2002年04月30日(火)  げっぷ。
僕は「うんざり」しないために、毎日昇る朝陽を新しい気持ちで迎えています。
僕は「うんざり」しないために、常に新しいことに望んでいます。
僕は「うんざり」しないために、いつも窓を開けて新鮮な風を取り入れています。
 
こうやって毎日努力しているんだけど、
やっぱり「うんざり」する日はあるわけで、
こういう感情は、女性の生理の時に近いんじゃないだろうかと思います。
 
今日「うんざり」することを言われました。
違う人達から同じ事を言われました。
 
例えば家庭訪問で、
最初の家でショートケーキを出されて、次の家でドーナツを出されて、次の家でモンブランを出されて
最期の家でチーズケーキを出されてゲップをするということです。
 
この「ゲップ」が「うんざり」なのです。
 
「頭痛が、痛い」
なんて言うと、同じ意味を重複しているため明らかに文章がおかしいですが
「うんざり、もうたくさん」
なんて言って、同じ意味が重複していても、それは強調の意味で捉えられます。
というわけで
 
うんざり、もうたくさん
 
と、声を出して言いましたし、今でもその気持ちに変わりありません。
周囲に聞こえんばかりのゲップを何度も洩らし、
遂には心のシャッターを閉じました。
 
もう誰も僕には立ち入れない午前0時。
気持ちを伝える手段をキーボードに託して
不特定多数の(この日記を読んでいる)みなさんに繋げます。
部屋の隅の電話線を通じて、インターネットという手段を用いて
僕のゲップを洩らします。
 
ああ自己嫌悪。
 
実生活のymixではない僕は
恋愛が、ものすごく、苦手です。
2002年04月29日(月)  学級委員長。
決して頭は良くなかったけど、小学校の頃、学級委員長になることが多かった。
 
学校での生活態度や成績や教師への従属度で学級委員長になるのではなく、
僕のようなタイプの人間は、「あいつが委員長だと面白いかも」という
根拠のない理由や冷やかしやその場ののりと、多数決という数の暴力で学級委員長に祭上げられることが多かった。
 
そして案の定、僕が振るうクラスへの采配は散々なものだった。
僕は昔から責任感というものが欠けていて、自分さえ良ければいいという
ある意味マイペースな性格だったので、クラスの話合いも積極的ではなく、
「運動場を飛行機の滑走路にしよう!」なんて馬鹿みたいなことばかり言っていた。
 
それでもクラスのみんなはとても楽しそうで
悪いことをしても責任は委員長が全部負えばそれで済むわけで
僕は幼少の頃から、人への謝り方を知っていて
自尊心の欠片もなく教師へ「ごめんなさいぼくがぜんぶわるいです」なんて
頭を下げながら見えないところで舌を出したりしていた。
 
小学校の頃は、たいてい謝ればそれで済んだ。
今みたいに始末書を書いたり上司から愚痴を言われたり減給になることは、まずなかった。
 
無責任極まりない学級委員長は、新学期が始まる度に委員長に指名され、
指名される度に確実に票を伸ばし、票が伸びる度に担任は嫌な顔をした。
 
小学5年の頃、僕達の万引きグループが店員に捕まり、
学級委員長がスーパーで万引きという大事件を引き起こした。
僕は担任に「委員長は万引きをしちゃあいけないんですか!」と言ったら
担任は目に涙を浮かべて僕をビンタした。
 
その担任の涙のビンタで、僕は生活態度をがらりと変えた。
 
という風になるわけがなく、それからも万引きこそしなくなったが
生来の無責任さは変わることはなく、狡猾さや腹黒さばかりが成長して現在に至っている。
 
彼女に「私が心の底から何を言ってもあなたは何とも思っちゃいない」
と言われるのは、僕が昔、学級委員長をしていたからなのです。
2002年04月28日(日)  キャンプに行きました。
「自然と同一化することこそがアウトドアの極意!」
 
友人は曇天模様の空の下で、河原を背景にしてそう叫んだ。
旧友7人と片道40分のキャップ場に来ている。
 
このリーダー格の友人は偉そうにアウトドアの極意云々と叫んでいるが、
バーベーキューセットを新車に積まれてつい先程まで口も聞いてくれなかったのだ。
 
男4人女3人。
女性は女性らしく手際よく肉を準備したり野菜を切ったりしている。
女性は女性らしく炭を触ると手が汚れるという当然の理由で、火を起こそうとしない。
 
僕を除く男3人は、自慢の釣竿を自慢し合いながら、河原へ釣りに行ってしまった。
俺はこの川でフナを釣ったことがある。いや、俺なんて40センチばかりのブリを釣った。
ちょっと待て、聞いて驚け、俺なんかマグロを釣ったんだ。
なんて嘘か本当かわからない話をしながら楽しそうに河原へ向かって行ったけど、
キャンプというシュチエーションで、男らしさを前面に出して釣りをすると魚に無視されるという事実は
この男3人を除く他の誰から見ても明らかだったし実際2時間後に肩を落として
戻ってくる姿を見ることになった。
 
おかげで焼き魚は食べることができなかったけど、
大きな河原で、肉や野菜をつつきながら旧友達と恋愛観や結婚観を聞くのはとても楽しくて
1人の友人は変に酔っ払って妙にハイテンションになって、
なぜか大声で「雪の降る街を」を歌いながらTシャツだけ脱いで川へ飛び込んだけど、
みんなに川の水と同じくらいに冷たく無視されてリーダー格の友人からは
「お前は帰りの車には乗せない。歩いて帰れ。もしくは泳いで帰れ。むしろ溺れろ」
なんてひどいことを言われてすっかりへこんでしまって焦げて落ち葉のようにボロボロになってしまった
豚肉を1人でつついていた。
 
周囲を見ると家族連れが多い。小さなテントを建てているカップルもいる。
星空を見上げながら、愛を語り合い、
小さなテントの中で、体を探り合うのだ。
 
僕達はその小さなテントの近くでこれ見よがしに花火をするのだ。
友人達と「恋愛とは線香花火のようだ!」と語り合いながら
4月の花火を眺めるというゴールデンウィークを過ごしてみたいけど僕は仕事です。
2002年04月27日(土)  耳掻きから想起すること。
三度の飯より耳掻きが好きな女性と付き合ったことがある。
彼女は太腿に僕の頭を無理矢理押さえつけて、
耳掻きや綿棒や時には爪楊枝で僕の耳の穴を楽しそうに弄んだ。
 
僕は耳掻きをされることもその彼女のことももあまり好きではなかったので
それは苦痛で痛くて時には出血をして耳鼻科の診察を受ける羽目になることも珍しくなかった。
彼女の過剰な耳掻きによる出血、若しくは炎症、時に化膿のために
何度も耳鼻科の門をくぐり、その度に医者に叱られた。
 
彼女は耳掻きをされることも大好きで、時間さえあれば
僕の太腿に頭を無理矢理潜り込ませて、綿棒で耳掻きをすることを強要した。
僕は耳掻きをすることもその彼女のこともあまり好きではなかったけど、
出血させないように、力加減をよく考え、根気強く彼女の小さな耳の穴を掻き続けた。
 
「あぁ・・・そこ、そこ気持ちいい」
 
なんて言われても、もう発情するような間柄ではなかったし、
仮に発情したとしても、面倒臭さが先に出ていたので
そんな言葉は無視をして、横目でチラチラとテレビを見ながら機械のように
心を込めず、冷たい表情で耳を掻き続けた。
 
その彼女は「好きな人ができました」となぜか敬語で僕にそう言って姿を消したけど
今でも何処かで誰かの太腿に潜り込んで耳掻きを強要してるんじゃないかなと思うと
 
なんだか、すごく懐かしくなって
 
冷たいキッチンで、こうやって1人で綿棒で耳を掻いているのです。
2002年04月26日(金)  Sでしょ絶対。
夜勤明けは午後0時30分に仕事が終わる。
眠い目をこすりながら正午過ぎまでの仕事は辛く、家に帰ったらすぐ昼寝をするのだが、
今日は、1時間も職場に残るはめになってしまった。
 
ナースステーションにタバコを忘れて取りに行ったら
看護婦さん達にタバコを隠されて帰れなくなったのだ。
 
「あなた今日私の採血の結果見たでしょ」
僕は職員の健康診断係をしているので、
職員の採血をしたり、検査結果を記入したりしなければならない。
今日、この看護婦さんの採血の検査結果が僕の手元に来て、
貧血気味の結果に思わず笑ってしまって、
「いつもあんなに血気盛んなのに、どうして貧血気味なんだろ?」
と他の看護婦さんと2人で笑い合っていたのだ。
 
「ねぇ、見たでしょ」
「はい、見ました。仕事ですから」
「で、あなた結果見て何って言ったの?」
「何も言ってませんよ。タバコ返して下さいよ。痛てっ!」
 
僕はお尻をおもいきり蹴られた。
「電話がきたのよ。あなたが私を血気盛んって言ってたって!」
あの看護婦さん。チクりやがった。
 
「夜勤明けだろうが何だろうが今日は夕方まで仕事しなさい」
「そんな・・・」
この看護婦さんは僕にだけもの凄く厳しい。厳しいというか、苛めたがる。
今朝もこの看護婦さんは胸ポケットに1000円札を入れて手を洗っていて
「今手が濡れてるから、ちょっとこの1000円札取ってよ!」
なんてわざと言うのだ。こういうのって逆セクハラではないだろうか。
 
「彼女はね、今日『満月』の日なのよ」
もう1人の看護婦さんが僕に言う。
「満月?」僕は満月の意味をしばらく考えていた。
「あ!お赤飯の日ですか!」
と言うと、またお尻を蹴られた。どうりでイライラしてるわけだ。
 
「満月だろうが貧血だろうが関係ないわよ。
あなたは私を血気盛んと言ったから、責任持って夕方まで仕事しなさい。わかった!?」
何の責任を持てばいいのかわからなかったので「わかりません」と言ったら首を締められた。
この看護婦さんは胸がとてもふくよかなので首を締められたり羽交い絞めされたりするととてもドキドキする。
こういうのって逆セクハラではないだろうか。
 
「はい、パン焼いてあげたからこれ食べて昼休みが終わるまで話に付き合いなさい」
 
たぶん、根はとても優しい人なんだと思う。
2002年04月25日(木)  晴れた空。そよぐ風。
旅行会社の友人から、ハワイへの航空券が安く買えたので、
今日から3泊4日5万円のハワイ旅行に行くことになった。
 
僕は英語が全く駄目なんだけど、学生時代、ロスに数ヶ月留学していた彼女が
日常生活には不自由しない程度の英語が話せるということと、
ハワイくらいなら、日本語だけでも十分大丈夫だと旅行会社の友人が言っていたことで
すっかり安心して、ガイドブックも適当に読み流して、
別府の温泉にでも出掛けるような感じで、たいした高揚もなく、
水着も間に合わせのもので済ませて、
住民票を取りにいくような感じでパスポートを作りに行って、
小さなボストンバックにTシャツとハーフパンツを数枚詰めた。
 
空港まで車を走らせる間、機嫌のいい彼女はずっと聞いたことのない鼻唄を鳴らしていた。
今日は4月にしては少し肌寒いくらいだったけど、
気の早い彼女は淡いピンクのサマーセーターを着ていて、
僕の車にサンルーフがついていたら、そこから顔を出して風を浴びそうな勢いだった。

「ねぇ、ハワイに着いたら最初に何する?」
「果てしなくあてのない買い物に付き合う」
「んもう!私はね、最初に買い物に行って、トロピカルジュースを飲みながら美味しい食事を食べて
一休みして、海に行って肌を焼くの」
「で、僕はそんなキミのわがままに手を焼くんだ」
「んもう!」

日頃、彼女にこんなことを言うと本気で怒って、
しばらく(しばらくといっても数日間だけど)口を聞いてくれないのだけど、
これから展開される常夏の島への夢の4日間が彼女の心を太平洋のように寛大にさせていた。
 
飛行機の出発時間まで少し時間があったので、空港で軽い食事を摂っている間も
彼女はグッチやらクリスチャンディオールやらティファニーやらフェンディーやらが欲しいと、
少し頑張れば日本でも買えそうなものばかりを
終わりのページのない買い物リストに記し続けていた。

僕はその話を半分聞きながら、残りの半分はつまらないガイドブックを斜め読みしていた。
 
買い物の予定の話も、ガイドブックの斜め読みも終わった頃、
14時30分ホノルル空港行きの飛行機発着のアナウンスが流れた。
 
「さ、行こうか」
「うんっ!」
 
僕達は金属探知機を2回くぐったけれど、それでも笑顔で
常夏の島へ手を繋いで出発するというゴールデンウィークを過ごしてみたいけど僕は仕事です。
2002年04月24日(水)  不正な処理。
『このプログラムは不正な処理を行ったので強制終了されます。
終了しない場合は、プログラムの製造元に連絡をして下さい』
 
・・・・。
 
最近、パソコンの調子が悪い。
何の予告も予測も予兆もなく、突然目の前に表示されるエラーメッセージに
僕は不意を打たれたような気分になる。
 
そもそも、このエラーメッセージの意味がわからない。
『不正な処理を行った』なんて言われるとものすごく罪悪感を感じてしまう。
僕は、僕自身さえも気付かないうちに、どのような不正な処理を行ってしまったのだろう。
そりゃあ、鼻くそほじりながらパソコンを操作することもあるけど、こんなものは不正じゃない。
  
こんな事を考えていたら、なんだか腑に落ちなくなってきたので、
僕は意を決して『プログラムの製造元に連絡』してみることにした。
 
「は〜い。大田電器で〜す」
受話器に子供が出て、僕は一瞬たじろいでしまった。
「あ・あの、すいません。あの〜パソコンの件で聞きたいことがあって、責任者の方を・・・」
「責任者?う〜ん。あ!お父さんのこと?ちょっと待っててね。(お父さ〜ん!)」
お父さん?プログラムの製造元っていったい何処にあるのだ。
 
「はいはい、ど〜も、お電話替わりました」
とてもけだるそうな口調で、プログラムの製造元の電器屋のお父さんが電話に替わった。
「すいません。パソコンの強制終了の件で少しお伺いしたいことがあって電話したんですけど」
「あ?ああ・・・。強制終了ね、で?どうしたの?」
「え?だから、強制終了のエラーメッセージに『プログラムの製造元へ連絡をして下さい』って
表示されるから・・・」
「あ?ああ・・・。それでうちに電話したってわけね。
でもそんな事聞かれたってうちじゃわからんよ。確かにうちは『プログラムの製造元』だけど、
マイクロソフトの下請けの小さな町工場だからねぇ」
マイクロソフトの下請け会社が町工場?
 
「あ、そうなんですか。それじゃあ、どうすればいいんでしょうか?」
「どうするもこうするもビルゲイツさんに聞いてみればいいじゃろうが」
そんな馬鹿な。
これじゃ所得税を支払う意味がわからないから小泉総理に聞いてみるっていうことと一緒じゃないか。
 
「まぁ、鼻くそほじりながらキーボード打ってたんじゃろうが」
 
さすが町工場!
2002年04月23日(火)  灼熱の体育館。
この度、我が職場ではバレーボール部が結成されたらしい。
退屈な休日の午後、後輩からの電話。
 
「先輩っ!今日は初練習っスよ!」
「え?何の?」
「バルェェー(巻舌)ボールっス!」
「え?どこの?」
「うちの職場っス!」
「え?聞いてないよ」
「言ってないっス!」
 
バレー部が結成されたことも今日が初練習だということも寝耳に水だった。
世の中の様々な出来事はいつも僕の知らないところでどんどん進んでいる。
 
バレー部が結成されたことも
今日が初練習だということも
練習場所の小学校の体育館を押さえているということも
ユニホームの色がピンクだということも
チーム名が「ナーシングバレー倶楽部」ということも
全然知らなかったしどう考えても「ナーシングバレー倶楽部」は却下したかった。
 
体育館でストレッチをしながら(しっかり参加している)
僕は体育館中に響き渡る声で言った。
「え〜!ナーシングバレー倶楽部ぅ〜!?ダサー。誰が決めたんだよこんな名前」
どうしてもチーム名だけは却下したかった。
「婦長さんっっス!」
後輩が僕に負けじと体育館中に響き渡る声でそう言った。
僕は慌てて婦長の方を振り向くと、すでに婦長は僕の後ろに立っていて、
ウサギを追い詰めたライオンのように含み笑いを浮かべていた。
 
「よし!頑張ろう!我が誇り高きナーシングバレー倶楽部!!」
僕は環境への適応に関してはずば抜けて優れている。
2002年04月22日(月)  十字架。
その小さな背中に背負っている大きな十字架が見えますか。
キミには、見えないと思う。勿論、僕にも見えない。
 
何か背中に背負っていることは、昔から知っていたと思う。
それが何なのか理解できなかった。まさか十字架とは思わなかった。
僕は、んーん、ランドセルのようなものだと思っていた。
何か知識が詰まっているようなものを背負っていると思っていた。
 
重みは感じていた。
何かずっしりとした重みは感じていた。
それが何なのか理解できなかった。
それは学校で学んだ、教科書的な、不純物の入っていない、知識だと思っていた。
 
無理もないよ。教室に座っていた時間と、臨床に立っている時間なんて
僕達は比較するに値しない。
この身にまとっている白衣も、まだ体に馴染んじゃいない。
 
鏡を見てごらん。ナースキャップをかぶった自分自身は見えるはず。
目を細めてごらん。キャップの向こう側に何が見えますか?
うっすらと、見えますか?知識でも技術でもない、十字架を見ることができますか?
 
キミは今回の件で、十字架の輪郭が少し見えてきたと思う。
十字架の重みが体の心まで伝わってきたと思う。
 
真実や大切なものの答えは、往々にして単純なものだけど、
僕達は、ストレスや、勤務表や、休日の予定や、夕食の内容で
それを、すぐ見失ってしまう。覆い被されてしまう。
 
この白衣を着ている限り、
これから数多くの経験を、数多くの痛みを、数多くの苦しみを味わい、
限りない涙を流すことになると思う。
 
その涙が、ぼんやりとした十字架を徐々に浮き上がらせてくると思う。
 
だけど、僕には見える。ナースキャップをかぶった君の背後に、
その見えない十字架を優しく包む小さな翼が。
 
 
 
 
 
 
―――――
 
僕は励ますことってあまり得意じゃないから、すぐこういう文章に頼ってしまうけど、
励ますより、助言するほうが
肩を叩くより、暖かいスープを与えるほうが
お互い、成長するんじゃないかなと思う。
 
月並みな言葉だけど、
キミは白衣の天使なんです。
 
だから誇りを持って。
しっかりと、お箸も持って。
2002年04月21日(日)  頭のネジ。
朝から雨が降っている。
ベランダに干したままの憐れな洗濯物は、暗い空を見上げて
陽光が差し込む時を待ち続けている。
 
雨のせいで、部屋の中まで暗い。
朝から部屋の電気を灯すと、時間の感覚が少し狂ってしまうような気がする。
電気をつけずに、暗い部屋で時計を見上げながら歯を磨く。
 
歳に合わないピンクのTシャツを脱いで、
25歳相応の洋服に着替える。ハイネックのシャツに、コーデュロイのパンツ。
歳相応の時間を要して髭を剃る。
 
コンポからはビョークが美声を轟かせている。
雨の日の朝にビョーク。これで元気が出るわけがない。
トイレに座って少し読書をする。太宰治「斜陽」
雨の日の朝に太宰治。これで元気が出るわけがない。
 
おまけに頭が痛い。
最近は、雨が降ると必ずといっていいほど頭が痛む。
たぶん頭の中で、雨や湿気や気圧やその他なんやかやを感じる回路が
少し壊れてしまっているのかもしれない。
7月に車の車検があるので、そのときに僕の頭も少し見てもらおう。
 
出勤途中の車の中で彼女が作ってくれたサンドイッチを食べる。
ツナサンドとタマゴサンドとサランラップにくるまれたイチゴが4つ。
 
革命前のお姫様のような雰囲気を持つ彼女を僕は「姫」と呼んでいる。
姫は驚くほど時間にルーズだ。
それを踏まえて待ち合わせの1時間前に時間を設定しても、1時間は遅刻する。
雨の日は、それより1時間ほど遅刻する。
彼女の体内時計はソーラー電池で動いているのかもしれない。
 
サンドイッチを全部胃に流し込んだ頃、職場に到着する。
イチゴのヘタを駐車場に吐きながらロッカーへ向かう。
 
白衣に着替えたら頭痛がひどくなって、頭のネジがまた1つ外れた。
2002年04月20日(土)  パッチンエビ。
今夜のご飯と言って、彼女はビニール袋に生きたエビを4匹入れて我が家にやって来た。
見たこともないようなエビだった。そもそもそれがエビかどうかさえ疑わしかった。
エビといえばエビに見えるし、カニといえばカニに見えた。
 
「・・・ねぇ、これ何ていうエビ?」
僕は恐る恐るビニール袋の中を覗きこんでそう言った。
「パッチンエビ!」
彼女は無邪気な笑顔でそう言ったけど、そのエビの名称自体が疑わしかった。
ビニール袋の中でうごめく生物はどうみたってカブトガニだった。
 
「・・・ねぇ、これって絶滅寸前の天然記念物とかじゃないの?」
「違うわよ。それってトキでしょ!」
まあ、トキも絶滅寸前の天然記念物だけど。
 
「ほら、カワイイでしょ!」
彼女はビニール袋から天然記念物の尾を掴んで無邪気に僕に見せる。
僕が顔を寄せた瞬間、突然その天然記念物は身を翻して飛び跳ねた。
と同時に僕は身を仰け反らせてその勢いで部屋の柱で頭部を強打した。
 
「ハハッ。弱虫!」
彼女は天然記念物と一緒に頭を強打した僕を見下ろしてそう言った。
「・・・ねぇ、ホントにそれ料理するの?」
「当然でしょ。美味しいんだから!」
「・・・ねぇ、それ何ていうエビ?」
「パッチンエビ!」
何度聞いてもパッチンエビだった。
 
ギギギと最期の泣き声を聞いたのが最期で、
数十分後、パッチンエビは食卓に味噌汁に浸かって真っ二つになって僕の前に姿を現した。
  
彼女の言葉だけではいまいち真意が掴みづらかったので、
味噌汁の中の謎の生物にも問い掛けてみた。
 
「キミは、絶滅寸前の生き物ですか?」
「パッチンエビ!」
 
彼女が横から口を挟んだ。
2002年04月19日(金)  やればできるの?
小学校から専門学校に至るまでの15・6年間、教師達は
「あなたはやればできる子なのに」
と口を揃えて言い続けてきた。
 
そう言われる度に僕は「あぁ、またか」と心の中で溜息をついた。
僕は僕なりのペースで勉強をしてきたつもりなんだけど、
別に際立って成績が悪かったわけでもないんだけど、
家庭訪問や三者面談や教育相談の度に
「あなたはやればできる子なのに」
と教師達は僕に対する定型句のように言われ続けて来た。
 
幼い頃、時々、今の僕を「やらない僕」と仮定して、
「やった僕」を想像することがあったけど、その想像はいまいち現実的ではなかったし、
その想像に登場する僕は本当の僕じゃなかった。
 
成績はいつも真ん中より少し下で、
苦手な数学は赤点ばかり取って補習することも多かったけど
僕は別にそれを不都合と考えることはなかったし、将来を悲観することもなかった。
 
「もう少し努力しましょう」
「あなたには欲が足りません」
 
あぁうるさい。ほっといて下さい。そっとしといて下さい。
僕がどうすれば、どう行動すれば、どう答案を書けば、先生たちは納得するんですか。
何を仮定して、何処に設定して、誰と比較して「やればできる」って言ってるんですか。
 
そういう叱り方は、相手にとって将来、結構深い傷を残すことになるのです。
僕は、いつだって、これはどうしようもないなっていう局面に差し掛かっても、
あの時の教師達の言葉が呪いの呪文のように聞こえてくるのです。
「やればできる」って。
 
僕の中に、並んでいる、数え切れない程のドアを開けたら、
「やればできる僕」が出てくるんじゃないかなって。
 
だけどどのドアをノックしても、顔を出すのは、
努力を嫌い、汗を流さず、無表情で、欲のない僕ばかり。
全身にみなぎるようなエネルギーを醸し出している僕の姿なんて見たことない。
 
「やればできる僕」なんて幻影だ。
そんなものいつまでも追いかけてたって、無駄だよ。
 
 
 
無力!
2002年04月18日(木)  記憶、追憶、木箱に仕舞う。
僕が危惧していることは、
思い出が美化されるんじゃないかということです。
 
あの頃は、辛いことが多かったけど、今思い返してみると楽しかったなぁ。
なんて考えることがあるけど、それは嘘。誤り。誤謬。
それは思い出でも記憶でもない。合理化なんです。防衛機制なんです。
正当化して合理的に処理してるんです。
 
今でも時々キミの事を思い出します。
ドアをノックしたことを思い出します。
夕暮れ時でもとても暑かったけど、あの鉄のドアだけは冷たかったことを。
 
何時の時代も、何処の誰もが、時は無常にも過ぎていくと言っています。
僕の周りも例外ではなく、無常に時計の針は、刻み続けています。
 
元気ですか?
 
僕は相変わらず、笑ったり、笑ったり、笑ったり、結局笑ってばかりいながら毎日を過ごしています。
あの日以来、泣いていません。
 
なぜ今頃になってこんなことを書き綴るのでしょう。
それは、思い出として、小さな木箱に仕舞う為です。
記憶が美化されないうちに、自分自身を合理化しないうちに。
傷が完全に塞がってしまった今だからこそ、
この記憶を、小さな小さな木箱に仕舞います。
 
夜はぐっすり眠れてますか?
この文章は、あの鉄のドアに向かって書いてるようなもので
反応が返ってくることは、これから先、ずっとないけど
 
僕は僕のまま
思うままに過ごしていきます。
僕は僕自身をすぐコトバで誤魔化すから。
表情で隠すから。
2002年04月17日(水)  ギターと金髪とシドニィ・シェルダン。
看護婦と美容師の妹がいる。
美容師の妹はともかく、看護婦の妹はすごく真面目で、勉強熱心で、
少々気難しいところもあるけど、趣味でギターを弾く。
 
この妹が、どういう人生の場面で、どういう人物と出会って、どのように感化されて
ギターを弾くに至ったかなんてわからないけど、
妹は、僕と会う度に車からギターを持ってきて新しく覚えた曲を演奏する。
 
曲の内容はともかく、妹は、あの生真面目な表情で、時々眉間に皺を寄せて
ハミングし、弦を弾く。
「この前より大分上手くなったね」
と誉めると、とても喜んで、また次会う時のために新しい曲の練習を始める。
 
もう1人の美容師の妹は、ギターは弾かない。おまけに部屋の掃除だってしない。
タバコは吸うし、時々酔っ払って僕に電話をかける。
「兄ちゃん、早く結婚しなよ」
なんて母親の前で余計なことばかり言う。おまけにトイレの掃除だってしない。
 
時々、聞いたこともないようなアーティストの中古アナログ盤を買ってきて僕に聞かせる。
ヒップホップ好きの、いかにもヒップホップなスタイルをしている彼氏がいるけど
数年前、とある事で僕が喧嘩を売ったらそれ以来僕の前に姿を現さなくなった。
まだ妹とは続いているらしいけど、妹は僕の前ではなぜか彼氏とヒップホップの話をしない。
僕は別にヒップホップは嫌いじゃない。
 
母は、典型的な放任主義で、兄妹がすることに何も口を出さない。
何も口を出さずに、映画と小説ばかりみている。
小説は溜まる一方だけど、僕とは作家の趣味が合わないので、母が読んでいる本は読んだことがない。
そして何か話をするたびにすぐシドニィ・シェルダンを持ち出す。
「そういえばシドニィ・シェルダンの本に洗濯をマメにする男は幸せな家庭を持つって書いてあったわよ」
なんて根拠のないことばかり言う。
 
母親はこんな調子で僕達兄妹を、ギターを弾く看護婦と、部屋の掃除をしない美容師と、
寝起きが悪い看護士に育てた。
 
父親の思い出は、少ないけど、それぞれの心の中に、それぞれの思い出が眠っている。
と僕は思っている。
2002年04月16日(火)  同罪。
鈴木宗男が僕の部屋に土足で入ってきて
「オマエも同罪じゃないか!」と僕を指差して叫んだ。
 
僕は同罪とか同罪じゃないとか別にどっちだっていいんだけど、
僕の部屋に土足で入ってきたことに対して腹が立った。
しかも宗男は自分の靴じゃなくて、僕のお気に入りのナイキのシューズを履いていた。
 
「人の物、履かないで下さいよ」
という僕の言葉を皮切りに、宗男との口論が始まった。
宗男は僕と同罪ということ、
僕はナイキのシューズを勝手に履かれたということを延々と口論した。
どっちとも自分の思っていることだけを言っているので話が全然まとまらなかった。
 
そしていつの間にか口論している相手が関根勤に変わっていた。
 
僕が見る夢の特徴は、
話相手が往々にしていつの間にか変化しているということだ。
そして変わる以前の人物と変わった後の人物の相関性は、あまりない。
 
日頃温厚そうな関根勤がすごい口調でまくしたてるので
僕はたじろいでしまって、結局僕から謝った。同罪ということを認めた。
ナイキのシューズは返してもらえなかった。
 
宗男がいつの間にか僕の背後に立っていて
「取り返してこい」
と言った。宗男はなぜか僕のお気に入りのVANのシューズを履いていた。
 
裸足で関根勤を追いかけた。
夢の中で、誰かを追いかけると、決まって足が遅い。
水の中で走ってるようで、全然追いつくことができない。
ナイキのシューズを履いた関根勤は足取り軽く、どんどん僕から遠ざかっていく。
 
追いかける僕。逃げる関根勤。
いつの間にか、僕は宗男に追われているという場面設定になっていた。
VANのシューズを履いた宗男がすごい剣幕で僕を追いかけてくる。
 
殺される。と思った。
僕の夢の特徴は、僕を追いかける人物は必ず僕を殺そうとしていること。
そして相変わらず僕は足が遅い。
そして必ず、深い傷を負う。そしてなぜか死なない。
 
悶え苦しむだけ。
 
宗男に刺されて、関根勤に同罪と笑われて、お気に入りの靴を2つも盗られた夢から目覚めて
 
朝日を浴びて背筋を伸ばして、今日もいい1日になるかしら。
なんて呑気なこと言えるわけがないでしょう?
2002年04月15日(月)  午後3時。僕も大好キ。
休日。朝起きて布団を干して、ソファーに横になり再び就寝。
午後3時。目が覚める。休日の半分を夢の中で過ごした。
 
夢の内容もひどかった。少なくとも休日に見る夢ではなかった。
職場のロッカーの中に大男が入っていて、その大男がロッカーから出てくれなくて、
僕はいつまで経っても白衣に着替えられないという夢。
やがて大男はロッカーの中で風船のように膨らみはじめ、ロッカー共々粉々に砕け散った。
結局僕は白衣に着替えることができず、なぜか上半身裸で仕事をした。
 
そして午後3時。
 
お腹が空いたので、彼女とお好み焼きを食べに行く。
午後3時の食事の誘いに彼女は少し嫌な顔をしただけで、外見上は、快く承諾してくれた。
 
お好み焼き屋のオヤジはラジオを聞きながら競馬新聞を睨んでいた。
僕たちの来店に気付くまでちょっとした時間を要した。
レースが終わるまでの間、僕たちは聞きたくもない競馬のラジオ放送を聞いていた。
 
レースが終わってから、小さな声で愚痴を言いながらオヤジは僕たちのお好み焼きを作りはじめた。
「畜生、やっぱりあの馬買っときゃよかったんだ」
などと鉄板に向かって言い続けていた。
 
その怒りを込めて愚痴を言いながら作ったお好み焼きはなぜかハート型。
頼んでもいないのにハート型。彼女はなぜか大喜び。
オヤジの持っている限りのセンスを込めた言葉がお好み焼きの上にマヨネーズで記してあった。
 
僕のお好み焼きに「大好キ」
彼女のお好み焼きに「ぼくも大好き」
 
恥ずかしかった。お好み焼き食べながら愛を語り合うほどお腹に余裕はなかった。
とにかくお腹が減っていた。早くこの忌々しいメッセージを消してお好み焼きをお腹に流し込みたかった。
彼女はなぜか大喜び。なぜ。
 
「いつまでも仲良くな」
オヤジはまるで人生を、恋愛を、悟りきったような口調でそう言った。
顔には笑顔が満ち溢れていた。先ほどまで競馬に負けて愚痴っていたオヤジとは別人のようだった。
 
彼女は大喜びだったけど、僕は少し不機嫌だった。
明らかに僕のお好み焼きのマヨネーズの量が少なかった。
 
「大好キ」と「ぼくも大好き」
 
「ぼくも」の分だけのマヨネーズが僕のお好み焼きには不足していた。
しかも「大好キ」と「キ」がカタカナ書きだった。
 
ハートのお好み焼きを真っ二つに割って食べた。
2002年04月14日(日)  追われるのは、厭。
なにもかも二つ返事でOKしてしまうからいけないんだ。僕は。
考えてから返事するんじゃなくて、
返事してから考えてる。これじゃ駄目だよ。
 
いや、返事してからも考えてない。
これは、無理だ。とわかってから、無理だとわかる。
とにかく仕事が多い。2日や3日じゃ終わらない。
 
昼休み、みんなが昼寝をしている最中も、
僕は終わりの見えない仕事を延々としている。
「頑張ってるねぇ」
「頑張ってます」
笑顔だけは一人前だ。
 
むむむ。
 
仕事は、家にだけは持ち帰りたくないけど、
持ち帰らないと明日の仕事が進まなくなる。
むむむ。書類に追われることなく、患者さんだけを看護していたい。
 
看護主任ってこんなものなのかな。
生半可、この歳で主任なんかに昇進してしまうと、やっぱり、駄目だ。
僕は、人を使うより、使われる方が向いているような気がする。
 
あーあーあー 面倒くさい。
 
明日も仕事頑張ろっと。
2002年04月13日(土)  38度の宿直室。
朝、職場の宿直室を開ける。
狭くて冷たい宿直室の小さくて固いベッドの上に青色吐息の後輩が横になっていた。
 
「夜勤の途中でダウンしたっス」
 
いつも元気と強引さだけがとりえの後輩が、目の下にクマを作り、唇をカラカラに乾かして
薄っぺらい毛布を肩までかぶり、僕を見上げていた。
 
「で、症状は?」
僕は何の感情も込めずに具合を訊ねる。
後輩を憐れに思う気持ちよりもも、僕は今から仕事なのに、未だに毛布をかぶって横になっている
後輩をうらやましく思ったり憎たらしく思ったり。
 
「下痢と嘔吐と頭痛っス」
今、病院では嘔吐下痢症が流行っている。後輩は日頃の不規則な生活が仇となったのだ。
「で、熱は?」
「・・・ないっス」
「測ったの?」
「・・・測ってないっス」
僕は後輩にバレないようにニヤリと笑う。後輩は、高熱があるという事実が、怖いのだ。
病は気から。後輩は高熱があるという事実に愕然とするだろう。
 
「はい、38度8分。重症ですね」
「マジっスか!?」
「病人に嘘なんてつけませんよ。ちょっと待っててね。Dr.に指示もらってくるから」
 
Dr.の元へ走る。なんだかんだいって後輩のことが心配なのだ。
いつも元気な後輩が僕に反抗しない姿なんて、なんだか不自然だ。
 
5分後、右手に点滴と注射、左手に血圧計を持って宿直室のドアを開ける。
「・・・なんっスかそれ」
「仕事道具」
「・・・注射だけは・・・やめて下さい」
「目の前に病人が横たわっていて注射をやめる?フン。そんな馬鹿な」
 
後輩の血圧を測り、点滴と筋肉注射を打つ。
仕事が始まっても30分おきに後輩の様子を見に行く。
なんだかんだいって後輩のことが心配なのだ。
 
「・・・先輩・・・ゴホッ」
「なんだよ」
「今日どこに飲みに行きます?」
 
こいつは必ず今日中に全快すると思った。
2002年04月12日(金)  名案、高笑い、つつく。
「電話があるでしょ!それ使うのよ!」
彼女は両手と瞳孔を大きく広げて、電話器を指差した。
僕も何のことやら全くわからずに電話器を見た。
 
電話器は隣の部屋に置いてある。
インターネットをするために電話線を繋げているようなもので、
僕の部屋の電話器は全く使われていない。
70年代のアメリカンテイスト溢れるアンティークな電話器はすでにインテリアと化している。
 
「この隣の部屋の電話器を目覚ましに使うのよ!」
彼女は、2時間残業してきたと言っているのに、とても元気だ。
「あなたはね、部屋の中に全ての目覚まし時計を置いているからいけないのよ。
4個もの役立たずの目覚ましを全部消してまわる大馬鹿者。
そんな大馬鹿者のために私は考えたの。隣の部屋の役立たずの骨董品を使おうってね」
 
彼女の名案は、毎朝部屋に電話をして、僕をわざわざ隣の部屋まで歩かせて
春眠暁を覚えさせようとしているのだ。
 
―――
 
最大の名案が発案された翌朝。
さっそく7時20分に隣の部屋の電話が発情期の鶏のように鳴きだした。
僕はもちろん布団の中。すでに部屋に置いてある7時にセットされた4つの目覚ましは命を失っている。
僕が丁寧に消してまわったのだ。
  
彼女の愛情も、朝7時20分にはきつい。
僕は電話の音が聞こえないふりをすることにした。
5分も電話を取らなければ彼女だって諦めるだろう。
 
枕に顔を埋ずめる。電話は鳴りつづける。
頭まで布団をかぶる。電話は鳴り続ける。
枕元にあったTシャツを顔にかぶせる。電話は鳴り続ける。
 
リリリリリン!リリリリリン!リリリリリン!
ヒステリックに隣の部屋の骨董品は鳴り続ける。
 
片目だけ開けて時計を見る。7時30分。
もう彼女は10分も呼び出し音を聞き続けているのだ。
聞き続けているから電話も鳴り続ける。当然というか、必然というか、僕にとっては不条理だ。
 
・・・・・(さらに10分経過)
 
片目だけ開けて時計を見る。7時40分。
負けた。僕は重い体を起こして隣の部屋まで歩く。
忘れていた機能に目覚めた骨董品に手を伸ばそうとしたその時、
 
長い地震がやんだように、突然電話が止まる。
・・・。勝ったのか?負けたのか?・・・勝ったかも。
いや、この絶妙のタイミング。
 
やっぱり僕は敗北者だ。
早朝の
人生の
恋愛の
敗北者だ。
2002年04月11日(木)  名案。含み笑い。つづく。
突然稲妻が落ちたように彼女の頭が光った。名案を思いついたらしい。
彼女はヒューズを付けていなかったので頭上に落ちた稲妻は逃げ場所を失って
いつまでも体内を駆け巡っていた。
 
いつも真実しか語らないその瞳にも、電気が流れていて、ギラギラと輝いていた。
「いいこと思いついた!」
彼女は喜びと電気を全身に走らせて、歓喜の表情で僕の手を握った。
 
バチッと僕の手にも静電気が走ったけど、彼女はそんな僕の様子を全然気にせずに
静電気で髪の毛を逆立たせてなお抱きつこうとしたけど
僕は丸焦げだけは避けたかったので、それだけは断った。
 
「えっとね!えっとね!電話!電話!」
 
彼女は入学式を終えたばかリの新入生のように興奮して同じ言葉を連呼した。
「電話がどうしたのよ」
僕は彼女のあまりの興奮した姿に押されてしまってオカマのような口調で言った。
 
「えっとね!あなたの部屋、電話があるでしょ!それ使うのよ!」
「そっか!電話を使うのか!」
「まだ何も言ってないでしょ!」
まだ何も聞いてなかった。
 
「あなた、私と付き合う時に絶対変わるからって言ったくせに全然変わってないでしょ。
変わったのは季節とテレビのドラマだけ。あなたは何にも変わっちゃいない。
髪の毛はいつだってボサボサだし朝は何時になっても起きようとしない。
そこで私は考えたの。電話を使おうって。電話であなたを変えてみせようってね」
 
彼女はどんなテレビドラマの「つづく」の場面に出てくる
次週への謎を残すような含み笑いよりも現実的な含み笑いを浮かべた。

つづく。
2002年04月10日(水)  燕。
このアパートに越してもう3年経つ。
今年も僕のアパートのベランダにツバメが帰ってきた。
 
ツバメが巣作りをする家には幸せが訪れるというけど、
少なくとも僕の部屋にはここ3年間、幸福の鈴は鳴り響いていない。
だけど、幸せじゃないけど、不幸でもない。
たぶん、こういうことが、幸せなんだ。
ボディーシャンプーが切れてから、石鹸の尊さを知るんだ。
 
今年もツバメは朝早い時間から巣作りに精を出している。
休憩するときは、電線に夫婦2羽揃って佇んで僕の部屋を眺めている。
僕の部屋はカーテンがないから
ツバメが止まっている電線からも僕の部屋が、僕が、それを取り巻くものが良く見えるんだろうな。
 
毎年ツバメがやってくる度に僕の髪型が変わっていることも
部屋の小説とフィギアが増えていることも
ソファーの色が変わっていることも
彼女が変わっていることも
みんな知ってるんだろうな。
 
ベランダにツバメの巣が完成すると、洗濯物を干す範囲が狭くなる。
 
一昨年はお気に入りのポロシャツの背中の部分にツバメの糞をつけたまま外出して
彼女に「何か黒いのついてるよ」と言われた。
僕たちはまだ付き合い始めて間もなかったから、
それをおもむろにツバメの糞とどちらとも言えなかった。
 
去年は夜に寝返りをうったら、昼間干したばかりの布団にツバメの糞がついていた。
 
それでも僕はいつか訪れるはずの幸せを信じて
その羽根が未来への翼の欠片だと信じて
その春風が新しい季節と可能性の始まりだと信じて
その糞が、幸せへの福音だと信じて
 
今年も僕はベランダに糞を落し続けるツバメを両手を掲げて歓迎した。
2002年04月09日(火)  見えないもの。見えてくるもの。
僕は3度の飯より子供が好きで、なんて書くと変な風に誤解されてしまいそうだが、
少なくとも、子供のためならご飯1食くらい抜いたって構わないという程度に子供が好きなのである。
 
僕が働いている病院の外来は、お母さんが子供を連れて来院するケースも少なくない。
入り口の自動ドアが開いて、お母さんと手を繋いだ子供が現れると僕の目は瞬時にして輝きだす。
そして仕事が全く手につかなくなる。
 
お母さんの診察中に、子供と遊ぶ。
 
僕は職員の健康診断の一覧表を作ったり
患者の内服薬の確認をしたり
飲み薬を調剤したり
点滴をセットしたり
処方せんを確認したり
5月の病院行事の予定を立てたりしなければいけないのだけど
 
そんなもの全部放っぽりだして子供の笑顔に合わせて笑う。
僕は小さい頃、病院のあの冷たい雰囲気と、暗い廊下と、消毒液の匂いと、
あらゆる不幸が滲み出ているような壁の染みが嫌いだった。
病院の入り口を一歩くぐると、足が震えて、表情が強張った。
看護婦さんの笑顔でさえ怖かった。笑顔の裏には注射が潜んでいた。
 
大人になって、看護士になって、嫌いだった病院で働くようになって、
病院が嫌いな子供達に会うようになって
子供達の前では薬も注射も傷の手当ても潜んでいない純粋な笑顔を作ろうと思うようになった。
 
僕の白衣のポケットには、いつもキャラクターのシールと、
ペットボトルについているようなオマケが入っている。
白衣と恐怖を結び付けないために、白衣=面白いお兄ちゃんと結びつけるために、
僕はあらゆる仕事を放っぽり出して子供と一緒に笑う。
時には手を繋いで病院のグランドを散歩する。
 
「桜、散っちゃったね。お花見行った?」
「・・・ううん。お母さんがね、病気だからどこにも行かなかったの」
「そうなんだ」
「ここもサクラいっぱい咲くの?」
「うん。毎年この広場いっぱいに咲くんだよ」
「じゃあ、ここでもお花見ができるんだね」
「そうだね、もうちょっと早ければここもキレイだったんだけどね」
「じゃあ、来年ここでお母さんとお兄ちゃんとお花見する!」
「ハハハッ。そうだね」
「お母さん早く元気にならないかなぁ」
 
右手には僕がくれたコンビニで買ったソフトドリンクのオマケを握りしめている。
花が散って新緑が見え始めた桜を見上げながら
傍らの女の子のお母さんが早く元気になるようにと2人で祈った。
2002年04月08日(月)  先生と呼んでみた。
彼女は僕の部屋に、分厚い書類の入ったバッグとノートパソコンを持って来た。
「今日は、仕事をさせて」
と言ってテーブルにノートパソコンを広げて仕事を始めた。
 
僕も職場から持ち帰った仕事があったので、
キッチンのパソコンに座って書類の作成を始めた。
 
雨上がりの月曜日の静かな夜の小さな部屋にはキーボードを叩く音だけが聞こえた。
時々「ガム食べる?」「ジュース飲む?」という会話以外、会話らしい会話はなかった。
 
彼女は日頃コンタクトを使用していて、メガネを全くかけないけど、
今日はメガネをかけて、時々口を尖らせて、頭を傾けて、ディスプレイを睨んでいた。
日頃メガネをかけない人がメガネをかけている姿を見ると、なんだか特別な気分になる。
彼女のメガネとノートパソコンと指先と普段着が、全て特別に見えた。
 
彼女より先に仕事が終わったので、ソファーに横になって小説を読み始めた。
「○年○組 学級便り」
小学校で担任の教師をしている彼女は学級便りを作成していた。
 
僕は小説を閉じ、天井を眺めながら
彼氏の部屋で、「学級便り」を作成する担任の先生について考えてみた。
僕が小学5年生の頃のメガネをかけたあのキレイな担任の先生も
夜になると彼氏の部屋でこうやって「学級便り」を書いていたのだろうか。
「もう少し子供に伝わりやすい文章で書いたほうがいいよ」などと言われて
頬を膨らませていたのだろうか。
 
そういえばあの時の担任の先生も、ちょうど今の僕達と同じ年齢だった。
あの先生も彼氏に嫉妬したり喧嘩したり嫉妬されたりしていたのだろうか。
 
何年経っても担任の先生は担任の先生であって、
何年経っても担任の先生のことを考える時の僕は小学5年生であるけれど
 
25歳の現在の僕は、どこかの小学5年生の担任である彼女が書く学級便りを見ながら
タバコを吸って、ビールを飲んでいたけれど、
突然、小学5年生の僕と25歳の僕が重なって、1つになって、
左指に挟んでいるマイルドセブンと右手に持っている一番搾りが不自然に思えて
タバコは灰皿にもみ消して、ビールは台所へ持って行った。
 
ビールを捨てて部屋に戻り、そこに立ったまま
「先生」
と呼んでみた。
 
彼女は自然にメガネの奥から僕を覗きこむように
「なに?」
と答えた。
 
僕の部屋に、あの頃のキレイな担任の先生が座っていた。
2002年04月07日(日)  米が異なった形で糞。
昨夜は彼女とインド料理を食べに行った。
僕達の隣には2人の本物のインド人がインドカレーとナーンとダンドリーチキンを食べていた。
 
彼女は隣のインド人をちっとも気にせずに、黙々とカレーを食べていたが、
僕はインド人が本当に美味しそうにナーンにかじりついているので、
気になって気になって、2人のインド人ばかりをチラチラみながらカレーを食べた。
 
そのインド人はナーンを食べたあと、心持ち優雅にナーンを掴んだ指をこすり合わせるので、
それがとても僕には格好良く思えて、僕もナーンを食べたあとインド人の真似をして指をこすり合わせて、
「ナマステー」
なんて言葉の意味もわからずに言ってみたが、
彼女はそんな僕の動作をちっとも見てくれず、聞いてくれず、
しかしインド人は僕の動作と言葉をしっかりと見ていて、聞いていて、僕をギロリと睨んだので
肩を縮めて、真似するのをやめた。
 
ダンドリーチキンのかぶりつき方も絶賛だった。
インド語(そんなものあるかわからないけど)で気の効いた(効いているのかわからないけど)
ギャグを飛ばし合って、互いに笑い合って、同時にダンドリーチキンにかぶりつくのだ。
 
僕はインドギャグはおろか、インド語もわからないので、雰囲気で察するしかないのだけど
ダンドリーチキンを食べるインド人という組み合わせが、
お寿司を食べる日本人という黄金律に思えて、「ビバ!インド!」などと心で叫んで
心の中でスタンディングオベーションで惜しみない拍手を送って
やっぱり真似がしたくなって、「ダンドリーチキンが食べたいなあ」と彼女に相談して、
メニューを開いたけど、2本で1600円という値段に驚き断念して、
一番安い2本で400円という何やら聞いたこともない肉料理を注文したら
コーラックを飲んでも駄目で、イチジク浣腸を入れてようやく2週間振りに
体内から排泄されたウンコのような肉のかたまりが出てきて興覚めしてしまいました。
 
日本人は昔から真似ばかりしてるからウンコなんだ。
2002年04月06日(土)  王様誰だい。
2日前ほんの軽い乗りで後輩に
「明日花見をしよう」
と言ったら、いつの間にか職場中に広がっていて「僕も私も」となって
とうとう「職場の花見」というかしこまったものになってしまった。
 
僕は後輩と同僚4・5人と小さなシートを敷いて、どこかで弁当とビールを買って
小さな桜の下でこじんまりとした花見をしたかったのだが、
人数が集まるとそれなりに系統立った計画を立案しなければいけない。
 
1人当たりの予算はどうする。バーベキューのセットはどこで借りる。
必要物品は何が足りない。おにぎりは誰が握る。
気になるあの子の横には誰が座る。
 
というわけで王様ゲーム。
僕達は往々にして会話に行き詰まると王様ゲームを始める。
「王様だ〜れだっ!!」
「いぇぇぇい!!」
同僚が元気よく割り箸に書かれた「王様」の文字を掲げる。
「2番が7番の・・・唇を奪うっ!」
 
キスは王様ゲームの王道。
僕は昔合コンで気になる子と王様ゲームでキスをして
お互いの距離が一気に縮まったという輝かしい思い出がある。
 
2番を引いてしまった僕は7番が手を上げる瞬間を待ち続ける。
「7番だれ〜!?」
「オレっっっス!!」お前かよ。
 
後輩が目を閉じる。
「閉じなくてもいいよ」僕が言う。
すると後輩は目を開ける。
「やっぱり閉じろ」僕が言う。
後輩は目を閉じる。変に素直なのが気持ち悪い。
 
周囲で花見をしている人達も拍手をして男同士の接吻を催促する。
大きく空気を吸って、息を止めて、勢いよく後輩にキスをする。
 
死に等しい接吻をした2人は
同時にビールを口に入れ、同時にうがいを始める。
 
「何やってんの?」看護婦さんが問う。
 
「アルコール消毒」
「アルコール消毒」
 
僕たち2人は同時に答える。
 
さすが医療職。
2002年04月05日(金)  雨降らぬよう。
僕はキミに、何も求めない。不必要な要求はしない。
求めるとか求めないとか。そういう支え合いは好きじゃない。
あなたがいないとダメとか、キミじゃないとイヤだとか。
そういう関係は、いずれ曇る。いずれ雨が降る。いずれ錆びる。
 
僕たちはいつまでも錆びない為に、雨が降らぬように努めなければならない。
雨が降らないようにするためにはどうしたらいいだろう。
答えは簡単。
必要以上に相手に我が身を委ねないこと。
身を委ねることは心地良いことかもしれないけど、そういう関係を続けていくと
往々にして、理想が先走ってしまう。理想が、現実を追い抜いてしまう。
 
その開いてしまった理想と現実との間に空間ができ、やがてその空間の空気が歪み、
青かった空が厚い雲で覆われる。そして、理想と現実の間に黒い雨が降る。
その空間に知らぬ間に佇んでいる2人は、空を見上げること以外何も出来なくなる。
絶望と、悲哀と、罪業と、落胆の雨に打たれて立ちすくむだけ。
 
だから、僕たちは雨が降らないように、現実と理想の隙間を作らないように、
常に手を繋いで、離れないように、
しかし、委ねないように。
 
左手で手を繋ぎ、右手に銃を持って。
2002年04月04日(木)  香り満ちて意思が消える。
香水をつけている女性は嫌い。と昔書いたような気がするけど、
それは嫌いということじゃなくて、
好きということを自分で認めたくなくて、嫌いと言っていることに気付いた。
いや、とっくに気付いていた。
 
だけど嫌いじゃないけど好きでもない。
僕は香水の香りに弱いのだ。
コンビニで立ち読みしている時にふいに横に立った女性の香水の香りや
カフェでテーブルをはさんでカプチーノの匂いと重なった香水の香りや
バーでトイレから帰ってきてテーブルに着いたときに香るつけたばかりの香水の香り。
僕は嫌いだ。嫌いじゃない。好きだ。好きでもない。弱い。
 
自分の中の何かが音を立てて崩れていくことがわかる。
道徳も、規律も、自制も、ある種の香りによって開放されていくことがわかる。
僕の部屋で誰かが静かに待っていようとも
受話器の向こうで誰かがうつむいていようとも
 
目の前に、僕を取り巻く空気に立ち込める香りに、目と鼻と心を奪われる。
 
罪悪感?何ですかそれ?難しいことは意味がわかりません。
良心?何ですかそれ?食べる物ですか?
 
目の前に、魔性の香りを漂わせて手招きされている状況で、
それに屈しない強固な意思を持っているのならば!
 
僕は今頃こんな人生歩んでいませんよ。
2002年04月03日(水)  左から3番目の春。
窓から見える左から3本目の桜が一向に蕾を開く気配がしない。
その桜の周りだけ時間が止まっているように、寂しく佇んでいる。
人々はその桜の前を通る度に、寂しげな桜の木を指差し、嘲笑っている。
 
窓からは桜の木が8本見える。
どの桜もこの季節を待ち構えていたかのように、大きく枝を広げ
力の限り花弁を開げている。
 
左から3本目の桜は蕾を開かない。
 
僕は朝目覚めるたびに、その桜を見る。
周囲の桜より一回り小さい左から3本目の桜は、
謙遜しているのか、躊躇しているのか、遠慮しているのか、それとも、枯れているのか。
 
左から3本目の桜が僕に話し掛ける。
 
――僕は日本の、花です。
 
左から3本目の桜が僕に話し掛ける。
 
――僕は日本の、花です。
 
僕は、言葉の本当の意味がよくわからずに、その桜を毎日見守っていた。
日本の花だったら、日本の木だったら、なぜ蕾を開かない?
なぜ周囲に同調しない?周囲に同調しない?
 
――僕は日本の、花です。
 
翌日、左から3本目の日本の花は、蕾を膨らませ、花を開き、花弁を散らすことなく、
外国人のような太い腕を持った人たちに、
切り落とされてしまいました。
 
左から3本目の日本の花は、静かに――その細い幹を切られている最中も――静かに
自らの春の訪れを待ちながら、
 
羽毛が僕の肌に触れるようにそっと――地面に横たわりました。
2002年04月02日(火)  壁際族。
看護婦さんに僕の口癖を指摘された。
 
「任せて下さい」
「大丈夫です」
「別にいいですよ」
 
これが僕の口癖。指摘されると、ああそうかもしれない。と思う。
この言葉は僕の仕事上の立場を如実に表している。
 
共通しているのは、全て肯定の意味の言葉ということである。
ある種の負担に対して述べられる僕自身の見解である。
 
この書類今日までに書いて欲しいんだけど。
「大丈夫です」
 
今度の委員会の司会して欲しいんだけど。
「任せて下さい」
 
こんな遅くまで残業しちゃって大丈夫?
「別にいいですよ」
 
僕は主任という立場にいながら、まったく下に対して指示を出さない。
「威厳なき主任」と後輩から言われようとも、「地位も名誉もなき男」と同僚から言われようとも
僕は全然気にしない。
 
ある仕事を頼まれて、上記の3つの言葉で、その負担を僕でストップさせる。
僕が全て受け持つ。抱え込む。吸収する。
殺伐とした空気を一人で吸い込み、無数の針が襲ってくるような刺激を一人で耐える。
 
僕が犠牲になって、世の中が丸くなる。世の中が丸くなって後輩がつけあがる。
 
「先輩、今日飲みに行きましょうよ」
「行かない。疲れてるんだ」
「ウソ!?メチャクチャ元気じゃないですか!」
 
相手にバレないくらいが丁度いいのだ。
 
僕の職場での立場は、「窓際族」じゃなくて「壁際族」なのだ。
あらゆる事象よ。ここから先は行き止まりだよ。
2002年04月01日(月)  お花見わっしょい。
休日、正午過ぎ、突然職場に呼ばれて書類作成。
別に僕じゃなくても書けると思うんだけどなあ。
と思いつつも口には出さない。
男は寡黙が一番なのだ。寡黙で小心者くらいが丁度いいのだ。
 
というわけで、僕はニットキャップに白衣というなんとも形容しがたい姿で
ナースステーションの隅で書類作成。
ニットキャップを外さないのは、髪型をセットしてないということと、
僕が本日休日である。という最後の抵抗。
 
書類作成が終わり、バスに乗り込む。
本日は、楽しみにしていた花見の日なのだ。
花見がなければ僕はナースステーションで頬を膨らまして憮然とした表情で書類を
作成していただろう。
 
参加者は、このサイトにもよく顔を出してくれる人達。
うーちゅん、DJさん、omiさん、MIUさん、アコマン☆、++R++さん、ハムコさん。
そして満開の桜の下、鳩の糞が背中に直撃した僕。
 
昼間の仕事の辛さも忘れそうなくらい(必死に忘れようとしてた)
飲んで、食って、焼いて、焦げる。
真っ黒なポテトチップのような牛肉を食べながら、
これは、狂牛病以前の問題だな。と思いながらビールと一緒に胃に流し込む。
 
網の上には溢れんばかりの肉と野菜。手作りのおにぎり。
空を見上げると、ライトアップされた桜。
 
傍らを見ると、横になっている好人物。その名はうーちゅん。年下なのに兄貴肌。
炭から発する煙の向こうに蜃気楼のように浮かんで見える好人物。その名はDJ。鋭い突っ込みが心地良い。
同じく煙の向こうに砂上の楼閣のように心持ちフラフラしてる好人物、ハムコっち。またの名を独居専業主婦。
桜の木を背にニコニコしている好人物、omiさん。ヘルニア疑い。というか確定。
この人がいなけりゃ始まらない的重要好人物、MIUたん。プロをも凌ぐ勢い的カメラマン。
トイレ行きてぇトイレ行きてぇと連呼しながら一向にトイレに行かない好人物、アコマン☆。しめじを顔をしかめて食べていた。
そして「躾」に厳しい好人物、++R++さん。なんだかすごく飲んでいた。なんだかすごくハムコっちと抱き合っていた。
 
そして帰りのタクシーで運転手に日本の桜の名所についてさんざん説明され、
意見を求められた僕。
 
一年中桜が咲いてたらみんな幸せなんだろうな。と思った。

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