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今日は腰の調子が凄く良かった。
しっかり腰が座ってる感じで、体にちゃんと中心がある感じで
どこにも負担がかかっていない気がして快適だった。

今日は帰りの電車の中でふと、
いろんな人のサポートがあって成り立ってるんだな〜
と感じた。

今日は普通に良い日だった。良かった良かった。

2002年09月30日(月)

ビールでも飲んで、のんびりテレビでも見る


昨日の夜、久しぶりに腰にお灸をした。
凄く気持ち良くて持病になった腰痛もすっきりしたんだが、
今日起きたら跳ね返りがひどくて腰が痛くて起きれんかった。

柔軟体操を少ししたら楽になったけどちょっとびっくりした。
コチコチにはってる筋肉をきゅうにほぐすと跳ね返りがあるのは
知ってたんだけど、こんなにひどいという事は、
それだけはってたという事だから、
普段腰に負担がかかるような事はしていないけど、
全然、完治していなかったんだという事に気付いてしまった。
ま〜しょうがない。

最近風呂上がりの柔軟体操もおろそかになっているから、
しっかりやらないと。

今日は一瞬、良い曲が出来そうになったんだが、俺の場合そういう時、
いつもわざと迷うというか、壊すというかそのまますぐに出来ないから、
ちゃんとした形になるまで時間がかかるかも知れん。

何も考えずぱっと出来た曲というのもいいのだが、
そういうのもずっと前から迷って迷って壊して来たものから
形をかえてすっと降ってきたものだと思うと、
曲作りで迷いに迷うのは後々にきっと別の形で降ってくるから、
焦る事はないのかな?

でもやっぱその都度「俺には才能が無いのかも?」なんて下らない事が
頭をよぎる。

もうそんな事はどうでもいいはずなのに。
才能がある無いじゃなくて,唄いたい。
ギター弾いて、メロディーに乗せ唄いたい。
それだけなんだが、その単純明快な素直な気持ちがメロディーとなり
言葉となるには
体の奥から湧き出るリズムが生まれて来ないとだめみたいだ。




2002年09月29日(日)

通じてる


今、アーニー・ディフランコのNEWアルバム
『ソー・マッチ・シャウティング/ソー・マッチ・ラフター』を聞いている。
生の感じが良く伝わるLIVEアルバムだ。
来日した時は、是非彼女のLIVEに行きたいと思う。

昨日まで風邪ひいてて、ちょっと気分良くなかった。
タバコは相変わらず吸い過ぎ傾向にある。

アコースティックギターとパーカッションとベースとバイオリンとか
オルガンの4人で音楽を作れれ俺は最高だ。
考えてみれば、初期のRCサクセションが理想に近いのかな〜。
う〜んまたちょっと違うな〜。

瞬間的な喜びを快楽を、瞬間的に味わいたい俺は、
飯食うのが速いのにも通じるけど、
どんどん酒飲んでどんどん酔払って行くのにも通じるけど、
友達とバカをするのにも通じるけど、
ステージに立って音楽をやる喜びにはどれもかなわない。

普段の俺はまだ、自分の本当にやりたいこと、
そのためなら命をかけてもかまわないと思える目標に辿り着いていない。
そしてそのことが一種の虚無的な気分に誘い込まれる時がある。


自分の人生をどこかロマンチックに考えている自分もいれば、
生活ってものは凄く現実的で、ちゃんと食べて、
寝て暮らしいくだけでも大変な事だと感じる自分もいる。
だからこそ、もっともっと世間を知りたい、もっと苦労して、もっと人間の
生活の全てを知ってその中から本当の自分を発見したい。

そう思ってこれまでやって来て、でもそれが解るのは30になる時と、
20代は俺は迷ったり、反対の方へ突っ走ったり、
無駄足踏んだりしてめちゃくちゃでやっていきたいと、思ってやってきた。
死ぬほどつまらない人も見て来た、その全く逆の人も見て来た。

そのなかで俺はこの世間でほとんど取るに足らない石ころのような存在でし
かない事を嫌という程、自覚し
そこから出発しないと、何も始まりはしない。

そんな風に感じる中で、ステージに向かう気持ちというのは、
ただの憧れだけで音楽をやっていた気持ちとは180度違うものがある。

ステージにあがる事が恐ろしく恐い。
嫌という感情であるわけない。
ただ恐ろしい。空っぽの中に身を投じるような、
未知のものに手を振れるような、底なしの所に足を踏み入れるような、
恐さ。

ただ「とけちまえ!」そう覚悟を決めると、
急に何もかもが遠い他人の出来事のように思えて、
それでも自分の唄を唄ってる自分がいる。口が動いてる。
手が動いてる。足がリズム刻んでる自分がいる。一直線な快感がある。

何もかもが音楽に通じている。俺は音楽を通じて何を手に入れたいのか?
解らない。考える事でもないのかも。必要がないのかも。

ただ、凄く単純で、あたりまえな事がどんどん、
どんどん奇麗に見えてくる。
透明に感じてくる。そんな心さえあば・・・・。

でも自分だけの力じゃそれは知らず知らずに霞んでいってしまう程、
厳しいから生きていかないと。

それは全部、音楽に通じている。抽象的だが音楽に通じている。
何もかもが。いろんな事全てが。
俺じゃなくて良い。音楽であれば今の俺はそれでいい。


・・・・練習もしないとね。




2002年09月28日(土)

裏拍


リズムを裏で感じると、とても乗りが出るんだなと思った。
頭から感じるのはその時の状況や精神状態やタイミングで今一乗れないまま
過ごしてしまう事があるけど、
1拍おいて裏にアクセントつけると、
どんな始まりでも自然とリズムがわいてくる、リズムが作れる気持ち良さがある。

何でもかんでも全力でやる必要はない。かといって
それは、手を抜くという事じゃなくて、テンションを下げる事じゃなくて、
裏でちゃんとリズムを感じていればこそ、止まらないリズムなわけだ。

どんな始まりでも裏から入って次につなげてその出方を見て
また裏でアクセントをついてローリング、ローリングローリング。

ひと呼吸ためて素早くシャープに打つ。

始まりが肝心というが、裏を感じながら始まりを踏み出すと

さらに良い始まりがあるんじゃないかな〜。

そしてたとえ始まりが悪くても次で立て直すんじゃなくて、裏で波を作る。

点を打つ。

そしてローリングローリング。

明日もあさっても。

よく「頑張り過ぎ。」と言われた事がある。
「一所懸命やって何がいけないんだろう。」と思ってたが。
それは休む事じゃなくて裏でリズムを取る事なんだな、

と28歳の未熟な俺は気付いた。

だからローリングローリングローリング。






2002年09月25日(水)

トライアンフ


今日の朝10時、電話が鳴った。

「よう〜、今からギター取りに行くけどいいか〜?」

鉄平は、俺の新しい新居にずっと貸しっぱなしだったレスポールJr.
を返しにもらいに来る事になった。

ずっと、借りてたのは俺の方だから俺が返し行くべきなんじゃないかと、
少し大人になった俺は、常識が身に着いてきた俺は思ったが、

あいつも愛車の鉄の塊『トライアンフ』にまたがって、
亀戸から我が家(吉川荘)がある、東小金井まで来たいらしく、俺も
きっとその方が奴のハートに喜びが芽生えて良い事だから、
思う存分俺んちまで冒険させてあげようと優しい気持ちになった。

鉄平は俺の新居に来るのは2回目だし
バイクで来るのは始めてだが、別に道も何も教えなかった。

「お〜待ってるぜ〜」と言った。

2時間30分後、野太いエンジンの音が遠くから響いて来て
すぐ近くで止まった。

鉄平はかなりの満足感があったに違いない。
俺の事を驚かしたかったに違いない。
家を出てから1回も俺んちに電話をかけずに辿り着けたのだから、
相当楽しい冒険をして来たに違いない。

携帯がなった、「俺今どこにいるかわかるか〜」と言わせちゃいけないと
思って「待ってたぜ〜」と言ってあげた。

鉄平と羽田とノリアキと俺の4人の仲は、いっさいの利害関係を排除し、
その日その時の思いつき、ひらめきで行動し、面白い事を企み、
間とか乗りとか空気とか波とかそんなところから生まれる思いやりとか
優しさとかを丸め込んで、認めあって腹から笑える親愛なる友だ。

鉄平はコーヒーを飲んだ。
俺んちのソファーに座った。タバコふかした。手を洗った。ユミちゃんと
喋った。「良く来た。」「さすがに疲れた。」「うまい棒食うか?」
「いらん」「あ、やっぱいる」「ドレッシングいるか」
「いらん。だって俺、家で飯食わね〜もん」「ほら」
「いらんっていってるだろ」「音楽何聞く?」「なんでもいいよ〜」
「良いの聞かせてやる」
「優しい口調で語りか〜ける〜君〜は南の街から〜やってきた〜」
机に頭ぶつけて苦笑。
「このスピーカーちゃんと4つからでてるの?」「うん」
「公園行こうか?」「良いとこあるんだよう」「行こうぜ」

鉄平のトライアンフと俺のレインドッグを走らせ武蔵野公園に行った。

丘に登って寝転んだ。誰かが飛ばした飛行機が木にひっかかって
みんなで取ってた。

何か鉄平が心にしみる良い事をぽつりと言ったが今は思い出せない。

甲州街道の入り口近くまでトライアンフとレインドッグでツーリングした。

8年前ならそのまま高尾山まで行き羽田とノリアキも呼んで朝まで、
たき火をして、陽が昇ったらまた走り出し、
そのまま八王子インターから大阪に行き、たこ焼き食って通天閣登って
夜が来たら暗闇を走り抜けヘッドライトに「
スピード上げてもこの暗闇をやぶる事は出来ないのかい?」って
話し掛けるのに。

と思いながら鉄平とお別れした。

無事に家に着いただろうか?
それにしても倒れたトライアンフを持ち上げるのはかなりの力が必要だった。

まだ羽田が俺んちに1回も来ていない。
なかなか4人集まるってことが最近ないが
ユミちゃんのハンバーグかカレーでも食いに来いよ。

鉄平!今日はあんがとな!!



2002年09月24日(火)


ヤッとわかった事があるならば、

俺は一体何様のつもりなんだよ。

全然甘い、その時その時、いくらマジと言った所で、

もっともっと深い所で追求してる人たちがいるって言うのに、

俺はたかだか何様のつもりだっていうんだよ!!!!!!!!!!!

酔っぱらってるだけなのは知ってる。酒じゃなくて、
もっと違うものに酔っているだけ。
そんな自分が好きとか嫌いじゃなくて、
そんなに自分を愛せない時期があったとしても、
自分はそう簡単に腐らないほど何にもないんだから、
ほんとは怖がる事なんて何一つない。何にも壊れない、何にもない。
さらけだしていこうか???なっ!

いくらだって出来るよ。頭下げる事なんて!どうでもいいのさ!!!!!!!!!
あ〜どうでもいい事なんて何一つなかったのです。
あ〜どうでもいい事なんて何一つなかったのです。
どうでもいいのさ!!!

大事なものは手放さない限りたとえ忘れていたとしても
どこにも行かないんだから。

ある時手放してしまうから、子供のときは子供らしい考えでいられたのに、
大人になったからってそれを放棄することなんて
何ひとつ無いのです。

あ〜どうでもいい事なんて何一つ無かったのです。



2002年09月22日(日)

スターパインズカフェで。。。


今日はハシケンのliveを吉祥寺のスターパインズカフェで見た。
沖縄民謡とソウルとスカと時にはジャズで、たまにはフォークで、
渋い所で60年代のアメリカンロックも取り入れた、
なんだかやたら自然に体が今まで踊ったことのないような、
そして足は刻んだことのないような動きを俺はしたくなって、した。
たとえ爆発的に売れてなくともスターパインズカフェぐらいのライブハウス
でずっと自分の音楽が出来る位置と言うのは、
きっと華やかな表舞台にいるよりも唄の大切さ恐さ深さを思い知るんだろうな、気付くんだろうな。
ストーンと抜けていく感じの,超越した感じのあの音楽は
沖縄民謡のメロディーが多分に含まれているせいもあると思う。

俺はと言えば、
はっきりとした思想と信念で生きているのではなく、
混沌とした状態の中で前後左右に揺れ動きながら、
かろうじて風の中に立っているだけで、なんか笑っちまうぜ。

おまけに疲れているのに気付かないぐらい疲れてたなんて
まったくおかしな話だ。

いずれにせよ、自分でおかした失敗を自分で尻拭いもせずに、
自分の責任をうやむやにして、どんな時でも自分で挽回しようともしない
完全にあきらめてしまった豚どもには、
全く関係のない話さ。
いるんだ〜世の中には。豚どもの方が多いいのかもしれないね〜。

ところで、あの10代後半、20代前半の小娘、野郎どもは、
元気でやっているだろうか?

友達っていいもんだぜ。尊敬できる人がいると言うことはいいもんだぜ。

お前らが成長している間に俺も成長してるし友達も成長するし、
尊敬するあの人も更に成長して、また別の世界へ踏み出すのさ。
まっ、豚どもには一生わかんね〜話だろうけど。
前後左右に揺れ動く心が、やっと見つけた
ものは、豚には死んでもならないぜっ。てこと。
そして願わくば、この前後左右揺れ動く心は
ベンジーの言葉を借りるとすれば
ガソリンの揺れ方であって欲しい。

鉄の塊にまたがって揺らしてるだけ、揺らしてるだけ、
自分の命揺らしてるだけ。




2002年09月20日(金)

NO TITLE


まさに、秋になったことを思わせる日がおとづれた。

春のように『やってきましたよ〜。』でもなく、
夏のように『どうだこの野郎〜!!』でもなく
冬のように『しばらくの間辛抱しててね。』でもない、
『太陽さん良く頑張ったね!さ〜そろそろバトンタッチしようか。』
と言っているかのように、ゆっくりと包み込むように
空を秋色に染めていく時に吹くこの風は、いったい何なんだう。

悲しくもないのに、むなしくもないのに、むしろ嬉しいのに、
涙が出そうになるのはいったいなんなんだろう。
そんな感情が、音になりメロディーを生み出し、
言葉を導いてくれると良いのだが......。

声にならない感情が唄になりステージになり、溶けていく。
そんな感覚をほ〜んの少しでも感じてしまったら、
普段の生活があまりにも
夢の中の出来事のようなきがして、

普通は夢だと思われてる世界が現実のようなきがしてしまう。
そしてドアをノック。今日もとりとめもなく、終わろうとしてる。

明日は明日の風が吹く。


2002年09月18日(水)

誰に宛てるでもなく


今日は、部屋の模様替えをした。
ギター弾いて、唄って録音するのに、より良い部屋にしようと思って。
結果、かなり気に入った。

おとといは、俺のliveだった。

ずっと音楽のことだけ考えていられた学生時代から、
もう何年も経とうとしている。

そして今もいやあの時よりも、意識は求めてる。

だが中途半端と言う言葉が、勇気がないと言う言葉が、
今の俺にはぴったりかもしれん。
おとといは、俺のliveだった。

今、欲しいのは、本気さ

なんだ。

そこに辿り着くまでには、まだまだ、乗り越えなければいけないものが、
たくさんある。
時間はまだまだあるからって、そうゆっくりしてられない年頃。

初めて味わう堕ちていく感じ。鬱でもなく、自己嫌悪でもなく、

堕ちていく感じ。

不思議な感情が漂う感じをしばらく保っていくんだな。

おもしれ〜じゃん。

俺の心が腐るのが先か、強くたくましく、ラフになるのが先か、
堕ちる所まで堕ちるのが先か、

漂って、彷徨って、そんな年頃もおもしれ〜じゃん。

やってやろ〜じゃん。

2002年09月17日(火)

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