2006年11月30日(木)  東京は夜の都知事。
 
今回のライターの仕事は、打ち合わせをだいたい渋谷ですることが多いのだけど、僕は渋谷がさっぱりわからんし、9月か8月に財布を落とした場所だし、歩く人達は頭頂から爪先まで東京! という感じの雰囲気を発散してるしどうも好かん。いけ好かん。どうも好かんけど僕は行くよ山手線で。で、ここはどこだ? と、何も考えずに近場の適当な改札口から出たために、打ち合わせ場所になかなか辿り着くことができず、編集者さんから「今どこですか」と電話がかかってきて、「渋谷にいます」と答えてから20分くらい右へ左へ歩いて打ち合わせ場所に到着したため、お前さっき渋谷にいるって言ったけどあれ絶対嘘だろうと思われはしないか僕だったら絶対思うけどな。と、おどおどしながら打ち合わせに突入したため、無理な仕事を頼まれても遅刻してきた手前断るわけにもいかず、どんな難題もエニシングオッケー。自分で自分の首締めて、今日もさまよう東京砂漠。
 
2006年11月29日(水)  ベビカデヴュ。
 
そろそろベビーカー使ってみよっか。と、妻から提案。ベビーカーねぇ、まぁ物は試しで使ってみよっか。でも、「だめだと思うけど」と、語尾を2人揃えて言うくらい、御ハナはきっとベビーカーを嫌がると思う。抱っこしないとすぐ泣いちゃう子だからね。でもあのスリングっていう抱っこヒモはどうも肩が凝っていかん。短時間なら大丈夫なんだけど、長時間歩くとなると結構辛い。よし、今日はベビーカーでお散歩だー。
 
と、オムツを替えて外出用のおくるみに包んでいざ出発。大きくなった御ハナがこの日記を読むことがあるのかわからないけど、御ハナ。今日が君のベビーカーデビューだったのだよ。あの頃は泣いても糞もらしてもただただ可愛かった。それがあっという間にこんなに大きくなって。御ハナのウェディングドレス姿を見る日が来るとは。若い頃のママにそっくりだ。綺麗だ。綺麗だよ。って言うじゃなーい。でもワタクシ、あなたを嫁がせる気はさらさらありませんからーっ!
 
さてベビーカー。コンパクトに折りたたまれてあり、あまりにもコンパクトすぎて開き方がわからない。この前試したときはスムーズに開けたのに。あれーおっかしいなー。と、悪戦苦闘30分。ベビーカーが妻のイライラが頂点を迎えることを察知して、さっきまでの苦労はなんだったんだというくらいスムーズに開く。そしてようやく御ハナさんピットイン。いざ出発進行。
 
「……」
「……」
 
と、折角のベビーカーデビューだというのに、妻と僕、双方無言なのは夫婦仲が上手くいっていないというわけではなく、いつ御ハナが絶叫して泣き出すか戦々恐々と見守っているからである。
 
「な、泣かないねぇ」「な、泣かないわねぇ」と、ベビーカーを押す気弱な若い夫婦は肩を寄せ合って前を見ずに御ハナばかり見て歩いている。100メートル歩き200メートル歩き、結構な距離を歩いた。御ハナは時々目を開けてここはどこだという表情を浮かべるが、泣き出すことはなく小さな振動が心地良いのかすぐにウトウトして眠り始める。
 
冬が始まろうとしているのに、僕たちの周りはずっと暖かい風が吹いていた。
 
2006年11月28日(火)  公園、御ハナ、手作り弁当。
 
今日はどっか大きな公園に散歩に行きましょうと、レンタカーで朝からお出かけ。車で1時間ほどの公園に冬の光を浴びに行った。
 
御ハナはスリングという抱っこひもですっぽり包まれて、泣き出すこともなくスヤスヤと寝息を立てている。公園には大きな池があって、妻と手を繋いで散歩しながら、御ハナは可愛いねぇ。とても可愛いねぇ。とてつもなく可愛いねぇ。と、どこに行ったって同じような会話ばかりしている。
 
お昼は公園の売店の近くのテーブルで大きな池を眺めながら、妻が朝早くから作ってくれたお弁当を食べる。最近は仕事の愚痴が多くなったけど、こと私生活においては不幸なる要素が一つも無い。親子で公園を散歩して腹が減ったら手作りの弁当を食べる。ポケットにカメラを入れて御ハナの寝顔を撮って、目が覚めたら目が覚めてる顔を撮る。時々ビデオカメラ片手に「今日は車で公園に来ましたー。もう紅葉が始まってまーす」なんてパパ! ほんとに僕ってパパしてる! という充実感を感じながら、時々抱っこを交替してゆっくり歩く。
 
「まぁ。赤ちゃん? まぁ。可愛いですねぇ」と、散歩をしていたお婆ちゃんや、一眼レフで紅葉を撮影していたお爺さんが次々に話し掛けてくる。もうすぐ12月なのにポカポカした陽気で、誰と話していても幸せな気分になれる。御ハナは誰が話し掛けてきてもスリングの中でぐっすり眠っている。今日は公園に散歩に行きました。御ハナ。君はこうやって、こんな空気に包まれて、これからも育っていくのです。
 
2006年11月27日(月)  潰瘍ライフ。
 
書く仕事はいくら書いてもストレスにはならんのだよなぁ。と、深夜パソコンの前で独り言。現在執筆中の看護関係の実用書。職場でもやたらマニュアルばかり書いていて結局仕事でも家に帰ってきても同じようなことばかりやっている。でも、このライターとしての仕事は別段、苦にならない。一人で作業してるからね。
 
今日はあのパートの形を作って、チャートは明日にまわすとして時間があったら昨日書いたやつのリライトしよっと。と、頭の中で仕事の段取りを組んで、自分のペースで作業できる。誰の気持ちを汲むわけでもなし、指示を出すわけでもない。顔色窺うわけでもないし、命令されることもない。僕は僕のペースで、ただ締め切りだけを守って書いていく。
 
隣の部屋には妻が雑誌を読んでるし、不思議なCDで眠っている御ハナがいる。在宅の仕事だけしとけばストレスからも開放されるし育児もできる。こりゃあ今の僕にとってうってつけじゃないかと思うけど、在宅で暮らしていけるような収入がもらえるわけでもなし、明日も仕事に行って理不尽なものも理不尽と思わず、不平も言わず、不満ももらさず、ただただしつけの行き届いた犬のように、素直に従順に動くのだ働くのだー。飼い殺されていくのだー。
 
2006年11月26日(日)  片頭痛復活。
 
最近我が家で頭痛が頻発。左側頭部ズキンズキン。痛てぇ痛てぇ言いながらも御ハナは可愛くて妻は美しい。しかし頭痛が。ちょ、薬、持ってきて。と、妻が薬箱から鎮痛剤を持ってくる。コップ1杯の水で薬を流し込み、プハーッと息を吐いて、もうダメなんだなぁ。と、思う。
 
仕事がもう、ダメなのである。抱え過ぎてしまったのである。最近は毎晩残業で昨日なんて帰宅は10時半。上からはいくつものマニュアル作成を頼まれ、下からは突然風邪をひいたから今日は休むだの明日は急用ができたから有給用紙くださいだの好き放題。馬鹿な医者には患者さんの病状を一から報告しなければいけないし、なによりも一度も患者さんに触れないまま話すことのないまま1日を終える日が増えた。いつもナースステーションの端でマニュアル書いてるかスタッフに指示を出しているか。
 
看護師なのに、患者さんに看護できない。本末転倒だ。痛てぇ痛てぇ頭が痛てぇ。家に帰ると頭が痛てぇ。ストレス性の片頭痛が復活したよ赤信号だよ。片頭痛の頭痛は、ストレスを感じている時ではなく、ストレスから開放された時に始まるのだ。だからストレスから開放された我が家でいつも頭が痛くなる。むー。空はこんなに青いのに、風はこんなに暖かいのに、太陽はこんなにまぶしいのに、どうしてこんなに痛いの。
 
2006年11月25日(土)  ドックンドックン。
 
だいたい無理な借り過ぎにご注意下さいって手前が無理な貸し過ぎに注意すればいいことじゃねぇか。なぁ? と、妻を見ると友人と長電話中。御ハナは昼寝中。仕方がないので、リセッシュお願い電話に夢中で、おうちが焼けた。と歌いながらキッチンに行きコーヒーを淹れるために沸かしていたお湯の火を止める。
 
御ハナはあの不思議なCDで、人が変わったように眠る赤子になってしまった。不思議な魔法で行動を抑制されているようで不憫だ。しかしCDを止めると10秒後には泣き始める。でもお腹の上に乗せると僕の胸の中に耳を済ませるように静かになる。あれだ。ポイントは、心臓の音なんだ。
 
母親が赤子を抱くときはほとんどが無意識に心臓に近い左胸を頭に抱くそうである。寝かしつけるときは無意識に心音と同じテンポで赤ちゃんを揺らすという。とにかく心臓だ。心臓のテンポだ。ドックンドックンパックンマックンだ。
 
コーヒーを飲みながら眠り続ける御ハナを眺める。眺める。眺める眺める。子供ができて困ったことは、眺め飽きることがなく、眺めるだけで多大なる時間を消費してしまうということだ。あぐらをかいて心臓のテンポで左右に揺れながらいつまでもいつまでも。
 
2006年11月24日(金)  陣太鼓。
 
「陣太鼓食いてぇ!」と、衝動的に叫び、驚愕している妻に「食いてぇよな? な?」と、詰め寄っても目を丸くして言葉が出ないようなのでゴメンゴメン。急に叫びだしたのがいかんかった。こほん。えとさ、陣太鼓、食べたいよね。と、言葉を正して言ってもまだ目を丸くしている。陣太鼓のように。
 
妻は言った。「ジンダイコって何?」僕は知った。「あ、もしかして東京じゃ売ってない?」
 
早速ネットで調べてみたところ、陣太鼓は正式名称「誉の陣太鼓」と言って、熊本の代表銘菓であった。そっか熊本かぁ。鹿児島の職場にいるときはお茶の時間に大抵出てきてたのにな陣太鼓。
 
そういうわけで僕が突然食べたくなった陣太鼓の説明をすると、って陣太鼓のウェブサイトからまんまパクってきた言葉で説明すると、「どっしりと重厚感があり、シャープで美しい輪郭。金色の個箱に力強い文字が並ぶ様は、堂々とした風格を漂わせます。贈るひとの誠意が伝わる逸品です」
 
誠意が伝わるかどうかはその人の人徳次第だと思うが、その他の表記はまさにその通り。どっしりでシャープで金色。羊羹の中に餅が入ってて家で食っても格別美味いとは思わんけど、職場のお茶の時間に出たらメチャクチャ美味いと感じるような甘い菓子。それを突然食いたくなったのだよ僕は。ズルルルル。鼻水が止まらん。きっと風邪ひく前で弱ってて体が糖分を要求しているのだなズルルルル。
 
2006年11月23日(木)  わかるわかるよ。
 
「ほら最近はカトーン、カツーンとかさ、ワット、ワッツとかさ」という具合に、未だにKAT-TUNやWaTの正式名称がわからず、とりあえず2つ並べて言ったらどっちかが合ってるだろうし、2回目言ったやつが合っていたら、つい1回目に間違った呼び方をしてしまったのを即座に訂正した偉い奴ナウい奴と思われるだろうし若者対策万全。と見せかけて崩壊寸前。だって三十なんだもの。
 
「わか〜るわかるよ君の気持ちぃ〜」と、あのアロエヨーグルトのような粘着的な声を発し徹平気分で歌っていると、妻にそれ気持ち悪いからやめてと言われて即座にやめた。そんな僕は三十歳。そんな妻は出産後のお腹のたるみが戻るか杞憂している。
 
でもォ〜綺麗になりたいよねェと、粘着的に妻に近付き、そろそろ妻のお風呂上りにクリームを使ってお腹引き締めマッサージを始めようか思案中。
 
2006年11月22日(水)  モノは試しDS。
 
というわけで赤子が泣きやむ不思議なCDという、どう考えてもいかがわしい代物が全くいかがわしくないどころか予想以上の効果があったということを鑑みて、何がおかしかったかというと「どう考えてもいかがわしい代物」だと決めつけていた僕がおかしかったということで、よく新聞の折込チラシに入っているこの健康食品食えばあっという間に痩せるとか、このブレスレットつければ宝くじ当たるとか、そういう代物もなかなかどうして結局いかがわしいと思っている奴だけが損をして、モノは試しで買った人が得をするという構図が成り立っているのかもしれん。畜生。もう少し早く気付いていればと、早速、夜の新宿に行き、歌舞伎町の奥の方の質屋の横の店で、これを買えばさらにDSが楽しくなるという謳い文句の「脳を鍛える大人のDSトレーニング」というソフトを購入。脳年齢80歳で頭が爆発。
 
2006年11月21日(火)  モノは試し。
 
まぁとにかく御ハナはよく泣く子で、寝てるか乳飲んでるとき以外はたいてい泣いていると言っても過言ではない。一体何がそんなに悲しいんだというくらい泣く。放っとくと声が枯れそうになるくらい泣く。僕や妻がちょっとでも御ハナのそばを離れると、離れようとする素振りを見せると泣く。泣くのが赤ちゃんの仕事なら御ハナはちょっと働き過ぎです。
 
僕と妻の見解は、「この子はよっぽど前世で寂しい思いをしてきたんだ。もっと大切にしなければ」ということで一致してるんだけど、そんな非現実的なことばかり考えても御ハナは泣きやむわけがなく、もっと現実的に対処しなければと、僕より遥かに現実的な思考回路を持つ妻が、赤ちゃんが泣きやむCDというものを買ってきた。
 
いやぁ。君は騙されてるよ。いっつもリアリティに基づき日常に密着した考えを持つ君が赤ちゃんが泣きやむ不思議なCDなんて現実逃避大好きな僕が買いそうなCDを買ってくるなんて。だいたいいつも音楽聴いて泣きやむような子じゃないじゃないか。コジャナイジャマイカ。あ、たまにはレゲェいいかもね。で、それなに? クラシック? クラシックかけてたことあるじゃん。え? 赤ちゃんのお腹の中で聞こえる音? まぁいいやちょっとかけてみて。
 
このドックンドックンって音は何? お腹の中から聞こえるママの心臓の音? 胎内音? これ聞くと赤ん坊がお腹の中を思い出して安心して寝ちゃうって? そんな馬鹿な。いやぁ。君は騙されたんだ。しかしまぁモノは試し。御ハナに聞かせてみよう。御ハナはどこだ。
 
って僕の腕の中でぐっすり眠っている!!
 
2006年11月20日(月)  微笑み返し。
 
なんとか書き上げていた原稿が一段落して、あとは編集者さんのチェック入って細かいリライトしてギャラもってどうもお世話になりましたと退散しようと目論んでいたが、昨日追加の依頼があり、受ける所以も断る理由もない僕は、じゃあまぁギャラ次第でってギャラの交渉をするわけでもなく、なんとなく引き受けてしまった。僕はいつもなんとなく全てを引き受けている!
 
というわけで23時くらいまでは僕と妻と御ハナの時間。最近めっきり綺麗になった御ハナさんはどうしてこんなに綺麗になったんだろうと答えを探すこと小一時間。睫毛がゆるくカールしているのだ。睫毛が軽くカールしているのだよと妻に言うと、あなたそりゃ気のせいよと全然取り合ってくれない。
 
ちぇ。カールしてんのにな。と、御ハナを抱いてオホヘヘホ。オヘホホヘ。オボボボボボと、いつもように脳に届いて言語化される以前の、僕の心からそのまま出たような言葉を発して笑っていると御ハナが、
 
えへェ。と、笑った。
 
キャー。うちの娘が微笑み返してくれたー。ねぇねぇ御ハナが笑ったよーと妻を呼んだ頃には、ヘの字口して泣きそうな表情をしている。まるで僕が嘘を吐いたようだ。ちゃんと笑ったのに。でもまぁ僕はあの微笑み返し1回分で3時間は頑張れるね。じゃあ行ってきます。と、隣の部屋に行き、追加の原稿に取り掛かるのであった。
 
2006年11月19日(日)  パパラシク。
 
産後1ヶ月から赤子と共に散歩することが可能となり、僕が仕事の日は妻と御ハナ二人で買い物がてら散歩に出掛けているが、休日の日は、夕方陽射しが弱くなってから三人で散歩に行く。
 
御ハナをスリングという布でできた抱っこひものようなハンモックのようなものの中に入れて抱っこする。布ですっぽりと覆われるので顔があまり見えない。よって通行人は隠されたものを見てみたいという欲求が刺激されるらしく、妻がスーパーで買い物をしていて僕が入口付近で待っている時など、「まぁ可愛い」「赤ちゃん、いるの?」と、次々に見ず知らずの人が話し掛けてくる。
 
話し掛けてくる人は決まって高齢の人で、決まって御ハナの顔をのぞいた後、自分の孫の話をする。そして決まってそういう人たちの顔は幸福に満ちている。この隣の人は何する人ぞの東京で、見ず知らずの人たちが気軽に話し掛けてくるという御ハナの幸せの魔法。これはすごいことだ。ほら、ちょっと代わってみようよ。知らん人がどんどん話し掛けてくるから。
 
と、妻に御ハナをバトンタッチしてしばらく商店街をふらふらしていたが誰も話し掛けてこない。おっかしいなぁと、再び僕が御ハナを抱くと早速お婆さんが寄ってくる。
 
「赤ちゃん抱いてる女の人なんてそこらじゅうにいるんだから大して珍しくないのよ。あなたみたいにどう見ても独身のような男の人が顔ほころばせて赤ちゃん抱っこしているっていうギャップがたまらないのよ」
 
と、妻は言う。なるほどそうかもしれん。僕が赤子を抱くことによって生じるギャップ。逆にいうと、これは僕がまだ父親になりきっていないということを周囲が証明してるってことなのかもしれん。どうしよう。父親になるのは誰にでもできるけど、父親らしくなるってのは意外と難しいことなのかもしれんね。
 
2006年11月18日(土)  しろでじる。
 
数日前の日記で、納豆にゴマ油と塩かけて食ったら美味かったという、ウェブ日記に書いてまで公表するものなのかということを書いたが、「納豆+ごま油+白出汁+あらびき胡椒+ネギ」の組み合わせも美味いと日記にコメントを寄せてくれた方、本当にありがとうございました。早速試してみたいのですが白出汁。ここで躓いた。
 
しろでじる。こりゃ一体何の汁だ。味噌汁は味噌の汁。豚汁は豚の汁。じゃあ白出汁は白出の汁かしら。そもそも白出って何だろう。ちなみに白女と書いて「しゃれおんな」と読みます。(へぇ〜)豆知識だよ! と、妻がひいきにしている桜塚やっくんのフレーズを使ってみても白出が何なのかわからない。困ったなぁ。
 
「納豆にオリーブオイルとクレイジーソルトの組み合わせも美味しいんだよ」と、妻。今日も食卓に納豆を持ってくる。白出汁といいクレイジーソルトといい、どうしてこと料理に関しては知らない言葉が多すぎるんだ僕は。クレイジーソルトって何ぞや。白出汁とは何ぞや。「あ、しろでじるじゃなくて、しろだしって読むのよ」あ、そうか。ちょー恥ずかしい。
 
「クレイジーソルトってね、岩塩にペッパーとかハーブが入った塩のことよ。スパイシーで何の料理でも合うの」
「ほう。それじゃあいただきます」
「って待ってー! なんでゴマ油と塩かけようとするのよ! 今オリーブオイルとクレイジーソルトの組み合わせが美味しいって説明したばっかりじゃない!」
「いいよいいよゴマ油と塩で。あー、あーあー、かけちゃった。オリーブオイルとクレイジーソルトかけて美味いはずなかろうもん。しかしまぁ君に免じて……ってウメー!」
 
反応が上島竜兵ばりに古典的になってきたと感じた瞬間。
 
2006年11月17日(金)  律義ヒゲ。
 
最近、ヒゲトリマーの売り上げが好調だという。ヒゲトリマーとはヒゲやモミアゲの生えぎわを整えたり、ヒゲの長さを揃えたりするバリカンのようなもので、無精ヒゲ歴の長い僕も2年ほど前から愛用している。
 
このヒゲトリマーの利点は、一定の長さに揃えることができることで、僕のヒゲトリマーは6段階くらいの長さ調節が可能なのだが、僕はいつも3日に1回、2ミリの長さで無精ヒゲを揃える。
 
3日に1回という段階で無精ヒゲではなく律義ヒゲになっているが、この2ミリという長さが仕事でも不潔感を与えないギリギリの長さだと長年の起死回生、じゃなくて何だっけ、汚名挽回じゃなくて、ほら、あれ。最近言葉が出てくるのに時間掛かっちゃうんだよね。長年の紆余曲折を経て、って惜しい。これじゃない。この言葉じゃない。長年の……試行錯誤! 試行錯誤を経て2ミリという長さに定まったのであります。
 
ちなみにキスしても相手が痛がらない長さは5ミリ以上。これは妻と御ハナをモニターとして実験した結果である。まぁ御ハナに限っては何ミリにしたってキスしたらものすんごい顔を歪めて拒むんだけどね。
 
2006年11月16日(木)  グレーゾーン。
 
三日続けてお金のことを書くことになってお前結局お金大好き人間なんじゃねぇかと思われてしまいそうな気がすると思ってしまうという、強迫観念的被害妄想が出現しつつも書きます私はお金のことを。
 
まぁ三日前の日記でお金のことを書き始めて一日分じゃ収まらなくて三日に分けたというだけなんだけれどもお金。僕は職場の給料の他にも印税その他、ライターとしての原稿料をいただいて慎ましく生活をしているのであります。
 
現在は看護関係の実用書を、いくつかのパートを任されて書いているのだが、こういうライターとしての活動に付き物なのが打ち合わせ。そして最初の打ち合わせに付き物なのが報酬の話。僕は決まって報酬の話になると、「あ、あ、はい。ページ単位で……二千円ですか。ほう。それにしてもあれですね。最近雨ばっかりですね」という具合にやたらと話を逸らそうとする。
 
しかし仕事を依頼する編集者にとっては報酬に関する話はかなり大切なので、「確かに雨が多いですね。で、項単位二千円になりますけどよろしいでしょうか」と、話の軌道修正を試みるが、「あ、あ、はい。二千円でいいですけど、洗濯物がね、こう雨ばっかり続くと」と、なぜか顔を真っ赤にして真剣にギャラの話を聞こうとしない。
 
これは先々日に述べた通り、金という人生に於いて一番あからさまなモノの話題を避けたいという心理が働いているからで、裸だってセックスだってあからさまだけど、まぁ金よりは露骨じゃないでしょ。どうもダメなんだ僕は日本人だから。露骨とか浮き彫りとかざっくばらんとか単刀直入っていう感じが。だから金の問題もできるだけ自分の中のグレーゾーンに持っていきたいのだよ。
 
職場で給料貰ってる時点で、金を貰ったという事実が既に露骨だが、給料明細を見ない、封筒を開けないということによって給料を僕の中のグレーゾーンに持っていっているということ。利息制限法に定める上限金利は超えるものの、出資法に定める上限金利には満たない金利のことをグレーゾーン金利というらしいが僕には全く意味がわからないし、この日記の話題にも全然関係がないことでしたと最後も話を逸らしつつ。
 
2006年11月15日(水)  給料でポット。
 
二日続けてお金のことを書くのもちょっとあれだが、職場の人に自分の給料がいくらなのか把握するのは社会人としての最低限の義務だと熱く語られ、暑く聞き流していた僕は、今度の給料で電気ポットが欲しいけど、待機電力を気にする妻も満足する省エネタイプのものを事前にリサーチせんといかん。今後ミルクを作る時にも使うし、なによりも僕は深夜に書き物をすることが多いから、コーヒー飲んだりカップラーメン食うときにどうしても欲しい。
 
この前ちらっと「電気ポット欲しいよねぇ」と言ってみたが、「そうねぇ」と言いながらエンタの神様を見ていた。ああいう反応しか得られないときはダメだ。イコール別に欲しくないってことだ。でも僕は欲しい。でも僕は電気ポットを買うだけの金を持っていない。なぜなら金は全て妻が管理しているから。小遣い貯めて買ったとしても、待機電力の分まで小遣いで負担しなくてはならないのかとかそういう新たな問題も出てくるので暴走はいかん。夫婦なのだから。話し合わなければ。あぁ欲しいなァ。電気ポット。
 
ということを考えており、ちょっと聞いてんのかと職場の人に言われ、あ、あ、聞いてました。と、明らかに聞いてなかったリアクションを取ってしまったというくらい、給料は自分の中の優先順位に於いてかなり低ランクに置かれている。
 
2006年11月14日(火)  知らぬが仏。
 
職場の人に税金のことを訊ねられて「よくわからない」と言うと、先月の給料明細を見たかと言われて「見てない」と言うと、じゃあ先々月はと言われてやはり「見てない」と言うと、自分の給料いくら貰ってるかわかってるのかと言われ「正確なところはよくわからない」と言うとものすごく呆れた顔をされた。
 
実際僕は自分の給料がいくらなのかよくわからない。じゃあ給料明細を見ればいいじゃないかと思われるだろうけど、それがまたちょっと面倒臭い。どうして面倒臭いのかというと、給料明細は封筒にのり付けしてあって、それを開封するのが面倒臭い。
 
面倒臭いというか、のり付けの封筒を手ではがすとなんというか封筒が「むしり取りました」みたいな感じになって見苦しい。じゃあハサミで切ればいいじゃないかと思われるだろうけど、そもそもハサミを使うのが面倒臭いし、ハサミを使ったとしても、封筒の中の給料明細を一緒に切ってしまわないように細心の注意を払って切らなければならないのが面倒臭い。
 
よって給料明細はそのまま妻へ。クレジットカードも妻が持っているので僕は月々の小遣いを貰って満足してるのでそれ以外はどのように資産運営されているのか知らぬ存ぜぬ。
 
まぁさっきから面倒臭い面倒臭い言ってるけど、要はお金の問題にあまり接したくはないという心理が働いているからであって、お金は何というか多かれ少なかれ人の心を狂わすものだからくわばらくわばら触らぬ神に祟りなし。日常をできるだけ平穏に過ごすためにはできるだけ金のことは考えないことだ。酒とタバコを買う金あれば、知らぬ仏のお富さん。
 
2006年11月13日(月)  最近の仕事。
 
最近は久し振りにライターの仕事を依頼され、目下執筆中。だから日記の更新も遅くなるし、育児もしなくちゃならないから御ハナが眠っている深夜にライターの仕事をしている。看護して帰宅して育児して執筆。忙しいけど好きなことばかりしてるから大変ではない。
 
しかも今回のライターの仕事、看護の実用書を書いているのである。僕は実用書全て書けるほど頭は良くないし、だいたい看護学校は午前中に行ったことなんかなくて、どうやって卒業したんだろうと今でも考えることがあるほど不真面目だったので、いくつかのパートを任されて執筆している。
 
山のような資料に囲まれて読み漁っていると、学生の頃を思い出して懐かしい気分に浸ることができるが今回の締め切りはちょータイト。1日あたり2ページ仕上げて送付しなければならない。
 
まぁ実際はこうやって日記を書くほどの余裕があるということだが、仕事を仕上げて実際に本が出来上がって、この本僕も書いたんですと職場で営業して原稿のギャラプラスアルファを狙っているという腹黒さ。いつか罰が当たるよ。
 
2006年11月12日(日)  目掛け。
 
というわけで文学フリマの帰りにメイド喫茶。もちろん初体験。店内に入るなり「おかえりなさいませ御主人さま〜。何名様ですか?」と、矛盾した挨拶。御主人様に何名様と訊ねるメイドがどこにおるのだ。しかも満員。じゃあ和風メイド喫茶に行こうとサイキさん。な、なんだ和風メイド喫茶なるものがあるのか。
 
「おかえりなさいませご主人さま〜」と、和装したメイド。中央に畳があって、畳を囲むようにカウンター席が設けてある。和装したメイド。意味がわからない。メイド服を着てない時点でメイドじゃない気がする。しかしメイド=メイド服ではなく、清掃、洗濯、炊事などの家事労働を行う女性使用人であればそれはメイドであって和装であってもいいのか。どうなのか。わからーん。
 
と、アキバ独特のサブカル熱にうなされながらも「和装した女の人って……これって和民と変わんなくない?」と、居酒屋チェーン店の名前を出して和装メイド喫茶を全否定した発言に周囲の人はビックリ仰天。しかもここも満席。失礼しましたーと、次の店へ。
 
やっと空いてた3件目。オムレツが1200円もする。何でこんなに高いんだと驚いていると、ケチャップで好きな文字を書くから高いのだという。も、も、萌えはしない。何書いてもどうせ食っちゃうんだから。えっと「大好き」って書いて下さいなんて言うと妻に怒られちゃうな。うんと「萌え」って書いてくれます? っていうのはありきたりだなぁ。どーしよっかなー。どーしよっかなー。と、なかなかどうして楽しんでいるぜ俺。
 
じゃあ「おかえりなさい」って書いてくれる? っておかえりじゃないよな。1200円払って駅行って山手線乗って帰んなきゃいけないんだし。あー、あー、どーしよー。しかし腹減った。もうなんでもいいや。妾って書いて下さい。妾って。
 
「メカケ!?」
 
立に女って書いて妾。正妻のほかに、愛し養う女性のことです。メイド喫茶のオムレツにメイドにケチャップで妾と書いてもらう。よくわからんけど文学だなぁ。
 
ケチャップでハートマークにはさまれた妾の文字。写メ撮って妻に送信するという文学。
 
2006年11月11日(土)  文学フリマ。
 
去年に引き続き参加。ウェブ文芸誌のFolioでお世話になったサイキさんが、スペース余ってるから本置かない? ということで、急遽参加することになった夜勤明けのナチュラルハイで秋葉原。
 
文学フリマ。知らない人に説明すると、参加者が自らの手による著作を自らの手で販売するフリーマーケット。というわけで右も左もみんな文学。そして僕を筆頭に文学を嗜む人は、どっちかっつうと外交的ではない。よって、数え切れないブースで文学を売る人が文学を買う人をひたすら待っているという光景。
 
みんなひたすら待っている。そしてオレの作品がわかんねぇ奴は話し掛けてこなくてもよし。買いたい奴だけ買えばいい。という具合にどこか排他的。文学を売る身でありながら、椅子に座ってひたすら小説を読んでたりする。そんな光景。
 
フリマなんだから売らんといかんじゃないか。何を悠長に構えておるのだ。そもそも文学なんだからページ開かんと何もわからんではないか。俺は売るよ。この作品を売りこますよ。と、サイキさんのブースを乗っ取りひたすら営業。
 
僕は夜勤明けで目の下にクマができていつものように無精ヒゲであれなので男の人に声を掛けてもなんかビクビクされてる。よって女性にターゲットを絞り、ひたすら声を掛ける。
 
声を掛けて本の内容、見どころ、値段の割には面白い。サインを書けば古本屋で安く買い取られちゃうらしいからサインは書かんですけどいいですか。玄関に置くと運気が上がるし窓際に置くと金運上がるよ。知らんけど。まぁこの苦労にしてこの値段は安いと思います。ほんとどうもありがとうございます。やっぱサインも書かせてください。
 
という高田純次ばりの好い加減なトークで在庫をさばいていく。いつもブログ見てますって言ってくれた女の子がいた。独身であれば抱擁してたけど、家には妻と御ハナがいるし、妻は会場でお腹が空いたら食べなさいってサランラップに包んだおにぎりを作ってくれた。泣ける。そして愛してるので、ブログ見てるって女の子には何度もお礼を言って、サイキさんとお店を手伝ってくれた初対面なのにやたら馬が合ったいずみさんとアキバに来たんだから帰りにメイド喫茶寄ろうという訳のわからない展開。まぁ何にしろ文学のせい。
 
2006年11月10日(金)  パフォーマンス。
 
最近やたらパフォーマンスって言葉聞きませんか。僕は聞きます。やれ最高のパフォーマンスを見せられた。やれいいパフォーマンスを発揮できた。このパフォーマンスという言葉がやけに耳に障る。演技としての意味ではなく、プレーとしての意味。これいつの間に世の中に浸透したのだろうか。
 
プレーでいいじゃないか。3文字で済むじゃないか。最近は野球選手もこの言葉を使うようになってきた。多分松坂だったような気がする。パフォーマンス。気に食わねぇなぁ。プレーでいいじゃないかプレーで。
 
「4日間本当にいいリズムでプレーできて、今年で一番落ち着いていたし、一番いいパフォーマンスが出来たと思う」
 
米国女子ツアーを終えた宮里藍の言葉。コトバババ。ゴルフ界まで浸透してる。しかも「いいリズムでプレー」「いいパフォーマンスが」と、プレーとパフォーマンス、2つの言葉を使っている。いいリズムでパフォーマンスできて、一番いいプレーが出来たと思う。どっちでもいいじゃないか。なんなんだこれ言っといたらプロっぽいコメントだっていう風潮。
 
「最高のパフォーマンスを見せて勝ちにいきたい」
 
全日本男子バレーの植田監督の言葉。コトバババ。バレー界まで。いつから世界バレーとアイドルグループがセットになったんだ。ということじゃなくてパフォーマンスって言葉が市民権を得ているのだ。気に入らねぇなぁ。気に入らねぇなぁとぼやきながら、布団の上でグズグズしだした御ハナのオムツを瞬時に交換する最高のパフォーマンス。
 
2006年11月09日(木)  ミルクメモリアル。
 
妻の産後検診の日。今日は妻の検診だけで御ハナの検診はないので二人でお留守番。御ハナよろしくねーと、朝早く妻は出掛けてしまった。
 
僕は乳を出すことができないので、妻が不在中に御ハナがおっぱいを欲しがった時はミルクを作ることにした。って初めてミルクを作るようなことを書いたけど、御ハナは母乳オンリーで、今日みたいに妻だけ不在ということはなかったので、実際初めてミルクを作り、飲ませるのだ。
 
まぁ飲ませるにしても出掛ける直前に授乳してたので次の授乳までまだ時間はある。とりあえず眠ろうぜ。と、御ハナを腹に乗せ二人で就寝。1時間ほどしてクスンクスン泣き始めたので、オムツを替えてさぁもうひと眠りしようぜと腹に乗せてもなかなか眠ろうとしない。腹の上で必死な顔して僕の顔のところまで這い登ろうとしている。こうなるともうダメだ。はいはいおっぱいですねーと、僕の鼻を御ハナの口に近付けるとアラ不思議。御ハナは僕の鼻を乳首と思いこんでフハフハしゃぶろうとするのはほんの数秒で、これが乳首じゃないと気付くや否や、「うぇ〜っ」と顔を歪めて、また騙されたァァァァ! と、泣き始める。
 
ごめんねごめんねと言いながらベッドに号泣する御ハナを残し、湯を沸かしてミルクを準備する。御ハナが初めてミルクを飲む日。妻はそんなメモリアルを写メに撮って送ってくれればよかったのにと悔やんでいた。今思うとそうすればよかったなぁと思うけど、その時はちゃんとミルクを飲んでくれるか心配で写メどころではなかった。
 
難なく100ccのミルクを飲み、さぁこれでウトウトするぞと思いきや、御ハナは初めての飲み物を飲んだためか、やけに目を輝かせて、腹の上に乗せても元気いっぱいに首を上げたり腕を振りまわしたりしている。どうしたんですかー。しかしどうしてそんなに可愛いのですかー。と、御ハナに話し掛けると、またこのオヤジは当然のことばかり言ってるわ。まぁいいわ。私もミルク飲んですることなくなったからオヤジの相手でもしてみようかちら。という風に、僕の目をじっと見て僕の話を聞いている。
 
といっても会話は一方通行なので、じきに話し掛けることもなくなってミルクやってすることもなくなったからテレビでも見るかと、御ハナを腹に乗せたままテレビを見ようとすると、腹の上の御ハナはシクシク泣き始めて、やがて「もっとあたちに話し掛けてぇ! もっとあたちを褒めてぇ!」と、大泣きを始める。再び御ハナを抱きかかえて、「あら、このお召し物可愛らしいですねぇ。まあフリルまでついて。アカチャンホンポで1980円くらいで買ったんざますかー」と、必死に御ハナをなだめる。
 
そんなことを繰り返しながら、午後3時くらいに妻帰宅。
 
「ただいまぁ。大変だったでしょ」大変だった。御ハナほとんど寝なかった。離れると泣き始めるのでずっと腹の上に乗せていた。妻はこういう生活を毎日送っているんだ。妻を強く抱きしめてご苦労様。毎日ご苦労様と百回言いたい気分だったけど、早速御ハナが泣いているので3回言ってベッドに戻る。
 
2006年11月08日(水)  御ハナにお鼻。
 
御ハナおっぱい欲しがって、今日もエンエン泣いている。しかしママは料理を作ったり掃除をしたり風呂に入ったりしなくてはいけないので、御ハナがおっぱい欲しい時、すぐに授乳できない場合もある。
 
そんな時はしょうがないので僕の鼻を御ハナの口に近付ける。するとアラ不思議。御ハナは僕の鼻を乳首と思いこんでフハフハしゃぶろうとするのはほんの数秒で、これが乳首じゃないと気付くや否や、「うぇ〜っ」と顔を歪めて、ウワァァァァン騙されたぁぁぁ! と、絶望感いっぱいの表情で泣き始める。あ、あぁ、ごめんごめん。これおっぱいじゃなかったね。ごめんごめん。と、言いながら再び鼻を近付けると、涙を溜めながら必死な目をして再び僕の鼻をフハフハしながらしゃぶり始めて、数秒後、もうあたち何も信じなぁぁぁぁい! という感じで泣き始める。
 
そんなことを繰り返して、ようやく授乳の準備ができた妻に御ハナを渡すと、御ハナは本物の乳首を前にしても、警戒心いっぱいに吸っては離し吸っては離しを繰り返すので、「こんなに小さいのに、この子は猜疑の心を持ってしまったわ」と、妻に怒られる始末。御ハナちゃんゴメンねぇと、授乳中の御ハナのおでこにキスをすると、おっぱい中に邪魔ちないでぇぇぇ! と、僕の顔を手で払いのけようとする。何をしても可愛いったらありゃしないぜ。
 
2006年11月07日(火)  1050!
 
納豆にごま油と塩をかけて食うと美味しいってテレビで言ってたと、妻が納豆を買ってきて、早速ごま油と塩をかけて食べてみましょうと夕食。
 
僕はもう徐々に頭が固くなっていくような年齢なので、今さら新しい味に挑戦しようなんて気はないよ。だいいち納豆に醤油にからし混ぜて葱まいて食えば十分美味いじゃないか。それでいいよそれで。そんなの誰がテレビで言ってたの? ウェンツ? あのバレー好きでもなさそうなのに精一杯応援してるウェンツ? いやだなぁ。モヤッとだなぁ。あー、あーあー、いいよいいよ醤油とからしで。あー、あーあー、かけちゃった。油と塩かけて美味いはずなかろうもん。しかしまぁ君に免じて。ウェンツには免じないけどね。いただきます。
 
ってウメーーーーー!! ウメーよこれ! 1050! なんつったかって? イーワコレだよ! テストに出るぞって言ってんじゃんCMでもこみちが。出るわけないのに。しかしすげぇウメー! ごま油と塩でダブル定額ライトだよ! 予想外だよ! もうごま油と塩以外では納豆食えねぇよ! 納豆ポータビリティだよ! まぁ食ってみな食ってみな一口だけでも食ってみな! と、妻から教えてもらったのに先に食ってしまった僕が全力で妻に納豆を勧めている。妻は「はいはい」と、ちびまる子のお母さんのような優しい困った笑みを浮かべて静かに塩ごま油納豆を食べている。
 
「主婦の情報をなめちゃダメよ」勝ち誇ったように妻は言う。妊娠して御ハナを産んで、妻はすごく柔らかい表情をするようになった。職場で一緒に働いてた頃は、時々神経が張りつめたような顔をしてたのに。君は同僚でもなく彼女でもなく、妻になり母になった。穏やかで優しい顔になった。僕に得体の知れない納豆を勧めて幸せを与えてくれるようになった。ありがとう。ありがとう。オフコースおかわり。
 
2006年11月06日(月)  僕は馬鹿でみんな馬鹿だった。
 
年末に高校の同窓会があり、誰からか僕の携帯番号を聞いた級友がたびたび電話をよこすようになった。人によっては十年振りくらいに会話する友人もいて、懐かしくて楽しくて、十年も会わなかったら会話も続かないんじゃないかと思うけど、いくらでも話し続けられることに驚いたりしている。今日は一緒に飲んでいるらしい友人達から十数年振りに電話があった。
 
「今みんなで飲んでんだよ」「あ、じゃあ今から行くよ」「お前どこいるの?」「東京」「じゃあ明け方には着くな」
 
と、つい先日話をしたように馬鹿な話ができる。そして「お前は馬鹿だ。本当に馬鹿だ。今度会ったらいっぱい語ろう。しかしお前は相変わらず馬鹿だ」と、馬鹿だ馬鹿だと言われてるうちに懐かしさが込み上げてきて、今すぐ田舎に帰って皆で酒を飲みたい気分になった。
 
というのは、大人になってから人から馬鹿だと言われることが無くなって、いくら馬鹿なことを言っても「面白いねぇ」と言われるくらいで、いくら馬鹿なことを書いても「こいつは馬鹿だ」とは言われない。大人になってからできた友人に「馬鹿だ」と言われるまで仲が良くなるのは難しいと思う。どれだけ近付いてもどこかに一線を引いているような。それは相手が引いているのかもしれないし、僕が引いているのかもしれない。
 
でも高校の友人達は、ほとんどが高校で付き合いが止まり、付き合いがあるとしても1年か数ヶ月に1回会う程度なので、馬鹿ばかりしていた僕はいつまでも馬鹿で、馬鹿だと言っていた友人は今でも馬鹿だと言う。何年経っても何十年経っても、僕達はあの頃の僕達なのだ。
 
東京に住んで身を削るように仕事をしても、遠い田舎では僕のことを「馬鹿だ」と言ってくれる友達がいる。たったそれだけなんだけど、それが、ものすごく心強いような気がした。
 
2006年11月05日(日)  お宮参り。
 
御ハナの1ヶ月検診の後、近所の神社にお宮参り。お宮参りとは、赤ちゃんが無事に産まれた感謝と穏やかな成長を願う大切な行事で、一般的に男の子は生後31、32日目、女の子は32、33日目がよいとされているって知らなかったでしょう。僕は全然知らなかった。だいたい独身の頃は、こういう行事なんてものに興味があるわけでも誰が教えてくれるってわけでもない。子供が産まれてから周りの人が「そろそろお宮参りだね」っつって、「お宮参りって何ですか?」っつう具合に僕は何も知らない。
 
だから周りの人が「そろそろ祝い配りだね」っつって、「祝い配りって何ですか?」って訊ねて、「人は一人では生きていけないという意味で、周りの人、例えば職場の人とか近所の人に、1万円ずつ配るのよ」って言われたら僕は疑いもせずにこれからもお世話になりますっつって周りの人に1万円ずつ配るわけがない。そこまで馬鹿じゃないけど僕は何も知らない。家に帰って「そろそろお宮参りだねぇ」と、僕が知った風な顔して妻に言うと、「そうねぇ、今度の休みに行かなくちゃねぇ」と、妻は知っている様子。だのに言わない。僕だけ知らない。
 
というわけでお宮参り。だいたいお宮参りっつったって神社行って何をすればいいのかわからない。受付のような所に行って、「お、お宮参り、し、したいんですけど……」と、おどおどした口調になってしまったのは、百貨店行って受付にわざわざ「買い物したいんですけど」と言うような馬鹿らしいことなのではないかと思ったためで、「勝手に賽銭投げてパンパン手ぇ合わせて祈りなさいよ」と、受付の人に言われたらものすごく恥ずかしい。しかし訊ねなければ何をしてよいのかわからないので訊ねようと思った。何も恥ずかしいことではない。頑張れ俺。と、自分に言い聞かせながら受付に行くと、「じゃあこれ書いて下さい」と、1枚の紙切れを渡された。
 
子供の名前と住所の記入の他、玉串料という項目があって、神様に納めるお金を幾ら入れたか、五千円、一万円、(  )万円と、チェックする欄がある。うわぁ。こういうのって気持ちの問題じゃないのか。それじゃあなんだ。幾ら入れたかによって神様の扱いも違ってくるのか。と、後日職場の人に訊ねると、実際、若干扱いが違ってくるらしい。世知辛い世の中だなぁ。地獄の沙汰も金次第なのだなぁ。
 
記入を終えると、神社の中に連れてってもらえて、神主さんにお払いをしてもらった。十分くらいで終わった。十分一万円。一分千円。三十秒で五百円。十五秒で二百五十円かぁ。ご、五秒で五十円だぜ! と、境内を歩きながら妻に言ったら、「やめなさいよ。罰が当たるわよ」と妻にたしなめられた。御ハナは珍しく終始おとなしかった。
 
「今日はお宮参りでしたー。御ハナさんはずっとおとなしくておりこうさんでしたー。ママは今日は化粧をしてまーす」なんて言いながらビデオカメラ片手に境内の長い道を歩いて帰った。
 
2006年11月04日(土)  ごめんひと間違い。でも大変そうですね。
 
覚えていますか? 以前、同じ職場に勤務していた洋子です。8年も前の話ですから、もう忘れてしまっているかもしれませんが。。。退社されてからも仲が良かったと、同僚の伊藤さんから話は聞いていたのでこのアドレスを教えてもらいました。悩んだ結果、こうして8年間の想いをメールすることにしました。
 
実は、私はずっと雄二さんの事が好きでした。でも、私は結婚していましたし、そんな中途半端な状況で告白するのはかえって雄二さんを困惑させてしまうと思って。。。
 
何故、急にメールをしたのかと言うと、先月離婚しました。伊藤さんには以前から相談には乗ってもらっていたのですが主人の暴力と、浮気に8年間悩みつづけていました。
 
雄二さんが「体調悪いの? 大丈夫?」って声を掛けてくれるだけで私は家の事を忘れる事が出来ました。雄二さんの真っ直な気持ちと、些細な心使い、素朴な雰囲気が好きでした。主人から目を背ける為に不倫を続けるような汚れた私では雄二さんに気持ちを伝える事自体が迷惑なんだろうなって思い今まで気持ちを押さえてきました。
 
でも、離婚をして雄二さんの様な優しい人なら心から真剣に愛せるかなって。離婚した今ですから、心の底から真剣に愛せると思います。私の事、忘れていなかったら。。。私の真剣な気持ちが伝わっているなら、連絡を下さい。私は今でも、以前と同じマンションの501に住んでいます。私の携帯番号はご存知無いと思うので、お返事頂けたら教えます。
 
時間がある時でかまいませんから、お返事下さい。本心は1秒でも早く返事が欲しいのですが。。。それでは、お返事心よりお待ちしておりますね。 洋子
 
……。
 
本文長ぇよ洋子。8年前はまだ看護学生だよ。同僚に伊藤なんていねぇよ。そもそも俺雄二じゃねぇよ。と、ツッコミどころ満載の出会い系誘導系の長文メールが届いたので日記のネタにしますけれども、こんなたびたび誤字が存在して文法的に妙な文章でひっかかる奴がいるのか。だいたい雄二宛てのメールという、明らかに人まちがいのメールに返信する奴なんているのか。
 
きっといるんだろうなァ。という仮説を裏付けるものとして、洋子は「主人から目を背ける為に不倫を続けるような汚れた」人である。返信する奴はそこにつけこんで、うひゃ。もしかしたら優しい言葉の一つや二つ掛けとけば不倫できるかもしれんね。と、思うかもしれない。しかしそこまで腹黒い奴はだいたいこんなメールに引っ掛かるわけがないと思う。
 
長文であれば胡散臭さが解消されるとでも思ってるのであろうか。こんなんドラマのあらすじのようなことを書いてるのはどうせ恋愛経験の乏しいバイトの学生風情だと思うが、8年越しの恋、夫の暴力、浮気、不倫という罪、離婚。これだけ素材が揃っておいてこんな稚拙な文章。唐突な展開。許さんぞ俺は。だいたい暴力だの不倫だの離婚だのってのは、実際経験してみないと相手の心を打つことはできないのだ。こんな文章、ただの記号でしかない。頑張れ。こんな文章で時給貰ってるんだったら、曲がりなりにもプロなんだからもっと頑張れ。そして洋子ももっとまっとうに生きろ。
 
2006年11月03日(金)  言い訳。
 
夜勤明け午前5時。尿器で患者さんのオシッコを採って、さぁトイレに捨てに行こうとした瞬間、尿器がベッド柵に当たり、僕の白衣のズボンがびしょ濡れになった。
 
「あぁ、小便でズボンがずぶ濡れになってしまった」
 
まだ薄暗い病棟の廊下を、半ば放心しながらガニ股で歩いてる僕を見て、ヘルパーさんが「どうしたの?」って駆け寄ってきて、「うわぁ」と後ずさった。
 
「パンツまで、ずぶ濡れだ」
 
独り言のように呟いて、フラフラとガニ股で通り過ぎていく僕を、ヘルパーさんが「どこ行くんですか?」と引き止めた。放心してただただどこまでも歩き続けようと思っていたのである。
 
「早く着替えてきた方がいいですよ」
「でもパンツが」
 
パンツがない。替えの白衣はいくらでもあるが、替えのパンツなんて持ってきてない。午前5時。患者さんの起床時間まであと1時間ある。コンビニにパンツ買いに行こう。
 
とりあえず白衣のズボンだけ着替え、朝靄かかるコンビニへガニ股で向かい、ガニ股でパンツを探し、ガニ股でLLサイズのトランクスしか売ってない。背に腹は変えられぬ。この下半身全体を支配する不快感から抜け出せると思えば、LLサイズだって構わない。ブカブカのパンツを履いて滞りなく夜勤の仕事を追えて、家に帰って洗濯カゴを持った妻は言った。
 
「昨日出掛けた時と帰ってきた時のパンツが違うわね」
 
患者さんの小便がかかったという言い訳が通じるかどうか。
 
2006年11月02日(木)  なんてったって僕だから。
 
もしもピアノが弾けたなら、もしもギターが弾けたならって思うだろう。人はないものねだりを繰り返すもので、現状に満足しないことが向上心に繋がることもあれば、欲求不満に陥ることもある。
 
今の病院に就職して丸3年経った。真面目に働いた。やることはやった。新しい資格も取った。損得勘定考えなかった。そろそろ新天地を考えてもいいんじゃないかと思うようになった。でも上からの引き止めは必死だろうと思う。そして僕はその引き止めにいとも簡単に屈するだろうと予想もできる。夜勤の日、あるヘルパーさんはこう言った。
 
「自分の人生なんだから。極端な話、今の職場が老後の面倒まで見てくれるわけじゃないでしょ。守られてるのは職場の中だけ。上の人がいくら偉いからって、人の人生を引き止める権利なんてあるわけないんだから。自分のことは自分が決めたらいいんだよ」
 
その言葉を聞いて、なんだかスッキリした。もし僕と同じような考えの人がいて、同じような悩みを打ち明けられたら、僕も同じようなことを言うと思う。でも、言うことと言われることは全く違うのだ。スッキリした。あースッキリした。来年の頭を目処に、僕は新天地を探すことにした。
 
もしもピアノが弾けたなら、もしもギターが弾けたならって思うだろう。別に悪いことをしてるわけでもなし、自分の人生なんだから。妻には心配掛けさせると思うけど、まぁこの点は大丈夫。なんてったって僕だから。
 
2006年11月01日(水)  ハナの下、腹の上。
 
最近の御ハナは、あの大人の布団以上の値段で購入したベビー布団13点セットで全く眠らなくなった。おっぱいあげてウトウトしても布団に寝かせた瞬間に体をモゾモゾ動かして数秒もしないうちに泣き始める。で、どうしたのーどうしたのーと抱きかかえると、腕の中で再びウトウトしはじめる。
 
赤ちゃんは背中の神経が敏感なので、布団に仰向けで寝かせるとすぐに反応してしまうと、妻がどこぞかの雑誌かウェブで収集してきた情報を教えてくれて、なるほどねー、それじゃあ寝ないはずだ。腕の中だとぐっすりなんだけど、それはそれで僕らがしんどいしね。困ったものだ。ああ困ったものだなぁ。と、心持ち大きな声で話しているのは、赤子は寝ている時も脳内で音を感じ取っているらしいというNHKの番組を見たという看護婦さんの話を根拠にしており、もしこの話を聞いているのであれば、パパもママもわたちのために苦労ちてるのね。たまにはあの冷たい布団で寝てみようかちら。と、御ハナが感じ、親孝行の素直な子になるかもしれんと再び布団に戻すとワァァァンと泣き出す。
 
しかしお腹の上だとぐっすり眠る。最近の御ハナはおっぱい欲しい時や失禁した時以外は、僕か妻の腹の上に腹這いになってぐうぐう寝ている。ちょっと布団に寝かせると瞬く間に泣き始めるくせに、腹の上にいる時は、僕が喋っても笑っても咳しても、時々頭の位置を替える以外は微塵も動かない。幸せそうに、僕や妻の心臓の音に耳を澄ますように静かに寝息を立てているのである。
 
というわけで御ハナが腹の上で寝るということは、常に僕が妻の行動が制限されているということで、御ハナを腹の上から降ろすと決まって泣き出してしまうので、御ハナが僕の腹の上で熟睡していて妻が買い物などで家を外す時は、手が届く範囲に小説や新聞、リモコンなどを設置しないと僕は何もできなくなるのである。
 
だけど何もできなくても、腹の上の我が子の寝顔を見るだけで、ただそれだけで幸せなのである。
 

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