店主雑感
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2003年07月15日(火) 社会不安

 経済の悪化や犯罪の増加よりも人間の品性
の下落が本物の社会不安を生んでいる。

 すこやかに成長するはずだった子供が途中
でゆがんで異常な犯罪を犯す…と考えるのは
おかしい。
 劣悪な両親から劣悪な資質を受け継いで、
すこやかな成長など望むべくもない育てられ
方をした結果、ついにとりかえしのつかぬ事
件を引き起こした、と素直に考えるべきでは
ないか。

 姿の美しい者どうしからは姿の良い子供が
生まれやすい。
 品性下劣な者どうしからは往々にして嫌な
性格の子供が生まれる。

 あくまでも傾向に過ぎないが事実である。

 こんなあたりまえなことを慎重に避けて通
ろうとするから子供が大人を信用しなくなる。

 子供から親は選べない。
 しかし、両親の容姿や能力に格差があるの
は如何ともし難い。
 生存競争はリレー競技だからである。
 両親もまたバトンを受けた時からハンデを
背負って生きているのである。
 一世代ごとにリセットはしないのである。
 もんくをつけてもはじまらない。
 遥かな太古の海ですでにスタートは切られ
ているのである。

 人生に公平は期待できない。
 しかし自分の人生の条件がどうであろうと、
不正行為はゆるされない。
 それはまた自分以外の誰に対しても不正な
行為をゆるない、ということでもある。

 社会法規にふれるかどうかは問題ではない。
 幼児に性的悪戯をして殺害するのはもちろ
ん許し難い行為である。
 しかし、それ以前に人にハサミを向けるよ
うな我が子の矯正を放棄した両親の罪は更に
重い。
 かといって、「市中引き回しの上打ち首…」
といった愚劣な発言をする政治家にも家族が
いるのかとおもえば寒気すらおぼえる。

 社会正義とはけしからん奴輩を引き回して
打ち首にすることではない。

 劣悪な人間に対しては嫌悪感と軽蔑をもっ
てのぞめば充分で、攻撃や制裁は必要ない。

 小さな子供のうちから感性や才能の心配を
することはない。
 子供に見るべき感性や才能があるなら血眼
になって探さなくとも時期がくればいやでも
見えてくるはずである。
 親にできることは人として最低限の振る舞
い方を身につけさせてやることである。

 朝起きて歯を磨く、顔を洗う、たとえうっ
かりでも尖ったものを人に向けてはいけない、
たとえ消しゴムひとつでも窃盗は犯罪であり、
嘘をついたりものを盗む人間は他人から決し
て信用されない、またそういった人間を自身
も信用してはいけない。

 これらはごくあたりまえのことながら、じ
つは教え方の順序が逆だということに現代の
大人は気がつかない。
 軽蔑することを先に教えないで、軽蔑され
ないようにしろ、といくら言っても説得力は
ない。

 小さな子供に人から嫌われることが如何に
不利かを教えるのは親の義務である。

 まちがってはいけない。
 これはわが子に対する義務ではない。
 一人前に子をもうけた以上は、わが子を愛
していようがいまいが、最低限果すべき社会
に対する義務である。

 まともな人から軽蔑される人間は責任ある
地位につくこともなければ、魅力ある異姓に
も相手にされない。

 それが真に健全な社会のあるべきすがたで
あろう。


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