2004年05月31日(月)  小さな怒り。
 
モスバーガーのレジの前に並んでいたとき、隣のレジに並んでいた若い女性2人組。

「なんか先週の暑さの疲れが今になって出てきた感じ」
「あー。わかるー」
 
そんなものわかるもんか。なんだいそれは。そんなことがあるもんか。先週の暑さの疲れは先週のうちになんとかしなさいよ。どのような医学的根拠があって疲労感が週を越すと考えているのだこの女は。「あー。わかるー」と軽々しく同意する女も女だ。じゃあ何か。キミは先週感じた空腹が今週になって出てくることがあるのか。え? どうなんだ。え? あ、モスチキンバーガーをオニポテセットで。あ、コーヒーで。あ、アイスで。と、注文の順番がまわってきたので注文を済ませ、「しばらくお待ち下さい」と、アイスコーヒーと番号札が乗った盆を渡され、座席に座って文庫本を読んでおりました。
 
しばらく読んでおりました。乙一の「暗黒童話」という小説を読んでおりました。乙一は僕より年下のくせにすごく面白い文章を書くので憧れます。すごいと思います。あの意味のない会話をしていた女2人組にも読ませてやりたいです。と、店員。
 
「申し訳御座いません。大変遅くなりました」
 
と、モスチキンバーガーとオニポテを持ってくるではないか。突然謝罪されて僕はびっくりしました。全然遅いだなんて思ってもいなかったのに店側としてはモスチキンバーガーの製作過程で何らかの時間的ロスが生じてしまったのだろう。よって店員は謝罪の意を僕に表す。こいつなんで謝ってんだと思っている間に店員は持ち場へ去っていきました。
 
と、徐々にぶち切れ。何遅れてんだよー。ボサッとしてんじゃねーよ。ファーストフードなんだからもっと迅速に対応しろよー。と一人憤慨。さっきまで微塵も怒っていなかったのに。
 
この怒りは、遅れているという事実を認識できなかった僕の鈍感さに対する怒りであって、店員に怒っているわけではない。僕はいつも小さな事象に対して一人でくよくよ怒っている。3分経つと忘れる。
 
2004年05月30日(日)  小便とパソコン。
 
毎日毎日書くことなーい。なんて嘆いているけど、あ、あった。目の前にあった。と、パソコンの液晶ディスプレイを眺めながら。液晶ディスプレイを、眺めながら。
 
そうです。最近パソコンを買い換えたのです。秋葉原に行って、小便がしたい。僕はパソコンなんかより自らの生理反応の方が重要なんだ。あぁ、小便がしたい。トイレに行きたい。もういい、小便に行く。まけてくれないんだったら小便に行ってこのまま帰る。いいのか。え。いいのか。
 
と、無謀な値切交渉の末、なんと3万円もまけてもらっておまけにDVDーR5枚、フラッシュメモリーをつけてもらって13万円のところを10万円。小便がしたいから帰りたいというただそれだけの理由で。いや、ただ口だけで言うのではなく、こう身振り手振りを駆使して、常に身体を小刻みに揺らしながら、切迫した状況を演出しながら、あ、あ、あ、もういいよ。小便行ってから他の店で考えますよ。一括で買おうと思うって現金用意してきたのに残念です。非常に。遺憾です。小便が、したいよ。え? いいの? ホントに10万円でいいの? だったら我慢する。小便我慢するよ。
 
と、現金10万円を支払い、送料は別になりますけどよろしいでしょうか。と言われてよろしいはずがない僕は、よろしいはずがないという旨を伝え、送料まで無料にしてもらい、翌日には部屋に届きました。
 
そして、液晶モニタ。うほー。うっすーい。今までテレビのような巨大なモニタを使用していたので、今回の液晶モニタによってパソコンデスクのスペースが一気に空いて、空いた場所にクマの人形や彼女の写真などを置いて、ムフフフ。今日パソコン買ったよ。5年振りに買ったよ。3万円値切ったよ。ムフフフ。と彼女に逐一報告。店員へのせめてもの報いとして、行きたくもないのにトイレに行って用を足した。
 
2004年05月29日(土)  午前3時の冷蔵庫。
 
今更ながらで御座いますが、冷蔵庫がこんなにも収納物を冷やすとは思ってもいませんでした。と午前3時。冷蔵庫の前に立ち、右手にリンコジューズを持って。
 
新しい冷蔵庫が届いた。この部屋は、引越時、各自冷蔵庫を持ち込むのではなく、ラブホテルに置いてあるような正方形の冷蔵庫が備え付けられているのであって、どうせ一人暮らしだからまともに料理なんてしないんだろう馬鹿が阿呆がという大家の目論見丸見えな収容面積が驚く程狭い小さな冷蔵庫で、この1年、大家の意向通り、まともに料理などせずに頑張ってきたのであるが、自炊しない人間はビールを冷やす権利などないとでもいうのか、この冷蔵庫、本当に気の抜けた冷やし方しかできませんでした。
 
と、午前3時。冷蔵庫の前に立ち右手にリンゴジュースを持って。
 
なぜ午前3時、真っ暗な部屋に冷蔵庫の前にリンゴジュースを持って立っているかというと、最近ものすごく夜暑い。暑いのでエアコンを入れて就寝する。のが午前1時。タイマーを1時間に設定して、午前2時にタイマーが切れる。そして部屋の温度が徐々に上昇しはじめる午前3時。「あ、あちーよ!」と一時起床。半ば眠りながら小便をして、冷蔵庫の前に立ちリンゴジュースを取り出す。「ち、ちべてー! おいちー! つか冷蔵庫新しくなったんだ」と。
 
家電製品でも洋服でもいい、前日に何かしら新しい物を購入した場合、翌日目覚めて前日に買ったそれを見るときに「あ、昨日これ買ったんだ」と小さな感動を抱くときがある。それと同じく午前3時。僕は感動した。僕のクオリティー・オブ・ライフがまた上がった。冷蔵庫がある生活。夜中にがんがんに冷えたリンゴジュースが飲める生活。金も名誉も女もいらない。僕には孤独な深夜を支えてくれる冷蔵庫さえあればいい。
 
2004年05月28日(金)  冷蔵庫と怒りのテンション。
 
そういえば冷蔵庫が壊れていたんだった。忘れてた。いや知ってた。冷蔵庫を開ける度に、あぁ、この冷蔵庫壊れてるなぁ。と、生ぬるい缶ビールを取り出しながら思うのだが、冷蔵庫を閉めた瞬間に忘れている。
 
具体的にどう壊れているのかというと、全然冷えない。いや全然ってことはないんだけど、こう、MAXに冷えないというか、缶ビールとかガンガンに冷えてくれない。いや、冷えることは冷えるんだけど。
 
だから修理を頼んだときに、電器屋か大家かそんな人が僕の部屋にあがりこんで、不分別に僕の冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出し、「冷えてるじゃん」と言われたらそこで終わり。実際に冷えてるわけだから僕は返答に窮してしまう。
 
でもガンガンに冷えてないの! ちめたいビールが飲みたいの! という意志を伝えたら、最近の若者は我侭だの贅沢だの思われそうで気が滅入る。でも、今日、僕はぶち切れました。今日は暑かった。仕事帰り、Tシャツに汗を染み込ませて帰宅。即効エアコンを入れる。冷蔵庫を開ける。ビ、ビールを……。……。……。冷えてなーーーーーーーい!
 
いや、冷えてないのは知ってるんだけど、今日くらいは冷えててほしかった。冷たいビールを飲みたかった。この怒りのテンションを忘れずに。冷蔵庫を閉めてもこのテンションを保てるように。すぐさま携帯を取り出し、大家に電話。
 
「ちめたいビールが飲みたいのー!」
「はい、明日取替えに参ります」
 
世の中、キリン一番搾りのようにあっさりしている。
 
2004年05月27日(木)  掘り出し物見つかった?
 
中古CDのワゴンセール。あれは一体なんぞ。「ALL100円!」の張り紙。いいね。安いね。掘り出し物が見つかるかもしれないね。と人ごみの中に身を投げて中古CDのワゴンに手を伸ばして愕然。あぁ、とても面倒臭い。なんだこの暴力的とも思える不親切さは。
 
100円で売ってやるんだから探す煩わしさくらい我慢しろよ。苦労して探せ。してこませ。100円で売ってやってるんだから。と店側の高慢な態度がワゴンの裏に見え隠れ。あーん探しづらーい。タイトルの文字が小さくて見えなーい。お。適当に、これいいかもと思ってCDを取りだしてみると渡辺美里だったりするー。あぁ、僕は渡辺美里は買わない。これは、違うんだ。ちょっと、タイトルが気になったから取り出しただけなんだ。と、周囲の客に無言の釈明。
 
あー面倒くせー探しづれー。知らない歌手ばかっかりだー。KATSUMIとか懐かしー。掘り出し物なんて見つかんねー。と、ワゴンを漁っていると神様にお叱りを受けた。「掘り出し物とは何ぞや!」そこで僕は詮索の手を止め考えた。
 
掘り出し物ってなんだろう。しかし僕は今ここに「掘り出し物を探そう」と思って立っているわけで、掘り出し物を発見せしめる為に労を惜まずパタパタパタと不規則に陳列されたCDを見ているのであって、掘り出し物が見つからないからこうやっていつまで経ってもうやむやとした気分の中、ワゴンの前に留まっているわけであって神様ありがとう。そうだ。「掘り出し物」という漠然とした言葉に僕は騙されていたんだ。形の見えない物を僕は延々と探し続けようとしていたんだ。危ない危ない陽が暮れるとこだった。
 
と、ワゴンセールの人ごみからしばし抜け出し、僕にとっての具体的な「掘り出し物」について考察する。一体僕はいかなるCDを発見した時に「掘り出し物だ! やっぼっ、ぼげ。やっほー!」と、痰を絡ませながら喜ぶのだろう。そして今までの人生で、時代遅れのCDが山積みされたワゴンを前にして掘り出し物が見つかったと歓喜したことがあっただろうか。
 
というわけで瞬時に馬鹿らしくなり、一つのことが馬鹿らしくなると全てのものが馬鹿らしくなるので、もう全部馬鹿。全部自分の都合。相手のことなど微塵も考えていない。我先に我先に。街に出ると辛い。ほら空を見上げて御覧。皆のエゴが集まってあの黒い雲ができているんだよ。と、何年後か先に生まれる自分の子供に言い聞かせたい。
 
2004年05月26日(水)  当店です。
 
僕は昔から寿司が大好きで、どのくらい好きかというと、彼女に「私のことどのくらい好き?」と訊ねられて、まぁ好きなことは好きなんだけど、具体的にどのくらい好きなのか推量することが難しいというくらい好きなのであって、仕事帰り、池袋などに赴き、回転寿司を一人で食べたり一人で食べたり。往々にして一人で食べるのだが、僕の困った性格の所以は、この回転寿司にあり、例えば「寿司食いたい!」という衝動。
 
仕事中に突然沸き出る衝動。絶対仕事帰り寿司食って帰る。絶対食う。たらふく食う。と、僕の中に新たな使命が生まれ、その使命をまっとうするために仕事を頑張り、「寿司寿司寿司……」と念じ続け、遂に仕事が終わり、颯爽と白衣を脱ぎ、池袋へ直行。あぁ、酢飯の匂い、新鮮なネタの匂いがする。まーずーはー中トロから!
 
と、中トロ一口。これで僕の使命は終わりました。寿司を食いたいという衝動は消散しました。あれと似てるね。彼女欲しい欲しいと強く念じ続けているときに限って、彼女ができると、あぁ、彼女ができてしまった。とやけに醒めてしまう心境。あぁ、もういらね。もう食いたくない。帰りたい。しかし何だねあの張り紙は。
 
「当店は厳選された新鮮な素材を使用しております」
 
と、何だねこの張り紙は。よーく考えよー。厳選されたネタとは何ぞや。厳選とは何ぞや。厳選を省いて「当店は新鮮な素材を使用しております」でもいいじゃないか。第一、厳選とは何ぞや。厳しく選ぶとはいかなることか。そもそも素材なんてものは厳しく選んで当然ではないのか。好い加減な選び方をしてはいけない。こんなの言ったもん勝ちじゃないか。
 
発想の展開。構築。厳選って言葉はもう、なんだかあれだから、その後の言葉、「新鮮な素材」について考察してみましょ。新鮮とは何ぞや。新鮮という概念についてガイドラインでも存在するというのか。漁業組合とか回転寿司協会とか厚生労働省とかにね。それはないだろう。じゃあ何? 何この言葉。何のためにこんなこと書いてんの? いらなーい。こんな上っ面だけの言葉なんて必要なーい。「厳選」も「新鮮な素材」もいらない。愛の告白の如く、「好きです」と、想いを伝えるのは単刀直入に。
 
「当店です」
 
いいね。いらぬ言葉を省いた張り紙。「当店です」これで全てが理解できる。回る舞台で甘エビが踊っている。
 
2004年05月25日(火)  MPM。
 
あ、そうそう。寄生虫。先日浜崎あゆみ見たさに鹿児島から来た友人とMPMに行ったんです。MPM。チョーお洒落な響き。目黒寄生虫博物館。メグロ・パラサイト・ミュージアムね。
 
友人は浜崎あゆみのことしか頭にないので、MPMのMは何を表すかと訊ねると、「うーん。リトル?」なんて頭文字から間違ってる。じゃあPは何だよと訊ねると、「うーん。ポエム?」なんて、自分からMPMに行こうと言い出したのに好い加減な対応。「で、どのくらい興味あるの?」と聞くと、「もうこの前の新曲買ったもんね」とayu一色。
 
目黒駅から徒歩15分。友人はMPMに入るなりトイレに駆け込んで小便をしていたが、その後「なんか、気持ち悪い。尿道から寄生虫が入り込んできたような気がする」と突然の妄想発言。「俺、ちょっと休んどく」と、博物館端の椅子に座り込んでうな垂れて。
 
おそらくもう一生来ないであろうMPMを、せっかくだから隅から隅まで味わおうということで、僕は各種標本、説明などを読み漁り、これからあまり役に立つとは思えない知識を蓄え、顕微鏡で「ギョウ虫の頭」などという、見たからどうすればいいんだというようなものまで仔細に観察し、全長8.8メートルのサナダムシの前で顔色の悪い友人を呼び、「ねぇ、ライブ終わったらきし麺食いに行こうよ」と一言。友人標本の前で卒倒昏睡。
 
2004年05月24日(月)  えーわいゆー。
 
浜崎あゆみ見たさに鹿児島から東京に来た友人と、先日「MTV THE SUPER DRY LIVE」というライブに行って、浜崎あゆみのファンではない僕は、ミッシー・エリオットが生で見れるということが嬉しくて、この嬉しいという感情も、天にも昇るという程ではなく、「食事の後にヨーグルトあるけど食べる?」と訊ねられて、「あぁ、食べる」という程度の、まぁ、あるんだったら食べようかしらという気持ちに似ていて、おまけに雨。一向に開場しない会場。ずぶ濡れの一張羅。服に雨の滴が染み込んでいく度に下がるテンション。
 
「なぁ、もう帰ろうよ」
「なんでそんなこと言うんだよ。やっと会場入れたっていうのに。あ!」
「わー」
「なんだよその棒読みの盛り上がりっぷりは。あー! わー! んぁー!」
「それにしてもあの女の子めんこいね」
「何言ってんだよ。浜崎あゆみじゃないか! らー! くぅー! あゆぅぅ!」
「あー、この曲知ってる。カラオケで聞いたことある。合コンとかで女の子がよく歌うやつだよね。あ、あ、この前合コンに行ったときの女の子の振り付け真似てるよ」
「馬鹿! 馬鹿垂れ! その女がayuの真似してんだよ!」
 
場所がとてつもなくいい場所らしく、とてつもなく浜崎あゆみが近くにいる。しかし僕は夜勤明け。しかも雨に濡れて気分が屈託。ayuどころじゃない。眠い。帰りたい。
 
「ちょっと、浜崎あゆみ終わったら起こしてくれる?」
「なんてこと言うんだ! 連れてくるんじゃなかった!」
「大丈夫。うちに帰ってCD買って聴くから」
「生で聴けよ! ライブを感じろよ!」
「お! よっちゃんだ! たのきんトリオのよっちゃんがギター弾いてんじゃん!」
「お前の感動のツボはどこにあるんだよ!」
 
と、周囲の高いテンションについていけず、歌う曲歌う曲、似たような曲ばかり歌い、ことあるごとに「もりあがろーぜぇーっ!」とヒステリックに叫ぶ歌手長者番付2位の歌手を尻目に、僕のテンションは落ちるところまで落ちた。花のように儚いのなら、君の元で咲き誇るでしょう。
 
2004年05月23日(日)  チョーファンシー。
 
このような仕事をしていると、救急車に添乗することもこれあるわけで、今日も急変した患者さんを乗せてピーポーピーポー隣町の救急病院まで。雨が降っている。
 
救急病院に到着し、患者さんの様態を看護婦に申し送り、さぁ帰ろう。外は雨。救急車に乗って帰ろう。というのも、救急車は、うちの病院の前を通って帰るので、いつも「乗っていきますか」と優しい声掛けでもって送ってもらえるのだ。
 
僕もこの通り白衣を着ているわけで、往来を白衣のまま歩いて帰るわけにもいかず、かといって帰りはタクシーで帰ってきてもいいのよと婦長さんは言うけれど、このタクシー代は患者さんの入院費から差し引かれるわけで少し気が引ける。というわけで送って下さい。よろしくお願いします。ってもういない。救急車帰っちゃってる。
 
忙しいのかしらー。次の予約でもあるのかしらー。と救急病院のロビーで立ちすくむ。外は雨が降っている。時計を見ると午後4時。どうしよう。4時半から申し送りが始まる。よって4時20分には病院に帰って、中断した記録の続きを書かなければならない。どないしよ。雨が降っている。タクシーは気が引ける。走ると15分くらいで帰れるかしら。
 
と、見ず知らずの看護婦。
 
「これから帰るのですか」
「えぇ。走って帰ろうかなと思って」
「まぁ。傘はお持ちですか」
「いえ、急いでたものですから」
「それでは少しお待ち下さい」
 
と、看護婦。受け付けの裏の方に消え、2分ほど待ち、笑顔で戻ってくる。左手に傘を、右手に夢と希望を持って。
 
「ありがとうございます。仕事帰りに返しにきますので」
「いやいや、いいのですよ。これは忘れ物置き場に何ヶ月も置いてあるものですから」
「それではお言葉に甘えて」
 
浦島太郎に助けられた亀のように深い感謝の意を表して、大雨によって海のようになっている外へ飛びだす。同時に傘を広げる。傘には、お花畑に兎が踊っているプリントが施されている。チョ、チョーファンシー! チョー恥ズカシー! 白衣でファンシーな傘を広げながら往来を走り抜ける看護師。チョーファンシー。
 
2004年05月22日(土)  Ayu Of Joy Toy.
 
えっと、いつだったっけ。いつか、あと2・3日。明日かもしれないなぁ。鹿児島から友人が来るんですけどね、メールが届いてたんだけど、返信するのすっかり忘れちゃって、どのくらいだろ。1週間くらい前かしら。メール届いたんだけどね、返信するタイミングを逃しちゃって、今頃返信すると「今頃返信して`(`‐´)´」なんていうお怒りのメールをもらう恐れがあるので、僕もできるならば人から怒られずに生きていきたいので、返信せずになんだかすごい日数が経ってしまったのだけど、そろそろ来る頃じゃないかなァ。いつだったけなぁ。
 
で、友人。何しに東京に来るのかというと、勿論遊びに来るわけで、具体的にどういう目的で来るのかというと、MTV。ミュージックテレビジョンのライブがあるらしい。で、それに行くんだけど、チケット2枚あって、もう一人の友人が急遽来れなくなったとのことで、じゃあ僕行く。僕行くよ。そのMTVとやらに行ってみるよ。
 
しかしそのMTV。出演アーティストは誰なんだい。と訊ねたところ、熱狂的な浜崎あゆみのファンである友人は、浜崎あゆみ以外はアウトオブ眼中らしく、何を訊ねても「ayu」としか答えないので辟易した僕は、じゃあ行かない。全部同じ曲に聞こえるアーティストの歌なんて聴いても面白くない。部屋でボンバーマンしてるよ。と一旦拒否。しかし友人。「インリンも出るよ」と。インリンも出るよ。インリンも出るよ。インリンも出るよジョイトイ。
 
行くーーーっ! と目の色が変わる僕。エロテロのグラビアアイドルがいかなる理由でMTVに出るのかわからないが、いかなる理由であろうともインリンが出るのなら僕は行く。女房を質に入れてでも行く。絶対行く。行くよジョイトイ。
 
「だけどお前そんなにインリンのこと好きだったっけ」
 
と訊ねられ、僕はまた思案に耽る。そうだ。そうだよなぁ。僕ってどのくらいインリンのことが好きなんだろう。いつの時代でも彼女というものは「私のことどれくらい好き?」なんて漠然的なことを訊ねるけれども、それと一緒で、僕はインリンのことをどのくらい好きなんだろう。どのくらい好きなんだろう?
 
「知らんよ俺は」
 
と、浜崎狂の友人は無関心。じゃあキミは浜崎あゆみのことがどのくらい好きなんだい。
 
「そりゃぁ、あれだよ。インリンより愛してるよ」
 
まぁ、そりゃぁそうだけど納得できないなぁ。じゃあ僕は浜崎あゆみよりインリンの方を愛してるよ。
 
「てめぇ! ayuとインリンを比較すな!」
 
友人逆上。最初に比較したのはキミの方じゃないか。阿呆。それになぜキミはあゆをayuとローマ字表記で発声するのか。それなんか意味あるのか。で、いつだっけ。MTVならびにキミが東京に来る日は。友人はきっとこの日記を読んでると思うので、これを見たらメール下さい。僕から自発的には送りませんので。
 
2004年05月21日(金)  アンビバレンツ。
 
彼女と喧嘩。喧嘩といっても茶碗を投げる、障子を破るなどバイオレンスな喧嘩ではなく、湖畔で繰り広げられる水草の囁きのような静かな喧嘩。冷たい喧嘩とでもいえばいいのだろうか。静かに、しかし熾烈に、お互いを刺激し、どちらともなく消耗して悶々とした気分のまま布団に入る。
 
僕はこうやって日頃はいらぬ波風を立てぬように温厚に努めているけれど、少しでも気に入らないことが生じると、粘着的に、相手がもう止して頂戴と、ぐうの音を吐くまで延々と、外見上はそれとわからないのだけれども、意味内容は冷酷残忍な言葉で攻め立てるのであって、年が離れている彼女の疲弊は察する余りで、心身共にボロボロになり、散々打ちのめされた後、ゴメンね。僕は非道い男ですと両手を広げ、彼女を我が胸に迎え入れる。僕はこういう男です。
 
彼女を責めているのはわかっている。もう、これ以上の言及はやめようと常に心の中では思っている。それでも、腹部にとどめを刺してから、尚更、横に切るような無惨な方法で彼女を責めたてる。彼女を愛しているほど、無意味な攻撃は増えていく。
 
僕のこれまでの恋愛は、当然のことだけど、間違いなく破局を迎えている。僕がこのような行動に出たときに、彼女が朽ち果てるか、僕が自己嫌悪に陥って再び自分の殻に閉じこもるか。結果はその2つしか残されていない。不幸だと思う。しかし一番不幸なのは僕の彼女になった彼女である。
 
2004年05月20日(木)  神様と影武者。
 
文章というものは陽が高いうちはそう書けるものではなく、だいたい深夜0時をまわってから、よしそろそろ書こうかしら。とやる気が出てくるものであって、午後7時に仕事から帰ってきて、飯食って風呂入って午後8時。よし原稿書くぞ。という気にはなかなかなれず、翌日が休日の場合、もう午後8時には入眠する。
 
人間は最低でも6時間は睡眠を取らなければいけない。というわけで午後8時に入眠して、午前2時に起きる。午前2時というと、もう文章の神様は既にパソコンの前に座っていて、いつまで眠っているのだ阿呆陀羅。阿呆の三杯汁。私は翌朝9時には帰るのだよ。と少々ご立腹。彼女が送ってくれたMOMOという紅茶を煎れて、煙草を吸って、さぁ書くぞ。と腕まくりをするのが午前2時半。
 
それから音楽を聴きながら、ちょっとイライラすると音楽を消して煙草を吸って、ムマー! と叫んで、窓を開けてもう一回ムマー! と叫んで、窓を閉めてクッションに顔を埋めて王様の耳はブランチ! と叫んで、何事もなかったようにパソコンに向かいキーボードを打ち始める。
 
そうするうちに夜が明けて、コーヒーを煎れて菓子パンをかじりながら目覚ましテレビをつけると、軽部アナウンサーの姿が消えている。その代わりに軽部アナウンサーより一回り小さい影武者のようなアナウンサーが代役を努めている。どうしたのだろう。と首を傾げていると、どうやら軽部アナは新婚旅行に行っているらしい。気楽なものよな。とテレビに唾を吐き、浴室に行ってクリアクリーンで顔を洗い、弱酸性ビオレで歯を磨き、顔中泡だらけ。ビオレママになった僕はなだれこむようにユニットバスへ倒れこみ、フンフンフーンと鼻歌交じりに服を脱ぎ、シャワーを浴びて卒倒昏睡。
 
2004年05月19日(水)  猜疑心に成増。
 
猜疑心ってのはあれだね。人を破滅させちゃうね。駄目にさせちゃうね。雨も止む気配見せないしね。この洗濯物どうすりゃいいんだい。って。って。最近ホント外出してない。理由は一人で外出しても全然楽しくないからね。彼女は遠くに住んでるので、遠距離恋愛をしている身上、仕様が無いのだけれドモ。だから休日の日は、ベッドの上に丸くなって、猜疑心を大きく膨らませたり縮ませたり。あー、うー。あれだ、あれなんだよ。と独り言。
 
結婚というものは、恋愛を放棄した結果だと仮説を立てる。だって恋愛ってあれだぜ。大変なんだぜ。独占欲。なんだこの欲望。なんでこんな欲望が自然に沸いてくるのだい。相手を独占したい。全ての思考・行動を把握したい。いや、そういうの不可能なんだけど、可能な限り可能にしたい。なんて。何言ってんだか。
 
結婚って便利だなァ。記号に依る独占。形式に依る支配。いいなァ。楽チンだなァ。僕ももう今年で28歳に成増。成増というのは職場に行く途中に通る駅の名で「なります」と呼びます。「今どこ?」と、彼女から電話があったとき、成増にいた僕は「成増になります」と言ったのだけれども、言った瞬間愕然。今までに「今どこ?」と訊ねられ「成増になります」と洒落っ気を交えて答えた人が一体何万人いるんだろうと考え愕然。不特定多数の人間にはなりたくないなァ。だから結婚もあれだね。不特定なあれだしね。考えモノだね。
 
と、手元にゼクシィがあります。駅前の本屋で500円で購入したんだけどね、これは僕の結婚願望が形として表れた結果ではなく、ただ調べ物があったので、資料として購入したのだけれども、これから役に立つことがあるかもしれないと思い、一通り読んでみましたがめんどくせーなー。二人の出会いのビデオなんて流してどうすんだよー。誰が喜ぶんだよー。と思いつつも憧れる。
 
雨が降っている。全然止まない。台風が近付いているのか遠のいたのかわからないけど、現にこうやって雨は降り続いている。彼女を独占したいと考えれば考えるほど、現実に打ちのめされ、理想は理想のカテゴリーに、現実は現実の箱に振り分けられて、こりゃぁダメだ。僕はきっとずっと一人なんだね。猜疑心ってのはあれだね。人を破滅させちゃうね。破滅への序章。まず右足の親指の爪が割れた。
 
2004年05月18日(火)  徒歩10分で無洗米。
 
駅の前には東武ストアがあって家から徒歩10分。家の近所にはドラッグストアがあって徒歩1分。
 
東武ストアには無洗米が売っていて、ドラッグストアには売ってない。
 
米を研ぐという行為に、20年来疑問を抱き続けている僕は、洗う必要がないという謳い文句の無洗米にどうしても手が伸びてしまう。米を研ぐという行為。一体いつになったら透明になってくれるんだこの米は。いつまで研げばいいんだ。明確なガイドラインというものは存在しないのか。もういいだろう。5回研いだ。もう綺麗になった。あ、駄目だ。また濁ってきた。
 
反面、無洗米はチョー便利。研ぐ必要などないのだから、少し濁ってても全然オッケー。お前は無洗米のくせにこうやって濁っているけど、僕は研がないからな。パッケージに研がなくていいって書いてあるから研がないからな。濁ってるのは僕のせいじゃないぞ。馬鹿。このまま炊飯ジャーに入れてやるからな。知らないぞ。濁ってるけど。
 
で、僕は考えた。仕事帰り、東武ストアで無洗米5キロを購入し、それを抱えながらの帰り道、僕は考えた。一体これはどういうことなんだって。雨が降っている。左手に傘を持ち、右手に米を抱えている。どういうことなんだ。
 
というのも、徒歩1分のドラッグストアで普通の米を購入した場合、徒歩1分で家に帰れるので、5キロでも10キロでも余裕で抱えていられる。しかし、東武ストアで購入した無洗米5キロ。いくら研がなくてはいいとはいえども、こうやって徒歩10分の距離を重い重い言いながら歩かなければいけない。
 
この5キロの無洗米を抱えて歩く10分の苦労と、徒歩1分で家に戻れて、今後米を炊く際に随時研がなければいけない苦労。どっちが得なんだ。もしかして僕は目先の利便さにとらわれて結局損をしているのではないだろうか。僕は東武ストアに騙されてるんじゃないだろうか。雨が降っている。ジーパンの裾が濡れている。
 
2004年05月17日(月)  ゼロからマイナスになってプラスにしてまたゼロに戻る。
 
僕は昔から「ゼロからマイナスになってプラスにしてまたゼロに戻る」という状況に憤りを感じており、例えば、コーヒーをこぼす。床が汚れる。雑巾で拭く。元通りになる。キーーーーッ!
 
人間は絶えず進化する生き物だというのに、コーヒーをこぼすという退化。それを復旧しようと雑巾を取り出す。せっせと拭く。元通りになる。元通りにしかならない。プラス要素が全く含まれていない。コーヒーをこぼして床を拭いて元通りになって尚更、貯金が1万円増えるとか。そんなこといいな。できたらいいな。
 
と、お腹いたーい。これは、あれだ。晩飯の河豚があたったんだ。河豚中毒。急性腸炎。入院だー。ピーポーピーポー。はい1ヶ月の入院です。やだなぁ。注射点滴胃に優しい病院食。すっかり元気になりました。この元気になりましたという意味は、河豚にあたる直前の体調に戻りましたということで、退院して筋肉隆々になってるわけではないので、すごく損した気分。
 
今の状態がゼロだとして、この状況でマイナスになる事態が起きて、その自体を収拾するためにゼロに戻す努力をする。いつまで経っても進化しなーい。
 
先日、駅が目の前に見えるときに定期を部屋に忘れたことを気付いて、部屋に戻るか、切符を買うか散々迷って、これは、どういう状況なんだ。確実に本来の姿よりマイナスな状況だと思う。部屋に帰って定期を取って電車に乗ることと、切符を買って電車に乗る。経済的損害は定期より切符を買う方が大きいのだが、定期を取りに帰るという苦労さえ惜しまなければ、経済的損害は免れる。しかし身体が疲弊してしまい、今後の仕事に支障をきたすかもしれない。どっちを選んでも進化しない。僕は進化しない。今日もニュースで殺人事件が起きたと騒いでいた。みんな進化しない。馬鹿ばっかりだ。
 
2004年05月16日(日)  足の臭い。
 
うちの職場の夜勤は夕方5時から翌日午前9時まで。実質的には夕方4時半にはナースステーションに入っていて、あ、こんちは。あ、どうも。あ、今日日勤だったんですか。あ、そうなんです夜勤なんです。あ、あの人退院したんですか。あ、入院あったんですか。と、仕事と私語の中間のような会話を30分ほど交わし、翌日午前9時半には、やはりナースステーションで、あー、やっと終わった。あー、帰ってから何しよ。あー、洗濯物溜まってるんだよなー。あー、今日日勤ですか。あー、僕はもう帰りますけど。へへ。うへへ。なんてやはり仕事と私語の中間のような会話をするのであって、合計17時間も職場に拘束されるわけだが、いちばん気になるのは、この過酷な労働環境ではなく、足の臭いである。
 
というのも、ナースシューズというものが、驚くほどに通気性が悪い素材でできており、油断するとすぐに蒸れてしまう。アポクリン汗腺? 正式な名称が思い出せないけれど、足の裏にはアポクリン汗腺だらけなので、すぐに臭くなる。よって、悪臭を伴わずに17時間の労働を乗り越えるには、こまめにナースシューズを脱ぐという行為が必要なのである。
 
だから僕も臭いのは嫌なので、カルテへの記録などの仕事の際、こまめにナースシューズを脱いでいるわけだが、この悪臭への対応策の欠点は、あらゆる行動に迅速に対応できないということであって、名前を呼ばれた場合、しかもそれが緊急の用が発生した場合、靴をしっかりと履く間もない場合、靴のカカトの部分を踏むという行為を忌み嫌っている僕は、靴のカカトを踏まないように、つま先で立っている状態、いわゆる少し背伸びした状態でぴょこたんぴょこたん歩かなければならず、その状態で走るものだから、常に膝カックンされているような体勢になるのであり、実に格好悪い。
 
実際、足の臭いなんて過剰なる自意識から発せられるものだから、そんなに気にすることはないのだけれども、自意識が過剰ということは、まだまだ僕も若いということで、臭いのことなどあまり考えなくてもよさそうなストッキングを履いた看護婦さんの細い脚を眺めながら。
 
2004年05月15日(土)  一人馬鹿みたく。
 
夜勤の日は、職場の地下食堂で患者さんと同じ食事を食べる。今夜はサンマの塩焼き。また魚カヨー。僕が夜勤の日っていっつも魚ジャナイカー。魚ジャマイカー。フィッシュレゲェ。ラスタファーライ。
 
で、一人で食ってました。魚を食ってました。チキショー。食い辛ェナァ。骨ばっかしジャンカヨー。骨とあと黒くてグロくて苦い部分。肉食イテーナー。僕が夜勤の日っていっつも魚ジャナイカー。魚ジャマイカー。フィッシュレゲェ。カルシウムボブマーレィ。
 
お。なんかスゲェ。僕ってスゲー。調子イイ。なんだこの調子の良さは。阿部慎之助みたく。何が調子良いかって、この食べっぷり。見て見て。ほら、チョーキレイ。サンマの食べ方チョーキレイ。チョーオリコウ。オリコウサン。サンマの食べ方のお手本のような食べ方のお手本のような食べ方のお手本のような。
 
かなりキレイに食べれたので、この「かなりキレイ」の「かなり」の部分は、東京の山手線などで見かけるワキが臭そうなギャル達の発音で「かなりキレイ」誰かに見せてあげたい。ボクコンナキレイニタベレマシタヨ。子供の口調で書いてしまったので、ラ抜き言葉になってしまったが、年相応の言葉で申しますと、私はこのように綺麗に食べることができました。どうぞ御覧なさい。誰か。誰か。ダレカキテー。
 
(^^) ……。
 
誰もこない。食堂に座っている看護婦たちは、皆知らない人達ばかり。そりゃあ挨拶くらいはするだろうけど、サンマのキレイな食べっぷりを自慢できるような間柄ではないので、しばらく食堂で放映されている見たくもないNHKの「みんなの童謡」という退屈死にするような番組を見ながら、顔見知りの看護婦が来るまで待つことにした。
 
聞いたこともないような童謡が流れている。退屈な映像の下に「時代を越えて多くの人々に愛されている」というテロップが流れている。うっそーん。アタシシンジナイヨ。アタシシンジナイ。だいたい僕は「多くの人々」の中に入ったことがない。なんかちょっぴり村八分。やだなぁ。僕も多くの人々のように愛してみたいなぁ。っておい! 誰もこない! 食い終わったお膳を前に一人馬鹿みたく!
 
2004年05月14日(金)  そろそろ歓声ですよ。
 
原稿終わりますヨー。そろそろ感性しますヨー。というわけで【恋愛歪言】近日発売です。近日発売と申しましても、7月の上旬か中旬。今は校正の段階です。校正と申しますのは、例えばこの日記を読み返した場合、「原稿終わりますヨー。そろそろ感性しますヨー」と書いてあり、いけねいけね。感性じゃなくて完成の間違いです。という誤字脱字を一字一句逃さずチェックしていく段階で、実に骨が折れる作業で御座います。
 
仕事休んでこの原稿だけに没頭したいのだけど、モノを書いて食っていけるだけの収入も自信もない僕は、昼間、もしくは深夜に白衣を着て注射をしたりオムツ好感をしなければならず、いけねいけね。オムツ交換をしなければならず、原稿の校正をしたいという理由で、この労働を放棄すれば、いずれのたれ死んでしまう。だから仕事の合間を縫って原稿を仕上げなければいけないわけで。
 
しかし、家に帰ると様々な誘惑が。テレビをつけるとプロ野球。女子バレー。試合がつまんないとプレステでもしよっかな。プレステつまんないとDVDでも見ようかしら。パソコンつけると原稿の前に10分だけオンラインボンバーマンしようかしら。僕は深夜0時まわらないと文学の神様が降りてこないのです。いやホントに。
 
しかしもうそんな誘惑に負けてはいられない。校正の締め切りは刻一刻と迫っている。全ての誘惑を遮断。というわけにもいかず。テレビの馬鹿。プレステの馬鹿。ボンバーマンの馬鹿と、唇を尖らせながらプリントアウトした原稿を持って、駅前の喫茶店に出掛けて校正作業をしている次第で御座います。
 
そういう様々な葛藤、格闘を得て、もうすぐ【恋愛歪言】が完成します。皆さん買って下さい。印税で新しいパソコンを購入しようと思っているのです。もうこのパソコン、5年使ってるんです。ウィンドウズ98です。最近、すぐIEが強制終了されてイライラします。バカーってパソコンに向かって文句を言うと、パソコンがヘソを曲げちゃいそうで、胸の中で文句を言っております。Cドライブの残り容量も250メガしか残ってません。かなり不安定なのです。だから買って下さい。パソコンが、ヴォクのマソコンがイカレテしまウマエに。
 
2004年05月13日(木)  と。
 
バレーバレーって騒いでるけど、テレビで放送しなくなっちゃったらプリンセス・メグのことなんて皆忘れちゃうんだから、大衆って非情だよね。と思いながら女子バレーを見ているのですが、とにかくジャニーズの連中がうざくて、おいお前だよ。後ろの列の右から2番目と3番目。お前、実はバレーなんて興味ないだろ。ヘンチクリンな笑顔浮かべてんじゃないですよ。あとそこのリーダーっぽい金髪の青年。キミキミ。年金未払いの芸能人と不倫のドラマやってたキミ。カメラ映りばっかり気にしてんじゃないよ。そこの女アナウンサーも。何? このミーハーな空気は。内輪で盛り上がってるような雰囲気は。無理矢理なテンションは。ああ馬鹿らし。野球見よ。
 
と、野球を見る。巨人の打線って、ほんとすごいよね。この打線で負けるっておかしいよね。あぁおかし。いとをかし。今日も負けろ。負けちまえ。タイムアウト終わったかしら。バレー見よ。
 
と、バレーを見る。いつの間にか1セット終わっている。んだよー。いいとこ見れなかったじゃないか。ピーポーピーポーって不快な音立ててタイムアウトばっかり取るからバレーってつまんないんだよな。だけどあのコ可愛い。オートモアイってコ可愛い。髪型がいいんだよねきっと。可愛いなぁ。あとのコは駄目だ。みんな汗で眉毛取れてる。スーパー女子高生の眉毛は自毛だけどね。野球見よ。
 
と、野球を見る。1点入ってる。んだよー。誰が点数入れたんだよー。いいとこ見れなかったじゃないか。とにかく全てのボールを振らなければいけないってルールがあったら目が離せないんだけどね。あと全日本女子対読売ジャイアンツとか面白そうだよね。
 
と、バレーを見る。と、野球を見る。と、一日が終わる。
 
2004年05月12日(水)  阿部は7番なのによく打つので、嫌だと思いつつ。
 
最近日記の更新が遅いのは、僕がインターネットで日記を書くという、格好良いのか格好悪いのかわからないことに飽きたのではなく、最近体調を崩していたということと、単に書く時間がないという誰でも理解できる言い訳。
 
風邪かしら風邪かしら。と頭を傾げながら鼻水を垂らしながら駅に向かい、電車内で何気なく鼻を触ってみると、家を出るときには滝の如く流れていた鼻水が、車内の熱気でカピカピに乾いている。こういうものが鼻糞になるのだなと思いながら、鼻の周囲に付着した乾燥鼻水を、誰にも悟られるように、ポリポリ掻き落とす。
 
仕事は毎日行ってますし、今日なんて本当は休日だったんだけど、昨日の夜、婦長さんから電話がきて、あ、婦長さんだ。と携帯に表示される「婦長san」という文字を見ながら、嫌な予感がしたので受話器を取らなかったら留守番電話に「明日、○○さんが急に休日を希望したので、明日出勤お願いします」と、メッセージがあって、嫌だなぁ。明日の僕の予定とか聞かないで決めちまうんだもんなぁ。参ったなぁ。
 
しかし、こういう事情で文句を言っていては、周囲から社会不適合という烙印、洒落た言葉で申すとスティグマを押されてしまうので、ここは従順にオッケーデス。全然ダイジョーブ。余裕でハヤオキ。快適なマンインデンシャ。シャァー!!
 
2004年05月11日(火)  土踏まず。
 
あ、これ日記に書こう。と思うことは多々あるけど、実際こうやってパソコンに向かうと、何も思いつかない。そういう事態を避ける為に、その時感じたことを適宜メモを取るということが大切なんだけど、わかってるんだけど、あぁ、メモ取るまでもなく覚えてるよ楽勝。なんて思うから、こうやって今、後悔している。向かいの家で赤ん坊が泣いている。
 
足の裏の土踏まずの部分に脈が透き通ってる女は綺麗だと思う。というのは、今こうやってベッドに横たわっている女の土踏まずの部分には、池から覗いた水草のように、うっすらと脈が通っているのであって、先ほど「綺麗だね綺麗だね」と言いながら足の裏を撫でたら、きゃっ、くすぐったい。なんて言って身体をくねらせるのかと思ったら、何やってんのよキモイ! と僕の肩の部分を蹴飛ばしたのであって、今右の肩がすごく痛い。
 
なぜ彼女がいる僕の部屋に彼女ではない女がベッドに横たわっているのかというと、そんなこと僕には知らない。世の中には男と女しかいないのだから、こういう時だってある。昨日の日記に書いた看護婦さんではないけれど、名前も知らないし、年も知らない。ただ、うちの近所に住んでいて、とある日、自転車に乗っていた彼女は僕の目の前で転倒。それからクツがどうだの、看板がどうだの、バッグがどうだの、あそこの犬がどうだのという話になって、今こうやって僕の部屋のベッドで、「ガラガラヘビがやってくる」を鼻歌で鳴らしながら、時々思い出したように彼氏の自慢を始める。
 
別に彼氏の自慢なんて聞きたくない僕は、その自慢を妨害するための実力行使。足の裏をくすぐったら反対に実力行使。暴力反対だと思いながらも泣き寝入り。土踏まずの静脈が揺れている。
 
2004年05月10日(月)  オッパイ星人。
 
「というわけで、今度ご飯食べに行きましょうね」
「はい。わかりました。いつでもいいですよ」
「連絡するね」
「はい。じゃあ電話番号……」
「あ、いいのいいの。知ってるから」
「え」
「この前看護婦さんに聞いたから」
 
また困ったことになってしまった。そんなに困ってばかりいるのなら、「断る」ということを覚えればいいのに、この二十七年、なかなか物事を断ることができない。優柔不断な態度は相手を不幸にさせるということはわかっているのに、それでも、表面上の幸福を追求して追求して追求して。
 
なぜ、今回困ったことになったかというと、僕を食事に誘った看護婦さん、勤務する病棟が違い、どういう性格でどのような思考や嗜好を持っているのかわからないということと、看護婦さんの名前自体知らないということ。
 
この看護婦さん、僕がこの病院に働き始めてから、外来の廊下や地下の食堂ですれ違った際、フレンドリーという言葉が背中に書いてあるような笑顔で僕に話し掛けてくるのであり、フレンドリーに接せられて不快な思いなどする人はいるわけないので、僕も目には目を、歯には歯を、フレンドリーにはフレンドリーな態度を。という具合に、意味も無く表面的な笑顔を浮かべて接していたら、親密度の程度は接触の頻度と時間で決まる。いつの間にか仲良くなってしまって、今度ご飯食べに行きましょうということになったのだけれども。
 
名前がわからない。聞くタイミングを逃してしまった。今更聞けない。どうしようと思って、白衣の胸のところに貼ってあるネームを見ようと思うのだけど、ネームに書いてある字が小さいし、目を細めてネームを見ていると、「何この男ワタシの胸ばっかり見て。不精ヒゲ生やしたオッパイ星人」なんて思われたら悲しいし恥ずかしいので、あまり見れない。
 
そうしているうちに、こんなことになってしまって、ご飯食べに行ってあんなことになってしまったらどうしようと思う。
 
2004年05月09日(日)  げきじょう。
 
馬鹿医者が。医者の後ろに立っている僕は心の中でそう毒づく。
 
深夜1時、患者が急変した。突然39℃代の熱発。歩行不可。右手患側振戦。流延。眼球上転。意識レベル低下。僕は看護婦に、すぐに当直医師に連絡するよう伝え、ヘルパーに吸引器、クーリングの準備。僕は救急カートを取りに行った。
 
患者のバイタルサインを測定していると、看護婦が帰ってきた。深夜1時30分。
 
「様子を見るようにとのことです。朝の回診の時に見にくるそうです」
 
当直の医師はたいていバイトで来ている若い医師で、僕はその医師たちを全く信用していない。世間知らずならまだいい。病院とは何か、患者とは何かさえ理解していないのだ。僕は患者のケアを看護婦に任し、医局へ走った。
 
医局のドアを憎しみを込めてノックする。馬鹿が。馬鹿医師が。重症に陥る危険はないとはいえ、現に患者は苦しんでいる。この患者の急変は、日常茶飯事とはいえ、日常茶飯事で片付けていいことと、そうではいけないことくらい理解できないのだろうか。指示の一つでもしてくれれば、僕達はすぐに患者の処置にあたることができるというのに。
 
おもむろに眉間に皺を寄せて、若い医師が医局のドアを開ける。
 
「さっき電話した病棟の者ですけど」
「何か」
「何かじゃないですよ。患者が急変したって伝えたはずですけど」
「あぁ、だから様子を見るようにって言ったでしょ」
「様子を見るってどういうことですか。そんな曖昧な指示で患者の様態が収まると思ってるんですか」
「……」
「とにかく患者を診て下さい。それが仕事でしょ」
 
強引に医局から医師を引っ張り出し、病棟へ連れていく。
 
こういうことは「仕事」じゃ片付けてはいけない問題なんだ。仕事の延長線上に存在する「患者」ではなく、目の前で苦しんでいる「人間」を見たときに、何を思い、どう行動するかという人間として基本的な問題なんだ。僕と年齢がそんなに変わらない若い医師の頭の中は、一体どういう風にできているのだろう。
 
日頃は意識して温厚になるように努めているけど、つい、こういうときに本来の激情型の性格が出てしまう。だって、しょうがないと思う。怒りの感情を表面に出さなければ、相手は決して動かないのだから。
 
2004年05月08日(土)  不幸。
 
痴呆の患者さん。毛布をマントのように被り、右手に枕、左手にオムツを持って病室をウロウロしている。「何してるんですか?」と問うと、「いや、業者がね、みんな張り切っちゃって。落ちるときもあるし」と、何を言っているのかわからない。その後、彼は枕を持ったままトイレへ行き、トイレの中で枕カバーを外し、枕カバーの中に両足を入れ、動けなくなっているところを発見。救出し、自室へ誘導する。
 
と、こういう夜勤。精神科は、心を病んだ人ばかり入院しているのではなく、一部はこのような重度の痴呆の患者も入院している。僕は、看護婦さん達のように、患者さんの行動を、ただ「意味がない」「わけがわからない」という理由で抑制したりしないので、僕が夜勤の日の痴呆の患者さんは、みんな元気。やりたいことをやっている。
 
「不幸」ということについて考える。重度の痴呆の患者さん達のこのような行動を見て、家族の人や一般の人達は涙するかもしれない。「可哀想に」と嘆くかもしれない。しかし、この悲しみは、誰のための悲しみなんだろうと思う。
 
例えば、先述の痴呆の患者さん。枕カバーに両足を入れて動けなくなりながらもニコニコしている。「いやぁ参ったよ。業者がね、開いたり閉じたりさ。電話もあったんだよ」なんて言いながらニコニコしている。だから僕もニコニコしながら「業者だったら、さっき部屋に行ってましたよ。さっき見たときは閉じてましたけど」なんて、患者さんの会話に合わせてるのかそうでないのかわからないけど、それから患者さんと肩を組んで部屋に戻る。
 
肩を組みながら患者さんの横顔を見ると、とても楽しそうな顔をしている。その笑顔を見て、誰が不幸だと思うだろうか。健常者が描く、「不幸」というベクトルは、誰に向いているのだろうか。そう、自分達に向けられているのである。自分が、年をとって、こんな状態になったら嫌だな。自分の親がわけわからなくなったら悲しいな。「不幸」のベクトルは常に自分に向けられる。だから看護婦さん達は、そのような行動を抑制する。できるだけ正常な行動に近付けるように。見栄えだけでも健常者に見えるように。
 
そのような価値観は常に健常者から発せられて、痴呆という不幸のフィルターを通して、再び帰ってくる。そこに、患者さんの意思は、ない。
 
患者さんの笑顔を見ながら、不幸について考える。あなた達は不幸ですか。そうやってオムツを外して廊下に放り投げて、ブツブツと独り言を呟いて、隣の患者さんのコップに入ったお茶を飲んでニコニコしている。不幸って何ですか。それは誰の為の不幸ですか。
 
2004年05月07日(金)  弁邪眠とガーネット。
 
もうすぐ母の日ということで、何か贈り物をしなくちゃね。しかし先月帰郷した際、いくつか洋服を買ったので、あれが母の日のプレゼントってことでいいかしら。ねぇママンと電話。「何よ。楽しみにしてたのに」というわけで、母の日を楽しみにしている母の為に、書を捨て、街に出て、母の日のプレゼントを買いに行きました。
 
小学校の頃、毎日もらう小遣いを貯めて、ベッコウの櫛を買ったことがあり、ここは原点回帰。ベッコウの櫛でも買おうかしら。と、ベッコウの櫛専門店を探していたら、欲しい物なら何でも探すこの東京でさえ、ベッコウの櫛専門店などというものはなく、それじゃあ、あれ送ろう。あれ。あれ送ろう。あれ。あれ? 何だっけ。母の日の花といえば何だっけ? わ。ど忘れ。ガーネット? 何かそんな感じ。ガーネット? あ、これ今言った。ガーラネット? 全然違う。ガラパゴス? 絶対離れていってる。わー。何だ。ど忘れ。ガーネット。違うような気がするけど思い出せないものは仕方ない。ガーネットでいこう。
 
というわけでガーネット専門店を探しましたが見つからず。道行く人に「ガーネット専門店はありますか」と聞きたいけど、ガーネット自体、僕が描くガーネットと訊ねられた人が描くガーネットとの相違が生まれそうなので、何でガーネットわかんねぇんだよ。と最近締め切りが近付いているせいか、やけに怒りっぽい僕は、道行く人を次々に殴打。通り魔現行犯逮捕ということにもなりかねないのでガーネットは諦めました。花キューピットにでも行けば売ってるんだろうけどね。
 
というわけで、ベンジャミン。ガーネットの本来の名前がどうしても思い出せなかったので、観用植物。その中でもより観用植物っぽい観用植物をチョイスし、之は何と申す。と店員に問うと、「弁邪眠で御座います」と言うので、いかした舶来植物だなぁ。と思い、これ下さい。母の日に送りますので。と言うと、「それじゃあガーネットを一輪つけましょうね」と言うので、わぁ。やっぱりそうやった。母の日といえばガーネットやった。
 
店員からメッセージカードをもらったので、「母の日、おめでとう」なんて、よく意味のわからないタイトルを書いて、「今回は、ベンジャミンという観用植物を送ります。僕だと思って、毎日欠かさず水を与えて元気に育てて下さい。それと、母の日らしさを演出するためにガーネットを1輪つけてもらいました。いつまでもお元気で」
 
「鹿児島でしたら、届くのは11日になります」と、店員は会計を済ませてから言うので、わぁ。母の日じゃないやんか。過ぎてるやんか。なんで先に言うてくれへんの。と思ったけど、まぁいいやと思って、トイレを借りて小便をした。
 
2004年05月06日(木)  Piease Mr.Postman.
 
昨日は、「Piease Mr.Postman」について書こうと思ったのだが、いつもの如く話しが脱線脱糞。アマゾンについて思うことで話が終わってしまっている。Wait!
 
Wait Wait Wait Mr.Postman.という歌詞で始まるのですが、日本語に訳すと「ちょっと待ってよ郵便屋さん」恋人からの手紙を待ち続ける女心を描いた歌ですが、この歌をカーペンターズが歌うと、一層味が出るというか趣があるというか、心に染み渡るというか、とにかく良いのです。
 
この歌を口ずさみながら彼女から届いた手紙を読みます。彼女は週に1回、手紙を送ってくれます。手紙の内容は、日常のこと。なんでもないこと。それでも離れているので、共有できないこと。彼女の住んでいる世界の、彼女の周りで起きたこと。それを彼女は、僕に伝えてくれます。ここから遠い場所で、彼女は、毎日、手紙を書いて、何日分かまとめて、可愛らしい便箋に入れて、僕に送ってくれます。
 
その文字の形、文章の行間から、メールでは伝わらない思いが伝わってくるようで、僕は寝る前に何度も読みながら、心地良い眠りの世界に吸い込まれていくのです。
 
Piease Mr.Postman.僕に手紙は届いていませんか。
 
仕事帰り、マンション下の小さなポストに、僕は毎日話し掛けます。
 
2004年05月05日(水)  アマゾンと欲求。
 
僕が気分が良いときに口ずさむ曲といえば、「Piease Mr.Postman」という曲で、しかもオリジナルではなく、カーペンターズがカバーしている曲じゃないと興に乗らないので、僕が口ずさんでいるのもカーペンターズバージョン。
 
僕は3人兄妹で、僕長男。結婚した長女。結婚間近の次女がいるんだけど、なぜ僕だけ結婚のケの字も出てこないのかという問題ではなく、今日は音楽の話をしたいのであって、この兄妹、小学校の頃からアメリカンなオールディーズが大好きで、よく3人でラジカセを囲んで、50年代とか60年代の僕達が生まれる前に流行った曲を歌っていました。
 
何せ僕らは小学性であるから、僕が6年生だと長女は4年生、次女は3年生で、この次女。今は美容師なんて格好良い職業に就いているんだけど、この妹、小さい頃からタンスが大好きで、タンスの下の段を開けて、そこに入り、そこから顔を出してオールディーズを聴いていました。
 
そして久々に、「Piease Mr.Postman」が聴きたくなって、CD買うならCDショップに行くのではなく、専らアマゾンで購入するんだけど、アマゾンの悪いところは、直接金を払うのではなく、着払いだったりコンビニで支払ったりということで、金銭感覚が麻痺。これも欲しいあれも欲しいと欲求に忠実になりクリッククリック。届いてからどうしてこんなもの買ったんだろうと後悔することが多く、こういうことから、僕がクレジットカードを持ったら、すぐに破産するんだろうなと思っているのです。
 
2004年05月04日(火)  コーヒーの尻。
 
お尻の部分に、古着調のペイントで「COFFEE」と書いてあるジーンズを履いてる女の人を見た。格好悪いなぁ。あれは、お洒落じゃないよなぁ。なぜコーヒーなんだろう。その尻にどんなメッセージが込められているんだろう。
 
尻にコーヒー。鬼も十八番茶も出花。「すいません、お尻にコーヒーって書いてますよ」忠告したい気分。とりあえず、古着調のペイントでアルファベットだったらなんでもいいのかしら。でもコーヒーは、ねぇ。「牛乳」って書いてたら面白いだろうなぁ。尻に牛乳。「豚めし」とかね。
 
胸の部分に「牛乳」って記されたTシャツを着てるコがいたら、僕はそのコの手を引いて、東武ストアに連れてって、ジャージー牛乳プリンを買って上げます。と、ジャージー! ジャージー牛乳プリーン! 彼女の近所のスーパーでは、いつも売ってる。ビッグサイズも売ってるなんて言ってるけど、うちの近所の東武ストアからジャージー牛乳プリンが消えて大分月日が経っている。寂しい。ジャージー牛乳ヨーグルトは売ってるけどね、ヨーグルトじゃあ、駄目だ。プリンじゃなきゃヤ!
 
尻にコーヒーの女の子は、今頃何をしているのだろう。尻にコーヒーと書かれて、それを気付いてるのか気付いていないのかわからないけれど、お洒落なセレクトショップで買い物をしたり、ボサノヴァが流れるカフェでエスプレッソを飲んだりしているのだろうか。
 
2004年05月03日(月)  空埋め。
 
なんだなんだなんなんだ。最近のこの体調の悪さは。誰か、助けて頂戴。ちょっと、お部屋に来て頂戴。と、彼女に言いたいのだけれども、彼女は遠距離に住んでいるので、無理は言えない。隣のコは最近滅多に見かけない。連休で国に帰っているのかもしれない。うっ。またきた。きたきたきたきた。と、トイレ。トイレにしがみつき、嘔吐。あぁくそ。勿体無ぇなぁ。なんで消化されないんだよー。と、世界の中心で愛を叫ぶ。
 
うげ。胃薬。苦い。眠い。眠いなぁ。最近仕事と原稿の繰り返しで、日記なんて書くことがない。体調が悪いのがこれ幸い。しばらくはこの嘔吐ネタで、なんとかしよう。うげ。きた。きたきたきたきたーーーってね。もう完治してるんだけどね。完治したので書くことがなくなりました。
 
世の中は連休始まったばかり。だよね。これは5月3日の日記だからそうだよね。始まったばかり。ばかー。大雨とか降れー。どしゃ降り祈願。なんてね。実はもう5月6日なんだけどね。3日遅れで書いてます。追いつかない。どないしよ。今月号の『CROWD』のコラム読んだひとー。「ホテルの上手な使い方」なんて、妙に真面目くさったタイトルのコラムを書いてますが、内容は全然真面目じゃない。とてもお洒落なページに自分のコラムが挿入されて、そこだけ浮いてる。うげ。うげげ。きた。きたきたきたーーーーって。ホントはまだ全然体調悪かったりして。
 
2004年05月02日(日)  侵食。
 
世間は連休だということで、よし、旅行に行こう。一人旅に出よう。電車に乗って行ってこましたろ。と思い、時計を9時半にセット。ベッドに入り、翌日午後3時に覚醒。あぁ、もう駄目だ。もう一日終わってる。もう夕方なってる。洗濯物すら干せない。駄目だ。この連休。僕は休日1日しかないのに、その1日を無駄に過ごしてしまった。旅行に行くっていうのは嘘だけど、9時半に起きたら、それなりに充実した休日を送れると思ったのに。もう駄目だ。仕事しよう。
 
と、パソコンに向かい、原稿を開き、ポッキーを食べながらタバコを吸いながらコーヒーを飲みながらキーボードを叩いていると、午後8時。あぁ、終わった。もう終わった。本当に僕の休日が終わった。何事もなかった。大衆は成田空港から海外へ旅立っているというのに、僕はこの六畳一間から一歩も出なかった。もう出ない。腹減ったけどコンビニすら行かない。ピザ食べよ。
 
というわけで、宅配ピザを注文。40分後に横柄な態度の青年がピザを持ってきて、それを食べながらビールを飲みながら。またまた気分が悪くなりトイレで嘔吐。もう死ぬかもしれんね。体内に異常をきたしているのかもしれんね。背中の真ん中が痛い。
 
明日は夜勤。先月の25日くらいから、昼間仕事に行っていない。連続夜勤。こういう生活が駄目なのかもしれんね。ピザ半分残し、深夜にゴミを出しに行く。一人ってのは、やはり辛いなぁ。部屋に戻り再び嘔吐。なんだこら。見えない何かが僕を蝕んで。
 
2004年05月01日(土)  異変。
 
昨夜から体調が勝れない。身体中がどんよりとしている。景色は暗く、思考は陰。昨日、深夜番組を見ながらビールを飲んでいたあたりからおかしかった。僕は毎日ビール1本飲んで寝るのだが、どうもビールが美味しくない。全然美味しくない。ソファーに半分寝た姿勢で、どんよりとぐったりとしながらビールを飲み干し、歯を磨き、小便をしてベッドに入った。
 
珍しく眠れない。横になると気分が悪い。初めてビールを飲んだときのように身体中をアルコールがすごいスピードで回っている。目が回る。不安になる。一人暮らしで体調が悪くなるときほど不安になるものはない。誰かに電話したくても、もう時間が時間だし。冷や汗が出てくる。胃の辺りが熱くなる。急いでトイレへ走る。
 
嘔吐。ビール1本で嘔吐。便器にすがるように膝を付く。もう一度嘔吐。なんだこれは。どうしたんだ。と、立ち上がり、目の前が真っ暗になる。部屋の入り口で気を失ったようにしばらく横になる。フローリングの冷たさが心地よい。その夜は、ベッドに戻る気力もなく、そのまま部屋の入り口で眠りに落ちた。
 
腰が痛い。膝が痛い。頭が痛い。硬い床の上で寝ていたので、全身のあらゆる箇所が痛む。午後1時。シャワーを浴びて、夜勤の準備。
 
「それじゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
 
なんでもない彼女との電話。彼女は昨日、友人達と遅くまで遊んでいたらしく、声も、いつもより張りがある。僕とは対象的に生気がみなぎっている。空を見上げる。僕の身体のようにどんよりとした曇り空から、五月雨が、静かに。
 

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