□■ あたしのお教室 ■□
もくじ過去未来


2004年01月22日(木) ちょっと。

はい〜。こんにちは。

春からの新しいことに向けて、ちょっと忙しくなってしまって、日記書く暇がない〜。

また暇を落ち着いたら日記を書くことにする。

やっぱ、今年はいろんな意味で転機かも。

では。


12706


2004年01月19日(月) 今日は、晴れ。

はい、こんにちは。

ほぅ、ひとまず終わった。

後は前期試験だぁ。
数ヶ月動かしていない体を目覚めさせないと。
今日から部活に行くらしい。
いつものように朝一番にネットを繋いで天気予報を見ていた。

「よっし、晴れ。体育、グランドだ。サッカーができるぞっ」

またソックスと靴をどろこんこにして帰ってくるんだろうなぁ。
ばばが昔「T(おっとっと)が卒業してどろんこのソックスを洗わんようになって、寂しかった。」と言っていたけど、なんとなく、その気持ちがわかるなぁ。

うん、思いっきり走っておいで。

ゴールが目の前にあるのか、もっと先にあるのか、わからなけど、きっとたどり着くからね。

12527


2004年01月17日(土) 最初の一歩

はい、こんにちは。

雪は思ったより降らなくて、ほっと一安心。

試験が終わった午後3時、兄くんからメールが入る。

1時間後に駅まで迎えに行く。

元気のない顔をしていたらどうしよう。
なんと声をかけたらいいのか。
そんなことを考えながら運転していた。
しかし、まぁ、なるようになるさ、と腹をくくって駅で待つ。
やっぱり、彼と付き合ってきた18年っていうのは無駄に過ごした年月じゃなかったんだなぁ。。
どんな様子をしていても、どかんと受け止めてやれる自信があるのだな。
時間が迫るにつれて、落ち着いていく自分の気持ちが妙にうれしかったりして。

車に乗り込んできた。
どんな表情かな?
うん、わりと落ち着いているみたいだ。

試験のことは何も聞かずに「おつかれさん。今日、晩めし、何にする?」ときくと、いつものように「なんでもいいよ」って答える。

彼が何か言ってきたら答えようと思っていると、ぼつぼつと話をしてくる。

「頑張れ」とか「最善を尽くせ」とか、そういうことは言いたくない。
そんなこと、おかんに言われなくても、十分わかっていることなんだし。

夕めしを二人で食べた。

「今日は、かーさん、夜、仕事するよ。いいね?」
「おー、ぜんぜんかまへんで。」
「そやな。」

一人で乗り切らないといけないことはこれからなんぼでもある。
これは最初の一歩。

さて、明日も朝、早い。
お米を洗って、寝ることにする。

12446


2004年01月16日(金) センター試験前夜。

はい、こんにちは。

先ほど、仕事終了。

さて、明日のお弁当の下ごしらえ、よし。

天気予報のチェック、した。

目覚まし時計、合わせた。5:00AM

・・・雪が積もるらしい。
高校まで連れて行けばあとは学校からバスがでる。
とにかく学校まで無事に連れて行かねば。
私の車はスタッドレスタイヤだけど、チェーンは揃えてない。

じじが「すまん、どうしても責任がもてん。」という。
その気持ちもよーくわかる。
おっとっとに無理を言って連れて行ってもらうことにした。

ほっとした。。

さて、朝はやいので、寝ることにします。

おやすみ〜。

兄くん、今日は夜更かしせんでよ〜。

12372


2004年01月15日(木) kazehiita!!

はい、こんにちは。

弟くんが行って1週間。
そろそろメールを送ってもよかろうと思って送ったら。
さっき返事がきた。
相変わらずローマ字で。

「ikinari kazewo hiita. mou naottakedo.
asatte,minnato yuuenntini iku
anikun benkyo gannbaruyouni!

see you!」だって。笑

知らない土地で知らない家でカゼをひいて。
お薬はどうしたんだろう。
ちゃんと着替えはしたんだろうか、などと母は心配のかたまり。笑

きっと目の当たりにしたら、もう、胸がかきむしられるほどなんだろうけど、見えないっていうのは結構気楽なもんだ。

たぶん心配性のあたしに「カゼひいた」なんていうと、オーストラリアまで飛んでくるんじゃないかと思って、やつめ、黙っていたんだ。

ヤツはきちんと親離れしているみたいだから、こっちもそろそろ子離れしなくっちゃね。

てことで、お休み〜。

12307


2004年01月13日(火) 心ほっこり。

はい。こんにちは。

弟くんからはメールが1通きただけで、その後音沙汰なし。
どうしているんだろう、と心配はしつつも、今はまだ一緒に行った仲間がいるので、安心はしているのだが。。。

昼前に郵便局に行ったら、昔教えた生徒ちゃん「ヒカル」のご両親がいた。

「うわ〜。おひさしぶり〜。」
「せんせー!!」

いつも出会ったら20分ほど話し込んでしまう。

弟くんとの成田でのお別れの話をしたら、おかーさん、涙がほろり。

「せんせ、寂しかったやろ。小さいのに、よく出したね。
 親は心配しかできへんさかいに。
 でもね、きっと何か掴んで帰ってくるさかいに。」
「うん、ありがとうございます。
 もうね、元気で帰ってきてくれたら、それでいいんやわ、あたし。」
「そやそや。。
 でもな、せんせとこの悩みなんて、大したことないって。
 うちのヒカル、とうとう進学せんて言い出した。」
「そうなん?勿体無いね。数学は学年でトップでしょーが?」
「ガソリンスタンドの面接うけたんや。
 それがすごい人数でね。せんせ。
 厳しい面接やったわ。」
「で、どうやったんですか?」
「まぁ、合格したんやけど。
 お前、その髭はなんや、って言われて、親がゆうても学校の先生がゆうても剃らんかったのに、職場の人に言われたらすぐ剃りよったわ。
 社会の厳しさをひしひし感じたらしいで。
 まぁ、それも良いわね、せんせ。」
「そうかぁ。ヒカルくんはもう立派な稼ぎ人やね。」

ヒカルくんは、高校をやめたMくんと同学年でうちの兄くんといっしょにお教室で勉強した仲間だ。
みんなで競って数学といていた時代もあった。
あの頃は、みんな同じ中学生で、将来に何の悩みもなく、面白可笑しく毎日を過ごしていたんだ。

そんな子供たちがそろそろ社会にでようとしている。

「せんせ、親がどうこう言っても聞きませんからね。
 好きなようにさせますわ。
 後悔のないようにだけして欲しいと思ってます。」

「そうですね。先の読めないご時世ですからね。
 せめて、好きなことをさせてやりたいですよね。」

「せんせ、閉じこもっていたらあかんよ。
 あたしらもそう思って夫婦で出歩いとるのよ。」

ダンナさまは車椅子、奥さんもお体に障害をもっておられるのに、底抜けの笑顔であたしを励ましてくれるのがうれしくって。

ほっこりして帰宅しましたぞ。

12170

 


2004年01月12日(月) 成人式のばか者たち

はい、こんにちは。

今日は成人の日だな。
来年は我が家の兄くんも成人の仲間入りなんだなぁ。。。はぅ。。

それにしても、最近の成人式での一部の成人のバカ騒ぎは、ほんまに頭にくる。
「目立ちたい」だって?あほちゃう。
あんたら、そんなことでしか目立てないのかいっ。
そら体制に反発するのもいいさ、意見を持つのも大事なこと。
だけど、それならそれなりの実力をつけて、堂々と、しかるべき場所で意見を述べたらええんじゃないかいっ。
一人じゃ何にもできないくせに。
徒党を組んで酒のんで、人罵倒して、関係ない人まで殴って。

そら、ろくでもない大人もたくさんいるさ。
だけど、あんたらにどうこう言われる筋合いはないだろ。
あんたらは今までその大人が作った社会に守られてきたんだろうが。
だれがあんたらをそこまで大きくしたとおもってるんや。

あー、腹立つ。

おバカな新成人全部纏めて戦場へ送り込みたい気分や。
戦地へ行って、人助けをしてこい。
いや、きっとそういうやつらが来たら迷惑だろうな。
全く嘆かわしい限りだ。

来年、兄くんがどこで成人式を迎えるのかわからないが、気をつけて、なんて言って送り出さないといけないのは、全くもって残念なこっちゃ。

ちなみにあたしの成人式は、広島で、ひっそりと、友人たち数人と祝杯をあげた。
皆とおんなじ恰好して晴れがましいところに出るのが、ちと恥ずかしかったので。
親もあたしが晴れ着きるような娘だとは思ってなかったようで。

ある意味小さなレジスタンス。笑。

12079


2004年01月11日(日) 兄くんとギョーザを作る

はい、こんにちは。

今日は、朝8時から神社の掃除。
小雪が舞う中の落ち葉あつめは、かーなり辛かったが落ち葉も数もそれほどなくて小1時間で済んだので、よかった。

帰宅したら、家族はまだ寝てるし、ストーブの前にちょっと横になったらそのまま寝ていて気づいたら11時になっていた。

弟くんを成田に送ってからずっと休みなしで働いていたので、疲れがたまっていたのか。
熟睡をしたのはほんとうに久しぶりな感じがした。

お昼に蕎麦を作り兄くんと食べる。
職人のだしという鰹節でとったダシはすごく美味くて、兄くんはおかわりをした。

弟くんがいなくなってから、兄くんがえらく話をするようになった。

進路のこともちらほらと話したりしてくるので、あまり干渉しないように軽く相手になる。

「今日の晩飯は?」と聞いていたので「何がいい?」と聞くと、「ぎょーざかなぁ。」と言う。

よっしと買い物に出かけ、材料を調達。

帰宅して準備にかかると兄くんが様子を見に来た。

「おーー、いいところへ来たなぁ。手伝って。今日は60個つくるから。」

「あいつがおらんのにそんなにいるかなぁ。」というのだが、数を減らすのも寂しい気がして、60個を作り始めた。

彼は「美味しんぼ」の大ファンで、作り方のコツなど、ぼつぼつと話してくる。
見ていると割と上手に作るのだな。

二人であーでもない、こーでもないといいながら60個を作り上げて、焼き始めた。

片栗粉に中華だしを混ぜて焼くと、ぱりっと焼けて美味しいのだな。

「さ、できたぞ〜。たべよう。」

「おー、やっぱり手作りは美味いなぁ。」

彼は本当に美味しそうに食べるのだな。

フライパンに3回に分けて焼いた。

おっとっとと兄くんとあたしとで、60個完食した。
兄くんはもっと食べたそうにしていた。さすがっ。

4人の食卓は賑やかでそれなりに楽しかったが、3人の食卓にはそれなりの味わいがある。

あと3ヶ月の3人暮らし。
しばらくは一人っ子を満喫したらよいよね。

「2月の受験、ついていってあげようか。」というと

「よろしくお願いします。」と。

また、ちょっと離れて歩くんだろうな。あいつ。笑。

12012




2004年01月10日(土) やっぱ、天職だろね。

はい、こんにちは。

やつが行って四日目。
メールがひとつだけ来た。
「wakatta!minnnani yorosiku!」
やっとパソコンに辿りついわけだ。

今日は学校に行かない日だからメールはこないはずだ。
ホスト宅ではパソコンにかじりついていてはいけないと言われているから、きっとホストファミリーとの休日を楽しんでいるんだろうな。
なんせ、5つのベッドルームと1つのテレビルームがあり海の見える庭で勉強もできるという環境。
楽しくないはずはないよな〜。
学校へはホストファミリーが車で送迎してくれるといういたれりつくせりの待遇。

しかし、ほんまにわがままいっぱいに育てているから、さぞ、遠慮して暮らしていることだろう。それもまたよし。

さて、今日は、仕事二コマ。
夜は新しい生徒だった。
英語が苦手ということだったが、それほどでもなかったので、ほっとした。

お迎えにこられたおかーさんが「せんせ、お忙しいのに土曜日をつぶして申し訳ありません。それで、うちの子、みていただけるんですよね?」とおっしゃる。

「日曜日に休めたらそれで十分ですわ。どうぞ、いらしてください。」と答える。

実はマンツーマンなので、かなり辛いといえば辛いのだが、この時期を乗り切ったら、4月からは生徒集めに奔走しなくて済むので、無理しても見ることにしているのだ。
それに少人数相手だと、パソコンで学習できるし、ほかのとこと差をつけようとしたら、そういうとこで売るのが一番だもんな。

弟くんの学校のパソコン教材は高価だったが、これはかなり使えるので、やつが向こうに行っている間使わなければ勿体無いので、せいぜい利用しようと思っている。

自分の勉強のためになら絶対にこれだけ頑張らないけど、仕事となると、俄然気合がはいるわけで。

やっぱりね、なんやかや言っても、あたしは真面目だわさ。
あはは、自分で言うなちゅうの!

11957






2004年01月09日(金) せんせ、寂しい?

はい、おはよう。

昨日は弟くんから電話がなかった。
電話は一ヶ月に一回ぐらいにしてくれと留学事務局からお達しがあったのをきちんと守っているのか。
そんな暇がないのか。
便りがないのは忙しくしているからだろうと良いほうに解釈。

こないだ成田から帰った夜。
受験生の勉強があったので、休みをとらないでお教室をひらいた。

5年生からきている生徒たちなので、もう5年目の古参組。
気心知れた仲間だ。

Mくんはお兄ちゃん二人もうちの生徒だった。
3人兄弟とても気立てがよく、長男は美容師、次男は高校の食品科にすすんでいる。
町であったら「おー、せんせー!!」といって声をかけてくれる子供たちだ。

Mくん、冬休みの課題を持ってきていた。

「先生、オレ、にいちゃんと同じところの食品科に推薦してもらえそうやねん。それで、小論文かかんといかんのやけど。。
ねぇねぇ、自己アピールのところに長所っていうのがあるんやけど、自分では恥ずかしくて書けへんねん。
オレ、長所ってあるんかなぁ?」

「うーん、そらあるで。よっし、せんせが言ってあげるから、それを文章化しーな。」

「わ、ありがと」

「まず、Mくんは粘り強い。」

「いや、そんなことない。切れやすいって言われるで。」

「でもな、勉強してるときは人よりずっと長く考えるほうやろ、自分が納得するまで。」

「そっかー。。」

「それから、人の気持ちがよくわかるやろ。」

「へ?そうなん。」

「そやで。せんせがくたびれている時とかすぐわかるやろ。
 いつも”みんな静かにせんか。せんせ、そろそろ怒り出すぞ”っていってくれるやん。」

「わはは!そういえばそうやった。」

「そうや。そういうことって大事やで。人の顔色を見るということと、人の気持ちがわかるってこと、違うんやから。
 それは他の人にない良いところや。」

「うわ、なんか照れるやん。」

「あはは!」

「で、短所は?」

「・・・うーん、うーん、うーん。。。」

「せんせ、こまっとるみたいやな。よし、短所はみんなが来てからきくわ。
 もうええよ、せんせ。」

「あは、こまっとる、っていうか、短所が見当たらんのやけど。」

Mくんはにこっと笑って作文書き始めた。

「せんせ、後でみてな。字の間違いとか。」

「うん、いいよ。」

「・・・せんせ、今日、空港行ったんやろ。 
 寂しかった?」

「・・・うん、ちょっとな。。」

「そうかぁ。。。」

Mくん、ありがとうね。
せんせにはきみたちがおるから、大丈夫。
10人も頭の痛い受験生がおるんやから、寂しがってる暇ないって。

11838


2004年01月08日(木) やつがいない一日

はい。こんにちは。

九州の母から毎日電話がある。

「弟くんから今日は電話あった?地球儀を買ったのよ。ブリスベンってどこにあるん?パースってどこにあるん?あの子、飛行機の中で喘息大丈夫やったんやろうか。」

「あはは、大丈夫よ。ちゃんとマスクもたせたし。
 ブリスベンは大陸の東の方。パースは西のほうよ。」

「あの子、一人で飛行機に乗ってパースにいくんやね。
 だれか乗せてくれるんやろうか。迷子になったりせんやろうか?」

「そら、乗せてくれるよ。大丈夫。」

ばばってこんなに心配するもんなんだなぁ。
出発の日はずっとテレビを見ていたと。飛行機事故の心配をして。

「九州へも一人で来たことないのに。
 いきなり南半球なんて。。」

もう心配のかたまり。笑。

「どうして留学したいなんて思ったんやろうね。
 まだこないだまで中学生やったのにね。
 でもね、おとうさん(父のこと)、15歳で満州に単身渡って数年くらしていたんやしね。おばーさん(父の母)、出航の時に見送りにいって、小さい頭が船の甲板のうえにちょっとだけ見えて、だんだん小さくなっていって、泣けて泣けて仕方がなかったって言ってたわ。」

「ふーん、、、そうやったんかぁ。」

「子供のひとり立ちはよろこばないけんのやけど、母親にしたら、辛いもんあるよね。」

「うん、、、そうやね。。」

「まぁ、あんたはしばらくゆっくりしなさい。心配はわたしがしてあげるから。」

父が生きていたら喜んだかなぁ。
自分と同じように外国に行ったことを。

毎日地球儀をくるくるまわしながら、母は、あーでもない、こーでもないと考えるんだろうなぁ。

朝、兄くんが「あいつちゃんと起きられたかなぁ。朝はめっちゃ弱いんやから。かーさんに何回も起こされてすごい機嫌の悪い顔して降りてきよったからなぁ。。。」

いつも二つのカップにミルクティーをいれて、テーブルに並べているのに
今日はひとつだけ。

「あいつがおらんと甘いもんがなかなかなくならんなぁ。」と兄くん。

「今のうちに好きなものいっぱい食べとき。
 あいつ、いつも美味しいものは独り占めやったからね。」と私がいうと、兄くん、にやっと笑っていた。

そんな一日でした。

では、おやすみ。

11805


2004年01月07日(水) 成田旅立ち、そして、東京駅ミニオフ!

はい!こんにちは〜。

本日午後5時、不思議の里に帰って参りましたぁ。
いやはや、長く濃い二日間でしたわ。

火曜日11時に里を出て、成田についたのは、午後5時前でした。
乗り換え3回、はやり成田は遠いですわね。

それにしても、東京駅であおいさんが待っていてくださって、とっても助かりました。
弟くんと同じ学校の女子とその母、京都の学校の男子学生、そしてあたくしたち親子の総勢5人を引率して、あおいさんが先頭切って歩いてくださる。。
とっても頼もしくって、あたくしたち、頼りっきりでしたの。
ありがとうね、あおいさん。

さて、成田に着いたら、ほとんどすることがなくて、2時間時間をつぶさねばならず、子供たちは、かーなりくたびれていました。

午後7時、留学生たちが集まって、搭乗手続きが始まる頃、あたくしたちもそろそろ退散せねばなりません。
不安顔で手続きする弟くんに小さく声をかけて「それじゃ行くから」というとやつめ、返事をしません。。。緊張の極致に達しているようで。。

それでも時間がないので、出口に向かいながら後ろを振り返り振り返り見ていると、やつもこっちを探しているようでした。
でも人が多くて探せないようでした。
あー、もう少しそばにいて、最後、きちんと声をかけたかったなかと悔やまれます。

成田エクスプレスで東京駅に向かいながら、同行のおかあさんと、「どうして留学したいって言い出したんだろうねぇ。。」などと言い合ったりして。

その後あたしは銀座のネオンと隅田川の素晴らしい夜景を見ながらバスに乗り近くに住む叔母の家で酒盛り。(恵比寿ビール)
大トロ、うに、いくら、などなど、築地の市場で仕入れたという美味三昧。
不思議の里談義に花が咲いて、寝たのは夜中の1時でした。
ひとりでいたら、ど〜〜と落ち込んでいただろうけど、小さい時に一緒に暮らしていた姉のような叔母に話を聞いてもらって、すっきりして熟睡したわけでした。

             ◆◆◆

さて、今日の朝、ネットの東京勢のみなさんと急遽ミニオフの話がまとまり、中央郵便局で落ち合うことになったわけです。

バスを降りて郵便局の入り口から急いで入ると!
きゃぁ、そこにしあわせものさんがおられるではないかっ!!
まったく夢みたい!

大きな声で、「しあわせものさん!」などと呼ぶと、郵便局員の方が不思議そうにあたくしたちをみていたわ。
座り込んでお話をしていると。。
あおいさんからお電話。「どこにいるのぉ?」
あたくし「中央郵便局だってばぁ。」
と後ろを振り返ると、すぐそこにあおいさん。
ぶはは!真後ろにいるのにどうしてお互い気づかないんだよー。
時間もないので、駅の中のこぎれいな喫茶店でモーニングをいただく。
その時、Kussyちゃんからメール。
「今から出ます。」
そういったと思うともう10分後にはKussyちゃんが現れた〜。
「きゃぁ、Kussyちゃん〜。」

しあわせものさん曰く「機関銃のように」皆で話す、笑う!

小一時間だったけど、ほんとうにうれしい楽しいひと時だったわ〜。
みなさん、ありがとうね〜。
少しの時間しか会えないのに、来てくださって。
お陰であたくしは、ちっとも寂しい思いをせずに帰途につけました。

            ◆◆◆

帰りの電車の中で、ネットのみなさんからたくさん携帯にメールをいただきました。ありがとう!
携帯を満タンに充電していたのに、里につく頃には充電切れ寸前でした。笑。
夕飯の買い物をしているときに弟くんから携帯に電話が入っていたのですが、圏外でとれませんでした。
急いで帰宅して、電話の前で待っていると、かかってきました。
「うん、元気やで。しんどーない。明日学校からメールできると思うから。
 かーさん、オレが欲しいものわかってるやろ。
 荷物頼むな。」そういって、電話が切れました。

なにはともあれ、無事に現地についたようで、よかったぁ。。
もう心配してもどうしようもないので、心配はしません。
自分でなんでも乗り越えないとね。

さて、地球の反対側に思いを馳せて、今日は寝ます。
おやすみなさい。ありがとう!

11687



2004年01月05日(月) 行って来ます〜!

はい。こんにちは!

留学準備完了。
明日、11時にここを出発します。
京都からのぞみで東京まで行き、成田エクスプレスで空港まで送りに行きます。

じじばばを呼んで最後のお茶会をしました。
兄くんが「お前いいなぁ。オーストラリアかぁ」って言いました。
海外には興味ないといっていたのに。。
「じゃかーさんとパースまで行こうか」というと、「うん、そうだな。」と。
兄くんはどんな思いで弟くんを送り出すのでしょうね。

じじばばは、やはり最後まで心配そうな様子でした。

おっとっとは「しっかり勉強してこいよ。グッドラック!」などとかっこつけていました。

さてさて、明日のために、もう寝ます。
それではおやすみなさいませ〜!

11585


2004年01月04日(日) 物の命の尊さ

はい、こんにちは。

はぅ、初仕事終了。
朝晩二コマ。やっぱり、久々の仕事は疲れる。
しかし、労働時間5時間程で根をあげていてはいかんぞ。
世の中にはもっともっとしんどい労働をしている人はなんぼでもおる。。。

実は今日、村のある女性のお葬式であった。
兄くんと同級生の娘を持つお母さんだ。
なくなったのは大晦日。50歳になったばかりと聞いた。
あたしたちが彼女の死を知ったのは、昨日のことであった。

引っ越してすぐ、兄くんの同級生の女子が同じ村にいることを知った。
良かった、その子のお母さんに何でも聞けると喜んでいたのだが、ばばが
「あの人は変わりもんで、人付き合いせーへんから、聞くのは無理やで。」と言った。
ふーん、そうか、それなら仕方がない、と諦めた。

それから2年が過ぎて、小学校の卒業式の時に学校でそのお母さんにばったり出会った。

「お久しぶりです。とうとう卒業ですね。」と声をかけた。
すると、「そうですね。今日はご苦労様です。」と返事が返ってきた。

それだけの返事だったが、話が出来たのがうれしかった。

それからは相変わらず話しをすることもなかったが、桜子の散歩コースがその人の仕事場だったので、見かけると目礼をした。
すると先方もきちんと目礼してきた。

彼女の仕事場は鶏舎だ。
村の真ん中にあって、いつも言ってるけど、すごい匂いを放っている。
その中で何百羽という鶏の世話と鶏糞の熟成の作業をしている。
そばを通っただけでも頭がくらくらするのに、密閉に近い鶏舎での作業はどれだけしんどかったろうなぁ。

いつもしんどい様子だっただ、ここ最近は様子がとっても悪かったらしい。
27日にちょっと横になると言ったきり起き上がれなくなって、29日に救急病院に担ぎ込まれて、診断の結果、菌が歯から目へ、そして頭へと回って、もう手遅れだと言われたんだと。。

そして、31日に息が切れたと。

どうしてそうなる前に病院に行かなかったんだろう。
そういう仕事をしているならなおの事、用心深くならなければならなかったのでは。。

もう亡くなってしまったのだから、言っても仕方ないけど。

ダンナさまは、外に仕事にいっておられるし、彼女は、一日も休むことなく鶏の世話をしなければならなかったわけだ。
鶏は、人が死のうが生きようが、卵を産み続けるわけだから。。

これだけ医療が進んでいて、人が長生きしているのに、なんで彼女は50歳でなくならなければならなかったんだろう。

人生50年は織田信長の時代だぞ。

葬儀の時、ダンナさまが喪主挨拶で

「人からは変わりもんといわれて煙たがられていたけど、ほんとは優しい家内でした。生き物が好きで、ヤギもカラスも飼ってました。
花も人の畑を借りて作るほどでした。
 家内がいなくなって、悲しいです。。」と泣いておられた。

あたしにはわかる。
彼女のそういうところ。

一度だけ、ヌートリアの話をうれしそうにしてくれたもの。

「ヌートリアって何ですか?」

「あはは、ねずみの大きいやつや。
 町から来た人はしらんやろね。
 餌付けをしようと苦労したけど、どうも用心深い。
 今度は餌を変えてみよう。」

目の奥がとっても優しかったのよ。その時ね。

               ◆◆◆

お正月に書く話題ではないか、とも思ったけど、これは、ちゃんと心に刻んでおく。
鶏舎は臭いけど、その中で、命かけて採卵している人がいる。
どんな食べ物にも生み出す人の命が吹き込まれていることをいつも忘れないでいよう。

ここにいなければ、分からなかった、物の命の尊さよ。

11513


2004年01月03日(土) スーツケースを出す。

はい、こんにちは。

今日はスーツケースを出した。
宅急便のおにいさんが親切に色々なアドバイスをしてくれた。
「さて、もう持っていっても良いですか?」と聞かれた時に、どきっとした。
弟くんの3分の1ぐらいが行ってしまうような気がした。

先に現地に研修に行っている先発隊の女の子3人から毎日のように弟くんの携帯にメールが入っているようだ。
「むこうはめちゃ暑いみたいやで。今日はショッピングの練習に町に出たみたいやで。ええなぁ。はよ行きたい〜。」

母の心配をよそにやつめの心はもうオーストラリアへ飛んで行っているみたいだ。

思えば長い9ヶ月だったなぁ。
高校の交換留学とはこんなに大変なものだったのかぁ。
でもね、ネットのお仲間にはほんとうに助けてもらった。
留学先を決めるところから始まって、オーストラリアでの生活の細かいことの相談もメールを送るとほんとに親切に返事をいただいた。
心配事を日記に書けば、ちゃんとその答えがもらえた。
ここまでたどり着けたのはお仲間の力によるところが大きいのだ。
この場を借りて、みなさまにお礼を言いたいです。

さて、明日から、仕事!
がんばるぞ〜!

11454


2004年01月02日(金) 兄くんの思い。

はい、こんにちは。

センター試験を2週間後に控えた兄君。
なんだかいつも眠そうにしてて、髪もぼさぼさ。
散髪に連れて行ってやらんと、と思いながら弟くんのことでばたばたしていて、ほったらかしになっている。

先日、買い物に行ったときに、ふと兄君が予想問題集が欲しいと言っていたのを思い出して、書店に行ってそれを買った。
そういえば、数日前に自分の部屋のセラミックヒーターも壊れているっていっていたなぁ。
勉強はあたしのお教室でやっていたみたいだったけど、自分の部屋が寒かったんじゃないのかなぁと気づいて(遅いちゅうのっ)、今流行の扇風機の形をしたハロゲンヒーターも買って帰った。

帰って、兄君に「ほら、これ買ってきたよ。」というと「あっ、それ欲しかった問題集。あっ、そんなかっこいいヒーター買ってくれたん。」ととってもうれしそうだった。

兄君は弟くんにとってもお金がかかっているのを知っていて、負担をかけたらあかんと思って欲しいものも欲しいといわないで我慢していたんだ。
ごめんね。。

留学が一年先だったら、兄君のことに全力投球できるのだけど、重なってしまって、ほんまに体が二つあったらなぁと思うこともたびたびだった。

「Dちゃん、Kくんはもうすぐ出発やからね。
 送り出したら、きみのこと、世話焼くぞ〜。」というと

「いいって、いいって。かーさん、うるさいから。」と笑っていた。

「六日の夜は父さんも合宿でいないから、君ひとりよ。
 大丈夫よね?」と聞くと

「そうかぁ。。かーさんは送りにいくんやもんな。
 オレは大丈夫やで。」と答えた。

もう大きいんだから、全然心配することもないんだけど、長年一緒に暮らしてきた弟くんはいなくなるんだもんなぁ。
きっと色んな思いがあるだろうなぁと思って、次ぎの日は少しでも早く帰ってこようと思った母なのだな。。

11366


2004年01月01日(木) 新年のご挨拶

「侘助」



明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。



小春せんせ |MAIL