台所のすみっちょ...風子

 

 

挨拶。 - 2005年06月30日(木)

おとといの深夜、いけないのだが、ゴミをこっそり捨てに行った。

ここでは、基本的に、前日にゴミを出すのはご法度。

で、当然、できるだけ音を立てないように、

コソコソと郵便受けのあたりまで行くと、

すぐ前の道に2人の警察官の姿が見えた。

なんたってやましい気分満々なもんだから、お縄になるような気がして、

思わずゴミを持った両手を後ろに隠しそうになった。


さて、良く見ると、そこには警察官の他にもう一人いるのだった。

背の高い、色は地味だが、柄は派手、といったアロハシャツを着た

丸坊主の50歳ぐらいのおじさんであった。

カタギではないことは一目瞭然。

警察官の2人に職務質問されている様子である。

ゴミを片手にすれ違いざまに聞いてみると、

「そりゃあね〜、確かに息子の友達にツバは吐きかけましたよ。
 うるさかったもんでね」

とオヤジ。

それだけでは、何故、彼が警察官に囲まれてるのか、ちっともわからない。

ツバを吐きかけられた友達の親が彼を訴えたのか・・?などと

想いをめぐらせつつゴミを捨て、帰りに再度耳を傾けてみる。

すると、

「いや〜、実はね〜、俺、離婚されちゃったんすよね〜」

と、オヤジったら身の上話を始めていた。

結局、彼が何故、警察官に職務質問されていたのかは、解明できなかったのだが、

1、カタギでないような人が・・・

2、警察官に・・・

3、職務質問・・・

と、三拍子揃った、「警視庁24時」みたいなシチュエーションが

面白くて、旦那の帰りを待って、早速このことを言ってみた。

「〜というわけだったのよ」
「ふ〜〜ん」
「ねえねえ、そのオヤジ、絶対、ここの住民だよね」
「そうじゃん。ここの前にいたんだから。ナニ?おまえちゃんと挨拶した?」
「えっ!?あの状況で・・・?」
「当たり前じゃ〜ん。ダメだよしなきゃ。挨拶はどんなときも大切だよ〜〜ん」


だから、職務質問中だったんだって!


おしまい。


...

機転。 - 2005年06月29日(水)

私がまだ予備校生だった頃のこと。

ある日、父が東京に出張に来た。宿泊は有楽町の某ホテルであった。

せっかくだからと、有楽町でご飯を食べることになった。

私の父は何かと見栄っ張りなところがある。

待ち合わせをし、ブラブラ歩いて、父が「ここで食うか」と私を誘ったのは

帝国ホテルだった。

さて、二人でロビーを歩いていると、公衆電話の前に立っている外人が、

英語で何か言いながら、私達に向かってしきりに手招きをする。

良く耳を傾けてみると、「ホワット タイム?」と時間を聞いているのであった。

咄嗟に口から英文が出なかった私は、猛ダッシュでその外人のところまで

駆け寄り、自分のしていた腕時計の文字盤を彼に見せた。

その様子を見ていた父は

「なかなか機転が利くじゃないか・・」と感心したそうである。


先週木曜日、友人M子と「アールデコ展」を観るため、

上野の美術館で待ち合わせをした。

美術館は上野の「公園口」にある。

だが、考え事をしていた私が出たのは「南口」。

ほとんど見覚えのない景色に呆然としつつ、

「美術館の周りには木がいっぱい」という覚えだけを頼りに、

緑がこんもり茂って見える方に向かいながら、両脇を高い塀に囲まれた

細い道を歩き始めた。

ところが、行けども行けども、美術館は見えない。

そのうち、見えて来たのは、寺と中学、あとは道の脇に車を止めて

昼休憩をしているタクシーばかりである。

待ち合わせの時間はとっくに過ぎている。

ついに、私は止まってる中の一台のタクシーの窓を叩いた。

「すみません・・上野の公園口ってどこですか?」と。

顔を出した、五十ぐらいのタクシーの運転手さんは親切で、

熱心に説明してくれたのだが、ざっと聞いただけでも遠そう。

私は言った。

「あの〜、休憩中だとは思いますがぁ〜、乗せてくださいなんて・・
 ダメですかぁ〜?」

運転手さんは、一瞬、戸惑ったようだったが、ドアを開けてくれた。

案の定、走ってみると距離がもの凄くある。

本当に声をかけて良かった・・と自分の機転に大満足であった。



この機転がなぜ、面接時に出ない・・・。



おしまい。


...

就活その7 経済の巻。 - 2005年06月27日(月)

先々週、三週間も前に応募したところから面接の連絡が入った。

もう戻るまい・・と思っていた、前のテキスタイルの業界である。

社長から直接連絡が来たのだが、こんなに遅れたのは、

曰く、「たくさん応募が来ちゃって・・」だそうで、

先方もその反響に驚いているようだった。


早速、週明けの月曜日に行ってみると、

会社は普通の民家って感じで、シルバープレートに黒い字で

会社名が刻印されてなかったら、まるで新婚さんが建てた家のようだった。


面接が行われたのは、小さいリビングみたいな社長室である。

で、事前に送っていた書類をもとに、何を聞かれるのかと構えていたら、

まず、初めの40分は自分がこれから会社を通じて何を成し遂げたいか・・という

社長の夢であった。

その具体的な内容は割愛させていただくが、とにかく夢がデカイ。

夢見がちなのは、この業界には本当に良くあることだ。


で、次に社長が話したのが、業界の今の現状である。

社長の前には一枚の白紙のA4用紙が置かれていて、

てっきり、聞かれたことに対する私の答をメモるのかと思っていた。

ところが、社長はするすると業界関係図を書き始めた。

ぽんぽんと丸い円を散らばし、中に「アパレル」、「問屋」、「消費者」、

「メーカー」などと書いた後、間の空間をビュ〜ン、ビュ〜ンと

勢い良く矢印で結んでいく。

社長の手の動きにつられて、私の顔も左右に動き、その様といったら、

テニスのギャラリーかよ?と自分でツッコミ、笑いそうになった。


一通り書いたあとで、社長は作成した関係図をペンで叩きながら、

現在の景気の悪さを憂い、そして、私に向かって言うことには、

「というわけで、この業界はここ最近、ずっと恵まれないわけですよ〜。
 まあ、あなたが若かった頃、う〜ん高度経済成長あたりかなぁ〜、
 その時は業界も良かったわけですから、良い思いもしたでしょう?」


ん?

高度経済成長って・・1950年から70年ぐらいじゃん・・・?

いくら私が老け顔だからって・・

失礼な!!


おしまい。



...

油断。 - 2005年06月25日(土)

旦那と結婚したての頃の話である。

私は当時、デザイナーとしてバリバリ働いていた。

ハードな仕事であったため、家事との両立で疲れていたのだろう。

良くイビキをかいた。

自慢じゃないが、私のイビキはそんじょそこらの女のそれとはわけが違う。

妹と一緒に暮らしていた時、私のイビキで2階の住人が起きた、

というぐらいの大音量なのだ。

だから、当然、旦那は眠れない。

私がイビキをかくたび、枕を動かしてみたり、体を揺すってみたり、

止めるために大変だったという。

もちろん、今はイビキはかかない。無職の私に疲れる理由がない。


現在、午前3時半である。

さっき、換気扇の下でタバコを吸っていたら、

「へ〜〜くしょん!!」とデカイくしゃみをしてしまった。

ちょぴっと飲んで帰り、ぐっすり寝ていたはずの旦那が、

何かに驚いたように大きな寝返りを打った。


私と一緒に暮らすのに、油断は禁物である。


おしまい。



...

戦後60年。 - 2005年06月24日(金)

私の母は疎開経験者である。

終戦の年は小学校2年生であった。

玉音放送を聞いた大人たちから「戦争が終った」と知らされた母は、

「あ〜、これでやっと家に帰れる」と思ったそうである。


先日報道されたことだが、

某私立高校が2月に実施した一般入試の英語の長文問題に、

「元ひめゆり学徒による戦争体験の証言が退屈で飽きてしまった」と

いう主旨の文章が出題されたそうである。


少し前に本を読んだ。

題は「生贄の島」。軍に従軍奉仕した看護学徒の話だ。

生き残った人々への綿密な取材をもとに、

病院と称された洞窟の中がどんな状況だったのか、

人がどんなふうに犠牲になって死んでいったか・・そういうことが

淡々と語られている。


私は母のように戦時を知らない。

また、その残酷さを自身の体験のように、

身近に据え置くほどの想像力も持ち合わせてはいない。

けれど、淡々と並べられた活字からは絶望が伝わり、

読むことを躊躇してしまうほどに心が痛んだ。


今、日本は本当に平和である。

60年も前に起きた戦争のことなど知らなくても何の支障もない。

充分生きていける。

だが、もし、それを知る機会があったとき、

私達はそこから目を背けてはいけないような気がするのである。

少しでも、心に留めて置こうとする気持ちがあれば、

某私立高校の教師のように、

今も過去に苦しむ人々を、より傷つけるような愚かなことは

しないで済むと思う。


おしまい。



...

ビバ!サーフィン! - 2005年06月23日(木)

いよいよである。

今度の日曜日、いよいよこの棟上げての草取りが催される。

敷地の草取りなのだが、参加したくない。

隣りのSさんしか顔見知りがいない、というのに、どんな顔して

草を抜けばいいのか?

しかも、朝8時からという早さ。賞味、一時間ほどだというのだが、

今は紫外線も強い時期。シミ予防のために、化粧をしなければ

ならないとなると、7時半には起きる・・・?

エ〜〜〜〜〜〜〜!!


こんなふうに、高校の放課後清掃依頼のイベントに戦々恐々としていたところ、

一昨日、旦那宛てに1枚の封書が届いた。

マリンスポーツ関係グッズのバーゲンのお知らせである。

もちろん、サーフィンのものもある。安い。

プロパーで買えば3〜5万するウェットスーツが、ナント、、2千円〜5千円。

「朝早くから・・そうだな〜、6時ぐらいから並ばないと〜」と、

旦那は当然行く気満々である。


ん?朝早く?

普段、サーフィンなんぞに何の興味もなく、毎土曜日繰り返される

旦那のハシャギ様に、「夫婦不和の素」などと言ってはばからない

私だが、それが今度の日曜日で、朝早く出かけるときちゃ〜、話は別である。

私も行く。絶対付いて行く!


サーフィン最高!!


おしまい。


...

占う。 - 2005年06月22日(水)

今日私はとある街にいた。

そこの駅前は、良く当たる宝くじ売り場があることで有名であり、

また、夜ともなると、占い師たちがどっからともなくやって来て、

人々の運命を鑑定する場所としても一般に知られている。



夕方、買い物と用事を済ませ、電車に乗ろうと駅前を通りかかると、

一人の占い師が目に付いた。

まだ、客を取るには少し早いということもあり、

占い師はそこに彼だけであった。

やや太った体に、白髪のセミロング。

何度も洗濯したようなペラペラヨレヨレのTシャツを着、

尻がはみ出してしまうような小さな折り畳みの椅子に座って、

何故か肩をガックリと落とし、ションボリしている。

そして、椅子の隣りには「開運!」と書かれたノボリが、風になびいていた。


まず、自分から占え。



おしまい。


...

王道。 - 2005年06月21日(火)

金曜日、旦那がベロンベロンに酔っ払って帰って来た。

サーフィンに行く前の日はあれだけ飲んで来るな!と、

キツく申し付けているのにである。


彼が玄関の戸を開けたのは午前1時。

ヨタヨタと千鳥足で入って来た顔は、もう目が真っ赤である。

どのくらい飲んだのよ!と怒る私に人差し指と親指の間を広げて見せ、

「ふえ〜〜、ちび〜っと、ちび〜〜とだよぉ〜〜〜」とろれつが回ってない上、

「誰と飲んだの?」
「う〜〜〜ん、いろんな人〜〜、中間の人〜〜」

「何か問題でも起きたの?どんな話したの?」
「う〜〜ん、こういう話も必要だよねって話〜〜。ふい〜」

てな感じでまったく、言ってることが意味不明。


そして、10分ばかしテレビをボ〜っと見ていたと思ったら、

突然、帰りに買って来たと思われる、コンビニのミニ天丼を一気に食べ、

ド〜ンとその場に白目を剥いて寝てしまった。

狭い部屋である。そのままにしておくと、通行の邪魔になるので、

揺すって、叩いてようやくお越し、目覚ましまでかけてあげて、

蒲団の上に寝かせたのであった。

旦那は口を開け、パンツ一枚の姿で両手をグリコのように挙げてぐっすり。


これをヤバイと言わずしてなんと言うのか?

まだ、彼は30代半ばだが、

新橋のオヤジへの道をもの凄い速さで、

一気に突き進んでいる、と思ってしまうのは、私の早とちりだろうか?


洗濯物を別々に洗う日も近い・・・。


おしまい。


...

白髪。 - 2005年06月18日(土)

この年になると、少なくとも一月に一回は髪を染めなければ

ならない。年を取ったなぁ〜と思う。


もういい加減に習慣づいてもいいはずなのに、

髪を染めることは相変わらず、私の中では一大イベント。

まず、頭を通さなくても脱げる、前開きのシャツに着替え、

スーパーの袋にハサミを入れ、即席のケープにして肩にかける。

そして、マニュキュアも満足に塗れない不器用さで、

白髪染めクリームをなぞるように塗っていくのである。

その作業がめんどくさくて、ついつい髪染めを伸ばし伸ばしにしてしまう。

ここ最近はもう一ヶ月以上も染めてない。


さっき、風呂に入るべく、髪を結ぼうとして鏡の前に立った。

梅雨に入ったからだろうか、髪がボア〜っと膨張している。

その両脇の生え際にも、今まで目立たなかった頭の上の方にも、

白髪がビッシリだ。

私は思うのだった。


あみだババア・・かよ・・?


おしまい。


...

ピーターと狼。 - 2005年06月17日(金)

前の前の会社にいたとき、私は相当な遅刻魔であった。

それはただ単純に、眠くて起きるのが嫌だったり、

雨だからなんとなく外に出るのが嫌で・・という理由だった。

当時私は結構痩せていたし、パッと見、弱々しくもあった。

だから、私は公言していた。

「貧血で・・朝・・起きられないんですぅ・・」と。


ところが、あるとき、健康診断で思いっきり、私の血圧が正常である

ことが、バレてしまった。

その後は遅刻の理由を、「朝、下痢しちゃって」とか

「なんか起きたら気持ち悪くて」などに変えてみたが、

それはかなり苦しい言い訳であった。


先月、新潟の友人のところへ寄ったとき、ほんのお遊びで

血圧を測ってもらった。彼は普段から血圧を気にしているのだという。

で、私の数値は「低血圧気味」というもの。

実はその数週間前にも、歯医者で「舌の色が白めですね〜。貧血ぎみですよね?」

と聞かれていたので、その結果には「あれっ?やっぱり?」とちょっと驚いた。


今日、カシューナッツを買った。

なんとなく、あの血圧を測って以来、体に力が入らないような、

貧血っぽいような気がしていたからだ。

舌の色はやはり白っぽい。

ネットで調べたら、カシューナッツが鉄分を多く含んでいて、

貧血に良いと書いてあった。


会社から帰った旦那がそれを見つけ、「これどうしたの〜?」と

早速聞くので、私は自分が貧血ぽいことを告げた。

すると、大きな目が急にメザシみたいに平らになって、私を横目で見る。

そして、「おまえが?おまえが貧血なわけ?」と繰り返した挙句、

元会社の同僚だった彼は「ハァ〜ア・・」とため息交じりにこう言った。

「で、今回は何が嫌で貧血なんて言い張るわけ?」



くそ〜〜〜、、本当だってば!


おしまい。


...

残されたもの。 - 2005年06月16日(木)

私はここに住むのが、本当に嫌だった。

それは、

「隣りのSばあさんにいつも監視されているようだから」とか、

「アパート周辺の雰囲気がどんより暗いから」などの些細な理由なのだが、

友人達などから

「少しの辛抱。貯金をするって目的があるんだから頑張れ!」

という励ましもあり、気持ちを強く持ちつつこうして現在に至っている。

そう、ここは家賃が安く、前のマンションでは考えられないくらい

貯金ができるのだ。


だが今月。給料日まであと8日ほどあるのに、なんと家計は火の車である。

「たまにはババーンと!」というウキウキな大義名分の下に

温泉に行ったり、化粧品買ったり、ご飯食べに行ったりで、

支払いのすべてをカードにしたため、今月はそれがごっそり引かれて、

貯金できる金はおろかもはや生活費もない。


そういえば、私は周りにいる人達からこんなふうに念も押されていた。

「お金が浮くからって、その分、使っちゃだめだからね!わかってる?」


・・・・・・・・・。

今月、私に残るのは、

Sばあさんの「月末の日曜日、草取りに参加しなさいよぉ〜」

という、先日言われた勘弁してもらいたい言葉と、この暗い部屋だけである。


おしまい。


...

寝そべって。 - 2005年06月12日(日)

ソファーに横になって、テレビを見ていたら、

カロリーオフビールのCMが流れた。

工藤静香がやはりソファーに横になりながら、

わき腹の肉をひょいと摘んで、「軽くヤバイ」と

ひとこと言うヤツだ。


せっかくなので、真似してみた。

すると・・・

あっ・・・・・・・・・・・・・・

重くヤバイ・・・。


おしまい。


...

善悪。 - 2005年06月11日(土)

昨日、池袋まで行く電車の中でのこと。

途中の駅で乗り込んで来た男女二人が、座ってる私の前に立った。

男性の方は長めの髪をオールバックにし、スーツで決め込んだ40歳ぐらいの男。

女性の方は25歳ぐらいだろうか、もの凄くスリムである。

体に自信があるのだろう。彼女は超ミニスカートを履いていた。

それもローライズの。

だから、着ていたTシャツとスカートの隙間からヘソが見えていたのは

もちろんだが、特筆したいのは、見えていたのがヘソだけではなく、

スカートが下がりすぎて、腹から下の・・そう下の毛まで

見えそうであったことだ。


それは、明らかに若くてスリムな女の子しかできない、

例えば、男性を誘うのにはもってこいの魅力的な格好であった。

だから、そういった意味では彼女に何の問題もない。

ただ・・・

ただ・・・彼女の顔が・・・

魚のタラそっくりだったので・・・


世の中には、そういう格好をしてはいけない人と、良い人がいる・・・と思った。


おしまい。


...

就活その6 理解不能・・ということ。 - 2005年06月10日(金)

ある会社から採用をもらったにも関わらず、断ってしまったのは

5月の中旬あたりであった。

回復したといっても、景気の悪さ感がまだまだ漂う昨今。

しかも、私の年齢で雇ってくれる会社なんて、そうないのは

解っていたのだが、ちょっと思うところあってお断りしたのだった。


まわりから「も〜、自分がいくつだと思ってんの〜。もったいない!」

などと言われ、時と共に「ごもっとも・・」と反省が深くなってゆく私。

案の定、それからバチがあたったかのように、書類を出すも、

面接にこぎつけられない。貯めていたささやかな貯金は減るばかりである。


昨日寝る間際、そんな今の現状に嫌気がさして、

蒲団の上に横になりながら、思わず

「あ〜、職は決まらないのにお金は出て行くばっかりだよ〜
 も〜!この際、脱いじゃおっかなぁ〜!!」

と叫び、横で寝ている旦那を見たら、ただ黙って天井を

見つめているだけで、私の言葉になんの反応もない。


で、二人の間に沈黙が流れて数十秒後、

旦那がようやく口を開いて言うことにゃ〜

「それはやめとけ。まだ・・藤原紀香も脱いでないし・・」。


助言なのか励ましなのか・・・

彼が何を言わんとしてるのか、まったく理解できなかった・・・。


おしまい。




...

アニキ。 - 2005年06月08日(水)

土曜日の深夜。

飲み物を買いに、歩いて5分ほどのところにある、コンビニに行った。

コーヒー、アップルジュース、牛乳をカゴに入れ、

スポーツドリンクも買っちゃおうかなぁ〜と売り場の前で悩んでいたら、

二人の男性が、私の視界に現れた。

一人は短い茶髪に上下白のスーツを着た、背の低い、芸人のヒロシに

どことなく似た、「プチヒロシ」といった感じ。

もう一人はスポーツ刈りの、そのプチヒロシよりさらに背の低い

華奢な男。パシリに使われるために生まれて来たような弱々しい風貌だ。


彼らが上下関係にあることは一目瞭然であった。

「お〜、何でも買っていいぞ!好きなもの買え!」

ガラスケースを前に「プチヒロシ」が威勢良く言う。

「アニキ、マジッすか!?いいんすか?」

「お〜、いいぞ」

「プチヒロシ」の気前の良さに、舎弟のスポーツ刈りはとてもうれしそうで、

ケースの扉を開け、「じゃあこれ、ビールいいっすかね!?」と早速おねだり。

すると、瞬時に「プチヒロシ」の顔が曇り、

「あ〜ん、ビールはダメだ、ビールは。ジュースにしろ」と一喝。


叱られたスポーツ狩りの消沈ぶりは傍で見ていても可哀想であった。

(何でもいいぞ!って言うからビールって言ったんだもん・・・)

彼はきっとそんな気持ちでいっぱいであるハズだった。

そして、側にいた私も思っていた。

そりゃないよ〜アニキ〜〜〜!!と。


おしまい。


...

アウト。 - 2005年06月05日(日)

このアパートに住んで最も緊張するのは、

出掛けるときと帰って来たときである。

隣りのSさんと会ってしまうのを私は恐れているのだ。


うっかり、出くわそうもんなら、これが大変。

必ず何か言ってくる。

それは、注意であったり、お願いであったり、命令であったりで、

例えば、ベランダに置きっ放しにしてある弟の荷物を

「あんたのとこのベランダ、ゴミ屋敷みたいだから片付けなさい」とか

「日曜日の朝の草むしりに参加しなさいよ」とか

「これに署名してよ」と、有無も言わさずどっかの党絡みの

運動に署名させられたりとか。


だから最近、私は鍵を閉めたり、開けたりするのがやたら早くなった。

帰って来るときなどは、鍵を早々に取り出し、アパートの

敷地に入る前から、スムーズな開錠のためのイメージトレーニングをしたりする。

彼女に会わないためには、1分1秒が大事なのである。


今日出掛けるときのこと。

外に出ようとして、玄関のドアを開けようとしたら、

すぐそばにSさんのひねた声を聞いた。

慌てて、ドアハンドルから手を離し、耳をドアに当て外の様子を

伺った。明らかにSさんが扉一枚を挟んで外にいる。

どうやら彼女は一人、猫たちに何か語りかけているようであった。

一度くつを脱いで、待機すること10分後、再度耳をドアにつけ、

外の様子をうかがった。今度は音はしない。Sさんはいない様であった。


くつを履き直し、私は勢い良くドアを開けた。

すると、目に飛び込んできたのは、

やっぱりSさんのニヤついた顔。

アウト〜〜〜〜!!


おしまい。


...

反射。 - 2005年06月04日(土)

最寄の駅に一風変わった店がある。

そこは、少し前までただのスナックだったのだが、

最近、「セッションのできる店」として再オープンした。

入り口の黒いボードには蛍光ペンでこう書いてある。

「当店にはカラオケはありません。楽器好きが集い、
 セッションを楽しむお店です」

そして、最後の方に「お気軽に!!」とも。


時々、私達夫婦の間でこの店の話が出るのだが、

昔、友人とバンドを組んでいた楽器好きの旦那は言う。

「ふら〜と入って知らない人とテケテケ引けるかよ」

どうやら、いくらお気軽にと言われても、

いきなり他人と・・というのは気が乗らないものらしい。

だからだろうか、そこはいつ覗いてもガラガラである。


今日の夕方も私はその店の前を通った。

すぐに入れるようにという配慮から、入り口のドアは常に開けっ放しだ。

中にエレキギターが何本かとドラムが置いてあるのが見える。

店はやはり今日もガラガラで、マスターとおぼしき男性がいるのみ。

彼はドア背にし、黒いエプロン姿で一人座りギターを弾いていた。

天井からやや斜めに射すオレンジのライトが、マスターの頭に当たる。


マスターは・・ハゲ。

磯野波平ふうなハゲ。

そのツルツルしたてっぺんに当たるライトの光を

私は吸い込まれるように見入った。

そして思うのだった。

あんなに寂しげで悲しげな光の反射は見たことがない・・と。



おしまい。



...

別れ道。 - 2005年06月03日(金)

私には仲の良い男友達がいる。

名前をGという。

彼との出会いは高校一年の時。友人の紹介だった。

そう、私達は付き合っていたことがある。

とはいっても、それはたった2週間。

高校を卒業する頃には、すっかりいい友達になっていて、

それ以来、私は彼の、彼は私の大人になっていくその様を見守り、

今ではすっかり家族ぐるみのお付き合いである。


ちょっと前の話になるが、GW、新潟に帰ったとき、

このGの家へひょこっと寄ってみた。

彼は二月に新しく家を建てたばかり。

新居を是非見てみたい!と思いがあったのだ。

で、感想はというと、とにかくもの凄い家であった。

門を入るとセンサーが通る人を感知するのか、

歩き進むと共に、順々に「いらっしゃいませ〜」と言わんばかりに街灯がつき、

足元に危なさを感じることなく、玄関のドアを開けることができる。

そして部屋はすべてが8畳以上だ。


でも、なんたって特筆すべきは、リビングと台所。

リビングには、外国製のテーブルと、なが〜く、ゆ〜〜ったりしたブルーの

ソファーが置いてあり、台所には、最新のIHクッキングヒーターが

備え付けられたシステムキッチン。

合わせて24畳の広さだという。


素晴らしい家を建てたGを私は羨望と憧れの眼差しで見、

換気扇の下でタバコを吸いながら、思わず

「あの高校の時さ〜、あのままず〜っと付き合ってたら、
 この台所で、このIHクッキングヒーターで料理をしていたのは、
 私かもしれないね」

と彼に微笑んだら、返って来たのは

「そりゃないね!絶対ない!」と激しくキッパリした答。



そ、そんなにハッキリ言わなくても・・・



おしまい。


...




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