2006年10月31日(火)  表現力ブラッシュアップバトン。
 
mixiの「【詩】を書く人。」というコミュニティに表記のバトンが紹介されてたので詩人でもないのに詩集を出版した僕も書きます。
 
以下の語を、自由な発想で修飾して下さい。
 
1.空
青けりゃ青いで 最近雨が と 言うくせに
 
2.感情
涙が出るから 悲しいの 
それじゃあ どうして涙は出るの
あなたがいるから 出るのです
 
3.景色
前見たときと ちょっと違う
海は黒くは ならないよ
君の瞳が 濁っただけさ
 
4.孤独
雨の日に 部屋の隅 体育座り
ぢっと手を見る ああ きっとこれが 運命線だ
 
5.記憶
目を閉じて 手繰り寄せると いつも決まって
でっちあげの ノンフィクション
 
6.恋心
成就するかは 神次第
勝負するかは 君次第
 
以上。素敵なポエムの世界でした。
 
2006年10月30日(月)  東京紙コップ。
 
最近は、家にいるともう我が子が可愛くて可愛くて御ハナに終日ベッタリしている始末なので、愛情を育むという点ではとても良いことなのだが、日記を書くという点では喜ばしいことではない。ここは心を鬼にして日記を4日分まとめ書きするまで隣の部屋に閉じこもるぞ。じゃあ御ハナをよろしく。と、颯爽と隣の部屋に向かい、パソコンの前に座った瞬間、隣の部屋からオンギャァオンギャァと聞こえると、その3秒後には「どうしたんでちゅかー? オムツでちゅかー?」と、御ハナを抱き上げている始末で一向に日記が進まない。というわけで最近は、近所の喫茶店にちっこいパソコンを持ってってコーヒー飲みながら日記をまとめ書きしている。この日記だってそう。
 
で、この喫茶店はドトールとかそういう類のチェーン店っぽい喫茶店なのだが、いっつもこの店でコーヒーを注文すると、テイクアウト用の紙コップに入れて渡される。おかしいなぁと思いながらテーブルについて周囲を見渡すと、みんなちゃんとしたコーヒーカップに入ったコーヒーを飲んでいる。自分だけ紙コップ。なんでよ。なんでテイクアウト用の紙コップの蓋の飲み口はこんな小さくて飲みにくいのよ。僕猫舌なんだし。いっつも小さな飲み口からおっかなびっくりすするように飲まなきゃいけないのよ。しかも僕だけ。
 
もしかして会計の際、「店内で飲みます」と宣言しなくてはいけないのだろうか。まさかねー。と思いながら、テーブルから会計あたりを凝視するのだけど、来る客全てがテイクアウトせずに店内でコーヒーを飲んでいる。しかも「店内で飲みます」なんて宣言する者はない。そして皆コーヒーカップ。
 
なんなんだこの紙コップは。しかも紙コップにはスプーンがつかないから、砂糖とミルクを入れても沈殿してものすごく不味い。なにこの格差社会。もしかして僕が知らない都会ルールみたいなものがあるのか? みたいな、上京した時に度々感じていたような焦燥感に襲われながら、店内の端で小さくなって紙コップ持って日記を書いてる今。
 
2006年10月29日(日)  僕の頭の中のスイッチ。
 
時々仕事で、そんなこといきなり言われても無理ですよー。と、いうようなこと。例えば今からスタッフ全員集めてミーティングしろとか、会議の議長してレポートまとめろとか、この資料をA4用紙10枚程度でまとめろとか、そういう唐突な仕事をよく頼まれる。またそういう仕事を期待通りにこなしてしまうのが僕の駄目なところであって、自分で自分の首を締めているというか、要領が悪いというか、結局忙しいのは僕だけになってしまい、不公平だなァ。実に不公平だなァ。と、仕事帰り自転車をこぎながら夕陽を眺めて呟くのである。
 
なんというか、スイッチがある。僕の頭のどこかにスイッチがある。そのような理不尽な仕事を要求された時は、そのスイッチをオンにするのではなく、オフにするのである。何かのスイッチを切る。実際、そのスイッチを切ることによって仕事がはかどるのである。
 
僕はこのスイッチの正体は一体何なんだろうとずっと考えていた。何かを切っていることは確かなのだが何を切っているのだろう。で、仕事帰り自転車こいで夕陽を眺めながら気付いた。あのスイッチの正体は「私情」だったのだと。
 
「私情」のスイッチを切ると、不平や不満など一切考えなくなり、仕事の内容だけに集中できるのだ。実際、ミーティングの時も、会議の議長のときも、資料をまとめているときも、どこかロボットのようなのだ。ただ目の前に起こっている事象を、機械的にやり過ごしていく。何を言われても、何をされても、淡々と仕事をこなしていく。
 
よし。自覚できた。あのスイッチは「私情」のスイッチだったのだ。で、職場を出て夕陽を眺めてたらスイッチがオンになって不公平だなァ。実に不公平だなァ。とぼやくようになるだ。なるほどねー。うまい具合にできてんじゃねぇか俺。職場で不平不満の一つも言わず、家に帰ってから妻に今日の仕事の辛さを切々と話すのは、家では「私情」がオンになっているからだ。
 
まぁ何にしろ、仕事に私情をはさんじゃぁいけない。僕はそう思っているのであります。自分の身が削られるとしてもね。
 
2006年10月28日(土)  小さな記念日。
 
ベッドに座って膝を立てて、御ハナを膝にもたれ掛けさせて、「こんばんはー御ハナちゃーん。パパですよー。パパパンパパンパパパですよー。パパとは父親のことですよー。あ、父親の意味がわからんのか。父親とはパパのことですよー。パパの意味もわからんのか。パパは僕のことでありまーす。パパパンパパンパパンパァスゥ。ブワブワブワァ。御ハナさん今日も可愛いねぇー。コロコロコロー。ブワァプップー」と、いつものように可愛さの余り自我を失い、顔を左右に揺らしながら会話が支離滅裂になっていると、御ハナが、
 
追視した。
 
つ、つ、追視した! と、妻に向かって叫ぶと、突然の大声に驚いた御ハナは体をビクンと動かし、妻は「今手が離せないのぉ〜」と、夕飯を作っている。仕方なく一人でしか喜びを味わえなくなった僕は、何度も首を左右に揺らし、それに合わせて視点を動かす御ハナに感激しながら、成長してる。明らかにこの赤子は成長してるぞ。動くものを目で追ってるぞ。つい先日までは白目ばっか剥いて不気味な流し目をしておったのに。日を追うごとに人間らしくなってきてるぞ。
 
しかしあれだ。新生児の追視って生後3〜4ヶ月だったって看護学校で習ったような。でもまぁいいではないか。発達は早いに越したことはない。来週にはもう首が座って来月は小学1年生だー。ウワァァ。ブルブルブルゥ。グワグワグワァ。御ハナー。大好きだよー。だけどやっぱりママが好きー。御ハナも好きー。ミャーミャードゥゥゥン。
 
という具合に、御ハナの成長が早い分、僕が退化していると、キッチンから妻が呟いた。
 
2006年10月27日(金)  妻の魔法。
 
もう僕が食事を作ることはなくなって、毎晩妻が夕食を作ってくれるのだが、愛とか恋とかのろけとかそういうものを抜きにしても妻の作る料理は上手い。料理は満点だよ一級品。家計は厳しく産休貧。御ハナはウンコだ三級品。と、一休さんの替え歌をうたいながら御ハナのオムツを替えていると、「お待たせしましたぁ」と、妻が食卓に色採々の食事を並べる。
 
手をすり合わせて「あぁ〜。あぁ〜。な、む、さ、ん、だぁ〜」と言いながらいただきますをする僕に憐憫を込めた視線を投げ掛けながら、妻は御ハナを抱っこして僕が美味ぇ美味ぇ言いながら飯を貪り食う姿を聖母マリアみたいな笑みを浮かべて眺めているのである。
 
と、ここで箸が止まり、あれ? という感じで妻を見て、なに? という感じで妻が首を傾げ、なんでもないと再び箸を動かしながら気が付いたのだが、妻は僕に「今日何食べたい?」という質問を全くしない。何気にこれはすごいことだ。
 
というのも僕が食事を作っていた時代は、毎日のように朝から「今日何食べたい?」という質問をして、朝食後のお腹いっぱいの妻に煙たがられていたのだが、「何でもいいよ」と答えられてものすごく残念な気持ちになっていた。何かしら一品でもおかずを指定してくれれば、今日はマーボー豆腐作ればいいんだ。だって妻が食べたいって言ったから。と、その日一日気が軽くなっていたものだが、妻はそういう質問を一切せずに、毎晩美味い飯を拵えてくれるのである。神とか事業主とかそういうでかいものに感謝するより、この感謝の思い全てを妻に捧げたいと思う。
 
そんなある日、妻の家計簿をチラと見ると、メモ欄にぎっしりと料理のレシピが書いてあった。僕は妻は生来料理が得意なものだと思っていて、いつも魔法でも使うかのようにあっという間に夕食を作っているのだと思っていたのだが、この手書きのレシピを見て、隠された努力を見て、「だって私、こんな毎日料理をすることってなかったんだもん」と、恥ずかしそうに視線を逸らす妻を見て、御ハナと二人して涙をボロボロ流しながらオムツを取り替える毎日はすごく幸せだ。
 
2006年10月26日(木)  古今無双の頑固者。
 
昼休みに看護婦さん達と、うちの病棟で誰が一番気が強いかとか小心者かとか仕事熱心かとか不真面目かとか、職場の昼休みにありがちな会話をしていたら、誰が一番頑固者かという話になったときに、満場一致で僕が頑固者だということになり驚いた。
 
「主任はね、私達がいろんな提案をしても、表向きはそうですねー、その通りですねー、そうした方がいいですねーなんてヘラヘラ笑いながら耳を傾けてるけど、自分の意に背く提案は頑として採り入れようとしないのよ」
 
と、一人の看護婦さんが言って、「そ、そんなことないですよ」と狼狽しながら否定しようとする前に「そうそうそう」と、他の看護婦さん多数の同意を得てしまって、僕は古今無双の頑固者ということになってしまった。しかも「九州男児だからねぇ」と誤ったイメージがそれを一層強固なものに。
 
自分の欠点は他人に言われて初めて気付くことが多いのだが、頑固者という自分とかけ離れたところにあると思っていたものが、自分そのものだったということは、なかなか新鮮な感覚で、へへ。オレは古今無双の頑固者だ。誰の意見も耳は貸さぬ。豪陰愚舞上威だ。昼休みを30分延長させて欲しい? 許さん。夜勤明けの朝の検温を日勤者の仕事にして欲しい? ならぬ。入浴介助を当番制にして欲しい? 却下。へへ。オレは誇り高き孤高の主任、道を開けろ道を開けろー。と、昼休みに婦長に呼ばれて病棟の廊下を全力で疾走しながら。
 
2006年10月25日(水)  物乞リアン。
 
最近、自分の中の秘めたる能力「物乞い」について自覚しはじめてきて、日記でも度々物乞いエピソードを書くようになったが、別に物を乞いているわけではないので「物乞い」という表記は不適切ではないかという指摘が厚生労働省からあったので、何か別の表現方法を考えているのだけど、これといったネーミングが思い浮かばない。何かこうグッとくるネーミングが思い浮かんだら教えて欲しい。と、妻に言ったのだけど、「はぁい。今日さ、帰りオムツ買ってきてね」と、ネーミングに関しては考える気が全くないとみてよしとの見解。僕が。
 
今日の午前中、婦長さんにおにぎりを貰った。いつものことなのだが、僕が物を貰うことにあまり理由が存在しない。それはいつも唐突に起こるのだ。起きるのだ。
 
「い、いや。いいですよ。もうすぐ昼休みだし」
「いいのよいいのよ。今日コンビニで買ってきたんだから」
 
と、理由にならないことを言われて、僕はコンビニのおにぎりを一個貰った。現にもうすぐ昼休みで、僕は病院食堂で昼飯を食うのである。で、実際食ったのである。おにぎりは帰って嫁にでも食わそうと、ロッカーのバッグの中に入れた。そんなことがあったその日の午後、あるヘルパーさんに呼び止められた。
 
「主任さん、今日お昼食べなかったの?」
「え? 食べましたよ。食堂で。なんで?」
「婦長さんがね、主任におにぎりあげたから私のお昼ご飯なくなっちゃったって、ヘルパーさん一人一人に何か食べるものない? って聞いてまわってたのよ」
 
それを聞いてからというもの、その日の午後は「一体オレはどうすればいいんだ」という困惑の表情を浮かべながら仕事を遂行した。仕事上、いちばん婦長さんの近くにいるのだが、婦長さんは今日の昼飯のことなど一言も言わない。まるで意味がわからない。事の顛末を婦長さんから聞いたわけではないので、「どうもおにぎり貰っちゃってすみませんでした」という詫びの言葉すら言えない。ただただ胸が締めつけられるように苦しくて切なくて、意味がわからなかった。
 
2006年10月24日(火)  ハードル跳んで。
 
妻は静かな人である。似たような仕事柄なのか、感情を前面に出すことがない。価値観という目に見えぬものが計れるのなら、おそらくそれは限りなく近いものであろう。しかし笑いのツボは若干違う。僕はバラエティなど見て終始ケラケラ笑っているような笑いのハードルがものすごく低い人間であるが、妻の笑いに対する姿勢はシビアで、なぁにが面白いんだかという表情でテレビを眺め、面白い時も声を出さずにニヤッと笑うのである。
 
「声を出して笑いなさいよ」と、終始ケラケラしている僕は妻に言うけど、妻は「あれ? 私笑ってましたか?」という風に、自らの笑いへのハードルの高さを誇示し、私を笑わせてこそキング・オブ・コメディなのよと、座ったような目をしてテレビを見ているのである。
 
しかし、笑いに対してシビアなのは、テレビに対してだけであって、2人してベッドで横になっている時に、いかに僕がドジでマヌケな人間かということを、様々なエピソードを交えて話すときは、私の亭主はなんてドジでマヌケな人間なんでしょう。可哀想でならない。と、憐憫を交えて涙を流してヒィヒィ言いながら、笑い死にするんじゃなかろうかと思うほど笑い転げるのである。
 
そして御ハナはそんな二人の姿を、なぁにが面白いんだかという表情で、座った目をして眺めているのである。
 
2006年10月23日(月)  謎ばかり。
 
産後1ヶ月経っていない妻は、日中をおおむね安静に過ごさなければいけないので、オムツ、お尻拭き、沐浴剤等のベビー用品の買い物は僕が行っている。オムツってすぐなくなるし結構重い。あっという間に僕は、近所のドラッグストアの常連客になってしまった。
 
ドラッグストアは自宅から歩いて5分なので、おしゃれをするわけでもなく、休日などはヒゲを剃るわけでもなく、ジーパン履いてジャケット羽織って帽子かぶって、じゃあ行ってくるっつって授乳中の妻に言って、帰ってくると妻はまだ授乳しているというぐらい近くにあってパパ大助かり。
 
そんなドラッグストア、来店何度目からか忘れたが、オムツを買うたびにレジのお姉さんがやたら試供品をくれるようになった。育児は何かと肩がこるでしょうと、バンテリン等の塗り薬。沐浴剤、粉ミルクなど、育児に関するものはまぁ理解できるが、最近は歯磨き粉、シャンプー、トリートメント、サプリメント等、育児とは関係ないものまでもらう始末で、ここでもまた生来身に付いている謎のスキル「物乞い」が発動。僕は物憂げな不幸顔でもしてるのか知らんと、首を傾げながら自宅へ戻る毎日。
 
先日、サランラップが切れたので同じドラッグストアに赴き、サランラップとT字カミソリを購入したが、その時は何の試供品も貰えなかった。育児に関連した商品を買ったときだけ貰えるのか、もしそうだったとしたらどういった理由でそうなっているのか。謎は深まるばかり。僕の周りはほんとどうでもいい謎ばかり。
 
2006年10月22日(日)  バサラフィーバー。
 
本日、久々にゲームソフトを購入した。それまでは今さら感いっぱいのドラクエ7をプレイしていて、あまりのストーリーの長さと、ちょっと何かをしようとすればアレが必要だ。あそこの洞窟にあるんだけど。あとアレさえあれば事態を打破できるんだが。でもアレはあそこの塔にあるんだけど。と、そんなおつかいモード全開な展開に辟易し、数年前の購入時は遂にリタイアしたのだが、御ハナが生まれるちょっと前、中古で500円くらいで売っていたので購入し、プレイ時間100時間という、お前ほんとに育児してんのかと疑われそうな時間を費やし、先日遂にクリア。これで歴代のドラクエは全てクリアしたことになるという、30代にしてどうでもいい満足感を抱きながら、ゲームショップに赴き、本日「戦国BASARA2」というプレステ2のゲームソフトを購入した。
 
僕の独身時代全盛期を思わせるような頃に購入した前作、「戦国BASARA」には何かと思い入れがあり、飽きたらすぐにソフトを売ったり義弟にあげたりする僕も、前作「戦国BASARA」だけは未だに部屋の本棚に並んでいる。この「戦国BASARA」への思い入れだけじゃなく、この頃を取り巻く全てに思い入れがあったのだ。
 
あの頃の時間の象徴が、この「戦国BASARA」なのである。どんだけ格好つけて書いても所詮はゲームの話。ゲームを取り巻く時代の話。
 
2006年10月21日(土)  仏・頂・面!
 
生後2週間の御ハナの意志表示は泣くことによって伝えられるというようなそうじゃないようなことを先日の日記で書いたが、泣く以外の意志表示を今日妻に教えてもらって、たいてい御ハナの新ジョブ所得の第一発見者は妻であり、少し悔しいところであるが、オッパイもういらないということを御ハナは下唇を突き出して意志表示するのである。
 
この下唇を出す表情がまたなんというか憮然としているというか、読んで字の如く、仏・頂・面! という感じで、日頃何をしても可愛い可愛いと御ハナをベタ褒めしている僕も、この表情だけは、うーん……キミは女の子だろう。そんな顔をしてはダメだ。もっと赤子らしい可愛い顔をしなければ。と、話し掛けながら、下唇をちょんちょんと触ると、乳いらんゆうとるがなー! という感じで更に下唇を突き出す。
 
しかしこうやって少しずつ意志表示の手段を獲得するということは本当に素晴らしいことだ。こういう小さな幸せを次々に感じることができるかと思うと、育児もなかなか楽しいものである。
 
2006年10月20日(金)  同じ釜の飯食った?
 
mixiでたまたま高校の同級生を見つけて、彼は来年行う同窓会の準備をしていてとても忙しいんだ。一人所在がわかってよかったよと言った。具体的にどういう準備をしているのかと問うと、mixiで同級生を探していると言う。で、同級生は見つかったのかと問うと、お前が見つかったと言う。
 
僕が見つかったっつうか僕がお前を見つけたんじゃないかと言うと、結果は同じだと言う。で、僕の他に誰か見つかったのかと問うと、お前が初めてだと言う。呆れた。右も左も国民全mixiというわけではないので、mixiだけでは限界があると思うと言うと、それじゃあGREEも考えてみると言う。
 
いやそういう問題じゃなくてネットだけでは限界があるということだよと言うと、お前は今どこにいるんだと言う。東京にいると言うと、東京に同級生はいないのかと言う。いるかも知らんが地元にはもっといるんじゃないかと言うと、それが意外といないんだと言う。どうしてだと問うと、卒業アルバムを紛失したからだと言う。
 
それ関係ないじゃんと言うと、俺も関係ないと思うと言う。まぁ誰かと連絡取れたらそっちに連絡するよと言うと、俺も連絡取れたらお前に電話すると言う。僕を幹事に巻き込もうとするなと言うと、俺も巻き込まれたクチだからと言う。話すたびに事態は複雑さを増していく。同窓会、ほんとにあるんだろうか。
 
2006年10月19日(木)  飾りじゃないのよ涙は。
 
御ハナはまだ生後2週間なので、当然、言語を獲得していない。「あーうー」とか「えーうー」なんて言葉すらまだ出せない。大抵声を出す時は泣いている時という具合で、全く意志の疎通を図ることができない。
 
まぁ泣いている時は、失恋したとか仕事で疲れたとかそういう煩雑なものではなく、乳飲みたいか糞漏らしたかのどっちかなので、それらの要求に対し、適切な処置を行うことができるが、時々、乳でも糞でもないのにエンエン泣き続ける時があり、御ハナは一体何を望み、何を訴えようとしているのかわからずに夫婦して狼狽することがある。
 
そういう時は、だっこしてリビングをウロウロしたり、窓を開けて外を見せたり、音楽をかけたりしながら、「僕はどうすればいいんですか。何をすればいいんですか。何を望んでいるのですかー」と、情けない声で話し掛け続ける。それでも泣き止まぬ時は妻にタッチ。僕はウワーンと泣き叫んでベッドに身を投げる。妻は「どうしたのー。なにしたのー。どこいくのー。あれするのー」と、意味がわからないことを話し続け、それでも泣き止まぬ時は再度僕にタッチ。妻はクスンとベッドに横になる。
 
そんなことを繰り返していると、ピタッと泣き声が治まり、御ハナを見ると、私泣いてなんかいないわよ。そもそも私生まれてから泣いたことなんてないわよ。私は泣いたことがない。私泣いたりするのは違うと感じてたー。飾りじゃないのよ涙は、ウワァァァァン!! と、また泣き始めたりする。一体何なんだ……。呆然自失の夫婦をよそに、今日も御ハナはマイペースで泣き続ける。
 
2006年10月18日(水)  妻ブログ。
 
「私もブログ書いてみようっかなぁ」
 
なかなか日記が進まない僕に業を煮やしてか、妻がぼそっと呟いた。
 
「書いてみな書いてみな。えっとね、あの日記はね、ロリポップっつう有料のレンタルサーバー使ってるんだけどね、月刊男心はプロバイダの無料ブログサービス使ってんのね。今ブログサービスはいっぱいあってね、初心者にはココログとかアメブロがいいかもしれんね。使ったことないけど。育児日記限定で書くんだったら、育児サイトの日記サービスを使うのも手かも知れんね。同時に情報交換もできるしね。いいかもしれんねいいかもしれんね」
 
と、僕が興奮すると決まって冷めた表情を浮かべる妻は、「ただ言ってみただけ」という台詞を言うことさえも疲れたという感じで、「ああそうなの。ふぅん。はい。はいはい」と、僕の会話の半分も聞いていない。しかし妻のブログ。メチャクチャ興味ある。妻の書く文章を、純粋に読んでみたい。
 
妻は同じ職場で働いていたという経験上、ものすごく頭がキレて、妻と結婚生活を送っている経験上、時々突拍子もないことを言う。頭のキレと思考の意外性。これが上手くミックスされればとても魅力的な文章が書けるのではないか。と、ハードルを上げるようなことを書くと、余計書く気が失せると思うが、育児に余裕ができた時に、いつか、こんな毎日書かなければいかんという強迫観念に支配されたような日記ではなく、感じたときに感じたことをさらっと書けるような育児日記が書けるといいね。初心者にはココログとかアメブロがいいかもしれんね。育児サイトの日記サービスを使うのも手かもしれんね。今はアフェリエイトで小遣い稼ぎもできるかもしれんね。あ、あ、やっぱテンプレートが豊富なとこがいいよね。君は御洒落だからデザインが再優先かもしれん。それじゃあどこがいいだろうなぁ。うーん。と、また興奮してきて妻は僕の会話をシャットアウトし育児に熱中。
 
2006年10月17日(火)  育児一代男。

「ねぇ、日記書いた?」
 
妻もこの日記をものすごく楽しみにしている一人であって、日記書いたも何も、仕事帰ってから寝るまで御ハナにつきっきりで日記書く暇なんてないことは妻が一番知ってそうなことだが、書いてないと言うと、「そう……」と、初めて知ったことのように落胆の表情を浮かべるので、頑張って日記を書かなければ。と、奮起して深夜0時。隣の部屋に行ってパソコンを起動させて、さぁて書き始めるぞと、キーボードを叩こうとすると、隣の部屋からオンギャァオンギャァと聞こえて、あ、あ、あ、オムツ替えなければいかん。御ハナが排泄後の不快感に依って啼泣を始めておるぞ。
 
と、隣の部屋に戻りオムツを交換して御ハナを抱きかかえ、未だ泣き止まぬ御ハナをあやしていても一向に泣き止まぬ。泣き止まぬどころか口を河豚のようにパクパクさせておる。
 
乳が出すことのできない僕は、御ハナが生まれてから度々感じる慢性的な挫折感に陥りながら、「すいませぇん。オッパイおば。オッパイおばくださぁい」と、漸く眠りについた妻を起こし、「わかりましたぁ」とゴソゴソ起きて授乳の準備を始める。「準備できましたぁ」と、座椅子に座り、定位置にクッションなどを準備した妻に御ハナを渡し、「じゃあ僕は日記を書いてくるよ」と、どこの妻に「日記を書いてくるよ」という亭主がいるのかわからんが、とにかく隣の部屋に戻り、パソコンを前にしてさぁ書くぞとふと時計を見るともう午前1時。今度は僕が寝る時間である。
 
そういう生活の繰り返しで、日記を書く時間など皆無。しかし妻は、深夜暗い部屋で御ハナにおっぱいをあげながら僕の日記を携帯で読んで、日記を通して、眠っている僕と会話しようとしているのである。その妻の気持ちに応えるためにも日記を書かなければ。今しか感じられない気持ちを、言葉で綴っていかなければ。
 
2006年10月16日(月)  新生児快楽。
 
御ハナはいくら泣き喚いていても、風呂に浸けた瞬間びっくりしたような顔をして、やがてこれ以上ないというような気持ちよさそうな顔をする。これは何なんだ。新生児快楽とでもいうのか。
 
と、新生児微笑のショックが抜けない僕は、今日もベビーバスに浸り恍惚の表情を浮かべる御ハナに、「気持ちいいんだよね。気持ちいいから気持ちいい顔をしてるんだよね」と、ウザい会話を繰り返している。
 
頭を洗うと猿のような顔をして、腹を洗うと両手を伸ばしてしがみつこうとする。背中を洗うと驚いた顔をして、足の裏を洗うとビクンと両足を突っぱねる。いくら仕事で疲れててもこの沐浴の時間は、僕の体のどこかにストックされていた沐浴をするという体力が顔を出し、至福の時間を作り上げる。子供ができるということは本当に素晴らしいことですね。
 
と、ベビーバスに浸かる御ハナに話し掛けても素っ頓狂な顔をしているだけだが、同じことを妻に訊ねると「そうですねそうですね。沐浴はぬるめの温度で短時間ね」と、ニコニコしながらも、油断するといつまでも沐浴を続けようとする僕にハラハラしている様子。
 
2006年10月15日(日)  御ハナが笑った。
 
昨夜、自分の腹の上で御ハナを寝かせつけていたら、目を閉じたまま「ニコッ」と笑ったので、大声でキッチンにいた妻を呼んで「御ハナが笑った御ハナが笑った!」と、クララが立った級の感動と興奮に包まれていると、「ああ、それはね、新生児微笑と言うのよ」と妻。その笑みは楽しいから笑っているのではなく、本能的なもので筋肉が緩んで笑っているように見えるだけなのだという。
 
「楽しかったり嬉しかったりでちゃんと笑うのは3ヶ月過ぎてからで、それを社会的微笑っていうのよ」
 
興醒めしました。御ハナの不意の笑みのメカニズムが解明されたからではなく、赤子には本能に基づいた「新生児微笑」なるものが存在すると解明した学者に対して興醒めしました。
 
真実を追求したが故のロマンの喪失。真理に到達したが故のセンスの没落。何が本能だ。何が筋肉が緩むだ。今、こうやって腹の上で、我が子が幸せそうな笑みを浮かべている。これで充分じゃないか。生後数日で目もろくに見えないのになぜ笑うのか? この疑問に着眼し、メカニズムを解明しようとしたことは立派なことだ。しかし結果はただ筋肉が緩んでいるだけであった。この残酷な真実を目の前にして、学者は何を思ったのであろう。僕が学者だったら、その真実をそっと自分の胸の中にしまい、永遠に公表することはないだろう。
 
「僕はそんなこと信じないよ。御ハナはね、居心地が良い僕のお中の上で楽しい夢を見てるから笑ってるんだよ。新生児微笑に関しては、僕は聞かなかったことにする。あぁ御ハナがまた笑っているよ。御ハナは本当に可愛いなぁ。どんな夢を見てるんだろうなぁ」
 
これが俗にいう、親馬鹿の代表的な症状、「うちの子に限って」である。
 
2006年10月14日(土)  深夜小さな灯りをつけて。
 
「とにかく可愛くて忙しくて、ゲームしようなんて気は起きないっすよ」と、僕より先に父親になった義弟の弁。御ハナが我が家に来て4日経ったが、それはもうあっという間で、あれだけ慣れ親しんできたプレステすらその存在を忘れてしまい、この日記の更新さえおろそかになっている始末。
 
常時起動していたパソコンも電源が入ることなく、6時半頃仕事から帰ってきて夕食の支度をして、7時過ぎに夕食を摂って、8時から御ハナの沐浴をして、それから自分もシャワーを浴びて、はぁーっと一息つくともう夜の9時。それから新聞を読んで、授乳が終わった後、御ハナを抱えてゲップをさせたり、オムツを替えたりしていると、妻も僕も御ハナもウトウト。夜10時に就寝という、独身生活ではありえない生活リズムの中で日々を送っている。
 
僕が眠ってからも妻は1時間おきに授乳しなければいけないので、妻の心労は察するに余りある。仕事で疲れている体では、妻へのフォローにも限界があり、深夜に御ハナが泣き始めても、「あぁ、オムツ替えなければいかんなぁ。しかし今起きると明日の仕事に差し支えるかもしれんしなぁ。でも妻が可愛そうだしなぁ。でもうまい具合に体が動かんしなぁ。こうやって物事を考えることができても体は寝てるんだろうなぁ。あぁごめんなさい。僕はこのまま寝ます」と、深夜にぼんやりと考えて、浅い眠りを繰り返しているのだが、そんな僕をよそに妻は不平一つ言わず、小声で御ハナに話し掛けながら長い夜を過ごしているのである。
 
育児に夜泣きは避けては通れない道。来年の今頃はこんな時もあったねぇと笑っているかもしれない。だけどこの一生懸命な毎日をちゃんと記録に残すことも、僕の重要な役割だと心して、育児日記はこれからも続きます。
 
2006年10月13日(金)  一つの幸せのために。
 
昨日職場復帰したのだが、医者、看護師、薬剤師、栄養士、掃除のおばちゃんなどなど、あらゆる医療従事者が僕とすれ違うたびに、「生まれたの!? 女の子? 男の子? 何キロ?」と、同様の質問を浴びせかけられるので、テープレコダーに「生まれました女の子です名前はハナです2776グラムです可愛いです」と吹き込んで、移動販売者のようにスピーカーを頭につけて歩こうかしらと思うくらい、ほんと皆さん祝福してくれてありがとうございます。
 
妻も妊娠前は同じ職場で働いていたせいか、今回の出産は病院行事のようなものになっており、またうちの病院は、僕の母親と同年代の看護婦さんも多く、我が子の孫ができたような気持ちと、不平不満を言わない穏便なキャラと、どこか頼りなさげな気の弱い主任というキャラが、全てプラスの方向に働いて、東京の職場らしからぬアットホームな雰囲気が形成できているのかと思うと、御ハナの力は本当に計り知れないものがあるなぁと感じることしきり。
 
話したこともない看護婦さんや、一体何の職種なのかわからないおばさんまで「おめでとう」と言ってくれるので、こんな幸せなことはない。しかも僕に生来身に付いている謎のスキル「物乞い」が、乞いているわけではないが今回も如何なく発揮され、洋服からぬいぐるみまで、いろんなお祝いもいただいて、家に帰ると、「今日は○○さんにこれとー、○○さんにこれー。あと、これとこれは○病棟の婦長さんから。あ、うちの婦長さんからはなぜかお米ももらったよ。新米だってさ」と、報告する間、妻は「あらー、そう、あららー、まあ、あららー」なんて困ったような幸せそうな笑みを浮かべている。
 
ベビー布団の上では、祝福される当事者が何も知らずにバンザイの格好をして眠っている。「眠っているね」「眠っているわ」そんな何でもない会話にも、幸せがにじみ出る。1時間おきに授乳している妻の目の下にはうっすらクマが浮かんでいる。立ってるだけじゃ幸せはやってこない。今日も僕は職場で気弱に笑い、妻は静かに授乳する。それぞれの時間を、一つの幸せの為に、精一杯頑張っている。
 
2006年10月12日(木)  ミクロ・ハナヒップ。
  
オムツ交換。御ハナったら毎日のように仕事で拝見しているお尻の100分の1のサイズだぜ。愛すべきミクロヒップ。左手で両足上げて、右手でちょちょいと尻拭くだけだぜ。まだ匂いもしないし。ウンコ出たらすぐに俺を呼ぶがいい。このプロオムツ交換師に任せるがいい!
 
と、別にプロのオムツ交換師ではないけれど、看護師はプロのオムツ交換師のようなものなので、通常ならば少なからず抵抗があるオムツ交換も僕は何の抵抗もなく遂行し、僕が看護師になったのは、きっと御ハナの面倒を見るためだったのだと、最近御ハナ中心で地球が周っているせいか、そんなことばかり考えている。
 
同時に便の性状まで仔細に観察してしまうのは看護師のサガであって、今日も黄色だ良好良好。ちょっと緑だまぁいっか。白い便は胆道閉鎖症の可能性で、黒とか赤は消化器の出血を考える、と、看護師の国家試験勉強で得た知識をそのまま育児に生かしているあたり、人生に無駄なものなど一つもない。僕が見た景色、得た知識、感じた音色は、全て御ハナに注がれるのだ。父親になるってことは素晴らしい。昼も夜も1時間おきに授乳している妻はもっとすごい。本当にすごい。どう頑張っても妻には遠く及ばない。
 
部屋の座椅子に座り、静かに授乳している妻の後ろ姿を眺めながら、頑張れママー。頼もしいぞママー。愛してるぞママー。と、ウンチのついたオムツをくるくるたたみながら精一杯の心からのメッセージを送っている。
 
2006年10月11日(水)  そういうのこれから。
 
我が家で3人の生活が始まるということは、今日から毎日御ハナの沐浴も始めなければいけないということである。不安である。ドキドキである。と、思わないところが看護師の強みであって、看護学校の実習で、産婦人科実習を経験したことのある僕は言わずもがな男であって、今はどうかわからないが当時、男の実習生は産婦人科の病室に入ることは許されず、じゃあどこで実習したのかというと、一日中新生児室で、ミルクをあげたりオムツを替えたり、沐浴をしたりしてたのである。しかも1ヶ月近く毎日。
 
よって僕は子育ては初めてだけど、新生児の子守りは初めてではない。毎日毎日あの薄暗い閉鎖的な空間でちっこいベビーバスで沐浴をしていた日々。新生児室の窓から、女性の実習生を眺めながら、俺も病室もとい、自由に動ける場所に行きてぇよぉと新生児と共に泣いていた日々。おっかない助産師に沐浴の手技を叩きこまれた日々。あの経験は無駄ではなかった。ほら、あの実習の翌日のように、僕の腕は指は、ベビーバスの中の新生児を自由に操ることができるよ。
 
御ハナを優しく抱いて、ゆっくりとベビーバスに浸らせる。不安一杯の顔が、安心感に満ちたようなうっとりとしたような表情に変わり、御ハナが我が家に来て以来度々感じる食ってしまいたい衝動を必死に押さえる。頭を洗うと目を閉じて口をおちょぼ口にして猿みたいな表情をしてまた食ってしまいたい衝動。胸を洗うと大きく口を開けて食ってしまいたい。尻を洗うと目を丸くして食ってしまいたい。
 
とにかく食ってしまいたい衝動を押さえながら、フカフカのタオルに移して洋服を着る前にキスの嵐。妻、終始苦笑い。御ハナは僕がキスをすると、これ以上ないというくらい不快な表情をするので涙が出そうなくらい残念な気持ち。そういうのこれから毎日続く。
 
2006年10月10日(火)  家族の生活。
 
御ハナ退院の日! これは何と形容すればいいのだろう。大事な来客があるような、付き合ったばかりの彼女が初めて自分の部屋にくるような、そういうのに似ていて全然違うような感じ。今まで存在しなかった人間が、我が家に訪れ、用が済んだら帰ることなく、この部屋にずっと住むことになる。そんな経験今までない。何しよう。何からしよう。と、朝からソワソワ。
 
朝7時に起床して、部屋の空気を入れ替えて、丹念に部屋の掃除をして、御ハナの布団を準備する。この布団は乳児用13点セットと、少々値段が張るものを購入したがため、あっても3点セット程度の布団しか使用したことのない僕は、13点セットなんて数の布団やシーツを、どこにどのようにセッティングすればよいのかわからず、完璧にセットしたと思っても用途不明のシーツが4点くらい余ったりして一体どうすりゃいいんだ。御ハナが我が家にやってくるというのに。
 
午前9時半。しなくてもいい御洒落をして家を出て、午前10時病院到着。妻、御ハナ共にもう退院の準備は終えており、御ハナは、バスローブのような病衣ではなく、白いフリルのついたお姫様のような洋服を着ている。袖や裾から手も足も見えない。またそれが可愛くて10回シャッター音。
 
そして妻は、妊娠初期用のスリムなパンツを履いている。つ、妻の腹がスリムになっとうぞ! と、方言ライクに興奮してしまったのは、スリムな妻を見るのは実に久し振りで、だいたい僕らは付き合ってすぐ妊娠してしまって、爾来、妻の腹は膨れる一方で、腹のでかい妻を見ている方が長かったのだ。そんな妻が、スリムパンツを履いてスリムウォークをしながら僕に近付いてくる。こちらもこちらで愛らしい。
 
どうもお世話になりました。ナースステーションで挨拶をして、ヒゲの僕とスリムな妻と、純白のおくるみに包まれた御ハナ。僕と妻だけの生活は「夫婦」という感じだったけど、3人になって僕たちは「家族」になった。家に帰ると、綺麗な部屋と、13点−4点の新品の布団が待っている。
 
今日から始まる。今日から3人家族の生活が始まる。
 
2006年10月09日(月)  父子同室。
 
御ハナが誕生してから、妻が産院を退院する日まで休日をもらったので、午前中は掃除や洗濯をして、午後から電車、バスと乗り継いで産院に行っている。妻が入院している産院は母子同室性なので、赤子が新生児室にいるのは初日だけで、あとは妻のベッドの横に小さな車輪がついた小さなベッドが置いてあり、小さなベッドには愛しの小さな御ハナが寝ているのである。
 
「御ハナさぁん。おはよぉ〜」と、父親らしからぬ心細い声で我が子を抱きかかえ、「ちょっと行ってくる」と、小さなベッドを押して、病棟のデイ・ルームに出掛ける。で、デイ・ルームで何をするかというと別段何もしない。「御ハナさ〜ん、御ハナさ〜ん」と、鼻の下を伸ばして写メを撮ってるか、ビデオカメラ片手にホッペをつついてるくらいである。出産後6日間も連休をもらい、こんなことばかりしていては、休日を許可したうちの婦長さんも泣きたい気分であろう。
 
しかしこれには意味があって、この病院は母子同室性。母子が同じ部屋で1日中一緒に過ごすのである。僕が看護学生の頃の実習病院では母子分離性で、新生児は退院するまで新生児室で過ごしていた。どちらにしろメリット・デメリットが存在する。前者は母性の確立や母子の信頼関係の形成に大きな効果があり、後者は産婦の疲労回復に適している。
 
妻は我が子が生まれた次の日からすぐに育児が始まるのであり、出産できない身で考えてもこれはものすごく疲れることである。よって僕が病院にいる時は母子分離、それは同時に父子同室となるのであってメリット増大。妻も病室でゆっくりと休むことができて、僕と御ハナとの信頼関係も早期に築けるのであってもうメリットだらけ。
 
でも御ハナが泣き始めると、母乳を出すことができない僕は「ちきしょう。ちきしょう。乳さえ出れば」と思いながら、「御ハナさんおっぱいお願いしまぁす」と、また情けない声を出しながら妻が眠る病室に戻るのである。
 
2006年10月08日(日)  本当にこれからも。
 
御ハナが誕生した日の日記に、多数の祝福のコメントを寄せて戴き、本当にありがとうございました。
 
この日記は、この日記の性質上、コメントを返せないのですがということを説明したいのですが、この日記は、書いてる人は僕一人なんだけど、その日の内容や気分によって文章のタッチが必ずしも一定ではなく、まぁ言ってみればバラバラなタッチの日記に「コメントを返す僕」という一定したキャラの僕が存在するのは、少し不自然じゃないかという思いがあり、日記にはコメントをしていないのですが、コメントは毎回読んでおります。携帯でも読んでおります。夫婦して読んでおります。
 
「ややちゃんもブログを通して、多くの方々に祝福されて幸せですね♪」
「パパの日記を読んでいる皆も、ややちゃんが生まれてくるのをずーっと楽しみに待っていたんだよ! と、伝えてください☆彡」
 
今回の日記で、本当にいろんな人から祝福されているんだなぁと感極まり、妻は入院中であり、一人酒、手酌酒、演歌を聞きながら涙して全てのコメントを何十回と読み返しました。
 
愛だの恋だのと現を抜かしていた日記から、初婚年齢は男性が29.6歳、女性が27.8歳と、平均的な結婚生活、そして合計特殊出生率が1.289の世の中の、平凡な育児日記に変貌を遂げていきますが、愛であれ恋であれ結婚であれ育児であれ仕事であれ、この日記は、愛にも恋にも結婚にも育児にも仕事にも興味がない人も、全て楽しめるような文章を書いていくという隠れテーマが存在します。
 
結婚に興味を持てとか、育児に希望を持てとか、そういう押し付けがましいことはこれからも書きません。ただ、僕の生活の、僕が感じたことをそのまま書いていきます。多数のコメント、本当にありがとうございました。
 
2006年10月07日(土)  始めまして御ハナです。
 
ややちゃんはこの世に誕生してからハナちゃんと呼ばれることになりました。
 
漢字二文字でハナちゃん。漢字表記も書きたいところだけど、「お父さんは歪っていう別の名前使ってるけど、なんで私だけ本名なのよ」と、ハナちゃんの反抗期あたりに言われたら返す言葉がないので、漢字表記は避けて「ハナ」、実際の生活では我が子を「おハナさん」と呼んでいるのですが、この日記では「御ハナ(おんはな)」と呼ぶことにします。皆さんどう宜しくお願いします。
 
なぜ御ハナかというと、「御」の意味として、まず名詞に付き、尊敬の意を表します。あと、丁寧に、または上品に表現しようとする気持ちを表します。
 
他に「御」という字は、昔から女性の名に付いて、尊敬、親しみの意を表すときに用いられる言葉でもあります。御ハナ。ちょー可愛い。僕は今まで何十人、何百人と赤ちゃんを見てきたけど、こんな可愛い赤ちゃんを見るのは初めてで御座います。と、生後2日目にして親馬鹿絶頂期を迎えていますが、親馬鹿論云々の前に、この子は本当に綺麗な顔をしている。
 
今日、病院にお見舞いにきた婦長さんが、「なんて綺麗な顔をしてるの! 私仕事帰りだけど汚くないからね。綺麗だからね」と言って、妻と僕の次に御ハナを抱いたのはグランドファザーでもマザーでもなく、婦長さんであった。その次に抱いたのは、「主任は優しすぎるから、時々損をするのよ」が口癖の看護婦さんであった。
 
こうやって、いろんな人に祝福されて、御ハナは育っていく。妻は母親となって僕は父親となった。御ハナが祝福されると、僕たちも幸せな気分になる。これからきっと辛いことだってあるだろうけど、これだけ幸せな貯金ができたら、決して不幸の負債は生じないだろうと思う。
 
2006年10月06日(金)  僕ではない僕。
 
我が子は夕方、新生児室に帰り、我が妻は病室で身体を休め、僕はタクシーで家に戻り、一人ベランダで煙草を吸っている。外はしとしとと雨が降り、長袖Tシャツだけでは寒いほど冷え込んでいる。
 
こうやって一人でベランダに座っていると、まだ子供が生まれたと実感することができない。こうやって一人で部屋にたたずんでいると、結婚したことすら実感できないのだ。
 
冷凍庫を開けると、「鶏肉のクリームシチュー」「肉じゃが」「野菜カレー(ゴーヤも入ってるヨ!)」と、マジックで記入された手作りの冷凍パウチが入っている。一人の部屋に地を這うような電子レンジの音だけが鳴り響く。新聞を広げ、鶏肉のクリームシチューを食べる。
 
食後、ベランダに出て、再び煙草に火をつける。夕食の前より雨脚は強くなっている。
 
最初の煙をゆっくりと吐いた瞬間、昨日生まれたばかりの我が子の顔が浮かんできて、突然涙が込みあげて止まらなくなった。
 
あの子は昨日、昨日の朝、たった数十時間前に生まれたばかりなのだ。何も知らずに腹の中で大きくなり、何が何だかわからないまま、ある朝突然、この世の光を浴びたのだ。誰の子でもない、僕たちの子が、この部屋ではない、遠くの病院で、遠くの病院の新生児室で、何も知らずに、何もわからずに、静かに眠っているのだ。
 
僕の子だ。妻の子だ。僕ではない僕だ。妻ではない妻だ。
 
そう考えると、愛しくて愛しくて、それと同時に重くて大きな責任感が、この雨のように、静かに長いあいだ僕の心に降り注ぎ、いよいよ僕の涙は止まらなくなる。
 
祖父でもない祖母でもない。父でもない母でもない。兄でも姉でも弟でも妹でもない。一昨日までこの世に存在しなかった者が、今までよりも強靭な関係性を持って、圧倒的な光を放って、僕たちの目の前に現れたのだ。
 
僕ではない僕。妻ではない妻。ずっと大切にしよう。雨降り注ぐベランダで、黒い空に煙草の煙を吐いて、煙草もこの1本で、最後にしよう。と、誓ったのは嘘だけど。
 
2006年10月05日(木)  ファーストキッス。
 
「いつもはこんな道、走んないんだけどねぇ、今日は特別走っております!」
 
知らねえよ。と、タクシーの運転手に冷静に突っ込みたくなる午前0時。出産という人生のメモリアルに於いて少しでも貢献したいという感じのタクシー運転手が、深夜の大都会を縦横無尽に走り回る。これ、遠回りじゃないんだろうか……と、心配しつつ妻を見るともう痛みでそれどころではない。とにかく手を休めずに私の腰を撫でてくれとジェスチャーしている。声が出せないほど痛いのだ。
 
「背中にバッグでも置いてスペースを作れば、腰、さすりやすくなるよ!」
 
お願いだから運転に集中してくれ……。そう願いながら妻の腰をさすり続ける。午前0時30分、病院に到着。「頑張ってね! 領収書、いるかい!」どっちでもいいっす……。妻を介抱しながら受付し、分娩室へ直行。既に子宮口が7センチ開いているという。
 
腰を撫でる、尻を押さえる、うちわで扇ぐ。この3つの行動を助産師、助産師学校の学生、そして看護師の僕が交互に行う。陣痛はもう3分間隔で来ている。陣痛の合間に水分補給させたり、腰をさする部分を再確認したり、額を拭いたりとこれぞ夫婦の一体感!
 
よく分娩のドキュメント番組で、立会いの夫が妻の手を握り締めて励ますという場面があり、僕もそれを真似してみようと思い、陣痛が襲ってきたと同時に妻の手を握り、頑張れとエールを送ろうと思ったが、思いのほか妻の握力が強く、痛みに耐えるその握力は想像を絶するものがあり、僕の指に妻の爪が食い込み、指がちぎれそうな思いがしてものすごく痛かったので、次の陣痛では妻の手にかぶせるように自分の手を当てると作戦をシフトチェンジしながら、頑張れ頑張れ、陣痛の度にややちゃんが近付いてくるんだよもうすぐ会えるんだよと励ましているうちに破水。
 
時計を見ると午前3時。陣痛が始まった時、あれだけ眠かった僕の眠気は、あのハイテンションな運転手が運転するタクシーに置いてきた。今はただ妻を、生まれくる我が子を全力で愛するのみ。汗びっしょりの妻の鼻に自分の鼻をつけて、もうすぐだから、もうすぐだからね。
 
「頭、出てきたよ!」
 
助産師の言葉に反応する気力はもう妻には残っていない。ただいきむ時は全力でいきんで、休む時には全力で休む。頭、出てきたよって言うけど、実際どうなんだろうと覗いてみると、本当に頭が、ややちゃんの頭が出てきている。
 
ややちゃん。そう呼び始めたのはいつの日だったからだろうか。この10ヶ月、本当にいろんなことがあった。妊娠、婚約、結婚、新婚旅行に結婚式。ややちゃんの頭を眺めながら、人生のドラマが凝縮されたこの1年が次々に甦る。ややちゃん、本当にありがとう。君のお陰で僕たちはこんなに幸せになれたよ。そしてこれからは、もっともっと幸せな家庭を築くんだ。ややちゃん、ややちゃん、早く出ておいで。パパだよ。いつもお腹越しにお話していたパパだよ。
 
顔が、出てきた。「顔が、出てきた!」今度は助産師より先に妻に叫ぶ。涙が込み上げる。ややちゃん、頑張れ、ママ、頑張れ、あともう少し……!!
 
午前4時15分。2776グラムのややちゃんが、大きな泣き声と共に、この世界に生まれました。ややちゃん、はじめまして。
 
午前4時20分。生まれて5分後に、ややちゃんのファーストキッスは、パパに奪われました。
 
2006年10月04日(水)  39週4日目。
 
「ねぇ、おしるし……きたよ」
 
おしるしとは陣痛が起きたときに発生する少量の出血のことであると解説交えて午後8時。トイレから帰ってきた妻が言う。予定日まであと3日だったが、遂にこの日がやってきた。今日は1日腰が痛いような重いようなって言ってたから、万が一の為に早めにお風呂入って、いつもより1時間早くゲームをしていたぜ。遂にこの日がやってきた。落ち着け落ち着け。えっと、えっと、何すればいいんだっけ。
 
と、まず落ち着くことを心掛けながら、デジカメ、ビデオカメラの充電を始めるあたり思い切り動揺している。つうか明日夜勤だよ。夜勤交代してもらわなくちゃと婦長さんに電話。婦長さんからアドバイスをもらう。8時半、もうこの時点で20分間隔で陣痛が起きている。陣痛の程度もまだ不規則だし、病院に電話してもまだ来院しなくてもいいという。
 
午後9時。母親に電話。就寝中。看護婦の妹に電話。看護師としての心構え、母親としての心意気をアドバイス。美容師の妹に電話。就寝中。ベランダで煙草1本。あ、携帯の充電しとかなきゃ。陣痛の合間にヨーグルトを食べたいという妻に、冷蔵庫からヨーグルトを出す。自分で買っといたくせに、あんまり美味しくないと言う。今度はオレンジが食べたいというので、オレンジの皮を剥き始めながら妻を見ると、陣痛の波に襲われており、腰を押さえてウゥウゥ言っている。
 
午後10時。室内にクラシック音楽をかける。陣痛の間隔を計測しているメモ帳を見ると、もうこの時点で10分間隔になっている。この陣痛の間隔、携帯電話の時計で計測していたが、腕時計をつければいいということをこの時点でようやく気付く。
 
「大変だぁ。これは大変だぁ。大変なことになるぞぉ。痛いぞぉ。きっとすごく痛いぞぉ」
 
妻は腰を押さえながら独り言のように呟いている。大変も何もこれからお産が始まるのである。「ねぇねぇ、陣痛ってどんな感じ? どんな痛み? ちょっとわかりやすく例えてみて」と、僕が妻の立場だったらひっぱたいているような質問を、好奇心に任せて訊ねてみる。
 
「外傷的な痛みじゃなくて、内から響く痛みだから、なんとも例えようがないわ」と、律義に答えてくれるところが妻の愛すべきところであって、僕の憎むべきところは、現在午後11時。眠たくて仕方ないというところである。
 
というのも、今日は午前中仕事で、午後から仕事の関係の葬儀に参列して、夕方からは葬儀の後、参列者が集う貸切のレストランのウェイターをするという、相変わらず意味のわからないことをやっており、疲労困憊だったのだ。
 
陣痛が襲ってきたら妻の腰をさすり、陣痛が遠のいたら陣痛の時間のメモを取り、うたた寝する。背中さする、メモ、うたた寝、さする、メモ、うたた寝、そんなことを繰り返しているうちに、どんどん陣痛の感覚が短くなる。さぁそろそろ病院行こう。タクシーを呼んで、事前に準備してあった入院セットを抱え、陣痛と戦う妻に、もうすぐややちゃんに会えるよ。頑張ってね。と、励ましながら午前0時。僕らは病院に向かったのでした。
 
2006年10月03日(火)  あと4日。
 
予定日まであと4日。といっても生活自体は特に変化なく、毎晩ウォーキングをしては甘い物食べて、風呂上がりにはちゃんとマッサージして、お腹なんてこれ以上大きくならないんじゃないかと思うほど前面に突き出ている。これ大丈夫だろうか。破裂するのではなかろうか。
 
「破裂するのではなかろうか」腹に向かって話し掛けると、腕だか足だか知らないが、妻の腹が局所的に盛り上がる。羊水包んだ羊膜が、ややちゃんのこういった衝動的行動によって破裂、破水して分娩が急激に始まるのではないか。おっかないぜ。あまりややちゃんを刺激しないほうがいいのかもしれんね。
 
生まれてから思い切り遊ぼうね。ディズニーランド行ってさ、ミッキーマウスにミニーマウス、ドナルドダッグにクマのプーさんの中の人たちの時給合わせても足りないくらいお金使ってさ、いらんものばっかり買ってこの浪費癖! なんてママに怒られようね。パパは職場でも家庭でも怒られ慣れしてるから、浪費に関しては全てパパが責任を負うからね。帰りに薄いお肉を揚げたビッグカツ食べながら帰ろうね。
 
2006年10月02日(月)  僕のライバル。
 
鹿児島の実家に、僕と妻が台湾の写真館で撮影したポスターのようなでかい写真が貼ってあるそうで、あまりにも韓流的な笑顔と雰囲気に僕たちは見るのも恥ずかしいのだが、母は大のお気に入りで、来客のたびにこのポスターを見せているそうである。恥ずかしくて実家に帰れない。
 
このポスターを気に入っているのは母だけではなく、下の妹の子供である1歳の甥も、ポスターに写っている妻の笑顔を見ては指をさしてニコニコしているという。指さすだけでは物足りず、ダッコしろ、ポスターに写る妻と同じ高さにしろと母親にせがむという。とてもいいことだ。あの写真を撮影した頃は確か妊娠6ヶ月。写真越しに強い母性ならびに聖母マリアみたいな美しさを感じるのかもしれんね。よかったよかった。
 
「それがね……」
 
と、電話越しの妹。どうしたんだ。あのポスターもう1枚欲しいのか。それは無理だ。あんな辱め、あの1枚だけで充分だ。だいたいポスターにするこちゃあないだろう。しかもなんか上等な紙使ってるでしょ。布みたいなやつ。アルバムとか六つ切り写真とかと一括で支払ったから値段はわからんけど、きっとすげぇ高いんだと思うよ。もう1枚だなんて無理だよ。
 
「違うの。横に写ってるお兄ちゃんの顔を見せると、すごい不機嫌になるの」
 
ななななんということだ。7月の結婚式で東京に来た時、これでもかとばかり子守りをしてやったのに、我が叔父の顔を忘れたうえに不機嫌になるとはなんたることだ。
 
「でもね、今日はお兄ちゃんのほうを指差して、私にダッコをせがむのよ」
 
ほほぅ。ようやく僕の笑顔に魅せられましたか。1歳にしては大した赤子だ。何をそんなに暗い声をしているのだ。見せればいいではないか。叔父の顔を間近で見せてあげればよいではないか。
 
「で、お兄ちゃんの顔に近付けた瞬間、江戸の敵を京都で討つみたいな顔して、お兄ちゃんの顔を思い切り引っ掻いたのよ!」
 
ムカつく。オチを言うあたりから、暗い口調から笑いを噛み殺すような口調になった妹がムカつく。甥は数十年後、ライバルになるかもしれんから気を付けなければいかんね。
 
2006年10月01日(日)  コーヒーの日。
 
今日は10月1日。10・1でコーヒーの日なんだそうだ。10と1でコー・ヒー。なるほどね。まぁよく考えたものだ。10・1。コーヒー。なんて語呂合わせのわけがなく、国際コーヒー協定によって、コーヒーの新年度が始まるのが今日だということで、毎朝職場の喫煙所で、来たるべくストレスから僕を助けてくれる缶コーヒーに感謝しつつ、生来胃腸が弱い僕は、早く自動販売機にホットの缶コーヒーが出てこないかと首を長くして待っている。
 
そんなコーヒーの日の仕事帰り、右手に缶コーヒー左手にタバコという、路上喫煙の悪い例の代表格みたいな格好で歩いていたら、後ろから走ってきた2人の女子高生の1人がわき見運転でもしてたのか、女子高生のバッグが僕と接触。バランスを崩した女子高生転倒。
 
僕はバランスを持ち直して転倒はしなかったが、転倒しなかった上に両手にタバコとコーヒーという生活習慣病予備軍の代表例のような格好をしていた僕が、世論という観点からどう考えても悪者にしかうつらず、「大丈夫? 大丈夫?」と、友人が転倒した女子高生に駆け寄っているが、被害者である僕には駆け寄ってくる人はいないばかりか、周囲は冷たい視線を容赦なく投げ掛ける。
 
職場のストレス、社会の理不尽から守ってくれる缶コーヒーを一口飲んで、飛んでったバッグを手に取り、女子高生に渡すと、外国人の綺麗な女子高生であった。倒れた自転車を立てて、コーヒーをまた一口飲む。乗客に日本人はいませんでした。そんなフレーズが頭をよぎった。
 

-->
翌日 / 目次 / 先日