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2005年12月19日(月)

ライトアップ

首は、少し良くなってきた模様。
左に首が回せないのに、寝る時は左向きじゃないと痛いという不思議。
早く治ってくれないと明日の歯医者も辛そうだ。

さて。
書いてない間の日記を。ということで、これは11日(日)の分。
母上からライトアップが綺麗よ。と散々言われていたので、暗くなるのを待って歩いて行ってみた。
このデジカメ。
どうも夜景となるとブレるんだよなぁ・・・

場所は支所前の通り500mぐらい?300mかな?
距離がイマイチ分からないけど、まぁ、そんぐらい。

支所前の木


支所前の公園の紅葉


左が川。正面はモノレール。ボーリングのピンが白く見えるんだけど、分かるかしら。


上の写真の場所から振り返って見た景色。


とまぁ、こんな感じ。

夜になると人通りも無い場所なのに、なんで今年だけライトアップしたのかは不明。
歩いて3分もかからない距離の間だけだけど、頑張ったなぁという感想。

っていうか、ライトアップされてないと、いかに暗い道か分かるぐらいのコントラストだよなぁ。
自分とこ(支所)のライトアップより、街灯増やす事を考えてくれよ。


↑えんぴつ投票ボタン。押すと何気に言葉が変わります。


2005年12月18日(日)

見舞い

なかなか日記を書けてない日があって、これは3週間も前の3日(土)の分。
祖母の見舞いに行って来た。
翌日にTやんが円覚寺に行きたいとか言い出したので、ちょい面倒になって車で行くべか?と思い立ち、その駐車場確認がてら北鎌倉経由で。

前日、母上に「鎌倉行くから、お婆ちゃんのお見舞い行ってくるわ」宣言したところ。
「私は行こうとも思わないわ」みたいな事を言われた。
何故にアンタは行こうと思うね?みたいなニュアンスで。
だので、「そりゃ、血が繋がってるからでしょう」と答えたところ。
「なに。なんか嫌な言い方だね」と返って来た。

んー・・・どこが嫌な言い方かいね?
孫である私の立場と、嫁という母上の立場では祖母に対する気持ちが微妙に違うのは普通でしょ。
と、思ったが。母上は血の繋がりっつーのに意外に敏感なのかもしれんと思い立ち、言い方を変えた。
「性格の問題じゃね?私は父上だろうが義理の兄だろうが、身内が入院してたら行ける限り行く性格じゃん。」
要は、私の自己満足だ。知っていて見舞いに行かないのは気持ちが悪いってだけの話だ。

この説明で母上が納得したかどうかは知らない。
っていうか、見舞いに行くのを誉められはしても嫌味を言われる筋合いは無い。
常日頃、母上は近くに住んでいるのに墓参りに来ない2号やらは、どういう神経してんのか?と私に問い掛けてくるのだけど。
私に聞いても分かる訳がない。理由なんて多分、無いと思うし。
どっちかっていうと、今回みたいに祖母の見舞いに行かない母上の方が分かるんでないか?と思う訳だ。
祖母がいるって分かってる病院の側に、何回母上は遊びで行ってたやら。
まぁ、行かないのは大人の事情なんざんしょ。

見舞いに出発する前に母上に一応電話をした。
翌日、お客さんが泊りに来るので家の中がバタバタしてるという理由で、やっぱり母上は来なかった。
断りはしたけど、誘われて母上は少し嬉しそうだった。
誘ったことで、母上の感じてた疎外感を消す効果はあったらしい。

祖母が点滴だけの状態になって、もう半年以上。
最初に入院したのは同じく鎌倉の別の病院。
その病院に母上が一人で見舞いに行った帰り、駐車場で料金を払っている最中に祖母と同居している父上の兄嫁である叔母ちゃんに会ったらしい。
目が合ったのに、声もかけずに病院を通りすぎた叔母ちゃん。
多分、そういう事があって。母上は祖母の見舞いに行く気が無くなったんだろうと思う。
でも、私にはそんな大人の事情は無関係なのだ。

入院は、1つの病院で3ヶ月が限度らしい。
だから祖母は2回転院し、今は3箇所目の病院にいる。
父上の妹である叔母ちゃん曰く、何の反応もしないとのこと。
逗子の病院に居た時は、介護の男性が何かとお世話をしてくれてたらしく、少し反応があったとか。
それも、今の病院に移ってからは無くなったと聞いていた。

行く前に病院に電話して駐車場の場所を聞いたけど、結局曲がる道を間違えて有料の駐車場に車を止めた。
中に入ると看護婦さんの姿も見えず。仕方がないので入院患者さんと思われる車椅子の人に入院病棟を聞いた。
2階だと言われ、階段を上がって部屋を探して見つけた。
祖母は、6人部屋の廊下側に横向きになっていた。

「お婆ちゃん。あるひ。」と声を掛けると私を見た。
父上の名前を出したら、さらに目が動いた気がした。
祖母のベッドに近寄って最初に目に入ったのは、鎖骨のところのテープ被れの痕。
「皮膚が弱いのは血筋なんだね。おとんも私も同じだよ。」と言ってみた。
髪がぐしゃぐしゃだったので、直してあげようと思ったが、自分の手が冷たいので少し暖まるのを待ってからにした。
そっと手を延ばすと、ちょっとビクっとしたから「髪の毛治そう」と言ってから、そっと触った。
顔の下になってる髪の毛が目に入ってるようだったので、「お婆ちゃん、顔上げて」と言ったら、頭を浮かしてくれた。
布団から出ている右手に、そっと触ったら手を動かしたので「いや?」と聞いたら「ううん」という反応をしたように思う。
首を振った訳でも、当然声が出た訳でもないけど雰囲気で。
手を触ると、握るような動きをした。力は入らないのか、実際には握れないんだけど指を動かした。

30分ぐらい、そのまま居たと思う。
また来るねと言って歩き出そうとしたら、体重をかけていた方の足の感覚が変になってた。
途中、看護士さんに「お花とかは迷惑ですか?」と聞いたところ、大丈夫といわれた。
でも、ここから花が売ってる店までは遠いので「今回は、いいんじゃない?」と言われたので次回は用意して行くことにした。
そう言えば、立っている私に看護士さんは椅子を勧めなかった。
もしかして、椅子自体無かったかもしれない。
長居する人はいないって事なのかも。

祖母が反応をした瞬間、一瞬だけ泣きそうになった。
今まで聞いていたように、何も反応が無いならば。何も分からない状態になっていたならば、その方が良かったと思った。
分かっていて、今の状態でいる事は辛いんじゃないかと思う。
私がいる間、祖母は眠らなかった。
ああやって、昼間はずっと起きてるのかな。夜はちゃんと眠ってるのかな。

店行くと、母上に聞かれた。
「反応無かったでしょ?」と言うので「反応したよ」と答えた。
「お婆ちゃんの肌、すごいスベスベなんだよねぇ。97歳で驚異的だよ。」と言うと、「だからしねないのかね」と返って来た。
素晴らしく無神経なので流した。
確かに、点滴だけで人が生きていられるなんて事を今まで知らなかったから、驚きはあると思う。
何かというと「心臓が強いんだね」と母上が言うのも分からなくはない。
でもさ、父上の時も同じ言葉言ってたよね。
その時も、どういう意味さ?と聞き返したい衝動にかられたけど口には出さなかった。
ま、良い意味で言ったんだろうと。
でも、祖母に対するそれは、ちょっとニュアンスが違う。
そんなになっても生きているなんて・・・って。
それは、悪い事なのか?

本人だって辛いだろうって人は言うけど、そうなんだろうか?
介護をしているお相手曰く「病院は、ずっと生かしておくから」と。
ならば、いっそ楽にって考える人が多いのかもしれない。
その手のことを言われる度に、「けど、そんなの本人じゃなきゃ分からないじゃん。」って私は毎回答える。
よく、「そんなになってまで生きていたくない」って言うけど、その状況になった時に本当にそう思うかな?

っていうか。
その状況になってる本人の意思が分からない状況の場合。
あとは周りの人間が、その人に生きてて欲しいと思うかどうかじゃないかと。
少なくとも私は祖母が生きていてくれてる事を感謝してる。
腰が重い私がお見舞いにいけた事を感謝してる。

ここまで日記を書いて、メモに入れたまま放置してた。
そのまま書きつづけると母上に対する悪態が並びそうだったし。

今、UPしようと思って読み返して気付いたこと。
祖母は右向きに寝てた。
かつて、父上が言ってたのを思い出した。
「お婆ちゃんに右を下にして寝なさいって言われてたから、どうしても直せないんだよな」
父上は、多分。右向きだと手術の跡が痛かったんだと思う。
それでも、母親に躾られた寝方を直すことは出来なかったと。
祖母が、そう子供を躾た理由は胃の為らしい。
消化するのに、右を下にした方が良いと祖母は思っていたんだろう。

それから、後日談として。
2号に用があってメールを出した時に祖母の見舞いに行った事を書いたけれど、無反応だった。
その後、電話で母上との会話を話したが、返ったきたのは
「だって、別にお婆ちゃんに可愛がってもらってないし」
だった。

確かに、祖母と私たちは家族っぽい触れ合いみたいなのは一切無かったし。
祖母と会話した記憶すら殆どない。というか、私の記憶の中で祖母との会話は父上の法事の時に車で送っていった時のものしかない。
多分、1つだけ他の姉妹より思い出が多いとしたら。
祖母が持っていたアルバム(黒い紙に写真を張る昔のアルバム)を貰ったことだろうと思う。
そのアルバムにせっせと写真を張る私を、父上は嬉しそうに見ていた。

父上は、自分に何かをしてもらうより母上に私達が何かをすることを喜んだ。
それと同じように祖母から貰ったものを大事にする私が嬉しかったんだと思う。
元々、親戚だとかそういう繋がりが薄い。
従姉妹だとかにも、小さい頃以来会って無いし。
父上の兄弟は仲が悪くて、同じ地域に住みながらも行き来があまり無い。
父上の法事の時に兄弟喧嘩してたぐらいに。
そんな中で父上は皆と繋がっていた。
その父上の気持ちが私には凄く分かる。

祖母の見舞いに行った翌日、Tやんと出かけた。
ライトアップされた紅葉の写真を何枚も撮った。
でも、その写真は全部消した。
私は怪奇現象とか、そんなの信じない人間だけど。
Tやんが私を写してくれた写真2枚に、明らかにそこに無い存在が写っているように見えたから。
撮ったTやんに何かがあるのか、写った私に何かがあるのか。
全ては気のせいなのだと思いたかったけど怖かったので消した。

その話を母上にしたら
「お婆ちゃんの見舞いなんかに行くからだ」
と言われた。

そうかなぁ。でも、違うと思う。
義兄の墓参りで、気にしてたのに別のお墓を掃除して手を合わせて。
お寺さんで紅葉を撮ってた時に、暗くて気づかなかったけど、そこにお地蔵さんがあったのでビックリして手を合わせて。
多分、原因があったとしたら、そっちだと思う。
お寺さんに行く前の写真もあったから、前者かな。

だけど、私は別に悪い事は1つもしてないし。
そういう意味では怖くは無いさ。



2005年12月16日(金)

ネック

ネックと打った途端に、後ろ前に部屋着ている事に気付きました。
暗がりで着替える時は皆さんも気をつけましょう。


♪起きているのに寝違えた。
 あるある探検隊 あるある探検隊♪

いや、ちょっと違う。

♪あくびをしたらムチウチに。
 あるある探検隊 あるある探検隊♪

こっちが正解。語呂悪いけど。
っていうか、あるある探検隊も古く感じるわな。
時代の流れは早い。

今朝のこと。
朝、5時過ぎまで起きていて4.5時間睡眠では足りずに30分ほど寝坊した。
近所のレンタル店が閉店になるってことで、サービス券を使いきろうとDVDを借りるは良いけど、見る時間が夜中になってしまい寝不足気味。

そんな寝不足の身体を目覚めさせようと、PCの前でノビをした。
あ、だから「あくび」っていうのも違うんだけど似たような動作ってことで。
手を上に上げて首を少し後ろにすくめるような体勢を取った瞬間。

バリバリバリバリ

うーん。ちょっと違う。
音として表現するのは難しい。
よく、肉離れっていうけど。音がするのなら、そんな感じ。
スペアリブとかの固い肉を骨から剥がすのを想像してみ。
それに効果音を付けた雰囲気だと思いねぇ。
まさに、その音が体の中から耳に届いたのだ。

そして、次の瞬間。
首があつーくなって激痛。
やっちまった!と思って、慌てて首をさするも痛さは増す一方。
こりゃ、ダメだ。
と、首をさすりさすり1階に降りると電話が鳴って。
それを何を思ったか受話器を左手で取って左の耳に当てた瞬間。
激痛。
私の首は左に回らなくなったらしい。
更に検証してみると、上も向けないらしい。

ということで、病院に行った。
レントゲンを4枚撮った。
体操の紙をもらった。
痛み止めの飲み薬は遠慮したので、シップを処方された。
そのシップが白くないし、薄っぺらいので驚いた。

レントゲンで撮った私の首は、案の定まっすぐだった。
先生曰く

「普通は前に向かって曲がってるんですけどね。」
「あるひさんの首は、真っ直ぐ後ろに反ってるんですね。」
「だから人より、こういうこと(ムチウチになること)が多いと思いますよ。」

ええ、多いです。私の首が人と違うのも知ってます。
もう、10年以上前に同じ事を同じようにレントゲンをとって医者に言われました。

シートベルトを取ろうとするだけで、首の筋を違えて激痛が走るし。
剣道を続けたかったけど、防具の重さと面の衝撃に耐えられなくて肩がイカれてやめたのも、この首が原因だろうし。
ってことで、物凄く自覚あり。
自覚ありだけど、まさか。まさか。
ノビをしただけでムチウチ状態になるほど弱いだなんてさ。

寒いのに首にシップを貼っているせいで、さらに寒い。
病院という風邪菌の多い場所に行ったのに、上を向けないせいでウガイができない。
運転は、かろうじて出来るけど左の確認が困難。

普段、首で頭を支えている事を意識してないし、かなり重い頭を支えてるってことも考えたりしない。
首がつかえないと布団から起き上がるのも難しいってことも知らない人は知らないだろうし。
無意識に使ってるけど、結構大事なのだよ。首ってもんは。
まぁ、それはムチウチじゃなくて、顎下腺を取る手術をした時に知ったのだけど。
首を切ったから、力が入らないっていうか入れちゃいけない状態で。
自分の手で頭を持ち上げるっつー、有り得ないことをしてる自分が面白かったさ。
手術跡は、10年以上経っても触ると不快だし。蒸す季節には荒れるし。

首がネック。
って、言葉にするとダジャレ言ってるみたいで変だなや。

とりあえず、お医者の言う通りに首を動かさず。
っていうか、動かせないぐらい痛いしなので大人しく痛みが引くのを待つばかり。


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2005年12月03日(土)

ガラスの森

前ページの続き。
戦国原の後は、これまた母上の勧めでガラスの森へ。
蕎麦屋さんにあった100円割引券で、入場料は大人一人1200円。

ガラスの木。光ってしまうので、写真は難しいなや。


館内から窓越しに撮ったガラスのツリーとガラスの木たち。


このツリー。3-4枚、外で撮ったんだけど背景が勝ってしまう状態でボツ。
このツリーを背景に、かわりばんこにオバ様達が写真を撮っており。
さぞかしキラキラして綺麗に写ったかと思われる。

背景が無ければ、まぁまぁ綺麗に撮れるみたい。


等身大(?)のサンタさん。


煙突によじ登るサンタさん。本当に建物の上の煙突にいたのさ。逆光だったのが残念。


紅葉と書いて「もみじ」と読む。


池にいたカモ。カメラを向けたら、こっち見た。


このカモ。
最初は2-3羽だと思ってたんだけど、グルリ館内巡って出てきたら20羽ぐらいいた。
途中で、何かされたのか「グアー」と鳴く声が数回、響いてた。

母上へのお土産に、コップと箸置きを購入。
ガラスのコップで軽いものは4-5千円以上したので、当然普通の重さの方を選んだ。
それだと千円以内で買える。
箸置きは、2個で2千円ぐらいした記憶。
物凄く欲しかったガラス製品があったんだけど、1万5千円もするから止めた。
っていうか、その日の私の所持金は1万円。
帰りには3千円に。

感想は・・・
個人的には彫刻の森の方が好きだな。
展示品が変わるっていうなら、また行っても良いかなとは思うけど。
入場料が、あの広さの割には高い気が。


2005年12月02日(金)

戦国原

相変わらず仕事バタバタ。
明後日、寺巡りに行く為にデジカメ内の写真を出さねばということで。

11/22(火)に箱根に行って来た際の日記です。
9月後半ぐらいからススキを見に行きたいと言っていた気がする。
1回は雨で流れ。1回は仕事で流れ。1回は風邪で流れ。
やっと念願の戦国原ススキ三昧に行けたのが、この日でした。
しかし。恐れていた通り、既にススキはフクロウが作れる状態。
つまり、ボサボサ。黄金色に輝くツルツルしたススキが見たかったなぁ。

朝、10時に我が家を出発。いつもより早起き。

海には船が沢山出てました。西湘バイパスを走る車中から。


箱根到着。とりあえず腹ごしらえってことで、母上お勧めの『はつ花』へ。お蕎麦が美味しいと有名らしい。本館は一杯だったので別館へ。


私が注文した天ざる。量がちょっと足りないけど、天麩羅も美味しくて満足。


腹7分目くらいで店を出て戦国原へ。

車道からみたススキ畑。ススキだらけ。ススキ三昧。とりあえず矢印のメイン通りらしき場所まで行く。


メイン通り到着。山に向かって左風景。


山に向かって右風景。


平日なのに、結構な観光客の数。
みんながメイン通りを行く中、このどちらにも進まず・・・

山に向かって(矢印の方向)進む。道無き道って事は無いけど、道とは思えないススキだらけの中をばく進。


直径1.5mぐらいの空間で一休み。ぐるりススキに囲まれ空を眺める。って、そんな悠長なもんじゃないけど。


少し進んで振り返ると紅葉がはじまった山々。


さらにばく進。矢印の場所がメイン通り。小さく人も見えるでよ。


分かり辛いけど、かなり上まで登った模様。
下から子供の「あんなとこまで行ってるよー」という声が聞こえて、ちょっと御満悦。

調子こいて、さら奥地へ。矢印が人の頭。
いかにススキに埋もれてるか分かるかなぁ?



と、ここで徐々に怖くなってきたので引き返すことに。
なんか埋まってても、なんか出てきても不思議じゃないぐらいのススキ三昧なんだもの。
なんせ、枯草をかき分けて進む状態なもんで当たって痛かった。
枯れる前に来たかった・・・と思ったけど、元気なススキ状態だと葉っぱで手を切ったかもしんない。
それに虫くんも元気だったかもしんない。
なんか、見たこと無い蜘蛛とか歩いてたし。

っていうか。
いい歳こいて、何を子供みたいに突撃してんだかって話しな気がしなくもないが。
でも、一応道らしき跡がある訳で。
最初にこの道を作ったのは、どんな人かいね?という問いに

「先輩!俺、行きます!」

っていう特攻野郎だという答え。
なんとなく、納得。

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