2005年02月28日(月)  一世一代の賭け。
 
一月は往く。二月は逃げるというわけで今月も今日でお仕舞いである。三月は去って四月はししゃもである。月の終わりは何を意味するかというと、給料日を意味するのであって、本日給料日。
 
給料日を迎える度に、何か欲しいものないかなー。何か買いたいものないかなーなんて考えるのだけど、買いたいものなど何一つなく、それは何を意味するかというと、これほとんどが食費に費やされていくのである。
 
道理で手元に物も金も残らないわけだ。僕の給料は毎月下水道に流されていく。ちょーやるせない。何か自分の身になる物が欲しい。食い物とかそういう身になるものではなくて、あぁ、買ってよかったと思わせるような何か。
 
まぁそんな阿呆なこと考えるんだったら貯金でもしたらどうだと思われるかもしれないが、貯金ほど馬鹿らしいものはない。どうせ結婚とかすると婚約指輪及び結婚指輪購入費その他、結納その他、披露宴の費用その他、新婚旅行費その他その他のオンパレード。手元に残るのはジェリーに肛門に空気入れを挿入されたトムのようにブクブク太っていく妻ばかりという悲惨な現実ばかりで、そんな現実を許容できるほどの器の大きな人間ではない僕は、全く貯金をしないということはないけど、できるだけ貯金額を控えて、自分の身になるものを購入しようと考えているのだが既に21世紀、人間の物欲も尽きてしまった。何を買っても蓋を開ければ空虚が残る。将来の妻はアドバルーンのようにプカプカ浮いている。よって本日全ての貯金をはたいて20%の日本テレビ株を村上ファンドから購入した。
 
2005年02月27日(日)  まさに本末転倒。
 
夜勤明け。「買い物行こー」彼女からのメール。意識も足元もフラフラだが、彼女が生理中という関係上、ここで行きたくないと言った場合、平素以上に怒り狂う確立が高い。よって「何買うの?」と返信。まだ行くという表明はしていない。彼女の様子を見て頃合を見計らって行きたくないという旨を伝えたい。
 
「就職活動用のバッグ買うの。ビジネスバッグ」じゃあ、つって僕は一人で池袋。サンシャイン通りにあるパーフェクトスーツファクトリー。略して「P.S.FA」に向かい、レーディース用のビジネスバッグを購入した理由は、往々にして女性の買い物というものは1割はショッピングで6割はウィンドウショッピングで残りの3割は腹が減っただの荷物が重いだの歩くの早いだの不平不満で占められていて、夜勤明けの僕はデートの3割を占める愚痴に対して抵抗する力がない。
 
よって、一人で目的を達成して、それを彼女に渡してもう僕は帰るよ。帰って寝るよ。夜勤明けだからね。と、待ち合わせの駅で彼女に告げたところ、「ダメー。もっと買い物するのー」と、また甘えた声を出すのでしょうがない。しっかりと手を繋いで、先刻、一人で購入したビジネスバッグを持つ彼女がなんだか歩きにくそうなので、それ僕が持つよと結局自分が糞重いバッグを持ちながらショッピングを続ける羽目になったのはまさに本末転倒。
 
2005年02月26日(土)  トイレ用。
 
トイレ用の本とは、活字中毒の為にいかなるときでも何か文字を読まなくては気がすまない性質の為、単なる排泄行為であろうと、その時間をただ腹圧に専念するには勿体無い。しかし排泄時間は胃腸の具合によって大きく左右されるものであり、まぁ4・5分で終わるだろうという安易な考えで腰を落とすと、うむ、うむむむ、こら手強いぞと10分も15分も座る羽目になったりするのである。こういう時に活字がなければ辛い。ただのウンコしてる人になってしまう。人生は短いけど書物は腐るほどある。時間勿体無いし読みたい本はいっぱいあるしウンコは臭い。よし、トイレといえども手近なとこに本を置いておこうというわけで、我が家のトイレには常時トイレ用の本が置いてある。
 
なぜトイレ用の本はトイレ用の本であって、居間用の本ではないかというと、トイレ用の本はなんだかきちゃなくて居間に持ってけないというそれだけの理由だが、トイレで長文を読むのは何だか面倒臭いし、必要以上に排泄時間が長くなってしまうので、主に辞典や詩集を読むようにしている。
 
今日読了した本はスティックマイヤー名倉の「1億人のプチ狂気」という本で、その前は唯川恵の「一日の終わりに思うあなたのこと」という鳥肌が立つような文章が書いてある詩集で、その前が、というかまだ読み終えていないのだが、「ゲーテ格言集」あと「聖書」他には心理学辞典とか現代シキタリ辞典、ことわざ辞典、看護医学辞典、実験心理学への招待などと、おおむね僕の部屋にある本はきちゃない。
 
2005年02月25日(金)  彼女、上京、春休み。
 
学生には未だ春休みという呑気な制度が存在するらしく、彼女もその制度を利用して本日、東京にやって来た。春休みという悠長な制度が存在しない社会人9年生くらいの僕は、貴重な休日を用いて羽田空港まで彼女を迎えに行った。池袋から羽田空港まで約1時間。ちょっと面倒臭い。ちょっとしんどい。ちょっと大変だったけど迎えに来てやった。感謝とかすごいすればいいと思う。感極まって抱きついてくればいいと思うという態度を彼女にとっているが、内心嬉しくて仕方がない。しかし彼女にその心情を悟られるのはどうも情けない。よって憮然とした表情で、しかし心は満面の笑顔で。
 
彼女の荷物を持ちながら、じゃあ晩飯でも食べに行こうかと言うと、「私お父さんと食べるから」とそっけない返事。まぁ単身赴任で東京に住んでいる彼女の父親も、娘の到着を首を長くして待っていることだろうと親心らしきものを感じ、じゃあ、つってとりあえずドトールコーヒーに入って、お前晩飯食うんだから絶対食うなよと言いながらコーヒーと一緒に買ったバウムクーヘンを彼女もうムシャムシャ食っている。
 
「それオレんだよ。食うなよ。返せよ」というと「はい、あげたー」なんつってバウムクーヘンを手に掲げている。まるで小学生のようだ。それに話が噛みあっていない。「はい、あげたー」と手を挙げるギャクは、そのオチに至る前に、「これあげよっか?」という振りが必要なのであるが彼女はそれを一切無視。ただバウムクーヘンを掲げたかっただけなのだ。ちょー可愛い。
 
2005年02月24日(木)  ゴーイングマイペース。
 
備えあれば憂いなし。世の中があまりにも首都圏直下型大地震がくるとはやし立てるものだから、生来小心者の僕はこれを真に受けてしまい、つい最近、電池不要の振れば充電できる懐中電灯とFMラジオ機能付きの手動携帯充電器を購入した。
 
こういうのっていかにも生に執着してますみたいな感じがしてイヤなのだが、実際、生に執着しているのだから仕方ない。まだ結婚だってしてないし。子育てだって未体験だし。
 
というわけで下の妹から「子供ができました。2ヶ月です」というメールを受け取って、あわわ、馬鹿だ。俺馬鹿だ。何やってんだ長男。上の妹の子供は来月1歳だし、下の妹までお腹に新しい命を宿している。あわわ。どうしよう。妹たちは結婚して人類の使命である種の保存を実践している最中、長男は振れば充電できる懐中電灯なんてものを購入して、布団を頭までかぶり地震ごっこなんて不謹慎な遊びをやっている。しかも一人で。あわわ。馬鹿だ。泣きたくなってきた。
 
というのも束の間、まぁ妹たちはそれぞれの新しい人生で、新しい目標を見つけ、目で見てわかるほどの幸福っぷりに包まれているようだが、僕はまだまだマイペース。今年で20代最後になっちゃったけど、結婚以外にやりたいこといっぱいあるし、仮に結婚したいと思っても彼女まだ学生だし。仮に仮に今彼女と結婚したら彼女も東京に住むことになって首都圏直下型地震に見舞われ、そうなったら振れば充電できる懐中電灯をもう一個買わなきゃいけないしね。そんな金があったら彼女にプレゼントの一つでも買ってあげたいよ。
 
というわけで、今年から学業の傍ら就職活動を始める彼女の為に、就職活動用のシックな腕時計を購入。でも東京に就職したら彼女も首都圏直下型地震に見舞われるだろうから、ソーラー電池の腕時計を買えばよかったとちょっぴり後悔。
 
2005年02月23日(水)  男心の描き方。
  
「月刊男心」のアクセス数が「歪み冷奴」の約7倍に達してしまった今、この「歪み冷奴」の存在意義はもうなくなったも同然、こんな日記なんて誰も読んじゃいねーよなんて、いじけてしまいそうだけど、絶対誰かが毎日楽しみに待っていると信じて今日も頑張って書いてます。思いついたことをそのまま書いてるからあんまり頑張っていないけど。
 
しかし「月刊男心」これは我ながら頑張っていると思う。というのも、あの詩で重要なのは構成とリズムであって、従来の詩と差別する為に、オチをつけなければいけない。そしてこのオチに到達する1行前まで、オチの存在を感付かせてはいけない。突然降りかかってくるオチ、横殴りのオチ、落とし穴的オチ、晴天の霹オチ、寝耳にオチみたいなものが重要なのである。
 
というわけで、まずオチというものが存在する。1行もしくは2行のオチの部分を書き、そこから詩としての広がりを考えていく。ここからがこの日記と違うところで、この日記は頭の中に浮かんだ文章をキーボードを叩いてそのまま文字にしているという猿みたいな行動によって短時間で書かれているが、「月刊男心」はとにかく時間が掛かる。まずオチを1行書いて、パソコンの前に1時間程座って、オチにつながる文章を何パターンか書いて、風呂に入ってる時に新しいイメージが湧いて、体を拭いてるうちに忘れて、再びパソコンの前に座り牛乳飲みながらタバコを吸って、なんとか言葉を繋ぎ合わせて約1時間ほど寝かせる。
 
1時間後、再び先ほどの詩を読んで、こういうことはままあるのだが、1時間前にこれすっげー面白い。何これ誰が書いたの? っていうか僕? 僕ってこんなに面白かったっけ? という甚だしい自画自賛モードになっていたというのに、1時間後に再び同じものを見てみると、微塵も心が動かないばかりか、こういう文章をワールドワイドウェブの世界に載せようとしていた僕はなんて馬鹿野郎なんだろう。なんて厚顔無恥な奴なんだろう。恥ずかしい。書き直そう。と、一転、自己嫌悪モードになり、文章の訂正を繰り返すのである。
 
そんな過程を経て、ようやく一つの作品が完成する。そういう紆余曲折があるとも知れず、僕の彼女ときたら「今日のやつ全然面白くなかった」と、一言の感想で済ませ、「ねぇ今度どこに行く?」ともうデートのことしか考えちゃぁいない。まぁ面白くない作品を無理矢理面白かったと言われるほど、文章を書く者にとって屈辱的なことはないと思うので、彼女の感想もありがたいものだが、僕はどっちかっつーと誉められたらどんどん伸びて、叱られたら必要以上に凹む体質なので、もう少し認めて欲しい笑って欲しいという傍ら、彼女の書いた文章のダメ出しばかりをする毎日。
 
2005年02月22日(火)  サマータイム。
 
今朝の朝日新聞の1面に「省エネへ超党派 サマータイム法案4月にも提出」という見出しが大きな文字で掲載され、「4〜10月、時計を1時間早く」と中くらいの文字で書かれてあり、記事は小さな字で読むのが面倒臭いので、この見出しだけでサマータイム法案について考えることにした。
 
「省エネへ超党派」と書かれても何のことだかサッパリわかんないが、とにかく4〜10月までの間、時計が1時間早くなる法案が成立する可能性が高いらしい。1時間早くなるということは、今までの0時が1時になって、1時が2時になって、2時が3時になって……と考えていくと、辻褄が合わなくなるのは当然の理で、余った1時間はどうするんだという疑問が沸くが、それと同時に湯が沸いたので僕は今から晩飯のカップラーメンを食べます。
 
晩飯にカップラーメンなんて食べてるから、サマータイム法案の表面的な部分しか理解せず、阿呆のような文章を書いているが、要は省エネの為に涼しいうちから働いて、明るい時間を有効に使ってエネルギー消費の節減をしましょということだと思うが、明るい時間を有効に使っても、日本人はこんな世の中になってもやっぱり働き者だから1時間あまったら多分あと1時間働くと思う。僕たちのような医療職は夜勤との兼ね合いもあってサマータイムは関係ないと思うが、やっぱり1時間あまったらその1時間で患者さんの為に何かしたいと思う。思わない奴はモグリの看護師だと思うと思いながら今日有給届け提出してきたばかり。
 
2005年02月21日(月)  僕はパー。
 
「ブラインドタッチができる人は小脳だけで条件反射的に無意識で打つ。そうなると、指先を動かす脳の部位の隣にある大脳のブローカ野(言語中枢)への血流が悪くなってしまうんです。文字は手書きで書いて、指先を刺激するほうが大脳を活性化させます」(ゲンダイネット)
 
というニュースを読んでナルホドと思った。僕もブラインドタッチって何か体に悪そうだよなぁと前々から思っていたのである。なんか小脳だけで条件反射的に無意識で打ってるよなぁと常々感じていたのであるというのは嘘。言語中枢の血流が悪くなるということはどういうことか。そう、言葉が浮かんでこないのである。
 
様々な人から、一度小説を書いてみろって言われて、「はぁ、そのうち書きます」などと言葉を濁らせて全く書こうとしないのはこれブラインドタッチの所為であって、長い文章を書こうとすると、言語中枢の血流が悪くなるから、ものの10分もキーボードを叩いていたらもう馬鹿になっている。全然言葉が思いつかないので鼻をほじったり、モニタを眺めながら口を半開きにして綿棒で耳かきしたりしてる。よって言語中枢の血流が悪くなる前に仕上げることのできる作品しか生み出すことができない。それが「恋愛歪言」であったり「桃色浮世草子」であったり「月刊男心」であったりするわけであるのではなく、まぁ単に集中力が足りないってだけでござんす。
 
2005年02月20日(日)  いつものチンデルシー。
 
また風邪ひいた! なんで俺ばっかり! この前インフ、インフル、インフルエ……ちょ、ちょっと待って……ッシュン! って、あーこのヤロー。鼻水が止まんねぇや。まだインフルエンザが完治してないのかなぁ。おっかしいなぁ。苦しいなぁ。鼻で息できないよ。美しい花の香りも、美味い料理の匂いもわからないよ。花び・ら・の・よおに散りゆくフンフフーン。最近の歌にはもうついていけねぇや。僕らはいつもイチンデンチ。イチンデンチって何だよ。僕らはいつも死んでるし。これも違うな。オレンジレンジ。インフルエンザエンザ。クシュン。って、あーこのヤロー。
 
なんで治んないんだよー! 来週彼女が上京してくるっていうのによー! 「風邪治さなきゃ会ってやんないからね」とか言われたじゃんかー! まぁ気にしてないけどね。どうせ風邪でも会ってくれるだろうしね。風邪だからこそ会って看病してやりたいって思うのが人情ってものだからね。それにしても昨日からまた風邪薬飲み始めたんだけど全然効果が現れないなぁ。おっかしいなぁ。僕らはいつものチンデルシー。これも違うなぁ。チンデルシーって何だよ。おっかしいなぁと思っていたら花粉症だった。
 
去年の夏の猛暑のお陰で、今年のスギ、ヒノキの花粉飛散量は東京で去年の13倍だったか15倍だったか、まぁ多いことは多いって話をどっかで聞いた。もしくは体で感じた。患者さんに風邪がうつるといけないから仕事中はマスクしよって思ってたのはお門違いで、花粉から自分を守る為に装着していただけである。情けないったらありゃしない。今日はあまりにも鼻水鼻づまりがひどいので、仕事中マスクを装着しながらフリスクのペパーミントを舐めていたら、口の中はヒーヒーするわ、そのヒーヒーした息がマスクを伝って鼻に入ってよけいムズムズするわ、更にそのヒーヒー息が目に伝って涙目になるわで花粉症自家発電みたいな状態に陥ってしまった。まさしく本末転倒。僕らはいつものチンデルシー。
 
2005年02月19日(土)  オンラインゲームについて。
 
オンラインゲーム、これだけには手を出すまいと固く心に誓っていた。まぁ自分の「誓いの固さ」の程度なんて自分が一番よく知ってるんだから、いつかは手を出すんじゃないかなぁと思いながら既に二週間前に手を出していた。
 
オンラインゲームの魅力は数多くあると思うが、登場するキャラクターが実際の人間であって、その生身のキャラクター達と冒険したり戦ったりしながらコミュニケーションをとって楽しむことだと思うが、まぁ正味1週間ほどプレイしてみたけど、そこに魅力を感じることができなかった。
 
というのも、パソコンの前に座っている時間というものは大抵一人の時間であって、そこに他者が混在してコミュニケーションを取って、こいつ強い武器持ってるから友達になりてぇなとか、こいつレベル高すぎだから近寄らないようにしようとか、こいついい奴だけどちょっとしつこいとか、一人の時間にまでコミュニケーションという煩雑な手段を用いることの本末転倒っぷり。僕は疲れました。一人の時間くらい一人になりたいと思いました。
 
でも世の中には、このオンラインゲームに金を払ってまでプレイするという酔狂な人もいて、とある知人に、このゲームの魅力とは何ぞやと訊ね、返ってきた答えが「そりゃ現実逃避だよ」と、僕はそれを聞いてとても悲しくなりました。現実逃避して現実に存在する人間と仮想な空間で非現実なコミュニケーションを取る現実って一体何なんだよと哲学的思考に陥りながら、人間の暗くて見えない部分を垣間見たような気がしたのです。
 
2005年02月18日(金)  甘い人。
 
世の中ではずさんな管理をすると、個人情報が流出したり、輸入牛肉を国産牛肉と偽ったりとろくなことがないが、部屋の中でずさんな管理をすると洗濯物が溜まる。
 
今僕の後ろで小さな山を形成している洗濯物。たしか一昨日ベランダから取り入れたものである。どうしてすぐにたたまないの! と僕の彼女みたいに怒らずにまぁ理由を聞いて欲しい。一方的な主張だけではなく、相手の声を傾聴することも恋愛には重要なのである。まぁこれは恋愛じゃなくて日記だけどね。
 
現在二月、如月、立春過ぎて暦の上では春といえどもまだベランダ寒い。乾いた洗濯物を取り入れるのも相当の覚悟を要する。仕事から帰ってきてベランダを眺め、あぁ洗濯物取り入れんといかんなぁと思いつつ、本棚の整理や部屋の掃除など、「洗濯物を取り入れる作業」と対等と思われる作業を始め、部屋の掃除したから洗濯物取り入れなくてもいいよね僕。と、自分に甘い僕はバレンタインにもらったチョコのあまりをポリポリかじりながら東京フレンドパークなど見たくもない番組を見ているというどこまでも甘い人間なのである。
 
よって、洗濯物を取り入れる行為は勢いが大切なのであって、東京フレンドパークを見ながら、こいつがダーツ外したら風呂に入ろうなんて自分の意志を他人に委ねて、本当にダーツを外すと、バカジャネーノ。必死で取ったコインをよー。風呂にも入らなきゃいけなくなったジャネーカ。と散々芸能人を罵倒して、次の奴がたわし当てたら風呂は延長してもいいことにしよう。と、再び自分に甘い、しかしたわしを当てるという、確立的に少し厳しいルールを設定。で、たわしに当たらなかったら再び罵倒。罵倒しつつソファーから、うぉーって感じで立ち上がりタオルを取って浴室まで行くこの勢い。この勢いを利用するんだ。って、ベランダへ向かい、寒い寒いいいながら洗濯物を取り入れるのである。
 
この洗濯物を取り入れるまでの過程、理解して頂けましたでしょうか。ほら、こんな様々な葛藤を乗り越えて洗濯物を取り入れて、まぁ今日はここまで頑張ったんだから、たたむのは明日でいいよって優しく声を掛けたくなるでしょ。でも僕の彼女はそういう優しい言葉を一切掛けない。洗濯物→明日、とか、洗濯物→今度の休みとか、そういう選択肢を持っておらず、洗濯物→たため、と、それ一点張りである。よってウェブカメラ越しに溜まった洗濯物が見つかった場合、彼女の監視のもと、背中を丸くしながら洗濯物をたたむのである。ずっと彼女が傍にいれば僕も真人間になれるのかもね。
 
2005年02月17日(木)  UFO見ました。
 
UFOを見た。なんて書いてもどうせ誰も相手にしてくれないだろうけど、見たんだから仕方ない。えっとこの日記は18日に書いているので、今朝の3時くらい。ゴミを捨てに行こうと思って空を見上げたとき、それは飛んでいた。
 
空は薄い雲で覆われていて、その雲の上を光る物体が飛んでいる。こんな時間に飛行機なんて飛んでるんだ。と、ぼんやりと眺めていると、突然ありえない角度で方向転換をした。
 
わぁ。と驚いて、それから何事もなかったように再びゆらゆらと飛んでいる光る物体を眺めながら、まぁ僕も酔ってるしね。さっきまでビール飲んでたからね。しかも午前3時だから頭もどっかいかれてるんだよ。と、ありえない方向転換に対して肯定的、意味はわからないが理論的に処理して、その処理が終えて再びゴミ捨てに向かおうとした時に、「嘘じゃねぇぞ!」と僕にアピールするかの如く、再びありえない方向転換をした。
 
げげ。これはあれだ。一昨日の地震と何らかの関係があるんだ。何らかってところがうやむやで僕らしくていいけど、まぁ何らかの関連性。ほら、北朝鮮も核作ったって言ってたし。従兄弟のオバちゃんに激似の金正日の誕生日だったし、それらも何らかの関連性。いいね。何らかの関連性。全てが繋がってるような気がするね。僕が午前3時にゴミ捨てに行こうとしたことも何らかの関連性。ねぇよ! と思うけど、「何らかの関連性」という言葉のマジックを使ったらあるのかもしれない。おっかねーなー。早くゴミ捨てて寝よ。
 
と、エレベーターで1階まで降りて袋いっぱい入った空き缶を捨てようと思ったら、今日は燃えないゴミの日で、空き缶を捨てる日ではなかった。でも空き缶もゴミといえばゴミなので、燃えないゴミに対しても何らかの関連性があると思われ躊躇なく破棄。空ではいつまでもUFOがゆらゆらと。
 
2005年02月16日(水)  地震とビーフカレー。
 
午前4時46分頃、茨城県を中心に東北、関東、甲信越地方の広い範囲で強い地震があった。驚いた。夜勤中であった。
 
何秒かの小さな揺れがあった後、突然強い縦揺れに変わった。あぁついに直下型地震が来た。僕はこの通り白衣だからこのまんま外に飛び出したら自分の避難よりもまず救命活動に加わらなければならないだろう。しかし僕はもう10年も精神科畑の人間であって、外科内科の知識なんて皆無に等しい。まぁ皆無ってことではないが、自信ない。地震起きて自信ない。なんて洒落を考えているうちに地震は止んだ。
 
その日の朝、下の妹の旦那から「大丈夫でしたか? 怪我はありませんでしたか?」という優しいメールが届いて、「命は大丈夫だけど、まだ右足がガレキにはさまったまま」という意地悪な返信をしたら「マジっすか! 助けに行きたいけど今日仕事なんですよ」と、助けるも何もお前鹿児島に住んでるじゃねぇか。飛行機とかきっと飛ばねぇじゃねぇか。でも嬉し。妹より先にメールをしてくれた君の気持ちが嬉し。
 
と、妹の旦那に対してかなり贔屓目を使っている僕は、「兄さん私の旦那とばっかりメールして、たまには私にもメールちょうだいヨ!」なんて妹からのお怒りのメールをもらったりもするが、別に妹にメールする用件もないので、今日も義弟に「やっと右足抜けた」と送信。「よかったっすね。でも今日ビーフカレーなんですよ」とわけのわからない返信。
 
2005年02月15日(火)  出不精の極意。
 
年末と年始のセールで結構洋服を購入したのだが、あまり外に出掛ける機会がないので、全く袖を通していない服が多い。多過ぎる。よって、もう少し外に出よう。友人を誘って街へ出よう。と、思うことは思うのだけど、お気に入りのソファーに腰を落としていると、外に出ることが億劫になって、ま、いいや。外に出ても訳わからんものに金使うだけだしね。でもほら、このソファーに身を委ねていれば浮世の誘惑など関係なく、金なんてどんどん貯まっていく。ソファーに座ってるだけで大金持ちになっていく。
 
貧乏だ貧乏だ嘆いているのは街に出て訳のわからぬ物欲に安易に屈するからであって、金がなくても物欲というものは消失するものではなく、かえって増大するもので、そういう時どうするか。どうするアイフルなど考えて、ご利用は計画的に計画的にと頭で考えながらも、無謀な買い物などをして家計は火の車、働けど働けど云々。ぢっと手を見る。と、その手は物欲によって汚されて手であって、そういう輩は永遠に汚れた手でどうするアイフル言いながら右往左往。その点僕はただ阿呆のようにソファーに座っているだけで、浮世の誘惑から隔絶されている。
 
今年出掛けたといえば、出版社のお姉さんとの打ち合わせだったり、出版社のお兄さんとの打ち合わせだったりと、仕事関係のことばかりで、打ち合わせでオシャレするのも馬鹿らしいし、かといって彼女とデートしたくても遠距離恋愛という身上、会いたくても会えない。オシャレもできない。そんなことぐずぐず考えながら一向に外へ出ようとはせずに、こうやってバーゲンで購入した袖を通したことのない服を眺めながら考えている。
 
2005年02月14日(月)  GODIVA!
 
バレンタインチョコ、看護婦さんや患者さんからいくつかもらって、うちに帰って晩飯代わりに食べていたら、GODIVAと記してあるチョコが一番美味くて、何ぞこれはと、パソコンを開いてインターネットで調べてみたら結構有名なチョコレートで、しかも今こうやって何の感慨もなく貪っていたチョコと同じものが結構な値段で売られていて見なければよかった。
 
まぁGODIVAが美味かろうがチロルが美味かろうが、チョコレートは手作りが一番なのであって、まぁ手作りといっても既製品のチョコを溶かして再び固めて純粋な手作りとはいえないかも知らんが、私溶かしました。そしてちゃんと固めました。そういう順序をちゃんと踏みましたみたいな過程が大切なのであって、彼女からもらった生チョコだって、油が分離しただのココアパウダーかけ忘れただのお前もしかして手ぇ抜いてんじゃねぇかと訝ったりもするけれど、やっぱり手作りを贈ろうと思った気持ちが大切なのであって、味は別として僕はその気持ちだけで糖尿病になっちゃいそうである。
 
しかしGODIVAってチョコは美味かったなァ。あれは大人の味がしたなァ。また食いてぇなぁ。と思ったことを彼女に伝えると、「どうせ私のチョコは美味しくないですよ」とまた拗ねてしまったので、「そんなことない。君のキャラメルはとても美味しかった。チョコとキャラメルは種類が違うから比較しようもないけど、君が作るものはなんでも美味しいよ」と、なだめると、「キャ、キャ、キャ、キャラメルじゃないもーん! それ生チョコだもーん! えーん!」と、彼女は泣けばキャラメルが生チョコに変身すると思っているのか、いつまでも泣き続けるので、昨日は鬱陶しくて電話を切ってしまったが、今日も鬱陶しかったので電話を切った。でも彼女の甘い気持ちは大好きなのである。
 
2005年02月13日(日)  キャラメル。
 
仕事から帰ってきて、ちょー不自然な体勢でソファーでウトウトしていたらチャイムが鳴り、こんな時間に何ぞとドアを開けると宅急便。送り主は愛しの彼女。小さな手紙にハッピーバレンタイン。
 
ワァぁぁと目を輝かせ包みを開くと讃岐の郷土料理「しょうゆ豆」が入っていた。この「しょうゆ豆」僕の大好物であって、四国に住む彼女に会いに行った折や、彼女が上京する際、必ず購入したり購入してくるよう頼んだりするのだが、バレンタインにまでしょうゆ豆を贈るとは、本当に彼女の彼氏はしょうゆ豆が好きなんだなぁと思い、彼女の彼氏とは僕のことであって、彼女の彼氏という僕は本当にしょうゆ豆が好きなのである。
 
早速酒のつまみにしましょと上機嫌で焼酎のお湯割りの準備を始めようとしたら、箱の下にもう一つ何か入っている。こら何ぞと思い取り出すと、小さなキャラメルであって、口に含むと非常に美味しい。口の中で優しく溶ける。しかしこら異常に上手いキャラメルだなぁ。さて、しょうゆ豆食べよ。と、しょうゆ豆をタッパーに移し、焼酎をセッティングして、いただきますと手を合わせ、この感謝は彼女にも伝えるべきだと思い彼女に電話。
 
「あ、今日しょうゆ豆届いたよ。あとあのキャラメルすごく美味しかったよ」
「そ、そ、そ、それ生チョコだから! バレンタインにキャラメルなんて贈るわけないでしょ! 折角手作りして頑張ったのにー! それ生チョコだから! えーん!」
 
と、彼女は泣き出してしまい、まぁキャラメルでも生チョコでもいいじゃないか。美味いもんは美味いんだし。ありがとうまたね。と、いつまでも泣き続ける彼女が鬱陶しくて早々と電話を切って、しょうゆ豆を頬張り焼酎を飲んで眠くなってきたので歯磨きをして、ベッドに入ってからもう一度彼女の愛を確かめたくなって、冷蔵庫で冷やしておいた生チョコキャラメルを一口頬張り、もう一度歯磨きをして甘い就寝。
 
2005年02月12日(土)  超音波って素晴らしい。
 
最近、超音波洗浄器なるものを購入した。超音波洗浄器とは、水を入れた洗浄器にアクセサリーを入れ、超音波で洗浄してくれるという代物で、手で洗っても取れなかった頑固な汚れが、みるみるピカピカにという謳い文句につられて購入した。
 
僕は結構アクセサリー好きで、リングやネックレスなど意外に気を遣ったりしているのだが、今まではシルバーポリッシュクロスという、ワックスが付着したような布で手入れしていたのだが、このクロス、拭けば拭くほどピカピカになる分、拭けば拭くほど指に汚れが付着してこの汚れがなかなか取れない。ちょー鬱陶しい。
 
しかしこの超音波洗浄器を使うと、洗浄トレーの中にアクセサリーを入れるだけであとは超音波の衝撃波で汚れを分解し、汚れ付着防止まで強化してくれる。指に汚れも付着しない。今の世の中って大抵のニーズには応えてくれるんだなぁ。いい時代に生まれたもんだ。でも核兵器とか使われていつかみんな死んでしまうんだろうなぁ。でもいいや。とりあえずアクセサリーピカピカになったから。
 
と、新品同様になったリングを指にはめて上機嫌になっていたら、説明書に使用後のお手入れ方法が書いていて、洗浄後は乾いた布でよく水気を拭き取って下さい。また本体に水がかからないように一度水洗いをして下さいなど、非常に面倒臭いことが書いてあり、こんな面倒臭いことするんだったら指が汚れた方がましだよと憤慨。超音波洗浄器は1度きりの使用で、今はソファーの下に転がっている始末。
 
2005年02月11日(金)  ヨシミ熱。
 
最近仕事が忙しくて、帰ってくるといつもソファーで1時間ほど眠ってしまう。なぜ忙しいかというと、病棟でインフルエンザが流行しているからであって、このインフルエンザ、流行を広めたのはなぜか僕ということになっていて、病棟では今回のインフルエンザを「ヨシミ熱」と呼んでいる。非常に屈辱的である。
 
まぁ確かに数日前までインフルエンザで仕事を休んでいたが、僕だってインフルエンザに罹りたくて罹ったのではなく、おそらく高熱が出る前日に行った映画館で感染したのであって、その時見た映画「オペラ座の怪人」を取って、僕は密かに今回のインフルエンザのことを「オペラ熱」と呼んでいて、看護婦さん達にも「ヨシミ熱」ではなく「オペラ熱」と呼ぶように流布するのだけど、看護婦さん達はヘラヘラ笑いながら「わぁ、ヨシミ熱がうつるー」なんて小学生のような反応をして逃げるばかりである。
 
というわけで病棟は現在ヨシミ熱一色。高熱点滴高熱点滴。僕なんて高熱が出たときは体が動かなくて冷蔵庫も空っぽで仕方なく焼酎ばかり飲んでいたが、病院はすぐ点滴ができるからいいよなぁ。あの時やっぱり救急車呼んでどっかの病院に行くべきだったよなぁと思うのは、インフルエンザに罹患した場合、48時間以内に抗インフルエンザウイルス薬のタミフルを服用すれば回復も早いのだが、僕の場合、48時間を過ぎてようやく病院に行ったものだから医者に怒られた。つーか体が動かなかったんダヨ! と怒る元気もなく、かといって謝る気力もなく、ただ弱々しく頷くばかりで這々の体で部屋に戻りベッドの中で静かに泣いた。元気になって仕事に復帰するとヨシミ熱とか言われて再びベッドの中で涙する生活。
 
2005年02月10日(木)  何か?
 
「私は……ですが、何か?」
 
というフレーズを使う人に時々遭遇するが、僕はこの言葉を耳にする度に嫌な気持ちになる。もうムカついてしょうがない。どうしてこんなにムカつくんだろうと考察。
 
「何か?」
 
これがいけないんだと思う。例えば僕が寝る前の歯磨きの重要性について説いていたとする。目の前の女性は「私は歯磨きをした後も平気でお菓子を食べますが、何か?」と答える。何か? って。何にもねぇよと思う。貴殿の小市民的無頼的な行動なんて興味ねぇよと思う。
 
「私は歯磨きした後も平気でお菓子を食べます」これでいいじゃないか。何か? って逆に質問することないじゃないか。その質問に対して答えを考えなければいけないこの煩雑さ。
 
「私は歯磨きした後に平気でお菓子を食べることを何とも思っちゃいません。しかし貴方はそれに対して意見がおありのご様子で御座いますので、私は敢えてこの件について意見を求めようと思う所存で御座います。よって何か?」何にもねぇよと思う。だけど何か? と問われたので、まぁ驚いた振りとか慌てた振りとかしなければいけない。
 
インターネットをしていると、時々こういう言い回しを使っている人を見かけるが、あぁ、この人きっと寂しがり屋さんなんだなぁと思ってしまう。みんな自分を見て欲しいのである。寂しすぎて死んでしまうウサギさんなのである。だからやっぱり「「私は……ですが、何か?」の問いには嫌な顔せずちゃんと答えなければいけないと思うのである。
 
2005年02月09日(水)  自分に。
 
現在は、歪み冷奴のコンテンツの一つ、「月刊男心」の更新に力を入れているわけだが、力を入れすぎてつい日記の更新がおざなりになってしまう。まぁおざなりになってもしょうがないような文章ばかり書いてるのでしょうがないが、この歪み冷奴、今年で5周年を迎えるというのに、1日辺りのアクセス数が現在300〜500と、5年やってる割には大してすごくない。
 
しかしつい最近ブログで始めた「月刊男心」は「歪み冷奴」の1コンテンツであるにも関わらず、1日辺りのアクセス数が平均1500と、意味がわからない状況になっている。1日1500人の閲覧者のうち500人くらいしか「歪み冷奴」に興味がなくて残り1000人は「月刊男心」だけで充分だという公式が成り立つ。よって「歪み冷奴」の存在意義を問う。自分に。
 
2005年02月08日(火)  時計じかけのビスケット。
 
私サブカル愛してます。周りからは個性的って言われます。そんなつもりじゃないんだけど個性的って言われることが快感だったりします。リリー・フランキーとかみうらじゅんとかラヴです。という種類の人たちが必ずといってもいいほど一度は見ている「時計じかけのオレンジ」という映画、前々から気になっていたが、どうもキング・オブ・サブカル! って感じがして敬遠していたのだが、つい先日、池袋のCDショップでDVDが1500円で売っていたので購入して家で見ていたら途中で画面が止まって動かなくなった。
 
まぁ止まってしまったので感想らしい感想が書けないので書かないけど、アスパラガスビスケット、あれすげぇ美味いよね。癖になる味だよね。寝る前に食べて朝起きると顔がすごくギトギトになってるよね。でも美味しいから食っちゃう。もう最近全然書くことが無い。
 
2005年02月07日(月)  ファイト三発。
 
5日も仕事を休むと、このまま一生休みなんじゃないかと錯覚して、こうやって5日振りの出勤の朝を迎えても、実は今日も休みなんじゃないか。というか僕はまだインフルエンザが完治してないんじゃないか。咳だってまだ止まんないし。やめよかな。今日の出勤。つーか仕事辞めよかな。と、風邪をこじらせて5日休んだだけど自分でも驚くほどの駄目人間と成り果てており、今日出勤しなければ一生駄目人間になってしまうと危惧。でも駄目人間でもいいやと妥協。1回ベッドに戻ってから天井を見上げて、やっぱ仕事行こうと、渋々着替えて出勤。
 
もう大丈夫なの? 大変だったね。ちゃんと食べてた? 私ご飯持って行こうって思ってたのよ。と、看護婦さん達からいろいろ心配されていつの間にやら上機嫌。もう一生インフルエンザで一生心配してもらいたいや。ハハ。僕、まだ完治してないんです。ゴホゴホ。あぁ咳に混じって血が出てる。そういえば糞にも血が混じってた。こりゃあ重症だ。だからもっと心配して。という態度を取ると、看護婦さん達はうつされるのが嫌なので、蜘蛛の子を散らす勢いで僕の周囲からいなくなってしまった。
 
嘘ですよ。冗談ですよ。ホラ、コンナニゲンキ。ファイト一発なんて野暮ですよ。僕なんて元気過ぎちゃってファイト三発くらい出ます。自然に。そのくらい元気です。だからもっと近くに来て僕のこと心配して。と、看護婦さんに矛盾した要求を押しつけ、ホントに治ったのね。ホントに治ったのね。と何回も完治の確認をされて、ようやく僕は釈放された。どこに。病棟に。
 
と、病棟。これまたインフルエンザ大流行。みんな僕の5日前のような状態になっている。患者さんたちの気持ちが今のところ、誰よりもわかる僕は、苦しんでる患者さんたちの傍に行き、僕は40度まで熱が出て3日下がりませんでした。喉なんてパンパンに腫れて痛くて痛くて。まともな飯が食えるようになったのってつい昨日からですから。なんて、自分の病気自慢のようなことを始めてしまい、患者さんたちも弱っているので、アッチイケなんて攻撃的な態度に出ることもできず、ハァソウデスカ。タイヘンデシタネ。と、肯定するばかりで、僕の病気自慢はどんどん加速。あまりにも熱が高すぎて熱湯のような汗が出てました。咳と一緒に腎臓が出てきました。頭が痛すぎてバファリン1箱飲んだら髪の毛全部抜けました等、あることないこと言い始め、調子に乗り始めたところで婦長さんに見つかり、ナースステーションの端の端辺りで大目玉。
 
2005年02月06日(日)  情熱の2度。
 
あ。って、今更思い出すのが馬鹿の極致だが、あの時にインフルエンザうつされたんだきっと。と、心当たりを思いだした。
 
あれは高熱が出る前日であった。休日だった僕は珍しく早起きをして、別段することもないので映画でも見に行こうと、自転車で駅4つ分の距離を走って「オペラ座の怪人」を見た。すごく綺麗だった。物語はちょっとまぁあれだったけど、面白かったと思う。彼女は今日「東京タワー」を見に行ったと言ってたけど、「東京タワー」よりは面白かったと思う。いや、別に「東京タワー」が面白くないと言っているわけではないけど、江国香織よりは面白かったと思う。
 
で、その時僕の横に座っていた若い綺麗な女性が、そんなに苦しいのなら映画になんか来るなよと思うくらい激しい咳をしていて、その女性が咳を出す度に、長い髪の毛が揺れて、その揺れによって漂う淡いシャンプーの香りがなんとも心地よくて、もっと咳しろー。もっと激しく髪を揺らせー。なんて考えながら必死に鼻をくんくんやっていたら、淡いシャンプーの香りと同時にインフルエンザウィルスも吸い込んでしまったようである。まったくもって馬鹿としか言いようがない。
 
しかし同じインフルエンザウィスルならオヤジにうつされるより若い女性にうつされた方が嬉しい。僕のウィルスは若いお姉ちゃんと共有したものなのです。普通のインフルエンザよりちょっとランクが高いんです。クオリティーが高いんです。よって平素であれば38度で済む熱が40度まで上がってそれが3日下がらなかった。38度ではなく40度まで上がったという、2度の差は、情熱の温度である。愛の熱は体温を2度上昇させ、1回の咳で2キロカロリー体力を消耗させる。愛に生きて愛に死ぬ。理想的な人生じゃないか。オペラ座の怪人みたいじゃないか。わかんないけどなんとなく。
 
2005年02月05日(土)  優しさの認知。
 
優しさとは一体何だろうと考える。例えば「笠地蔵」なんて物語は寒空の下、雪に打たれた地蔵が可愛そうだから笠をかぶせてあげましょうという話だったと思うが、この場合、笠をかぶせてあげた爺様の優しさは、地蔵が笠をかぶっているという状況を視覚的に認知して、誰がした爺がした、よって爺は優しいということになり、非常に解りやすい優しさとなっている。
 
僕は電車を待っていた。僕の横には若いサラリーマン、僕の後ろには3歳児を抱えた婦人。ややあって電車が到着して扉が開く。すかさず空いている席を探す。左斜め前方向の席が一つ空いている。一つしか空いていない。さてどうするか。と、僕は僕の隣に立っていた若いサラリーマンを巧妙にガードし、若いサラリーマンが座席を確保することを阻止。ここからあの空席までのルートは僕が確保した。よって僕があの座席に座る権利を獲得したといっても過言ではない。権利を獲得したということは、その権利をどう行使しようと僕の勝手である。と、空席の斜め前の吊り革を掴み、携帯をチェックする振りをしたりして。その間に、僕のルート上の真後ろにいた3歳児を抱えた婦人が空席に座る。
 
買いかぶるわけではないが、これも優しさである。若いサラリーマンを巧みにガードし、子供を抱えた主婦を誘導する。それもまるで無意識でそう行っているように。無意識で行った行動に見えるので、勿論婦人は僕に礼を言わない。それも当然である。優しさは決して強制してはいけない。自然に行われるものなのだ。
 
と、変な偽善心に浸っていると、新たに赤子を抱えた婦人が登場する。この婦人、先ほどの婦人より幼い児を抱えている。おまけに泣いている。でももう僕譲れる席なんてないし。しょうがないや。ぷぷぷーん。と、何がぷぷぷーんなのかわからないけど、あの婦人には僕がしてあげられそうな優しさは残っていないので、たまに横目でチラチラと、早く泣きやまねぇかな。つーか誰か席譲んねーかななんて思っていたら、先ほどの3歳児を抱えた婦人が「よかったらどうぞ」と立ち上がり、席を譲ろうとしているではないか。
 
他の乗客を見まわしてみると、オレ子供なんて抱えて電車乗ったことないから子供なんて抱えて電車に乗った苦労なんてわかんないもんねというような顔でうつむいているか新聞を読んでいるかメールセンターにせっせと問い合わせをしている。全く人の気持ちを解らん奴は炭鉱にでも強制労働させられたらいいのに。
 
と、僕も人ごとのように思っていたのだが、着目すべきなのはこの優しさであって、泣いている赤子を抱えた婦人を見るに見かねた婦人は、私が抱えてるのは3歳児ですから。立とうと思えば立てますから。ほら、立って。ね、赤ちゃん泣いてるでしょ。あんたも3年前はこんなんだったのよ。電車で泣いて。困り果てておりました。電車の席が空いていないなどの折は、こちらが泣きたくなっておりました。だから私は貴女の気持ちがわかります。わかりますのでどうぞ私の席にお座り下さい。
 
爺が地蔵に笠をかぶせる級のわかりやすい優しさである。僕の無意識の優しさとは比べものにならない。比べものにならないが、同じ優しさ。周囲から認知されるかされないか。そんな問題。損得の問題ではなく、これは自分の中の問題。報われない優しさ。こういうことを考えると、せっかくボランティアしたのに宝くじ当たらんかったみたいな感じで嫌になるが、どうせ優しくするんなら、真の優しニストを目指すなら、アピールポイントというか芸術点というか、そういうものも磨かなければいかんなぁと思ったり思わなかったり。
 
2005年02月04日(金)  ビップス・ベポラッポ。
 
なんとか熱も下がってきて、あとは完治に向かうばかりとなったのだが、今回のインフルエンザ、誠にきつかったですよ辛かったですよ。外出もできなかったので昨日の夜は水とお湯と焼酎だけで過ごしましたよ。あとスルメもあったけど、何か消化に悪そうなものを食ったら体に悪そうなので、スルメは食わんかった。
 
あまりにも喉が痛かったので、病院に行った帰りに、薬局でヴィックス・ヴェポラップを購入した。このヴィックス・ヴェポラップ。喉の炎症を抑える三角形のいわゆるノド飴で、結構昔から存在するのだが、この歳になってこのインフルエンザになって、ようやく僕はヴィックス・ヴェポラップという言葉を覚えた。
 
というのも風邪をひいていなければヴィックス・ヴェポラップなんてのは無用の長物で、見向きもしないのであって、ヴィックス・ヴェポラップという正式な名称もうろ覚えで何の弊害もないというのが健康の素晴らしさであるのだが、風邪をひいて喉がぎゅんぎゅんに腫れてくると、もう藁にもすがる思いで、ヴィックス・ヴェポラップを口に含み、ゼェゼェハァハァいいながらソファーに深く座り、テレビを見る気力も本を読むエネルギーもとっくの昔に尽きている僕は、手に持ったままのヴィックス・ヴェポラップの箱をぼんやり眺め、あぁ、こんな名前だったんだ。と今更ながら思ったのである。
 
ビップス・ベポラップと思っていた。ビッグス・ベボラッポと思っていた。なんか「音」だけで覚えた気になって満足して今まで生きてきた自分が悲しい。ヴィックス・ヴェポラップなんて正式な名称があったことを今更気付いた自分が恥ずかしい。つーか読みにくい。読みにくいけど覚えなかった僕が悪い。「楽天」をいまだに「らくてん」なのか「がくてん」なのか自分の中でうやむやにしている僕の日頃の姿勢が悪い。もっと世の中と真剣に向かい合わなければ。とゼェゼェハァハァ言いながらソファーの上で気を失いかけながら。
 
2005年02月03日(木)  幼い微熱を下げられないまま。
 
というわけで、インフルエンザに罹患した僕は、急激な発症、38度以上の発熱、悪寒、関節痛、頭痛、喉の炎症など、オールコンプリートし、誰が見てもインフルエンジストであって熱が全然下がらない。発熱もこれで3日目だから、ベストインフルエンジストだろう僕は。バイキンマンの形したトロフィーとか授与されるのだろう。
 
しかしこれだけ寝込んでいると、日々減っていく冷蔵庫の中身も心配だが、一番身に堪えるのが、孤独である。昨日などは、本当に病院に行く体力もなくて、このまま静かに野垂れ死ぬのではないかしらと思った程で、彼女に介護でもしてもらいたいのだけど、周知の通り、彼女は遠距離であって、こういうときに限ってもう2日ほど連絡が取れない。浮気してるかもしらんが、もうそこを責める気力すらない。もう勝手にしてくれと思ってしまう。
 
で、現在はちょっと調子が良くなってきたので、どっこらしょとベッドから降りてパソコン起動させて日記を書いているのだが、ちょいと熱を測ってみると37.5度。今まで39度台を彷徨っていたので、37.5度でも大分、体が軽く感じる。この調子でいくと、平熱の35.5度に戻った頃には空も飛べるはず。
 
2005年02月02日(水)  悪寒戦慄。
 
午前7時起床。体が重い。洋服は汗でびっしょり。まるで自分の中の充電が切れたみたいに体が自由に動かない。頭元の体温計でピピッと測定40.0℃。
 
うひゃー。全然熱下がってなーい。昨夜より重症になってるー。体が動かなーい。誰か助けてー! と、このとき、本当に誰かに助けてもらいたいくらい体がヤバいことになってたんだけど、とりあえず僕は勤労による報酬で生活を成り立たせていっているので、婦長さんに、仕事ができない理由、及び、有給休暇の行使について電話。
 
「すぐに病院に行きなさい」と、それが仕事に来いということなのか、すぐ治療を受けろという意味なのか判然とせず、電話を切ってからどっちの意味なんだろうと考えているうちに気絶。
 
目が覚めると午後3時。再び体温測定。40.5℃。測定する度に上がってんじゃーん。これはあれだ。風邪だよ。と今更ながら当たり前のことを考え、這々の体で近所の病院に行き、薄れていく意識の中、2時間半も待たされ、「どうしてもっと早く来なかったんだ!」と医者に矛盾した怒りをぶつけられ、点滴に繋がれ、座薬を入れられ、鼻に綿棒を入れられる。
 
「イテテ、イテテテ」
「インフルエンザの検査ですよ」
「でも僕、職場で予防接種してますよ」
「あそ」
 
と、医者は僕の話に取り合ってくれず、予防接種したというのに本当にA型インフルエンザだった。婦長さんに電話して5日間の休暇をもらった。
 
2005年02月01日(火)  悪寒旋律。
 
朝から咳が止まらなくて、マスク装着して仕事して、夕方の申し送りの頃には悪寒がして、体に力が入らなくて、やべ、こりゃ風邪だ。風邪ひいちゃった。ということを婦長さんに報告。
 
「明日も仕事なんだから。今日は煙草禁止。帰ったらすぐに温まって寝ること!」
 
と、子供のような怒られ方をして、家に帰り、熱を測ってみると38.6℃。ほらね、すげぇ熱出てる。とりあえず婦長さんの言う通り、温まって早く寝よ。と、まず布団乾燥機で布団をホカホカにして、なんだか空気まで乾燥してきた感じがして、加湿器で空気に潤いを取り戻してから、これってプラスマイナスゼロなんじゃないかと訝りつつ、焼酎のお湯割りを飲んで午後9時に就寝。そのまま死んだように眠る。つーか死ぬかと思った。
 

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