パラダイムチェンジ

2005年10月25日(火) 「アースダイバー」

今回紹介するのは一冊の本、それが「アースダイバー」
中沢新一の本である。

この本はまず、次の事を教えてくれる。
・実は東京には、沢山の縄文時代の遺跡や、古墳が存在するということ。

・そして縄文時代、最も海面が上昇していた時代には、東京の山の手
とよばれる台地の中にまで海面がおしよせ、東京にはフィヨルド状の
岬が数多く存在していたこと。

・それらの岬は「サツ」と呼ばれ、多くの遺跡や貝塚が存在し、当時の
人々にとってそこは創造的な活動や、祝祭空間であった、ということ。
(ちなみに当時の人々の住居の中心は、多摩丘陵や八王子にあり、そこ
から「サツ」である都心部までわざわざ出かけて、創造的な活動を行なっ
ていた、という現代をほうふつとさせる事もあったらしい)


そして、実は話はそれだけでは終わらない。

今現在、東京にある神社や寺の多くは、そうした遺跡や古墳のあった、
岬の突端部にあっただけではなく、現代の東京のランドマークといえる
有名スポットの多くも、実はそうした遺跡や古墳の上にあるという事。

例えば東京タワーのすぐ近くには、古墳が5つも存在しているし、また
早稲田や東大の近くにも、また後に皇居となった江戸城にしても、実は
縄文時代から続く、そうしたパワースポットにあった、ということ。

また例えば、渋谷、六本木、赤坂など、人のにぎわう場所であったり、
また新宿歌舞伎町など、猥雑さや、いかがわしさの残る場所(他にも、
例えば大塚、王子などに残る三業地という地名=以前の売春地帯だった
場所など)は、元々海であったり、沼のあった湿った土地であった、と
いうこと。

このように東京という街は、西洋の都市とは全く異なる、縄文以来
1万3千年もの間続く「土地の記憶」を持ち続けている街である、という
こと。
そしてそこまで古層の記憶を持った都市は、アメリカはもちろん、パリ
やローマの数千年でも及ばないのだ、ということ。

そして21世紀の今日、実はそういう縄文的な思考を無意識のうちに持ち
続けた日本人にこそ、今の閉塞的な状況を打ち破る「智慧」があるのでは
ないか、ということ。



この本を、まず始めに面白いと思った背景には、内田樹の影響がある。
その部分を内田樹の本「死と身体」から引用してみると、

(略)ぼくの住んでいる芦屋はいい町ですよ。なんで芦屋がいいかって
いうと古墳があるから。

いまから千何百年前はもちろんこのあたりは全部空き地なわけです。
どこに住んでもいい。でも、とくにここに住みたいという人が何人も
いて、集落ができたわけですよね。縄文人や弥生人は、電気もないし、
道路も舗装していないし、野獣だっていたところで暮らしていたわけ
ですから、当然、現代人より圧倒的に身体感受性がいいはずです。
その身体感受性の高い古代人が「気」のいい土地を選んでそこに住むの
は当たり前のことです。

好きなところを歩いていいと言われると、動物も人間もかならず一本の
道を歩く。だから「けものみち」だってできるわけです。もっと短い
ショートカットができて、動物も人間もねらい澄ましたように、くね
くねとした一本のルートをたどっていく。そうやって道ができるわけ
です。そこを歩くとほかのところを歩くより気持ちがいいから、そこを
歩く。道というのはすごく気の流れのいいところです。だから、古墳や
貝塚があるのが「いい土地」なのは当たり前なんです。(略)


そしてその視点でこの本の中にある地図を眺めてみると、面白いのだ。
今まで自分が住んできた場所、通ってきた学校などの多くが不思議と
海だった場所のそばの水辺だったりとか、また逆に思いっきり水の中
だった場所には、不思議といい思い出がなかったとか。

知らず知らずのうちに、自分の人生にも影響を受けていたのかもなあ、
なんて事を思ったりして。

実は今年の前半は親が持ち家を売り、都内にマンションを買う、という
事で様々な物件を見て歩いたんだけど、その時にもこの本には随分と
参考にさせて頂いたのである。

ここはちょっと何だかなあ、と思った場所っていうのが、大抵湿った
場所だったり、ベストだと思った場所のそばには、やはり古墳や遺跡が
あったりして。(そこは残念ながらタッチの差で買えなかったのだが)

でもそういうことに関係なくても、今自分が住んでいたり通っている
場所が、元々はどんな土地だったのかを知ることは、結構面白いと
思うので、是非一度は手にとって読んでみることをオススメしたいと
思う。



2005年10月24日(月) はじめての中沢新一

月曜日、東京国際フォーラムで行なわれたほぼ日刊イトイ新聞主催の
イベント、「はじめての中沢新一」に行ってきた。
タイトルは「アースダイバーから芸術人類学へ」
氏の著作、「アースダイバー」「カイエソバージュ」を基にした、
約4時間半にも及ぶトークショー、というか授業である。
出演?は、他に糸井重里、タモリ。

ほぼ日刊イトイ新聞をはじめとして、田口ランディなど、検索をかける
と多くの人がすでに内容に触れているんだけど、個人的な感想は、
「とても面白かった」であるし「無茶苦茶内容が濃かった」である。

「アースダイバー」については、次回触れるとして、今回最も興味深かっ
たのは、会場の雰囲気だった。
約3千人もの聴衆が、中沢新一ひとりの講演を耳をすませて聴いている。
その中には、「はじめての」と銘をうっていることもあるし、初めて「アースダイバー」や中沢新一の世界に触れる人もいるんだろうし、また、
逆にこういう話の内容になるとは思わずに参加した人もいたかもしれ
ない。

でも、皆が耳をすませて聴いているんだ、というのが一緒に聴いていて
何となくわかるのである。
ただし、そこに熱狂的な興奮があるわけではない。
とても静かに、そして深く、中沢新一、タモリ、糸井重里と共に時間を
時間を共有したというぜいたくさというか、充実感が残るイベントだっ
た。

できればこの内容が、「中沢新一ガイド」みたいな感じでもいいから、
本かDVDにならないかなあ。
イベントの中でタモリも言っていたけど、本では触れられなかったけど
心の中でメモしたかったようなフレーズが、いっぱいあったんだよね。

その中で最後にふれていた、「芸術人類学」に関しては、これからも中沢
新一、糸井重里、そして中洲産業大学ことタモリによって、更なる進展
がありそうなので、今後の展開が楽しみである。



2005年10月23日(日) 東京モーターショー



日曜日、東京モーターショーを見に、幕張メッセまで行ってきた。
東京モーターショーは、高校〜大学の頃、よく見に行っていた。
今回見に行くのは大体10年ぶりくらい。

その頃はまだ、バブル〜直後くらいで、各メーカーとも開発に力を
注いでいて、コンセプトカーもバブリーなものが多かったし、人手も
結構すごかった印象がある。

今回は開催後、最初の日曜日だし、混んでるかなー、と思いながら
見に行ったのだが、午後から行ったせいか、そんなに無茶苦茶混んでる
という印象はなく、結構見やすかった。

でも久しぶりに東京モーターショーに行ってみて、改めて感じたのは、
これって「目の保養」なんだなー、ということ。

元々、車好きというか、車のフォルムフェチ気味なので、以前行ってた
時もコンセプトカーとか、普段はなかなかお目にかからない高級外車
ばっかり見に行っていたのだが('77年のスーパーカーブーム直撃世代
だし)、今回行ってみて、感じたのは、「世の中には、きれいなお姉さん
が思った以上に沢山いるんだなあ」ということ。

というより、世間一般にはそっちの方も目的というか、いわゆるカメラ
小僧?の方々も多数いらっしゃっており。

見ていて面白いなー、と思うのは、そういう綺麗なお姉さん方も、
向けられるカメラのレンズが多ければ多いほど、表情がどんどんよく
なっていくのである。
もう、自分が主役っていうか、実際そういうのに慣れていて勝ち抜いた
人たちが、大勢集まっているのが、東京モーターショーなんだろうけど。

でも面白かったのは、そういうお姉さんたちと、カメラ小僧の皆さんの
間で、ちゃんとコミュニケーションが成り立っているように見えること
である。
カメラを向ければ、お姉さんたちはその瞬間を見逃さず、ベストな表情
を浮かべてくれるし、また撮り終わった後は、カメラ小僧の方々は、
ちゃんとお礼を彼女たちに述べていて。
なんていうか、暗黙のマナーっていうか、きちんとそういうのが成り
立っているのが面白いなあ、と思ったのである。

自分も便乗してお姉さんの写真を撮ろうかな、とも思ったんだけど、
携帯しか持って行かず、さすがにデジタル一眼レフの砲列の中、携帯を
構えて撮るのは、なんか失礼な気がするというか、気が引けて。

あと面白かったのは、メルセデスとか、トヨタとか、日産などの大きな
車メーカーよりは、車メーカーでも日本でのシェアがいまいち低い、
シトロエンとか、また問題があった三菱自動車などの方が、見るからに
お姉さんに力を注いでいたり、また、会場の端っこの方にある、タイヤ
メーカーとか、オーディオメーカーの方が見るからにお姉さんが売りに
なっていたり。

だから会場の隅っこの方でやけに人が集まっているなあ、と思うと、
そこはお姉さんたちの写真撮影会になっていたりして。
そういうのを見ているのが、素直に面白かったというか。
いや、なかなか楽しいイベントでございました。



2005年10月16日(日) がんがれタイゾー君

ということで杉村タイゾー先生である。
といって、私自身、彼に特別の興味があるわけではない。
ただ、マスメディアの彼の取り上げ方と、世論というか、世の中の反応
が面白いな、と思ったのである。

私が面白い、と思ったのは、彼がパキスタン地震の募金活動を行なった
というニュースと、最近、新潟中越地震の災害地、旧山古志村を訪れた
というニュースである。

どうやら自民党としては、彼を積極的に使って広報活動を行うことに
したらしい。
でも、面白かったのは、彼に対する一般人の反応の良さだった。
結構人気あるんじゃん、タイゾー君。
来年のバレンタインデーで一体どれだけのチョコが集まるのかが見もの
である(それまで彼にニュースバリューがあると皆が思っていれば、
の話であるが)

でもこれって、何かに似ているかもしれない、と思ったら、「電車男」に
似ているんじゃないのかな、と思ったのである。

2ちゃんねるで、電車男があれだけの応援を集め、人気を博したのは、
彼が山田孝行に似ていたり、武田真二に似ているからではないだろう。
彼が基本的に謙虚で、素直なように思われるキャラクターを持っていた
からだと思うのだ。

で、毒男(独身男性)板の住人たちが実際どうなのかはわからないけれど
皆基本的には、電車男よりも上の目線で、彼について語っていたわけで。
おそらくは杉村タイゾー先生に対しても、同じような目線で語っている
んじゃないのかな、と思ったわけである。
まあ、実際、タイゾー先生が「料亭どこかたのむ」とは、掲示板では聞い
てはくれないと思うけど。

このまま彼が皆に愛されながら?議員活動を続けていけば、電車男世代
の新しい議員像を作り出していくのかも、しれない。



2005年10月07日(金) アメリカ旅行で感じたこと

そんな訳でアメリカから帰ってきて早1週間がたつ。
その間は仕事をきちんとこなしながらも、少し抜け殻のような毎日を
送り。
アメリカで経験した事を元に、そこから一歩でも二歩でも前進しよう
なんて思いながら、もどかしい日々を過ごしているわけである。
それが日常ちゃあ、日常のような気もするのだが。

アメリカに1週間いたことによる一番の大きな大きな変化は、身体の
変化だった。
アメリカに行って太って帰ってくるかと思えば、これがまたやせて
帰ってきたのである。

そういえば間食なんて、ほとんどしなかったしなあ。
というより日本では、間食がおいしすぎるんだよなあ。
ついでに向こうでは車での移動がほとんどだったので、日本に帰って
きて最初の感想は、「もしかして足やせたっていうか、筋肉落ちた?」
というものだった。

で、実際今通っているフィットネスクラブで筋肉量を測ったところ、
1ヶ月前と比べて、特に足の筋肉が落ちていたのである。
1ヶ月の前半は普通に生活し、フィットネスに通い、鎌倉を10kmちかく
歩いたのにも関わらず、である。

ほかに筋肉が落ちる理由が見当たらないので、アメリカでの1週間の
生活でこれだけ落ちたって事なんだろうなあ。
というより、今現在の日本での私の生活が、電車と歩行という、極めて
貧乏ライクなせいもあるのかもしれないけど。
でも別にいやいや歩いているわけでもなくて、歩くの大好きだし。

とりあえず日本で生きていく以上、また地道に身体を動かしていく所存
である。

もう一つ、私の英語に関していえば。
やっぱり喋ったり、文章を書いたりする、というアウトプットの部分が
弱い、ということが改めて発覚し。
おかげさまでインプットの方は(まだまだにせよ)多少の希望というか、
自信はできたが、アウトプットの方はやはり訓練というか、実践して
いかなければ身にはならないわけで。

だから東京でも、やはりアウトプットの訓練をする環境を考えないと
いけないなあ、なんて事を感じるのである。



2005年10月01日(土) 蝉しぐれ

毎月1日は映画サービスデー。今回見たのは映画「蝉しぐれ」
この映画を一言でいうなら、「うーん、和食」って感じである。

やっぱり、アメリカ旅行の行き帰りとTVで、アメリカ系の映画は沢山
見たので、結構お腹一杯な感じで。
こういう時、一杯のお茶漬け、ではないが、やっぱりさっぱりしてそう
な映画を見ると、あー、日本っていいなあ、なんて気になるのである。

映画は、市川染五郎、木村佳乃主演の身分違いの恋を描いたせつない
話なんだけど、市川染五郎の元服前を演じている石田卓也の感じが
ちょっとよくて。

前半を彼がうまく引っ張ることに成功し、その後市川染五郎に代わって
からも割とテンポよく話が進むので、ものすごい展開があるわけでも
ないのに、飽きることなく、最後まで見ることができる。

同じく藤沢周平原作の時代劇映画としては、「たそがれ清兵衛」「隠し剣
鬼の爪」の山田洋次監督作品があり、どうしても比べてしまう。
山田洋次監督の映画が、リアルさを追求した「本格時代劇映画」だとする
と、こっちはより「TV時代劇」に近い感じかもしれない。
セリフも標準語だし。

でも、映画撮影の舞台となった山形県の農村の風景を見ているだけで、
ちょっとした旅気分というか、その時代にタイムスリップした気になる
から不思議である。
TV時代劇のロケでは、この雰囲気を出すのは予算の関係もあって難しい
だろうし。

お話自体も、感動の名作、というか無理矢理泣かせる方向ではなかった
のも私にとってはちょうど良かった感じ。
もう一回見るか?といわれると正直うーん、だけどTVでやっていたら
見てしまうかも。
ハリウッド映画に飽きてお茶漬け食べたい人にオススメの映画です。


 < 過去  INDEX  未来 >


harry [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加