2005年09月30日(金)  星に願いを。
 
もう何週間も歯医者に通っていないので、今日こそは行ってやろうと、朝から定時で帰ることばかりを考えて着々と仕事をこなしていって、よし今日は帰れるぞと心の中でガッツポーズを浮かべた刹那、「ヨシミ君、ちょっと」と、婦長さんに呼び止められて、あぁ、僕の苗字が山下だったらよかった。そしたらヨシミ君と呼び止められても僕山下だからとかなんとか言って定時に帰れるのになと、何の解決にもならないようなことを考えながらフラフラと婦長さんのところに行って、Drの指示受け、書類の整理、看護婦さん達に新しい看護記録の説明、転院する患者の看護サマリーの作成依頼など、それ夕方の5時に言うようなことじゃないだろうと思うような仕事の量を二つ返事でOKしてインクが切れかけのボールペンを握りながら生まれ変わったら山下になろうとWish Upon A Star.
 
2005年09月29日(木)  頭クシャクシャ。
 
僕より背の高い私服の女性を見ても格段何も思わないが、僕より背の高い女子高生を見ると、なんだかすごく打ちのめされた感が強い。僕より10歳も年下のくせに腰の高さが全然違う。屈辱である。むやみに高い腰の高さにやたら短い制服のスカート。何この屈辱感。天はニ物を与えないというから、せめてこいつ頭悪ければいいのにと気持ちが屈託。
 
ちなみに僕の彼女は僕より背が小っこいので、チビスケチビスケやーいチビスケー。と、気が向いた時に罵倒しながら頭をクシャクシャにかきまわしたりしてるが、こんなでかい女子高生と付き合うと、僕がチビスケーなんて言われて頭をクシャクシャにされるかと思うと頭がクシャクシャになる。
 
2005年09月28日(水)  もう駄目だ歳取った。
 
僕の携帯を買い替えたいというサイクルはだいたい1年に1回訪れてきて、今の携帯は去年の7月に買い替えたはずだから、そろそろ買い替えサイクルが訪れるだろうと、夏の頃から待ち続けていたが一向に訪れる気配がないのでおかしいなと思い、とりあえずビックカメラに行って最新機種の携帯を手に取って物欲の喚起を待ち続けたのだけど、30分近く立ち尽くしてもとうとう僕の物欲は刺激されず、やがて携帯なんて話ができればいいじゃないかと、ツーカーのラクラクホンのCMに出ている爺さんたちのような心境に陥ってもう駄目だ歳取った。
 
2005年09月27日(火)  ただそれだけ。
 
部屋に帰っても日記なんて書く気が起こらないというか、日記を書く暇があったら原稿を書かなければいけないので、夜勤明け、ドトールに寄って180円のブレンドコーヒーを飲みながら、というか僕は猫舌なのでコーヒーが冷めるまでの間、この日記を書いている。
 
先ほどから隣に座っているやたらスカートの短い女性がチラチラと、このパソコンを気にしていて、おまけに僕は会話を聞きながらその会話をキーボードで追っていけるほどブラインドタッチがものすごく早いので、なんて早い指さばき、パソコンを睨みながらこの男はどんな仕事をしているのだろう。営業かしら株かしら。なんて思ってるかもしれんが、この通り、何の得にもならないような日記を書いている。ものすごい早さで。コーヒーが熱くて飲めないから。ただそれだけ。ただそれだけ。人生なんて、まぁ、こういうものだと思うよ。
 
2005年09月26日(月)  夢と希望。
 
「空を自由に飛びたいな」「はい、診察券!」みたいなつまらない世界に住んでいる僕たちは、夢見ることも少なくなって、やがて夢も希望もなくなって、波風立たない静かな生活が幸福だと思い込んで、思い残すどころか、残すべき思いすら忘れてしまって僕たちは笑みを浮かべて死んでいくよ。
 
2005年09月25日(日)  なんか、なんかなんか。
 
「なんか」という言葉をなんか頻発する人の会話ってなんかムカつく。なんかそういうのってなんかボキャブラリーが足りないから「なんか」という、なんか要するに「よくわからないけど何か」という表現をなんか使ってるわけで、その時の状況に適した表現もしくは言葉を知っていれば、なんかという言葉は不必要なわけで、僕は常になんかそう思ってるみたいな。
 
またゲームボーイミクロの話なんだけど、なんか先日、ゲームボーイミクロのホームページを見ていて、なんか任天堂20周年ということで様々な著名人が、なんか祝辞っつうとあれだけど、まぁ祝いの言葉? おめでとー任天堂、ビバマリオみたいな? そういう3分弱のコメントがなんか映像で見ることができて、その著名人の一人に木村カエラがなんかコメントを残していて、なんか木村カエラって最近メディアの露出がなんか多くなってきてるので、なんか可愛い子だなぁ、お洒落な子だなぁ、個性的な子だなぁなんてどっちかっつうと、なんかポジティブなイメージしか持ってなかったんだけど、そのコメントを聞いて僕はなんか興醒めしました。
 
なんで興醒めしたかというと、木村カエラがやたら「なんか」を連発するような口調でなんかコメントしていたからであって、コメントを聞ける環境にある人は、って、この日記をパソコンで読んでる人は、聞ける環境にあるだろうから、任天堂のゲームボーイミクロのホームページを見ればいいと思うよ。なんかがホントに多すぎて、会話の内容がなんかすごくチセツというか空っぽということに気付くはず。いや木村カエラを責めてるわけじゃないんだけどね、なんか「なんか」を頻発して会話が成り立つという現代の社会になんか危機感をなんか感じるんですよ。イェイ。
 
2005年09月24日(土)  ミクロ!!
 
ゲームボーイミクロ。あれだけ欲しい欲しいと言っていたのに、今だ買いあぐねている。金がないわけじゃない。あるわけでもないけど、何度か購入しようと思ってビックカメラ他、ゲームショップに赴き、実際にゲームボーイミクロを手に取った。あとはレジに持っていくだけという状況まで持ってった。でもゲームボーイミクロは未だ我が手に入っていない。
 
今日は絶対買うと、意気揚揚と店内に乗り込んだというのに、手に取った瞬間、訳のわからない損得勘定が始まって、結論の天秤がいつも「損」の方に傾いてしまって、帰りに松屋に寄って豚めし食って屁ぇこいて寝るという行動を何度か繰り返しているのだが、出掛ける前はもうこれは覆せないだろうってぐらい「得」に傾いてたのに、ゲームボーイミクロを手に取った瞬間「損」に傾いてしまうのは、きっとあの徹底的なミクロっぽさが駄目なんだと思う。
 
例えば、今日は彼女にちょっと値の張ったピアスを買ってやろうと思って、彼女の手を引いてアクセサリーショップに行ってみたはいいものの、当たり前のことだがピアスのあまりのミクロっぽさに、8千円払うのが急に口惜しくなって、2千円のよくわからないデザインのピアスを手に取って、こっちの方がいいよ。やっぱりこういうのは値段じゃないよねなんて言いくるめて、「どう? 似合う?」と、2千円のピアスを耳たぶに押しつけて上機嫌になっている彼女に、ちっとも似合っていないんだけど、「似合う似合うメシ食いに行こうぜー」と、巧みに話題を逸らす状況に似ている。
 
じゃあ諸悪の根源はミクロなのか。ピアスが耳たぶよりでかかったら、ゲームボーイビッグだったら躊躇なく1万数千円支払うのかと言われたら、必ずしもそうというわけではない。でも、その対象となるものの大きさによって、価値観が微妙に揺れ動くというのも一つの事実であるのよと彼女の乳を揉みながら。
 
2005年09月23日(金)  だんだから。
 
4日間の遅めの夏季休暇をもらって何をしているかというと、朝7時に起床して大学のスクーリングに通ってる。偉いと思う。すごいと思う。折角の休日に勉学に勤しむなんて素晴らしいと思うと思うのは物事を表面的にしか見ていない為であって、実は、今まで怠っていた通信大学の勉強のしわ寄せがこの4日間に集約しているだけであって、同じ大学の級友の視点から見ると、僕は憐れな大馬鹿者である。
 
4日間も休んだんだから僕だってどっか旅行に行きたい。何もかも忘れていろんなことを思い出すという矛盾した行為に耽りたい。休んだんだから。休んだんだから。だんだから。なんかヘンな表現。
 
さて、この4日間の大連休。僕は大学で何をしているかというと、今この日記を書いている。ちっこいパソコンで。講義の時間にこの文章を書いている。講義はというと、聞かなくてもなんとなくわかるというか、精神保健という僕の仕事の専門分野であるので、実際理解できる。だったら講義なんて出なくてもいいじゃないかと思うかもしらんが、それでは単位が習得できないので、もう何度目かわからない留年を迎えてしまう。おー怖わ。だんだからだんだんだから。
 
2005年09月22日(木)  +コミュニケーション。
 
なんとか、なんとか、今月20日〆切の原稿を今日書き上げることができた。今回は、珍しく辛かった。何が辛かったかというと、頭で考えているストーリーに自分の力量がついていけないというか、自分の力量に対して時間が短すぎるとか、病院の仕事が忙しかったとかって最後のやつは言い訳だけど、今回はきつかったなぁ。
 
原稿書くのがきついことは一向に構わないのだけど、その弊害を真正面から受けなければいけないのは僕の彼女であって、可哀想なものだよ。電話が掛かってきても僕はろくに返事すらできない。空返事というか話そのものを聞いていない。
 
「ねぇ、聞いてるの?」
「……」
「ねぇって」
「あー、そっか……」
「なにが」
「うーん、あ、うん。で、何?」
 
という具合に、全くコミュニケーションを取ることができない状況になっていて、もう2年近くも付き合っているので、僕がどういう状況に陥っているか理解している彼女は、僕に負担を掛けないように話を早々と切り上げて、「じゃあ……頑張ってね」と、消え入るような声で静かに受話器を置くというわけではなく、「ねーねー! ねーねー!」と、まともなコミュニケーションが取れるまで子犬のようにいつまでも食いついてくる。それが彼女の可愛さでもあって、僕自身も拒絶的な反応を示しながらも気分転換となっているのも確かで、そもそも本当にウザかったら電話を取らなければいいわけで、電話を取るという行為そのものが、彼女との繋がりを求めている。というプラス思考。
 
2005年09月21日(水)  余裕がない。
 
最近は昔みたいに毎日その日のうちにその日の日記を書くこともなくなって、今現在、何日の日記を書いているのかわからないけれど、台風ね。関東地区に近付いてるやつ。この日記を書いてる日の3日前かもしれないし5日先かもしれない。とにかく台風が近付く前日、僕は午後9時前まで職場で残業をしていた。明日の明け方、台風が一番関東地区に近付くらしいのだが、既にやや強い雨が降っていた。
 
傘を持ってなかったのでびしょ濡れになりながら自転車をこいで家に帰った。一度家に帰って一息してからコンビニに寄って晩飯を買おうかと思った。とにかく雨が強かったので一分でも早く家に帰りたかった。夕方は雨が降ってなかったので、定時に帰った人たちが恨めしかった。僕なんて仕事しても仕事しても新しい仕事が沸いてくる。今日もいくつか仕事を残して帰ってきたのだ。僕は人を看る仕事をしてるのに、最近は書類ばかり見ている。って、こういう状況、前勤めてた病院の時も書いていたなぁ。
 
どうも仕事を抱えがちな人間らしい。というのもとうの昔からわかってることで、物事を断る断れないという性格ではなくて、もっと先天的なもの。知ってるわかってる。自分で言うのもなんだけど、僕は基本的に真面目な人間なのだ。生真面目な人間なのだ。いくら斜に構えても、知らないうちに正面に構えてる。そんな人間なのだ財布忘れた。
 
職場のロッカーに財布忘れた。外は雨。大雨。財布がない。晩飯買えない。部屋を漁ってみたものの、腹を満たすものなど一つもない。彼女が酒のつまみにもろきゅうを作ってくれたときのもろみが冷蔵庫に入ってたので、もろみオンリーぺろぺろ舐めながら、財布がない。晩飯がない。酒がない。外は雨。心の中に余裕がない。
 
2005年09月20日(火)  偉大なる妹たちに。

僕には妹が二人いて、二人とも既に結婚しているのだが、上の妹は現在二人目の子供がお腹の中にいて、下の妹は、あと数週間で子供が産まれる。長男は毎日酒を飲んで詩を書いている。馬鹿であると思う。
 
でも妹たちは偉いと思う。まず結婚した時点で僕より偉いし、子供が産まれるなんて偉すぎて何がなんだかわからない。よって僕も偉すぎる妹たちに少しでも近付く為に、子供を作る表面的な行為だけは常に行っていこうと思ってるんだけど、まあ遠距離とかコンドームとか様々な弊害があって、それもままならないでいる。
 
では他の方法で偉大なる妹たちに近付こうと、たまには手料理を作ってみようと思うけど、資源ゴミね。資源ゴミの日、うちは毎週木曜日なんだけど、回収を週に2回してほしいと思っているのです。というのは、僕は深夜仕事をして、朝方部屋に戻るということも多々あるので、木曜日に夜勤明けだったりすると、家に帰るのが資源ゴミの回収が終わった後だったりして、これが何を意味するかというと、ビールの空き缶、これを捨てるのが面倒臭くて、ビールを飲み終わったらシンクの上に並べて置くのです。
 
1日ビールを1本ないし2本ないし飲むとして1週間で約十数本もの空き缶がシンクに並ぶということになる。だから料理がしたくても空き缶が邪魔で料理ができない。だったら空き缶をゴミ箱に捨てたらいいじゃないかと単純な解決法が思いつくのだけど、まあそりゃそうだけど、ね? ね? と、何がね? なのかわからないけど、甘えた視線で同意を求めつつ、僕の人生がこんななのも全て酒のせいにして酒がなければ、我が家のシンクがもう少し広ければ、資源ゴミの日が週2回だったら、僕だって、僕だって、とっくに結婚してるさー。と、なぜか最後は沖縄弁のイントネーション。
 
2005年09月19日(月)  自意識どこまで。
 
ファッションにはそれなりに気を遣っているつもりなんだけど、ファッションというものは自己満足という要因が大きいのは確かだが、誰かが見てくれてなんぼの世界でもあって、その誰かというのは「知っている」もしくは「知ろうとしている」誰かということで、知り合いと会う時はお洒落していくけど、コンビニに行くときはお洒落をしないということである。
 
私はコンビニに行くときもお洒落していくわよ。と言う人もいるかもしらん。それは結構なことである。その人の自意識にもよると思うが、このようにどこまでお洒落してどこからジャージで過ごすというのは、人によっても違うし、年代によっても違うし、その時の気分によっても違う。要するに人それぞれという身も蓋もない結論に行き着くのだが、まあいろいろ考えてみたんだけど、結局こういうことなのである。
 
わかりやすく説明すると、僕の前でいつもお洒落していた彼女が、部屋に通うにしたがって、部屋に常駐するにしたがって、結婚するにしたがって、我が身を必要以上に着飾る、もしくは繕う必要がなくなるから、お洒落をする機会が少なくなって、メイクもあまり必要なくなって、これが要するに相手に素顔を見せるという文学的な表現をしつつ、そりゃいかんだろう。親しき仲にも礼儀あり。ある程度の嗜みは持ち続けるべきだろうという考えもあるのだが、自分を着飾る線引きというのは自覚すべきことだと思うということを彼女に言われてショック。
 
2005年09月18日(日)  真っ暗暗い暗い。
 
コンビニのおにぎりの海苔を上手いこと全部取ったことのない僕です。はじめましてときたもんだ。あの海苔の角の部分がビニール部分に残ってしまうんだよね。むかちゅく。
 
「むかちゅく」と、僕の彼女の口癖を真似してしまったが、本当にむかちゅくのは最近定時に仕事が終わらないことであって、今歯医者に通ってるんだけど、5時半に予約しても仕事が終わるのが6時半だったりするのでいつも謝罪の電話を掛けている。土台がなんとかなので早めに来院して下さいねって歯医者の受付嬢は言うけれど、だったらお前も俺の仕事を手伝ってくれよと思う。
 
つい最近まで仕事が終わって外に出ても明るかったのに、近頃はもううっすらと闇に包まれようとしている時間になっている。ああ暗い。真っ暗森の、目立たない道。近くて遠い真っ暗暗い暗い。なんてわかる人にしかわからない歌を口ずさみながら自転車こいでコンビニ寄って、今日はカップラーメンとおにぎりでいいやって部屋に帰って絶望的な気分でおにぎりを食べようとするとビニール部分にちょこっと海苔が残って真っ暗暗い暗い。
 
2005年09月17日(土)  下劣な思春期。
 
マンションの入口にポスティングされたチラシを捨てるためのゴミ箱が設置されているのだが、時々このゴミ箱にアダルトビデオが捨ててある。しかも熟女とかSMとか、少々趣味が偏った内容のやつ。
 
なぜいつもマンション入口のゴミ箱に捨ててあるのだろう。なぜ趣味が偏っているのだろう。そしてなぜ僕は部屋に持って帰らないのだろう。それは僕の部屋にはビデオデッキがないからだよー。ってもしそれがDVDだったとしても熟女やSMにあまり興味がない僕は、多分持って帰らないと思う。
 
アダルトビデオで思い出したんだけど、高校の頃、友達の家に泊まりに行ったとき、男5・6人でひたすらアダルトビデオの品評会が始まって僕にはそれが耐えられなかった。何が楽しくて男と一緒にAV見なきゃいけないんだ。ぴんこ立ちしたって行き場所がないじゃないか。馬鹿馬鹿しい。益体もない。下劣だよこんな思春期。早くマリオカートしようぜーとか誘っといて自分はピーチ姫を選んだりする思春期。
 
2005年09月16日(金)  ただただ虚無。
 
東京に突然秋が訪れた。夜、ゴミを出しに、ってそういうこと書いてると社会的に駄目な人間に見られてしまうので、夜、コンビニにビールを買いに外に出ると、風が冷たかった。
 
ああ風が冷たい。今夜はビールじゃなくて焼酎のお湯割りにしよう。と、そこまで冷たいわけじゃなく、いつものようにベッドでビールを飲みながら窓を開けて外を見るとサンシャインビル60が冷たい空気にさらされていつもより澄んで見えるわけがなく、実際ベッドの横の窓からはサンシャインビル60は見えずに、向かいのマンションの窓が見えて、その窓からは時々、カーテンを閉め忘れた人妻がエアロビクスに勤しんでいるわけでもなく、ただただ虚無。ただただ虚無。
 
人が住んでいるような気もするけれど、誰もいないような気がする。だいいちこのマンションの隣の部屋だって誰が住んでいるかわからない。どこもどの部屋もカーテンが閉まっている。冷たい風が部屋に新しい季節の訪れを知らせてくれるというのに、みんな窓を閉めてひっそりと暮らしているのか死んでいるのか。
 
まだ片付けていない部屋の風鈴が静かに揺れる。おお寒む、と体を震わせてビールを飲み干し窓を閉める。一人おやすみなさいと呟き電気を消すとここにも虚無が訪れる。
 
2005年09月15日(木)  アイツとボクとワキゲとキミと(後)
 
君は鏡の前でキスシーンの練習を繰り返す。不器用に唇を尖らせて、不様にまぶたを半分開いて。時々、その表情を崩さぬまま僕に顔を寄せ、キスを迫ることがある。それは実演と予行練習を同時に行っているようでもある。
 
そこに愛はあるのだろうか。あるのならばどういった種類の愛なのだろう。アイツに抱く愛とはどう違うのか。どこが同じなのか。
 
僕は君の愛に応えようと、静かに身を委ねた。しかし君は口を大きく開き、食べたばかりのギョウザの息を私に強く吹きかけたのだ。
 
「ねぇ、ケンちゃん。怒ってる?」
 
君は猫なで声で僕に話し掛ける。僕は黙っている。部屋の隅で小さくなって、ベッドの上に座っている黄色いクマのぬいぐるみをただ眺めている。黄色いクマのぬいぐるみも静かに僕を見つめている。時に愛の言葉を浴びせられ、時に下腹部の鈍痛が治まらなくてイライラすると、月に一度の個人的な理由でベッドの下に放り投げられたりする。
 
この黄色いクマの方が、君よりもわかり合えるのかもしれない。

君はテレビを見ながら少し尻を持ち上げて大きな屁を放つ。足を伸ばして遠くのリモコンを足の指で挟む。下らないバラエティ番組を見て手を叩いて下品な笑い声を挙げる。
 
僕の前では平気な所作も、アイツの前では禁忌となる。アイツと会ってる時の君と、僕といる時の君。どっちが本当の君なんだろう。そしてどっちの君といる方が幸せなんだろう。見えてるものが全て真実とは言い切れない。見えないものが全て嘘とは限らない。
 
君は素っ裸のまま、洗面所でコンタクトを入れる。君は延々と携帯で自分撮りを繰り返す。君は仕事から帰ってきてすぐ脱いだストッキングの匂いを嗅ぐ。君はショートケーキを包むフィルムを舐める。君はアイスクリームの蓋を舐める。まるで僕のように。
 
「ケンちゃん、おいで」
 
吾輩は猫である。名前はケンちゃん。
 
2005年09月14日(水)  アイツとボクとワキゲとキミと(前)
 
君は僕の前で鼻をほじる。鼻の下を伸ばし、ウィンクしたような表情を浮かべているのは、指で鼻の中を深追いしているから。
 
君は僕の前で腋毛を抜く。眉間にしわを寄せ、ウィンクしたような表情を浮かべているのは、微小な疼痛に耐えているから。
 
君は僕の前で足の爪を切る。鼻の穴を開き、ウィンクしたような表情を浮かべているのは、切った爪の匂いをこっそり嗅いでいるから。
 
鼻糞を、腋毛を、足の爪を、時に我が子を見るような愛おしい眼差しで見つめ、時に研究対象を見るような厳しい眼差しで仔細に眺める。そして決まって、それらと同じ眼差しを僕に向け、肩をすぼめ、恥ずかしそうな、そして秘密の共有を迫るようなウィンクをする。
 
僕は知っている。アイツの前では僕といる時とは比較にならないくらい、女らしく振舞っていることを。料理好きをアピールしたり、ブランドのバッグをぶら提げたり、百万人が泣いた感動映画で漏れなく泣いていることを。
 
付き合いが長くなると、羞恥心が減って秘密が増える。僕は知っている。アイツの前ではまだ羞恥心から生まれる美しさを放っているということを。
 
君は鼻をかむと必ずティッシュの中身を確認する。そのお馬鹿な行動は、鼻水と一緒におそらく脳味噌が流れ出ているせいだと僕は思っている。
 
君はベッドの上のお気に入りの黄色いクマぬいぐるみに話し掛ける。好きよ、愛してる、離れないでね。絶対離れないでね、浮気したら許さないからね、好きよ、大好き。憐れなクマのぬいぐるみは、君が眠りに就くまで、呪詛のような愛の言葉を表情一つ崩さず、延々と浴び続ける。
 
僕は知っている。アイツの前では僕には見せない笑顔を浮かべていることを。アイツの顔を見ただけで頬が緩み、名前を呼ばれただけで微笑んで、下らないギャグに大声で笑っていることを。
 
君と僕は、あまりにも長くいすぎてしまって、日常の中に笑顔が埋没してしまった。君と僕の間には、笑顔も言葉も、大した意味を持たなくなってしまった。そして笑顔が埋没された二人の間に、倦怠の黒い花が芽生える。
 
2005年09月13日(火)  ちっこいゲーム機発売日。
 
今日はゲームボーイミクロの発売日で、ゲームボーイミクロを知らない人のために説明すると、ゲームボーイミクロとはとってもミクロなゲームボーイのことで今日が発売日なのである。
 
所用で出てきた池袋のビックカメラの前でゲームボーイミクロが展示してあって、店員がファミコンカラーは売り切れ必至だから早く購入しないとえらく後悔することになるということを繰り返し言っているので、まあ人生に後悔はつきものだけど、ゲームボーイミクロ如きで後悔したくないなぁ。買っちゃおうかなファミコンカラー。
 
でもこの色って飽きそうだよね。だったら飽きがこないブラックにしようかしら。でもブラックはいつでも買えるだろうけどファミコンカラーは売り切れ必至で後悔の嵐だしなぁ。ブラック買って後悔するようじゃ本末転倒だよなぁ。どうしよう。と、店の前をウロウロしながら、つい新機種の携帯を手に取ったり、買いもしないデジカメをベタベタ触ったりしている。
 
しかし待て。ちょっと待て僕。そもそもお前はゲームボーイミクロなんか買ってる状況なのか。お前には仕上げなければいけない原稿が山ほどあるではないか。こんなちっこい携帯ゲーム機にうつつを抜かしてまともな原稿が書けるものか。さっさと帰って原稿書けこのクソボケ。と、僕の声だか編集長の声だかわからないけど、そういう声が聞こえてきて、そりゃあそうだけどまあちょっと見て今の僕の生活状況を。
 
朝早く仕事行ってさ、たまに夜勤で深夜も働いてさ、うちに帰ったら原稿のこと思い出してさ、娯楽といえば小説くらいで、彼女といえばめちゃくちゃかわいい。そんな娯楽が少なくて欲もあんまりない僕がたまにちっこいゲーム機が欲しいって言っても誰も責める権利はないと思うんだけどなぁ。そう思うだろ僕。そう思うよね僕。と、ビックカメラの前で一人相槌を繰り返す。
 
2005年09月12日(月)  ちゃんとなおして。
 
先日、患者さんに「その衣類はベッドの中に棚になおしてください」と言うと、患者さんは「は?」という言葉そのままの顔を浮かべたので、あれ、耳が遠いんだっけな。と、もう一度「それ、棚に、なおしてください」と言葉を切って大きめな口調で言ったのだが、患者さんは更に「はぁ?」って顔をして、なぜか棚を開けたり閉めたりしている。
 
ヤバイ。痴呆の症状が出てきたのかしらと、ハラハラしていると、背後から看護婦さんが「その着替え、棚の中に片付けて下さい」と、同じことを言う。すると患者さんはなんだそういうことかという顔をして、衣類を棚の中に入れた。
 
なんで僕の言うことがわかんなかったのだろう。どうしてすぐなおしてくれなかったのだろう。と、看護婦さんに訊ねると、あなたの言っている「なおす」という表現は方言だから私は長崎出身だから意味がわかったけど、東京の人に言ったってわかるわけがない。と言う。な、な、なおすが方言だなんてー! し、し、信じられない! と、僕は怒りと羞恥で病室を飛び出し、隣の病室に入って、患者さんに「ちょっとそのシャツ、着ないのだったら棚の中になおしてください」と言うと、やはり患者さんはオロオロしだしてシャツを表にしたり裏返したりしている。
 
ヤバイ。本当に通じていない。どうしてなおしてくれないんだ。なおすはなおすだろう。ていうか東京に来てもう数年経つのにどうして今まで気付かなかったのだろう。さっきの看護婦さんみたいに、言葉の誤りを即座に注意してくれる人がいなかっただけなのかもしれない。今まで何十人もの人間に、おかしなことを言う男だと思われていたのかもしれない。キー。恥ずかしー。
 
ちなみに鹿児島では「今からそっちに行く」ということを「今からそっちに来る」と言う。だから彼女に電話で「今からそっち来るから待ってて」と言っても全く通じないどころかかえって混乱を招いてしまう。ということを前付き合ってた彼女から言われたことがある。よって現在も頭の中では「今からそっち来るから」って言葉が浮かんでも、「今からそっち行く」と、頭の中でいちいち変換しなければならないので非常に煩わしい。面倒臭い。故郷に帰りたい。で、これから「なおす」を「片付ける」「しまう」などに変換していかなければならず、生きていると煩わしいことばかり増えて、結局部屋の中に閉じこもってこういう日記ばかり書いている。
 
2005年09月11日(日)  ほんとだめなひと。
 
方向音痴というのは、イメージマップという空間認識を頭の中に構築できず、道に迷ってしまう現象を指すようだが、重度の方向音痴の僕はそんなこと言われてもさっぱりわからん。
 
例えば新宿に行こうと思って山手線に乗ると、電車は勝手に新宿に連れてってくれるので方向感覚はさほど重要ではない。先日バスを利用した時、乗った場所は新宿駅に向かっているはずなのに、僕の感覚としては新宿とは全く逆の方向に向かっていると感じる。新宿は反対側だろーと根拠がないくせにそう思ってしまう。なぜか。知らん。
 
でも新宿は反対側のような気がするなぁと思ってもバスも電車と同じで目的地を間違えることはなく、僕は空間認識がメチャクチャだけどそれについてあまり深刻に考えることはない。
 
しかし先日、秋葉原で中古パソコンを購入した時、設定に1時間くらい掛かるので少々お待ち下さいと店員に言われて、じゃあ飯でも食ってこようと、店を出て界隈をブラブラしながらファーストフード店に入ってハンバーガーを全部食ってからじゃないとポテトに手を出すことができない不器用な僕は、時間を掛けてそれらをたらいあげ、やはりコーヒーはコーヒーだけしか飲むことのできない僕は、ハンバーガー、ポテトの完食後、冷えたコーヒーをちびちび飲んでタバコ吸って小説読んで、さぁもう1時間経っただろうと、ファーストフード店を出るとパソコンを買った店がどこだかわからなくなっている。
 
これは電車やバスの時は表出しない由々しき事態であって、仮に電車でどの駅で乗り換えてよいかわからなくても駅員に聞けばそれらの問題は直ちに解決されるのであるが、ここは秋葉原、警官に「僕がパソコン買った店はどこでしょうか」と訊ねてもわかるはずがなく、店のイメージもなんか看板がばーってなってて、パソコンの部品とかがずらーって並んでて、店員のもみあげがえらく長かった。と、あてになる情報は何一つ持たず、ここに来るまでに1時間前の僕は一体どのような移動をしたのかという事を体内の感覚器官に訊ねるのだけど、僕の体内器官はハライッパイとかピクルスクエバヨカッタとか、そんな反応しか返ってこないので中古パソコンの金だけ支払って肩を落として我が家へ帰る。
 
2005年09月10日(土)  二者会談。
 
最近あまりにも仕事が多くて、深夜に泣きながら書類を書いたり慣れないエクセルを操作したりで心身が衰弱。想像を絶する災害に見舞われて死ぬ夢ばかり見て、朝方ハッと目が覚めて、あぁ夢か。でも現実の今日は仕事の日だ。もう一回夢に戻って死んでこよ。と、二度寝して遅刻ギリギリに覚醒し、テメェ大塚笑ってんじゃねぇよと、目覚ましテレビに悪態をつきつつ朝の支度をしながら昨夜仕上げた書類をバッグに入れて、くそ、職場に自分専用のパソコンがあれば、職場で仕事できるのに。ノートパソコン、欲しいな。と、その日の仕事帰り、秋葉原に行きました。
 
「職場に置くやつだからエクセルとワードができたら充分なんです」
 
なんて初めは言ったけれど、徐々に色気が出てきて、Win98SEよりもXPの方がいいよなぁ。メモリが125MBじゃちょっと心細いなぁ。せめて256MBにしたい。DVDは見れなくてもいいけど、あぁやっぱり夜勤の暇な時間に見たい時もあるかなぁ。CD-Rはいらない。職場で音楽聴かないもん。あ、でも看護婦さんにCD焼いてって頼まれた時、職場でできるもんなぁって感じ? で、いくら?
 
「13万円になります」
 
と、僕は中古のパソコンショップに来て財布の中には6万円くらいしか入っていないはずなのに、欲求が現実を凌駕してなかなか現実と折り合いがつかない。初めはWin98SEでofficeがついてたら充分って感じだったのに。うーん。でも仕事専用のパソコンに13万円も使えるほど僕は私生活に余裕がない。あぁ給料日いつだっけ? と考えて、いつも給料日まで2週間以上あって愕然とするような生活を送っている。13万円。無理だ。帰る。でもせっかく秋葉原に来たんだし。
 
僕もちょっと自分の欲求に関して妥協するので、店員も値段を譲歩してほしいという旨を店員に伝え、この要求が受け入れられなかったら僕は帰る。今一度国に帰って検討する。と、六カ国会談の某国のようなカードをチラつかせつつ値切り開始。
 
店員は全ての欲求を放棄するよう求め、同時に平和的な方法で職場のパソコン問題を解決するよう努力をすることを強調したが、職場のパソコン問題は病棟の主任にオマカセ体制への深刻な挑戦であり、主任の私生活の平和と安定に直接の不安をもたらすものである。よって中古パソコンショップが一刻も早く、無条件に僕の要求を受け入れ、中古ショップの裁量の下、XPは無理だからせめてWIN2000で、という一切の営業計画を破壊することを要求する。僕は僕で口調穏やかな値切り口調など平和的な方法で、職場のパソコン問題を解決することに力を入れつつ結局破談。
 
2005年09月09日(金)  もらいものいっぱい。
 
この歳になって一人暮らしをしているというのは、何かと心配させられるものらしく、時に周囲から様々な恩恵を受けることができる。例えば冷蔵庫。
 
先程、ビールを取り出して気付いたのだが、ほぼ全てと言っていいほど冷蔵庫の中身は貰い物である。例えば今飲んでいるビール。350mlのスーパードライなんだけど、これも貰った。先日の夜勤明け、僕の同じ歳くらいの子供がいる看護婦さんから、ロッカーの上に置いといたから持って帰ってねと言われて、この看護婦さんは時々タッパーに入れて料理を作ってきてくれるので、やった、今日も晩飯何食うか迷わないで済むよ。と、コンビニに寄らず嬉々と部屋に帰って開封したら、通りでいつもより重いと思った。350ml四本、500ml三本ものビールが入っていた。晩飯は入っていなかった。複雑だけど、酒は酒で嬉しかったので、その日の夜は晩飯を抜いてビールばかり飲んでいた。
 
あと冷蔵庫にはブドウが8房も入っている。これも貰い物。とある看護婦さんから「ヨシミくんブドウ好き?」と訊ねられたので、「三度の飯より好きです。知ってます? 僕の血なんてグレープジュースの味がするんです」と、言わなくてもいいリップサービスなんてしたものだから、翌日看護婦さんがブドウ持ってきたから食べてねなんて言われて、8房もの巨峰を手に入れた。
 
うちの冷蔵庫は、マンスリーマンションに置いてあるような冷凍庫と冷蔵庫が一つになったような正方形の小さなやつなので、もう巨峰だけで冷蔵庫いっぱい。しかも1房の半分食べただけでもう食えねぇと断念。あと7房半。腐らせてしまうのは申し訳ないので何とか食べようと思っている。人数が集まれば巨峰パーティを開こうと思っている。
 
あと栄養ドリンク、ヨーグルト、つくだ煮、缶チューハイ、なぜかわさびに至るまで、全て人からもらったものである。別に極端に貧乏しているわけでもないのに、何かと人から物を貰うのは、無意識のうちに僕は悲しい目を浮かべているのかもしれないわけない。
 
2005年09月08日(木)  変化ある日常 五。
 
でも偽るということは当然事実を隠匿、いわゆる秘密にしなければならないわけでお前バカだな。日記、彼女見てるんだろ。ダメじゃん。秘密言ってんじゃん。内情バラしちゃってんじゃん。ってこれを読んでいる不特定多数の愛する人たち、そしてこれを読んでいるちょっと短気な彼女はそう思うかもしらんが、まさしくその通りです。そもそも指輪のデザインが思い出せないって時点で計画は頓挫したわけだしね。
 
というわけで本当の内情をばらすと、「変化ある日常 一」を書き始めた時点で、指輪紛失→偶然発見という、実に一週間にも及んだ苦悩の過程を既に経ていたのであって、僕の薬指には彼女と同じ指輪が、もう半年以上も使用しているのでお世辞にも輝いているとはいえないが、愛の繋がりの象徴として、精神的に輝いている。キラキラ☆
 
しかし紛失した時は自決しようと思ったくらい悩み、苦しんだ。と、書けばいいのかな。彼女が喜ぶ文章的手段として。まぁ、悩んだことは悩んだ。どこに落としたんだろうと探したことは探した。でも、でもね、探すのをやめたとき、見つかることはよくある話で、ウフッフーなんて僕は夢の中へ現実逃避してばかりで、「いつか見つかるだろう」という軽薄なスタンスを選択して、それが功を奏したのか、カバンの底からキラリと出てきた。カバンの底なんてまず最初に探したよ。あんときゃ出てこなかったじゃねぇかと決して怒らない。だってそれは神様の悪戯なんだから。カバンの中も机の中も探したけれど見つからないのに。
 
変化ある日常。こうやって思い返してみると、これはこれで刺激的な毎日だったな。こういうトラブルを乗り越えて、見事解決された安堵感? 達成感? 運命に踊らされた感? こういうのもたまにはいいね。人間は、変化の過程で成長するわけだしね。と、このようなことを、喉元過ぎればなんとやらと申します。終わり。
 
2005年09月07日(水)  変化ある日常 四。
 
同じテーマで四話も続くって珍しいなぁ。まるでただ無闇に長々と指輪を紛失したことの弁明を書いてるみたいじゃない。まぁ実際そうなんだけど。正直スマンカッタ。この通り反省している。尻が痒い。
 
最初は洗面所の水道の水を止めるのを忘れてしまい翌朝気付く。携帯を職場に忘れているという事実を就寝前に気付くという、変化ある日常ではなく、病的な日常の変化を書いてしまっている延長線上に、彼女と買った指輪を紛失するという、いわばはじめのうちはグダグダどうでもいいことを書いているように見せかけて、実は謝罪への布石を既に打ってあったのだ! と、偉そうなこと言っても指輪は戻ってこない。どないしよ。尻が痒い。
 
紛失してから既に1週間が経過している。そしてこの1週間の間に、大事に使っていた赤色のジッポも紛失してしまった。あれ高かったのに。特殊な素材でコーティングされてたのに。悲しいな。みんな僕の前から消えていく。そのうち彼女も去っていくのだろうか。やだな。彼女はまだ若いから。二一歳だから僕と別れてもそんなダメージはないかもしらんが、僕はもうすぐ三十だから、三十路の路は袋小路の路。もうあとがない。ハンディカムで子供のかけっこを撮影するという機会に一生見舞われないかもしれない。悲しい。切ない。尻が痒い。
 
とにかく彼女に指輪を紛失したことがバレないためには、同じデザインの指輪を購入して、何食わぬ顔して装着してれば万事上手く収まるのではないかしら。これが今考えられる最善の策だよね。よーし。今度の休み指輪買いに行こ。で、このまま彼女を偽り続けて生きていこう。偽りの恋。いいね。背徳的で。昼メロみただね。韓流ドラマみたいだね。見たことないけど。尻痒いけど。
 
2005年09月06日(火)  変化ある日常 三。
 
というわけで、彼女と二人で買った指輪を紛失してしまったという事実を、彼女はこの日記を読んで初めて知るのであるが、へへ。マイハニー。読んでる? こんにちは僕です。元気ですか? ってさっきメールしたけどね。月末に温泉行こうよ。後楽園のラクーアに。あそこ結構いいみたいよ。意外と安いみたい。行こうよ。指輪なくしちゃったけど。と、私信を織り交ぜつつも、彼女は僕の彼女ではない不特定多数の人たちと同時に指輪を紛失したという事実を知るわけで、こういうのを一番彼女は嫌う。
 
なぜかというと、僕がいろんな媒介に寄稿している原稿も、私が一番最初に読むんだから。書いたらすぐ送ってね。最初に読むのは私だって決まってんだからー。と、送ってもたいした感想も述べないくせに、「最初」というものにすごく拘っている。よって指輪を紛失したという事実も、こんなブログの日記に書くよりも先に私に言うのが筋ってものじゃない? 違う? もう。私をなんだと思ってるの? 二人で指輪を買うイベントをなんだと思ってるの? 交際が1年続くたびにペアリングを買っていこうって提案したのはあなたでしょ? なんなのよまったく。もうイヤ。お風呂入ってくる。んで「海猿」見るからこれ終わってから電話して。と、言われるのは火を見るよりも明らかであり、ゴメンね。口には出せない思いもあるの。往々にして恋愛ってそうでしょ?
 
と、何のフォローにもならないことを書いても、無くしたものは返ってはこない。探したけれど見つからない。同じ物を買おうとしたけどデザインが思い出せない。かといって正直に彼女に打ち明けることもできない。よぉし。日記に書いて迂遠にこの苦悩を彼女に伝えよう。殴られはしないだろう。遠距離だし。と、どこまでいっても僕は卑怯な人間で、彼女はこの日記を読んでいる途中で既に怒り心頭。パソコンのモニターを叩き割り、電話口で僕に対して罵詈雑言を浴びせているのかもしらん。ああ怖わ。でも言わないよりはましだよね。そんなんじゃねぇオラが落としたのはもっと汚ねぇ斧だって正直に打ち明けてるってことと同じだよね。文章には支離滅裂じゃなくて起承転結というものがあるんだから、最後まで読んでほしいよね。最後まで。まだ続くけど。
 
2005年09月05日(月)  変化ある日常 ニ。
 
変化ある日常の続きってことで。昨日は変化ある日常に憧れつつも安定を求めてしまうという自己撞着に悩む青年の矛盾だらけの主張ということをテーマに書いたが、変化ある日常。これは変化が欲しいと望むからこそ憧れるのであって、地震雷彼親父。突然襲ってくる変化なんて誰も望んではいない。僕も望んではいない。彼女と買った指輪を紛失してしまったことなんて誰にも言えない。
 
この日記は、僕の彼女も読んでいて、僕はいつも「あなたウソばっか書かないでよ。人権侵害すれすれじゃない。殴るよ。殺すよ。殺したいほど好きよ」と、日頃から罵られているのだが、指輪を無くしたってことは嘘ではなく、先日、本当に無くしてしまって、変化のある日常をこれほど憎んだことはないというくらい、「変化のある日常」という概念に指輪を紛失したという責任を転嫁させて、当の本人は、鼻をほじる、糞をする、プレステする、彼女に今日の出来事を報告するなど、表面的には変化の乏しい日常を演じつつ、あ。あの指輪買ったとこで同じデザインの指輪を買えばいいんだ。と、ろくに探しもしないで汚いことばかり考えていたが問題発生。
 
指輪のデザインが思い出せないのだ。これは指輪に愛着がなかったというわけではなく、毎日のように指輪をはめていて、まぁいうなれば、指輪自体が日常に溶け込んだ感? 永久の愛を手中に収めた感? 指輪が薬指に馴染んだ一体感? そんなやつみたいな? という状態になっており、その無くした指輪は今年の二月に二人で購入したものなんだけど、あれから7ヶ月。日常に埋没された指輪はデザインを失い、ただの愛という概念になっていた。だから思い出せないのよきっと。いやね。愛って。
 
しかし、このように平静を装いつつも心の中ではいつもうろたえていて、つい先日、たまたま彼女と大きなケンカをしてしまい、あぁ、ちょうど良かった。指輪も無くしたし。このまま別れようかな。と、ケンカの根本的な原因とは別の意味で破局を考えていたのだが、まぁどっちも悪かった。君も悪いけど僕も悪い。これからもお互い悪いとこを補って生きていこうね。好きよ。と、これまたいつものような変化のない結論を迎えてケンカが収まり、あぁ、破局は免れたけど指輪が。続きは明日。
2005年09月04日(日)  変化ある日常 一。
 
毎日毎日同じことの繰り返しのつまらない生活にならないように、腸が弱いのに朝ヨーグルトを食し仕事中に腹痛に耐える、休日の朝から酒を飲み酔いの絶頂期に「いいとも」を閲覧する、自転車に乗ったまま緩やかな階段を降りる、歯を磨いた後にポテトチップスを貪るなどして、日常に変化を加えているのであるが、まぁ局面的には効果があるかもしらんけど、全体的には何の変化もない日常。仕事して飯食って酒飲んで糞して就寝。変化がない物語性に乏しいなんて嘆いているうちが花なのかもしれないけどね。
 
そういえば最近、洗面所の水を出しっぱなしにして、それを忘れてしまうということが多くなった。アルツハイマアのやうな。今日の朝も洗顔の為に洗面所にいくと、ものすごい勢いで水道から水が出ている。あわわ。昨日の夜歯を磨いた時から出しっぱなしだったよ。はは。と、真剣に考えると深刻になってしまうので軽く笑って済ましているけれども、ここ数週間、同じことを繰り返している。でも台所や職場の水道は出しっぱなしにしない。洗面所の水だけ止め忘れてしまうのだ。はは。変化ある日常。
 
そういえば携帯をどこかに忘れてきてしまった。といっても職場だと思うんだけど、携帯がないと気付いたのは、帰宅途中、もしくは家に帰った直後ではなく、さて寝る準備でもするか、ってパジャマに着替えてってこれは嘘だけど、ベッドに新しいシーツをひいてってこれも嘘なんだけど、携帯のアラームを設定しようとした時にようやく気付くという呆れっぷりで、実は僕の日常に携帯電話は必要ないんじゃないかと思ったりして、実際必要ないと思う。あると便利だけどあるから使うってだけで。だいたい空気清浄機なんてのも、そんな切迫した状況じゃなければ必要ないと思うけどねぇ。
 
あ、それと、えっと、あれね。まぁいいや。よくないけど。続きは明日書く。変化ある日常。よく考えると厭だな。
 
2005年09月03日(土)  ミュージック・バトン。
 
現在ブログで日記を書いている人たちの間で流行っている「ミュージック・バトン」というものを書いてみたくて書いてみたくて、この日記もブログ形式に移行したのだけど、誰もまわしてくれないのでもう一人で書く。すごい寂しい。
 
【コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量】
寂しいので調べる気にもならない。調べても書きかけの原稿ばかり出てきて更に陰な気持ちになる。マイ・ドキュメントってやつに全部放り込むからいけない。
 
【今聞いている曲】
英語なんで文字打つのが面倒臭い。でも歌詞が恰好いい。今女性ボーカルが「ノンノンノノォ〜ォ ドンテンバハァ〜」って歌ってる。本当は何言ってるかわかんないけど恰好いい。2曲目のやつね。
 
【最後に買ったCD】
ミッシー・エリオットのアルバム。この人ライブで見たことあるけど、ヒップホップ好きな近所のおばさんって感じで非常に共感が持てたけど外人。周りの人が怖かった。
 
【よく聞く、または特別な思い入れのある5曲】
嗚呼。やっぱりこんなバトン回ってこなくてよかった。日記のネタがないときに使えるかなぁって思ってたけど、5曲考える暇があったらいくらでも文章書くことができると思う。寂しい。
 
【バトンを渡す5人】
ほら。結局煩雑な人間関係に行き着くじゃないか。やだよ。ただでさえ職場で誰にも仕事頼めないっていうのに。でもさ、まず一人から始まって、それを5人に広めて、その5人がそれぞれ5人をってネズミ講式に広げていってさ、もうすごい広がってさ、そんでさ、ばーってさ、ぐわぁぁって感じでみんな書いてさ、それでもまだ広がっていってさ、そんでさ、そういうのがさ、このバトンがさ、いつまでも回ってこない運勢を、何か別のエネルギーに変換したいよね。
 
2005年09月02日(金)  閉鎖の危機。
 
忘れなーいでお金よーりもー大切なものはないー。と、こんな退廃した鼻唄が無意識に出る時点で僕の心は肺よりもタールで真っ黒だと思うが、サラ金会社のCMってのは、債務者に向かって「ご利用はご計画的に」なんてキレイな女を使って言わせるあたり、僕より退廃しているのは明らかで、そもそもご計画的に生活している人間は、サラ金になんて手を出すはずがなく、ご計画的に金を借りるなんて行為そのものが矛盾してるっつうか終わってるっつうか自家撞着してるよね。
 
と、気付いたら給料日が過ぎていて、おっといけねぇ家賃振り込まなくちゃと、ネットバンキングでちょちょいのちょいと振込みを済ませ、何気にここ数日に届いたメールを閲覧していたら、「契約期間終了のご案内」というメールが届いており、「2005/08/31をもってご契約が終了いたしました。弊社サーバーの使い心地はいかがでしたでしょうか」と書いてあるではないか。
 
やばい。9月にリニューアルしたばかりなのに、サーバーの契約期間はすでに終了していた。ということはこのサイトはあと数日すると跡形もなく消えてしまうことになる。やばい。せっかく苦労してっつうか彼女だけが苦労して拵えたサイトなのに。早く、早く振り込まなきゃ。と、再びネットバンクを開いて振込みを済ませ、今までは半年契約だったのだが、今度から1年契約にすることにした。
 
よって振込みが終了すると、あと1年は安泰。心に余裕を持って日記を書くことができるが、振込みが失敗すると、もう駄目。たいてい物事の結末というのはあっけないものだが、このサイトもある日突然消えてしまう危険に今さらされている。僕の横着で。無頓着な性格が災いして。ただ振り込みがちょっと遅れただけで。
 
でも今回の不祥事をしかと胸に留め、世の中の摂理を見極め、もうちょっとしっかりと生きていかんといかんなぁと、便意を催した為、トイレへ。
 
ワンルームマンションの小さな小さなトイレから、小さな小さな鼻唄が悲しい口調で響いていた。「忘れなーいでお金よーりもー大切なものはないー」
 
2005年09月01日(木)  5年目のはじめに。
 
デッカチャンってジョン・カビラと彦麻呂を足して2で割ったような顔をしてるよね。不思議だよね。ポン。と、のっけから読む人を選ぶようなことを書いてしまったが、僕は時代の波に負けました。歪み冷奴5年目のリニューアル。ついにブログに移行してしまいました。
 
なぜブログに移行したのかというと、編集や更新が容易な、WEBサイト構築ツールだからとか、最新の更新履歴をリスト表示するので、情報の活性化をはかれるとか、トラックバック機能などで、読者からのコメントやフィードバックを得やすいとかそういった理由ではない。
 
ただ便利かどうかはわからんけど、周りはみんな使ってるからという、僕が携帯電話を初めてもった理由と同じで、こんな右に習えの意志薄弱な人間に何ができるというのか馬鹿野郎。今まではhtmlを覚えちゃなんとかなるというか、ホームページビルダーで素人同然の技術でもなんとかなったが、ブログのデザインを考えたければhtmlはもちろん、cssなんてものも熟知しとかないといけないんだぞ。お前にできるかウンコ野郎と、幻聴が聞こえても僕は気にしない。なぜなら彼氏の愛の言葉には弱いが、コンピューターには滅法強い彼女がいるから。
 
というわけで、新しい歪み冷奴は全て彼女がデザインしました。これはどういうことかというと、今の彼女と別れたら恒久的に同じデザインで運営するか、歪み冷奴そのものを閉鎖するか衆議院を解散するかという切迫した状況に追い込まれるわけで、二十九にもなってまだ選挙に一度も行ったことのない僕が言うことじゃないが、新党日本を結成した人たちはみんな悪そうな顔をしている。まあ顔で選挙してるわけじゃないが、僕の周囲の人たちに郵政民営化についてどう思うか訊ねると、郵便局員は公務員だからなんかムカつくという、公務員に対してのひがみで民営化を賛成しているだけでちっとも時勢が見えてこない辺り、大衆も政治家も一緒なんだと思う。みんなみんな生きているのに目が死んでいる。
 

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