菓子も必ず「食べる?」って訊いて自分の分を分けてあげる。


一昨日は隣に布団を敷いて寝るんだと
二人ともが自分の布団を2階から降ろしてきた。
川の字に布団を敷いて3人でしばらくお喋りをしていた。
母の嬉しそうな笑い声、子供たちの笑い声。
夫と私は静かに2階に上がった。

数えあげたらキリがないが、
こんなに優しい心で接してくれていることが嬉しい。
一緒に暮らしていたらこうはいかないのだろうが
それを差し引いても、私には十二分に嬉しい。


子供たちがまだ小さい頃、
養母が入院している病院に見舞いに行った時も
楽飲みで飲ませてあげる順番を決めたり
車椅子を押してあげたがっていたっけ。

あの頃から優しい気持ちをずっと持っていてくれたんだと
改めて確信した。
もしかしたら、祖母がくる前の私の言葉は
この子達には不要だったのかもしれない。


うん、宿題を少し忘れたくらいでガミガミ言うのはやめよう。
うん、ちょっと片づけが下手だからって拳骨するのもやめよう。

それよりもう〜んと大切な物を持っている。
このまま一生持ち続けてくれたら・・・と
親として切に願う。



あと一週間、母娘ごっこが続く。
一週間後には「ごっこ」という字が
きっと取れていると思う。











2005年11月15日(火) 25年目の夜




毎年、今日という日になると
あれから何年と数えてしまう。

今年で25年
もしも結婚していれば銀婚式ほどの長さになった。
夫と私が出会って、それだけの時間が流れた。


先日、炬燵にはまり込んで出られなくなった時
横にいた息子に引っ張ってくれと両手をだした
(そりゃまあ自力でも出ることくらいできたのだけど)

意地悪な顔をして見て見ぬ振りをされてしまった。
だけどそれでメゲる私ではない。
でっかい声で「ポパイ、たすけてぇぇぇぇぇぇ」と叫んでやった。
しぶしぶ息子が手を出しかけた時、夫が階段を駆け下りてきた。

「ワ〜オ、なんてこったい」
そう言いながら私の両手を引っ張り出してくれた。
この妻あってこの夫あり・・・・



いやいやそう話しではなくて、
いつも夫は私を助けてくれるってこと。
困ったことに遭遇すると、私はいつも叫んでいたように思う。
「たすけてぇぇぇぇ」って。
すると夫はどこからともなく現れて、ポパイのように助けてくれた。
幼かったあの頃も、
大人になったあの時も。

甘えてばかりはいつまで経っても同じ。
だけど、ほんの少しでもお返しができたなら・・
そんなことを考えた25年目の夜。








なのに、夫は飲み会で帰りが遅い・・・・・(怒)








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