パラダイムチェンジ

2004年05月30日(日) 偏愛マップ

ちょっと前の話に遡るが、5月15日に斎藤孝の講演会というか、ワーク
ショップに参加してきた。場所は神田の三省堂書店本店。

実際に見るのは初めてであったが、予想にたがわぬハイテンションの
人であった。
そして、今回のワークショップのネタは、自身の著書「偏愛マップ」
を元にして、自分で偏愛マップを作成し、それを見ず知らずの人と
見せあいっこして、何も共通点のない状態から共通点を見つけて話に
花を咲かせましょう、という趣向である。

ここで、偏愛マップについて簡単に触れると、自分自身の大好きな物を
A4の紙一杯に、できるだけ具体的に書き込んだチャートである。紙は
自由に使って構わない。そして、具体的に書けば書くほど、他人との
共通点を見つけやすくなる、という特徴があるらしい。

ここで、私がその時作った偏愛マップの一部を書けば、
・ハンバーガー  ・クアアイナ
         ・ハードロックカフェ
         ・ホームワークス

・ラーメン    ・屯ちん
         ・つけめんよしべえ

・最近興味のあるもの  ・70年代ロック・サッカー・格闘技

のように、アットランダムになるべく細かく書いていった。
このうち、実際に相手の興味をひいたのは、ハンバーガー、ラーメン
70年代ロックあたりに話題が集中した。

そして、斎藤先生曰く、「偏愛マップを用いれば、好きな人は元より
自分が苦手だと思う人とも、話題が持ち、場合によっては相手と共感
が得やすくなる」「話が続かないのは、お互いの好きなものが重なら
ないからだ」「嫌われる人間は、相手の世界に興味を持たない人間で
ある」「偏愛マップを透かして相手をみれば、相手が何を好きかに
よって、相手のオリジナリティが形成されているかがわかる」そうだ。
詳しくは本を参照してもらいたい。


と、言うわけで、実際に偏愛マップメソッドを行なってみた訳だが、
その感想は「結構難しい」である。
時間が5分と制限されていた、というのと、いきなりトップギアに
入って話すように、と言われていたせいかもしれないけれど、対話が
意識レベルというか、脳レベルで行なわれていて、なかなかお互いの
身体に染み込んで共感する、というレベルには落ちてこなかった。

偏愛マップでお互いの好きなものの共通点を見つけても、今度はその
偏愛度というか、思い入れの量の差なのかはわからないが、違いと
いうか差異の方が目立っていた気がするんだよね。なんというか、
オタク的ヒエラルキーに巻き込まれていた気がするのだ。

また、ここの所をもう少し掘り下げてみたいなあ、と思っても、双方向
というよりは、一方通行の質問合戦になっている印象があったり。

どちらかというと、自分の身体まで下りてない分、深い共感という
よりは、話の表層をなぞっている感じだった。

だから個人的には、いきなりトップギアには入れない方が向いている
のかもしれない。また、コミュニケーションって、もう少し身体を
感じられる距離で行なった方が、より深い共感をお互いに感じられる
ような気がする。

もちろん、それでもいきなり初対面の人と5分間も話を持たせることが
できるなんてすごい、なんて見方もできるのかもしれないが。


もう一つ、このメソッドに参加して改めて気が付いたのは、自分が質問
することには慣れていても、質問されることに慣れていない、って事
である。だから、ちょっと話に間が空いてしまうと、そこを自分の質問
で埋めてしまうんだよね。

だから、個人的に相手の事はよくわかっても、相手にしてみると、
ちっとも私の事がわからない、というか印象に残りにくかったのかも
っしれない。それは職業柄なのか、それとも人見知りで、知らず知ら
ずの内に身構えているせいなのかはわからないが。

でも、確かに例えば合コンの場で、自己紹介につまるよりは、偏愛
マップの交換を行なった方が、より話に花が咲くかもしれないし、
また、例えばWeb上で、自分の偏愛マップを晒すというのは、アリかも
しれない。というより、この日記自体が、そんな感じなのかも。

また、個人的には、英会話でネイティブの人と話をしなきゃいけない
時に、1枚の紙を用意して偏愛マップコミュニケーションや、同じく
斎藤孝提唱のマッピングコミュニケーションを行なってみるのも
面白いかもしれない、と思ったのである。



2004年05月28日(金) 都立高君が代問題

都立高校他で、卒業式に君が代を歌わなかった先生たちが結局処分を
受けたそうな。

もう「横山ホットブラザース」並に「おーまーえーは〜あーほ〜かー」と小一時間くらい、たっぷりと担当者を問いつめたい。

私が怒っているのは、日教組的な文脈で、「君が代」は天皇制礼賛の
歌だから怒ってる訳ではない。
処分された高校の中には、おそらく自分の母校の教師も含まれている
だろうから腹を立てているのであり、国歌・国旗を本人の思想信条に
関わらず強制し、処分をするという態度に腹を立てているのである。

あらかじめ言っておくと、私は、例えばこの前のサッカーオリンピック
予選で国歌が流れた時などには、なんのためらいもなく君が代を歌う。
それは、国の代表として、ピッチに立っている人たちへの敬意と、
応援の意味を込めて、国歌を歌っているのである。

でも、例えば日本政府が間違った選択をして、その結果「進め1億火の
玉だ」なんてスローガンの下に国歌を歌うことを強制された場合、
自分に守るもの(家族とか)がなければ、どんなに強制されたとしても
歌いたくはない。なぜなら国民の1人として、そういう状況を寿ぐ気に
は、到底なれないからである。

ついでに言えば、私はサヨクではないので、「君が代」つまり天皇制が
「千代に八千代に」続くことについても何ら異存はない。
だって、日本という国が天皇という存在を中心においてうまくまわって
きた、という長い歴史を尊重したいと思うからである。

天皇にも太平洋戦争を起こした責任、そしてそれを止められなかった
責任もあるとは思うが、それよりは、明治憲法下で天皇制を利用して
きた人たちと、その人たちを止められなかったという明治憲法の構造的
な問題の方が大きいと思うからである。

ついでに言っておけば、だからと言って私はウヨクでもない。
右翼と天皇制については、またその内にでも。


と、いうのを前提として、一体私は何に腹を立てているのか。
以前内田樹氏が、 日記サイトで触れていたが、国歌・国旗を強制
することは、少しもソフトの面で教育的効果がないと思うからである。
この数十年、文部科学省は、ハードの時代からソフトの時代へとシフ
トしてきたのではなかったのか。

私の母校である都立高校は、今はどうだか知らないが、進学校と言われ
ながら、かなりの部分を生徒の自主性に任せてきた歴史がある。

自主性とは、「好き勝手していい」という事を必ずしも意味しない。
「好き勝手」する代わりにやるべきことはちゃんとやれよ、という
無言のプレッシャーを生徒に与える、という事である。

そして無言のプレッシャーを与えられた生徒側は、これはやっていい
ことか、悪いことなのか、自分で判断をしなくてはならない。
なぜならやって悪いことをした場合の責任は自分にあり、また自分の
信用度が落ちるということを意識するからである。

結果、急性アル中になる奴はいても、トイレにタバコの吸殻は落ちて
いないという校風が維持されていたのだ。
だから結果的には、そんなに逸脱することはなく、落ち着くべき所に
落ち着いていた、と思うのである。

ただし、これは自己規制によって自分をがんじがらめにするという
意味ではない。

3年生の秋、という受験勉強上大事な時期に行なわれる文化祭で、クラ
スで製作した映画を出品した時、編集作業が間に合わず、主要スタッフ
10人前後が徹夜の上、授業をサボった時も、文句は言われたが結果的に
何のお咎めもなかった。

なぜなら、生徒たちが自分で判断した事であり、その責任は自分たちで
取れる範囲のものだったからである。つまり自分のケツは自分で拭いた
のである(結果、当然のように私を含めたスタッフは浪人した)。

あの時は、授業をサボって怒られる事よりも自分達の信用に関わる
(映画を落とさない事)の方が大事である、と順位付けをしていた
と思うのだ(ま、怒られても大したことないとタカをくくっていた
んだが)。

そしてそのバランス感覚を養うことこそが、高校で学んだ一番大きい事
なんじゃないのかな、と思うのだ。

そして自分の意に染まず、唯々諾々と上の強制に従って、国歌を歌う
先生たちに、10代の多感な少年少女達が「自主性を重んじます」と
言われた所で、果たしてそれは本当に保証されているというか、信じ
られるのか?と思うのである。

いや、もちろん、世の中とはそもそもそんなものだ、という意見も
あると思う。
でも、だからこそ、高校という教育の場で大人の事情を振りかざすのは
どうなのか。そんなものは、社会に出れば否が応でも付き合わされる
のだ。

その時、その問題をどうやって折り合いをつけるかと言う意味でも、
生徒が自分の頭で判断する、というソフト面での教育が大切なんじゃ
ないのかな。



2004年05月27日(木) '70'S ロック

最近、70年代ロックにはまっている。
はまる原因になったのは、「スクール・オブ・ロック」という映画を
観たためである(単純である)。

この映画、自分のバンドを追い出されたロッカーが、友人のふりをして
アメリカの名門(そうな)私立小学校に教師として赴任し、自分の
クラスの生徒たちにバンドをはじめとするロックビジネスを教える、
というありがち(そうな)物語である。

でも、これが予想していた以上に、面白かったのだ。

主演はジャック・ブラック。この人、この前のアカデミー賞授賞式で
プレゼンターとして登場して、替え歌で「受賞者のスピーチは長い」
「退屈だ」「ペットのインコにまで感謝しなくてもいい」と茶目っ気
たっぷりに歌っていた人である。

で、この映画でも茶目っ気たっぷりに破天荒でちょっと太めなロッカー
を好演しているのだが、それにも増していいのは子役達である。

振り替えなしに実際に演奏して、しかもちゃんとロックバンドしている
んだよね。男闘呼組とは、えらい違いである(失礼)。

で、この映画、ツェッペリンやら、クリームやらAC/DCやらの名曲が
BGMとして所狭しとかかるのである。やっぱ、名曲がかかるといいよ
ねえ、と盛り上がってくるのだ。
いや、いい映画だった。

と言うわけで、遅ればせながら?70年代ロックに改めてハマっている
のである。
とりあえず手始めに「レッドツェッペリン」から聞いてみた。

これがいいのだ。いや、いいのは当たり前なんだが。
「天国の階段」や「イミグラントソング」は当然知っているし、昔も
聞いていたんだが、改めて聞いてみるとカッコイイ、のである。

えらそうな事は一切言えないが、やっぱりジミーペイジのギターは
カッコイイな、などと感心しているのだ。
さて、次は何を聞こう。



2004年05月26日(水) モノからヒトへ

皇太子の発言について、いろいろとマスコミで取りざたされている。
正直、どうでもいいと思うが、思いついた事があるので書いてみる。

それは、結局宮内庁のお役人たちは、皇族を人間として扱ってなかった
って事なんじゃ?という事である。

だって、官僚というか役人にとってみれば、自分の扱う対象が、人間で
あるというより、モノとして扱えれば、その方が全然ラクなんだろう、
と思うのだ。

戦前、天皇は人間ではなく「アラヒトガミ」であるとされていた。
その一方で歴史の教科書の知識でいえば、美濃部達吉の「天皇機関説」
が、実は当時の高級官僚から、警官に至るまで、広く行き渡っていた
ように、「ヒト」ではなく、機関という一つのモノとして捉えていた
のではなかったのか。

大体、天皇陛下自身が、自分の意志で発言しちゃいけないって、教育を
受けていたんでしょ?その事が、太平洋戦争における昭和天皇の苦しみ
だったのかもしれない、というのはおいといて。


でも、これは宮内庁の官僚に限った話ではないのかもしれない。
国民年金制度は、自分達の天下りのための資金であると言い切り、金は
どんどんたまるんだから使っちまえばいい、と機関紙で発言していた
厚生省(当時)の官僚たちも、国民一人一人を、「ヒト」というよりは
集金マシーンという「モノ」として見ているのではないのか?

そしてそれは、税金を浪費している人たちも同様なんじゃないのか?
つまり、一人一人とは言えないまでも、納税者の「顔」を意識したら
早々無駄遣いはできないんじゃないのかな。

そしてそれは、兵士をモノとしてイラクに派遣をしているアメリカ政府
首脳たちも、そしてその派遣先でイラク人をモノとして虐待をしていた
アメリカ人兵士たちも、皆、相手を「ヒト」として扱わず、「モノ」と
して扱っているんじゃないのかな、と思うのである。

でね、皇太子に限らず、今現在、この社会を生きている人たちっていう
のは、自分がモノ扱いされている事に対してのストレスが、非常に高く
なっているんじゃないのかな、と思うのだ。

つまり、私は人間なんだ、と皆、声をあげている気がするのだ。

今、学校が荒れている、と言われている。でも、荒れている原因の一つ
は、学校の先生が生徒をヒトではなくモノとして扱っている事もあるん
じゃないかな、と思うのだ。

もしも先生が、生徒一人一人と本当に腹を割って話して、少なくとも
相手を人間として扱っていれば、荒れることは少なくなるような気が
する。

そう、相手をヒトとして扱うとは、相手も同じ人間である、と認める
事なんだろうと思う。
そして大量生産で飛躍した20世紀に代わる21世紀は、この相手も同じ
人間として扱う、という事が重要になってくるんじゃないのかな。

いや、もちろん、先生にしてもまた高級官僚にしても、生徒一人一人、
国民の一人一人の顔を見て、そして等しく相手をヒトとして扱うという
のは、限界があるのかもしれない。

でも、そうではなく、実際に不可能であっても、できるだけ多くの
「ヒト」の事を考え、勘定に入れられる人のことを、「思いやりのある
人」というんじゃないのかな、と思うのだ。

そして、先生には先生の、官僚には官僚の思いやりのレベルがあると
思うのだ。


P.S.
関係ないが、今朝、仕事前にTVを見ていたら、「トクダネ!」で、
養老孟司が日本人の壁とは?」と聞かれ、「本気」と答えていた。
曰く、「だって、誰も国民年金のことなんて、本気で考えていない
でしょう?」「時々、相手に本気か?と聞きたくなる時がある」

なるほど〜、と思わず考えさせられた。



2004年05月24日(月) 北勝力

私は普段、あまり大相撲は見ないのだけれど、今場所は序盤早々から
1人の力士の活躍を楽しみにしてきた。
それが北勝力関である。惜しくも賜杯は逃したが、35連勝中の朝青龍関
に土をつけるなど、今場所は大活躍だったのだ。

で、何で楽しみにしていたか、といえば、過去に実際に会って飲んだ
事もあるお相撲さんなのである(ちょっと自慢?)

でも、実は自慢するほどの事ではなく、ただ単に友達の伝手でお相撲
さんと一緒に飲むんだけど来ない?と言われて、ほいほいついていった
だけの事なんだけど。

で、そのお相撲さんたちが八角部屋に在籍?している幕下の力士さん
たちで、その中に北勝力関も、たしかいたと思うのである。

それが今から5〜6年前の事だから、北勝力関もまだ20歳位?その後、
合コンを開きましょうと盛り上がった気がしたが、残念ながら実現には
至らなかった。

その後しばらくして、やはりその友人の伝手で、八角部屋の朝稽古に
連れて行ってもらった事もある。集合時間が8時過ぎで、その後稽古を
拝見し、しかもちゃんこまで頂いたんだった。

でも、このちゃんこ、八角親方や幕内の関取(魁皇関だったのかな)が
先に済ませた後、厳しい練習を終えた後の幕下の力士さんたちをさし
おいて、私たちが先に頂くのである。
しかも朝っぱらからビールつき。

自分たちが食べている周りを浴衣姿の力士さんたちが立ったままぐるっ
と囲み、ビールのグラスが空いたら、すぐさま力士さんが注ぎに来る
という、わんこそば状態。

その中には前の飲み会で知り合った人たちもいるんだけど、お互いに
ちゃんこを囲みながらわいわい楽しく談笑する雰囲気ではなく、とって
も不思議な雰囲気の食事だった。つうか、全然酔えなかった。

でも、自分たちを誘ってくれた友人の知り合いで、元力士さんが言うに
は、こういうしきたりや礼儀作法を覚えさせていかなきゃならないんだ
という事だった。

この経験以降、私のお相撲さんをみる目に敬意が加わったのはいうまで
もない。だって、そんな厳しい世界を経験して、しかも勝ち残った人た
ちなんですぜ。

前にその友人に聞いた話では、あの時飲み会をした力士さんたちの何人
かは、怪我などにより廃業してしまったと言っていた。
そう考えると、あの厳しい修行をし続け、朝青龍を倒して賜杯に手が
かかった北勝力関は、やはりすごいと思うのだ。

ついでに(実際北勝力関だったのかは、もう定かではないが)自分が
お姫様だっこをしてもらったっていうのも、私のひそかな自慢である。

北勝力関の、今後の益々の活躍をご祈念しています。



2004年05月22日(土)

昨夜、メールBOXを開いてびっくりした。
それは、自分の同級生が亡くなった、というメールだったからだ。
死因は、癌だったらしい。あまりにも、早い死だった。

学校に行っていた頃、出席番号1番の彼女は、いつも教室の1番前の席に
座って、うちのクラスのムードメイカーだった。
まるで綾戸智絵のような、パワフルなおばちゃんだった。

学生当時も、色々と面倒をみてくれて、卒業後、同業者となった後も
色々と、奇遇というか奇妙な縁で、ばったり会うことの多い人だった。

「○○君も、ちゃんとすれば芸能人の△△みたいなのにねー」とか、
「私が10歳若ければねー」と笑いと共に、過度の評価をして頂いたのも
彼女だった。

彼女の仕事場に、たまには遊びに行かなきゃなー、などとこの数年、
思いながら、結局年賀状くらいでしか、挨拶を交わさなかったのが、
残念で仕方がない。

しかも、入院していた病院は、うちの仕事場の目と鼻の先だったらしい。
もしも、その事を知っていればと、本当に悔やまれる。

私は、母親を同じく癌で亡くしている。だからこそ、本当はこういった
時に、自分の知り合いの力になれれば、とこの道に入ったのではなかった
のか。

母親が死んだ時、信じられない気持ちや、大切な人を失ってしまう悲しさは
確かにあったが、それでも、その死は覚悟していたこともあり、受け入れる
事が出来た。

でも、自分の知り合い、というか、一緒に釜の飯を食った人が、しかも
突然亡くなると、こんなにも人は悲しくなるんだなあ、という事をはじめて
知った。

できればもっと長生きしてもらって、できれば仕事の成長をみてもらいた
かった人だった。
その人と、もう本当に会うことが出来ないんだなあ、というのが、
本当に悔しくてしょうがない。

青木育子さんの、ご冥福を心よりお祈りいたします。



2004年05月21日(金) 身体ほぐしと文章力

台風一過である。ちなみに昔はずーっと「台風一家」だと思っていた。
5月だというのに、季節外れの台風がやってきてくれたお蔭で、東京に
鮮やかな青空を運んできてくれた。これぞ五月晴れ。
これを見ると、いつも見ている青空は何なのか、と思ってしまう。

しかも、夏の台風一過と違い、とても爽やかないい陽気である。
まさにいいことづくめである。唯一、いい事でないのは、こういう天気
でも仕事をしなきゃいけないことだろう。

さて、気がつけばこの日記も2周年を過ぎてしまった。
だからという訳ではないが、しばらくは短い文章で更新してみようかな
と思う。

と、いう訳で本題に入る。
今年のGW、後半はあいにくと天気が崩れたが、前半は今日のような(
ちょっと暑かったが)だった。そういう時、家にいるのももったいない
ので、私はうちの近所にある明治神宮へと向かう。この日記では、
おなじみの芝生の生えた庭園である。

ちなみにこの時期、若葉の頃の明治神宮が大好きなのだ。
そして、天気のいい日には決まってすることがある。それは芝生の上で
ごろんと寝そべることである。
これがまた、気持ちいいのだ。

芝生って、実は涼しくて気持ちいい。で、寝転んでいる内に、今度は
身体がうずうずしてくる。身体を動かしたくなってくるのだ。
靴を脱いで裸足になり、自分勝手な気功やら、ヨガの真似事や、時には
四股を踏んでみたりする。土の上で行なうのは、とても気持ちがいい。

で、そんな事をしている時にふと、ひらめいた。
もしかして身体がなまっている時って、文章や思考法も硬くなっている
んじゃないだろうか?という事である。

つまり、身体がほぐれているか、硬くなっているかで、その時につむぎ
出される文章も、柔軟になったり、やたらと硬くなったりしているよう
な気がするのだ。

身体がほぐれている時、私は日記のネタや、仕事の時のアイデアが
ポコポコと3つ位、調子のいい時には5つ位、平気で浮かぶ。
逆に普段はあまり意識はしていなかったが、アイデアが1つ位しか
思い浮かばなかったり、堂々巡りをしている時って、やはり身体は
硬くなっているんだと思うのだ。

だからある意味、積極的に身体ほぐしを行なっていった方が、いい文章
が書けたり、日常生活も円滑に運ぶんじゃないだろうか。
身体ほぐしには、隠された?そういう機能もあると思うのだ。



2004年05月04日(火) 超合金

と言うことで、今日は日記らしい日記。

今日は午前中に仕事があった後、午後からは空いていたので、休日と
いうこともあり、いつも馴染みの図書館へ。

渋谷区の図書館は今年の春から、月曜、祝日とも開館するようになり、
また平日は8時まで開いていたりと、また利便性が増しているので
うれしくなる。

ただし、原宿は連休中ということもあり、ものすごい人手。
図書館を出た後、腹ごしらえに、明治通り沿いにあるホットドッグ屋、
ネイサンズでカットオニオンをたっぷりのせたホットドッグを頬張り、
その通りの向かい側のラフォーレ原宿ミュージアムで、超合金の展覧
会?をやっているのを発見。

懐かしさも手伝って、入ってみる。
超合金とは、子供の頃、おもちゃとして死ぬほど遊んだ、あの超合金で
会場には、昔のマジンガーZから、現在に至るまでの超合金のほとんど
が、所狭しと並んでいて壮観だった。

で初期の超合金、例えばマジンガーZとか、ロボコン、ライディーン
ゴレンジャーあたりは、自分が持っていた物も多く、というよりいかに
自分の子供の頃、そういったおもちゃに囲まれていたかに気づいて
びっくりした。ジャンボマシンダーとかも持ってたしなあ。

今更ながらに親の愛情というか、そういった物に感謝しなくちゃいけ
ないのかもしれない。
でも、その一方で、合体物とか、値段の張る超合金シリーズは買って
もらえなくて、死ぬほど欲しかったことも思い出したりして、人の
欲望の深さについて改めて思ってみたりもして。

まあ、でも仮に自分の子供が生まれたとしても、そこまで子供のために
おもちゃを買ってあげるか、と言ったら買わないだろうなあ、なんて
思ったりもする。

だって、子供の頃から何不自由なく育てた結果がこれだとしたら、
少しは子供の頃から苦労を覚えさせた方が、ハングリーな子供になって
いいんじゃないかな、とも思うし。

会場では、当時のCMなんかも流れていて、そのCMもなんとなーく覚えて
いたりもしたので、結構懐かしい時間に浸れたりもして。

その一方で、最新式の超合金って、2万円以上もするものもあるのが
あって、結構ビックリ。
実は5〜6年前には、何個か買ったこともあるんだが(爆)、今のは
もう値段的にも手が出そうにないなあ、などと思ったり。

という訳で久々にオタクっぽいと言えばオタクっぽい、そうでないと
いえばそうでもない、かつての自分に思いをはせる時間を過ごしたん
でした。

ちなみにその後、歩いて渋谷まで行って、「ロストイントランスレー
ション」を観ようと思ったら、残念ながら満席で入れず。さすがに
GW中に単館ロードショーは厳しいか。



2004年05月01日(土) 「ヒトたらしめるもの」

さて、GWである。GWはGWらしく、そろそろお気楽な日記に戻ろうか、
とも思ったのだが、とりあえず、一つだけ、何かを書きたくなって
しまった記事があったので、とりあえず書いてみる。

それは、 イラクの刑務所で、米兵が虐待行為をしていた、という
アレである。イラク人を全裸にしたり、電線を巻きつけて処刑ごっこ
に興じている様が、アメリカのメディアで大々的に?報道された
らしい。

しかも同時期にイギリスのメディアでは、英兵が同様に、イラク人に
対して放尿をしている様が新聞の1面に載ったらしい。


こうした情報が、ちゃんと表沙汰になったという所に、一種の自浄作用
というか、マスメディアの力を感じたりもするのだが、その一方で、
何故、この時期に、現地の人々の感情を逆撫でするような事を、駐留軍
兵士たちは行なったのだろうか。

ということを、つらつら考える内に、前に読んだある新聞記事を思い
出した。

東京新聞の特報面にのっていた、この記事である。
-ベトナム帰還兵が語る 本当の戦争-


この記事を再び読んで思うのは、よく「平時に人を殺したら、殺人犯
だが、戦争時に人をたくさん殺せば、英雄になる」なんて言うことが
いかに、その人の心理状態とはかけ離れた言葉だったのか、という事
である。

そして、いかに戦場で生きることが、人に対してストレスを与えるのか
という事かもしれない。

以下、少しだけ抜粋すれば、
「人を殺すのはとても簡単だ。悩む暇なんてない。ただ、訓練で撃つのとは全く違う。殺した瞬間、一つの境界を越えて別世界に入らざるを得ない」

「撃った後、そこに死体がある。やつが殺そうとしたからだ、と自分を正当化しようとした。しかし、吐き気がこみ上げる。上官はそれを見て一人前とほめる。慣れようと、もっと人を殺す。(略)人を殺すことで自分を殺していた」


そして、アメリカには、路上生活者の8割がベトナム帰りである、
という現実もあるらしい。


山田詠美の小説「PAY DAY!!!」 には、湾岸戦争帰りで、やはりPTSDに
悩み、アルコールがなければ正気でいられない家族が出てくる。

兵士になる前は、皆、普通の善良なアメリカ市民であったかもしれない
人たちが、戦場を経験することで、皆、正気を保つのが難しくなって
しまう。
今回のイラク戦争では、この記事の載った2月現在でも、イラク駐留軍
の自殺率は相当高いらしい。

それほどまでに戦場は、私たちの想像を越えた世界なのかもしれない。

つまり、今回の虐待を行なった彼らも、そうでもしなければ、自分たち
の正気を保つのは、とても難しいものであるのかも、しれない。

ただし、だからといって、彼らのした行為自体が許されるべきだ、とは
思わない。


逆に言えば、今まで普通の生活をしていた人々に、そこまでのストレス
を与えなければならない戦争状態に、陥らないような努力を、平時の
私たちは、最大限の努力をする必要があるんじゃないだろうか、と
改めて思うのである。

というより、今回の戦争は、そこまでして行なわなければならないもの
だったんだろうか。
そして、ベトナム戦争当時は州兵どまりで戦場には赴かなかった
ブッシュ大統領は、果たして自らの国民に対して、そこまでの苦労を
強いる合理的な理由は存在するんだろうか。

そして、これは対岸の火事ではない。
同じ事は、イラクに派遣されている自衛隊にだって起こりうる事だと
思うのだ。
今はまだ、実際の戦闘に巻き込まれてはいないからいいようなものの、
もしも、彼らが実際に、イラク人を討たねば自分たちの命が守れない
事態がきた時には、彼らの中からも、PTSDや自殺者が現れる可能性は
あると思う。そしてそれは、一過性の事で済まないのかもしれないの
だ。

なぜなら人間は、それほどまでに弱い生き物なのだと思うから。

そして、それはあの、沖縄や韓国で、度々暴行事件を起こしている
在日、在韓米軍にも共通する問題なのかもしれない。


でもって、話をもう少し大きくすれば、それは戦場に限った話では
ないのかも、しれない。

あの大学教授をはじめとして、この国で、あの人がなぜ?と思う人たち
の痴漢事件が多い理由の一つも、もしかしたら、今の日本で、人らしく
生きることが難しく、ストレスを絶えず感じなければ生きてはいけない
人たちが増えているからなのかもしれない。

ただし、だからといって彼らの行為を、正当化するつもりは全くない。
でも、人というのは弱いもので、できればその弱さをさらけ出さすに
すむ生き方ができる人たちが増えればいいのにな、と思うのだ。


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