□■ あたしのお教室 ■□
もくじ過去未来


2003年06月30日(月) 落雷。

はい、こんにちは。

今日は雷が落ちた。
あたくしの雷だわさ。

部活がしんどいという理由で2週続けて休んだTくん。
3週目はナイターで練習したいので、振り替えをして欲しいといってきた。
それで、わざわざ日曜日に時間を設けてやったわけだ。

それは良いとしよう。。。

「3年になったら、部活と勉強の両立は当たり前や。
 野球部の子は、頭を砂だらけにして、目を真っ赤にしても
 勉強しにくるで。キミは室内やろ。それだけでもマシとおもわな。」

「せんせ、室内は蒸し暑いんです。」

ほほう。。。

そのうちに、隣の子にちょっかいを出し始めた。
その子は頭痛のためにふらふら状態で来ているのに。

エンピツでその子のテキストに落書き。

「キミなぁ、自分が今日勉強したいから、って言うたのと違うの?
 人の勉強の邪魔するんちゃうよ。」やや、やさしめに諭すように。

「は〜〜〜い。」  いつも返事だけ。

しばらく経ってまた、こそこそと話かけよる。
ちらと振り返ってみると問題は全然解けてない。
期末は1週間後だぞ。

ふと女子のほうを見て。

「どうして、女子来てるんですか。
 今日はぼく達だけじゃないんですか。」

「女子は無欠席やで。今日来てるのはやる気があるからや。」

「ふ〜〜〜ん。」  なんか文句あるんかっ。

ひとしきりたって、また、隣の子にちょっかい。

ううううううううう。。。これ以上あたしを怒らすなっ!!!!

「あんたっ、席、変わりなさい。隣の子がいい迷惑や。」

「いや、でもぼく、ここがすきやし。」

「うるさいっ!!!!代われゆうたらかわるんやっ!!!!
 あんたのせいで、周りがいい迷惑や!!」

バンバンバン!!!(怒り狂ってテキストをかっさらい、離れた席に
叩きつける音)

恐れおののき、そそくさと、席を替わるT。
一同、しーーーーーん。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・

どうしてあたしを怒らすかな。
いい加減に目覚めよ。
地球はキミを中心に回っているのではないぞ。

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<1977>

※数日前にカウンタをいじる。日記をプレビューするとカウンタが回るんだよね。
 ちょっと研究してみたら、うまく行ったみたいだ。
 それにしてもこっちの日記にしてからカウントがあがったよな。
 ここ数日をみても。
 やっぱり、多少は読みやすいのかな?
 字が読みにくいって方がおられたら、ごめんなさいだけど
 表示→文字のサイズ、で調整して見てくださいね。


2003年06月29日(日) 一つの命が終わり、そして。。。

はい、こんにちは。

土曜日の朝、実家から電話。
97歳になるあたしの大叔母が亡くなった。
最期を看取ったのは、うちの母であった。

割と若い時期に母親を亡くしたうちの母は、その叔母を実の母のように慕っていた。
門司の駅前は大里と呼ばれる町で、京都の町のように碁盤の目のように町が並んでいる。
大叔母の住まいはそこである。
以前はすぐ近くに住んでいたので、あたしも良く大叔母さんのところには遊びに行かせてもらったものだ。

若い時は、絣の着物に割烹着で、いつも座っているということがなかった。
家は、生け花があちこちに飾られ、部屋の中にはゴミひとつ、ホコリひとつなかった。
とても几帳面な人なんだなぁと、ちょっと緊張して遊びに行ったことを思い出した。

長く生きていると、色んな辛い目に遭うこともあるわけで、大叔母は息子を一人小さい時に亡くした。
家の周りに大きな木があって、雷がそこへ落ちて、部屋に寝ていた息子が雷に感電して亡くなってしまった。
連れ合いの大叔父は、もう20年も前に、自宅のお風呂で亡くなった。
熱すぎるお湯が原因だったらしい。

娘さんの一人は母と同年代で(母の従姉妹)、3人の男の子(私と同年代)を残して、数年前ガンで亡くなった。
すでに動けなくなっていた大叔母は母にその娘さんの介護を頼んだ。
その娘さんのダンナさんは、裁判所にお勤めで単身赴任されていたから。
当時、うちは父も健在で、母は、その娘さんの壮絶な最期を看取ったわけだ。

もう一人の娘は、つい最近、火事にあって、家が全焼してしまった。

「わたしは、あとどれだけ、生きんといけんのやろうね。
 もうそろそろ楽になりたいよ。みさちゃん。(母)」といつも言っていたらしい。

100歳近くなろうというのに、だらしない恰好はしたことがなく
相変わらず絣の着物をしゃんと着て、髪は週に1度、出張美容師の人に結ってもらうというお洒落な人だった。

たまに帰省した時に会いにいくと、コタツにちょこんと座っていて仏様のような微笑を浮かべて
「小春ちゃん、よう来てくれたね。丹波のお父さんお母さんはお変わりないかい?」と気遣いを見せてくれた。

気丈な人であったが、危なくなるといつも母が呼ばれていた。
一族の中で一番若いのが母だということもあるが、どうも、母を一番頼っていたらしい。
母はいつも大叔母のことが気になっていて、旅行にいくにも、大叔母の調子の良いときしか出かけなかった。

  ・・・・・・・・・・・・・・

「今日の朝ね、眠るように亡くなったのよ。
 どうしてだろうね。その時家には私しかいなかったよの。
 手を握っていたらね、だんだん力がなくなっていってね、
 呼びかけてみたら、ふっと目を開けて、ちょっと笑って
 それからまた目を閉じて、息が切れたのよ。」

「そうやったの。。。おばちゃんも本望やったやろ。
 かーさんのこと、一番のお気に入りやったもんね。」

「そうやろうか。。」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

今頃実家はばたばたと忙しくしてるのだろうな。
少し落ち着いてきたら、母はまた寂しくなるんだろうな。

でも、一つだけうれしいこと。
ガンで亡くなった大叔母の娘さんの連れ合いであるおじさまが
自分の奥様を、最期まで励まし続けたうちの母のことをとても
大事に思ってくれて、どうやら、残りの人生を母と過ごしたいと
言ってくださったらしい。
母は恥ずかしそうにそれをあたしに打ち明けた。

「大事な人を亡くした者同士、お互いの痛みを癒しあっていけたらいいね。
 あたしは大賛成。」と言うと、母は「ほんとに?よかった。」とうれしそうだった。

70を過ぎても人に愛される母。
うらやましくもあったな。(笑)

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2003年06月28日(土) ごめん、迎えにいけないよ。

はい、こんにちは。

昨日、仕事中にしうとめから電話が入った。

「小春さん、K(弟くん)が駅から電話してきてるんやけど。
 どしゃぶりで自転車では帰れんから、おじーさんか父さんに迎えに来て欲しいって 
ゆうてるんやけど。おじーさんは今日は村の会合で行ってあげられへんのや。
T(おっとっと)はまだ帰って来てへんのけ?」

あたしが仕事中だとわかってるから弟くんは母屋に電話したんだ。。

「Tさんは今日はPTAとの懇親会ですわ。夜中です。
 迎えは無理ですわ。」

「そうけぇ。。あんた、あかんやよなぁ。。どうしよう。ずぶぬれになるなぁ。
傘もかっぱも持ってないらしいわ。。。」

しうとめは、もしかしたら、あたしが仕事を中断して迎えにいくと
言うのを期待していたのかも知れないなぁ。
そりゃ、あたしだって、ヤツがこの大雨の中、傘ももたずにかっぱも
着ないで小1時間かけて帰ってくると思っただけで、胸がしくしくしたよ。

だけど、仕方ない。
40分も仕事に穴を開けるわけにはいかないもんね。。
ヤツが運悪くカゼをひいてしまったら、その時はその時さ、と思いながら帰宅を待った。

電話から1時間後に、玄関の音がした。
お、やっと帰ってきたな。

よっし、ちょっとだけ様子を見に行こう。(こんなとき、自宅勤務は便利)

なんか脱力して、表情がぼ〜〜〜〜っとしてる。
着替えをさっさとだして、シャワーにいっといで、というと、
「とにかく横にならせて。」という。

食事も温めなおしてやりたかったけど、そこまでしてる時間はない。

「ごはん、そこに作ってあるから、ちゃんと食べるんやで。」
そういって、お教室に戻った。

・・・・・・・・・・・

とっても勝手な言い分だってことは分かってるんだけど。
こんな時はしうとめにいてもらいたいって思うよね。
自分の母親だった、気軽に頼めるんだけどね。

しうとめはしうとめで、「自分の子供が大事やろ。」って人だからね、
きっと、今日、あたしが行かなかったことを快く思ってないだろうけど。

ま、いいさ。
帰ってきたんだもん。
お風呂にも入らないでそのまま寝てしまって。
起きるなり「くさ〜〜〜っ」とか言ってるし。(笑)
カゼひいてないみたいで、よかった。


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2003年06月27日(金) 父と包丁

はい、こんにちは。

今朝、家族が出て行ったあと、包丁を使っていて、ふと昔のことを思い出した。たしか8歳の頃。。

当時、母は病弱であたしが学校から帰るといつも横になっていた。
その頃のあたしは、友達の誘いを断って、母に代わって夕飯の支度をしていた。

「小春ちゃん、お米を洗って欲しい。」
「うん。軽量カップで何合?」
「そうね、今日は4合にしようか。」
「すりきり4合ね。」

大きな桐の米びつに頭をつっこんで、ちょっとべこべこになった軽量カップで
すりきり4合をちきんと計り、ざるを出してきて、ごしごし洗った。

「あんまりごしごし洗うと、お米の粒がつぶれるからね。」
「あっ、そうやった。」

その頃は電気釜ではなくて、ガス釜だったので、点火するのが少し怖かったな。

お米を洗うと、つぎはおかず。
「お魚をおばあちゃんが買って来てくれているから、それを包丁でさばいてね。」
「うーん、お魚はいややな。手が臭くなるし。。。でもいいや。どうやるの?」
「まず包丁の背で鱗を落として。」
「うん、やってみるね。・・かーさん、鱗が飛び散るよー。」
「ゆっくりやってごらん。鱗が下に落ちるようにするの。」
「あ、うまくいった。」
「じゃ、お魚のおなかの下のところに穴があるでしょ。そこから包丁をいれてね、
中身を出して、おなかの中を綺麗にするの。えらのところにある赤いぎざぎざしたものもとるのよ。」
「うわ〜〜〜、すごいものが出てきた。」
「あはは、がまん、がまん。」
「かーさん、出来たよ。」
「それじゃ、布巾で水分をとってね。それからお鍋をだして、お醤油、お砂
糖、お酒を適当にいれて、お水を少しいれて、生姜も刻んでいれてね。沸騰
したら、そこにお魚をいれてね。」
「うん。。」
「すぐ吹き零れるから傍についてないとだめよ。」
「うん、わかっとる。。」

そうやって、おかずがひとつ出来た。
お味噌汁も、ほうれん草のおひたしも、そうやって、少しずつ習った。

姉も妹もいたけど、料理をするのは、いつもあたしだった。
母に言わせたら、真ん中の子が一番役に立つんだって。
そうやっておだてられて、お料理をするのが好きになった。

受験勉強をしている時に、時々父が起きてきた。
台所でごそごそやってるから「おとうさん、おなかすいとる?」と聞くと
「うむ。。」と答える。
料理なんかしたことないくせに、何を作るっていうんだ。(笑)

「チャーハンでいい?」
「おう、すまんな。」

勉強の途中に料理をするのは、気分転換になった。
はい、と作って置くと、父は「それじゃ、いただく」と静かに食べていた。
食べ終わったら、自分の部屋にいって、財布を取り出し、500円くれた。

「500円ぐらいの価値はあったぞ。」

ははは、何もお金ださんでも、と思ったけど、ありがたくいただいた。
それが父の精一杯のお礼の気持ちだったんだろうから。

嫁に行くことが決まって、嫁入り道具を少しずつ集め始めた。
出発の前日、父が、布に巻いたものを持ってきて差し出した。

「ほれ、包丁をひとつ作ったから、持って行きなさい。」

家庭用品など一度も買ったことがなくって、母をほとほとあきれさせていた父が
どうやって金物屋にいったのか。

それを考えると可笑しいやら、うれしいやら。
嫁入り道具の下のほうにしっかりしまって、持って行った。

     ・・・・・・・

その包丁は今でも健在。
それだけは毎年、プロに砥いでもらう。
時々、出してみる。
ぴかぴかの刃に、あの頃の父の顔が映っているみたいだ。

ほんとに、切れ味の鋭い、怖い父だったな。(笑)

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2003年06月26日(木) エステ、ビタミンQ、さくらんぼのことなど。

はい!こんにちは。

◆水曜、ジムおやすみにつき、エステへ。
エステシャンの友、Mが、「肌、調子いいね。指が全然ひっかからない。」と。むふふ〜。うれしい。
これもずっと飲んでいる天然にがりのおかげなんだろうか。
精出して飲まないとね。
今はコーヒー味の豆乳に入れて飲んでいる。

◆先日、新聞に載っていた、コエンザイムQ(ビタミンQ)。
年々落ちてくる代謝機能を高めるものらしい。
40過ぎに効き目があると。
多忙で休みがとれないおっとっとの健康がとても気になるので、
ケンコー・コムの11番、ダイナミックQ10を注文。
そして今日届いた。以前、2瓶飲んで、かなり調子が良かったらしい。
で、今回はあたくしも飲むことに。
これ以上元気になってどうすんねんっ。(笑)

◆ビタミンと同じ便で届いたのが。。
な、な、なんとっ。山形のさくらんぼであった!!
父がなくなってから親代わりを申し出てくれているおじさまが送ってくださった。うれしい、おじさま、大好きっ。
なんと、楽天市場グルメ大賞2002年第一位受賞って書いてある。
産地を見れば、鶴岡市宝田 清川屋 となっている。



整然と並べられたルビーのようなさくらんぼを見て、umeさんを思い出す。
作業内容を知らなかったら、収穫の苦労もわかんなかったんだな。あたし。。
とにかく、美味しくて絶句。。

◆お教室での一こま◆
中3、男の子ばっかりのクラス。
ふとそれぞれの反抗期の話になった。
どういう風に親に反抗するか、身振り手振りで笑いながら話をする。
みんな分かってるんだ。自分が訳のわからんことを言っているんだと。
「オレのおとんなぁ。昔、剃り込みいれて、ヤンキーしとったらしい。」と
声を潜めていってたのが、笑えた。

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2003年06月25日(水) はぁ。。。よかった。。。

はい、こんにちは。

最近、一日先の未来日記になってるなぁ。ま、いいか(笑)

土曜日にあった、弟くんの留学関係のテスト。
実は「交換留学生」の資格をとるためのテストだったのだ。
これに受かると、滞在中の学費(約130万)が全額免除になるっていう、
親にとってはどきどきもんのテストだったのだ。

ヤツがあんまりプレッシャーを感じてはいかんと思い、「お金のことは
気にせんでええから。」とは言ったものの、ほんとは、「是が非でも受かってくれー!」と言いたいとこだった。

そろそろ結果がでてるころじゃないかと、どきどきして、ヤツからの連絡を
待っていると。。夕方ごろに「受かった。」と。

はぁ。。良かった。。

ただし、問題一つ。

担任は、やつの性格からして、アメリカ・カナダをすすめると言ってきた。
うーん、悩むなぁ。。
北半球ってことになると、来年の夏出発。。帰国はさ来年の夏。
センター試験まで半年しかない。。

うーん。。。どうしたもんか。。

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□メモ□
住宅ローンの借り換えを検討。
現在の金利は3.5.
JAが10年固定金利1.9を出してきたので、思い切って借り替えようかと。
手数料を入れても、トータルで、80万ほど浮く。
その上団体信用の保険料が60万ほどいらなくなるので、こりゃ、借り替えないと損だろう。
ちょっと気合をいれて財テクするか。。保険も見直しせんといかんだろうね。。

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2003年06月24日(火) ぷっつん! &  じーん。。

はい、こんにちは。

昨日は色々あった日だった。
忘れんうちに書いておかんと。すぐ忘れるんだな、最近。

◆お教室でのぷっつん◆

「そろそろ期末テストだね。予定表をもらってきてるだろ?誰か持ってきてくれてる?
先週頼んでおいたよね。作戦を練らないとね。」

「もってきてなーーい。」全員元気に叫ぶ

「あらら、今度もみんなで90点以上とらないと。
前回、せっかく点よかったんだから、今回は100点狙わないとー。」

「せんせー。100点とったら、なんかくれるん?
 どこかの塾は100点とったら、景品くれるんだよー。」少女A

ほほう。。どこだぁ?そういう子供だましの手を使ってる塾は?

「だーれがあげなあかんのっ。せんせの為に点とるんかいな。 
自分のためやろーが。
 せんせがお願いして、勉強してください、ゆうてるのとちゃうよ。」

「だって〜〜。」ぶつぶつぶつ。

こういう風に言う子、去年あたりからぼちぼち出てきた。
きっと家でそういう風にご褒美もらってるんだろうなぁ。

まったく。。。
ご褒美がないと動かんって根性、社会にでるまでに叩きなおしてやるっ。
親のことは、、、知らん!


◆胸がじーん・・◆

むすこっち達の英会話のもと先生、台湾の方と結婚して、おめでたと聞いて喜んでいたら。
つわりが激しくて、一時帰国。1ヶ月ぐらいの予定で香港に帰るつもりが、
SARS騒動に巻き込まれて、帰れなくなっていた。
車で5分ぐらいのところに住んでいるのだけど、全然姿をみなかった。
メールで近況報告をするのみで。
むすこっち達のことをいつまでも弟分のように思ってくれて、こちらも、
2人のことをよく相談していた。

昨日の夕方、先生がおかーさんに連れられて、ふらふらとした足取りで我が
家への道を登ってこられた。
「この時間だったら、もしかして、どっちかが学校から帰ってきてるんじゃ
ないかと思って。。残念です。明日香港に帰ります。彼らにくれぐれもよろ
しく。。弟くん、留学したら1年半あえないけど、頑張ってって伝えてください。。」
おかーさんと坂をゆっくりと下りていく後姿を見てるとじーんとしてしまった。

1時間後に弟くん、帰宅。
どうしたことか、兄くん、今日に限って遅い。。。
「Nせんせがもう会えないからて会いに来てくださったよ。
 疲れているだろうけど、ちょっと挨拶をしにいこう。」
へとへと、べとべとで帰ってきたけど、
「よっしゃ、わかった。
 N先生やからな、しんどいなんていわれへんわ。」

先生のお宅に行った。先生がうれしそうにお腹を突き出してみせた。
弟くん、照れる。

「Kくん、明日帰る。しばらく会えないけど、今はメールもあるし、
困ったことがあったら、先生にメールして。
今は英語より中国語のほうが得意やけど(笑)」

「うん、わかった。ありがとう」

仕事が始まる直前で時間もなかったけど、連れて行ってよかった。

「かーさん、オレはあの先生の言うことならなんでも聞くぞ。
 ほんとうにガッツがあるっていうのはあーゆーのを言うのや。
 オレが女なら、あんな腹抱えて、怖いところに行こうとは思わんけどな。」

「ほんまやな。」

「よっし、赤ちゃん生まれたら、オレの子分1号にする。
 その頃には英語しゃべれるようになってるやろ。」

「先生の赤ちゃんは中国語やで、きっと。」

「うは〜、そらかなわんなぁ」

「あんたも、二ヶ国語ぐらい話せるようになっとかんと、兄貴風ふかせんぞ。」

「わはは、もう、言うなって。オレは今、英語だけでパニックなんやて。」

       ・・・・・・・・・・・・・・・

キミも大きくなったら、里の子供に「ガッツがある」と言われる若者になりや。

梅雨でくさくさした心に涼風を感じた出来事であった。


◆ 関連日記:5/16 「涙が出た」


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2003年06月23日(月) 持つべきものは。& 姪っ子たち

はい、こんにちは。

土曜日の夜、弟くんの中学時代の友人ゆーちゃんからメールが入った。
「久々に遊びにこんか?」
ゆーちゃんは、学校では悪いことばっかりする子だったが、弟くんとはとっても仲良しだった。
時々学校に行きたくない病が出てくるゆーちゃんを弟くんは毎朝、誘いに行っていた。
進路が早々と決まっていた弟くんは、お勉強の嫌いなゆーちゃんを絶対合格させなあかんねん、と言って数学と英語の授業の時はつきっきりやったらしい。
先生が「お前、暇になったんやから、ゆーの面倒を見てやれ」と言われていたんだって。

ゆーちゃんは受験の前にインフルエンザにかかってしまった。
届け物をしに行くと、真っ暗な部屋でうんうんうなっていたって。
入試を受けるのがやっとだったんだけど、ゆーちゃんは合格した。
弟くんはしっかりインフルエンザをもらってきたけどね(笑)

このところ、「つまらん」とか「空しい」とかしか言わない弟くんの顔が久々に明るくなった。
「ちょっといって来る。寝るまでには帰る。」と言っていたが、「明日、早く帰るから泊まってもいい?」とメールが入った。
ゆーちゃんはタバコを吸うので、気管の悪い弟くんのことが気にはなったが、「ええよ。おばちゃんに迷惑かけんようにね。」と返事を送った。

お母さんに電話して「あの子のあれだけうれしそうな顔を見たのは久しぶりですわ。ご迷惑かけますけど、よろしくお願いします。」と言った。
お母さんは、とっても歓待してくれているみたいだった。

次の日、昼過ぎに帰って来た弟くんは、すっごく晴れ晴れとした顔をしていた。一晩中、しゃべり通しだったんだって。
眼が覚めたら、おばちゃんが美味しそうなお菓子をいっぱい買ってくれていて「おばちゃん、Kくん(弟くん)のことが、大好きやねん。」と言ってくれたと恥ずかしそうに言っていた。

持つべきものは、友達。
進む道は違っても、あそこにあいつがいるってだけで、心の支えになってるんだな。。

◆◆◆

今日はちっとばかり恥ずかしいのですが、身内のご紹介。
ネットのお仲間のshotaroさんのご要望もあって、のぞみのページを作りました。

姪っ子は3人いますが、どの子も自分の娘のように可愛いです。
それぞれに小さい時から楽器を学んで、18歳のキホはピアノで福祉関係の
専門学校で音楽療法を、16歳のチホはヤンキーでバイオリンをしているの
がかっこ悪いからといって、友達に隠れて練習しています。(笑)

むすこっち達は、3人のいとこをどんな風におもってるんでしょうね。
実家に連れて帰ったら、すんごく恥ずかしそうにしてますけど。
3人のいとこの家庭内音楽会が始まったら、神妙にきいてますわ。

ごく普通のサラリーマン家庭が音楽をするというのは、なかなか難しいもの
がありますが、堅実さを身に付けながら、夢を追いかけて欲しいものです。

◆◆◆

家族の肖像 第6話

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2003年06月22日(日) 大黒柱の17歳

はい、こんにちは。

こないだから続けて元生徒ちゃんのYくんに会った。
こっちも車だし、Yくんもトラックの助手席に乗っているから、ちょっとすれ
違いざまに顔を見る程度なのだけど。

今までに、あたしと大ゲンカしたり、根性なくてやめていった生徒ちゃんは
数人いるけど、Yくんが止めたのは違う理由だ。

7年前に里に転居した時に、転校生である兄くんを一番に受け入れてくれた
のはYくんだった。
毎日、遊びに来てくれて、いっしょに宿題をしたりゲームをしたり。
勉強をみてあげているうちに、Yくんの母親が「ちゃんと教えて欲しい」とい
うので、それがお教室を始めるきっかけの一つにもなった。

釣りの好きなYくんのご一家によくうちの二人は連れて行ってもらったし、
あたしもご一緒したり。当時は家族ぐるみのお付き合いもさせてもらっていた。

6年生から同じ机で勉強を始め、中学に入り、子供たちはだんだんと大きく
なっていった。

中3になりかける頃、Yくんの弟がうちをやめた。理由は授業料が払えないと
いうことだった。実は、その数ヶ月前から、二人分の授業料は未払いのまま
だった。人の噂で、父親がアルコールで肝臓を壊して入退院を繰り返してい
るとのことだった。

「せめて長男のYは公立高校にいかせたいので、しばらく通わせて欲しい」と
いうのが母親の頼みだった。

あたしは、ほんとは「授業料なんていつでもいいんですから。」と言いたか
ったのだけど、母親にしてみたら、「二人もただで見てもらうわけにはいか
ない」と思ったんだろうね。
「そうですか。。。残念です。Yくんの授業料はYくんが大人になってから返
してもらうから、気にせんとってください。」と返事した。

Yくんは色んな思いとか悩みとかがあっただろうが、体育祭では応援団長をし
て、頑張って中学生活を送っていた。
しかし、うちに来るときの表情がだんだん暗くなって来ているのは感じてい
た。きっと、あたしに気を遣っていたんだね。
母親が近隣に頭をさげて、お金を借りているのも知っていたみたいだし。

結局、Yくんは来なくなった。
兄くんの話では、学校もあんまり行ってないということだった。

それから数ヶ月後に、Yくんの父親が亡くなったと聞いた。
退院後もアルコール三昧で、ある日救急車で運ばれてそのまま亡くなったそ
うだ。・・胸がずきずき痛んだ。

その後、中学の体育祭に遊びにきている高校生のYくんにばったり出あった。

「久しぶり。お父さんのこと、残念やった。。。Y,大丈夫かい?」
「うん、全然なんともない。なにも全然かわらんし。。。」
「・・・そうか。大変やけど、頑張ってな。」

そんなありきたり言葉しかでない自分が悔しかった。

Yくんは、まもなく高校をやめて働き始めた。
近くの土建屋さんが雇ってくれたらしい。

Mくんから時々、噂を聞く。

「あいつ、すっかり真面目風になって、頑張って働いてるで。
 一家の大黒柱やもんな。かーちゃんもパートで一日働いてるけど。」
「ほんまか。。よかった。。なんせ、せんせとこの生徒ちゃん1号やからね。」

17歳にして、一家を背負い、弟妹の面倒を見る。
こんな子供も、不思議の里にはいる。


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                          <1545>

  




2003年06月21日(土) 弟くん、げらげら。 

はい、こんにちは。

地域のご奉仕もなにもない朝。
お天気良好!
ご機嫌上向き!

弟くんは、留学のためのスレップテストをうけに。
昨日、いつになくどっぷり寝てしまって、朝、げらげら笑っていた。

「こんな大事なテストの前に寝るたぁ、オレも大物や、な、かーさんよ。」
「ほんまや。でもな、それが良い結果を生むかもしれんぞ。
 なんせ、試験は体力勝負やし。」
「そっか、そやな。よっし。」

あはは、どこまでも明るく単純なヤツ。
行って来い!玉砕してもええぞ。
どうにでもなるさっ。

◆◆◆

あたしは気分が良いと、すぐ掲示板をいじりたくなる。
で、こんな和室を作った。
こういう柄の絣(かすり)の着物が欲しかった。

<1459>


2003年06月20日(金) 友。

はい、こんにちは。

うれしいニュース。

長いこと闘病していた20年来の友人が、昨日退院したとメールを送ってきた。
今、病室のベッドの上で、すっかり荷物をまとめて最後の診察を待っていると。

この20年、お互いのことで知らないことはほとんど何もないだろう。
出会うのは、年に1回ぐらいのものだけど、電話したら、「こないだどこまで話したっけ」で始まるんだ。

無駄な季節の挨拶もなし、「どう?」ってきくと「低空飛行」なんていう返事。
でもそれだけで、わかるのだ、お互いの心模様が。

「電話の声は元気じゃないの。」というと「それは小春ちゃんと話しているから。」と返ってくる。
しゃーないやっちゃ。笑。
 ・
 ・
 ・

もう少したったら電話をしよう。
あたしが、どかんと受け止められるようになったらね。

<1431>




2003年06月19日(木) カウンターが。。

はい、こんにちは。

一体どうしたんだぁ。
カウンターが110ぐらいふえてる。
エンピツの表に名前を出したから、新しい方が読んでくださっているのか。。
ま、いいや。それにそのうち10はあたしだ。ぷっ。

あ、書こうとしたら、時間がなくなってきたわ。仕事、仕事。
忘れないうちに記録だけしておこう。

◆◆◆

お教室のコピー機のトナーを交換してもらう。
家の場所がわからんと、キャノンのおにーさんが言うので、牛舎がね、とかいって説明し、余計混乱させる。
結局、外に出て待っていたが、すれ違う。もう〜〜〜!
無事出会えて、田舎では目印ないから、どんな時も携帯を持ってでるべきだと思った。
で、トナーは1年ぐらいが交換時だと。
これは記録しておかねば。

◆◆◆

兄くんの体育祭、雨で流れて二日目。
明日はたぶん雨でだめだろう。
月曜日にも雨だったら、体育祭中止だと。
つまらん。こそっと見に行こうと思っていたのに。
最後の体育祭だし、陸上部は出番多いのに。

◆◆◆

おっとっと、まーた、飲みに行く。
これもしっかり記録(笑)
こないだは、あれから同僚とビリヤードしたらしい。
今日は、台風の中、ごくろうさまだこと。
行き倒れるなよ。ぷぷぷ。

<1344>



2003年06月18日(水) ため息ひとつ。。

はい、こんにちは。

台風が来ているみたいで、里は朝から大雨。
弟くんが駅まで送って欲しいというので車をだした。
いつもは卒業した中学の前は通らないのだが、傘を盗まれたというので、ローソンで500円傘を買うために、久々に中学の前を通った。

彼が「かーさん、ちょっとだけ止めて。」というので、中学の校門の前で止めた。

「あ〜、やつら、走っとう、走っとう。ええな、オレももう一回走りたいな〜。」

数分とめて「車出してええよ。」というので走っていると、彼はため息ひとつ。。

最近の彼はほんとに元気がない。
毎日、英語の勉強に追われて、何もする暇もない。
休日に友達から映画に行こうと誘われても迷って迷って断っている。

「一日出かけると、疲れて英語のテストの勉強ができなくなるもんなぁ。」と言って。

「たまには出かけたらええじゃないの。テスト落ちたって、居残りすればいいだけやんか。」と言うんだけど「やっぱり、落ちたくない」と答える。

先日のこと、クラスについての感想を書けと担任から言われて「クラスが面白くない」って書いたそうだ。

「だって、面白くないのに、面白いって書けへんもん。。」だって。

昨日、あるおかーさんから電話があった。
もとうちの生徒で、同じ高校にいった子だ。
弟くんと同じような感じで、ため息ばっかりついているそうだ。

・・傘を買いにいったら、そこに中学の先生がおられた。
弟くんは恥ずかしそうに挨拶していた。
先生は「がんばっとるか?」と聞いてこられた。
彼は「ぼちぼちですわ。」と答えていた。

「かーさん、あの先生、生徒指導でうるさいことばっかりゆうてたけど、今となったらなつかしいよな。やっぱ、あの頃はよかったよなぁ。」と。

「そやな、かーさんも高校の頃はぜんぜん面白くなかったよ。勉強ばっかりで。休みの日はくたびれて寝てばっかりやったもんな。」
「そうか、今のオレといっしょやな。。。」

いつも疲れた顔をしている彼が、時々笑顔を見せるとほっとする。

今度の日曜は、スレップテストも終わってひと段落。。

「今度の日曜、かーさんとマトリックス見にいこうか?」ときくと「いやや、なんで、かーさんといかなあかんの。行くんやったら、彼女と行くわい。」
「お、彼女が出来たか。」
「そんなんおるわけないやろ。おったらこんな毎日送ってへんわ。」

それもそうや。(笑)

仕方ないね、ため息とかぼやきとかを、どかんと受け止めるのが親の仕事やろな。

彼の部屋を掃除しようと思って二階にあがった。
部屋の床に中学の時のアルバムがあけっぱなしになって置いてあった。
アルバムの表紙に「仲間」って書いてあった。

そのうちに、高校でも「仲間」が出来るよね。。きっと。。

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2003年06月17日(火) 事務じゃないてばっ。

はい、こんにちは。
新しい日記って、新居みたいで、良い気分。

今日はジム5回目。そろそろマシンの使い方にも慣れてきて欲がでてきたりしたんだが、無理はしないの。
ほれ、どっとくるでしょ。
なんせ、鍬より重いものを持ったこことがない深窓のマダムやから。

そそ、今日はおもろいことがあった。
しうとめがいそいそとジムに出かけるあたしに声をかけた。

「小春さん、町いくんけ?」
「はい、ジムにいってきますねん。」
「へ?あんた、そんなに働かんでも。お金苦しいんけ。」
げ、なんかまちごーてる。
「あの、ジムってのは、スポーツするところで、ほれ、ダンベルあげたり、走ったり。。」
「へ、あんたっ、大丈夫け?村の運動会も婦人バレーもグランドゴルフもいっつもいややてゆうてるのに。」
それとこれとはちゃうわな。あたしは、体を鍛えたいだけなの。
「はい、大丈夫ですわ。ほれ、米かついだり、一輪車動かしたりするのに筋肉つけとかないといかんですからね。」
「ほほー、そうけ、ほな、行っておいで。」
「はいはい。」

ごめんよ、ばーちゃん。
ジム行くぐらいなら、田んぼで鍬もって耕したほうが、どんだけ役にたつかわかってるんだけど。

そのうち、米30キロをひょいと持てるようになるからさ。
その日が来るまで、長い目でみてちょうだいな。


2003年06月16日(月) じじ、76歳。「父の日」

はい、こんにちは。

昨日は父の日。
いっつもむすこっち達のアッシーをしてくれるじぃちゃんに何かお礼がしたいと思っていたから、裏庭でホタルブクロを植えていたしうとめに
「ねぇ、おばーちゃん、今日、バーベキューしましょうか?父の日やし。」というと、しうとめは顔中くしゃくしゃにして喜んだ。

「小春さん、実はとうさん、朝から折込広告みて、丹波屋のお肉が安うなっとるで、久々に食べたいなぁてゆうてはったんやわ。」と。

きっと、あたしがいっしょに焼肉しましょ、っていうのを待ってたんだ。
よかったっ。

夕方から、雨が降り始めたのだけど、庭のガレージは屋根があるし、そこでしようってことになった。

6時ぐらいから、炭をおこすおっとっと。
その横で、むすこっち二人が団扇であおぐ。
煙が来たっていっては、逃げ回っている。はは、いつまでもこどもっぽいんだから。

炭がいい感じに落ち着いてきた。但馬牛、丹波地鶏、畑からとってきた野菜を網の上に乗せると、食欲をそそる香りがあたりに充満する。
じじばばを呼びに行く。
二人、いつものようにゆっくりゆっくりお出ましなさる。

バーベキューコンロを囲んで、家族6人のBBQが始まった。

じーちゃんが急に車の話をしだす。

「○也(おっとっと)が運転した後のミラーの位置がひどうワシと違うんやけど。」じじ
「うぅ、それはなんや。オレの座高が高いって言いたいんかっ。」おっとっと
「やっぱりなぁ。父さんが座高高いから、オレは足が短いんや。」兄くん
「それなら、足の長いオレは誰に似てるんや。かーさんではないしー。」弟くん
「そら、ワシや。」とじいちゃん。

あはは、いつも生真面目なじーちゃん、いつになく上機嫌。
しうとめは、私とわけっこした酎ハイで、もうすっかりほろ酔い。
「もったいないことやなぁ。」と言いながら、うれしそうに肉をかじる。

あたりがだんだん暗くなって、そろそろ蛍が飛び交うころにお開きとなった。

家に戻り、父の写真にビールとお肉を供える。
昨日は、父の日でもあり、亡き父の誕生日でもあった。
バーベキューの煙と先ほどまでの歓談が、きっと空まで届いていることだろう。

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2003年06月15日(日) 「エンピツ」のこと

はい、こんにちは。

先日来より、さるさる日記をこちらに移行中。
以前、ネット仲間の小雪さんが、「エンピツはほぼ一生の間、書き続けることができる。」と書いておられた。
日記は、私のライフワーク。たぶん、死ぬまで書き続けるだろうし、そうして行きたいとも思っている。

私の生きた軌跡がここにあるわけだ。
もし万が一、むすこっち達がこれを見つけて、こそっと笑ってくれたらいいな、と思って。

「エンピツ」には字数の制限がないことも、大きな魅力だ。
字数を気にしながらでは、思うように書けはしない。

そんなわけで、このところ、さるさるが滞っているわけだ。(笑)

2001年3月の日記を少しずつこちらに移しているのだが、なんともまぁ、書きに書いているもんだ。
きっと、過去日記を全部移すのに、夏ごろまでかかるだろう。

しかし、いいのだ。ライフワークなのだから。。

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小春せんせ |MAIL