台所のすみっちょ...風子

 

 

10時35分 - 2003年05月31日(土)

おととい、朝ご飯のことを旦那からあんなふうに言われ、

一旦は、「起きられないものは致し方ない」と、振り切った私。

だが、しばらくすると、なんだか自分が「ダメ妻」の烙印

を押されたような気がし、「誰に」というわけでもなく、

妙いムカついてもきたので、

今朝は旦那の起床時間である7時半に起きることを決意。

寝る前に目覚ましをしっかりセットして、床に入って数時間。


目を覚ますと、、、、



やっぱり誰もいなかった、、、。


時間は10時35分。

旦那の布団はもぬけのカラ。

家の中は水を打ったように静か。


そして、私は思い出す。

ゲッ!今日は友人M子と待ち合わせしてたんじゃん!・・・・と。

約束は11時半。そこに行くには、家を11時10分には出なければいけない。

もちろん、このスッピン顔が社会的にアリならば、当然間に合うのであるが、

今日一日、すれ違うであろう道行く大勢の人々をギョッと驚かせ、また

不快にさせてもいけない。

慌てて、M子に遅れる旨の電話すると、

こんなことは今日初めてではないというのに、

その声は明るく「いいよー」という優しいもの。


申し訳ない気持ちでいっぱいで、猛ダッシュで洗面所に行くと、

そこには、真新しい洗顔石鹸がソープディッシュの上でキラ〜ン。

石鹸は私と旦那が共用しているもの。

小さくなってしまっていたそれを、昨夜、綺麗に使い切って

しまったのは私。なのに、面倒くさかったので

替えも出さずそのまんまにしていたのである。


白い固まりは言っていた。

「おはよう。お・ね・ぼ・う・さ・ん!」



友人M子の「いいよー」という暖かい声、

石鹸のまばゆい白さ、

そして、ものすごく急いでる自分とを代わる代わる思い・・、

一人前の女として・・

妻として・・・・

ハァ・・・・




こんな私って、、どうよ?



おしまい。


...

街。 - 2003年05月30日(金)

午後3時。


都会の片隅のコーヒーショップ。


街に不思議なほどしっくり馴染んでいる私がいた。


先日、銀座に於いて、


自分が女とも思えない、ムッシュかまやつ、または中村雅俊とソックリである


ということを気づかされたばかりだというのに、


今日もまた、同じ髪型・・・変わらない出で立ち・・・。



けれども、あの時のように、街は私を拒絶したりはしない。


そう、ここは・・・。


東京都千代田区秋葉原。


ちょっと怪しげ、オタクな街。




おしまい。


...

溝 - 2003年05月29日(木)


昨夜、モソモソと布団にもぐりこまんとしている旦那に、

「明日は何時に起きるの〜?」と、

妻らしい可愛さを柔らかい笑みに変えて聞いてみたところ、

「エッ?それがどうしたの?」という答え。

「エッ?どうしたの?って、別に・・いや・・何時に起きるのかな?って思って」

「それが、おまえに何か関係があるのかよ〜?」

「いや・・そのぉ〜」

「俺が7時半に起きますって言ったって、
 おまえは起きて朝ご飯作ってくれるわけじゃねぇんだろ〜」

「う、、、うん、、でも、、、」

「じゃあ、、いいじゃん」



ごもっともさま。

大当たり。

確かに私は起きない。


だが、この時、旦那から吐かれた言葉の数々は、結婚当初から彼が言っていた、

「俺は朝、すぐには食べられないたちだから、朝ご飯いらないし、
 起きなくてもいいよ。」

などという優しい言葉が、実は「嘘だった」ことを現しているのではないか。


こりゃ、ビックリ。

彼が「朝ご飯を食べたがっている」とは。


結婚して丸8年になる。

一緒になってからというもの、私達は常にお互いを理解しようと、

何かと換気扇の下で大いに夫婦間の問題等を論じてきたつもりであったのに。


2人で過ごしてきた年月は、私が意識していたもの

より、ずっとずっと長い時間だったのかもしれない。



だって、知らず知らずに彼と私の間に溝・・・。


しかも、それが私にとってもっとも苦手な「朝起きる」ということを


もってしか、埋められない溝だなんて・・・・・。


となると・・・・・・・・・・・



埋められなくても致し方ない。



おしまい。


...

老い。 - 2003年05月28日(水)

今週日曜日、

バイト先であるインターネットスポットで

「いや〜、、今日はお姉さんが早番の日かな〜と思って、一番に来たよ〜」

と43才の男性に言われ、

「エ〜、うれしいですぅ〜、まだ早いんだけど、入っていいですよ〜」と、

客を入れるのは1時なのに、その10分前にはもう席に座らせて

しまったり、

月曜日、マンションのエレベーターで乗り合わせた4才ぐらい

の子供とその母親の会話である

「○○ちゃん17階押してくださ〜い」
「いやだ〜、、お姉さんが降りてから押すのぉ〜。」

というのを聞くやいなや

「ま〜、ボク可愛いね〜、いくつ?」と、デレデレ話しかけて

しまったりと、

最近、「お姉さん」と呼ばれることに対して、

いちいち有頂天になってしまっている私は、

もはや、「社交辞令」と「真実」を見分けることもできなくなって

しまったすっかりおばさんな女。


おしまい。


...

友情。 - 2003年05月27日(火)

友人のペルー人Sに、メール受信の練習と称して、

 Good morning!

 Try to mail

 See you again 

 BYe BYe !!

と、4行の英文を打ったのは、先々週のこと。


その数日後、

彼から届いた返信は、まるで「これを訳してみなさい」と

言われているような、英語の長文。

こんなにまとまった英語の文章、大学以来ご無沙汰。


パソコンの画面に顔を近づけ、目でアルファベットを追っていくものの、

いったい何が言いたいのか、ち〜〜〜っとも分からない。

あまりのチンプンカンプンさ加減に、自分が

文字文化を持たない猿になった気さえし、

そのうち、妙におかしくなってきて、

「アルファベットが何個かな〜」と、

取り敢えずその文字数なんか数え始めてみる始末。


すると、一行102文字が4行で408文字。

一番最後の”さようなら”、CHAO(チャオ・これだけスペイン語?)も

入れると、512文字という膨大さ。


到底すぐには返信できない。


一週間後、辞書を片手にそれを翻訳し、

ようやくSの言わんとするところを理解したのだが、その内容について、

和英辞典片手にまた返信することが「こりゃ、途方もない作業だ」と、

めまいさえ覚えたので、まったく関係のない、返事が送れたことへのお詫びと、

「どう?パソコン慣れた?」というような意味合いのお伺いだけを

サラッと簡単な英文5行にして返したら、

次の日届いていたのは、文字数と共に、行数も倍に繁殖した超長文の

返信メール。


一番最後に書いてあった「Your Friend S 」という

シメの言葉を何度も見ながら、

「友達だったら、、私のために日本語も、もう少し勉強して・・」

などと、言葉を越えて、築き上げようとする友情の難しさに・・・・


・・・・・・・もう泣きそう・・。


おしまい。


...

愚痴。 - 2003年05月25日(日)

例えば、、今のバイトをするまでは、見たサイトの

の履歴の消し方も知らなかった、という指導員

の仮面をかぶった素人の私が、

夕飯を食べ終わった後、台所で食器をガチャガチャと

洗いながら、

「ハァ〜〜、、最近バイト先でちょこちょこトラブルが あるんだよね〜。

パソコンの調子が悪かったり〜、分かんないこと質問されたりさ〜、、

私みたいな素人じゃ、手に負えないないよ〜なさ〜・・」

と、深いため息と共にポツリ愚痴をこぼしたら、

横の換気扇の下で食後の一服をしていた、IT関係の会社で営業をする、

名刺上”主任”という肩書きを持つ旦那が、

ニヤリと口角をつり気味に上げながら、

「エッ〜〜〜〜〜〜〜〜!!おまえに分からないことがあるなんて〜、
 
 それって、いったいどんな難しいことなんだ〜〜い!?」

と、大声で、肩をすぼめて手を広げ、まるで外人みたいな

「オ〜、マイ、ゴッド!!」ばりのリアクション。






ジッジュ〜〜〜〜〜ジュジュジュッ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜・・・


泡の出なくなったスポンジめがけ・・・洗剤が・・勢い良く飛び出した・・・。


こみ上げてくる悔しさを・・・・


洗剤のボトルを押す指に強く入る、その無意識の力を・・


私はどうすることもできずにいた・・・・・・。




おしまい。



...

シンデレラ。 - 2003年05月24日(土)


私が「いくら早く帰ってきて」と、お願いしても、

一旦酒が入った日にゃ〜、、妻への愛もなんのその、

一件め、2件め、3件め・・と、帰るのがいつも軽く深夜12時

をまわってしまう旦那が、

サーフィンがあるというだけで、はしごのカラオケの誘いを

振り切って、”優良シンデレラ”のように12時前に

家に着くさま・・。


今まで彼に蕩々とたくさんの愛情を注いできた

私であるのに・・・。


私は問いたい。

波がご飯を作ってくれるのかい?

ロングボードが、君の下着を洗濯してくれるのかい?・・と。


今、部屋の片隅に几帳面な彼らしく、

キチンと用意された「サーフィン準備グッズ」を、

横目で見ながら、

夫婦とは?

妻とはいったいなんだろう?

と自分の存在そのものを疑わざるおえない私であった。


おしまい。


...

銀座。 - 2003年05月23日(金)

普段、何の違和感もなく、下町っ子となって、

ここら辺の風景にしっくり馴染み、自分を省みることもなく、

またそれが普通だと思っていた私。

だが、友人の薦めである人の個展を見に銀座に行った今日、

自分が周りの社会と、実はものすごくかけ離れた人間だということに、

気が付かされたのであった。


銀座の街を歩く人々は大変なおしゃれさん達ばかり。

特に女性は、「仕事も格好も決めてやる!」的な携帯片手の

キャリアウーマンや、

「ママも私も断然エルメスと決めています。○○さん(家事手伝)」

てな感じで、あなた、雑誌JJの読者紹介に載ったことがありますね?

と聞いてみたくなる、金持ちげな人生なめてるふう娘がわんさか。

その中で一人私だけが、

いたずらに茶色に染め上げただけで、5ヶ月も美容院に行っていない髪、

ベルボトム調のあせたジーンズ、黒いTシャツ、、といった出で立ちで、

「夢の〜坂道は〜、、木の葉〜模様の〜」と、小椋佳の曲でも

聞こえてきそうなほど、往年の中村雅俊か、田中建。

または、ムッシュかまやつひろし。

こうなると、おしゃれのつもりで履いていったミュールはまさに下駄。


非常にショックだった。

最近バタバタしていたとはいえ、こんなにも社会の一般女性達と、

かけ離れてしまっていたとは・・・。

いや、かけ離れた・・というより、もはやすっかり「女」ってものが、

なくなってしまったと言っても良いぐらいだ。


帰りに立ち寄ったコーヒーショップで

いったい、私はどういった経緯で、こうなってしまったのか?

と振り返ると同時に、今の私を旦那はどう思っているのかと考える。

そして、

そういえば、月曜日から火曜日まで福岡に出張していた

旦那は、一日ぶりの会話にはしゃぎ、しゃべりっぱなしの私に対し、

「う〜ん」とか「へ〜」とか、適当な相づちを打つのみで、

目はテレビのユンソナや、カワイイ女の子に終始釘付けで、私のことなんか

大して気にも止めてない様子だった・・と思い出す。


その時は、

「おまえも普通のオトコだなぁ〜、、若い女などにかぶれてぇ〜」

などと大人の女性として余裕満々で流したのだが・・・。


そりゃ〜そうだ、そりゃそうだよな、

なんてったって、自分の妻がムッシュや雅俊と並んでも

見劣りしない下駄風味な女ときちゃ〜、、。



ええ、、気持ち分かりますとも。





おしまい。


...

半信半疑。 - 2003年05月22日(木)

ここ2日ばかり、私はまったく寝起きが悪い。

今日は目が覚めた瞬間から頭が痛くて、

あまりの痛さに鎮痛剤を飲んで小一時間横になっていたほどで、

昨日は自分の「ウッ、、ウゲェ〜、、」という不気味な声に驚いて目を開けた。


その声は夢から来るものであった。

六角形頭のボルトを、自ら一つ、また一つとゴックリ、ゴックリと

ただ呑み込んでゆくそれだけの夢で、

3つ〜4つ目ぐらいのところで、ボルトが

喉に詰まって、苦しくて声を上げたのだった。

ウゲェ〜、、って。

鵜飼いの鵜じゃないんだから。


しかしまた、何故、よりによってボルト?


ボルトですよ、皆さん、ボルト。

まったくわけが分からないじゃありませんか。



自分の潜在意識を夢で判断するってのがあるらしいけど、

このボルトも、それってこと?


大した生産性もない毎日を送っているので、

「何か作りたい!」ってな欲求が、実は私の中にあったのか?

例えば鉄骨組んでビル作りたいとか・・。

はたまた、、この前終わった仕事の出来が良くなかったのが心にあって、

「これはいかん!ボ〜っとしている頭を、ボルトできつくしめなければ・・」

と思っていたのか・・?


サテ、ウゲェ〜っと起きたその後であるが、

驚いたことに、喉に物がつっかえているような違和感が本当にあった。

唾を何度も呑んで、感触を確かめるのだが、ビー玉がコロコロ回っているようで、

まるで喉がラムネ状態。

夢だったんだ、夢に決まってるじゃん!と自分に言い聞かせるものの、

喉のコロコロは、私をかなり不安にさせ、

「本当に何か・・そう・・夢ではボルトだったが、
 実は違うものを夢遊病者のように無意識にゴックンしてしまった
 のではないか? 何かなくなってるものがあるかも?」と、

寝ていた布団の周りを見回してみたり、挙げ句の果てには

「もしかして、時計のネジか?」なんて、時計に異常がないか、

四方八方から眺めたりする、バカ丸出しの有様。



結局、紛失した物は何もなく、そうやって自問自答しているうちに、

喉にも違和感を感じなくなったので、

やっぱ夢、そうよね夢・・で落ち着いたのだった。


が、私にはあのリアルさが忘れられない。


あれからというもの、、とはいってもまだ2日間ぐらいなのだが、

腹を大波が襲い、トイレに行くたびに、

「もしかしてボルトが混じってるんじゃぁ〜・・・」

と、チラリ見たりして、今だ半信半疑なのであった。


おしまい。



...

久しぶりの夕食作り。 - 2003年05月21日(水)

「私は仕事がありますんで」と、先週の木曜日から、

月曜日まで、我が家の夕飯のほとんどは、弁当であった。

弁当屋の弁当。コンビニの弁当。旦那と私、足りない栄養を

高麗人参ドリンクで補うという有様。


しかし、仕事も終わった今日。

さすがに、「今日は何弁がいいですか?」と仕事中の旦那に

メールするのは忍びないと思い、だるい体に鞭打って、夕食は

豚しゃぶサラダにしてみた。

栄養バランスに欠ける弁当三昧の生活では、

日々の疲れがとれているわけはない。

ここ最近私たち夫婦の体には、疲労回復の特効薬、ビタミンB2が

絶対足りない!と踏んだのである。

もちろん旦那の大好物のこのメニューを作るにあたっては、

日頃”ジャンクな妻”と見せかけて、

実は私が、彼のことを考えている”隠れ良き妻”

である、ということをアピールする目的があったのは言うまでもない。


夕方、「豚肉も、しゃぶしゃぶ用の薄切りでは生ぬるい」と

B2をより多くとるために、普通のモモスライスを購入。

みそ汁を作り、ご飯を炊いている途中に、豚の湯通しに取りかかる。

肉が厚いので、やや長めに湯につけ、通常の冷しゃぶ肉の質感とはまったく

違ったガッチリとしたものに茹で上げ、冷水に浸けたのち、

あらかじめ用意しておいたちぎったレタスたっぷり、千切りのキュウリたっぷり

の上にそれをのせ、スライスしたタマネギまであしらうと、

ハハ〜、、肉の厚みも”あだ”となってか、、もう、、まるでピラミッド。

これでもか、と積み上げられたさまは、食べ崩すのがもったいないほど、

おもしろいものであった。


が、今日の私はそれだけでは終わらない。

豚を湯につっこんでる最中、先日テレビで見た、

「私はしゃぶしゃぶのゆで汁を使ってもう一品スープを作るんですよ〜」

と自慢していた”倹約奥さん”のことを思い出していた私は

急遽スープ作りにも挑戦。

残りのゆで汁にネギ、生姜、酒、塩、こしょう、しょうゆなどを入れてみる。

「え〜すごい!おまえこんなのまで作ったの〜!」

頬を紅潮させながら、私を尊敬のまなざしで見るであろう旦那の顔を

想像しながら・・。


そして、数分後。

そこに、出来上がったスープを捨てようか・・と、迷う私がいた。

何故かというと・・・・


「豚臭くて飲めね〜や・・」ってな感じで。


その臭さは、尋常ではない。

私の何がいけなかったというのだろう。

生姜もいれた。ネギも入れた。酒だって入れたのに。

何より、いい奥さんをやってみたかった、いやアピールしたかっただけなのに。


最後の一本だったネギをむしょ〜〜に惜しく思いながら、

こうして、私の久しぶりの夕食作りは幕を閉じた。


がんばって損したブー。


おしまい。


...

ワタシったら。 - 2003年05月18日(日)

まったく、綿帽子さん達と暮らしているようなものである。

床やら棚やら一面に、呼んでもないのに、綿埃がふわふわと。

もうげんなりである。

が、掃除をする時間がない・・。

木曜日の夜に仕事の依頼が入って、これまたホイホイと受けちゃって。

で、パソコンで作業しつつ、

この前、やったことのないロゴデザインの仕事を

調子良く引き受けた時は、次の日に慌てて「簡単ロゴデザイン」

って本を買いに走ったっけ・・などということを思い出しながら、

”教科書”のない今回の仕事に四苦八苦!

この日記を書いたら、また仕事に戻らなければならないのであった。

あ〜、、今日バイトなのに、何時までやりゃ〜いいのだろうと、

一人、ブツブツ・・・。


今回の仕事のことについては、「奮闘記」として、

作業が終わったら、載せる予定。

いつとは言えないけど・・・。

というわけで、火曜日まで日記もお休みします。

すんません。

では!


おしまい。

                 
             




...

「以心伝心」 - 2003年05月15日(木)

バイト先で知り合った、友人のペールー人、Sが、

最近パソコンを自分でも買い、

メールの練習をしたいというので、

受信や返信などの練習を

させようと、さっき、和英辞典片手に

メールを送ったのはいいのだが、

その文章が

「おはよう! これは、練習用メールだよ。 

 この私のメールを、”返信”を使って

 返してみて。

 ”新規 ”で返事しちゃダメだよ。

 何事も練習! 頑張れ! 

 じゃあ、またインターネットしに来てね。

 検討を祈ってる。 バイバイ!」

といった私の意図とはかなりかけ離れた、、

 
 Good morning! (おはよう)

 Try to reply !! (返してみて)

 See you again  (また)

 BYe BYe !! (バイバイ)


の、4行になってしまったという、情けない事実の前に、

私は今、日本人以外には理解しがたい「以心伝心」という

言葉が、モーレツに愛おしいのであった。



おしまい。


...

ガスレンジ - 2003年05月14日(水)

ガスレンジが壊れた。

3つの口のうち、一番大きな火が出る一個がつかない。

つまみを回すとピチピピチと「踏ん張ってます!」という

音と共に、一瞬火を噴くのだが、つまみから手を離すと、

ひゅんっと火が消えるのだ。


3つもあるから、別に一個ぐらいつかなくてもいいのだが、

なんせここは33階建ての超高層マンション。

ガス器具のちょっとの不調が、万が一大きな事故につながっては、

我が家が加入する安い災害保険では、なんともフォロー仕切れないし、

ヘタをすると

「高層マンションに住む者として必要最小限の管理責任を怠った」という

罪でしょっ引かれそうではないか。


保証期間はとっくに過ぎてる。予定外の出費は痛いが、致し方ない。

修理をお願いすることにし、今日、早速、以前に点検してもらった

ことのある東京ガスの下請け会社に電話してみた。

受話器の向こうのおばさんは、私が言う故障状況に「ふむふむ」と、とても

丁寧に聞いてくれる。

さすが下町人情町。

そして一通り私の説明が終わった後、おばさんが言う。

「お客様〜、それは電池がもう切れてるんじゃないんですか?」と。

「えっ?電池ですか?」
「ええ、それがもうないと、点火しないんですよ。」

こんなに説明して電池と言われた日にゃ〜、、

私がただの”あわてんぼさん”になってしまうので、

「えっ?でも、電池ってどのくらい保つもんなんでしょ〜?」と聞いたなら、

「そうですね〜、良くお料理される家で8ヶ月ぐらいでしょうかね〜」という答。


私が驚いたのは言うまでもない。

だって、我が家のはもう3年。

「良く・・」が「8ヶ月」なら、

「3年」の我が家は「まったく料理をしない家」ということだ。


「あの〜〜、、うちは3年目なんです・・・」
「へっ・・・・?あっ、、あっ、、そ、それじゃ〜・・もう・・・」

おばさんは非常に驚いた様子で、言葉が見つからないようであった。



その後のやりとりで、結局うちのは点火に電池は使われていない、

ということが分かったのであったが、おばさんの反応を思うたびに、

当たってるとはいえ、

会ったこともない他人に、

私が料理をしていない、「主婦失格者」というふうに、

思われたことが、

ガス器具が壊れたことより、

予定外の出費より、、

何より残念な私であった。



おしまい。


...

「てつこ」 - 2003年05月13日(火)

土曜日。友人と恵比寿のとあるホテルの喫茶店で、

会合を開いている時の出来事であった。

話に花を咲かせて、2時間ばかりが経った頃、

一人の客が入ってきて、私達のすぐ後ろの席に座り、

注文もそこそこに、いきなり携帯電話で話を始めた。

「あ〜、、俺、お疲れ〜。あのさ〜、テレ朝のさ〜
 ”徹子の部屋”のパソコンの設置の件、あれどうなったぁ〜」

背を向けて座っている私の耳に、ガンガン響くその声は、

オペラ歌手か?と思わせる、腹式呼吸の太く、でかく、偉そうな

オヤジのものであった。

「ふ〜〜〜ん、、あっ、そう間に合いそう。
できないと話になんないからさぁ〜〜。お願いね〜。」

こっちの方が「静かに!携帯は外で!」とお願いしたいくらいであった。

そしてこみ上げる怒り。

老若男女が入り交じり、各自が静かに談笑している茶飲み場で、

いかにも「みんな聞いて、、僕、テレビ関係者〜」

的なその自己顕示欲の強い振る舞いというのは、如何なものか?

しばらくした後、トイレに立ったついでに見たそのオヤジの姿形は、

格幅の良い、「七曲がり署のボス」をちょっと熱で溶かしました、

といった感じであった。

体をやや斜めにし、右腕の肘を背もたれにかけて座るさまは、

「一人なのに、いったい誰に対して威張っているのですか?」

と質問したかったぐらいである。


で、「そういえば、、」と、私はついこの前、バイト先で出会った

ある男性の事を思い出した。

彼は突然フラ〜っと受付に座る私の前に現れて、

この区で催される講演などのパンフレットが並べてあるテーブルを指差し、

「ここって、演劇のパンフレット置かせてもらえるのぉ〜」と聞いてきた。

私が「向こうで聞いてください」と、手で事務所の場所を促すと、

男がいきなり「あれ?君、僕のこと知らない?」と言う。

「へっ??知りません」と私。

「へぇ〜〜ホントに?ホントに僕のこと知らない?」

男はそう聞きまくると、「これ見れば君も分かるよ」と言って、

自分の名刺を差し出すのであった。

が、日本人顔の彼にして、名刺の「名字にっぽん、名は外人」

を見たひにゃ〜、余計「へっ?」であった。

すると、男は私のさらなる「へっ?」を見て、

「○の□貨ってドラマ知ってる?ホラ、○ピーの。僕、その原作を書いた人。
 今脚本家。名前が外人ぽいのは、僕ハワイ出身だから」

と、どうでもいいことを自慢満々に話して帰って行った。


以上、2人の男には「場も状況もお構いなしに、自分の凄さを主張する。」

という共通点があった。

冒頭の”徹子オヤジ”の「携帯でわざわざ」も「俺ってすごい?」を

最大限知らしめようとする彼の演出であったのは間違いない。


友人と別れてバイトに向かう道すがら、一人考える・・。

「あれだけ政治の不正、リストラ等の社会問題を一般民衆の立場に立って

取り上げる「テレビ」の関係者があんなに傲慢な訳はない」・・・と。

「そうだ!そんなハズはない。テレビは庶民の見方だもの」・・・と。


そして、こういう推測に至った・・。

「もしかして、さっき喫茶店にいたオヤジは、パソコンの接続業者

 ではないのか?・・テレビ朝日の近くに住んでいる・・・

「てつこ」というばあさんが・・パソコンを買ったので・・・

 接続を頼まれ・・その責任感から・・あんな風に場を考えず・・・

 電話していた・・・のでは・・・」・・・と。


なら、仕方ない。


おしまい。


...

アジャパーー - 2003年05月11日(日)

私の育った家は、ごく普通の中流家庭であったが、

エンゲル係数の馬鹿デカイ家庭だったため、

高校を卒業し、一人暮らしを始めることになった18までは、

食いたいと思った物はすべて食い尽くし、何不自由なく

育つことができた。


なので、貧乏な大学生時代、

コーヒーのみだけ手元に置いて、ささやかな外食

気分を満喫してる場に於いても、決して隣りのテーブルの

和風ハンバーグステーキや、ビーフシチューセットを見て、

よだれを垂らすこともなく、またジ〜っと見つめるなどという

さもしいこともなかった。

これは、一重に幼い頃から、私をバクバク、モリモリ、

のびのび、育ててくれた両親のおかげであろう。



お父さん、お母さんありがとう。

私は立派に生きてきました。



バイトの日だった昨日。

いつもの調子で、受付にこけしのように座っていたら

私の耳に「ね〜、、今川焼き食べる〜?」という明るすぎる声。

それは、事務所の責任者である、”とびっきりアジャパー”な

おばさんのものであった。(詳しくは5月2日の日記参照)

同じフロアーのチケット売り場の女の子に、事務所の

誰かが買って来た今川焼きを分けてあげるというのだ。

チケット売り場カウンターは、3面パーテーションで囲まれた

四角いボックスタイプになっていて、その後ろに

私の座ってる受付があるので、アジャパーと、売り場の女の子

の様子はまったく見えず、

「あ〜、、良いんですか〜?いただきます」
「あっ、温めてきてあげようか〜」

という声だけしか聞こえない。


私は待っていた。

声がかかるのを。

「あ〜、あなたもどうぞ〜」と。


今川焼きをごちそうになろうとしている女の子も、

私と同じ立場のバイトの身。

彼女に声がかかったということは、「当然食える・・」と私が

思ったとしても罪はないハズ。


私は待つ体制に入った。


「今川焼きかぁ〜、、食べるの久しぶり〜」

とか

「あんこが入ってるからもぐもぐしちゃうな〜、お茶買って来ようかな〜」

とか

「アジャパーっていい人かも。あんなふうに似顔絵描いて悪かったな〜」


と、熱いのをはふはふ頬張る自分の姿に思いを馳せながら。



私は待つ。


そのうち聞こえてきたのは

「ごちそうさまでした〜」というチケット売り場の女の子の声。

そして

「いいえ〜、、どういたしまして〜〜」というアジャパーの声。



私は待った。





待って待って待ち尽くした。





そしてバイトが終わった。




お父さん、お母さん、私は今、アジャパーなおばさんを

どんな動物に仕立てて似顔絵を描こうかと思案中です。






おしまい。


...

青春の食卓。 - 2003年05月09日(金)

火曜日の夜、「きよしですぅ〜。お世話になります」的な感じで、

TOKIOのガチンコに西川きよしが出ていた。


彼をゲストに呼んでの番組の内容は、

売れなくて貧乏だった青春時代、彼の心に残る

思い出の料理をTOKIOが2チームに別れて、

それぞれリサーチをし、スタジオに持ってきて

本人に食べさせるというもの。

それは、「貧乏」「青春」に「福祉」と「お年寄り好き」

という、きよしのイメージまで加えた、明らかに泣かせる企画。

「そんな手に乗るものかぁ〜、、」と思っていた私だったが、

ヘレンに再現してもらったおせちを

「良くこんなもんをぉ〜〜〜〜」と

彼が涙しながら食う場面では、不覚にも一緒に・・ポロって・・・。


番組が終わった後、一緒にそれを見ていた旦那に、

「君の思い出の味はなんだい?」と聞いてみたところ、

なんと、旦那が私とつき合う前にとある会合で作った、

私のもっとも得意な、けれど当時それしか作れなかった肉じゃがで

あるという。

会合は「女の子はその場で何か一品作りましょう!」という

迷惑な・・いや、、、すばらしい催しで、他の女性たちが

香辛料や調味料を駆使してタイ風焼き鳥やら、

何やら食ったこともない舶来のものを作る中、

私だけが弁当屋の総菜みたいなものを作ってしまった

のであった。

しかし、私にして「肉じゃが」が、大変意外だったらしく、

後輩だった彼は、これ先輩が作ったんですか〜?と目を丸く

し、「おい、そこまで念を押すな」と失礼なぐらい私に確認しながら、

結局どんぶりいっぱいに作ったそれを、全部一人で食べ上げてしまった。


彼はハッキリ言い切った。

「あれを食わなきゃ結婚はなかった」と。

私が彼のパンツを洗わなきゃならないのも、毎日素っ裸ムチムチ姿を

見なきゃならないのも、みんな「肉」と「じゃが」のせいだったとは・・。



では、私にとっての思い出の食べ物は・・?というと、

それは旦那とはまったく関係のない、学生時代に食べた寿司。

貧乏でそうめんばっかり食ってた時、高校時代からの友人Gが

深夜に持ってきてくれた寿司の折り詰めだ。

父親が飲食店を経営する彼は、当時、池袋の料理屋で修行をしていた。

「店終わってから俺が握ったんだぞ〜、まあ食え」と言って差し出してくれた

折り詰めの中身を見たときは、本当にうれしかった。

寿司なんだから当たり前なのだが、その時の私にとってみれば、

「わぁ〜〜イカ!わぁ〜〜タコ!わぁ〜〜い、マグロじゃぁ〜ん!
 エビもあるぅ〜!!」

ってなくらい感動したのであった。


あれから、ずいぶん月日が経ったのに、

西川きよしと違って、私にとって思い出の味は今だ高級。

あの時の彼の好意に対して、私は何も返せてはいない。


ちょっと情けない。


う〜〜ん、、私も漫才師になれば良かったか・・・?


おしまい。


...

2人の距離 - 2003年05月08日(木)

結婚して8年も経つと

情みたいなものは深まるかもしれないが、

スキンシップというものに於いては、

どんどん浅くなっていくものである。

なので、もちろん旦那の腕枕でまどろむ、

あるいは私が膝枕などして、彼の耳掃除をする、

などということもすっかりなくなり、

「結婚というのは、お互いの距離をある意味、遠ざけてしまうものだ」

と、ここんとこ憂慮していたのだが、

3連休が始まったついこの前の土曜日。

朝も早よからサーフィンに行った旦那が、

夜9時に私がバイト先から帰るや否や、

「俺もサーファーとして、こうなったらもう一人前!」

的なお得意顔で、

「俺さぁ〜、、耳が変なんだよね〜。自分の声がこもるってゆうかさぁ〜
 たぶん耳の中に海水が溜まってると思うんだ〜」

なんて、耳の不調を訴えるので、連休明けの火曜日、

早速、病院に行かせたら、原因が、実は耳垢が大量に詰まってたせい・・

と発覚し、その耳を例えば私の膝に乗せることを考えたら・・・

それはもう・・・もう・・・もう・・・ブルルルル・・・。


で、「すごいんだぜ〜、、じゃあ耳垢取りますね〜って言って、
   液を中に流し込むの。 でさ〜、そういう時に限って、
   看護婦さんが綺麗でさ〜、俺、緊張するやら、
   恥ずかしいやらでさ〜・・」

という彼の「耳垢救出物語」を聞きながら、

私は

「距離は十分あっていい」という結論に達しました。


おしまい。



...

物欲。 - 2003年05月07日(水)



日曜日。


「車を買ったんだから、当分あなたのものは、何も買えないと思ってください!」


と私からさんざん釘を刺されている旦那が・・・、


五反田で、なにやらスポーツ洋品のバーゲンがあると言い・・・、


自分に刺さっている無数の釘を次から次へと抜きながら・・・、


お気に入りの愛車で出かけ・・・・・、


買ってきたのは、1000円のベージュのチノパンと


1500円のサングラス・・・。



いい加減にしろ・・とか・・、


パンツならいくつも持ってるでしょ・・とか・・、


サングラスをかけたその顔がウルトラマンそっくり・・・などと


言ってみても・・・、


彼はデヘヘ・・と笑うだけ。




そして明けて月曜日の夜。


2時間ものの刑事ドラマを見ていた旦那のもとへ・・、


ご飯が出来ました・・と言いながら・・、


納豆おろしうどん(冷)を持って行き・・、


ふと、彼の顔を見てみると、何故か目には買ったばかりのサングラス。


「ゲッ・・何をしてんの!?」と聞いたなら・・・、


「俺、今張り込み中」


と、まったく訳が分からない・・・。



あまりのバカバカしさに、ふっと顔を緩めて笑ったら・・、


それを・・


「似合ってるわよ、あ・な・た」とか・・、


もしくは


「よっぽど気に入ってるのね。こんな時までサングラスだなんて。
 あなたのそんな姿が見れて、私も・・し・あ・わ・せ」


のサインだと思ったらしく、彼の瞳がキランと光る。



その目は明らかに言っていた。


「さあ!次!次、行ってみよう!!!」



おしまい。


...

負け組。。。 - 2003年05月05日(月)

G・W・・皆様いかがお過ごしでしょうか?

私は・・と言えば・・倒れました。

なんか良く分かんないけど、熱とか出ちゃって。

いや、微熱なんですが、リンパ腺が心なしか張ってて、、。

いや、食欲はバリバリあるんですが、、お腹が痛くて、、ど〜〜んと重くて。


車が来て初めてのG・W。

一昨日は8時半、昨日は5時までバイト。

で、バイトを終え

「サテ、、遅蒔きながらいよいよ私のG・Wが始まる!」と

張り切って、その足で旦那と共に友人の家へ行き、華々しいデビューを

飾ったものの、夜、帰りの車の中で調子悪くなって、

家に着くなり寝込み、お腹がすいたので2時間後ぐらいに起き、

おにぎりとおみそ汁をフラフラしながら作って食べ、

みそ汁のおかわりなんかしつつ、

「そういえば、最近まともに寝てなかった、忙しい日々だった」と

それまでの日々を振り返り、

「学生の時、3日間の徹夜で課題を仕上げ、学校に提出した後に

アパートを探しに行った不動産屋で、

意識なくいつの間にか熟睡してしまい、

冷笑と共に追い返された」ということなども頭に

浮かび、あ〜〜、、私は睡眠を削っては生きられない女・・もっと

体調を整えておくんだった・・、、と反省する私は、

今すっかりG・Wの負け組の気持ち・・。




おしまい。







...

そこに顔のある限り - 2003年05月02日(金)

最近、するすると面白いように似顔絵の描ける私であった。

原因は今年の四月、私が指導員として勤務する職場が、公から民間の会社へと、

管理が以降され、事務所に詰めるメンバーが一新されたことにあった。

その面構えたるや、あまりにも個性的。

例えば、

とびっきりアジャパーなおばさんや、(どんなヤツだよ)

とびっきりな蟹男。

とびっきり風船な少女に

とびっきりのピノキオ等と、もうこれを描かずして、

何のための美大卒業か!といったような感じで、

特別意識しなくとも、気がつけばエンピツを動かし、

作品を上げてしまっている有様である。


しかも、一度描けば、それは、少し前まで似顔絵でスランプに陥っていたとは

思えないほどの出来映えで、作品のほとんどが・・う〜ん、上手。

調子こいて、最近では来た客にまでモデルの範囲を広げてみたりするのであった。

バイトに行くと必ず一枚は描くので、その数もすでに15枚ほどになった。

しかし、この似顔絵。決してモデル本人に見せたりしないのが、

似顔絵道を歩く私のポリシー。

職場の人々の似顔絵もこっそり描いて、こっそり持って帰る。


そう私が決めたのは、あることがきっかけであった。

それは、中学3年生、卒業文集委員になった時のこと。

クラス紹介のページの企画を任された私は、

クラスを動物園に、クラスメート全員をそこにいる動物に見立てることを

思い立った。

本人のイメージから何の動物にするかを決め、もちろん顔は似顔絵で!を志した。

可愛くて男の子に人気のある子は小リスちゃん、といったように。


当時、クラスメートは45人。

放課後も残って描き続け、すべてそろってみんなに見せるとクラスメート達

には大ウケで大絶賛!・・・

・・・のハズだった・・・ハズだった・・。

・・・ある女の子一人を除いては・・。

その子は誰もが納得するほど、プロレスラー「ジャンボ鶴田」似の子であった。

太っていた。

まだ、青かった私は、見るまま、感じるままに彼女を描いた。


豚に。


そっくりだった。

45人中一番の出来であった。

「キャ〜、、似てる〜!!」などという皆の喧噪の中、

突然、私の耳に聞こえてきた「ひど〜〜〜〜い!!」という叫び声。

見ると彼女は泣いていた。

「どうして〜、、どうして〜あたしが豚なの〜」と泣いていた。

サァ〜と一斉に引くクラスメート達。

サァ〜とひいてゆく私の血の気。


「どうして〜」と言われても・・、そうだから、、。



私は4歳から絵を描いていた。

将来画家になりたかった私は、もうすでにこの頃になると、

いっぱしの芸術家気取りであった。

豚さんをキリンさんやカモシカさんには描けない。

物を見て自分が感じたこと。それが何よりも尊い、と信じていた。


そうこうしてるうち、あんなに「似てる〜」といってくれたクラスの子達も、

彼女の泣きっぷりにおそれをなしたのか、

「こんなに似せなくてもね〜」と言い出す始末。

が、今さら直せない。

結局、私は何度も何度も頭を下げることで、ようやく彼女に

許してもらえることができた。

一週間謝りっぱなしであった。

私はその時初めて、自分の生み出した作品が

他人にどんな影響を及ぼすのか?と、立ち止まる冷静さが

必要なのだということを学んだ。




誰の目に触れなくてもいいのだ。

けれど、私は描いてゆく。

一生懸命に。

自分への挑戦として。

そこに顔のある限り・・・。



何しにバイトに行ってんだよ。


おしまい。


...

ちょんまげ。 - 2003年05月01日(木)

いかにも「格闘技なら俺にお任せね!」といったような、

がたいの良い某国会議員が、暴力団に秘書給与を肩代わりさせ、

「やめろ!」「い〜や、、やめません!」

などと、社会的問題になったのは、つい先週のこと。



当然サヨナラするものと思っていたのに、僕辞めないもん!と、

議員バッチを頑固に外そうとしない彼のその姿勢に、私が驚いたのは

言うまでもないが、それ以上に驚いたのは、”懺悔”と称して、

彼が自慢のちょんまげを切ったことにあった。



記者会見で、

「ちょんまげを切り、心機一転新しい気持ちで頑張ります」と、

慎重な面もちで新たな決意を言葉にする彼。

しかし、パッと見には少しも変わったところがなく、

正面からに至っては、まったくいつもの彼で、坊主頭ならいざ知らず、

ただ、おまけのように付いてたちょんまげを切ったところで、

その印象は彼の言う「新しい気持ち」とは程遠いものがあった。


私は思う。

彼に必要だったのは「ちょんまげを切る」ということではなく、

暴力団のイメージを払拭するぐらいの「さわやかさん!」の演出であり、

「毎日眠れない日々が続いて・・もうしんどいです。
 ここら辺で勘弁してください」

と思わせる雰囲気であったのだと。

なのに、ちょんまげを切った後の髪はまんべんなく後ろに

ヘアクリームで撫でつけられていて、その姿はまるでVシネマ。

「仁義無き闘争・赤絨毯編」といった感じで、黒いイメージに

より近くなったような気さえする。

おまけに、顔の色艶はいつも通り。

寝てないどころか、モンゴル相撲で、あと2、3人は

投げられるのではないか?と思わせるほど。


もう少し努力できなかったのか・・。

メイクなど施して弱々しい顔を作るとか・・。


そう、例えば、私が高校時代に松田聖子ばりにかけたパーマを、

英語の授業中に担当教師にとがめられ、1時間立たされた挙げ句、

「明日登校したら、一番に英語研究室に釈明に来い!」と言われ、当日の朝、

いつもより早く起きて、母親のグリーンのアイシャドウを目の回りと

頬に塗ってはぼかし、ぼかしては塗りを繰り返し、

「反省して眠れませんでした顔」を作ってまんまと

許してもらった時のように・・・。


今回の一件で、

「暴力団と関わっちゃダメなのね」と、彼はお勉強したに違いない。

けれど彼には、そんなことより学ばなければならない大切なことがある。

私がこっそり教えよう。

それはテレビ映り。

髪型はまあいいから、

「いざ!」という時のために

せめて、寒色系のアイシャドーだけは買っておけ!ということである。



おしまい。


...




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