掛川奮闘記

2008年02月29日(金) 080229_飛行機の乗り方

 最終便で札幌へ。明日は次女の高校卒業式なのです。

 空港で、(そういえば帰りの便のチケットはどうしたんだっけ?)と思い出しました。帰りの飛行機の便はネットで予約してネット上でクレジットカード決済をしたのです。便利な世の中です。

 決済をした後に、「決済が終了しました」というメールが飛行機会社からは来たのですが、そういえば手元にチケットはありません。帰るときの予約便に乗るにはどうしたよいのか不安になったので、空港で職員の方にネット予約での飛行機の乗り方を尋ねてみました。

 すると「そうですね、もうチケット発行という考えではなくなったんですね。え〜と、携帯へ二次元バーコードが送られてきていませんか?」
「いいえ、もらっていません」

「それでは決済されたカードはお持ちですか?」
「はい」

「それでは当日、決済されたカードを自動チェックイン機に入れてください。それで本人確認が出来ますので搭乗券が出てきます」
「なるほど、ありがとうございました」

 なるほど、搭乗券を手に入れるという概念がもう無くなったとはおどろきです。カードも携帯もないようなお年寄りなんかはどうするんでしょうかね。

  *    *    *    *    *

 そんな会話の後になって、飛行機会社から予約便の確認メールが携帯電話に届きました。二次元バーコードも取得できました。

 こんな情報社会の最前線に追いついているのはなかなか大変ですが、社会のコストを抑えるには利用者側も情報化社会に飛び込まないといけないのでしょう。

 たかが飛行機のチケットですが、自分だけチケットを受け取ってみたところでシステム全体がダウンしてしまえば一蓮托生の身の上。全てが情報化される社会の空恐ろしさに抵抗するすべもなさそうです。

 せいぜい早い安い『便利』を享受しながら、自分で出来る自己防衛をするくらいしかなさそうですね。
 



2008年02月28日(木) 080228_男はつらいよ

 仲の良い友達から「飲めないか〜?」と元気のない電話。

 なんだか落ち込んでいる様子を感じて、予定した会合をキャンセルして急遽そいつと飲むことにしました。

 話を聞けば、なるほどいろいろと落ち込むような話の連続。しかしまあ苦しい話は人に打ち明けて気が楽になり、楽しい話は人に話して幸せを倍にするということもあるだろうから、それもまた良し。

 助けてやれないのがもどかしいけれど、一つ間違えば自分がそう言う立場になることもあるかと思うと、ある種の運命的な役目と役割も感じてしまいます。

 仕事は処理できる奴がいるときに発生するもの。「こいつじゃ処理できまい」と思うような人しかいないときには事件も起きないものです。

 天が与えた試練と思って乗り越えてくれることを祈るばかり。

 おっと、我が身も試練を超えて行かねば。

 男はつらいよ。



2008年02月27日(水) 080227_半公的なテキ屋さん

 今日的な広場像を語る第三回目の懇談会が開かれました。

 都市の広場には、ゆとりや防災性の向上の意味がありますが、それに加えて賑わいの創出や環境改善の期待などもあります。要するにたくさんのニーズや期待があるわけ。

 しかしながら新しいビル開発に伴ってわずかに生み出される公開空地のようなスペースは、建物に容積のボーナスをもらうために供出されるという開発者にとっての犠牲的な意味はあっても、それが地域社会により多く貢献しようという意欲は薄いというのが現実です。

 それもそのはず、あまりお金はかけたくないからです。

 しかし自分の建築敷地だけのことならばそうだとしても、地域の道路や緑地などの公的なスペースと一体となって地域の環境や賑わいの改善につなげるようなことがあっても良いはず。

 道路管理者や公園の管理者も、管理権限をことさらに前面に出さずに安く管理が出来て地域も喜ぶような事だって可能なのです。

 イタリアやスペインでは、まちなかのカフェが歩道に堂々とテーブルや椅子を出してお客さんへのサービスをしているのが当たり前の風景なのだそう。しかしそれも、その見返りとして地域に一定の対価を支払ってその資金が巡り巡って地域づくりに役立つというシステムができあがっているからなのです。

 公物管理者が権限を少しだけ認定団体に対して認めて、その対価はまちづくりに使われるというそんなサイクルがあっても良いのではないでしょうか。

 昔はお祭りの夜店はテキ屋さんが仕切っていて、その世界の中で一定の秩序が保たれていましたが、現代版の半公的テキ屋さんがいても良いのではないでしょうか。

 道路などで商売をするのが一律にいけないのではなくて、地域の賑わいにつながるような地域貢献が大きい商売は良くて、その賑わいからもうけをむさぼるだけの商売ならば駄目、というような、目利きがあると良いのですが。

 これも意見を交わしてルールを作る地域の力が試される場面です。真の地方分権には、煩わしさに耐えてルールを作る作業を行えるような地域力が求められるのです。


 



2008年02月26日(火) 080226_自分は当てにならん

 昨夜は夜遅くまでとある会合で飲んで帰ってきたのでブログが書けませんでした。お許しを。

 その飲み会では、十分に料理をいただきお酒もたくさん飲みました。ところが家に帰ってみるとどうも小腹がすいてなりません。なんだか物足りない。

 冷静に考えれば、一日の消費量に足るだけのカロリーは摂取しているはずなのですが、体が空腹をうったえるのです。そこでついつい手近にあったお菓子やつまみなどを食べてしまうのですが、朝起きてみるとやはり夕べ夜遅くに食べたのが多かったことに気付きます。

 結局冷静に考えたときに「もう十分食べたはずだ」という判断が正しかったわけですが、体の要求に素直に応えた結果は食べ過ぎ、というわけ。

 事ほど左様に、自分の感情に従った判断ほどあてにならないものはないということです。

 自分自身をもう一人の冷静な自分がどこかで客観視して、「その感情的な判断は間違いだよ」と教えてくれて、それに従えるような意思が必要です。

 メタボになってしまう多くの人は、毎回の食事や飲み会の時にそういった冷静な判断ができずにいるということではないでしょうか。

 自分ほど当てにならないものはない。そこから考えを起こせば、少しは間違いを正すことも出来そうに思います。
 そう、落ち着いて冷静に。
 

 



2008年02月25日(月) 080225_子育てはスローに

 やるせない気持ちでの週明け。

 知人らに事情を聞いてみても、報道以上のことを知るはずがありません。

 報道では容疑を認めているとのことですが、事実ならば実に残念な限り。
 報道されている内容も、捜査当局からの情報提供なので本当の真実は何なのかが分からず、もどかしい思いです。事実関係が早く明らかになって欲しい。

 我が組織ではこうした不祥事の場合、刑の確定を待たずに起訴された時点で懲戒免職になります。それだけ厳しさを求められる立場のはず。

 一度失った信頼を取り戻すのは簡単ではないけれど、まちに緑を増やすという良い仕事をすることで地道に取り返して行きたいと思います。

 はー、しかしまだ信じられないなあ…。 

    ※    ※    ※    ※

 卒業を間近に控えた長女の追い出しコンパで、親からの手紙を後輩が読む、というサプライズ企画がありました。

 私と妻もそれぞれ手紙を書いて、企画した後輩の学生にそれを託しました。実はこの企画自体、昨年娘が始めたものなので今年もやるだろうという予想をしていて、親からの手紙が読まれるであろうことを事前に知っていたのでした。

 心の準備はできていたはずですが、やはり我々夫婦からの手紙が読まれると涙が止まらず号泣したとのこと。まあいろいろ頑張りましたから今日くらいは褒めてやりましょう。

    ※    ※    ※    ※

 町を歩いていて親子連れが気になるようになりました。親を長くやってきたせいかな。

 幸せそうな笑顔の親子連れもいれば、子供に厳しい親もいます。

 歩くのが遅い女の子の手をぐいぐい引いて、「何やってるの!」と怖い顔のお母さんがいました。子供はそう言われても速く歩くことが出来ずに悲しそうで、今にも泣き出しそうです。

 そういう、「今できないこと」が出来るようになるのが成長で、それを育むのが親なのに。厳しくしつけるのと、自分の不満をぶつけることを同じだと思っているのかな。

 もし私が透明人間だったら、そっとその女の子に近づいて耳元で「『なにやってるの!』って言われたら『一生懸命生きてるの!』って言い返してやんなよ」と言いたくなりました。

 子供の成長はゆっくりに見えるけれど、過ぎてみると早いものです。子育てはスロー・エデュケーション。

 たった一回しかない親という人生を考えると、子育ての時間がもったいないかったような気がします。

 



2008年02月24日(日) 080224_ショック…!

 身内の組織から二人の逮捕者を出す事件が発生。全く信じられない出来事で、現実のこととは思えません。ものすごくショックです。

 事実関係はよく分かっておらず、報道以上のことを知ることも出来ません。

 しかしながら世間をお騒がせしていることを申し訳なく思いますし、まずは事実関係を明らかにして欲しいと思います。

 はー、ショックです…。



2008年02月23日(土) 080223_春一番

 用事があって銀座へ行ってきました。

 都内は午後から強い風が吹き荒れて、砂埃が舞って目に入りもう歩いていられない状態です。

 市ヶ谷当たりでは、看板を撤去する工事のための仮囲いが風で飛ばされて道路に落ちていました。交通規制が行われ野次馬も出る騒ぎになっていて、ここだけではなく、都内各地で突風による被害が出たようです。

  

  

 気象庁はこの突風を「関東で春一番が吹いた」と伝えました。春先の突風が春一番ですが、これは春三番まであるそうですよ。強い風はまだ起こるみたいですね。

 季節の変わり目を感じさせる一日でした。



2008年02月22日(金) 080222_ワンセグはこんな風にも使える

 知人と四谷荒木町という一角へ飲みに行きました。

 この四谷荒木町というまちは、かつては大名屋敷だったのが、明治になってからは景勝地、そして芸者さんがいる花街として発展をしてきたところ。

 昔ながらの細い路地に、安くて美味しい小料理屋さんや個性的な飲み屋がたくさんあって、大都会東京の大いなる田舎の一角をなしているところです。

 今日は通りに面した沖縄料理のお店に入りました。

  

 中でママさんといろいろお話をしていたら、「先日『アド街ック天国』という番組に出たのよ」とのこと。しかも偶然に私もその番組をワンセグ携帯で録画してあったのでした。

 カウンターでワンセグを再生しながら「ランキングは第何位でしたっけ?」「10位よ、歌声の聞けるお店っていうくくりで紹介されたの」

 なるほど、第10位は音楽に特徴を持たせたお店を4軒紹介していましたが、そのなかでもお店の中で沖縄三線(オキナワサンシン)をママさんとお客さんが一体になって引きながら沖縄民謡を歌っているシーンが映し出されました。

  

 ここのお客さんたちはママさんから三線の弾き方や沖縄民謡を習って、ほとんどの常連さんたちは何か一つ楽器が出来るというすごい集団なのです。

 するとカウンターの隣にいて我々と一緒に仲良く話をしていた方が、「あ、その番組だったら、最初のシーンの後ろ姿が僕で、奥のあの女性は三線を引いていた娘ですよ」と教えてくれました。本当だ!テレビに映っている人たちが今目の前にいます!何か不思議な感じです。

 偶然飛び込んだお店に、偶然録画してあった紹介番組が重なり、偶然移っていたお客さんが隣にいる…。これを運命的に考えるとここの常連さんになりそうです。

 とっても気さくな沖縄料理の店。こういう出会いもまた面白いですねえ。 



2008年02月21日(木) 080221_社会の信頼

 冷凍食材から農薬が検出された問題で、今度は冷凍カツから今までとは異なる農薬が検出されたとか。

 高濃度のメタミドホスというショッキングな事件に比べると、どうやら使用している野菜の残留農薬らしいということで、世間も次第にこの話題には麻痺しかけている様子。

 しかしながら、見つかった製品も作った工場も、さらにはその時期も多岐にわたるということで、特別な事故や事件ではないという事が明らかになりはじめ、事態打開の方向が混迷をしています。

 つまりは今までは余りよく調べていなかったので分からなかったけれど、実は残留農薬が紛れ込んでいることは日常茶飯事だったということがわかったということ。

 もうこうなると、新たに残留農薬が見つかった製品を公表しても、消費者の側がいちいち覚えているとはとても思えません。説明責任はよいけれど、情報が洪水のように押し寄せてきたら手に負えないものです。

 危ないと分かった商品であれば販売会社の方が責任を持って回収をしているだろうという期待をして買い続けるという態度もありますが、中国の工場で作られた冷凍食材は当面は買わずにすませるという態度をとる消費者も多くなることでしょう。なにしろ他にも食べるものがあるのなら選ぶ側としては他の食材を選択するはず。

 商品が売れるためには、知らず知らずのうちに信頼という基礎があるのであって、その信頼の絆が切られてしまえば消費者なんて冷たい赤の他人に過ぎなくなってしまいます。

 その信頼の絆を形成するのにどれくらいの時間と努力と誠実さが必要だったかを思うと、信頼を失うのはほんの一瞬のことということがよく分かります。

    ※    ※    ※    ※

 同じように防衛に携わる人たちへの信頼を揺るがすような、高性能イージス艦と漁船の衝突事故も起きました。

 行方不明のお二人が早く見つかって欲しいと思いますが、これまた信頼を築き直すのにどれくらいの努力が必要になるでしょうか。

 自分たちを包む社会に対する信頼が失われると、人々は他人を顧みる事を拒否して、自己防衛に走りがちです。社会がその構成員からの信頼と忠誠を得ることが出来なければ不安が増して、社会は不安定になります。

 だから批判は批判としつつ、変えなくては行けないものは変えつつ、もう一度自分たちの手で社会を安定に向けるために何が出来るのかを考え、行動に移して行かなくてはなりません。

 不始末をアジるだけではなく、感情に溺れずに落ち着いてこれからをどうしてゆくかということを冷静で現実的に考えて行かなくてはならないと思います。

 身近な食から国を守るところまで、幅の広い信頼が揺らいでいます。



2008年02月20日(水) 080220_スローライフのまちづくり講演会

 今日は北海道都市計画協会に招かれた講演会の日。

 今日の講演は、私ともうお一方、千葉大学で景観づくりやまちづくりがご専門の北原理雄教授の二人で行います。会場は札幌市内のホテルで、参加者は全道から約200人が集まってくれました。

 私のお話は昨日も書きましたが、スローライフをテーマにした掛川のまちづくりについてです。モノが幸せを生むのは、そこに幸せなコトが起こるからなのであって、コトが起こらなければいくらモノを作っても駄目なのです。

 逆に言えば、モノが無くても幸せなコトが起きるのならば良いともいえますし、意識もせずに日常に起こっているコトを改めて幸せと感じられるのならばそれでも良いわけです。

    ※    ※    ※    ※

 現代社会は、非効率的でのろまで駄目なモノを効率的でより価値あるモノへと変えて行くことで幸せを増やしてきたのですが、改めて【真に価値あるモノ】は何かと考えると、必ずしも効率的で早くできあがるモノだけが良いとは限らないと言うことが分かります。

  

 図で言えば左上の部分に、遅くても良いモノ・コト、遅いからこそ良いモノ・コトがあります。

 ここに何が入るかは人それぞれかも知れませんが、誰もが思うのは手業や教育、作物が実ること、何かを育むということ、見守るということなどがあるのではないでしょうか。

 お母さんが家で料理を作ってくれるコトは、それだけで職人の手による総菜弁当よりも遙かに立派なスローライフなのです。

 そのゆっくりでも良いこと、ゆっくりだからこそ貴いことの価値を見直そうというのはスローライフの本質なのだと思うのです。

    ※    ※    ※    ※

 そんなことを掛川では、まちづくり運動の一つとして行政が行いました。最後に担うのは市民であるべきだと思いますが、そのきっかけを行政が作ることくらいは許されるでしょう。

 そんな仕掛けやアイディアを、市民をその気にさせて巻き込むようにやれたなら、元気な地域も夢では無いように思います。

    ※    ※    ※    ※

 奇しくも私の後にお話をしてくださった北原先生も、全国のいくつかの景観づくりに絡めてまちづくりのポイントとして、「コトを起こすこと」として強調されていました。

 「予定調和のようですね」と笑っておられましたが、まちづくりの本質はやはりそこにあるということなのでしょうね。

 参加してくださった皆さん、ありがとうございました



2008年02月19日(火) 080219_スローライフのまちづくり

 夜の飛行機で札幌入り。明日は札幌市内で「スローライフのまちづくり」というお題でちょっとしたお話をする予定なのです。

 考えてみると、掛川を離れてからもう3年になるのですが、あまり時間が経ったような気がしていません。ときどき掛川に遊びに行くと、なんだかいろんなことがつい昨日のことだったようにも思えます。だからスローライフについて話を聞かせてほしい、と言われても、あまり苦労せずに思い出せるのかもしれません。

 スローライフも一時は多くの人の興味を引きましたが、最近はなんと言ってもCO2削減が主流になってしまい、環境問題に全て取り込まれた感があります。

 しかし、環境問題やCO2削減とは別なところで、スローライフの意味が輝くシーンもまだまだあると思っています。

 その代表的な部分は『家族の役割』です。

 いわゆる経済学や財政学と呼ばれる学問が登場して以来、経済システムと政治システムと社会システムというこの三つについて様々な理論が語られてきました。

 かつてはこれらの三つのシステムが未分化で、優れた王様やリーダーが出てくれば上手に国の統治ができていたのですが、社会が発達してくると、それらが次第に分化してくるようになり、次第に国民や住民をまとめてゆく、統治してゆくということが次第に難しくなってきました。

 特に大きいのが現代の「市場の発達」です。

 経済が効率化してくると様々な財やサービスが安価に市場で手にはいるようになります。かつての未分化な状態では、家庭内のお年寄りや専業主婦が自ら料理をしたり服を繕ったり、子育てなどのように無償の労働奉仕によってしか手に入らなかったものやサービスが、市場を経由することで安価に手にはいるようになってきました。

 その結果、無償の労働奉仕で財やサービスを提供するよりは、自分の労働を市場に提供して貨幣を手に入れる方が安価で質の高いサービスや財を手にいられれることになってきたのです。

 そのため、専業主婦でいるよりは社会に出て働く方が価値が高くなり、女性の社会進出が必然的に起こってきました。しかしその結果として、家庭内で無償の労働を提供する人が少なくなり、地域の清掃や町内会、世話焼きなど、社会を無償で支えていた労働力が激減してきました。

 日常の食べ物も、パック入りのものを市場で選んで調達した方がより美味しかったりすることもあるかもしれませんし、なにより時間を取られなくてすむということが利点なのでしょう。

 しかしこれこそまさに、早く、安く、便利で効率的なfastな社会にほかなりません。何も考えないままに市場に寄りかかって過ごしてしまったのでは、いざというときの危機管理も出来ず、手業もなくなってしまうことでしょう。

 農薬の入った餃子が出回ったことも、食生活に対する安直な考えの末路といえないこともありません。

 そこで、「スローライフ」という合い言葉を聞いたときくらい、「ゆっくり、ゆったり、豊かな心」を思い出して、普段の日常で追い求めている便利だけの生活や生き方を見直してはどうか、と思うのです。

 市場化の波は止まらないとしても、昭和30年代生まれの私くらいはまだ不便な時代の記憶があるために、便利と不便だけど我慢することのより分けが出来ているような気がするのですが、すでに便利だけの社会で生まれ育ったこれからの時代を生きる若者たちがどのような生き方をするのかは、やはり心配になってしまいます。

 そして生き方を反省したとしても、日常からすでに自分を鍛え上げるような技やスキルは失われてしまっているのかもしれません。

 ご飯を釜で炊く、薪に火をつける、ボタンを付ける、漬け物を漬ける・・・。

 たまにそんな手業を思い出して、日頃の生き方を反省してみるきっかけにしつつ、家族の紐帯(ちゅうたい)を確認する。そんなこともまちづくりや地域づくりの基礎として大事なことなのではないでしょうか。

  *    *    *    *    *

 明日の講演の内容を少し書きすぎたかもしれません。

 スローライフなんて、一週遅れで前を走っているような単語でも良いかもしれませんね。

 



2008年02月18日(月) 080218_娘と父親の会話

 金曜日の夜から上京していた娘が今朝北海道へ帰りました。

 金、土、日と三泊を私の宿舎で過ごしましたが、どの日もこちらの友人、知人たちと夜遅くまで話をし、居酒屋で一杯。

 我が家へ戻ってくるのは連日夜の十時過ぎでしたが、まあこれでも楽しみたい盛りからすれば、早く切り上げた方なのでしょう。

 夜遅くに少し疲れたような顔をして帰ってくる娘と父親との間では、さして特別な会話があるわけでもなし。

 こちらの知人とは、ネットで知り合った人たちらしく、親の遠く知らないところで友人の輪が広がっているよう。まあそれはそれで喜ばしいことかと。

 テレビでは○ントリーのウィスキーのコマーシャルが流れていました。

 父親と娘って案外会話がないのかもね。



 



2008年02月17日(日) 080217_ブログの活性化に妙案はあるか

 私が参加している、「ぶらっと」というブログでのオフ会が開かれました。

  

 会合の趣旨は、ブログの読者や書き込みをしてくれるライターをいかに増やすか、ということ。運営費を主に広告費に頼るサイトでは、どれくらいブログを見てくれるか、やどれくらいの人が関心を持ってくれるか、ということは重要な指標。

 特にインターネットでは、見てくれた回数や参加人数などがはっきりと数字で表れてくるのでごまかしが効きません。

 数あるサイトの中から選んでみてくれるに価するサイトにするにはどうしたらよいのでしょうか。

 集まったメンバーからは様々な意見が出ました。「携帯からの閲覧をもっと簡単にすべき」「経費を見直せないのかな」

「口コミで知人に声かけを地道にしましょう」「でもサイトへの登録手続きが面倒」「支援をお願いする対象は必ずしも企業ではないかも知れない」…などなど。

 企業にサイトの宣伝に行く担当の方のお話では、「中で書き込みをされている方たちは穏やかな人たちが多いようで『清らか』な感じですね」と言われたとか。どうやら『荒れるサイト』の反対の意味のようだったみたいですが。

 最近は、「土鍋の中でまるくなる猫」などという、一風変わっている特定の一発ヒットをもつだけで世間の注目が注目を呼び、サイトのアクセス数が一気に増大するという社会現象も起きたりすることがあります。

 そして、そういう単なるヒットすればよいということには縁がなくても、ネットの中で友達が出来たり、その友達が地域興しに駆けつけてくれるというようなゆっくりした効果を期待したいとも思います。

 しかし広告主としては、即効性を期待するのも当然。この矛盾をどう解決したものか。

 私としては、「品質がよい文章を一定の頻度でコンスタントに提供する」ということにつきると思うのですが、どうでしょうね。

    ※    ※    ※    ※

 会合の後の飲み会の方が良い意見がたくさん出たような気もしますが、酔っぱらって記録ができませんでした。先に飲んでから始めれば良かったかなあ。

 オフ会も良いものですね。 



2008年02月16日(土) 080216_野見宿禰(のみのすくね)神社

 天気は快晴。今日は用事を足して、明日こそ東京巡りにしようかと思ったところで、明日は東京マラソンだったことに気付きました。

 まずいまずい、今日行っておかないと明日は都内は自転車では走れないでしょう。そこで今日一日は東京巡りにあてることにしました。

 自転車を背負って、今回は地下鉄千代田線の綾瀬駅まで行って、そこが今日のスタートです。東京の地図で言うとずーっと右上の方にあるのが綾瀬です。

 お昼過ぎに綾瀬駅を出発して、やがて自転車は荒川の土手に到着。荒川の河川敷は野球場やサッカー場がたくさんあって、都民のスポーツのメッカとして大勢の人たちの歓声がおこっていました。

  

    ※    ※    ※    ※

 自転車で都内へどんどん向かって行き、やがて両国国技館の近くまでやってきました。国技館のすぐ東側にあるのが「野見宿禰(のみのすくね)神社」です。

 神社そのものは小降りですが、相撲には大変縁の深い神社なのです。

  

 そもそも日本書紀の垂仁天皇の7年に、当麻蹶早(とうまのくえはや)という男が力自慢をするのに、だれか相手の出来る者はいないかと探させたところ出雲に野見宿禰(のみのすくね)という勇士がいると知り、これを対決させたのが神話の世界の相撲の始まりと言われます。

 この勝負は、野見宿禰が当麻蹶早のあばら骨や腰を踏みくだいて勝ったと言いますから、相撲と言うよりはK-1に近いような気もしますが、まあそれが我が国の相撲の始まりと言われているわけ。

 そこでこの野見宿禰を祀っているのがこの野見宿禰神社で、今でも東京場所(1・5・9月)の2日前の毎金曜日午前11時から、日本相撲協会主催で例祭が行なわれるということですよ。

 境内には富岡八幡宮よりはずっと小さいのですが、横綱の碑が飾られています。まだまだ横綱が増えても対応できそうですよ。

 力があるということは神様に近いということなのです。

  
 



2008年02月15日(金) 080215_娘の上京

 年末から関わってきたプロジェクトの風向きが悪くなってきました。どうも思うような結果が得られないような雰囲気が漂っています。

 相手のあることだけにどうしてもそう言う形になることはあるのですが、気持ちが落ち込みますね。気を取り直して新しいプロジェクトに邁進するとしましょう。

    ※    ※    ※    ※ 

 旭川の娘が上京してきました。私の宿舎を根城にして、この週末は毎日東京の友人らと会うのだそう。ミニ卒業旅行というところでしょうか。

 何を話したらいいのかよく分からないな。まあせいぜい楽しんでください。



2008年02月14日(木) 080214_友人とのカラオケ

 夜に中央省庁の友人を交えてちょっとした懇親会を催しました。場所は小泉首相がブッシュ大統領を迎えたことで有名な「権八(ごんぱち)」という日本料理屋さん。

 日本料理屋と言っても、外国人が日本をイメージするとこんな内装になるのかな、というイメージの和風建築です。

  

 キル・ビルという映画がありましたが、あのなかに出てくるような感じという人もいました。私はその映画を観ていないのですが。店内には外国からのお客さんが多数いました。外国の人を招くのには面白い場所なのでしょう。

 手打ちのお蕎麦も美味しくいただきました。味も本物です。

    ※    ※    ※    ※

 仲の良い同期の友人と本当に久しぶりにカラオケに行きました。お互いに「昔はもっと上手だったのになあ」と苦笑い。ついつい羽目を外して歌い終わって時計を見ると1時半過ぎ。

 私はタクシー代よりは安いホテルで一泊。官僚の友人はそのまままた職場へ戻りました。

 「若い後輩たちに仕事をさせているからね。ここんとこずっと終電でも帰れないんだ」

 体だけはこわさないように祈るばかりです。

 それにしてもお互い歌が下手になったなあ…



2008年02月13日(水) 080213_鼻炎の季節

 杉の花粉が舞う季節となりました。通勤電車の中でもマスクをしている人を多く見かけます。

 かくいう私も、北海道ではシラカバの花粉に悩まされ、本州では杉の花粉によるアレルギー性鼻炎に苦しむ一人です。

 2月の声を聞いてからは天気予報でも杉の花粉情報が流されるようになりましたが、ついに今朝から花と目の異常を感じ、慌てて職場の近くのお医者さんに診てもらうことにしました。

 職場のビルの一階にある耳鼻咽喉科にはもうアレルギー性鼻炎がひどそうな患者さんがつらそうに椅子に座っています。敏感な人にはもう真っ盛りの季節のよう。

 ここの先生はきさくなおじいちゃん先生がいて、問診の後に「アレルギー性鼻炎が出始めたようです」と告げると、すぐに薬を処方してくれました。

 とりあえずこれを飲み続けて症状が出るのを抑えることしかないようです。できるだけ花粉に被爆しないことも重要なので、明日からは外を歩くときはマスクをしようと思います。

 問診の後で他にも患者さんがいるのにやや雑談気味になりました。

「それで、お勤め先はどこですか?」
「はい、このビルの上の都市○○機構です」

「はいはい、昔の住宅公団でしょ?」
「あ、はい。そうですね」

「僕は昔、高島平の公団住宅に入りましたよ。まだ出来てすぐの頃だったなあ。元々は田んぼばっかりのところに大きな住宅団地が出来ていましてねえ」
「はあ」

「そうしたらね、その頃はその田んぼを目指して白鳥が飛来していたんですなあ。それが住宅が増えちゃって、一方で田んぼを止めてちゃったものだから、白鳥の餌が無くなって、死んでいたりするのをよく見かけたんですよ。あ〜、人間のすることは自然に優しくないんだなあ、って思いましたね」

 おやおやとんだところで思い出話を聞かされてしまいました。

 さていよいよ杉花粉の季節。辛いけれど耐えて参りましょう。



2008年02月12日(火) 080212_菜の花忌

 今日は作家司馬遼太郎さんの命日。芝さんが生前好きだった菜の花にちなんだのだそうで「菜の花忌」と呼ばれています。

 私が初めて呼んだ司馬さんの小説はたしか「真説宮本武蔵」だったはず。次が徳川慶喜を描いた「最後の将軍」で、それ以来司馬さんの小説が好きになり、随分たくさん読みました。

 司馬さんの歴史小説は、主人公を常に好意的に捕らえているというか、自分が好きになった人しか書かないとも言われています。しかしその好意的な視点が、読者の共感も呼ぶことになっているのでしょうね。

 私自身の中ではやはり「坂の上の雲」が一番。明治の男たちの生き様にわくわくしたものです。日本人なら一生の間に一度は呼んでおきたい小説ですね。

    ※    ※    ※    ※

 「菜の花忌」と言えば、高田屋嘉兵衛の「菜の花の沖」を買っておきながらまだ読んでいませんでした。思い出したのも何かの縁、明日から読んでみるとしますか。

 皆さんの好きな一冊はなんでしょう?



2008年02月11日(月) 080211_卵とじに挑戦

 中国の毒入り餃子事件で国内産の野菜が高騰気味なのだそうですね。今までいかに外食産業が海外の食材を使っていたのか、改めて気付く今日この頃。のど元過ぎれば熱さを忘れる国民性ではありますが。

 高いながらもニラを買ってきてニラの卵とじに挑戦。今まで何度か卵とじに挑戦したのですが、上手にふっくらとしあがらずに悩んでいたのです。

 卵をあまりかきまぜないのがコツと書かれている情報は多いのですが、本当に2、3回だけ卵を箸で切るようにして、だし汁で煮られたニラめがけて回し入れて蓋をしました。

 火加減を調整しながら蓋を開けてみると、出来ました!卵がふっくらしてちゃんと固まりになっています。



 一度でも出来ると、どういうことがコツなのか分かるのですが、分からないものにはそのコツの意味がわからないものです。一つずつ実地にやってみるしかないのでしょうけれど。

 これで次は丼モノにも挑戦したくなってきましたよ。ふふ。



2008年02月10日(日) 080210_観光活性化の15条件

 2月20日に北海道都市計画協会に招かれて、「スローライフのまちづくり」についてお話をしてきます。

 呼んだ方は、スローライフというテーマをどう生み出して、どう活用しているのか、というあたりのことを聞きたいような様子。なるほど、「スローライフのまちづくり」でどんな市行政ができるのか、と思うと興味深いことかもしれません。

 掛川を離れてからもう3年になろうというのに、いまだに私が掛川での経験を話すために呼ばれるというのも面白いですね。まあ、呼びやすいと言うこともあるのでしょうが。

    ※    ※    ※    ※

 そこで改めて昔使ったパワーポイントファイルなどを引っ張り出して、時点修正を加えたり最近の掛川での取り組みなども紹介しながらこの連休を使って資料作成をしています。

 資料を作りながら、忘れかけている榛村さんのセリフや説明を思い出すのに、榛村さんの著書を取り出して改めて読んだりしていますが、今読んでも新鮮な感じがして懐かしくなります。

 独特の榛村流表現や課題のまとめ方、キーワードの作り方などを見ていると、いまだにこの人を超える分析者・表現者がなかなかいないなあ、という思いに駆られます。

 「観光開発・地域活性化のための15の条件」というのが出てきました。

 『基本5条件』として「見・食・買・遊・美」があげられ、これはつまり名所や旧跡、美味しい名物食べ物、土産、体験などが必要だという条件のこと。

 『背景5条件』として、「歴史・お祭り・人・宿・夢」があげられています。これはそのまま理解できそう。

 そして『拡大5条件』と称して、「交通アクセス、周遊ルート、国際、学術、近者喜ぶ」とされています。交通のアクセスが悪いと来られないし、来たからにはついでに回れるオプションが豊富な方がよい。
 国際性や学術性という分野があればさらに集まる範囲が広がることでしょう。

 最後の「近者喜ぶ」は、孔子の論語にある「近者喜べば遠者来る」をもじったもので、人を呼ぶことも考えずにまずは地元の人が楽しそうにしていれば遠くの人も面白がってやってくる、ということ。

 私も最初の二つの5条件はリズミカルに覚えていたのですが、最後の5条件は覚え方のリズムが悪くてすぐに忘れてしまいがちでした。改めて本を読み返して思い出した次第です。

    ※    ※    ※    ※

 今見てもなかなか新鮮で今でも真実をついています。しかしこれを与えられたからには、これをさらに発展させるだけの構想力をもって世の中を眺めなくてはなりません。いつまでも感心している場合ではないのです。

 後進の者は、先人の業績を超えることを目指さなくてはね。しかし山は高いなあ。



2008年02月09日(土) 080209_自由の陰で

 今日は天気も悪そうなので、一日家の中のことをしていました。

 古いパソコンから、掛川時代の画像を引っ張り出して外付けのハードディスクに移動させる作業を延々と続けました。

 画像ファイルにはいろいろな種類がありますが、よく使われているのはJPEG(ジェイペグ)と呼ばれるもので、普通のデジカメならば大抵はこれで保存してあることでしょう。

 この形式はファイルを圧縮して保存するので一枚当たりのファイル量が小さくて済みます。しかしその反面、ファイルを読み書きしているうちにエラーが発生して画像ファイルが駄目になってしまうことがあります。
 デジタルは壊れない、というのは実は嘘。圧縮と開放を繰り返すうちに劣化する性質を持つファイルもあるのです。

 だから私の場合、大事な画像ファイルはtiff(ティフ)という形式に変換し直して保存をしています。ティフ形式は、同じ大きさの画像だったらjpeg形式よりも三倍くらいファイルの量が大きくなってしまうので、ハードディスクなどへの保管場所の確保が大変。それぞれに長短はあるものです。

    ※    ※    ※    ※

 こういう画像に関するアドバイスをしてくれたのは、スローライフでお世話になっているプロカメラマンの通称「オガ爺」さん。

 プロカメラマンももうデジタルでなくては仕事にならない時代なのだそうですが、デジタル時代になってフィルムの時代よりも苦労が増えた、とこぼしています。

「フィルム時代は、どの一枚にするかに悩んで、それをこういう風に現像して、と指示すればそれで終わったのですが、デジタルになると自由度が増してなんでもできるようになりクライアントからの要求レベルがどんどん上がってきました」
「自由度が増した、というのはどういうことですか」

「画像を処理して色を変えるのはもちろん、似たような部分を切り貼りして電柱や電線を無くしたりもできますよ。秋の景色を春の景色にするなんて事も簡単に出来ちゃうんですから」
「昔は、絵は嘘を描いても良いけれど写真は真実を語る、なんて言っていましたが、いまではそういうことではないんですね」

「だから要求が次々にくるんですよ。それでいて『デジタルで簡単だろうから報酬は今までと同じで良いよね』ですからね。一枚を決めるのにかかる時間は倍以上かかるようになったんですが…」


 便利というメリットも、どこかで自制の心を働かせなければデメリットの波に翻弄されそうです。

 思い切って誰かに委ねて、自分は選ぶだけというのも現実的なのかもね。 



2008年02月08日(金) 080208_社会は大人が担う

 職場の幹部との交流会が行われるというので隅田川沿いの高層ビルに集合がかかりました。佃島の眺めが最高です。



 幹部からは現在の我々が置かれている厳しい状況についての講話があり意見交換が行われました。その中で会場の一人から出た話。

「少し前に東京の北の県で知事が替わって改革と称して、コンサルタントに出す調査業務を全国どこからでも良いようにして、競争をさせたんです。そうすると価格なんかはたたき合いが始まって、それまで2千万円くらいはかかるはずの調査が4百万円くらいで入札されてしまうようになりました」

「4百万円でのぞみ通りの仕事なんか出来るわけがなくて、出てくる成果は教科書の丸写しのようなもの。ところが発注した側ではそれをありがたく押し頂いて、県の幹部には『改革のおかげで千6百万円も得をしました』などとおべんちゃらを言うわけです」

「しかし成果の質を本当に見分けられるものには、そんなものなら4百万円だって払う価があるものか、と思う。千6百万円得をしたんじゃなくて、4百万円を捨てたのと同じなんです。評価の基準が価格だけになるということはそういう側面があるんです」

 価格が高いか低いかだけだったら確かにシロウトでも分かる。しかし我々はその質を少しでも高めるための仕事をしているのであって、どんな質の仕事をしているかはシロウト相手には説明がしづらいのです。

 それは説明を受ける側にも高い能力を必要とするからです。この説明を理解できる能力を『リテラシー』と言います。世の中の事を正しく理解するためのリテラシーを得る努力が必要だ、と言わない社会は人生のシロウトばっかりの幼い社会になってしまうことでしょう。

 「見えないものを見る眼力を養いなさい!」それが複雑な社会を生き抜くための大人の社会になるということなのですが。

    ※    ※    ※    ※

 毎年6月に伊豆で開かれる異業種交流会の東京メンバーによる新年会が開かれました。

 参加者は6名と少なかったけれど、多少は気心の知れてきた仲間が参加してくれました。会場は、メンバーの一人のAさんが務めている新宿の高級ホテル。韓国料理に舌鼓を打ちながら、レベルの高い話から低いところまで幅のある会話が楽しめました。



 こちらのホテルでは、レストランはほとんどが直営で、なかでも韓国料理を直営で経営しているホテルは東京でもここだけなのだとか。

「経営だけのことを考えるとテナントを呼んできてやってもらえばよいのでしょうが、それだと貸しビル業と同じじゃないですか。それよりもシェフ同士の連携なんかが出来る方が良いと考えたんです」とAさんは説明してくれました。

 お客様のために、お金ではかかっても見えない連携の力を守る選択をしているこのホテルの姿に、クロウトの眼力を見ました。

 大人にならなければ社会を担うことはできないのです。{/kaeru_en3/}
 



2008年02月07日(木) 080207_まるで北海道

 朝家を出ると一面の雪。夕べは気付かなかったのですが、夜半に随分降ったよう。

  

 東京でこんなに雪が積もっているなんて珍しいんでしょうね。まるで北海道の初雪の朝のようです。

 今週末もまた雪になりそうなのだとか。地球温暖化、というのは平均気温が上がっているからなのですが、その結果として天候の振れ幅が荒れるという現象が起きているのだとか。

 雨はより強く降るようになり、干ばつが続いたりする。

 夏は穏やかに暑く、冬は穏やかに寒いくらいが良いのに。



2008年02月06日(水) 080206_さて、自分が変わらねば

 職場で、環境シミュレーションに関する講演会を開催しました。

 求める範囲の土地について、高さ、土地利用、建物の高さ、緑化の質などのデーターを作成して、これに風向きや気温などの条件を加えるとどのように気温や風向きが変化するのかを計算するのです。

 計算は、地球シミュレーターというスーパーコンピューターを用いて行うのですが、この計算能力がすばらしく向上したことと、複雑な計算式が精度を増してきたために、かなり実地調査と同じような計算結果が得られるようになってきたのだとか。

 都市作りのプランも何種類かを作って、それぞれがどのように都市環境に影響を及ぼすかを調べると、良いプランとそうでないものが事前にある程度分かってしまいそうです。

 「分かる」ということは諸刃の剣で、自分の思い通りになればそれを補強してくれますが、自分の思いと異なったときには説明がつきづらくなってしまいそうです。

 それも環境は建設コストや工期など、いろいろある要素の一つなのですが、この時代は環境予測の結果が重大に用いられる傾向にあるので、あだおろそかには出来ません。

 こうした技術ともやはりつきあって行かなくてはならない時代がちかづいているのですね。

    ※    ※    ※    ※

 講師として来てくださった先生を囲んでの懇親会。環境にまつわるいろいろな話が聞けました。講演の後にこそ本当のおもしろさがあるのです。

「例えば一人でお風呂を沸かして入るとするでしょう。するとうちの嫁さんなんかは怒るんですよ、『もったいない!』って」と講師。
「あ、分かりますよ。私も一人だともったいなくてシャワーにすることが多いですもん」

「その一人分のお風呂を沸かすエネルギーって、片道10kmの通勤距離を車で走らせるのと同じなんですよ。でも10kmの通勤に車を一人で乗っても怒らないんですよ。なぜなんでしょうね」
「本当ですね。お風呂だともったいないと思うのに、車だとそうは思わないというのは、どこかに『当たり前の相場観』を持ってしまっているんでしょうね。それからはずれればもったいないと思うのに、相場観に収まっていれば何とも思わない」

「やはり人の考えを変えるというのが一番難しそうですね」

    ※    ※    ※    ※

 環境問題を考えるときは、組織であれば省エネ・省CO2を実施したり緑化をしたり、いろいろな取り組みができるのに、結局個人としてはほとんど何もしないということになりがちです。

 一番大切なことは、一人一人が自ら変わることのはず。

 さて、じっくり考えてみましょう。



2008年02月05日(火) 080205_中間報告

 いろいろと懸案が続いた案件で、中間説明を終えてちょっと一息。つかの間の休息です。

 朝起きてテレビをつけると、小田急線がトラブルで特急が運休中とのこと。いつもの時間の電車に乗ろうと駅に向かうと、ホームが人であふれています。特急が走っていないのならば、各駅停車の電車に人が集中するのは当たりまえ。

 ちょうど家の用事をこなしたかったのと、午前は特に予定が入っていなかったので、午前中は休暇を取って午後から出社。そのまま電車に乗った同僚たちは満員の上に一時間も電車の中にいたそうで、休暇を取って大正解。お昼にはダイヤはもう平常に近くなっていました。

 午後からは夜の打ち合わせの資料を作って、夜に打ち合わせに出発。先方の期待どおりにはいかない報告に、怒られるかと思いきや、終始穏やかな意見交換ができ、とりあえずほっとしました。

 しかしまだまだ予断を許さない状況なので、対応に気の抜けない日々が続きます。次の山は月末に訪れます。どうなりますやら。



2008年02月04日(月) 080204_雪の日の朝

 夕べから降った雪が町を覆っています。北海道の初雪の日のようで、いつも見慣れたはずの窓からの風景がなぜか懐かしく見えます。

 テレビのニュースは交通機関の遅れなどばかりだし、道路の通行止めの話題も多いこと。

 雪もすぐに解けるのでしょうけれど、日用品店では雪かき道具が売り切れだとか。次に使うのはいつのことになるのでしょう。

 雪の朝の風景にすがすがしさを感じました。

   



2008年02月03日(日) 080203_自転車の神社巡り

 掛川での二日目。今日は掛川市内を巡るスローサイクリングに参加です。朝から雨なのがちょっと残念ですが。

  

 掛川のスローサイクリングとは、NPOの活動の一つとして企画されている、自転車によるガイドツーリングのことです。

 市民が市内を理解する、他の町から来て掛川を楽しむ、知らない人と一緒に自転車で走ってコミュニケーションを楽しむ、などなど、ガイドツーリングの楽しみ方は人それぞれにいろいろです。しかしその楽しみを求めて、遠くは三重県や名古屋市からもわざわざこのツアーに夫婦で参加してくれる熱心な方もいます。こういうスペシャルな企画を喜んでくれる層が確実に増えている印象です。

 この企画を引っ張ってくれているのが自転車ショップの経営者でもある通称「ヤマチャリ」さん。自らも自転車に乗り、サイクリストとして掛川を自転車ルートの目線で知り尽くしているこの道の達人です。

 ヤマチャリさんには、私が掛川にいたときに都市再生モデル調査で行った「自転車によるまちづくり調査」の実施のときにも大変お世話になりました。ヤマチャリさん自身は「こままささんとやったあの調査のときに一番印象的だったのは、やっぱり三泊四日の『塩の道自転車ツアー』をこなしたことですよ。あれだけのことをやったんですから、その流れを続けたいですよね」と静かな口調で、しかし熱く語ってくれます。

 都市再生モデル調査が立派に地域に新しいムーブメントを興している好事例の一つです。大いにその効果を宣伝をしたいものです。

   *   *   *   *   *

 
 今日のツアーの目玉の一つは、私自身による神社ガイドを加えた掛川の信仰の拠点巡りという企画です。昨日の講演会の内容をさらに実践するという意味でも、地域の信仰について案内をして楽しもうというのです。これは私自身のライフワークでもあるので、掛川応援の意味とダブルでやらねばならないのです。

 さてツアーは、掛川のリゾート施設である「つま恋」に集合。冷たい雨が降る中を約30人の熱心なサイクリストが集合しました。合羽に身を包んで寒さと雨対策はするものの、天候条件は厳しいものがありますが、それでもみんなどこか楽しそうです。

  

 つま恋を出発して最初に向かったのは事任(ことのまま)八幡宮神社さん。ここでまずこの神社のご紹介をし、手水の取り方や参拝の仕方をお話しました。参加者たちも感心したり「普段はそういう話はなかなか聞く機会がないですね」と言いながら、ぎこちなく参拝をしていました。神社をお参りする機会がもっと増えて「あたりまえ」になれば、様になってくることでしょう。

 神社は今日は節分で忙しいとのことでしたが、ここ事任神社さんでは宮司さんご夫婦が、自転車部隊が訪ねてくるということを知って、焚き火でおもてなしをしてくださいました。つま恋を出発したときから冷たい雨を受けて手足の指先が冷たくて辛かったのですが、ここで焚き火にあたらせてもらい、体はほかほか。その後のサイクリングも寒くなくなりました。
 焚き火がこんなにご馳走だったとは知りませんでした。

  

    ※    ※    ※    ※

 さてここから始まってほかにもいくつかの神社を巡り、途中には戦に破れた平将門とその一門18人の首を京都まで持ってゆく途中に、この掛川で検分を行ったという言い伝えのある十九首塚もお参り。昨日の神田明神とのお話がここで完結です。

 最後はつま恋に戻ってきてツアーも無事終了。雨がやむことはありませんでしたが、雪にはならずに小雨程度で済みました。自転車のベテラン揃いなので、たいした苦にもせずに戻ってきました。満足の行くツアーだったようですよ。

 こうしたガイドツアーは、「やれば地域が盛り上がる」と口では簡単に言いますが、ルート設定、マップ整備、ガイドの力量、補助的ガイド、トラブルのためのサポート体制、ツーリングポイントの楽しませ方、など多くのノウハウが必要になります。

 掛川ではこれをもう何度も繰り返しながら、ノウハウを充実させてきていて、ビジネスにつながるようなグレードを目指しています。こうした地道な積み重ねが次につながるはずです。私もガイドの腕をもっとあげなくては、と痛感し良い経験になりました。

 掛川の近くの市から参加した、という男性は「うちの市にはこういう楽しませ方をしてくれるようなところがないんだよね。掛川はいいなあ」と感心していました。このようなガイドツアーのニーズはきっと増えることでしょう。

 雨の神社は寒かったけれど清々しさも感じられました。

 スタッフの皆さん、参加者の皆さん、ご苦労様でした。

 とっても記憶に残る経験でした。

  



2008年02月02日(土) 080202_スローライフ講演会〜江戸の将門様

 朝一番で掛川へ向かいました。今日から明日にかけて掛川で行われるスローライフのイベントへ参加するのです。

 本当は明日のスローサイクリングのために、自分の自転車を持って行こうとしたのですが、今回は断念して借りることに。行く先に自転車があるのなら無理はしないことにします。

 今日の私のお仕事はちょっとは人生の役に立つような講演会。東京で単身赴任を始めてから自転車で巡り続けた東京を神社の世界から眺めて、今に生きている日本民族の信仰の心について考えてみました。

    ※    ※    ※    ※

 転勤の多い私としては、新しい職場や任地へ赴いたときはまず地域の神社に挨拶をしてから始めるのですが、これは建設省の先輩からの教えが心に残っているから。

 その教えとは「新しい土地へ行ったら、そこの一番の神社へ行って挨拶をしてから仕事を始めると良いんだ。我々のように土や川を動かすことを仕事にしているものには、生き物の住みかを奪ってしまうことも多い。そのことに畏れを感じて神社へ挨拶に行くんだよ」というもの。

 それ以来、古事記や日本書紀を読んだり神道の世界に触れる機会が多くなり、国民の信仰とは何か、ということについて考えることが多くなり、時間があればその土地ごとの神社を巡ることが多くなったのです。

 そして現代都市の東京にも、この手の日本人の信仰心が特に神社には現れていて実に面白いのです。

 その一番典型的な姿を江戸総鎮守神田明神に見ることができます。
ここは元々伊勢神宮に捧げる田んぼがあったために神田と言われるようになったのですが、もともとは大手町の方にお社があったのだそう。


 
 この神田明神の主祭神は大巳貴命(オオナムチノカミ)と呼ばれて、大国主命(オオクニヌシノミコト)と同じ神様が祀られているのですが、二番目に祀られているのは何と平将門なのです。

 神社が移ってくる前の元々あった大手町には今でも将門の首塚が残されていて、日本の経済の一大中心地に動かせない信仰の力があるのです。



 神社は江戸城が増築をした際に今の場所に移り、江戸城の北東の鬼門の押さえとなり、江戸総鎮守として江戸城を見守り続けました。

 それが明治七年に明治天皇が行幸される際に、かつて政権に弓を引いた逆賊として祭神からはずされ、それがまた氏子の強い熱意により昭和58年に祭神として復活し、今に至っているというのですから、実に面白いではありませんか。

 神田明神の氏子は成田山新勝寺にお参りをしないと言われているそう。それは時の政権が将門の乱の鎮圧のために成田山で将門に呪詛をさせたためで、成田山へ行くことは将門を苦しめることになるから、ということなのだそう。東京の繁栄がこうしたエピソードで彩られているなんて、実に興味深いことですね。

 そんなエピソードに始まって、仏教渡来から始まる神仏習合、国学の台頭、明治の神仏判然令などなど、神と仏をめぐる案外知らない歴史について思い切り語らせてもらいました。

 こういう話を聞いてから寺社仏閣を巡ると、日本という国が今までとは違って見えてくるはずです。さて聞かれた方はどんな感想をもたれたでしょうね?

    ※    ※    ※    ※

 夜は遅くまでまた飲み明かしました。

 私のアドバイスで結婚の決意をしました、というA君が奥さんを連れて参加してくれてちょっと嬉しいサプライズ。なかなか素敵な奥さんでしたね。どうぞお幸せに。

 今なお新しい人たちに会えるのが掛川らしいなあ。
 



2008年02月01日(金) 080201_広場はこうありたい

 広場のあり方について、別のブログからも応援のメッセージが来ました。そこでもう少し広場について掘り下げてみたいと思います。

 今までのまちづくり装置としては、我々はついつい作って行く建築にばかり目が向いていましたが、作ったときに【残る】あるいは【残す】広場にはほとんど目がいかなかったのだと思います。

 わざわざ広場を作るときでも、上から見たときの建物敷地や道路、公園などの敷地境界で管理者が変わってしまい、広場と隣接する施設との関係性はほとんど顧みられませんでした。
 広場を作るときのポイントはアルファベットの【L】のように、下の土地だけではなくそれに隣接する垂直な建物のあり方が問われます。このLの関係を上手につくれば室内から外、外から室内へと続く関係性を構築できて、内にも外にも賑わいを演出することが出来ると思います。

 そのときの垂直な建物では特に1〜2階の低層階は徹底して商業に誘導すべきです。ものを売る面が広場に面しているということが重要です。

 さらには、カフェのように外の空間を室内からにじみ出すように自由に一体的に管理できるような管理システムも重要になります。

 日本の場合は、この一体的な管理が苦手で、すぐに縦割りの敷地だけの管理者が登場してしまうのです。これは最近は特に厳しい「管理者責任」でもあるのですが、逆に言うと管理者の権限も有しています。

 そしてこの管理者権限はむやみに不公平には使えない、という縛りから逆に公平に公平に、という意識ばかりが強くなりがちです。

 「今日だけ、特別に、この人だけに」もっと自由に使わせても良いと思うのですが、それを認める基準とマニュアルが必要です。これが使節を柔軟に使うことを阻害しているのです。

 アメリカではまちなかの一定の面積を管理するNPOが組織され、ここにその範囲内の企業がお金を出し合って、清掃や管理、地域の運営などを行うということもされていて成果を上げているようです。

 日本でも昔は商店街や町内会がこうしたことを担っていたはずですが、次第にその力が衰えるのと同時に、官の管理者に頼りすぎている嫌いがあります。

 「自由」は自分たちの責任の下に取り戻さなくてはならないのです。

 日本にもっと面白い広場を増やしたいですね。

   


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こままさ