つぶやきダイアリー
だってこの一日はやっぱり一度しかないのですから。。
明日があるさとは言っても書けるときに書こう!
それでは、私の日常大暴露大会。

2002年06月30日(日) 空想のコカリナ

コカリナの皆さんとの稽古で、浦和に行った。森の中、切り株にすわって聴くコカリナの調べ…というように、コカリナは、コロボックルが吹いていそうな木の笛。野鳥にそっくりの声も出て、すごい!人の世界と鳥の世界を結ぶ楽器かも。と密かに思っている。
そういう理由かどうかわからないのだが、コカリナを吹く方に何人かお会いしたのだが、皆、どことなく鳥に似ているような気がする…(ごめんなさい;;)それも、かしこそうで、愛らしい鳥。うーん…たとえば、ツグミとか、ツバメとか、キジバトとか。その目で、高いところから、遠くにいる仲間とか、虫とかを発見する。人からは想像つかないような高度の高いところで、飛んで生活する。それで、みんな、実は手のうちに羽根を隠していて、休日には飛んで、コカリナの音でおしゃべりするとか(!)きっとそうに違いない。
P.S.……コカリナの音色は本当に透き通っていて、妖精の声のようです。そして、これはエッセイですからね。時々フィクションが入ります。じつは、私、エッセイストを目指してるんですよ。ほんとに!だから3割引いて読んでくださいますようお願い申し上げます(^^;



2002年06月29日(土) 決意表明

わたしは猫になろうと思う。自分のこと、猫なんだと思う。そう考えたら、ちょっと楽になった。人とはもともと違うから、まずは理解するのが難しい。だから、きっと、いっしょうけんめい人間語で、説明しなくちゃいけないんだ。今まで説明が足りなかったのだ、きっとそうだ。猫だったら、どうせなら、イリオモテヤマネコがいいなぁ。天然記念物だし、島の生態系の王者だし、かっこいい。…それだから、猫として、人とも意志疎通できるように、一生懸命言葉を覚えます。

PS 西荻窪の「ニヒル牛」という、牛さんのやっている、雑貨屋さんへ行ったよ。手づくりのものが、たくさん置いてあって、楽しいお店だった。誰でも、箱があいたら、順番に、手作りのものを、置いてもらえるんだって。私も、箱の申し込みをしてきたよ。ねこの手作りの、CDとか、描いた絵を、置いてもらうんだ。



2002年06月28日(金) 銀座名物猫と遊んだ日

夕方少し勉強した後に、花金の夜の銀座へ、従妹と繰り出した。もんじゃ焼き屋さんに入って、えびちりもんじゃと、明太もちもんじゃを食べて、ウインナー焼きと、ほうれん草とベーコン焼きもついでに頼んで、おなかいっぱいになって、シアワセな気持ちになった。夜の銀座に来るのは久しぶりだったけど、やっぱりどこか素敵な人が多いのはなぜだろ?うーん。由緒正しい猫たちが集まってくるというか…正しくないかもしれないけど、どことなく品があって仕事好きそうな猫たち。カフェに集う人達を見ているだけで、その物腰、身のこなし、コーヒーカップの持ち方、すべてが優雅に感じる。うーん。なぜだ。これから銀座に通い、ワンランク上の猫を目指そうかの。



2002年06月27日(木) もう、悩まなくていいの?

昨日まで仕事をしていたことは、まったく無かったのように、記憶から消えていた。それは一体何・・そして、一日のはんぶんを猫のようにねていた。まだ私は演奏のことやバンドのことや人間関係のことやあれこれで眠りながら悩んでいた。それから電話で長話をしたら、ちょっと心が薄くなった。薄くなったというと、よくないイメージがあるけど、この場合は、悩んでることが薄くなるっていう意味。
音楽の仕事って大変…。でも、やってよかった。少しづつ強くなれる気がする。

最近知った面白いこと。
人の心の中にあるものは、言葉に乗せて送られなくても、伝わるものなんだって。言葉で話して伝わるっていうのは、その前に、テレパシーで、考えてることが、伝わっているから、それでわかるんだって。それから、人の心の感情の波っていうのには、波形があって、その波形が、音楽のつくる波形と、一番近いんだって。だから、音楽で、心の動きが一番伝えやすいんだって。 悲しい気持ちとか、いくら言葉で悲しい、って言っても、ピアノのちょっと高めの音で切ないメロディを弾くほうが、悲しい感じが伝わるって、そういう理由だったんだ。



2002年06月26日(水) より猫らしい猫むすめさん

友達の猫さんたちの家に、音楽のミーティングをするので遊びに行った。そうしたら、ねずみのおもちゃとか、猫用ボールとか、アメリカねずみのレプリカとか、いろいろあって、猫としての本能をくすぐられ大変だった。そこのうちの猫さんは、からだは人間の女の子に生まれてきてしまった猫だそうな。私のこと「捨て猫かもしれないけど、きっと本当は由緒正しい猫」と言ってくれた。ありがとう(TT) それで同居人のきつねさんと、音楽を一緒に聴いたり、きつねさんがギターを弾きながら歌う歌を聴いたりした。また友達が増えたよ。嬉しかったねこ。ありがとうねこ。

そして今日は…もう
ひとつ…私の人生の節目だった。私は自分と約束をした。「私の人生で、もう二度と、イワユルOLをやることはしない。」以上です。たぶん、そういう場所にいくと、死んじゃうようにできてると思います。それがわかったから、良かった。



2002年06月25日(火) うさぎとやまねこ結成

実の従妹のウサギさんと三軒茶屋でご飯を食べた。小さいときから一緒に遊んでるウサギさんだけど、最近は、オトナの会話もできる…。私がへこんでいたのだが、それをいろいろ話したら、何と元気になってきた。そうして、ハンバーグ屋さんで、にわかに楽しい気分になってきて、つい盛り上がったところで、赤ワインのグラスをびしゃーんと手でこぼしてしまって、オーエル風スーツの上にこぼしてしまった。ウサギには大ウケだった。スターバックスでお茶をして、帰りに、うさぎお勧めの、中谷あきひろさんの前向きになる本を二人で買って帰った。そう、そう。幸せになるために生まれてきたんだものね。
…そして、これから私達は、「うさぎとヤマネコ」というコンビを組むことにしましたー!主な活動は…計画中です。皆さん応援してくださいね。



2002年06月24日(月) うらしまたろうのキモチ

フラフラしながらもお仕事へ行く。うーん。何のヘンテツもない、ビルの中に、何事もなかったかのように、日々の生活はつづいている。今までのは夢だったのかな。



2002年06月23日(日) 陽ざしのかなしい東京

帰った。いつもと東京の風景が違ってみえた。仲の良い人がまだいるかどうか急に不安になって、昼間に友達に電話したら、いたので、ほっとした。「あまりに東京の街が静かなので不安になった」などと、言い訳をした。



2002年06月22日(土) 笑いあり涙ありの北海道

朝おきて、ご飯を食べてすぐ、旭川のFMラジオ局、りべーるでの、宮澤君の番組「宮澤のしわざ」生放送のため、事務所のスタッフと宮澤君とメンバと全員で移動。生放送でこんなに大勢って初めてだ。2年くらい前、みちるさやかで、FM多摩の番組にゲスト出演させて頂いた以来。あの時も緊張してうまくしゃべれなくて、苦し紛れにシタールの話なんかしてそれで帰ってきちゃったんだった…でも、ピアノでジングル弾いて楽しかった。ブースの外にはファンの人達がつめかけてる。さっすが…!スターとはそういうもの。その後、旭川のCD屋さんで、インストアライブ。その前に、札幌に偶然来ているという父から携帯メールが来て、ライブに来られたら来てくれるという。それが、何かかなしくて、嬉しくて、泣けてきてしまった。泣き顔のまま事務所の社長にトイレでいろいろ、つらかったことなんかを話すと、彼女もそういう厳しいお父さんだったらしく、つらい思いもして、でも、今は頑張っているから、それでいいんだよね、とか、そういうお話をした。そうだ!今は人のためにピアノを弾けるまでになったんだ。頑張ったから。頑張らなくちゃ。インストアライブでは宮澤君ファンの女の子がつめかけて、(男の子も中にはいる。)サイン会も長蛇の列。私も思わず、事務所の音楽事業部長の藪田さんと一緒にサインをもらうために並んでしまった☆嬉しかったなぁ。「サインをもらう」ってやっぱり嬉しい。特別なプレゼントをもらえたような気がするから。その後列車で札幌に移動し、札幌のCD屋さんでインストアライブ。やっぱりファンがすごい。そしてあわただしい中、ライブハウスへ!キーボードが旧式であまりいい音色が出ない…まずい。でも対応するしかない。ふと気づくと、すごいお客さんの数!100人くらいいただろか?ライブが開始し、ノリノリのナンバーでステージが進む。ピアノ弾き語りのコーナーの途中あたりで、父がきた。あ、少し痩せたかな。と思って、でも、来てくれて、すごく嬉しかった。ひときわピアノの指に力をこめた。…今まで、音楽の仕事は無理だと、さんざんいわれつづけてきた、地父に、こういうステージに来られた私を見てほしかった。そしてこの場所に連れてきてくれた、宮澤君には感謝しなくちゃいけない、って思った。名もない私。でも、人の耳に音を届けることはできる。搬送波(概念をのせた音波を運ぶ波)に音色をこめた。曲が進むにつれて、だんだんステージも客席も熱くなってきて、お客さんも一緒に手をたたいてくれたり、踊ってくれたり、ノリノリ。やっぱりこうでなくちゃね…嬉しいもの。お客さんが、楽しいもの。今まで自分だけでやってきたライブと、もっと大きなプロとのステージとの間に何があるのか、知りたかった・・けど、今回、それを少しだけ感じることができた。



2002年06月21日(金) プロモツアー旭川in 北海道

宮澤篤司さんのライブにキーボードとピアノで参加するために、北海道へ出発。ツアーっていうのは初めてだ・・どきどきする。というか、私はこのまま行っていいんだろうか?!いやよくないよなぁやっぱり・・しかし、もう行くしかない。予定より20分早く、羽田空港に到着。私としたことがどういうことか。乱気流気味の飛行機にのり、旭川空港へ。眠いので、あっという間に着いてしまった!けど、飛行機の中から見る雲っていうのはいつ見ても楽しくなる。あんなに雨が降ってたのに、雲をつきぬけたとたん、燦燦と日が差してるんだもんな。(雲がないんだから、当たり前か。)それが、にくい…発想の転換だ。それはさておき、旭川空港に着いたら、よさこい祭りの一行がいっぱいで、何だかただならぬ雰囲気。皆これから舞台にのぞむのか。いいなぁ。バスで旭川駅前に直行し、すぐにリハ。リハではくまのぷーさんが隣にいて、気になって何だか集中できなかった・・が、そんな言い訳はよくない。これから、ライブなのだから、宮澤篤司さんファンの人達が期待しながらやってくるのだから…。何だかバタバタしている間に、もうライブ開始の時間。演奏が始まり、無我夢中の演奏…お客さんが一杯だ。さすが…。いつも宮澤君のライブはライブハウスが一杯になるんだから、すごい。私も大好きな歌とピアノだけのコーナーに入り、shineという感動的な歌がもりあがってきたところで…何と、スカートのスリットが、びりびり破れはじめた。何ごと?!と思い一瞬下を見ると、どんどんスリットがほどけてる…なぜ今そうなるのか分からぬまま、客席を見るがお客さんが心なしかこっちを見てる…これはかなりまずいので、一瞬手で押さえようとするが、やっぱりうまくいかず、そんな事をしていたので、ピアノもぼろぼろに間違ってしまった…ごめんなさい。ごめんなさい。心の中で何回もあやまっていました。ライブは頭に血がいったまま、、、自分をコントロールするのはさすがにムズカシイ!スカートが破れても平常心…それは次の課題です。



2002年06月20日(木) バミール高原

最近ともだちになった、子と、バミろうと約束していたので(バミるとは、バーミヤンという中華風ファミレスに行ってご飯たべてだべること。)所沢のほうへ行った。私は諸事情によりかなりヘコんでいたのだが、それを素直に話したら、ちょっと楽になった。へこんでいる時にでも、私は明るさが取り柄なのだから、と思って、無理に、にこにこしてしまう癖がある。けど、そういう風にしても、その笑いはどこか乾いてて、素直に笑えない・・それが、相手にも伝わってしまうかな?と思うので、最近は、ヘコんでたら、無理に笑わないことにして、へこむことがあったんだよって伝えることにした。にこにこして元気にはさせられないかもしれないけど、そういうときに本音で話せる方が、やっぱり嬉しいから。 …それで、その子(とりさん)の書いた詩を読ませてもらったりした。「いただきます」っていう詩がよかった。それは、草の根っこや、お肉のひときれや、卵なんかが、食卓に並んでいるけど、それは何の動物のもの?っていうのを、普段忘れてるけど、必ず生きているもので、私達は生きていくために、その命を、ちょっとづつもらっている…そういう気持ちをこめて、「いただきます」って言おう。っていうお話だった。それで、つらいことがあっても、私は、生きていこう。って、思えた。とりさんありがとうね。



2002年06月19日(水) 仙台へ民謡バンドの凱旋に参加する

津軽三味線の民謡バンド「虎バンド」の学校公演で、仙台第三高校の生徒さんたちの前で演奏…イズミニティ21という、ホールに行った。昔、学校で、「芸術鑑賞会」ってあって、いろんな音楽をやる人が、やって来て、聴かせてくれたじゃないですか!!あれなのです。前に中学校で一度、ご一緒させて頂いたことがあるのだけど、その時に私はめちゃ感動しました。中学校時代を思い出すと同時に、あの時、学校で演奏してくれた人を、すごいと思って、感動した。今になって、学校で、そういう演奏する側になって、演奏できるっていう事に感動したし…何より、中学生の素直でかわいらしい表情!!こんな仕事をもっとやっていけたら…と思ったんだったなぁ。それで、今回は高校生。しかも男子校(!)虎バンドは全国でも指折りの三味線奏者バンドだから、皆すごく期待している雰囲気…前項生徒の、1200人くらい集まったらしい。曲が始まる前から、会場から歓声が飛ぶなど、熱気に満ちた中、津軽三味線の音色と和太鼓が始まり…息を呑むような、緊迫した、そして雄大な演奏に生徒達もすっかり聞きほれていた様子。バンドの出番になって、私も舞台に上がる。遠くて見渡せないような大きな会場。だ・大丈夫なのか!?しかし、もうここまできたらやるしかない。しかも、気持ちいーい!!!大きな会場って、自分まで大きくなれる気がする!!!やっぱり、これでしょう!!!ここで舞うように踊りたい…と、思わず踊り子になるところだったのを必死に自分を押さえた(笑)。そして、キーボードを必死で弾いた。今回は決定的に練習不足で参ったが、その瞬間にできることは、がんばった。でも、もっと頑張りたい。もっとできると思った。



2002年06月18日(火) 舞台の人の日常

新宿に、新幹線のチケットを取りにいって、津軽三味線の方と、お会いした。普段の三味線を弾く姿からは想像つかないような、ラフで帽子をかぶった出で立ちが、素敵だった。



2002年06月17日(月) にそくのわらじ

ただひたすらに、オーエルに徹し、仕事をしていた。あの空気にはなじめないけど、ちょっと楽しかった。



2002年06月16日(日) 老人ホームへ行くの巻。またもや大歓迎。

長年、ユニットで連れ添ってきたボーカルのみちるちゃんと、ギターの人と、行きました。最初にいった、文京区のホームでは、突然のお葬式で、お別れ会のため、今日の演奏は中止・・私達は、楽器を持ったまま、このまま帰るのも悲しいし、きっと演奏したいので、今日は行く予定ではなかったが、豊島区高田にある山吹の里へ電話をかけました。そうすると、担当の人は、親切にも、「最後のみんなでうたおうのコーナーでしたら、一緒に参加してもらっても大丈夫です」とOKしてくれた。それでお言葉に甘えて私達一行は里へとむかう。そこは、先月に私が三味線を持っていき、沖縄の歌を披露したときに、ものすごく喜んでくれた場所で、私も嬉しかったのだ。今回も、「花」を歌うと、また泣いて喜んでくれる皆さん。身体こそ年老いているが、心は、みずみずしいままでいるのだ。…生き抜いて、人生の喜びも苦しみも知っている人達なんだ。私は無償に、皆さんと心を分かち合いたいと思う。それに「象の花子」の朗読劇もやっていて、良かった。



2002年06月15日(土) 意味なんてなくても

意味のないコミュニケーションが好きです
ひとは言葉にたよりすぎるから
見つめたり ほおよせたり 飛びついたり ワンといったり
意味がなくても愛の伝わるコミュニケーションが好きです

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今日は12時間、眠りました… そして、夜、テレパシーについてのお話を聞きに行きました。楽しかった。私はテレパシーを信じる。
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2002年06月14日(金) 新しい日々

胸をつく激しさ、理由などわからない孤独さ、そういうものに突き動かされて私はやってきた。
それが最近、たとえようのない安堵感に変わってきている。
何故だろう… 二十代を、ただ、形の見えない何かを敵とし、戦ってきた、その時代の、たそがれを生きている・・それだけだろうか。まったく新しい感覚をもって、私は私自身を迎える。
郷愁とか、もうそんなものは、無くなってしまったのだろうか。
人が通りすぎていくときに…また一人。新しい風景となって、私の中に根をおろす。



2002年06月13日(木) 上毛かるた

友達と電話で話していたら、群馬県の「上毛かるた」の話になった。このかるたは、群馬県教育委員会の取り決めにより、県内の小中学校ではすべて取り入れる
ことになっている。そのために私達は、その存在が当たり前のものであって、
不思議にも思わない。けれど、他の件の人から見たら、面白いみたいだ。
「つ」「鶴舞う形の群馬県。」「はーい。」「え」「えんぎだるまの少林山。」
「はーい。」あ〜、なつかしいなー。こうなったら一人上毛かるた大会だ。
「ね」「ねぎとこんにゃく下仁田名産。」らちがあかない・・・こんど、誰か
上毛かるた大会つきあってください。



2002年06月12日(水) バスケ選手に学ぶ

仕事の後で、日ごろお世話になっている、音楽事務所に行った。そこへ行くと、私は普段の2倍か3倍のハイパーさを発揮してしまう(らしい)。日本の天然記念物と、呼ばれている。そこまで反応してもらえるのがとても嬉しいのだが、私が思うには、そこに居る人達がまさに天然記念物的・宇宙的な人だからこそ反応度が高いのだと思う。そこでは、いつも、夜にご飯を出していただけるので、とても助かるのである。
そこで、ドラムの先輩が、マイケル・ジョーダンのビデオを見せてくれた。
わけもなく、感動した。ベスト・プレイヤーとはこんなにカッコイイのか。ちょっと悔しい。けど私にもまだ出来ることがある!と思った。言葉ではなくプレイで。ありがとうありがとう…。先輩。そしてマイケル・ジョーダン。



2002年06月10日(月) ライブ選手

6.9.日
吉祥寺のスターパインズカフェに久しぶりに行った。ライブのキーボードのために行った。音楽のことで頭がいっぱいな割には、ライブ前後は、割と淡々としている今日このごろ。モティベーション不足か・・せっかくのライブの時間なのだから、楽しみたいのだ。
しかし今日は、スタパのちょっと調律の狂い気味のピアノを弾けて楽しかった。歌を歌いたいとはいいつつ、ピアノを弾くのは、やっぱり好きだ。ピアノについては語り尽くせない思いがあるのでまた後に筆をとろうと思う。宮澤さんの歌について。やはり上手いのである。バンドで音楽をできることは、音楽で一体感を得る感覚を思い出させてくれる。そしてプロフェッショナルであることはプロスポーツ選手のようなものであり、私は今、選手として・選手になるために、この活動を宮澤さんの歌とバンドを通して行っているということをひしひしと感じる。
今回のライブで私のベストは「師走」というスガシカオさんの曲のカバーで、これは、ジャズっぽくするのがおしゃれに違いない!と思い立ち、ジャズるピアノを弾いてみたところ、意外に好評をいただき嬉しかった。プレイの時も小粋なフレーズを弾きそしてバンドと一体となれる快感が一番大きかった。それから「腕時計」という曲がベスト2で、時計の秒針のように淡々としたピアノが逆に悲しい気持ちをかきたたせる・・のと、そんなに尽くさなくても・・とまで思わせてしかも大共感してしまう詞がよかった。一聴していただきたく。

それにしても、個性的な人が集まっていてすばらしい。宇宙人の集まりとはこういうことか。と、個人的に納得している。



2002年06月09日(日) さぼらず日記

今日は、猫のように10時間以上眠った後、下北沢に行く用事があって行ったのだけど、そのときに入ったたこやき屋さんが、粋で素敵だった。マスターともう一人男の人が黙々とたこやきや明石焼きを焼く中で、顔見知りと思える地元の人達がしきりに訪れて、何か話して、満足そうに帰ってゆく。私たちが帰りかけたときに、松葉杖のまだ若いサラリーマン風の男の人が入ってきたのだけど、その人が、「すいません、まじですいません」と言いながら、奥の席に入って行って、それでも、どうしてもそのお店に入って、座りたいという様子が印象的で、マスターたちは、その人とも、気さくに話していて、ああ、なんかいいなって思いました。



2002年06月08日(土) 戦後の光景再び

池袋で友達と食事した帰り道に、駅の近くの、お店の前にあるテレビに、くぎづけの人の山… 声もなく身じろぎもせず一点に集中する人々の輪はある種異様な光景で、そこだけ時がとまったような緊張感をただよわせていた。面白そうなので私も輪の中に入って息をのんでみた。世界の集まるサッカーの試合の威力はすごい。



2002年06月07日(金) 憧れのいりおもてやまねこ

猫ネタばかりですいません(爆)もうなんか最近猫溺愛癖がエスカレートしてきました。いや猫が好きとかそういうのじゃなくて、すでにもう猫になりつつあります。
今日は、「いりおもてやまねこ」の雑誌を買いました。小学館発行の「週刊・天然記念物」第一号。昔から、個人的に、いりおもてやまねこの存在にどこか惹かれていました。猫でありながら、西表島での生態系のトップに君臨する肉食獣。そのパワーと神秘は、飼い猫にはとうてい手の届かない、雄雄しさと神々しさを感じさせる。島に生息する、ヘビや、白ねずみを主な主食とする。そう、彼らこそ猫の中の猫、トップ・オブ・ザ・キャッツ!全世界の猫と猫を愛する人たちに彼らの姿を見てもらいたい。



2002年06月06日(木) 都会に生きる野良猫に愛の手を

池袋の「杷や」というお店の、隣の、細い路地に、すごく小さい猫たちがたくさんいるのを発見。ミーミー声がするのでどこにいるのか探し回ると、3,4匹の子猫(グレーや白)と、黒猫(オトナの猫)が皆でこっちを見てぎゃーぎゃーいっていた。そして壁には、「猫のふんで迷惑していますえさを与えないでください。飲食店としての自覚を持ってください」との張り紙が… あ、エサを与えてるのは私達通行人じゃなくて、ここの飲食店の人なのか(笑)?!じゃあ張り紙は誰が・・まあいいか。飲食店だからいけないとわかっているのに、ついエサを与えてしまう・好きだにゃぁ。猫の味方だ。
これから時々、猫たちに会いに行こうと思う。



2002年06月01日(土) 「消しゴムのくずを床に落さないでください」


最近このコーナーも、日記というより随筆になりつつあります・・かねてから随筆を書き
たいと思っていたので、とても好都合な場なので、思い切り随筆しようと思います。

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私は、他の人から、不思議な人だ、とか、なかなか分からない、という言葉をよく聞
くので、
どうしたら、理解につながるのだろうか?という、わらにもすがる思いにおいて、自
分の分析をし、文章にしてみようと思っている。

小学生のころ、下校前に「反省会」というのがあった。その日一日の学校生活の中
で、好ましくなかった「他人の」行動について発表し、指摘された当人は、それをク
ラス全員の前で認め、謝罪する、という習慣である。

今思えば、そんな、他人の検挙大会のようなことをして、小学生にとってどんな意味
があるのだろう?と疑問に思う。自分のした行動について、「ここがいけなかったと
思うのだが、皆さんどう思いますか?」というような自主的な反省会というもののほ
うが、効果的だったのではないだろうか。

そんな文句はさておき、その会の時間になると、私はいつも、説明しがたい不満感を
いだいていた。当時小学一年生だったので、反骨精神の第一歩を踏み出すことにつな
がる経験だったのかもしれない。「木村くんが、朝の掃除当番をさぼりました。」 
先生:「木村くん、本当ですか。」木村君は、立ち上がりながら、おどけたように
笑って見せる。木村君:「はい。もうしませんから、許してください。」こんなこと
の繰り返しだった。生徒は、他の生徒たちの「悪事」を我先に検挙し、してやったり
という顔で、そして普段気に食わない相手に対する腹いせの意味もあり、その会では
毎日何人もが「検挙」されていた。私はそれを、「おかしな習慣だな」と思いなが
ら、見ていた。そして、ある日、私は突然「検挙」された。検事は、当時友達の少な
かった私にとって、唯一、友達づきあいをしている(つもりだった)、Kちゃんだっ
た。「岡さんは、今日、消しゴムのくずを、机の上から、床に、おとしていまし
た。」と発表した。私は、ショックだった。「どうしてそんな些細なことで・・」と
いう疑問も感じたそして、それよりも、(いつも、一緒に登校してくれて、たった一
人の友達だと思っていたのに…Kちゃんは、私のことを嫌いになったんだろうか。)
という、裏切られたような気持ちでいっぱいだった。「岡さん、本当ですか。」先生
の声が冷徹にひびく。私は、寂しいような、腹立たしいような、納得のいかない気持
ちで立ち上がり、小さい声で言った。「はい…もう、しませんから、許してくださ
い。」
それから、私は、学校で口をきかなくなった。(いや、正確には、他にも要因は幾つ
かあったのだが)

その反省会の出来事と連動するのは、「人からの指摘」に対する、納得のいかない気
持ちや、信じていいのかどうか戸惑う気持ちは、そこからも起因しているのではない
だろうかと思う。 本当は、Kちゃんも、私のためを思って、消しゴムのくずを床に
捨てないように、と教えてあげたくて、とった行動なのかもしれない。しかし、私自
身、素直に受け止められなかった。今でも、まだ、そのときの気持ちを、確認したい
ように思う。

そして私は、そういう「検挙大会」のような儀式を、生まれてからまだ六、七年の人
間に、課すという、当時のクラスと先生に対して疑問を持つ。「本当に自分で考え、
反省する態度」を身につけるには、「まず自分で、自分がしてしまったよくないこ
と」について認識しなくては、修正されないのだ。「どうして消しゴムのくずを捨て
てはいけないの」「先生におこられるから。」という、「先生におこられる」という
事実が善悪の根拠になる。そして、「先生」という存在のいなくなったとき、「自分
をおこるものはなくなった」ので、善悪の判断を超えた、いわゆる仕返しのような心
境が生まれる。サル真似の反省大会というのは「ごめんなさい」と言葉では言うが
「本当は悪くない」と思っている場合なのであって、その場合、次からも同じことを
繰り返す。

このように分析するのは、本当には何がよくて何がわるいことなのか?ということ
を、私がまだ認識できていないからである。
人の中で生きることについては、まだまだ修行が必要なようである。


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岡さやか [HOMEPAGE]