2006年07月31日(月)  靴下友達。
 
「携帯に返事を貰えませんか? 会いたいです。会ってください」
 
また今日も訳のわからない迷惑メールが届く。携帯に連絡を乞いているくせに最後に出逢い系サイトをクリックさせるという稚拙な手法に引っ掛かる人なんているのだろうか。
 
「私は純粋に割り切ったSF希望です」と、この女性は僕に対してSF、いわゆるサイエンス・フィクションを希望している。意味がわからない。空想的な世界を科学的仮想に基づいて描いた物語を僕と体験したいということなのだろうか。
 
「もっと話せば会えるのか、どうすればいいのか、私も分からなくなってきました。とにかく待つだけです」これは迷惑メールを作成している本人の苦悩が無意識に反映されているのだろう。こんな下らない仕事でも仕事は仕事。大変だ大変だ。酒を飲むと皮膚病が悪化します。
 
2006年07月30日(日)  いかにもそれらしく。
 
今「ぐびなま」を飲みながら日記を書いてるんだけど、「ぐびっ」っていう擬態語を考えた人はホントすごいと思う。
 
擬態語とは事物の状態や身ぶりなどの感じを、いかにもそれらしく音声にたとえて表した語のことだが、この「いかにもそれらしく」ってところにセンスというものは潜んでいるのであって、実際こうやって「ぐびなま」を飲んでいても別に「ぐびぐび」なんて音は鳴っていない。でも「ぐびっ」という言葉を聞くと、あぁノドが鳴っているんだなぁと感じることができる。日本語ってステキ!
 
「ばらばら」とか「べらべら」あとは「のろのろ」とか「どんどん」。こんな擬態語は読んだだけでなんとなくイメージができる。いかにもそれらしく音声にたとえて表されている。
 
でも「ぺこぺこ」って何だ?
 
ぐびなまをぐびぐび飲みながら、もう夕食からだいぶ時間が経っているので、ちょっとした酒のつまみが食いたい。僕は呟いた。「あぁお腹がペコペコだ」そして僕はハッとした。擬態語についての日記を書きながら自ら発した擬態語に驚いた。これって全然ぺこぺこじゃない。少し空腹を感じているだけだ。でもいかにもそれらしくいうとぺこぺことしか言いようがない。日本語ってステキ!
 
と、考えながらぺこぺこの僕はキッチンに酒のつまみを探しに行ったが、つまみらしいつまみがなかったので、仕方なく韓国のりを1パック持って再びパソコンの前に座った。韓国のり開封した。扇風機の風で3枚飛んでった。こういうどうでもいい悲しみをいかにもそれらしく表現したいのだが。
 
2006年07月29日(土)  カイカイ病。
 
現在、だいたい月に1回くらい皮膚科に通っているのだが、虫に刺されたのでも水虫に侵されたわけでもなく、ストレスが原因で身体中のいたるところにアトピーのような湿疹ができて痒いときはえらい痒い。そして痒いときはすごいストレスを感じているときなのである。不思議だね。
 
世の中にはホントにこのような病気が存在して、例えば学校行こうとしたらお腹痛くなったり、通勤電車に乗ったら吐き気がするとかそういうやつ。ストレスとの因果関係がはっきりしているやつね。僕は本職がそういう仕事だからよく知ってるんだけどこれが心身症ってやつ。んで、僕のこのアトピーのようなカイカイも心身症なのである。ミイラ取りがミイラになっちまったやうな。
 
今日は年配の看護婦さんに現在の症状を聞かれて、「仕事が続くとえらい湿疹が増えて、休みが続くとすっかり消えたりするんです」と、嘘のような紛れもない真実を述べると、「どんな仕事をされてるんですか?」と看護婦さん。「看護師で、病棟主任をやってます。毎日婦長さんと病棟スタッフとの板ばさみで参っております」とヘラヘラしながら答えると、その看護婦さんも病棟主任の経験があるらしく、この女性世界の中間管理職のしんどさが身に染みてわかる。そしてその皮膚病の辛さも何となく理解できるという。
 
「治す方法、もちろん知ってますよね?」と看護婦さん。
「はい知ってます」と僕。
 
そう。治す方法を知っているのに僕は毎月1回、律義に薬をもらいに皮膚科を受診しているのである。
 
「それでは治す方法は?」
「主任をやめてヒラに戻るか3年くらいバカンスに出掛けることです」
「そう! その通り!」
 
話がわかる看護婦さんである。そんなの無理だと知っている。解決策が存在するのに行使できない。まあこれが現代社会の一つの側面だともいえるんだけどね。
 
2006年07月28日(金)  条件付けよう!
 
スイカを一口食べて「あー、カブトムシー」と、訳のわからない感想を述べると、妻は「塩かけて食べるからよ」と訳のわからない解釈を述べる。
 
しかしなぜスイカを食べるとカブトムシが脳裏に浮かぶのだろう。と、考えるまでもなく、幼少の頃、カブトムシにはスイカを与えていたのであって、その匂いとカブトムシが脳内で直結して変にシナプスが結合したものだから、スイカ=カブトムシという図式、心理学的にいうと条件付けが完成したのである。
 
アメリカかイギリスの心理学者の実験で、赤ちゃんに白いウサギを見せるたびに大きな音を立てて赤ちゃんを泣かせるということを続けると、赤ちゃんは白いウサギが近付いてきただけで怯えて泣き出すようになるという。
 
と、いうことはー。赤ちゃんに「パパですよー」と言いながら甘い物を与え続け、喜ばせると、いずれ「パパですよー」と言うだけで喜ぶようになるということになる。「パパですよー」→「ウキャウキャ」ほんとにこの子ってパパっ子なのねー。と、周囲から言われるようになる。ウキャウキャ。
 
2006年07月27日(木)  頭突き合戦。
 
妊娠後期になるとお腹が重くなるため、あおむけで寝るとお腹の重みで血液循環が悪くなり苦しくなるらしい。だからどうすればよいかというと横向きで眠ればいいらしく、抱き枕があるとよりベターもあベスト。
 
だからどうすればよいかというと、妻のベッドの占有率を広げればよいわけで、旦那はベッドの端で気を付けをしたような体制のまま就寝しているので最近あまりよく眠れない。ベッドから落ちてそのまま床の上で眠った方が熟睡できたりする。
 
だからそろそろ別々に寝よう。その方がお互いよりベターもあベストだと思うのだが。あと2ヶ月ちょっとだし。と、妻に提案すると、それは寂しいのでその案はもう少し先延ばしにしてほしいと涙ながらに訴えるので、僕は今夜も気を付けの体制、直立不動ならぬ直寝不動のまま就寝してジダンと頭突き合戦をするという訳のわからない悪夢にうなされたりしている。
 
しかし大きいお腹に膀胱が圧迫されて、深夜何度もトイレに起きたり、トイレじゃなくとも2〜3時間おきに目が覚める妻はもっと大変である。
 
なぜ2〜3時間おきに目が覚めるかというと、出産後、赤ちゃんに2〜3時間おきに授乳する必要があり、これと同じ生活リズムに体がなってきているからと育児本に書いてあり、ホントかよーそこまで人間の体って便利にできてんのかよーと床の上をゴロンゴロンしながら育児本を隅まで読みつつ夢の中ではジダンと頭突き。
 
2006年07月26日(水)  そんな30歳。
 
とうとう僕も30歳になってしまって、幼い頃に描いていた30歳ってもっとオジサンかと思ったってよく聞く話だけど、本当にそうであって、30歳になってもゲームとか階段3段飛びとかムシキングとか普通にやっている。ムシキングは嘘だけどムシキングで遊びたいのは本当。
 
もし男の子が生まれてきたら一緒にゲームセンター行ってムシキングしようって密かに思ってたけれど、ややちゃんは女の子なので本を読ます。読みこます。読ませおす。文学少女に育て、宮部みゆきみたいな作家にさせおます。看護婦にはさせんぞパパは。あんな大奥みたいな世界、好んで行くものではない。
 
まぁそんなこんなで30歳である。妻は26歳である。今風呂に入っている。風呂から上がったら妊娠線予防マッサージをしなくてはいけないので日記も中断である。それにしてもこの数週間で腹が一段と膨らんできました。ややちゃんも元気で暴れてる時は腹の皮がぐにゅぐにゅ動く。妻の腹越しにやめんかと言うと少し静かになる。それがまたいじらしい。
 
腹の中にいる時から、読み聞かせをした方がよいと、妻が嘘か真かわからぬ情報をどこからか仕入れてきたので、今度の休日に絵本を買いに行こうと思う。しかし何を読み聞かせようか迷っている悩んでいる。まぁとりあえず太宰治の斜陽から軽く入ろうと思うそれ絵本じゃないし。
 
2006年07月25日(火)  義弟とアキバ。
 
二人の妹のうち、上の妹は2歳児と3月に産まれたばかりの赤ちゃんがいるため、結婚式に来ることができなかった。下の妹は、旦那ともうすぐ1歳になる赤ちゃんと共に、東京にやって来た。
 
妹の旦那、義理の弟は、九州から出ることが初めてだという。飛行機に生まれて初めて乗るんだと、結婚式の前日に少し興奮した口調で電話口で話していた。手のひらに「人」の字を書いて飲み込むと飛行機酔いしないというバレバレの嘘を疑いの余地もなく信じ込むほど緊張していた。
 
初めての東京。「人が蟻のようにいて、俺たちは本当に働き蟻なんだなと実感しました」と、若干意味のわからない最初の感想を述べた義弟に、まず東京のどこに行きたいか訊ねると、「アキバに行きたいっす」と言う。
 
しかし義弟はいわゆるオタクではない。オタクっぽくもない。体重は90キロだというがデブでもない。なんというかK−1ファイターのマイティ・モーみたいな体型をしている。傍から見るとちょっとおっかないお兄さんに見える。そんな義弟がアキバに行きたいという。渋谷でも原宿でも池袋でもない秋葉原に行きたいとはこれ何ぞ。悪そな奴はだいたい友達みたいな格好して。
 
結婚式の翌日、妹と義弟、そして母とアキバに行った。妹はデジカメが欲しいと言った。母は「また電車乗るの? どのくらい乗るの?」と、埼京線の地獄絵図を味わったのかひどく怯えている。義弟はというと、アキバに着いた途端目を輝かせて走り去ってどこかに消えた。
 
僕と妹は家電量販店でデジカメを購入した。母は妹の子供と一緒に高いビルを見上げ続けていた。義弟はそれっきり帰ってこなかった。今でも元気いっぱいにアキバを走り続けているのだろう。
 
2006年07月24日(月)  母の想い。
 
母は約30年振りに東京に来たという。空港で親戚と共に現れた母を迎えた時、母はすでに目に涙を溜めていた。その涙は、息子に久し振りに会えた嬉しさなのか、こんな遠いところまで行ってしまった悲しみなのかわからなかった。
 
空港からホテルへ向かうバスの中、母はずっと窓の外の東京の景色を見つめていた。感動しているのか放心しているのか、これも僕はわからない。母は、ずっと窓の外の、ここではない景色を眺めていた。
 
バスを降り、新宿のホテルへ向かう途中、身長150センチもない母は、更に小さくなった。「今日、どっかでお祭りがあるの?」僕が東京に来て初めて抱いた感想とそっくりそのまま同じことを呟いた。
 
翌朝、僕らの新居に行きたいという母に、新宿から埼京線に乗って池袋まで行った。通勤ラッシュを目の当たりにした母は、「やっぱり今日はいい」と、弱音を吐いて僕の腕をぎゅっと握った。おでこに不安という字が浮き出てくるような顔をしていた。
 
電車の中、小さな母は東京の人波に埋もれてしまった。人を物のように扱われるこの電車は、家を一歩出ると見渡す限りの田んぼだという生活を送っている母には、刺激が強すぎたのかもしれない。
 
車内の母は、まるで絶叫マシーンの手すりを掴まえるかのように、僕の腰のベルトを、両手で強く強く握っていた。「あと何分、あと何分で着くの?」呪文のように同じ言葉ばかり繰り返した。
 
慣れない靴を履いて靴擦れを起こした母と、ベンチで休みながら、明日が結婚式だということ、なんとなく実感が沸かないということ、もうすぐ父親になるということ、なんとなく実感が沸かないということ、東京での生活はこれからもずっと続くということ、なんとなく実感が沸かないということを話した。母は、いつものように静かに相槌を打っていた。母にとってもその思いは全く同じだったのかもしれない。
 
妻と腕を組んで立っていた。厳かな曲が流れ、目の前の扉が開くと僕たちはバージンロードを歩く。ステンドグラスからは柔らかな陽光が漏れ、ウェディングドレスはまばゆい白い光を放っていた。静かに、そして決意を強要するように、目の前の扉は開かれた。
 
一番奥の席、祭壇の斜め前に立っていた母と、最初に目が合った。
 
母はもう泣いていた。母は、東京に着いた時から泣いてばかりだった。違う星のような場所に来て、大きな建物に見下ろされ、人波に揉まれ、押されて、混乱しながら翻弄されているうちに、僕らの結婚式が始まってしまった。
 
母は、とても弱い人だ。母を知る人は決してそう思わないだろう。僕は小さい頃、母の髪の毛を触っていなければ眠ることができなかった。僕もとても弱い人になった。でも、何が起きても歯を食いしばって乗り切る本当の強さを僕は母から学んだ。母は、泣き続けた。
 
本当の強さ。バージンロードをゆっくり歩きながら、歯を食いしばるたびに、涙が溢れた。
 
2006年07月23日(日)  結婚式。
 
30回目の誕生日、僕の目の前には外人の牧師が立っていて、僕の横にはウェディングドレスに包まれた妻が立っていた。
 
結婚式なんて誰を呼ぶ写真はどうする引き出物は何選ぶ花はどこに飾るだの大まかなことから細かいことまでとにかく煩雑で面倒臭いことこのうえなく、愛の誓いなんて一種のエンターテイメントで、形式通りの感動に包まれたただの催し事だなんて考えていた僕は、ある意味結婚式を軽視していた。
 
愛の誓いは毎日してるし、愛の証だってもうすぐ産まれる。次の会議の資料だって作んなきゃいけないし、この雨続きで洗濯物だって溜まっている。数十万かけて行われるこの儀式にいったい僕は何を感じるのだろう。強いられた感動の演出に僕は何を思うのだろう。
 
妻と腕を組んでバージンロードを歩く。白いベールが降ろされていて妻の表情はよくわからない。右足を出して左足を揃える。左足を出して右足を揃える。リハーサル通りに、ゆっくりとした歩調で、僕は神父の元へ歩く。右足出して左足揃える。左足出して右足揃える。右足出して左足、左足出して右足。右足出して右足。一歩進める度に両足を揃えるものだから、次に出す足がわからなくなる。緊張している。妻はベールの奥で優しい笑みを浮かべている。
 
僕は緊張しているのではなく、感極まっていたのだ。
 
バージンロードを歩きながら、妻と出会ったこと、子供ができたこと、鼻と鼻を付き合わせてプロポーズしたこと、一緒に暮らし始めたこと、料理の勉強を始めたこと、入籍した日の夜の小さなケーキ、僕の人生を大きく変えてくれた妻のことを考えていた。今日30回目の誕生日を迎えた。目の前に牧師がいて、横に妻がいて、僕たちの後ろには、これからも僕たちを見守ってくれるであろう人々が、目を真っ赤にして涙を浮かべている母がいる。
 
牧師の目前に立ち、最初の讃美歌で突然涙が込みあげてきた。それからもう、だめだった。妻の涙を拭くために準備した白いハンカチーフは、主に僕の涙を拭くために使われた。僕がめそめそ泣いてばかりいるので、妻が泣いている時は、牧師がそっと妻にハンカチを渡した。妻にハンカチを渡すということまで気がまわらなかった自分自身が情けなくてまた涙が出てきた。
 
僕たちは今日、結婚した。入籍も終わってるし、新婚旅行にも行った。お腹の中には赤ちゃんだっている。順序はばらばらだけど、僕たちは今日、結婚した。僕のタキシードのズボンの裾は少し長くて、純白のウェディングドレスをまとった妻は、とても綺麗だった。
 
健やかなる時も病める時も喜びのときもなんとかのときも、あとは忘れてしまったけど、これをなんとか、これをなんとか、これを助け、命ある限り、真心を尽くすことを僕は誓った。「はい、誓います」という声が震えてしまったけど神の前で誓った。キリスト教ではない僕と妻が聖書に手を置いて誓った。僕らの神さまに。洗濯クンやカボチャおばちゃんのような、僕らを助けてくれる神さまに。
 
最後の讃美歌は知らない歌だったけど、うつむいていると涙ばかり出てくるので、牧師の後ろの十字架を見上げながら、歌詞もわからない歌を大きな声でいい加減に歌った。あまりのいい加減さに外人の牧師は苦笑いし、妻はうつむきながら神聖な場での笑みを必死に噛み殺していた。
 
「大きくなったねぇ」
 
式のあと、涙をためてしみじみと言う母に、「お母さんこそ小さくなったねぇ」と頭を撫でて母の肩に手をまわして写真を撮った。二人の涙もろさが、同じ血が通った家族だということを証明していた。
 
2006年07月22日(土)  神の化身。
 
洗濯機と引越し先の蛇口との相性が悪いので、ホースと蛇口を接続する器具を購入しようと、先日妻とビックカメラに行ったが、器具の種類が多すぎて、どれを選んでよいのかわからない。
 
よくテレビに出ているサカナクンって芸能人は、魚のことなら何でも知っている魚マニアだ。よって、洗濯機のことなら何でも知っている洗濯クンのような人はここにいないかしらと思い、弱々しい声で「洗濯クゥ〜ン」と呼ぶと、「はい、お呼びでしょうか?」と、突然姿を現したような素早い動作で、僕たちの目の前に現れた。嘘のような本当の話である。
 
今日はカボチャの煮つけでも作ろうと、仕事帰りスーパーに寄って、半分に切ってあるカボチャが売っていたので、特に選別もせずに一番近くにあったカボチャを手に取ってカゴに入れようとした瞬間、隣に立っていたオバチャンに手を叩かれて、一体何ぞと驚いてオバチャンを見ると、「よーく見てから買いなさい」と言われて、そのカボチャをよーく見てみると、カボチャの皮の部分の一部が白く変色してまるで腐っているようであった。嘘のような本当の話である。
 
これはね、きっと神様が僕を助けてくれているんだよ。洗濯クンもカボチャおばちゃんもきっと神様の化身なんだ。僕が困っていたり、間違った行動をとろうとすると、ヤバイ、こいつまた馬鹿をしでかす! って神様がドロンって化けて、僕を正しい方向に導いてくれているんだ。
 
よって洗濯クンもカボチャおばちゃんも同一人物だと考えているのだけど、君はどう思うか。と、妻に訊ねると、「あなたはいつも飽きもせずにそんなことばっかり考えてるのね。お腹の子供が、心配だわ」と、僕のDNAを真っ向から否定する。そういうことばかり言って僕の現実見当識を取り戻してくれる妻も神様の化身かもしれんね。
 
2006年07月21日(金)  職権濫用。
 
今日は産婦人科の検診日。僕はできるだけ一緒に検診を受けるようにしているのだが、検診はほとんど平日ということと、僕は髭を生やして頭ボサノヴァで身なりもどっちかっつうと年相応という感じではないので、この旦那はいつも平日の昼間から嫁の尻についてまわってるが、仕事はしていないのだろうか。格好からしてフリーターだろうか。しかしあの頭ボサノヴァ加減からしてニートだろうか。
 
と、医者は思っているに違いなく、僕はフリーターでもニートでもなく、フリーライターであり看護師であって、今日なんて夕方から夜勤の仕事に行ってきます。でも妻ならびにややちゃんの体調が気になるので一緒に受診しているのです。という顔を浮かべながら、超音波画像に映るややちゃんを凝視。
 
わー、今日も元気に動いてるー。あれが……頭で、あれがー心臓やー。うっすらと背骨も見えるー。僕の子供は今日も生きてるぞー。と、看護師の僕は医者の説明がなくても、超音波画像の見方をある程度理解できるので診察台から離れた位置で一人で感動している。家ではマッサージしながら浮腫の有無も子宮底の位置だって確認している。看護学校の頃は「女性生殖器」という科目で、クラスでただ一人100点を取って誰にも自慢できなかったという恥ずかしい思い出も持っている。妻のことだったら何だって知っている。母子手帳に書いてある血圧も、最近の体重の増加具合だって知ってる。それが夫としての義務だ。しかし妻にとってはウザい権利だ。でも僕は看護師だから君の全てのことが知りたいなんてことまで言っちゃうと、これがいわゆる職権濫用だ。
 
まぁとにかく今日もややちゃんは元気でした。現在第2頭位でした。昨日は妻の風呂上がりを待てずに就寝してしまい、マッサージができなくて、昨日パパがマッサージしてくれなかったから今日のややちゃんすっごく怒ってるなんて妻は脅すけど僕はくじけずに夕方から夜勤を頑張りました。
 
2006年07月20日(木)  僕まさのぶ。
 
こんにちは吉見マサノヴです。吉見マサノヴとは作家もしくはライターとして活動するときに使用している名前である。僕には別に「歪」というハンドルネームがあるが、歪という名は主にネットで活動するときに使用する名前で、読みは吉見のイニシャルを取って「わい」だったのだが、「歪(わい)」と記入しなければ、「ゆがみ」と呼ぶ人がこれ多いので、わいさんと呼ばれてもゆがみさんと声を掛けられても一様にはいと返事するようになった。
 
しかし吉見マサノヴは吉見マサノヴである。月刊男心はブログで連載している詩集であり、ネットで活動しているわけだから、はじめは歪と名乗って書いていた。しかし書籍化が決まり、即刻作家名に直さなければ、書店に作者「歪」の名で並んでしまう恐れがあり、途中からブログでも吉見マサノヴを名乗るようになった。
 
2月頃、ブログを紹介させて下さいとテレビ局の企画会社からメールが届いた。もうすぐ書籍化もされることだし、どんどん紹介してやって下さいと快く承諾と書いて快諾。放送を楽しみにしてて下さいねとNHK。って、あ、言ってしまった。これってなかったことにするってことはできんのかね。ってオシムと口走った川淵キャプテンの口真似しつつ、NHK。まぁ受信料払ってないから強いこと言えんのだけどね。天下のNHKが僕のブログを紹介してくれる。こりゃあ楽しみだ。ややもすればベストセラーになるかもしれんね。と、なんとかの皮算用をしていたのだが。
 
その番組。何人かの芸能人がいくつかのブログを見て感想言ったり点数付けたりするやつなんだけど、その芸能人が、みうらじゅん、YOU、中川翔子、あと僕の詩のことなどちっとも理解してくれなさそうな評論家の人といった蒼々たるメンバーで、さぁどんな紹介をしてくれるのかしらと、受信料ちゃんと払ったらこれ消えますみたいなメッセージが画面を妨害しているBSテレビを見ながら妻と肩を並べて待ちました。月刊男心が紹介されました。そして僕は妻は驚愕しました。
 
作者「まさのぶ」
 
何まさのぶって! 誰それ! 吉見はどこ行った! なぜひらがな表記! まさのぶ! まさのぶが恋愛に関する思いを詩で表現してますってしてないよまさのぶは! ブログのどこにまさのぶって書いてんだ! おい! おい妻! これどうなってんだ! と、興奮しながら妻の肩を揺さぶる。
 
「だってあなた受信料払ってないでしょ」
 
そっかそういうことか。
 
2006年07月19日(水)  因果なもので。
 
頭ボサノヴァなのでなんとかして下さい。と、昨夜、担当の美容師さんにメールすると、なんとかしてあげたいけど明日休みなんですと返信。そうですか。僕は明日しか休みがないのです。それではまた後日。と、送信。
 
すると、あなたはまた後日後日なんていつも先伸ばしにして、私が思うに相当頭がボサボサのはず。私明日休みだけど出てきます。2時に来て下さい。いいですか。と返信があり、なんていい人なんだろう。でも多忙を極める美容師さんの折角の休日に僕の頭ボサノヴァの為に出勤させるわけにはいかぬ。というわけで後日で結構ですよ。と、送信するといーや、あなたの性格はあなたの奥さんと昔の彼女さんの次くらいにわかっている。絶対明日来て下さい。と、どこまでもいい人だ。
 
久々の美容院。担当の美容師さんはもう2年くらい僕のボサノヴァの髪を整えてくれている。しかもたまに月刊男心のネタも提供してくれて、奥さんと昔の彼女さんの次くらいに好きな人である。この前は妻のカットも受け持ってくれた。もうホント申し訳ない。怠惰な生活を送ってしまいって、実はあんまり怠惰でもなくて具体的にいうと、新婚旅行とか結婚式の打ち合わせとか引越しとかお腹の赤ちゃんのこととか意外と多忙だったわけ。髪の毛どうにかしなきゃいかんなぁってのは度々感じてたけどね。結局自分中心で物事を進めてしまい、因果なもので結局美容師さんに迷惑を掛けてしまった。ごめんなさい。ついでにパーマもかけて下さい。と、結婚式前に、ようやく人間らしい髪型になりました。
 
2006年07月18日(火)  コーナーコージー。
 
今日はコージーコーナーで菓子折を買って、新居の大家さんに挨拶に行ったんだけど、このコージーコーナー。東京では結構メジャーなケーキ屋のチェーン店らしく、こっちの人の会話で度々「ああ、あそこのコージーコーナーの前ね」とか、「そうそうあのコージーコーナー曲がったところ」と、信号機並みに目印として使用されることが多々あり、田舎から上京してきた僕は、そうそう、あのコーナーコージー。なんて自尊心を守るのに必死だった覚えがある。
 
まぁこれは東京の人間がコージーコーナーが全国にあるものと思っているからいけないのであって、僕の田舎ではニシムタとかプラッセだいわ。ニシムタ100メートルくらい過ぎて右とか、プラッセだいわの正面沿いの川の中とか、そういう会話が日常的にあって、目印としてはメジャー級。でも全国的視点で見るとめちゃくちゃマイナー級。
 
よってコージーコーナーなんて言っても皆知ってるわけじゃないからもっと丁寧に説明しろと都会の人間に対して言いたいけど、これだから田舎者は。ひどくなるとこれだから九州男児は。って、いわれなき誹謗中傷を受ける恐れがあるので、ちっぽけな自尊心をかなぐり捨ててコージーコーナーで菓子折買って。
 
2006年07月17日(月)  頭いまだボサノヴァ。
 
結婚式を1週間後に控えているというのに未だ頭はボサノヴァ。美容院に行かなければいけないのだけど、今日は妻と式場に行かなければならぬ。衣装合わせの為に。でも頭がボサノヴァなのでハンチングをかぶって山手線。
 
妻がいくつかのウエディングドレスを身にまとう。照れ臭そうに微笑む妻を見て、ああ僕等は結婚するのだなと改めて思う僕の頭はボサノヴァ。妻が他のドレスに着替えている間に、新郎さんもタキシードを選びましょうと、式で着用する2種類のタキシードを選ぶ。試着して鏡の前に立つ。何かがおかしいと頭を傾げて鏡に映る我が姿を眺めていると、「帽子をお取りください」と、デザイナー。そっか、タキシード姿にハンチング帽をかぶっていたから大道芸人のようなひょうきんな姿になっていたのだ。よし、帽子を取ろう。格好いい新郎になろう。と、ハンチングを放り投げると頭がボサノヴァ。もうほんと美容院行かないかんなぁと切実に思う。
 
しかし今日はもう美容院に行っている時間はない。明日は仕事だし、今度の休日は免許証の切り替えに行かんといかん。過去にいくつか道路交通法違反も犯しているので、講習なども受けなくてはならないかもしれぬ。じゃあ次の次の休日に行こうと思うけれど、次の次の休日は僕等の結婚式である。結婚式が始まる時間、いくら待っても新郎が現れない。もしかして、違う女と逃げたのかと親戚一同ざわめきだつ時に、僕はのんびりパーマネントをあてている。そんな事態になりかねない。
 
じゃあいつ美容院に行けばいいのか。明日仕事帰り行こうかしらと思うけど、東京はなぜか火曜日が定休日の美容院が多く、僕が通っている美容院も明日は定休日。このままでは頭ボサノヴァのまま式に出ることになる。一生に一度の晴れ舞台にオダギリ・ジョーのような奇天烈なヘアスタイルで。もしくは堂本剛のようなテーマ不詳な髪型で。
 
2006年07月16日(日)  無機質ライフ。
 
引越したマンションは2DK。和室と洋室がそれぞれ一部屋。和室を寝室に使うので、洋室はできるだけ生活感がないような感じに仕上げて欲しいという妻の要望の元、できるだけ物を置かず、テレビ、ソファー、本棚、赤い棚だけのシンプルな部屋に仕上げて、どう? 生活感ないでしょ? 気に入った? と、妻に訊ねると、「なんか無機質感いっぱいね」と、お前が生活感ないようにって言ったやんけーと思ったけど、この部屋から僕等の新生活が始まるのだ。
 
と、思ったけど、妻はベッドのある和室からほとんど出てこない。僕は無機質な洋室でテレビを見ている。「ねぇ、こっちにおいでよ」と妻に言っても、うん、あとで行くと言ったきり出てくる気配がない。お腹もかなり目立ち始め、仕事以外はベッドに横になっている方が楽だという。その気持ちはわからなくもないが、たまにはこっちでも過ごして欲しい。新居なんだし。と、ソファーの上でいじけていると、妻が洋室の入口に顔を出し、部屋を見渡してキョロキョロしている。
 
どうしたのか訊ねると、小さな声で「入ってもいいですかぁ」と言う。自分の家なんだから随意に入ってくればいいだろうと言うと、「おじゃましまぁす」と他人行儀に入ってきて、落ち着かない様子でソファーに座り、3分も経たないうちに「おじゃましましたぁ」と言って和室に戻っていく。なぜ、なぜ洋室でくつろがないんだと訊ねると、「だって無機質なんだもの」と言って、おいでおいで、と、ベッドに横になって二人でテレビでも見ようと言う。
 
そういうわけで、広い部屋に引っ越したというのに、二人ともほとんど和室で生活するようになった。あの無機質な洋室の使い方は未だ見出せず、結局僕等に必要なのは、6畳1間のスペースだけだということがわかった。
 
2006年07月15日(土)  プリンスホテルのあの場所で。
 
僕も妻もあまり間食をしない。「間食を控えたかったらお菓子を買わなければいいのよ」と、ごもっともな妻の意向の元、我が家にはお菓子というものがない。それでも夜中に突然甘い物が食べたくなることがあって、コンビニに行こうかなぁどうしようかなぁ。しかし徒歩3分のコンビニに行ってまで食いたいかといえばそうでもない。ということはそこまで体が求めてないということなんだ。よし。寝よう。
 
という具合に家にお菓子がなければ必然的に欲求も抑えられ、同時に生活習慣病の予防にもなるという状況で健康的に生活しているので、たまにはどう? ケーキバイキングなんて。明日休みだし。と、妻に提案したところ、「うーん。たまにはいいかもね」なんて素っ気ない返事をされて、欲求に強い女性だなぁと思いながら就寝。
 
翌朝、目が覚めると妻はもう着替えており、なんだか臨戦体勢。いったいどうしたのだと訊ねると、「だって今日ケーキバイキング行くんでしょ!」と、昨夜の素っ気ない返事は何だったんだというくらい目をランランと輝かせて行く気満々。新宿のプリンスホテルのケーキバイキング。見渡す限り女性だらけの店内で、よーし! たらふく食うぞー! と、張り切ってチョコレートケーキ、チーズケーキ、ティラミスをたいらげた時点でもう食えねぇ。気持ち悪い。甘いのもうやだ。醤油、醤油を一気飲みしたい気分だ。と、げっそりしている僕をしりめに、妻はマイペースかつ上品にケーキを次々と食べていく。
 
よくそんなに食えるねと、周囲の女性客を代表して妻に訊ねると、「ややちゃんの分も食べなきゃ」と、納得できそうでできないことを言う。十数種類ものケーキの他に、アイスやホットケーキ、フルーツにゼリーにタコ焼きに、なぜかところてんやカレー、焼きそばまで食い放題で1500円のケーキバイキング。ホットペッパーのクーポン使うと1300円。男がちょっとした空腹で立ち寄る場所ではなかった。
 
2時間後、「はぁー美味しかった」と、大きなお腹をポンポンと叩くスリムな妻に、僕は一生ついていこうと思った。
 
2006年07月14日(金)  引越しとミニアルバム。
 
友人を呼んでレンタカーでトラックを借りて、灼熱の太陽の下、引越しを敢行。立ってるだけでも汗が出てくるのに、動くうえに重い荷物を運ぶとなると、毛穴という毛穴から噴水のように汗が噴き出してくる。暑いし重い。ベッドが、タンスが、冷蔵庫が、洗濯機が、そして数えきれない程のダンボールが僕等の頭を麻痺させる。
 
トラックの荷台にソファーを載せた途端、スコールのような豪雨に見舞われ、さすがにこの時は雨に打たれて空を仰ぎながら、引越しの中断ならびに人生の終了を考えた。ソファーはずぶ濡れ。今日中に引越しを終了させるという意志が挫けた。
 
大雨の中、トラックの中で友人とタバコを吸いながらって、この友人、鹿児島に住んでいた頃、同じ病院で働いていた友人で、三十歳を過ぎて上京してきた人生の旅人である。そんな友人に降りやまない雨を眺めながら、僕の嫁が如何に美しくて器量が良いか話し続け、結婚式の引き出物用に小さいアルバムブックを作成したのだが、欲しいのであれば1冊無料で贈呈しようと話すと、即座にいらないと言われ、よく考えればってよく考えなくても、よその夫婦のアルバムをもらって嬉しいのは肉親、広くみても親戚だけで、僕は結婚式に何度か出ているけど、一度、二人の写真がラベルになっている金箔入りの日本酒を貰ったことがあり、これほど嬉しくないものはなかった。
 
でも今ならこの写真入りラベルの金箔入り日本酒というメチャクチャなものを渡した新郎新婦の気持ちがわからなくもない。新婚旅行先の台湾の写真スタジオでプロのカメラマンから撮影してもらった数々の写真。ウエディングドレスにチャイナドレスに、黒のシックなパーティドレス。ただでさえ美しい妻が、生まれ変わった私を見てください」なんつって整形後の姿を披露する趣味の悪い番組じゃないけど、コンピューターで修正を加えられ、これ詐欺じゃねぇかと思うくらい美しくなった。まるで女優のようだ。金だって掛かっている。
 
さらにそれらの写真を国内の印刷会社に依頼し、引き出物につけるミニアルバムを作成した。この苦労。この愛情。この努力。この想い。他人にしてみればウザい以外の何物でもない。そんなアルバムいらない? ただでいいよ? チョー豪華に仕上がってるよ? 持って帰る?
 
「持って帰らないし、引越しの手伝いは二度とごめんだ」
 
トラックの窓に打ちつける降りやまない雨を眺めながら、友人とただ黙々とタバコを吸っていた。正午に開始した引越しは、午後6時に終了した。
 
2006年07月13日(木)  新しいスタート。
 
以前、妻に「明日の夕食何べる?」と訊ね、「なんでもいい」と答えられる悲しさについて書いた。翌日何食べたいか言ってくれるだけで、料理を作る方はどれだけ助かるかということを。そして僕も学生の頃、母親に同じことを訊ねられ、「なんでもいい」と答えてたことを。その時母親は悲しかっただろうということを。
 
先日の夕方、とあるファーストフード店で高校生のカップルがハンバーガーセットを食べていた。肩肘ついてその微笑ましい風景をぼんやり眺めていた僕は突然ハッとある考えにとらわれた。
 
「こいつら晩メシどうすんだ!?」
 
時計を見ると午後5時半。このカップルはハンバーガーセットを食って、それぞれの家に帰るのだろう。玄関で靴を脱いで、ただいまーと言って階段上がって自分の部屋に向かうのだろう。そしてその場面で母親は訊ねるだろう。「そろそろ夕食よー」そして高校生は応える。「あ、食べてきたからいらない」と。
 
なんと悲しいことだろう。母親は帰ってくる我が子の為に夕食を作っていた。しかし帰ってきた我が子は「食べてきた」と一言いって自分の部屋の中に消えてしまった。鍋の中には肉じゃが。皿の上にはレタスのサラダ。湯気を立てるは豆腐の味噌汁。全て我が子の為に。せっかく作ったのに。なんと切ないことだろう。
 
と、思ったのは、僕も学生の頃、部活が終わってから学校近くのラーメン屋でラーメンセットを食い、家に帰って母親に「食ってきたからいらない」と言っていた。そしてその行為に対して別に申し訳ないと考えたことがなかった。しかし年を取り、こうやって自ら夕食を作るようになり、仕事から帰ってくる妻を待つ身となった。もし仕事から帰ってきた妻が「食べてきたからいらない」と言えば、どれだけ悲しいだろう。
 
このように僕たちは、これといった親不幸はしてこなかったにしろ、小さな親不幸をいっぱいしてきたんだなと感じるようになった。親孝行をしようとした時に親はいなかったという話をよく聞くが、本当に親の苦労は、親になってみなければわからないのだ。
 
これから子供が産まれて、僕は名実共に父親となる。そして様々な場面で幼き自分を我が子に反映させて、自分という親を、そして自分の親のことを考えるだろう。僕は我が子に何を思うだろう。母に何を思うだろう。結婚は人生の墓場なんかじゃ決してない。今まで気付かなかった様々なことが突然目の前に現れる新しいスタートなのだ。そんなことを考えながら場末のファーストフード店で今夜の夕食のメニューを考えていた。
 
2006年07月12日(水)  涙のあとには虹も出る。
 
仕事辞めたいと思う時は、仕事の内容や人間関係に疲弊した時で、こんな理由で辞めたいと思っても、どこへ行っても仕事は大変だし人間関係は煩雑で、結局結果は同じなので、いろいろ大変なことがあっても辞めずに今の仕事を続けているのだが、もうそろそろこの病院に勤めて3年経つ。主任になって仕事が増えて夜勤が減って給料も減った。看護師の給料がいいっていうのは、実は夜勤の回数によるんだよね。主任になったからって給料がいいわけではない。実際うちの病棟は婦長さんより給料いっぱい貰ってる人がごろごろいるんだから。
 
で、こういう現状を踏まえて、まぁそろそろ新天地を求めよっかなぁなんて考えている。しかしまぁ新婚だし秋に子供も産まれるので、その辺が落ちついたら新天地のこと考えようかなぁと考えている辺り、本当は辞めることを真剣に考えていないといえばいない。
 
しかし、夜勤明けの朝に婦長さんが「お疲れ様」ってコーヒーを買ってきてくれたり、患者さんの家族からいつもありがとうございますって絵手紙をもらったり、ヘルパーさんから料理のレシピを書いてきてもらったりするたびに、あぁここはなんていいところなんだ。こんな職場、どこを探してもないぞ。僕はここを辞めずに骨を埋めるつもりで頑張るよって前の職場でもそう思ってて結局辞めて東京に出てきてしまったので、何が言いたいかというと、人生何が起こるかわからないってことです。
 
2006年07月11日(火)  イマジネーションワイフ。
 
「ねぇ、これから一生同じものだけしか食べちゃいけなかったとしたら何食べる?」
 
と、退屈な時に訊ねがちな質問を妻に投げ掛けたら、しばらく真剣に考え込んで、「い、いやーっ! そんなのいやよーっ!」と、突然取り乱してしまい驚愕。がっと体を抱きしめて背中をポンポン叩きながら「大丈夫大丈夫、そんなことないから。これ例え話だから。これからも好きな物いっぱい食べていいから」と必死に慰める。
 
モノ書きなんて例え話の中で生きているようなもので、「もし〜だったら」なんて考えることが癖になっているのだが、妻はイマジネーションが枯渇しているのか、それともたくまし過ぎるのか、こういう例えば話を持ちかけると、「馬鹿じゃないの」と一蹴するか、今日のようにハァハァ言いながら取り乱してしまう。真面目な人なのだ。
 
「だから例え話なんだよ。そんなこと絶対ないけど、これから一生これしか食べていけなかったら何食べる? って話。そんな深刻に考える必要ないんだよ。で、何食べる?」
「うーん。そうねぇ……。ご飯……だけじゃ飽きちゃうし……。パン……ねぇ、パンの種類も一つだけ?」
「一つだけ」
「じゃあパンもヤだなぁ……。リンゴ……ばっかりの毎日もねぇ……。うーん……うーん……やっぱりそんなのいやよーっ!」
 
と、再び取り乱してしまい再びがっと抱きしめる。我が家ではそんな遊びが流行っています。
 
2006年07月10日(月)  ポコスカウォーズ。
 
夜勤。消灯後、大声を発して眠らないケースってのは、僕が働いている世界ではよくあることで、昨夜も一人の高齢の患者さんが大暴れ。「バカヤロー! ぶっ殺すゾ!」と穏やかでない言葉をまき散らし廊下を徘徊。困ったなァとその患者さんをお姫様だっこして頭をポコスカ叩かれながらベッドに誘導して、さぁ寝なさい寝なさいと布団をかぶせるのだけど、他のスタッフが売り言葉に買い言葉で「殺しなさいよー、叩きなさいよー」なんて言うものだから、患者さんの怒りは収まらず、そんなことばかり言うのであればあっちに行くか仕事を辞めるかどっちかにしなさいと、スタッフを追い払い、興奮覚めやらぬ患者さんによしよしと子供を寝かしつけるように。
 
しかしここは病院。眠らないのであれば不眠時薬というものがあり、先ほど主任にあんなことを言われて若干へそを曲げた感のあるスタッフが、「薬飲ませればいいんじゃないですか」なんてことを言って、まぁそれはそれで一理ある。こうやって患者さんのベッドサイドでよしよしとやって眠ればよいが、眠らなければ不眠薬も考慮しなければいけない。
 
このように看護というものは予測がつかないケースが多々あり、僕がスタッフを追い払って、頭をポコスカ叩かれながらも興奮が収まるのを待って、やがて眠ってしまえば、ほら、傍にいて安心を提供させればこのような患者さんは眠るのだよと言えるのだけれど、傍にいても一向に眠らないばかりか怒りが増大する可能性もあり、そうなったら「ほら、薬飲ませとけばよかったんですよ」なんて嫌味を言われる羽目になる。
 
昨夜は1時間近くベッドサイドに座り、様々な罵詈雑言を浴びながら、患者さんを寝かしつけ、薬を飲ませることなく朝を迎えたのだけれど、次回も同じことして同じ結果に必ずしも導けないところが看護の難しさであり、夜勤の辛さであり、一晩妻に会えない悲しさである。
 
2006年07月09日(日)  頭ボサノヴァ。
 
髪の毛がボサボサだ。後ろ髪が肩まで伸びて若干の癖のある髪が妙なカールを描いている。妻は言った。「あなたは髪の毛がボサボサで髭を剃っていなかったらちっとも格好良くないわ」僕は悲しかった。しかしそれは真実だった。そろそろ美容院に行かなければ。と、考えて半月経った。
 
休みがないわけではない。金が惜しいわけではない。これといって行かない理由もない。結婚式も間近だし、どう? 一緒に行かない? と、妻に提案するも「私はまだいいわ」と言った翌日、妻は平日の休日を利用して一人で美容院に行ってパーマネントをあててきた。
 
パーマネントをあててきた事実よりも、パーマネントが落ちるから今夜は髪の毛を洗わなくていいということが嬉しい妻は、何度も鏡を見ながらパーマネントのあて具合を確かめている。とても綺麗だ。妻は日本で五本の指に入るくらいノースリーブがよく似合う。やたらとファッション雑誌を読んでいるので、腹がでかいのに服の着こなしも上手い。そんな妻。僕を残して一人で美容院に行った。残された僕は頭がボサノヴァ。妻が就寝後、小野リサのボッサ・カリオカを口ずさみながら浴室で号泣。
 
2006年07月08日(土)  持論。
 
耳がよく聞こえない。僕はよく人が言うことを聞き返してしまう。人は聞こえ返したらだいたい言い返してくれるので、日常生活でさほど不便なことはなかった。
 
昨日、婦長さんが仕事の終わり際に「ねぇ、サンダル履いた?」と訊ね、言っている意味が全くわからない僕は、「は? サンダル履いた? いや、履いてないです」と答えたら、「あなた何言ってるのよ。短冊書いた? って言ったのよ」と、病棟の七夕飾りの短冊に願い事を書いたかということを訊ねたのだ。それなのに僕はサンダル履いた? と聞き間違えて、更に履いてないと答えてしまい直属の上司である婦長さんはとても残念な気持ちになっただろう。と、いうことを家に戻り妻に話した。
 
「あなたはね、耳が聞こえないんじゃなくて、人の話を真剣に聞こうとしてないのよ」
 
と、妻は言った。なるほど僕は人の話を真剣に聞いてないのかもしれない。というか人の話を聞くたびに、この人の話を真剣に聞こうといちいち思うわけがなく、そんなことしてたら疲れてしまう。他の人はそんな毎回真剣に人の話を聞いているのだろうか。そこんとこ気になるし、そんなこと妻に訊ねると「聞いてるに決まってるじゃない」なんていうようなことを言われるに決まっているので訊ねない。
 
そんな妻は僕が聞こえなかったことを聞き返したら絶対言い返してくれない。「何? 何だって?」と訊ねると、「内緒」と、妻の大好きなフレーズを使って絶対に言い返してくれない。とても不便だ。しかも「僕が人の話を真剣に聞かないから聞こえない」という持論を展開する妻はそれを逆手に取って、わざとゴニョゴニョと誰だって聞こえないようなことを話したりする。そして聞き返すと「内緒」。ムカつくやら悲しいやら。
 
2006年07月07日(金)  世知辛い問い合わせ。
 
近々引越しをするので、ネットで複数の引越し会社を一括見積もりという類のサイトで見積もりをして、前回同様、「お電話での問い合わせを希望する」というチェック項目を外し、今回は更に備考欄に「電話での問い合わせは希望していません」と念を押して記入したにも関わらず、現在見積もりを依頼した6社中、4社から電話が掛かってきて、僕はその度に説教をしている。
 
僕の仕事は朝からだったり夜からだったりするので、電話が掛かってきても、なかなか取ることができない。だからメールを利用して、お互い時間があるときに必要な事項をやりとりしましょうという意味で、電話での問い合わせを希望しないと言っているのに、お引越しの件でお電話しましたーなんつって馬鹿。メールをよく読めこの野郎。と、プンスカしながら今回も電話をよこさなかった会社に引越しを依頼しようと思ったけど、つい先程また電話がかかってきてこれで5社目。残りあと1社。前回は全ての引越し会社が電話をよこした。しかもどの会社も結構高い。世知辛い世の中です。
 
2006年07月06日(木)  赤ちゃんのお耳(ピクピク)。
 
日々大きくなる妻の腹をマッサージしながら、「僕、8+3って嫌いなんだよねぇ」と、思いついたことを独り言のように呟くと、「私は7+6が嫌い!」と妻が言った。意味がわからない。7+6=13で、別に困難を伴うような足し算ではないじゃないか。と言うと、私だって8+3が嫌いって意味がわからないわよ。10に1個余って11でしょ。何の問題があるの? と、負けじと妻。
 
じゃあ8+4は? と訊ねると、「私それチョー好き!」と大声で言って、その後「数字の1はなぁ〜に? 工場のえんとーつ(モクモク)」と、唄を歌い始めた。8+4が好きな意味も、突然唄を歌いだす意味も僕には全くわからないが、同様、妻は僕が8+3が嫌いな意味も全くわからないのである。
 
いやーしかし8+3ってのは曲者だぜ。8と3が合体して11になるって何か嘘っぽくね? と妻に言うと、「数字の3はなぁ〜に?」まで歌って数字の3が何かわからくて、わかろうとも思い出そうともしなくて唄をやめてしまった妻は、「何? まだそのこと言ってんの?」と冷ややかな視線で僕を見る。
 
打ちのめされた感覚に陥った僕は、「数字の3はなぁ〜に? 赤ちゃんのお耳」とこれみよがしに歌った。腹の中の赤ちゃんがピクピクと動いた。
 
2006年07月05日(水)  休みたいイイデスヨ!
 
仕事の日の朝に突然「風邪気味だから」とか「急用できちゃって」という種類の休みを何というのかわからないが、こういった休みを取れる人が僕は羨ましくてたまらない。
 
またこういった人たちは、いくら風邪気味でも次の日ひょっこりと何事もなかったように仕事に出てきたり、急用ができた人は翌日、昨日の用? 何だったっけ? みたいな顔して平然と出てくる。僕は大いなる皮肉を込めてその強心臓を褒めているのである。
 
なぜ僕が珍しく他人に対して皮肉を言っているのかというと、僕は仕事の立場上、そういった嘘か真かわからぬ事情による休日が取ることができないため。
 
というのは、その突然の休日を受理するのは、病棟の責任者であり、婦長さんがいる日は婦長さんが小言を言いながら渋々受理するのだけど、婦長さんが休みで僕が責任者の日は、僕が小言も言えずに「お大事に」なんて電話口で優しい声掛けなんかして受理するのである。
 
で、僕は考えた。責任者の僕が突然の休みを受理するのだったら、責任者の僕が突然休みたくなった時は、僕自身に休みたいといえば済むことではないか。
 
「ちょっと今日急用ができちゃったんでお休みもらいたいんですけど……イイデスヨ!」
 
この独り言で僕は誰にも責められずに休むことができるのである。ビバ責任者。ブラボ病棟主任。休みたい。イイデスヨ! たったこれだけで僕は自由を手に入れることができるのである。ステキな言葉の魔法です。多分一生使わないけど。
 
2006年07月04日(火)  のんびりゆっくり。
 
妊娠中は疲れやすいので、のんびりゆっくりを心掛けながら規則正しい生活を送りましょうなんて本には書いてるけど、妻はまだ働いていて疲れやすくて、周囲の理解がないわけじゃないけど、のんびりゆっくりを心掛けられない。ということを知っているのは、僕と妻は同じ職場で看護師とソーシャルワーカー。
 
職種は違えど、「ねぇ、あの患者さんの件どうなってるの?」なんて旦那としてではなく、病棟主任として妻ではないソーシャルワーカーに言わなきゃいけないこの辛さ。
 
のんびりゆっくりを推進しなければならぬのに、僕がそれを妨げたりしてる。ほんとダメな旦那だけど、病棟主任としては仕事上言わなければならないのであり、そのジレンマに日々悩まされながら、こうやって悩むことはとてもいいことだ。仕事中、疲れている妻を見ることができるということは、それだけ相手を理解できるってことで、家での家事は僕ができるものは全部しなきゃと思えてくる。というか思わざるを得ない。
 
家に帰ってきた妻はいつも疲れている。「ご飯食べる?」と訊ねると「まだいらない」と言ってベッドに横になってしまう。妻が帰ってくる前にもう夕食は作った。僕だって普通に仕事をしているので、腹が減っている。グゥゥ。でも、自分で作った料理を先に一人だけ食べるという切なさだけは味わいたくない。だから妻が「食べたい」と言うまで僕は静かに待っている。と書くと、健気な奴だと思われるだろうけど、待ってる間はゲームをしたり詩を書いたりとそれなりに自分の時間を満喫している。
 
今日はマグロのづけ丼と山菜の味噌汁とマカロニサラダを作った腹減った。でも疲れてる妻に無理矢理「早く食べようよ」と急かすことはできないなぜなら僕のお腹には子どもがいないから。共感できないのなら同調すればいいことだ。腹が減ったけど、僕は妻の時間の中で生きる。家の中では、僕も一緒にのんびりゆっくりを心掛ける。グゥゥ。
 
2006年07月03日(月)  愛の証。
 
妻にゲームソフトを買ってもらった。プレゼントではなく、何かを買ってもらうという経験を長い間してこなかった僕は、「何が欲しいの?」と、妻がゲームショップで訊ね、「こ、これが欲しいです」と、恥ずかしそうに小声で答え、欲望の羞恥プレイのような様相を呈してしまったが、ゲームソフトを買ってもらった。
 
ゲームショップにゲームには無関心の妻が、僕が欲しくてたまらなかったゲームソフトを持ってレジに並んでいる。まぁこれは僕が妻の職場での仕事、細かくいうと書類作成などを手伝ったから、そのお返しにゲームソフトを買ってもらうということになったのだけれども、それにしても何というか、腹に子を孕んだ女性をゲームショップに並ばせて申し訳なくて申し訳なくて、「はいどうぞ」と袋に入ったゲームソフトを渡した妻を抱き締めてキスをして高い高いしてグルングルンしたいのだけど、公衆の面前でこういうバカップル行為を何よりも嫌う妻に、「ありがとうございます」と俯きながら言うことしかできなくて、それでも嬉しくて嬉しくて家に帰ってすぐにプレステを起動させた。
 
「僕はね、このゲームだけは攻略本や攻略サイトに頼らなくて、自力でクリアしてみせるんだ。これが君に対する僕の最大の愛の表現なんだよ」
「言っている意味が全然わからないわ」
 
1週間後、そう言って妻はろくに僕の顔を見ずにファッション雑誌をめくっているが、その傍らで僕はコントローラー片手に強敵と戦っている。攻略の術がわからず、手探りで強敵の弱点を探している。でもこれが愛の証し。苦悩なくして真実の愛など掴めるものか。うぉりゃー、脳天めがけてジャンプ攻撃、んでもって背後にまわってどつき倒す。それでも強敵は倒れない。クーラーが効き過ぎて寒い。妻は雑誌を読んでいる。僕は愛のために戦い続ける。
 
2006年07月02日(日)  食わず嫌い王。
 
今日職場の休憩所に栗まんじゅうが置いてあったので、うーん、栗まんじゅうかぁ。でも今はそんな気分じゃないなぁ。チーズケーキとかエクレアとかそんな欧州な気分なんだよね。それが欧州かどうかわかんないけど。和菓子かぁ。しかも栗まんじゅう。あんまり好きじゃないんだよね。え? これ1個200円もするんですか? へぇー。あー、いや、自分はいいっす。食わねっす。でも今日暇だしなぁ。午前中は忙しかったけどね。今は栗まんじゅう食うことくらいしかすることがない。まぁ食ってみるか。
 
と、食った5分後、病棟の全ての看護婦さん達に、「休憩所にある栗まんじゅう食いました? あれメチャクチャ美味しいですよ!」と、興奮して伝える僕がいて、興奮している僕は主任であり、婦長さんが休みの今日の一番の責任者であるにも関わらず、仕事そっちのけで栗まんじゅう栗まんじゅうと騒いでいる。
 
いやーしかしほんとよかった。僕が何かの拍子に『食わず嫌い王決定戦』に出演した時に、とんねるずにどんなお土産を買っていこうと、いっつもこの番組を見る度に考えて、美味しい物や店に疎い僕はちょっと沈んだ気分になっていたんだけど、ここの栗まんじゅう買って行けばとんねるずも喜ぶだろう。1個200円だし。
 
でも好き嫌いのない僕は食わず嫌いな食べ物がなく、まずそれから考えねばならぬ。僕はコロッケが大好きだ。でもこのコロッケを食わず嫌いって嘘ついた場合、好きか嫌いか僕以外わかるわけがないんだから、大好きなコロッケを食わず嫌いにしてこれだったら演技もしなくていい。美味いもんを美味い美味いと食って、実はコロッケが嫌いでしたー。なんつって「わっかんねーよー!」と石橋貴明が怒っても僕が嘘ついてんだからわかんなくて当然である。よしこれでいこう。食わず嫌いはコロッケ。お土産は栗まんじゅう。
 
ということを考えながら、妻にも一個あげよと思い、栗まんじゅうをポケットに入れて家に持って帰って、今日食ったこの栗まんじゅうがいかに美味しかったかを力説し、食ってみなさい僕は今日食ったからこれは君の栗まんじゅうだ食ってみなさい。と、半ば興奮しながら言ったにも関わらず、妻は「なんか栗まんじゅうって見た感じが好きじゃないのよねぇ」と、食べようとしなかった妻は我が家の食わず嫌い王。
 
2006年07月01日(土)  目白押し。
 
急に子どもができて急に結婚して急に同棲を始めたので我が家は狭い。
 
しかし10月に可愛い女の子が産まれる予定なので、もうちょっと広い部屋に住みたいなぁと二人で不動産屋にでも行ってみよっかと部屋探しに行って、最初に下見した部屋2DK。キレイだね。キレイだね。ここにしよっか。そうしよっかと、夫婦で即決。その日のうちに仮契約まで済ませ、今月15日頃に引越しすることが決まった。
 
結婚も早いが引越しも早い。時代の波に溺れることなくたくましく生きてるぜ。引越し終了1週間後には結婚式も控えてる。この1年、大イベント目白押し。鳥のメジロが押し合いへし合い木に止まることを「目白の押し合い」と言っていたことから目白押しという言葉が生まれました。
 
最初の引越しに新婚旅行に今度の引越しに結婚式に出産とお金がいくらあっても足りねぇぜ。でもお金なんていくら持ってもいくらあっても足りないなんて言うに決まっているので、足りないといえば足りない、でもなんとかなると思えばなんとかなる。しかし今なにげに冷凍庫開けたらアイスクリームがあった。妻はもう寝てる。食っていいのかな。いや怒られるよな。どうしよう。食べようかな。
 
しかしかの哲学者キルケゴールは言っていた。「結婚したまえ、君は後悔するだろう。結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう」まぁどっちに転んだってそれなりの解釈をして生きていくんだ人間ってものは。アイス一個食って怒られるんだったら謝って買いにいけばいい話じゃないか。という人生において最も忙しいであろう大イベント目白押しの1年の中にも、こんなチープなイベントがいっぱい散らばっているからしんどいといえばしんどい。楽しいといえば楽しい。
 

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