2003年06月30日(月)  やさしさ。
【設題】
『若者間の「やさしさ」の流行現象についてあなたの思うところを、700字以上800字以内で論じなさい』
 
「やさしさ」を流行という位置付けをしているところから人は「やさしさ」の意味を履き違えている。「やさしさ」を流行現象だと定義している設問にも疑問を感じるが、これは流行ではなくて伝統的な日本人の「気質」なのではないかと私は思う。
 
肌にやさしい、胃にやさしい、足にやさしい、そして、心にやさしい。この「やさしさ」に共通するものは何か。生徒を叱らない、子供を怒鳴らない、部下に小言を言わない理由は何か。その「やさしさ」の本質とは何なのか。現代の人が考える「やさしさ」とは、ベクトルが全て個人へと向けられているのだ。そこには情け、思いやり、恵み、哀れみなど「やさしさ」本来の意味が全く存在しない。全て個人に委ねられ個人で完結される。対象が人ではなく個に向けられ、外ではなく内に向けられている。自分を大切に扱いたい。多大なるストレス社会の中、自分へ降りかかる負担を軽減したい。そんな思いがこの設題が定義する「やさしさ」にこめられている。
 
これを流行と定義するならば、その同義語には「癒し」という言葉がある。音楽やタレント、キャラクターやペットにいたるまでたいした意味もなく「癒し」という流行に乗せて世間に流す。そして大衆はそれを漠然的に「癒し」だと思って受け止める。メディアに操作されていることも知らずに。「肌にやさしい」がどのように肌にやさしいのかそのメカニズムさえ知らないように。
 
私たちがこれから危惧しなければいけないことは、このように「やさしさ」の本質を見逃してしまうことではないだろうか。私が日頃から心掛けている「人に優しくする」という意味とは全く違う種類のものなのだ。個人が個人へ向けるやさしさとは本当のやさしさではない。それは「やさしさ」という衣を被った現代の精神病理なのだということを理解しなければいけない。
 
この設題が「やさしさ」を流行だと定義している信じられない事実が証明しているように。
2003年06月29日(日)  気持ちが屈託する。
午後10時50分に煙草の残り本数が2本だと気付いた場合、近所にコンビニがあるのならともかく、自販機しかない場合、どうする? 買いに行く? 自販機はねぇ、マンション降りてすぐ正面にあるの。でも午後10時50分。11時になっちゃうと煙草買えなくなっちゃう。寝るまでにあと3本は吸いたい。だけど忘れちゃいけないのは僕は今風呂上りでパンツ一枚だということ。今からズボンとTシャツ着る労力を考えると、うん、いいや。もう煙草いいや。面倒臭い。
 
「でた、面倒臭い」
 
彼女は嘲笑を交えて僕に言う。僕という人物を表現する的確なキーワード、面倒臭い。お風呂、面倒臭い。ご飯、面倒臭い。洗顔、面倒臭い。歯磨き、したよ。ホントだって。ホント磨いたって。あーもうわかったよ。磨くよ。もう1回磨いてあげる。さっき磨いたんだけどね。ホントだよ。
 
しっかりとした文章を書きたいのであれば毎日何かしらの文章を書きなさいと言われたことがあってこうやって別に書くこともないけど毎日文章を書いていてホント面倒臭いけどしっかりした文章を書きたいので書いているけど全然しっかりした文章じゃない特にこの段落は句読点さえ使っていないし。
 
まぁ面倒くさいのはいつものことだからどうでもいいんだけど、スーパーのレジ。あれは一体どうなってるんだ僕の前の人ばかり。僕の前の人ばかり何かしらのトラブルが発生する。なんかレシートがうまく排出されなかったり、今からキャンプに行くかの如くカゴの中に商品が山のように詰め込まれていたり、バーコードをなかなか読み取らなかったり、半額のシールが貼られた商品を定価で計算して「これ半額じゃないんですか」とか文句言われて「あぁ申し訳ありません」って計算やり直そうとするけど、レジの打ち直しのやり方を理解していなくて四苦八苦していたり、
 
「きゅうり3本じゃなくて4本で198円ですよ」
「あ、そうなんですか」
「もう1本取ってきましょうか」
「ありがとうございます。3本って見えたものだから」
 
というやり取りの末、レジのオバサン野菜売り場へ。もー! もー! つーかなんで3本と4本を見間違えるんダヨ! てめぇで取りに行けよ! もー! もー!
 
「お待ちの方、こちらへどうぞ」
 
と長蛇の列を見かねた店員が新たなレジを開設する。その新たな列に並ぶ人たち。その新たなレジに並んだ人たちは僕の後ろに並んでいた約4名の人たちで、僕の列は先頭からこのきゅうりの本数を間違えたオバサン。僕。主婦A。男。若い女。主婦Bと並んでいて、新たなレジが発生したことによって、主婦B、若い女、男、主婦Aという逆転した列ができてしまった。もー! きゅうり間違えるから! もー! いつになったら戻ってくるんだよあのレジのオバサン!
 
と不機嫌な顔をして新たな列の最後尾に並ぶ。なんで僕が最後尾なんだよ! 気持ちが屈託する。歯磨きしたあとのビールって不味いよね。
2003年06月28日(土)  26の初夏。
どうしようもない用事というものは大抵池袋であって、今日もどうしようもない用事で池袋へ。13時の待ち合わせを13時30分と僕が一方的に勘違いしてて、まぁいいじゃないか。30分くらいいいじゃないか。ここは寛大に対処してくれないかと願ったが駄目らしいので何もせずに駅へ戻る。つーか30分遅れただけだろうがよ! 人間がチッこいよ! チッこいチッこいチッコリッサ。ゴメンね。
 
と、電車の中。日曜の池袋駅構内という激戦区の中、運良く今日は座れました。お年寄りとか来ても譲らないよ。今日は疲れてるんだから。30分遅れて、その虚無感みたいなものに支配されてるんだから。僕の前に立っているのは5歳くらいの外人の子供。勿論お母さんも外人。超綺麗。超グラマラス。白いタンクトップにテニスシューズ。セントラルパークかっつの。
 
さて子供。外人の子供って子供のクセに英語喋んのな! と阿呆のような劣等感に苛まれつつ文庫本を開く。車内は満員。僕は座っている。子供は立っている。吊り革に届かないので電車と一緒に右へ左へ揺れている。吊り革つかめないくせに英語喋っている。喋り続けている。一言も翻訳できない。
 
電車は揺れるよいつまでも。ここは席を譲るべきなんだろうか。なんか子供がすごい憐れだ。ママを見上げてずっと喋り続けている。
 
「ママ、吊り革届かないっす」
「もうちょっと我慢しなさい」
「ママ、チョー揺れて辛いっす」
「だから我慢しなさい。家に帰ったらテンプラ作ってあげるから」
「スシ食いたいっす」
「昨日のおやつで食べたでしょ」
「じゃあテンプラでいいっす」
「だからもうちょっと我慢しなさい」
「わかったよママ。しかし日本の侍は冷たいっす」
「そうよねー。子供を前にしてのうのうと座っているこのヒゲ侍。座席譲ってくれたらいいのにね。とても気分がファッキンだわ」
「ファッキンっす」
「サノバ」
「ヴィッチっす」
「わぁ。もう少しで到着するわよ。ほら、フジヤマが見えてきた」
「違うっす。あれ普通のサイタマの山っす」
 
などと会話してるかもしれない。しかし僕は英語の授業を抜け出して「とにかくもう学校や家には、帰りたくないー」と叫んでいた15の昼を過ごしていたし、看護学校の頃も、看護英語なんていう無茶苦茶な授業があったけれど、やはり抜け出して、自分で買ったバイクで走り出す。行く先もわかりつつ自分のアパートへ戻り、彼女とセックスばかりしていたのでほんと英語わかんない。だから僕の前に座っている外人のガキが言っていることも全然理解できない26の初夏。
2003年06月27日(金)  不幸髭。
そろそろご飯炊けたかしらと思って炊飯器を見たら電源が入ってなかった午後8時。途方に暮れてコンビニに行くと自転車がパンクする。傘を忘れる。袋の中に弁当の汁が洩れるなど、一日の規定された量の不幸が一気に押し寄せてきた。
 
さて、隣の部屋の女性。というのも僕は毎日コンビニに行くときしか部屋から出ない生活をしているので隣の部屋の女性と話をしたことくらいしか書くことがない。といっても毎日他愛のない会話しかしないから特に書くこともないのだが今日もバナナ貰ったよ。お返しにカロリーメイトをあげました。物々交換。だけどバナナの方が美味しい。
 
僕は顎髭を生やしています。不精髭じゃない。出不精だけど髭不精ではない。ちゃんと整っている。整っているのに評判は頗る悪い。しかし人の評価ばかり気にして生きるのも世知辛いので、髭くらい自由に生えさせてくれよ無職なんだから。と居直り今夜も「日本人の髭について」という討論会。
 
じゃあ竹之内豊はどうなんだと。彼女置いて沖縄に旅行に行って友達になった小学生をムービーメールで彼女に紹介する竹之内豊はどうなんだと。あの髭はオッケーなのかと問いたい。タモリはどうなんだと。タモリの口髭。あ、生やしてない? 最近夕方に目覚めるので笑っていいともも見れない。
 
まだ飯が炊けぬ午後10時。夜は彼女の電話を待つことくらいしかすることがない。
2003年06月26日(木)  我儘。
炊飯器の中に水とトウモロコシとジャガイモと生卵を入れて塩を振って寝る。目が覚めるとホクホクの朝食ができているという寸法。湯気が立つジャガイモを頬張りながら今日の予定を考える。ゆで玉子にマヨネーズをかけるか塩を振るかということも同時に考える。トウモロコシがすごく美味しいということも考える。仕事に行っている彼女のことを考える。これからの生活について考える。
 
数日前まで毎日のように喧嘩をしていたけど、ここ数日は至って平穏。愛想を尽かされたのかしら。戦々恐々とした日々。
 
我儘(わがまま)の種類には、相手を自分の中に取り込ませようとする我儘と、自分のペースを貫く我儘の2種類が存在する。前者は対象者を振り回し、後者は対象者を必要としない。全てが自己で完結される。しかし利己的という言葉を使えば、どちらとも我儘である。
 
僕の我儘はどちらに位置するのだろうか。一目瞭然。改善しなければいけない。もっといろんなことに興味を持たなければいけない。
 
ここ数週間、何もやっていないように思われてるけれど、そんなことはなく、通信大学の課目終了試験にも行っているし、こんな夜遅くまで起きているのも理由がある。
 
ここ数日天気が悪いので洗濯物を干せない。
2003年06月25日(水)  午前4時。
隣の部屋の女性は午前4時頃バイトから帰ってくる。僕は最近完全に昼夜逆転して朝8時に寝て夕方4時くらいに起きるという生活をしていて、朝の4時といったらまだパソコンの前に座っていて日記以外のいろんなことを書いている時間で、彼女もそれを知っていて午前4時。やはりベランダから話し掛けてくる。ただいま。おかえり。疲れた。お疲れ様。はいこれあげる。わぁビール。今の時間からビール飲めないよ。あ、そうだこれあげる。またカロリーメイトですか? まだ私の部屋にいっぱいあるよ。今からそっち行ってもいいですか? いいよ相変わらず散らかってるけどね。
 
そして彼女は早朝4時にシャワーを浴びて部屋にやって来る。僕は早朝4時にビールを飲んでのらりくらりとパソコンに向かって文章を書いている。「今日は3時間眠れます」彼女は9時から大学なのだ。3時間とは。僕は毎日その4倍眠っている。そのことは言わない。
 
「これ今日中に提出しなくちゃいけないんです」彼女は早朝4時に午前9時までに提出しなければならないレポートを僕に渡す。僕はビールを飲みながらのらりくらりとレポートを仕上げる。『日本人の優しさについて』このテーマは多分、僕の為に与えられているんだと思う。僕の優しさ。彼女のレポートを書くことは、多分優しさではない。それは憐れみでもなく、僕自身に対しての戒めだと思っている。毎日毎日部屋の窓から景色を眺めながらただひたすら時間が過ぎるのを待っている僕の戒め。
 
800字のレポートは10分あれば仕上がる。たった10分で『日本人の優しさ』の全てをわかったような文章を書くことができる。本音と建前に基づいた疑心暗鬼の裏に潜む優しさ。このことを噛み砕いてだらだら書くとあっという間に800字埋まる。
 
「よし、終わった」
 
バドワイザーを飲み干して煙草に火をつける。「終わったよ」ソファーへ振り向くと彼女は寝息を立てている。窓の外はうっすらと明るくなっている。彼女を起こし、ベッドに眠らせて午前8時に目覚ましを合わせ、僕は一人掛けソファーに腰掛け、しばしの仮眠。
2003年06月24日(火)  僕の筒型吸収体。
セックスについて考える。
僕は男で、君は女。僕は凸で、君は凹。合わせてみれば、あらピッタリ。もしかして運命なのかしら?もしかして前世からの巡りあわせ?などと思わせてしまう効力がある。運命だの前世だのそんなもの都合のいい空想にしか過ぎないのに。僕らは人間。人間の三大欲求は、“食欲”“睡眠欲“そして我らが“性欲”なのだ。そんな自然の摂理に従って僕らはセックスをし続ける。

そしてセックスは誘うときのタイミングが一番難しい。「エッチしよう。」これはなかなか率直で素直な言い方だとは思うが、余りにもストレート過ぎる。「なんで?」と言われるのがオチだ。「何がなんで?」「だから、なんで?」「なんでってなんで?」「何がなんでってなんで?」まるで、輪唱のようにその会話は延々と続く。だから、この誘い方ではダメなのだ。失敗失敗大失敗。

「ねぇ、僕エッチな気分だよ。」「私はそんな気分じゃないんだけど。」肩透かし。肩を透かされてしまった。不意打ち。ね。僕はエッチな気分で欲求がムンムンしているのに、君はそうでないと。君は私エッチな気分ではないと。ね。これは気持ちが緩んでいたときに膝カックンを受けたような気分と同じだ。だから、この誘い方ではダメなのだ。ダメなのだダメダメ。失敗失敗。しっぱいおっぱい。

「ねぇねぇ。ねぇぇ〜。」「なに?」「ねぇぇぇ〜〜〜。」「な?」「ねぇぇってばぁ〜。」「なあに?」「ねぇって!!ねぇ!」「なによぉー。うるさいわね!」 ハイ、怒られた。しつけぇよって顔して怒られた。あ、今うぜぇよって顔したでしょ。鼻にかかった甘ったるい声を出してみてもダメなのね。ダメなのね、これでもダメなのね。失敗失敗。僕が好きなのはおっぱい。


嗚呼!君の甘いその声が聞きたいのに!
嗚呼!君の切ない溜息が聞きたいのに!
嗚呼!君のその濡れた体を眺めたいのに!

嗚呼! やっとやっと! 焦らす君をベッドに誘い、焦らす君を裸に出来たと思ったのに、僕の三大欲求である性欲は音を立てて萎んでいく。陰茎も萎んでいくよ。あれよあれよという間に小指サイズ。なんだってこんな事態に!っていうか、何で腋毛がボーボーなの?もう君をセックスに誘うのはよそうとその脇から突如現れた茂みを見ながら、我思う。
2003年06月23日(月)  血のり。
何が怖いって血のり。血のり。今日窓開けたら窓の端の方に血のりがね。鮮血がほとばしったような跡が。いやホントだよ。ホントに血のり。わかるもん元看護師だから血なのか血じゃないかってくらい。これはホントに血です。じゃあ何の血か? これは元看護師でもわからない。だって僕の部屋は3階だもの。3階のベランダで何がどうやって血を流したのか。しかも真夜中に。怖いぜ。いやあんまり怖くないぜ。こういうのはオバケとか幽霊とかの問題なのであって僕はオバケとか幽霊とかの問題はあまり興味がないので、たとえオバケとか幽霊の存在がこの血のりによって明らかにされても別にどうだっていい。
 
というわけで血のり。今も付いてます。誰か見に来てくれたらいいのに。そしてビックリしてくれたらいいのに。生憎、僕は驚かなかった。あぁ、血が付いてるね。と朝にカーテンを開けて一言呟いて、しばらく忘れてややあって窓を見て、あぁそうだった。血が付いてるのだったと思い出す。
 
思い出した午前1時。夜の闇に浮かぶ赤い形跡。おそらく僕に何かを伝えようとしているんだろうけれど、往々にして幽霊とかオバケは迂遠な手段でもってメッセージを伝えようとする。僕は今現在無職だけれどもオバケのメッセージを解読するほど暇ではないので誰か解読してほしい。
 
ここの家賃が安いのはそういう理由があったのね! と彼女が言って、僕が納得して。時々真夜中に泣き声が聞こえるのも、この血のりと関係があるのかしらと一瞬戦慄が走ったが、向かいの建物に住んでいる赤ちゃんの夜泣きでした。この血のりも赤ちゃんの血のりなのかもしれないね。

2003年06月22日(日)  値 生成 努力。
僕の彼女には彼氏がいて、度々それが二人の間で問題になるけれど、僕はもう気にしないことにしました。気になさらないようにしました。障らないようにしました。言及するとどこかで躓く。無知の知。知らん振り知らん振り。二人とか三人とかの問題ではなく、倫理の問題。
 
彼女がシチューを作ってくれました。タッパーに入ったシチューを抱えて電車に揺られ我が家に戻るが鍋がない。鍋がない。その前に駅前の自転車置き場に僕の自転車がない。シチューはあるが自転車がない。彼女はいるが彼氏がいる。むむ。自転車。及び鍋。マンションまで徒歩12分。タッパー抱えてとぼとぼ歩く。僕の自転車を盗んだ奴を見つけたら、なんかすごい言葉で精神的に駄目にしてやる。
 
マンションへ戻りタッパーを冷蔵庫に入れ、同じ袋に入っていたリンゴならびにトウモロコシをキッチンに置き、眺める。トウモロコシ食いたい。茹でてみたい。鍋がない。手紙が入っていたので手紙を読んで、デヘヘと鼻を伸ばしてみたが自転車がない。僕の自転車を盗んだ奴を見つけたら、ほんとひどい言葉で精神的に駄目にしてやる。
 
駅前のスーパーに鍋を買いに行こう! 歩いて! 雨が降ってきた。歩いてると雨が降ってきた。自転車ならば直ちにマンションへ戻り傘を取りに行くのだが、ご覧の通り徒歩なので、マンションへ戻ることは億劫。濡れながら歩く。一人で歩く。鍋さえ手に入ったら、自転車を盗難された煩わしさも温かいシチューとトウモロコシでもって改善されるだろう。
 
鍋を買った。内面フッ素樹脂加工の赤い鍋を買った。お手入れ簡単! という売り文句に負けた。お手入れ簡単ということはお手入れが難しくないということだ。赤いし。青いのもあったけど、赤いほうが鍋っぽいし。
 
あ、今日池袋で指輪を買ったんだった。銅の指輪で「VALUE CREATION EFFORT」と記してある。マンションへ戻り、辞書にて翻訳「値 生成 努力」……。……。よくわからない。すごい格好悪いことが書いてあるような気がする。値を生成する努力! あった! あったよ自転車! なんか移動させられてたみたい。誰も盗んでなかったみたい。値 生成 努力。歩く人みんな盗人に見えてしまっててごめんなさい。
 
フッ素樹脂加工の鍋でシチューを温めた。彼女に電話して美味しかったと告げた。彼女はとても喜んで、僕もとても喜んだ。外は雨が降っていた。部屋の中は愛の情で充満していた。
2003年06月21日(土)  精神的ネットアイドル。
>容姿ではなく精神的ネットアイドルを目指してます
 
というメールが届いた。毎日様々な人からメールが届く。住所教えて下さいとか遊びに来て下さいとか、電話番号教えて下さいとか掛けて下さいとか。貴女達は実物の歪さんを知らぬから、住所を教えたり電話番号を記したり。普通の男です。スポーツクラブを1週間さぼれば腹が出てきます。普遍的男性です。本当に腹が出てきます。危機感を感じる度にプールで泳いでます。で、危機感が払拭されたらまたスポーツクラブ行かない。ややあって腹が出る。危機を感じる。学習能力が欠如した馬鹿なんです。
 
>精神的ネットアイドルを目指してます
 
ぬぬぬ。なんだこりゃ。精神的ネットアイドルとは何ぞや。僕はネットアイドルのことをあまり知らない。どういう世界なのかよくわからない。もしかして精神的ネットアイドルという列記としたカテゴリーが存在するのかもしれないね。現代のニーズが細分化されるようにネットアイドルも細分化されてるのかもしれないね。精神的ネットアイドル。ぬぬぬ。身体的ネットアイドルとか、いるのかもしれない。
 
>ネットアイドルのエミでーすw もっぱら身体的でーすww
 
と、意味がわからない。もっぱら身体的という意味がわからない。
 
>ネットアイドルの美佐です。さしずめ献身的です。
 
ぬぬ。いいかも。献身的ネットアイドル。自分を犠牲にしてまで閲覧者に尽くしてくれるのかもしれないね。馬鹿な。世の中には様々な献身的と形容される物事が存在するが、純粋な献身なんてものは皆無だろう。そうだろう。そう思わないか。僕は思わないけどね。キミの為なら何でもできる。たとえ火の中水の中。両親を紹介するって。それはちょっと待ってくれ。それ以外なら何でもできるから。
 
さて、精神的ネットアイドル。メールに記されてあったURLをクリックする。
 
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となる意味深なメッセージ。おそらく管理人に精神的な問題が発生しているか、ブラウザの設定を調整するかの二者択一。がっかり。容姿ではなく精神的ネットアイドルを目指してます。まぁ容姿なんてものは付随的な要素だからね。気にすることはない。容姿端麗な精神的ネットアイドルなんて、何がどうなっているのかよくわからない。精神的ネットアイドルはあっという間に電脳の波に飲み込まれてしまいました。
2003年06月20日(金)  個について。
電車の座席に座りながら小説を読む。小説を読むときはどうしても体が前のめりになってしまう。膝の当たりに両肘を乗せて前のめりで本を読む。僕の両脇に座っている人は後ろにもたれている。しばらく小説を読んでいると目がショボショボしてきて本を閉じる。で、座席に背もたれようとする。が。が。僕の肩が入り込む隙間がそこにはない。両際の人に僕の肩が入る領域を占領されているのだ。まぁ図々しい。肩を縮めたらいいのにね。縮めないのね。つーかお前今まで前のめりで本読んでたじゃねぇか。という考えが筒抜けなのね。助け合いの精神とかが欠如してんのね都会の人間は。
 
まぁ世の中の人々は見ず知らずの人間に対して同情はするが手を差し伸べようとはなかなかしない。往々にして、あぁ可哀想だね。と思うだけで終わってしまう。ホームレスを見て、あぁ可哀想だね。車椅子を見て、あぁ可哀想だね。戦争を見て、あぁ可哀想だね。と、それ以上言及しない。それ以上内省しない。それで終わり。早く風呂入ろ。あぁボディシャンプーが切れていたよ。いけねぇ。
 
最近、個人についてよく考える。今年の夏、東京の電力が足りなくなるらしい。だからエアコンの温度を1℃でも2℃でも下げてください。と言ったところで所詮は個人。私だけがエアコン20℃で涼んでいても電力は不足しないわ。とそう思う人間が数十万人。
 
誰が為に生きているのか。鐘はなるのか。誰の為に。キミの為に? アナタの為に? いや、僕の為に。皆、地球の中心に自分を置き、自らを軸にして周っている。周囲を取り巻くもの全てが自らに還元される。自分自分。何の為に生まれて、誰の為に生きればいいのか。
 
電車は池袋へ向けて今日も揺れる。前のめりの体勢のまま、今日もどこかでエアコンの温度を下げる音が聞こえる。
2003年06月19日(木)  四面楚歌。
東京にはいろんな人がいる。僕は友人と池袋駅のエクシオールカフェで談話をしていた。内容は他愛のない話で結婚だの離婚だの合コンだのどうでもいいことばかりで、このエクシオールカフェにはどうでもいいことを話たい人たちがいっぱいいて、どうでもいい話で溢れていて、友人は次のどうでもいい用事があるらしく席を立ち「アナタはどうする?」と問い掛けて「僕は家に帰ってもたいしてすることがないからしばらくここで本でも読んでる」と言って別れた次の瞬間、隣のテーブルに座っていた糊が利いた白いシャツの襟を立てている女性が話し掛けてきて「映画見に行きませんか?」と。
 
「いや、行かない」と即座に答える。タイプとかタイプではないとかそういう問題ではなくて、映画はそもそも1人で見るもので、恋人同士でラブストーリーでも見にいくのであれば暗闇で手を繋いだり指を弄んだり、そりゃあいろいろ楽しみがあるかもしれないが、アナタは一体誰ですか。1人で見にいけばよい。世の中そう簡単に男がついてくるものではないのです。
 
懇切丁寧にお断りして、その場は事なきを得たが「だって家に帰ってもすることがないって言ってたじゃないですか」とどうやら盗み聞きをしていたようで。まぁ。ビックリ。お姉さんに僕のプライベートが筒抜けだったのね。多分新手のキャッチの類だと思うけど、うん、気持ちが良いものではないです。いくらアナタが綺麗でも、僕は今から東上線に乗ってマンションに帰ります。電話くるかもしれないからね。電話がね。またちょっとお互い怒っちゃって電話断絶状態になりそうな状況だけど、一縷の望みを抱えて家に戻るの。電話くるかもしれないからね。いや、僕からはかけないけどね。その、つまらない自尊心とかの問題で。
 
マンションへ戻ってシャワーを浴びてる間に着信があって、電話を掛け直して、嬉しいけれども、そんな様子は微塵も見せず、むしろやや不機嫌に、冷酷に対応するのです僕の場合。その、つまらない自尊心とかの問題で。
 
たいていプライドが邪魔をして、自ら招くように四面楚歌の状況に陥ってしまうのです。
2003年06月18日(水)  得しました。
今いちばん持て余しているのは時間であります。時の飽和状態。なかなか朝陽が昇らず、夕陽が落ちない。ベランダに座り足を投げ出しブラブラブララ唄うよ今日も。イオンと若さを僕に下さい。なんだか心がマンギョンボン。屈託している。何か得をしたい。だって得をすると心が晴れるから。
 
安易に得をしたければ賭博をすればよい。というわけでパチンコへ行った。店内には得をしようと思って来店した老若男女で溢れていて、みな得をしたいはずなのにそんな表情は微塵も見せず、あぁ私はパチンコなんてやってられないのよ。なんか外は雨だし仕事はクビだしでしょうがないからパチンコやってんのよという顔をしている。得をしたければもっと明るい顔をすればいいのに。
 
燦然と笑顔を振りまき、唯一空いている台に座る。台の上に表示してあるデータを見ると、この台は本日1回も大当たりがきていない。ということはこの台に座った時点で既に大外れを意味しており、俄然やる気をなくす。しかし他の台は百歩譲って袖触れ合うは多少の縁と表現したとしても見たことない人たちばかりで外は雨。なんだか心がマンギョンボン。得をしたい。イオンと若さを僕に下さい。鬱々とした気分で2千円入れたところ大当たり。確立変動6連チャン。
 
ビギナーズラックというのは1年ごとに更新があるらしく、僕が前パチンコに来たのはちょうど1年前の6月で、1年に1回しかパチンコをしないというのは初心者ということになり、初心者にはビギナーズラックという初心者が限定して得をするという制度がこの国にはあるらしく、得をした。4万円くらい得をした。気分が晴れた。また来年パチンコに行ってビギナーズラックの恩恵にあやかりたい。
 
しかしパチンコというのは、なんとも相互の助け合い精神によって成り立っているのだなと思った。というのも僕と良雄と啓介。お互い100円ずつパ☆チンコさんって人にお金を預けました。ややあって、僕には150円、良雄には40円。啓介には20円返ってきました。3人合わせて210円。それでは残りの90円は? チンコさんの懐の中に入るのです。でも僕は50円得をしているので不満には思わない。良雄は60円。啓介は80円も損をしたので納得がいかない。もっかい100円ずつチンコさんに預ける。30円になって返ってくる。納得がいかない。でも僕は最初に50円得してるから納得してるし得してる。キミたち気分がマンギョンボン。外は雨。イオンと若さをあげます。
2003年06月17日(火)  ベロベロバー。
今日は失業認定日。月に1度ハローワークへ行き、僕まだ無職ですってことを証明しなければならない日。職員室に行って僕バカなんですって言いに行くようなもので誠に情けない。非常に嘆かわしい。頗る惨め。甚だ遺憾。至って残念。極めて無念。しかし証明しなければ失業保険を貰うことができない。梅雨時という時節柄、どうも勤労への意欲が湧かず、いつまでも無職という社会的地位に甘んじており、もっと過ごしやすくなったら働きますのでどうか数ヶ月国の税で賄って下さいませ。と平身低頭。そういう我々失業者の身分を知ってか知らぬかハローワークの職員、頗る横暴な態度。
 
「あぁー。その書類そこに出しといて下さい」
「ちゃんと順番がきたら呼びますので」
「ハンコ忘れたの? いやぁ、確かにこの書類には書いてないけど、持ってこないと駄目だよ」
 
下手に逆らうと失業という身分さえも剥奪されかねないので陳謝陳謝。前の職場じゃお前らより給料いっぱい貰ってたんだよ! とどうにもならないプライドだけを頼りに役所の粗暴な態度を耐え凌ぐ。

本当に近年の雇用状況は切実で、僕などはもう少し勉学に励みたいとか福祉を専門的に追及したいとか、分かり易く説明すると自分のエゴで仕事を辞めたので苦労して当然だけど、左隣に座っている方など悠に齢六十は越えているのではないかと。右隣に座っている方は齢2ヶ月程の赤ん坊を抱えている。泣き叫ぶ。奇声を挙げる。左隣の齢六十のおじさんが赤ん坊をあやす。ベロベロバー。役人は相変わらず横暴な態度でデスクにふんぞり返っている。僕が泣きたくなってきた。デスクの反対側では優しさが滲み出ている年寄りが見ず知らずの赤ん坊をあやしているというのに貴様等の態度はなんなんだと。
 
そりゃ今は失業している身だが、ここにいる人は皆然るべき職を持っていて然るべき責任を真っ当し、現在に至っているのだ。少しでも優しさを、失業者を労わる言葉の一つでも投げ掛けてくれたらどうだい。はい次はい次とベルトコンベアにでも乗っているようにたらい回しにされて、帰る間際に「尚早に御国の為に奔命せしめるように非国人よ」というような嫌味を言われて雨舞い落ちるコンクリートジャングルを肩を降ろしてトボトボ歩き、電車賃140円を惜しみ、コンビニの店頭で無料のアルバイト雑誌をバッグに入れ、アパートに帰りウンコしながらバイトを探す。まともな飯にもありつけぬのでまともな糞さえ出ない。ユニットバスの天井を見上げベロベロバーと呟いてみた。
2003年06月16日(月)  筆に窮す。
メールの返信が滞っている。すいません。耳の穴がすごく痒い。いつも痒い。世の中に綿棒がなかったら今頃狂い死んでいる。痒い。耳掻きが好きな人は欲求不満だという。耳の穴がアレで綿棒がアレなんだって。ふぅん。欲求不満な学者がそんなこと考えるんだよ。僕は心理学者なんて信じない。心理学で解明される人生など送るならば、僕は白装束をまとい電波を避けてキャラバンする人生を選ぶねきっと。嘘!
 
毎日歌を唄ってます。メールの返信が遅れているので歌ってる場合じゃないことは重々承知の上ですが、まずはCDを買って昼間から譜面見て、歌を唄ってます。来月、鹿児島へ戻ろうと思います。2週間程。今ここにいても、特にやることがない。失業手当て貰う前に勤労意欲がふつふつと湧いてきているので、実家に逃亡。山と海に囲まれ貝のように過ごすのです。
 
彼女を今日も怒らせてしまったみたいで、受話器を降ろしたあと大きな溜息をついて、それから歌を唄った。怒られないように、いつも微笑みが絶えないように、楽しい話とか下らない話をいっぱいしたいのに、下らないことを言うと、怒られる。
 
今夜は1時には寝ようと思う。昨夜の夢は散々なものだった。アメリカと戦争をした。3人で。僕と竹下と田中。竹下と田中が何の警戒もなく山道を歩いていたのであっという間にアメリカ人に囲まれてしまった。僕は竹やぶからその光景を覗いていたけど、竹下があの竹やぶに僕がいるということをアメリカ人にチクって、僕は慌てて崖から飛び降りてトウモロコシ畑みたいな所に着地して、再び隠れていたら金正日に捕まった。マ、マンギョンボン!
2003年06月15日(日)  告白。
僕には恋人がいる。どちらが年上でどちらが子供なのか。どっちが怒ってどっちが泣いているのか。毎日喧嘩をする。何時の間にか喧嘩は始まっている。彼女の口調が少し変わってきて「もしかして怒ってるの?」と問うと「気付くの遅いわよ」と言われる。「アナタが怒らないのは私に無関心だからよ」とか「私はアナタの全てに怒っているの」とか散々なことを言われる。そして僕は「はぁ、そうですか」と聞いているのか聞いていないのか。僕の曖昧な返答により彼女の怒りは増し、増殖した怒りによって彼女の真実を見出せる。怒りという感情は常に真実に基づいている。怒りの糸を手繰れば本当のキミに会える。僕たちの愛は怒りによって保たれる。涙によって洗練される。
 
僕には恋人がいる。どちらが年上でとちらが子供なのか。どっちが主導権を握っていてどっちが振り回されるのか。恋愛はお互いの信頼と契約によって保たれる。恋愛中の契約など、判を押すわけでもないのでその内容は状況によって意味を変え形を僕たちを惑わせる。昨日交わした約束が今日は無意味になり、今日の価値が明日の課題を生む。毎日彼女と話をして、時に揚げ足を取り合い、泥沼にはまりながら延々と、延々と、傷を舐め合う。
 
僕には恋人がいる。どちらが年上でどちらが子供なのか。どっちが短気のどっちが呑気なのか。彼女はいつも泣いていて常に困惑している。僕はいつも狼狽していて常に彼女の瞳を見ない。お互い共通していることは時々過度に甘えようとしたり突き放そうとする。アンビバレンツな感情が常に渦巻いている。その相反する行動の中で、ゆっくりと2人は距離を縮める。3歩進んで4歩下がり、2歩進んで5歩下がるけど、時々8歩進んで5歩進む。愛の言葉と形。体と心。結合と離散。頭の中で考えていることは今夜の夕食とシングルCDトップチャートとキミのこと。
 
僕には恋人がいる。どちらが年上でどちらが子供なのか。どっちが好きでどっちがもっと好きなのか。僕たちにはタブーが存在する。彼女は安易にその禁句を使う。僕は口を酸っぱくしてそれを抑制しようとするのに、彼女はそれを口に出したがる。僕は然るべき来るべき日までその言葉は使わない。自分の中に仕舞いこんで、ワインの如く熟成させて、その言葉が芳醇な香りを発するその時は、きっと新しい何かが僕たちの中で始まるような気がするから。
2003年06月14日(土)  ハチ公。
渋谷。土曜日だから人が多いのか渋谷だから人が多いのか。言うまでもなく後者。意味もなく人が多い。「あのーすいません。ちょっとアンケートに答えてほしいんですけど、アナタは意味がありますか?」と問いたい。「えー。自分に意味持つなんて無理。ありえない」と言わんばかりのだらけた服装。いくら暑いとはいえ、ここは湘南海岸ではないのだよ。と忠告したい女子多数。午後7時。ハチ公前で待ち合わせ。人波で何処に忠犬が鎮座しているのかわからないありえない。雨が降るが傘を持たぬ。忠犬と一緒に濡れる。109のビルが無意味な映像を垂れ流している。
 
「今年の水着のコツは、水着は"こうあるべき"って固定観念を取っ払っちゃって、水着らしさを失うことなく、今までになかった特徴や機能を持った水着がトレンドだよ!」
 
と、ビルの巨大ディスプレイに移る日本人顔の黒い肌の女性がしつこいくらいのカメラ目線で訴えている。言っていることの意味がわからない。固定概念とか、今までになかった水着とか漠然的過ぎる。おい、ちょっと僕の前を通ったお姉さん。見て見て。109のディスプレイ。今年の水着のこと言ってるよ。ちょっと聞いてみて意味わかんないから。ねぇ。ねぇってば。
 
と、いつまでも時間を潰しているわけではなく、今日は目的があって渋谷まで来たのです。友人が所属するアカペラグループのライブがあるということでハチ公前で他の友人と待ち合わせをしていたのです。
 
ライブはいたく感動しました。この友人は何がすごいって同じ音楽を聴いていても、絶対音感とか「ここはソミファですよ」とか「いやー。音が割れちゃいますよね。ガガガーッって」とか僕の持っていない感性を持っていてほんと素晴らしい。
 
明日は新宿。毎日遊び呆けています。
2003年06月13日(金)  花唄。
現在午後11時20分。受話器を肩と左耳に挟んで顔を左45度に傾けてこの日記を書いてます。受話器の相手はコンポから流れる曲に合わせてずっと歌を唄ってます。なかなか上手。歌詞がわからないところはフフンフフフーンとか言って誤魔化しているけど、上手。彼女はとても優しい歌声をしていて、唄ってるときは話し掛けても返事さえしてくれない。間奏の間に「この曲は私が22歳の時に流行った曲なの」など言ってすぐ歌い出だす。1曲終わった度に「ねぇ、何やってるの?」と話し掛けてくる。何をやってるも何もキミの歌を聴いているわけで、それ以外に特にすることがないから、そうだ、日記書いてないよ。日記書いてないよ。何か書くことない? 「エッチのこと書いて」と言われたけど、さすがにエッチなことは書けないので仕方なく顔を傾けたまま時々受話器を外して首をぐるりと回して、今この状況を日記に綴っているのです。
 
「あ、そういえばこの前テレビにオレンジペコー出てたよ。初めて見たよ。ねぇ見たことある?」
「ないよ」
 
と一言。一言返答しただけで歌の続きを歌い始める。会話にならない。時々英語の歌詞の意味を訊ねてくるが僕は英語はまったくわからないので説明できない。午後11時30分。今日も彼女の声を聞いて、明日も彼女の声を聞く。彼女は今日も明日も受話器の向こうで歌い続ける。
 
「シェリルクロウ知ってる?」
「いや知らない」
「知ってるわよきっと」
 
と一言。一言知ってるわよと。知らないと申しているのに知ってるわよと。今夜はすごく蒸し暑い。紫陽花の花、あれは花じゃなくて額の部分です。皆さんが花だと思ってる部分はあれは額の部分なんです。紫陽花の花というのは額の中心にある直径7ミリ程度の部分なんです。と今日の夕方のニュースで気象予報士が実に堂々とした口調で言っていたがだからどうしたんだと。いいじゃないかあの部分が花で。額とかそんなこと聞いてないよ。いいじゃん花で。充分綺麗じゃん。ね、そうだと思うでしょ?
 
「そうね」一言! 僕も夕方の気象予報士のように実に堂々とした口調で教えてやったというのに「ていうか知ってるよ」と。挙句の果てには、
 
「アナタ私に全然興味ないでしょ」と言われる始末。午後11時40分。顔を左45度に傾けて20分で書き上げた今日の日記。彼女はこの後もずっと歌い続ける。
2003年06月12日(木)  人間的な文章とは。
ついさっきベランダから僕を呼ぶ声がして隣人からバナナを2本貰いました。朝から何も食べていなかったのでそろそろカロリーメイトでも食べようかしらと考えていたところ、ベランダからバナナ2本。人間はあらゆる場所から幸福が舞い降りてくるのです。風呂上り、部屋のチャイムが鳴る。ピンポンピンポンピンピンポンと、1回1回2回連続という順序でチャイムを押すと、それは隣の女性。しかし偶然とは怖いもので昨日ピンポンピンポンピンピンポンと鳴ってドアを開けるとNHK。
 
「受信料の請求に参りました」
「この前振込み用のハガキ貰ったんでそれ書いて出します」
「それでは私が出します」
「えー。まだ書いてないんですけど」
「じゃあ今書いて下さい。待ってますので」
「えー。わかりました」
 
と言ってドアの鍵を閉める。ピンポンピンポンピンピンポンとチャイムが鳴り響く。お笑いオンエアバトルしか見てないので僕は受信料を払う資格がないと思う。お笑いオンエアバトルだって見たいから見てるんじゃなくて、深夜にすることがなくてチャンネルをカチャカチャ変えているとたまたまお笑いオンエアバトルをやっていて、しょうがないから見てみまひょ。と軽い気持ちで、放映時間を待ちわびていたのではなく軽い気持ちで。時に鼻をほじりながら尻を掻きながらつまんねーなーと軽い気持ちで。よって受信料を払う資格はゲッツ。
 
今日のチャイムは隣人で、お互い風呂上り。ほんと僕は欲求不満なのかしらっていうくらい、なんていうか体の芯が熱くなって、僕の部屋はワンルームだからベッドにも誘導しやすいし、いい感じに話も盛り上がってるし。と。と。その盛り上がってる話の内容は隣人が通ってる大学のレポートの話で、今日は風呂上りに2人で「人間的とはどういうことか」について話し合いました。「人間的とはどういうことか」などと漠然的なテーマで書けるわけがない。ないっす。へへ。嘘。書けるっす。10分で書けるっす。バナナのお礼っす。ドン。
 
人間的とは一言でいうと機械的ではないということであるが、対義語だけでは説明できないほと人間的という言葉の意味は広い。例えば小さな白い花を見て、それを小さいと捉えるか、白いと捉えるか、綺麗だと捉えるか個人によって感じ方に差ができてしまう。このように個人差があるということも人間的だということができる。
 
先日、妻の承諾を得て首を絞め殺害したとして承諾殺人罪の罪に問われた77歳の老人男性の判決公判が行われたが、充分な手だてを尽くさず、人の命を奪った責任は重いが、妻とともに自殺しようとした経緯には同情すべき点があるとして懲役2年が言い渡された。
 
私はこのニュースを見てとても人間的だと思った。もし裁判というものが機械的だったらどうなるのだろうか。おそらく殺害という犯罪は種類を問わず死刑となるだろう。しかしこの場合、裁判官は「同情すべき点がある」と人間の心に基づいた見解を述べている。裁判が機械的ではないところはこの情状酌量という言葉によって理解することができる。
 
通り魔などの衝動的な無差別殺人は人の命を軽率した機械的な犯行といえる。しかしこの承諾殺人の事件の場合、被告が知らないうちに妻が約600万円の借金をしており、妻本人「殺して」と求めるようになり、被告は妻を殺し自分も死のうと考えて犯行に及んだという経緯があり、葛藤、苦悩、悲哀など実に人間的な感情が渦巻く犯行で事件全体が人間的であったともいえる。
 
これら一連の経緯には決して機械では理解することのできない意味が込められていると思う。小さな白い花を見て小さいと捉えるか、白いと捉えるか、綺麗だと捉えるか、また冷酷だと捉えるか。個人によって感じ方に差があり、多種多様な意味を見出せることが人間的ということではないだろうか。
 
ね。荒唐無稽。が。体裁は、整っているような、気がする。そこがコツ。大学のレポートなんてものは全体を見て、なんとなくなんとなくなこと言ってるなぁと思わせることがミソであって、それさえ踏まえて書けば何を書いたっていいのです。質でも量でもなく、なんかレポートみたいな感じ? そんなレポート感が出ていればエニシングオッケー。さぁ始めよう!
2003年06月11日(水)  待てば海路に鴨がネギを背負ってやって来る。
恋は探すものではなく向こうからやってくるものなのだ。待てば海路に鴨がネギを背負ってやって来るものなのだ。しかし、決して舞い上がってはいけない。状況を冷静に見極めなければいけない。今回の件だって、もうほんとここで舞い上がらずに何処で舞い上がればいいんだと思うほど部屋の真ん中に佇む小さな赤いテーブルの上に立って舞い上がり舞い踊りたいのだけど、多大なる素直な気持ちと微少なる猜疑の心。何か裏はあるまいか。裏の裏は表であってそのまた裏は裏である。猜疑の心。忘れちゃいけない。これまでの人生で如何に全面的に相手を信じ、谷底に突き落とされてきたか。また突き落としてきたか。
 
大切なのは結果じゃなくて過程なのよ。と僕はある女性によく忠告される。しかしこと恋愛に関しては過程こそ重要視しており、結果はね、結果というのは人それぞれだろうけど、結果に関してはね、あんまり気にしない。ぶっちゃけどっちでもいい。過程こそに恋愛の醍醐味は存在するのです。過程イコール恋愛といっても過言ではない。じゃあ結果は何なんだと言われるかもしれないが、結果イコール煩悶です。結果によって煩悶を生み、新たな憂悶を作り出すのだ。その分、過程というものは結果に比べて目的がはっきりしており健全である。ね。僕の言ってることわかるかしら。恋愛に関するプロセスってのは結構シンプルってことなのです。
 
というわけで今回の件。まずは熱くならないこと。一度燃え尽きんばかりに熱くなったことがあって大失敗をしでかして食事は喉を通らない。夜は眠れない。便が2週間出ないなど陰惨たる経験をしたことがあるので、まず自分の頭を冷やす。感極まるメールにも2・3日返信しない。相手に焦燥の念を抱かせることも大切なのです。その2・3日の間、食う寝る糞をするゲームするネットする寝る起きる本を読む目的もなく電車に乗るなどして、決して浮き足立たないよう心掛ける。ほんと熱くなったら碌なことがないので平常心を保ち続ける。
 
そして頃合を見計らってドーンッと。今度の休日ご飯でも食べに行こーっと。今年の夏祭りに花火見に行こーっと。その絶妙なるタイミングを逃してはいけない。あれ、家にいないのかしら。あと呼び出し音3回なったら電話切ろうっと。というその3回目に受話器をあげてモシモシアイタイと。モシモシアイタイと。ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうがモーマンタイ。インポータントなのはプロセスなのです。
2003年06月10日(火)  葛藤、煩悶。
電車の中は不本意に他人と他人が肩を寄せ合う窮屈な場所で、楽しそうに座っている人など1人もなく、しょうがないから乗ってるんだと投げ遣りな表情の人たちばかりでそういう人たちを見ると気が滅入ってきて、そんな僕の表情を見た他の人たちも気が滅入ってきて、まさに気が滅入る相互作用によってあんなどんよりとした空間ができあがるのです。
 
午後11時。電車の中で僕は4人掛けの椅子に座っていた。左からチンピラ風のパンチなお兄さん。今日はコンパでちょっと飲みすぎましたという態のお姉さん。そして僕。そして僕の右隣は残業帰りのサラリーマン。午後11時の東上線は意外と空いていて吊り革を持って立っている人は1人もいない。それぞれがそれぞれの座席を確保している。
 
僕の左隣のお姉さん。かなり飲みすぎているのか香水と酒の臭いが混ざり独特の香りを発しながらうつらうつらしている。電車が揺れる度に首もカクンカクン揺れる。やがて完全に睡魔に襲われてぐっすりと眠ってしまう。僕の左肩に頭を乗せて。線路は続くよどこまでも。やがて駅に止まる。隣の女性は意識を取り戻し止っている駅を確かめる。僕に軽く頭を下げる。電車は再び発進する。また睡魔に襲われる。僕の左肩に頭を乗せる。その女性の左方のチンピラ風のパンチなお兄さんの肩には決して頭を乗せない。
 
このことはパンチなお兄さんも薄々感付いてているはずで、オレがパンチでアロハなシャツ着てジーンズの後ろポケットに犬の刺繍なんて入ってるからオレの方には頭は揺らがない。しかしオレの隣の隣の青年。洒落た帽子など被り文庫本など読み耽っている真似をしている。真似をしている。阿呆が。女に頭乗せられて文庫本などに集中できるわけないじゃないか。阿呆が。と、思っているはずで、実にその通りで文庫本の文章に集中できない。まず女とか香水とかそういう問題以前に酒臭い。たとえ電車であっても飲むなら乗るなと。肩に頭乗せるなと。
 
また次の駅に止まり、僕の左隣のサラリーマンが電車を降りた。僕の左隣に1人分のスペースが開く。ここで僕の葛藤・煩悶が始まる。僕が空いたスペースへ移動した場合、彼女とは1人分のスペースが開くということで僕の肩に頭を乗せられなくなってゆっくり文庫本を読むことができる。しかし彼女。彼女の場合、あぁ、私が酔っ払って眠ってしまって頭など乗せてしまったからきっとこの人は嫌がってるのだわ。とてもいい気分でお酒飲んだのに、なんだかヤな感じだわ。なによ馬鹿。私だってあなたみたいな男の肩に頭を寄せたことなんて、どっちかというと不覚の部類に入るのよ。なのになによ馬鹿。あからさまに席移動しちゃってさ。馬鹿じゃないの自惚れ屋さん。
 
なんてことを思われると僕の心がすごく痛むので、移動することに躊躇ったが、移動しなければしないで向かいの席に座っているこれまたコンパ帰りのような華々しい衣装をまとったお姉さん。何よあの男。隣の女の頭が乗ってるからって鼻の下伸ばしちゃってさ。馬鹿じゃないの。童貞かしら。文庫本になんて目を落として平静を装ってるけど私にはお見通しなのよ。馬鹿じゃないの。童貞かしら。スペースが開いたのに移動しようとする素振りもみせないでまるで恋人のように肩寄せ合っちゃって。とてもいい気分でお酒飲んだのに、なんだかヤな感じだわ。
 
と思われることは必至であり、どうすることもできない。たった一人の睡魔に侵された女性のお陰でこんなにも苦悶しているというのに、そのたった一人の女性はいつまでも僕の左肩で酒臭い寝息を立てていた。
2003年06月09日(月)  マンパワーの脆弱性。
「で、僕はここで言えるのか言えないのかを聞いてるわけですよ。単純な2択。それを答えればいいわけじゃないですか」
「あ、は、はい。え、えっと……」
 
すごい憤り。今日は怒っていますよ。OCN。皆さんご存知のNTTコミュニケーションズのOCNですよ。僕はマイラインまで登録してプロバイダとしても使っているわけですが、ほんとOCN、いいとか悪いとかの問題じゃなくて、いや、そういう問題で、悪い。今日はIP電話の設定に関したことをサポートセンターに電話したわけですが、まずこのOCNサポートセンター。いつも混み合っている。「只今大変混み合っておりますのでそのまましばらくお待ち下さい」というアナウンスが延々と流れる。いつも10分以上待たされる。大抵サポートセンターというものをこちらが望んでいる答えを提示してはくれない。「〜のようにして下さい」というアドバイスの元に設定しても駄目なものは駄目でその旨を伝えると「じゃあお前が悪い」みたいなことを丁寧な口調で言われる。
 
で、今日も10分以上待たされて、ようやくオペレーターに繋がり用件を話すと
「IP電話に関するお問い合わせはこちらのフリーダイヤルにお電話して下さい」
と新たな電話番号を述べる。それに従い電話する。また待たされる。
「はい、わかりました。そのようなご用件でしたらこちらのフリーダイヤルにお電話して下さい」
と新たな電話番号を述べる。この時点ではまだ立腹しない。素直に従い電話する。また待たされる。
「そのような契約に関するお問い合わせはこちらのフリーダイヤルにお電話して下さい」
と新たな電話番号を述べる。ここで漸くイライラしてくる。何度電話すればいいんだ。OCNはいくつフリーダイヤルがあるんだ。と新たな電話番号に電話。待つ。新たな電話番号。これをこのあと2回。
 
「ユーザーIDなどご契約に関する事項はセキュリティの問題で御答え兼ねます」
 
ドカーン。バリーン。ガシャーン。5度目の電話で答えられないと。それではその前の4つの場所のフリーダイヤルの阿呆な人たちは本当に阿呆だったのではないか。最初からそう言えと。駄目なものは駄目だと言えと。あ、こういうことってあからさまに企業名出したらいけないのかしら。ほんとO●N。駄目よ。あんな対応してたら。抗議するよ。しないけど。構造改革と一緒で、いくら抗議してもこういうのは改善されないと思うのです。マンパワーは意外と弱い。
2003年06月08日(日)  御深会。
通算何度目になるか忘れてしまったけど、今日は『歪み冷奴』のオフ会が池袋メトロポリタンホテル25階スカイラウンジ「アポロ」で開催されました。9時起床。チョー早起き。この早起きによって洗濯物が干せたことと、コーヒーを煎れて1服できたということと、トイレに座ってゆっくり辞典が読めたこと。だいたい3文くらい得しました。僕はトイレに座って漢字辞典を読む変わり者です。今一番欲しいものは類語辞典です。で、9時。9時起床。昨夜は4時までダラダラとテレビを見ていて瞬きをするような感じで目を閉じ目を開けたら携帯が鳴っている。
 
「おはよー。起きてる?」
「おはよう。うん。今ジョギングしてたところ」
「嘘じゃん」
 
と軽快且つ珍妙な嘘と共に目覚める。電話の主はいけじょさん。僕は人生のあらゆるポイントでいけじょさんに助けられるのです。池袋到着は11時前。西口に佇む柄の悪いお兄さん達の風景に溶け込む。僕は意外と柄が悪い。道を歩いていてもティッシュとか配ってくれない。アンケートにも答えさせてもらえない。
 
まずいけじょさん登場。「今日はジョギング中に携帯持って行ってよかったよ」嘘もしつこい。ありありさんとえみさんを待つ。ありありさんから電話。
 
「池袋西口のどのあたりにいますか?」
「いや、わかんない」
 
説明もいい加減。というか説明になっていない。携帯片手に「ここってどの辺り?」といけじょさんに問い掛け「タクシー乗り場タクシー乗り場の前」と2回言ったので「タクシー乗り場タクシー乗り場の前です」と2回説明する。2回続けて説明した甲斐あって、ありありさんと合流。その後えみさんから電話があり、我が物顔で「タクシー乗り場の前ですエッヘン」と説明し、さしずめ池袋は僕の庭のようなもんだぜ。と虚勢を張り合流。庭のようなものなのに「あれがメトロポリタンホテルでしょ」と関係ないビルを指差していけじょさんに問い掛けたりするなど頼りなさ全開。
 
ホテルは25階。東京の全貌が見渡せる絶景のポジション。『人気のローストビーフをはじめ、季節の食材を盛り込んだバラエティ豊かな料理が食べ放題のランチビュッフェ』が謳い文句のこのホテル。要は食べたいものは自分で取りに行きなさいという冷酷非情なバイキングスタイルで皿を1枚右手に取って好みの料理を取っていくとやがて皿の上が料理いっぱいになり、小皿を左手に取り、サラダやフルーツなどを入れていくと小皿もいっぱいになり、必然的に両手が埋まり、スープも飲みたいけどスープが取れない。あと1本手が生えてないことを悔やむか一度自分の席に戻り両手に持っている皿をテーブルに置きスープを取りに行くか。立ち尽くす。葛藤する。スープは飲みたいが、スープのところはマダムたちがいっぱい並んでいて面倒臭い。実に面倒臭いがスープは飲みたい。スープは飲みたいが、ここは我慢してもう座ろう。座り尽くそう。この皿の上の料理だけ食べよう。口の中がパッサパッサしても水とかコーヒーを飲んでやり過ごそう。やり過ごし尽くそう。と一人呆然とテーブルに座っているとえみさんがスープ持ってきてくれました。優しい。青天の優しさに感極まり尽くしたのでスープは涙の味がしました。
 
涙の味に舌鼓を打っている頃、僕の携帯のアンテナは1本も立っておらず、焦って確認。ボーダフォンユーザーの3人のアンテナはバリ3。今でもバリ3って言うのかしら。とにかくバリ3。僕はバリ0。この歳になってまだauの学割の僕の携帯はバリ0。アンテナも半額なのか。と冗談を言う暇などなく、12時に東京に到着する人ジェコさんから連絡があるはずなのに、僕の携帯はただのアラーム式時計機能付き30万画素デジタルカメラと化し、通信という携帯電話の中心的機能である機能を行使しておらず、席を立ちアンテナが立つ場所へ移動し、トイレの前でようやくアンテナが立ち人ジェコさんへ電話。
 
「もうホテルの下に着いてますぅー」
 
げ。非常に申し訳ない。不甲斐無いauのお陰で、それよりもっと不甲斐無い僕の所為で池袋駅まで迎えに行くという役割を行使できなかった。謝り尽くす。京都から来て頂いたのに碌に案内もできないなんて。ほんともう右足の裏の魚の目とかすごく痛む。日に日に大きくなるのですごく心配。
 
今回の出席者が全員揃い、本来の目的であった折り紙教室へ移行する。えみさんすごい起用なのな! いつの間にかテーブルの上のナプキンでバレリーナ作ってました。全然文章じゃ説明できない。とにかくバレリーナ作ってたの。ほら、足と手の部分をクルクルクルッって巻いてさ、ほら、胴の部分とか真結びしてさ、なんていうんだろ。ドレス? ほら、2枚重ねてクルクルッってさ。もういや。全然説明できない。ハンカチでウサギも作ってましたよ。「記念撮影してー」と、ありありさんの携帯を借りて、バレリーナとウサギを撮りました。ほんと説明できない。
 
人ジェコさんは手相が見ることができるのです。これはスゴイことです。みんなすごい当たってるー! って喜んでいて、ありありさんは「え、ホント? え、ホント?」と「タクシー乗り場タクシー乗り場の前」みたいにずっと驚いてました。僕は現在棘の道を歩いているということで、当たってるー! と手離しで喜べない状況。苦行なる無職生活はまだまだ続きます。
 
一時は女性4名が座るテーブルをはさんで僕1人という構図が出来上がり、まさに「座右の銘は切磋琢磨です!」と少し声を裏返して叫び「当社を選択した理由はこれからの情報社会を画期的な方法でもって……」などこれは面接みたいだ。みんな面接官みたいだ。僕は無職だから尚更そう思いました。
 
久々に太陽の下で健康的な会話をしました。今日は太陽がすごく眩しかったです。ランチ御深会。これはなかなか癖になりそうです。
2003年06月07日(土)  食生活について。
コンベニ飯など高価のものは食ってられぬ。と毎日自炊しているのだが、独身男性の食事のレパートリーなどというものは貧弱であるということが世の常であって、もう何も作りたくないし食べたくない。今日は蒟蒻を炒めてみたがちとも美味くない。炊飯ジャーに入れてしばし蒸してみて漸く旨味が出てきた。
 
母親が米を送ると言ったはいいが一向に送られてこないので自分で買いに行った。2キロ980円と5キロ1980円。確実に5キロの方がお得なんだけど確実に5キロの方が確実に3キロ重いので2キロ980円を買った。昔5キロの米を購入し、スーパーのビニール袋に入れて、それを自転車のハンドルにかけて家へ帰る途中、ビニール袋が米の重量に耐え切れず歩道の真ん中でビニール袋の取っ手が破れてしまい、片手で担いで帰ったことがあった。米屋の若旦那みたいだった。
 
自炊だなんてとても家庭的ですね。なんて言われるが好きで家庭的な生活をしているわけではなくローソンの唐揚弁当が480円ではなく280円だったら唐揚弁当食う。絶対食う。コンビニのおにぎりも98円のおにぎりと130円のおにぎり。130円のおにぎりの方が趣向を凝らしていて美味しそう。しかしおにぎりに100円以上の金を出そうとは思わぬ。一方98円のおにぎりは梅だのオカカだの普遍的なものばかりでつまらぬ。やっぱりお金出すんだから焼いたり味噌を塗り込んだりしてほしい。
 
数日前、隣の部屋の女性に韓国海苔を頂戴し、食事は韓国海苔抜きでは語れぬほど、韓国海苔の存在感とその味は絶大で、韓国海苔だけでもご飯2杯は悠にいける具合でこの食欲が落ちる時期、韓国海苔様々です。など歓喜に満ちていたらもうなくなった。韓国海苔なくなった。浦島海苔では代役にならぬ。韓国海苔はどこに行けば購入できるのか。
 
さすがに味噌汁を作るのは如何に家庭的と謂えども面倒臭く、あさげやらゆうげやらその違いがちともわからぬものに湯を掛けて食っていたのであるが、駅前の東武ストアに長熟生味噌10食入というマルコメ味噌のインスタント味噌汁が298円で売っていて、一食当たり約30円。すごい経済的。しかもわかめ4食、油揚げ3食、豆腐3食と実にバラエティに富んでいる。早速家に戻り、ローテーションを決める。わかめが油揚げ、豆腐より1食多いので、わかめ→油揚げ→豆腐という具合に進めていき、わかめで幕を閉じる。はは。面白い。いい加減手作りの味噌汁が食べたい。
2003年06月06日(金)  生きてます今のところ。
「アイスクリームね、1個しか持ってないの。ゴメンね」
 
隣の部屋の女性は風呂上りの髪を乾かさないまま僕の部屋にやってきた。僕はヘッドホンをつけて映画を見ていて、彼女がドアを開けて部屋に入ってきたとき何を言ったのかわからなかった。鹿児島に住んでいたときから自分の部屋に鍵を閉める習慣がなかなか身に付かない。彼女は自由に僕の部屋にやってきてCDを聞いたりパソコンを触ったりして自由に帰っていく。
 
「は? ゴメン、聞こえなかった」
「えとね、アイスクリーム、1個しか持ってないの。へへ」
 
一瞬にして彼女の笑顔と共にカーテンを閉めきった薄暗いワンルームにシャンプーの匂いが広がる。僕は彼女に見えないように強く目を閉じて耐えがたい衝動の嵐が通り過ぎるのを待つ。
 
部屋の真ん中に鎮座する赤い一人掛けソファーは彼女の特等席になっていて、僕は彼女が来るといつもそのソファーを譲りベッドの上に腰掛ける。若しくは赤いソファーには足掛け用の赤いチェアがついているんだけど、僕はその小さな足掛けチェアに座る。そして彼女はCDを取り出し歌詞カードなどを読み始め、僕はヘッドホンをつけて映画の続きを見る。映画が終わってから心理学の知覚と感覚の違いについて話し合う。
 
シャンプーの匂いが、どうもいけない。自分の部屋で風呂上りの女性がソファーに座っている。彼女は中国から2年前に日本に来て、日本語は理解できるが回りくどい表現、例えば「シャンプーのとてもいい匂いがする」この言葉のニュアンスを掴むことができない。シャンプーの香りが良い。と彼女は認識する。その言葉の裏を読むことができない。迂遠な表現の中だけで生きてきた僕は物事を単刀直入に表現するということが苦手で、ほんとどうも。ほんとどうにもならない。
 
しかしここは同じマンションの隣人の仲。越えてはいけない一線があると。どういう一線なのかわからないけれど、取り敢えず越えない。地に踏ん張って、ジャンプしない。ただでさえ鹿児島で面倒臭いことがいっぱい起きて逃げ出すように埼玉まで引越してきたんだから、もう、ほんと、真っ当に生きたい。生きてます今のところ。
2003年06月04日(水)  愛する貴女へ。
エアコンの電源を入れたらいつスイッチを切ろうかそればかりが気になって何もできない。僕の部屋のエアコンは無暗に古い型なので獏の如く電気を喰らうのではないかと、関東電力から驚愕する程の電気代を請求されるのではないかと、しかし窓を開けると雨が入り込むのでやってられないと、前時代的なエアコンを作動し違う意味で冷や冷やしながら野球を見ていたら9回表で放送時間がなくなりましたと。電車に乗り遅れましたと。目覚まし時計の電池が切れてましたと。
 
雨が降る日に外出を控えるのは傘をさしながら自転車に乗るという行為が危険極まりないからであって、信号待ちの車の運転席から実に迷惑そうに僕の顔を見ているけど、しょうがないんだよ! 自転車しか持ってないんだよ! じゃあ何か! ずぶ濡れで走れっていうのか! と実にムカついた気持ちでペダルをこぐのでありますが、視界を著しく失われるので今日は写真屋の看板にはねられて死ぬところでした。
 
「幸せになりたいっ!」って思う人と「絶対幸せになるっ!」って思う人の違いがわかりますか。わかる人いますか。僕はわかんないけど。たいした差はないよ。幸福なんてことを考えなくても幸せになる人はいるんだし、人それぞれってことなんです。大抵の問題は人それぞれって言葉一つで片付きます。全然人の話を聞いてなくても「世の中にはいろんな人がいるからねぇ」って言えばそれでオーケー牧場。
 
ほらもう忘れた。書くこと忘れた。それでオーケー牧場って書いた時点で一休みして鼻でもほじりながら次はあのこと書こうと思っていたのにその後テレビを見たりしたものだから忘れた。あと近所のクリーニング屋。クリーニングを出したとき引換券渡すでしょ。それが渡さなかったの。3日前。埼玉のクリーニングは引換券渡さないんだぁと特に疑問も抱かずに今日取りに行ったの。そしたら「引換券は?」と。渡さなかったじゃん! オバチャン何も渡さなかったじゃん! と心で叫んだ挙句「あっ、えっと、すいません。なくしちゃったみたいで……。財布の中に入れたはずなんだけどなぁ……」ってこれは誰の為の嘘ですか。
2003年06月03日(火)  他愛。
例えばバナナ3房で100円。なんで埼玉はこんなにバナナが高いんだ。風邪で寝込まない限りこんな高価な果物は食えない。だから買わない。高けぇよマジで。例えば玉子6個で100円。いやほんと無理。ありえない。入院でもしないかぎり目玉焼きさえ食えない。だから買わない。じゃ何買ったと問われれれば、チャーリーブラウンのブラウンシュガーを購入しました。牛乳かけて食べるやつね。問われれればって「れ」が一文字多いね。
 
あとオンラインボンバーマンね。あまりにも毎日退屈なのでオンラインゲームというものに足を踏み入れてみましたところ愕然。「46」とか「02」とかみんな数字で喋ってる。日本人ならば「宜しく」と。「お疲れ」と喋って欲しい。ああいう世界に浸かっては駄目だ。本当に腐ってしまうよ。壁と爆弾にはさまれる夢ばかり見るようになった。
 
自転車が欲しい。僕の自転車は折り畳み自転車で車輪がサーカスでピエロが乗ってるでしょ。前輪が大きくて後輪が小さいやつ。あの後輪の小さいやつが2つついてるのね。すごく小さい。いくらこいでも前に進まない。余裕で小学生とかに抜かれる。抜かれた挙句振り向かれる。こいつ大人なのに遅せぇ! とか思ってる顔をしている。
 
あと今日清原が9回表に逆転ホームラン打ったでしょ。なんなんだこの茶番はよー! とチャーハンを食いながら思った。広島ピッチャー佐々岡、すごく残念な顔してたでしょ。清原はホームラン打ったあとも怒ってるような顔してた。僕がホームラン打ったらすげぇ笑うけどな。笑いとか止まんないけどな。清原もカメラに向かって笑って欲しいと思った。年棒2億だか3億だかもらってるんだから、100万ドルの笑顔を見せて欲しかった。あと実況アナウンサーね、解説に話題振り過ぎ。へぇこの場面どう思いますか? この後何投げると思いますか栗山さん。なんて知るかよ。ピッチャーに聞けよと思います。栗山さんはもう何年も前に引退してるんだから次に何投げるとか普通にわかんないと思います。
 
あとジャージのズボンね。ジャージー。部屋着のジャージー。部屋着のジャージーは3種類あって、青いやつと茶色いやつとクリーム色のやつ。これは青→茶→クリームとローテーションが決まっていて、今青いジャージ履いてんだけどね、僕はこの青ジャージあんまり好きじゃないんです。僕的にはクリーム色のジャージが好きなんだけど、クリーム色を履くにはその前に茶色を履かなきゃいけない。鬱々とした気分になります。早く青色汚れてほしい。
2003年06月02日(月)  右脳のサイン。
オンライン知能テストというものが4種類あって、1時間おきくらいに4種類とも試してみた。4種類の平均IQが124。
 
IQ120以上〜
『大変高い知能指数ということとなります。どんな環境、事態にも的確な行動が期待されます』
 
ふぅんと嬉しくないはずはないけれど、僕は小学生の頃、教室に一人残されて何やら怪しげなテストを受けさせられたことがあって、結果を知らされるわけでもなく、その他怪しげな実験を受けさせられることもなく、軍に収容されるわけでもなく、単にこいつは普通の奴だったと僕の知らないうちに誰か期待外れしたかもしれない。しかしまぁ、120以上だということで『どんな環境、事態にも的確な行動が期待されます』なんて嬉しいことが書いてあるけれど、今の僕の生活が的確な行動の上に成立しているとはとてもいいきれず、不規則に並んだサイコロの数とか、一見不規則に並んだアルファベットの規則性を見出すこととか、そういうクイズのようなものがちょっと得意なだけであって、日常生活に何も役に立たない。
 
1916年、初めて天才のIQを扱ったアメリカの心理学者、ターマン博士は、IQが140以上が天才だと言った。ということはあと16でATMからお金出し放題になり、横になると見たこともない絶世の美女がベッドに入り込んでくるのである。ひひ。馬鹿。努力に勝る天才はないのである。今は本当に努力していないのでATMの残金は減っていくばかりで、横になると天井の汚れた染みが見えるだけである。
 
僕は昔から物事をすごく考え込むと右の頭が熱くなってとても痛くなってこれ以上考えるなって脳からサインがくるのです。今日はあのテストのお陰で頭がものすごく痛い。彼女からの電話も痛さあまりに早めに切ってしまいました。ゴメンね。
2003年06月01日(日)  青椒肉絲。
「朝から何も食べてないんだよ」
 
なんてことを飄々と申しておりますが、そういう事態に陥るのは必然的であって、午後に起床し、ベッドの上に腹這いになって脚を交互にガクンガクン曲げながら小説を読んでいたら、いつの間にやら太陽が沈みかけていて、そういえばお腹が減ったナカナカ減った。などと独り言を呟きながら、この空腹という事態を如何に楽をして解消しようかなどとグダグダ考えていたところ、部屋のチャイムがピンポンと鳴り、ドアを開けましたところ隣の部屋の女性が立っている。やぁこんにちは。今日の天気は晴れても雲ってもどっちでもいいんだけどお腹空いたね。CDを何枚か借りていたので、それの返却に参りましたか。へぇ。バイト終わったばかりなんだ。お疲れ様。お腹空いたでしょ。僕も空いた。実は「朝から何も食べてないんだよ」
 
「私なにか作ります。ちょっと待ってて」
 
やった。やったよ。空腹という事態を憐憫を誘うことによって免れた。鼻歌を唄いながら夕方になって漸く顔を洗う。外で喧嘩をしている猫の声が聞こえる。どうせ残飯を漁りながら争っているのであろう。平和だね。実に平和。今日も今日とて何も成し得ずに一日が終わってしまうけどそんなのエニシングオッケーです。相変わらず将来のビジョンなんてハイカラなものは見えないけれどエビバデプッチーです。今夜の飯にありつける。それでいいじゃないか。それが幸せというものではないでしょうか。
 
約30分後。「できましたよー」とエプロン姿の隣の子。わぁ。へへ。へへへ。鼻の下が自分でも驚くくらい伸びる伸びる。玉子のスープと青椒肉絲。青椒肉絲と書いてチンジャオロースーと読みます。本場の料理です。中華料理なのに、隣の子はそれが家庭料理となる。ファンタスティック且つグローバルです。
 
「材料はお湯で下茹でしました。お肉もレンジ使って柔らかくしてます。さっぱりしてるでしょ」
 
彼女はバイトで料理を作っているらしく、まさしく本場のプロの味。こちらへ引越して初めて本格的な手料理を食べました。そしてこれからも数え切れない程のCDを貸そうと思いました。うん。これは照れ隠し。

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