2011年07月31日(日)  きずな。
 
道路を車で走っていたら、リアウインドに日本列島に「絆」と書かれたステッカーを貼ったミニバンが前を走っていて、この人はどういう発想で日本列島に「絆」と書かれたステッカーを自家用車のリアウインドに貼ろうと思ったのだろうと信号待ちの最中にまじまじとそのステッカーを見てみたが、赤色の日本列島に黒の明朝体で書かれた「絆」は、あまりにもメッセージ性が低く、慚愧に堪えない。「こりゃあ、ざんぎにたえないねぇ」「は? どうしたの?」と、妻と会話していたら信号が青になり、絆のミニバンは助手席からコンビニの袋に入ったゴミを公道に投げ捨てた。「そういえば絆って絆創膏の絆って字だよね」「は? どうしたの?」
 
2011年07月30日(土)  積婚指輪。
 
左手の薬指にはシンプルなデザインのプラチナリング。同じ指にもう一つ指輪をつけている。プラチナリングは結婚指輪だが、もう一つの指輪は結婚生活を積み重ねるという意味で積婚指輪と呼んでいる。毎年私の誕生日でもあり結婚記念日でもある7月23日に私達は積婚指輪を更新する。
 
結婚指輪をシンプルなデザインにしたのはどんな積婚指輪のデザインにも合うように。積婚指輪を提案したのはいつになっても新鮮な気持ちでいられるように。
 
結婚5年目。積婚指輪は今年で5つ目となる。往年の積婚指輪は10年分ディスプレイできる専用のペアリングケースに収納される。今年は妻は金色、私は黒色のステンレス製の小さなダイヤをあしらったペアリング。結婚記念日が近くなると家族で今年の指輪を買いに行く。
 
去年は私の好みのデザインだったから今年はあなたが選んでいいわよ。だったらこれがいいな。それはちょっといやだわ。じゃあキミが選んでいいよ。いいわよ今年はあなたで。だったらこれがいいな。それはちょっといやだわ。
 
そんな会話を来年も、10年後も。スイートテンだなんて特別じゃない。結婚生活は、毎年が特別なんだ。
 
2011年07月29日(金)  東京瀬戸際核家族(後)
 
「おまたせしましたー」と、汗びっしょりの私の母と同じくらいの年の女性。孫が3人いるという。しかし最近息子夫婦が都外に転勤したという。施設でヘルパーの経験もあるが子供をみるほうが元気がもらえるという。昔この辺りに住んでいたという。
 
やばい。自己紹介を兼ねた身の上話がめっちゃ長い。しかし以後半日以上わが娘をみてもらうのだからぞんざいな返答をするわけにもいかず、「そうなんですかー。へー。あ、ちなみにミルクここにあります。へー。大変ですねー。あ、オムツはここです」と、支持的態度、共感的理解という対応をしながら必要なことはしっかり伝えるというメンタルヘルステクニックを発揮し、お願いしますと御ココを預け出勤。
 
我が家に0歳の娘と初めて会ったばかりの母のような女性。ベビーシッターという文化が根付いていないばかりに、仕事中もついつい家の様子が気になってしまう気弱な父親。今日一日安心して仕事できることができたわと爽やかに笑う気丈な妻。東京瀬戸際核家族。手を取り合って生きていこう。
 
2011年07月28日(木)  東京瀬戸際核家族(前)
 
妻は毎朝7時に出勤。私は8時半に御ハナを保育園に預け一旦家に帰り、御ココの保育園の準備をする。午前9時。御ココの熱を測ると38度5分。保育園をお休みしなければならないが本日私は出張であるため仕事を休むわけにはいかない。妻に電話。「私も出張なの。すぐには帰れないわ」と、東京瀬戸際核家族。こういう時どうすればいいの。テレビから朝の時間にやたら流れる暮らし安心クラシアンのCM。安くて早くて安心ね。
 
鼻水を流し泣き始める御ココ。昨日病院受診しているので薬は飲んでいる。安くて早くて安心ね。そういえば区の事業で子育てサポートというものをやっていたはず。いわゆるベビーシッターだ。御ハナが今の御ココだった頃に一度頼んだことがある。電話で申し込む。過去の会員登録したものがまた使えるらしい。午前10時。出勤時間が迫る。
 
2011年07月27日(水)  無難なブラウン。
 
妹の誕生日にOKA b.のサンダルをプレゼントしたのだが、あれは外国のセレブがそれなりのファッションをしたうえで足元のポップで奇抜なカラーの意外性が、全身のコーディネートから陽性の不均衡を発生させ、意識的意図的にキュートさが増大していると思い込み、理解不能なものをセンスだなんて便利な言葉で片付けながらハッピーなセレブな気分って何。セレブって何。セレブだからってハッピーじゃないだろうな。歯が痛いセレブだって便秘するセレブだっているだろうし。セレブの本当の気持ちなんてわからないんだわなんてセレブが思っていたとしても私は誰の本当の気持ちなんてわからないからセレブって言葉は余計じゃないかと思うのです。自らセレブと称することによって議論を放棄してるんです。人は誰だって人対人で向き合おうとしない。何かに属する人対何かに属する人で考える。そんなんじゃ一生わかりあえないよ。そんなアメリカの老舗シューズブランOKA b.のサンダル。日本人がそれなりじゃないファッションであのサンダルを履くとただの便所スリッパとなりかねないので無難なブラウンをチョイス。
 
2011年07月26日(火)  素敵な魔法(後)
 
その焼き鳥屋のもつ煮は持ち帰りもできるので仕事帰りに道路から面した窓越しにもつ煮を注文すると「今日はおうちで食べるの?」と女将さん。妻が一度その世界一美味しいもつ煮を食べてみたいと言うものでと言うと、「あらまあ大変。ちょっと多めに入れとくわね」と気兼ねなくサービスしてくれるところが本当に昭和の香りがして、この店だけ魔法にかかっているような気がしてくる。
 
味音痴のあなたが美味しいっていうものってどれほどのものかしらと訝しげにもつ煮を見るクールビューティな妻が、頬張った瞬間、ホットビューティーになった。「美味しい! なにこれ! 本当に美味しい!」と、珍しく興奮。「でしょ?」と、得意気になった私に、「いいわね仕事帰りに飲みに行ってこういうの食べられて。私もゆっくり愚痴でもいいながらビール飲んでもつ煮込み食べたいわ」と、妻の一言で魔法が解ける。否、社会の呪縛という呪いを解いているのかもしれぬ。
 
2011年07月25日(月)  素敵な魔法(中)
 
まことしやかに部下と囁いているのだが、この焼き鳥屋、実は実在しない店で俺らは何らかの魔法を掛けられていて、ただ雨水を飲んだり落ち葉を食ったりしているだけで、ある日この店を訪れると荒れた空き地。隣の店の人にここに焼き鳥屋ありませんでしたかと訊ねると、「懐かしい話だね。地元の人かい。隣の焼き鳥屋だなんてまだ東京タワーが立ったばかりの頃の話だよ」と、狐につままれたような感じ。どおりで焼き鳥や他のメニューの値段が相場よりかけ離れて安かったわけだ。素敵なノスタルジーの魔法。「いいわねそうやって飲みに行けて。私もゆっくり愚痴でもいいながらビール飲んで焼き鳥食べたいわ」と、帰宅後の妻の一言で魔法が解ける。否、社会の呪縛という呪いを解いているのかもしれぬ。
 
2011年07月24日(日)  素敵な魔法(前)
 
職場の近くの十人も座れないカウンター席のみの小さな焼き鳥屋。ここのもつ煮込みが世界一美味しい。ここのもつ煮を標準にして他店のもつ煮を食べると悲しくてここのもつ煮が恋しくて涙が出るので、そういう浅ましい品行はよそうと自戒しながら思い出すだけで笑みが浮かび腹が減る。
 
この焼き鳥屋は二週間に一回くらいのペースで部下と飲みに行くのだが値段も非常にリーズナブルで、結構食ったね今日は高いぜなんて話しながら会計お願いしまーすなんてカウンター越しに声を掛けると「3600円でーす」なんて一人当たり1800円である。これならば小遣い制の私も部下に奢ることも可能で舌鼓を打ちつつもプライドも保たれるという本当に素敵なお店。
 
2011年07月23日(土)  35歳と1時間。
 
35歳の誕生日。遅番勤務深夜の帰宅。静まり返ったリビングで一人夕食。明日も遅番勤務深夜の帰宅。御ハナが眠い目をこすりながら寝室から出てきて「パパ、おめでとー」と手を振ってトイレへ。トイレから出てくる御ハナを待って抱き締める。風呂に入り、ビールを飲む。深夜1時。35歳と1時間。寝室に入ると御ココが寝返りをしながら「ふえん」と一声泣く。妻は熟睡しながらも無意識に御ココのお腹に手を伸ばしポンポンと優しく叩く。35歳と1時間。「おやすみ」ではなく「ありがとう」と呟いて眠りに就いた。
 
2011年07月22日(金)  いつかの土用。
 
土用丑の日っていつも突然訪れるような気がする。なんとなく夏にやってるってのはわかるが1シーズンに2回あるような気もする。いきなり「今日は土用丑の日なので全員ウナギ食って!」と言わんばかりのいきなりクライマックス感に毎年面喰ってしまうので、もういい大人なんだから土用丑の日について詳しく調べてみようと近所の図書館に行くまでもなくググった。夏の土用は立秋前の18日間前後を指し、このうち十二支の丑に当たる日が「土用の丑の日」だそうで全然意味がわからない。それでも妻が魚屋で一番高いウナギを買ってきましたと、ワンランク下のウナギを買おうか店頭で何十分も迷ったと妻らしい葛藤話を聞きながら鰻丼を食す。
 
2011年07月21日(木)  亜誠実(後)
 
ボサボサだと切れと言い、切ったら切ったで伸ばせと言う。人間はないものねだりを繰り返すものだというが、皆は私に何をねだっているのでしょう。きっとそれは不誠実と誠実の共存であって、あまりに誠実過ぎてもつまらないし、不誠実過ぎると腹が立つ。不誠実と誠実の間、いわゆる亜誠実を望んでいるのであって、亜誠実とは坊主でも茶髪。翌日に再度美容院に行き、頭髪にブラウンメッシュのカラーを入れ、職場に行くと「そうそうそれそれ」「やっとヨシミさんらしくなった」「まあでも馬鹿にしてるよね」と、当初の感想より大分救われた感じ。それにしても馬鹿にしてるってどういうことですかって尋ねながら口元に笑みを含ませて。
 
2011年07月20日(水)  亜誠実(前)
 
髪の毛がボサボサだったので皆切れ切れ言うものだからほぼ坊主にしたら一転、そこまで切れとは言っていないと口を揃える。ほぼ坊主である。今回は髪も染めずに黒髪の単なる坊主である。髪の毛がボサボサの頃はインチキを全面に推し出したエセクリエイターという感じがあったが、黒髪の坊主だと健全で誠実なキャラクタに見られるに違いない。しかし蓋を開けてみれば、黒髪に白髪が混じったただの三十四歳の親父である。あまりにも三十四歳すぎる親父である。
 
「あのインチキ臭さがヨシミさんだった」「チャラくないからつまんない」「それフツーじゃん」「何その逆夏休みデビュー。意味わかんない」「なんか馬鹿にしてるでしょ」と、職場で滅茶苦茶な感想ばかり言われたのでどうして誠実な髪型にしただけでこんな罵詈雑言を受けなければならないのでしょう。
 
2011年07月19日(火)  人生初サーカス。
 
シルク・ドゥ・ソレイユのクーザに行くか迷ったが、4歳だと犬やクマの曲芸があったほうが楽しめるだろうと思い、御ハナと二人でボリショイサーカスを観に行く。昨夜、人生初サーカス観賞を控えた御ハナは、着ていく洋服を何度もチェックするという女らしさを垣間見せながらも、「ねえ、サーカスってさ、オバケ出ないの?」と、サーカスとお化け屋敷の識別に苦慮している様子だった。
 
水筒にジュースを入れ、小さなリュックサックにお菓子を詰め込み、電車に乗って東京体育館へ。トイレに行って「あ、パパ ハンカチ忘れちゃった」と言うと、「ハナの使っていいよ」とリュックから小さなタオルを差し出す最高の仲睦まじさを演出しながら、ボーナスで購入したアリーナ席へ。
 
プログラム冊子千円。サーカスに出演する熊と一緒に記念撮影千円。ライトスティック千円。妻から交通費と昼食代しか渡されていないのでサーカス観賞以外の娯楽費は全て私の小遣いからの出費となるが、モノより思い出。思い出よりモノ。モノより金。金より思い出。思い出には金。と、もはやどうでもいい自己正当化を繰り返しながらサーカススタート。
 
猫のサーカスにシーソーアクロバット、縄跳びにジャグラー、熊のサーカスに空中ブランコ。とても古典的なサーカスだったが、古典的だからこそ深い味わいがあり、サーカス初鑑賞の御ハナの瞳も輝き続けていた。
 
空中ブランコを食い入るように見ていた後、「今度パパあれやってネ」と、御ハナのたいていの夢は叶えさせてやりたいがあれはできないよ。「どうして?」と無垢な瞳に、「だってあんなブランコないじゃん」という回答は父親として不正解。
 
2011年07月18日(月)  生活作家。
 
今月の小遣いが完全に底を尽き、虚脱放心しながら妻からどう無心しようか画策していたが、印税が振り込まれており瞬く間に息を吹き返した。私は生活の安泰の為に必死で働くという大前提のもと、良い作品を書き続けなければならない。私の作品は文学ではない。生活だ。ライフスタイルじゃない。生活だ。
 
2011年07月17日(日)  怪しきはIPv4 アドレス。
 
先月プロバイダを変更しフレッツ光に変更したばかりだというのに突然ネットが繋がらなくなった。コントロールパネルの「ネットワークと共有センター」というところをクリックしたところ、モデムとインターネットの間が×印となっており、「インターネットアクセスなし」と表示されている。
 
ルーターの無線チャンネルを自動から手動で固定チャンネルを選んでみたり、ルーターをAPとしてではなく、ルーターとして接続してルーター側でPPPoE接続してみたり、ファームウエアのアップデートを試してみたり、無線LANのモデムが原因かもしれないと思い、有線LANでPCに接続してみたが同様の症状。しまいには「デバイスマネージャー」の「ネットワークアダプター」からドライバを削除してみたところで万策尽きる。
 
こういうPC上でのトラブルというものは、様々な対策を考えることによってPCのスキルも上がっていくものであるが、何をやっても改善しないのでモデムもルーターもPCも絶対悪くない。悪いのはプロバイダーであり、プロバイダー変更時にリモートサポートでもって訳のわからない設定を遠隔操作で施した担当のお姉ちゃんだと憤慨。サポートセンターにどうなってんだと電話。
 
「モデムのPPPってランプ、ついてますか」
「は? ついてないですけど。ついてないからネットに繋がらないんじゃないですか」
「そうですかー。大変言いにくいのですが、電話料金払ってないので止められてるんですね」
 
プロバイダー変更の際、銀行引き落としの手続きを忘れていたのだ。平身低頭謝罪し、その足でコンビニに行き2ヶ月分の電話料金とプロバイダー料金を支払う。数十分後、家に戻ると何事もなかったかのように快適なインターネットライフ。
 
2011年07月16日(土)  ハッピーセット。
 
眠る前に御ハナと一緒に布団に入ると、決まって私の上に体を真っ直ぐにして横になりその上にクッションを乗せて「ハッピーセット!」と言う。私とクッションにはさまれてハンバーガーを表しているらしいのだが、御ハナにとってハンバーガーとはマクドナルドのハッピーセットなので、この形態模写をハッピーセットと呼んでいる。お風呂上り、ふかふかの布団、パパ、御ハナ、お気に入りのクッション。ある意味、御ハナにとって、私にとっても最高のハッピーセットなのかもしれない。
 
2011年07月15日(金)  積年の異、忽然と。
 
車のエアコンのボタンに一つは矢印が車の外から入ってきて、もう一つは車の中を回っている矢印が書かれているものがあって、車の免許をとって以来これは一体何のボタンだろうとボタンを見るたびに思っていたが車を降りるとすっかり忘れて15年の月日が経ち、先ほどリビングのソファーで横になりウトウトしていたら「あれは一体何のボタンだ!!」と、生まれて初めてあのボタンのことを車外にいる場所で忽然と思い出したため、すぐにケータイを手にし、「車 エアコン 矢印」と漠然ワードで検索。外気導入と内気循環のボタンらしい。外気導入というのは外界の邪念が入ってきて運転中に心がくさくさしてくるが、内気循環というのは車内の楽しい雰囲気がいつまでも保たれるものだという。以上を検索する際に同様、車のエアコンのボタンである「A/C」の解説も読んだが医療福祉系の学校を出ているので何を言っているのかさっぱりわからなかった。
 
2011年07月14日(木)  らくらくフォン3D。
 
月3万の小遣いが毎回月半ばにして底を尽きるため、夜な夜な空き巣が入って私の財布から金をくすねていることしか考えられないが、念のため小遣い帳をつけよう、警察への証拠材料にもなるしと、スマートフォンの小遣い帳アプリをダウンロードして何かを購入する度にちまちま入力をしているのだがまあ空き巣が入る余地がないくらい湯水の如く金が消えていく。それも缶コーヒー、煙草、ビールなど健全に生きていれば全く必要のない物が大半を占めるため一念発起、私は健全に生きることにしました。健全とは考え方や行動が偏らず調和がとれていることであって、好き勝手に小遣いを使っているにも関わらず、頭の片隅で節約しなきゃ貯金しなきゃなどと行為に反する思想、即ち邪念を生み出しているのであって、健全とは調和、この邪念を消し去ると無理な重圧から解放されBIGくじなどで6億円当選しニンテンドー3DSを買いたい。あと普通に使ってても急激な高熱を発し充電を急激に減らし続ける買ったばかりのスマートフォンをぶん投げてらくらくフォンを買いたい。
 
2011年07月13日(水)  夢現熱帯夜。
 
枕に敷くタイプと布団に敷くタイプの低反発ジェルの冷却シートを購入し冷房いらずの睡眠ライフを画策していたが、枕に敷くタイプが意外と高反発で硬い下敷きの上に寝ているようで朝起きると首が痛い。そもそも冷却シートのみで冷房いらずになるわけがなく、結局エアコンを作動させている。御ココが夜な夜な私の布団まで驚異的な寝返りで冷却シートを求めてやってくるので寝返りで踏んでしまわないように細心の注意を払って眠る夢うつつな熱帯夜。
 
2011年07月12日(火)  地球が熱いので。
 
先日スマートフォンを購入したのだが、時々発熱と同時に急激な電池消耗が起きて困っている。バッテリーモニタというバッテリーの残量と温度をチェックするアプリをダウンロードしてみたら、最高42℃もの発熱を起こしている。風呂の温度である。防水機能がついていたらこのスマートフォンを浴槽に入れるだけで適温が保たれるという優れものである。しかもこの発熱時に充電を行っても充電が追いつかずバッテリー残量が減り続けるという反エコ仕様。初期不良という悪運振りを認めたくがないために急激な発熱を繰り返すたびにまぁ地球全体が熱い昨今だしねと壮大な合理化を行いながら再起動を繰り返す毎日。
 
2011年07月11日(月)  思い思われ。
 
いい感じに泣きボクロができてたので触ってみたら昼食のミートスパゲティのちっこいミートだった。泣きミートだった。思われニキビができてたので触ってみたらやはりちっこいミートだった。思われミートだった。振られニキビができてたので触ってみたらこれは振られニキビだった。妻にもっと優しくしようと思った。
 
2011年07月10日(日)  海の味。
 
シーフードカレーを作る。しかし圧力鍋の「オレに余計なことするといつでも爆発してやんよ」的な怒りMAXモードのプシューッってやつが怖くて気が引ける。素材を全て鍋に入れ、圧力鍋がプシューと怒り狂い、キッチンの隅から鍋の行く末を固唾を飲んで見守っていた時に妻帰宅。「もうシーフードミックス入れた?」入れたよ。「先に入れちゃうとね、具材が小さくなって堅くなっちゃうから後で入れなきゃ」と厳重注意を受ける。私はそういう料理界の一般常識が何もわからない。無知であるが故に完全に原型を留めぬ”海鮮風味”のカレーを食べることになった我が家の食卓に罪の意識を拭い切れぬまましょんぼり食べていると「パパのカレーおいしいね!」と完全に気を遣った発言をする4歳の娘の言葉に海鮮風味の水滴が零れ落ちる。
 
2011年07月09日(土)  価値観に潤いを。
 
娘二人が解熱したと思ったら今度は妻が38℃の熱発。咽喉が腫れて痛いという。小遣い奮発してハーゲンダッツ購入し帰宅。寝ている妻の耳元で「ハーゲンダッツ買ってきたよ。大好きなグリーンティ味」と囁くと「うーん。今グリーンティだけは食べたくない……」といつもの歯に衣着せぬ発言。高額なアイスすら食わぬ発言。気を遣わないことはとてもいいことだ。咽喉と鼻に潤いが必要だと思い、やはり高額な加湿マスクを購入して渡したら翌朝こっそり通常のマスクに付け替えていた。どうやら価値観の相違にも潤いが必要かもしれぬ。
 
2011年07月08日(金)  自己犠牲と自己欺瞞。
 
休日。しかし娘二人が熱発しているため保育園は休み。せっせと在宅看護に勤しむ。自宅での看護は徹底された無償の愛によってなされるものであって謂わば看護の基本中の基本。休日返上という自己犠牲によって、子供相手に見返りを求めることもなく、ひたすら熱を測り食事を作りミルクを入れる。掃除機をかけ布団を干し食器を洗う。ひと段落してベランダで煙草を吸う。報告が大変遅くなりましたがとっくに禁煙失敗しました。
 
2011年07月07日(木)  今日も今日とて。
 
いくら帰りが遅くても寝室を開けて寝ている妻に声を掛ける迷惑な夫なのだが、今日は別段報告する事象もなかったので「帰りに寄ったセブンイレブンでクジひいたらビールが1本当たったんだよ」と報告。妻は目をこすりながら「あーい。よかったねー」と手を振って再入眠。今日も今日とて大好きです。
 
2011年07月06日(水)  バロック音楽。
 
仕事中、18時頃突然めまいに襲われ、歩くのもままならなくなったのでこれはヤバイ、何かの病を患ったに違いない、神様、俺今日も悪いことしてないのにと一人で消沈していたら朝から何も食べていないことに気付く。飯を食ってないことに長時間気付かない自分自身に愕然。飯を食っていないことに長時間気付かないほど集中してしまう仕事振りに情緒荒廃への序曲が聞こえる。
 
2011年07月05日(火)  ネガティブ論。
 
ネガティブな人に99%大丈夫って言っても残りの1%をいつまでも危惧するけれど、99%駄目でしょうと言ったら百害あって一利なしって平気で100%の可能性を引き出します。これは決してネガティブな人を嘲笑しているわけではなく、ネガティブだからこそ100%を信じ込む力があるわけで、この力を有効活用すると発電でもできるんじゃないかなァと思うのです。
 
2011年07月04日(月)  ターンバトル。
 
うちのお風呂はシャンプーもボディソープも必ず私のターンで切れるように妻が設定しているに違いない。アイスの実などは妻のターンでなくなる。
 
2011年07月03日(日)  無謀なる先入観。
 
重度の味オンチである。だから料理も一向に上達しないのだろう。先日、職場の昼食がフルーツサラダで中にグレープフルーツが入ってたので、このトマトらしきものは実はサクランボだなと思って食べるとやっぱりサクランボだったので、同じテーブルのナースにやっぱりサクランボだったねと言うと、いいえそれはトマトですと言われた。「This was a cherry」「No, it is a tomato」と、英語の教科書の例文並みに美しく非現実的なやりとりを展開したのだが、トマトを咀嚼してもなおサクランボだと思い込んでいるのは、”これはきっとサクランボに違いない”という先入観が味覚よりも優先された結果であって、考えてみればこの先入観を自在にコントロールできるといつでもトマトをサクランボに思うことができるのである。
 
先日、職場の昼食が冷やし中華で、スープが入った鍋に「レードル1人1杯でお願いします」と書いており、書いてある通りに1杯入れたが少ししょっぱかったので、食後に栄養士に「今日のレードルは少し濃かったね」と言うと、「レードルとはおたまのことです」と言われ、自らの無意識かつ無謀に展開される先入観に戦慄を覚えた。
 
2011年07月02日(土)  寒冷蕁麻疹。
 
夜勤明け午前11:00。午睡しようとした刹那、御ハナの保育園から電話。プールからあがったあと全身に蕁麻疹が出たらしい。今日は今年初プールの日だった。保育園に迎えに行った時点で蕁麻疹はほぼ引いていたがまだ口の周りが赤く膨らんでいる。何のアレルギー反応か不明だがとりあえず迎えに行って皮膚科受診。夜勤明けで皮膚科行って今夜も夜勤。一日中病院にいるような気がするが愛する娘のため。
 
待ち時間が一時間ほどあるとのことで二人でミスドに行ってドーナツを食べながら御ハナの顔をぼんやり眺める。
 
急に蕁麻疹が出て保母さんが大騒ぎして迎えに行って家に戻って保険証の準備をして車に乗って病院の受付で待ち時間を告げられなぜかミスドに連れてこられてドーナツを食べるまでずっとパパの手を繋いでいた。当惑も逡巡もなくずっと父親の手を握り続けるその小さな手から、強くて温かな信頼が伝わってくる。
 
決して疑うことのない、純度の高い信頼。こんな素敵なものは父親にならなければ手に入らない。世の中に適応するには疑うことも大切なのだが、決してパパとママだけは疑わないでほしい。
 
診断名は寒冷蕁麻疹。冷たい水や風など、体温よりも低い物質に触れたことで発症する蕁麻疹らしい。いつか世の冷たさにアレルギー反応が出たとしても、その強くて温かく、純度の高い信頼を知った手は、決してキミを離したりはしない。
 
2011年07月01日(金)  愛人。
 
中国では妻のことを「愛人」と書くと職場の中国人のスタッフから聞いてえらく感動した。愛する人と書いて愛人。言うも愚かな当然のことなのに、なぜ日本語は不倫相手にこの言葉をつけたのだろう。眼前の愛に気付かぬ者が、おざなりの艶事に酔い痴れて真実の恋だの愛だのと錯覚し、我に返っても眼前の愛はすでに衰滅。やはりここには真実の愛などなかったなどと曲解し、次なる喜劇を探究する様は蓋し滑稽である。理想ばかり掲げ何処に邁進するのだ。周到な弁明は何処に帰依するのだ。中国では妻のことを「愛人」と書く。では夫のことを何と読むのですかと訊ねたら、やはり「愛人」と呼ぶらしい。美しい言葉に心を打たれた。
 

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