日々のあわ
あかり 



 ポケットの中のあかちゃん

ずいぶん前の日記に、探し本のことを書きました。

自分でもすっかり忘れてしまっていた頃に一通のメールをいただきました。
その方は、「もしやこの本では?」とご自分の手元にある本を教えてくれました。


【ポケットの中のあかちゃん】宇野和子著

です。

もう、私のキーワードは水色の本でキノコのランプが描いてある。それしかないわけです。
それでも胸はドキドキワクワク。
内容を教えてもらったら、ますます読みたくなりました。
もしも違う本だとしてもこれは新たな出会いです。
すっかり、「ポケットの中のあかちゃん」そのものに興味がわきました。

多分当時そんなに本文を熟読したわけではなかったと思います。
本の雰囲気や異次元の世界に行く通路にともるランプなどのディテールに強く魅かれていたんだと思います。
既に絶版。3年前くらいに再版されているものの、今では手に入らないらしい。

ならば!と、子供達をつれて図書館へ行きました。そして、いとも簡単に見つかりました。
しばらくジーンとしてしまって動けませんでした。

これです。まさしく。

間違えありません。どうして「長靴下のピッピ」だと思っていたんだろう。「の」しか合ってないじゃないか。
絵にも描けるほど覚えていたキノコのランプは裏表紙にちゃんと描いてありました。

一ページ目からぐいぐいひきこまれます。
子供の世界です。夢の世界です。
大事だと思っているもの、人、思い出、恐れているもの、憧れているもの。様々な子供の世界がちりばめられています。
子供の目から見た世界。「そうだった。そうだった。」と懐かしく思い出したりしました。


成長は苦痛を伴う。
古い価値の喪失や幻滅なしには、新しい価値の誕生はありえない。(解説より)


成長は素晴らしいこと。
でも、子供の頃のことを思い出すのも大切かもしれない。

教えてくださった、michouさん、本当にありがとうございました。

2004年02月25日(水)



 なぜ僕はここにいるんだろう。

“白く滲んだため息に知らされる時を繰り返しながら
 ふと思うのさ
 なぜ僕はここにいるんだろう。”

【瞳の住人】


ラルクの新曲が出ました。

私も日記にちょろちょろと書いていますが、
彼らの音楽を聴く人の中には、その詩のファンもかなり多いと思います。

それは相当奥深く、これだけでも十分いけるんじゃないの?と思うほどで、詩人だと思っています。
ダブルミーニング、曖昧さ、アイロニー、情景描写、その世界観。

今回のリリックは甘いだのストレートだの言われ、そのことで悲しくなるファンも居るようですが・・・。
(確かにとっても甘いけどね(笑))
ハッピーエンドの詩でがっかりしている、私もどうかとおもうけど。
幸せでくやしぃーっていうんじゃなく、誰もが描けるハッピーな世界じゃなくて、それでもどこか冷めている
裏の見方ができる詩がすきなんだってことですね。

私は、自分にリンクする部分だけで十分(これがかなり多いのだもの。)なので、
深ーく深ーく読むことはないです。
読めば読むほど幾通りのもの解釈ができるし、それが狙いでもあるんじゃないでしょうか。

“雪のように空に咲く花のもとへ”

「あぁ、また逝っちゃったよ・・・あの世で結ばれるといいね」
ともとれるし、

「え?お花見に連れていってくれるのん?うれしぃーッ」
ともとれるってことですね。

どっちでもいいけど(いいのか?)、

“僕には今もきっと何かが足りない”
とか
“なぜ僕はここにいるんだろう”
とか

もうどこか満たされていない感じや欠けた感じがかもし出されていると、ついつい、
「う。やられた・・・」と思ってしまうのですよ。私は。

2004年02月20日(金)



 ジギー・スターダスト

夫JGはロウテクでアナログな人。
かなりの音楽(ロック)好きなのに、オーディオ関係は興味がない。
が、ある日突然、DVDが欲しい。と言い出した。

ふぅん、と聞き流していたのだけれど、(←自分はPCで見られるからこんな気の抜けた返事しかしないひどい妻)
「再生さえできればいいの。観たいライブがたっくさんあってさ、最近みんなDVDなんだよね。もうほんと、買おうかな?」と。
うん。買えばいいよ、いいのに、我慢しなくって。と、悪いがちょっと可笑しくなる。
ホントはDVDレコーダーがいいけど、まあいっか。
ということで、今頃再生だけできるDVD買ってきてテレビにつなぐ。

買ってもソフトがないんじゃかわいそうなので
丁度世の中バレンタインデェだったので【レザボアドックス】のDVDをあげた。
あーでもない、こーでもない、といじりまくってたどり着いた特典映像、かくし映像など堪能するJG。
(うちでは取扱説明書など誰も読まない。我が家の電化製品、きっと使える機能が80%は眠っていると思われる。)

で、翌日。
「はい。ホワイトデーだよ。」と、私にもソフトをくれた。
・・・って、ホワイトデーってさ、バレンタインデーの次の日にくれるものなのか。笑。
そんなことはいいんだ。中身よ、中身。
なんと!

【ZIGGY STARDUST 】 by DAVID BOWIE

 ひゃっほぅ(嬉泣)

(あなたも欲しかったんでしょ?とはあえて言うまい:笑)

もう、この一枚は私のマザーミュージック。刹那的な声と、これぞロックな曲たちに加え、あのヴィジュアル。
レコードもビデオもCDも持っているけれど、DVDサイコーッ!
映像にどんどん引き込まれました。この声。このパフォーマンス。くぅー(←言葉になってません)

実は先日、衛星放送でボウイのライブがやっていて見ていたのですが・・・。
確かに60歳(?)には見えないかっこよさ。最新のアーティスト写真なんてくらくらしてしまいました。

が・・・なんだかへん。

今の曲を歌ってるならいいんです。でもね、歌っちゃったんですよね。ジギー・スターダストを・・・。
もう別物で、歌の上手いほかの人が歌っているようでした。

当時のグラムロック全盛期の妖艶なオーラ、刹那的な声・・・。えぇ、別物なのはあたりまえなんです。
60であれだとかえって恐いです。
べつに同じものを求めているわけではないのに、思わず「ヴォーカルって哀しいなぁ・・・」と言ってテレビを消してしまった。

唯一張替えのきかない楽器とはよく言ったものです。
しかし、ミックが今サティスファクション歌ったってこんなふうに思わないのに、なんでだろう。
それだけあのときのボウイは異彩を放っていたということか。

ちょいとこの世のものじゃないオーラですもんね。
(って、私こういうの好きだなぁ。あはは)
煌びやかなロックステージ。恍惚とステージを見つめる婦女子にトランス状態の若者達。
何処をとっても魅力をぎゅっと凝縮したような映像です。

夫よ、ほんとにありがとう。
よかったね。DVD買って。(笑顔)

と、こんな日記書いている午前1時。横で今日はクラッシュのDVDを観てる。
しばらく寝不足の日々が続きそう。

2004年02月16日(月)



 さようなら。

祖父が他界しました。
数えで99歳でした。

とても穏やかな顔で、眠るように亡くなったそうです。
約4年ぶりに見た祖父の顔は今にも目をあけそうな、笑いそうな、温かい顔でした。

「おぅ、おぅ、椿か。元気か?おじいちゃんがいい人紹介してやるからな。」
ってもう長男Rを産んだ後も言われてました。
なんだかずっと心配されていました。私。

結婚式にもなんとか出席してくれて、
「おーい。何言ってるのか聞こえないぞぅー」
と披露宴会場で叫んで、おじさんに外に連れて行かれちゃったりもしたこともありました。

5年前に祖母がなくなったのですが、
それでもずっと「おい。おばあちゃんはどうした。」と何度も何度も聞いていました。

痴呆症だったので、私の父と母アキさんが中心になってずっとずっと介護してきました。
その大変さは想像を絶します。
でも祖父はアキさんがダイスキで、とても信頼していました。

大往生ということで、お疲れ様。ということばが一番先に口をついて出たのだけれど、
思わず声を出して泣いてしまったのは、お骨と一緒に祖父宅に足を入れたときでした。
子供の頃から何一つ変わっていない鎌倉の古ーーい家。
本棚に並ぶ本も、いとこの子供達が集まった時にキリンレモンを飲んだきりこのグラスも、
ヤモリがはりつく台所の窓も、将棋の台も、何もかもが30年くらいずっと同じままで息が止まるかと思うくらいでした。

だけど、祖父も祖母も、もういない。

さようなら。おじいちゃん。
またおばあちゃんと一緒になれたね。お疲れ様でした。

あ、そうそう。おじいちゃんの学生の頃の写真を見ましたよ。
ものすごいイイ男でびっくりしました。色男です。
そういえば、おばあちゃんとは小学生の頃の同級生でしたね。
よく得意げに、
「おじいちゃんはとてもモテたけど、おばあちゃんは泣き虫でな。俺が居ないと全然駄目なんだ。だからもらってやった。」
と言っていましたね。
なるほどね。これならばモテるわね。と今更ながら思ってます。
あ、それから、私、もうイイヒト居ますから。大丈夫です。安心してください。

椿




2004年02月14日(土)



 666初日

ソロライブツアー初日。行ってまいりました。
自分はしっかりと落選組だったのに、ご親切な方に拾われました。ありがとう、Nさん。

evergreenが、「動」になってました。(わかる方だけわかってください:笑)
「静」のロックが「動」になってました。
ものすごくかっこよくアレンジされていて脱帽。
ライブを意識して作った曲たちはもちろん生き生きとしていて鳥肌がたちました。
わずか2,3メートル先で、頭振ってギターかき鳴らしたり、絶妙な転調で歌ったり、
うれしそうに笑ったり、高慢ちきな顔して見渡したりしてる姿に心鷲づかみでしたよ(またか)。
そしてよもや生で聞けるとおもっていなかったあの曲も。ちょっと震えました。
曲順もMCもあんまり覚えていません。(覚えようともあまりしない。)
が、アルバム曲全曲に前作からも3曲,C/W2曲に、昔のスペシャルな1曲ですよ。そんなに沢山聞けたのに、
ぼーっとしてところどころしか思い出せず、なんだか悔しい。

よく友人達に、「そんなに好きなアーティストがいていいなぁー。」と言われます。
うんうん。今夜はかなり自分でもそう思いまいした。

その才に惚れてしまってからまだ5年くらいしかたっていないけれど、
きっと私、ずーっと五感フル活用で追い続けると思います。
そーんなことを思った一夜でした。
お腹いっぱい胸いっぱい。はふぅ。

帰り道、友人からメールが届く。
「どうだったー?」って一言。
なので、興奮冷めやらぬ私は呆れられることを重々承知で

『両手の親指と人差し指で四角を作ってその中に歌ってる姿を入れてみた。そのまま持って帰りたかった(本気)』

と、返信(笑)。

笑われると思っていたのに、意外にも帰ってきた返事は、

『昔「きつねの窓」という童話があったの。すすき野原の向こうにきつねがやってる藍染めの店が
あるの。両手の親指と人差し指を藍色に染めて窓をつくると、なつかしくて好きな人や風景が見える、と言う話し。
手を洗ったらとれちゃって、もう1度染めに行くんだけど、もう、そのお店はなくなっていました。。。。切ないでしょ?』と。

どんなシーンでもそうですね。
もう二度と会えない人とか、今はもうない風景とか、再現不可能な瞬間。
だからこそずっと心に残るのだと思いました。


2004年02月09日(月)



 手ぶらでスキー!じゃなくて雪遊び。

「スキーしないとスキー場って行ったらいけないの?」

スキー未経験者の椿さん、こんな質問をJGにする。
そんなことないよ。キッズゲレンデとかあれば、子供たちも遊べるよ?
という答えをもらったので、
いざ、行ってきました。スキー場。


とにかく雪がみたかった。雪で遊びたかった(私が)。
子供たちも絶対喜ぶはず!

JGには無理やり土曜日だけお休みをとってもらい、日帰りで行ってきました。
車で走ること4時間半、雪山に近づくと本当にワクワクしました。子供たちも大騒ぎです。
ゲレンデについて、子供達のウエアをレンタルし、スキー靴履いた皆様にまぎれて
長靴で雪遊びに繰り出す4人!
スキーや雪に慣れている人には笑われそうですが、もうね、何もかもが新鮮でおおはしゃぎでしたよ。(含む私)
子供達はそれぞれソリをもって、もう涎をたらさんばかりの勢いで雪と戯れます。
「夢中」って背中に書いてあるねぇーとJGと大笑いして見いました。





まっさらの雪の上にばふぅーっと大の字に寝てみる。空から降る雪が顔にどんどん落ちてくる。
もう動きたくありませんでした。気持ちいい気持ちいい。
横でJGが「そういえば、椿ちゃん、前から『スキー場行きたい』って行ってたね。よかったよ、来て」
といった。

え?私そんなこと言ってたっけ。うーん、うーん、瞼の上で溶ける雪を感じながら考える。
・・・・・それって、21才くらいのときだよね・・・・。
10年以上かかってやっと実現。
ずっと足を怪我する可能性のあるものは避けていたから、スキーもスノボーもあきらめていたんだった。

「今度スノボーしようかなぁー」という私に、
長男R「え!やめなよー。だめだよー。危ないからッ!さっきソリでも転んでたじゃない」
と心配される・・・・。
そんな長男、父にマイそり(my橇)を買って!とねだっていた。あはは。
今度は絶対自分のそりを持ってくるんだそうだ。
「スキーにしたら?」と言っても「うぅん。ぼくはソリやるよ!」と目が輝いていた。可笑しいぞ。
次男はひたすら雪で団子を作って両親と兄に配る。それから黙々と穴を掘る。熊の子みたいだった。

まもなく吹雪いてきてしまったので4時間弱で引き上げました。
楽しかったね。
今度は一泊温泉つきで来たいと思いました。
車に乗ると、JG以外の3人ともほっぺたが真っ赤で笑われました。

子供達は車が走り出して3分もしないで眠ってしまいました。




2004年02月07日(土)



 何が大切か。

先日書いた日記を読んでくださった方が、

「贅沢な時を過ごす友人の存在もまた、大切ですよね」
という言葉を届けてくれました。
まさにそうですね。時間と同じく人の存在も大切です。
共有できる人があってこそ、ですね。

また、
「機が熟すのを待つ」という言葉を届けてくれた方もいました。
そうそうそう。このことのなんて難しいこと。
それからしばらく、無理して時間を作るのではなく機が熟すのを待つ。ということについて考えながら、ふと気づいたのですが、
私にはその反面で、
「会えば解決するわけではなくとも、もし相手がそれを望むなら会いましょう。」
という気持ちがあるということです。
難しい。複雑だわ。とても。
詰まるところ、相手が何を望んでいるかをきちんと察して助けてあげられればそれが一番なのかな。ということです。

考えるきっかけをくれた方々、ありがとう。

2004年02月05日(木)



 贅沢な空き時間。

ずっと、
「そのうち時間をつくってゆっくり会いたいね。」と、
言い合っている友達がいる。
社交辞令ではなく、本当に心からそう思っている。
顔を合わすことはあれど、ゆっくり語り合う時間がない現実。
今週も結局時間がとれず、また今度・・・ということになって、何気なく彼女にメールをした。

「なかなか会えないね。お互い忙しいね」というようなことを書いて。

さっき彼女から返事が届いた。
「椿ちゃんのことこんなに好きなのに会えない。
好きな人と好きなときに会えないのは辛いね。時間の振り方って難しいね。」と。
はじめ冗談かな?と失礼にも思った。
だってちょっと照れてしまう。
が、違うんだ。ほんとうに彼女はS・O・Sを発信している気がしてしまった。

ゆとりがないと「忙殺」されてしまう。思考回路も麻痺してしまう。
そんなときは吐き出さないと自家中毒を起こす。

ここで恋愛真っ只中の恋人同士のように、無理や犠牲をはらって時間をつくり会うことだって可能だろう。
だけどそういうことではない気がする。
会えば解決することではなくて・・・。
なんていったらいいのかな。

たとえばこれが、
「なかなか会えないわねー。忙しくて嫌んなっちゃうねー」
「ほんとよぅ。来月には絶対会おうね〜!それまでお互い頑張ろう!」
というようなやりとりだったら別にこんなに考えなかっただろう。

早く「ふぅ」と落ち着いてお茶飲みながら語り合いたい。
そんな時間、無理して作るのではない自然な空き時間が待ち遠しい。
今はそれがたまらなく贅沢な時間のような気がする。

よし!
「ちかいうちにきっと手に入る、他愛もない空き時間。そんな贅沢な空き時間を共に過ごすために明日も頑張ろう。」
うん。そう返事をしておこう。

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『鬼はぁ〜そと〜。福はぁ〜うちぃ〜』

子供達の時間の流れはゆっくりで、
規則的で真っ当で。
それはとても安心するリズムで流れる。



 
赤い鼻がポイントらしい(笑)






2004年02月03日(火)
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