日々のあわ
あかり 



 ポイポイ星人蔓延る。

常日頃、何事も「一概には言えない」って思っていて、
良くも悪くも、本当の意味で「その人の立場には立てっこない」と思っていたりするので、
人様のことをどうこう言うことは普段の生活ではあまりありません。それってどうなのよ。と思うことは沢山あるけれど(笑)
そのままなんとなく消化することが多い。
というか、自分のことで精一杯で意識が行かないのかもしれないけど。

でもね、マナーの悪いのはいただけませんね。
まぁ、電車でお化粧するお嬢さん方をみて呆れてしまうけれど、「ちょっと、あなた、やめなさい」とは言わないが。
しかし!ポイポイゴミ捨てだけはゆるせません。その神経もわかりません。えぇ。

<見知らぬ小学校推定2年生>
公園で、小学生の男の子が目の前でお菓子のゴミを投げ捨てた。
おーい。
すぐさま私は「ねぇねぇ。こんなところに捨てたらだめだよ。ゴミ箱すぐそこだから捨てておいで」
といった。その子は一瞬ぽかんとした顔をしたけれど、すぐに「はぁ〜い」と言ってゴミを拾った。
3歳の次男Kが「こっちだよ!」とゴミ箱まで案内していって、ついでにお菓子をわけてもらった(笑)。

子供に対しては、人の子も自分の子も悪いことは悪い。と、つい言ってしまうので見知らぬ人だと親に怪訝な顔をされることもある。でも、子供だから。子供はそうやって覚えていくものだと思うから。
サザエさんに出てくるような、悪がきどもにゲンコツする近所のオヤジはすっかり居なくなっちゃったけど、少なくとも私の周りには人の子も同じように注意する大人が普通に存在します。
心強い限りです。

<年齢的にはもう大人なはずの人達>
私が通う仕事場のあるビルに隣接して某有名デザイナー学校があるのだけれど、
そこの生徒のマナーがひどい。
私が通うビルの屋外共有スペースに常にたむろしている生徒達は、そこでコンビニのお弁当なんかを食べているんだけれど、その日もあたりまえのように食べた後のゴミをおいていった。
ベンチの上にカップラーメンのカップ。ちらばる割り箸。風に舞うビニール袋。
一瞬目を疑う。彼らはほんとうにそのままにして立ち去っていった。
小学生に言うのとわけが違う(だってもういい大人でしょう。)のでちょっとドキドキしたけれど、
「ゴミ、忘れてるよ?」と言ってみた。
ほんとは「ゴミはゴミ箱に捨てましょう。って習わなかった?こどものときにッ」とかもっと言いたかったけどなにせ小心者なもので(苦笑)
中には小さく悪態ついた人もいたみたいだけど、一応「へぇ〜い」とか返事をしてゴミを持って帰ってた。

<競馬場にくる恐いおじさん>
あー。もう、ここに来る人、とにかく捨ててるでしょ。はずれ馬券とかさ。
なんでかなぁ。周辺にはいたるところにゴミ箱があるのに。電車の中にだって捨てちゃうのだ。
信じられない。
子供達つれた目の前でぱらぱらーんと紙くず捨てられた日にはいったいどうすりゃいいのだ。
この周辺は大きな気持ちの良い公園があるので、よく来る。
でも帰り道しょっちゅうこんな場面に出会ってしまう。あぁ。
この場合、そんな方々にはいちいち声はかけない。ごめんなさい。だって恐いから。
以前、機嫌の悪い知らないおっさんに通りすがりいきなり頭を小突かれた長男R。親子共々すごくびびった。
子供達が一緒で逆恨みされそうな場面ではついついその場から去る方を選ぶ。
あー。親としてどうなの?って思うけど、これは本能で避けてしまう。

なんでこっちがそんな思いをしなけりゃならんのだ。腑に落ちない!
とにかくさ、やめましょうよ。その辺にゴミをポイポイ捨てるのは。
こればかりは、「あぁ、ゴミ箱がなかったのねー。そういうこともあるわよねー」なんて絶対思わないからね。
ほんとにもう。頼むよ。

2003年11月28日(金)



 SWEET VANILLA

【SWEET ANILLA】
発売前ですが、ラジオの音源をものすごいヘヴィーローテーションで聴いています。
ゆがんだ音、ディストーションのかかった声、「believe me」の連呼。
ぞくぞくした。
そして、どろんどろんと嵌ってしまってます。
今朝も聞いていたら、一瞬ぱっとある光景を思い出しました。

むかーし、渋谷の裏道を歩いていたとき、向こうからなにやらオーラを発している人物がこちらに向かって歩いてきていた。
全身黒で背がひょろりと高くて、一瞬「鮎川誠か?」って思ったけどちがって、目の前にきたらなんと、ニック・ケイヴだったので、驚きのあまりしりもちをつきそうになったことがあった。
大好きだったんでね。ニック・ケイヴ。
なぜだかわからないが、その、すっかり記憶の彼方にいってしまっていた光景がつるんと蘇った。
なんでだ?なんでだ?

雰囲気が似てるのかな?この曲の。どろんどろんどろん。

で、さっき読んだ雑誌でインタビュアーがニックの名前をだしていたのでびっくりした。

私はもっぱら音楽は感覚で聴いていて薀蓄を語ることなど到底できない人なのでよくわからないけど、全く違う人の音楽で他のアーティストを思い出し、しかもそれがダイレクトに「曲が○○っぽい」って思うんじゃなくて
映像がながれるみたいに昔の光景を思い出したことが不思議で面白いなあ。と思った。
遠回りしてやっと気づくってかなり鈍いけれどね。

それに、よくいう「〜に似ている」ってちょっと嫌な表現だわ。そんな感じじゃないんだよなぁ。
うーん。
「〜を思い起こす」っていう感じがあうかな。
などとまたぼんやり考えながらMDをリピートする。
もう、何度も。何度も。

2003年11月27日(木)



 生活する身体

先日の舞台の写真ができていた。

あ・・・・れ?

日常生活で自分を客観的に見る機会ってあまりないから、
ビデオや写真で自らの「動き」を確認する作業は面白い。
「踊っている」っていう日常生活の動きとは全く違う動きを、
じっと見る。
穴掘ってもぐりたいほど恥ずかしいのも、
知らなかった自分のことを知って驚くのも、
他人事のように身体のパーツを研究してみるのも、
自分の周りの空気を離れて見るのも、
全部含めて面白い。

で、写真をみたんだけど。
あ・・・れ?

ちょっと自分のたくましさにびっくり(笑)
以前は細い腕が嫌で衣装では絶対それがわからない衣装を選んでた。
うすっぺらい上体が嫌いでアバラ開いて太く見せてた(大間違いの踊り方です)。

が。

今回ノースリーブの衣装だったんですが、たくましかったなぁ。二の腕。(笑)
でも悲しいかな、やっぱりその方が様になる。

フラメンコを踊っているとよく言われた。「もっと太りなさい」って。
手首が細すぎるってなことも言われたな(苦笑)。今思うとそりゃないよ。って台詞ですね。
確かにね、そのほうが格好がつきやすい。あの頃、先生が何を言わんとしているかはわかってた。

でも・・・なんとなくそんなことじゃないような気がするよ。
太ればいいってもんじゃないと思うよ。
踊りを休んでいた6年間で私は毎日のように子供を抱いてた。
そりゃぁたくましくもなるもんだ。たまたま私はそんな毎日だっただけで
人それぞれの生活でそれぞれの身体ができてゆく。
そうやって、生活して身体を作っていくっていう事なんじゃないかなぁ。

バレエのように夢のように重力を感じさせない踊りと違って、土に足がついてる生活の中の踊りだから魅かれた。
喜怒哀楽を思う存分表現する生身の踊りだからひきつけられた。
そして、10年以上前に自分の身体に四苦八苦していたことも思い出して懐かしくなった。

今は身体も過渡期な気がする今日この頃。



2003年11月25日(火)



 ヒトアタリ

飲めそうで飲めない。
歌いそうで歌わない。
強そうで弱い。
弱そうで強い。
優しそうで冷たい。
タフそうで病弱。
冷たそうで熱い。
社交的そうで人見知り。
穏やかそうで毒舌。
早そうで遅い。

人と付き合って少し時間が経つとこんなことよく言われます。
はたしてその実態は?ってな感じで、本もMDも家に忘れた日の通勤電車でふと自分のことを考えてみたりもするけれど。
わからないものですね。

ここのところヒトアタリをしてすこしへこんでおりました。
ふと、友人に、
「まったく人ってわからないねぇ。疲れるなぁ。人付き合いって難しいわ。今更だけど」なんてぼやいたら、
「え?何言っちゃってるの?ヒトアタリ?ひとみしり???
うっそー。次々にいろんな人落としてるのにー」(爆笑)
と笑われました・・・・。お、落としてるって・・・・。
番長か。私は。

例えば5,6人ひとが集まったとして、「てきとーにたのしくー」っていうのが苦手なのでつい引いてしまう場面が多いと思います。
楽しそうな輪の中で一人しらけている自分。(でも顔は笑ってたりするからたちが悪い。)
“集団の中の孤独”ってのを一番好むタイプですね。それだけはなんとなくわかる(笑)

と・・・まじめに考えるのもなんだか疲れるので、
バカボングラム判断テストなぞやってみた。

ぷ。
はい。わたしはイヤミでした。しーん・・・。
・・・・あんたになにがわかるのよ。ボンボン。

2003年11月19日(水)



 仲直り。

今日は選挙で外出して本屋行って帰ってきただけ。

休日の昼下がりの午後。
ちょっとしたことで長男Rを叱った。
Rは泣きながらも「だって○○なんだもん」とか
「でもさ、○○だったからさ・・・」とか
言い訳をした。
だから私も「でもそれは○○でしょ?」「○○だったあなたがいけない。」と言ったあと、
めそめそ泣いているRの言葉をソファーに座って聞きながら、
うっかりうとうとと眠ってしまった。
(ひ、ひどいよね?ごめんごめん)

10分くらいたって、はっと目を覚ますと、私の左肩に頭を乗せて次男Kがすやすや昼寝をしていた。
右の太腿には長男Rの頭が乗っている。
睫にまだ涙がのっかったまま眠っていた。

シーーーーーン。
部屋中がすごい静か。
湿った寝息がスースー聞こえる。
外はゆっくりとやわらかい雨が降っている。

あぁ。きもちいい。

ぼんやり床に目を落とすと『お絵かき先生』(磁石のペンで砂鉄の入ったボードに絵を描く道具)がころがっていた。見ると、
「ごめんね。まま」と書いてあった。

はぁ。と、心の中でため息ついて、
そういえば、なんにも予定がなく、ずっと子供達と家に居る休日はひどく久しぶりなことに気づく。
しばらく何も考えないで薄暗い部屋のなかでじっとしていた。

腕と腿が痺れてきたので(笑)、ゆっくり立ち上がる。
子供達はまだすやすや眠っている。
それから私も『お絵かき先生』に、「もういいよ。」とお返事を書いた。
これじゃあ叱ったんじゃなくて喧嘩したあとの仲直りみたいだなぁ。と思いながら。




*************************

「HORIZON」プロモラッシュにすっかり乗り遅れてます。
雑誌はなんとか逃すまいと、投票の帰りに本屋へ行った。
表紙を見て思いっきり緩みそうな顔をむりやり知らん顔に戻して1冊手に取る。
次男Kちゃん、『ポケモン大百科』なるものを大事そうに抱えて「僕これに決めた!」と。
いいよ、じゃ、買おう。レジに向かう私の手の中の雑誌を見て次男Kは言った。
「それ、はいどくん??はいどくん大百科なのッ?!」
しー、しー、しぃ〜〜ッ!声がでかすぎます。Kちゃん。
恥ずかしいからやめてん。しかも、大百科って・・・(笑)
いやしかし、いいな。大百科。図解、解剖、解説、考察・・・・・(妄想)

2003年11月09日(日)



 スロースターター

私はずっとスロースターターだった。今もそう。

なんでも遅い。物事に目覚めるのも遅い。事を起こすのも遅い。
運転免許だって2年前にやっと取った。
人生のデビューは高校卒業してからだ。と思っている。
それまではあまりにも閉塞的な環境だった。
だから人様の日記とかで20代前半の方の考えていることとか生活っぷりだとかに触れると驚愕することが多い。私からするとかなり早熟(笑)

そしてたまに一回り近く年がちがう人なのに、ものすごく共感してしまう人がいて、画面に向かって「そうよねぇー」とうなずいたりする。

別に遅くてもいいと思ってきた。物事にはそれなりの時期があると都合よく思っていた。
が。現実、年齢制限とか前途の可能性だとかはだんだん厳しくなってくるわけで。


先日やっとの思いでフラメンコに復帰したわけですが。
意外だったのが、私の中であの舞台で
再出発の鐘がゴンゴン鳴ってしまったんですよ。
結構達成感とか脱力感とかでだるだるになると予想していたのに。

そんな時、10年前に私がスペインに短期遊学していた同時期に、こちらはちゃんと留学されていたある一人の踊り手さんが雑誌にどどーんと特集されている記事をみた。
うわぁ。私より年下で同じ時期に同じ場所で頑張っていた(私も一応頑張っていた)のに、その方のフラメンコを求める貪欲さや真剣さや切実さ。そんなものを文字で読み取っただけで苦笑いしてしまった。
しかも彼女、「もうこんな年になってしまった」と焦っておられる。うーむ。

なんと私のゆるいこと。

言葉も一切話せずに行った無謀さ(行けばなんとかなるっていう勘違い)、
近所のおじさんと片言で世間話しただけで終わった日もあったな。
練習よりもバルセロナまで足を伸ばして観たExhibitionに興奮したり、せっかくの本場の歌を聞くチャンスを平気で逃したり、
あまりの孤独感に「帰りたいなぁ」などと思った日もあった。

あれはあれですごく貴重な体験だったし、欠かせない体験だったけど、
「フラメンコを勉強しに行く」には早すぎたのかもしれない。
現に、レッスンの思い出よりも、出会った人との思い出、混沌としていた自分自信のこと、その辺に落ちているように転がっているARTたち。そんなことばかりが残っている。
ええ。それが私にとってのだったんですけどね。

で、この期に及んでゴンゴン鐘が鳴ってもなぁ・・・・・。

人生にケツ捲くってスペインに行け!

いやいや、そういわれてもねぇ。
行けないし、行かないよ?私は。
今はそれこそ時期じゃない。(そう思っているから常にスロー)

いつかのその日のためにできる土台作りに励むしかない。
スロースターターは「その時」がくるまでが長いんだ!

といっても・・・「その時」に足腰立たないんじゃ悲しいよなぁ。

2003年11月05日(水)



 夫について。

突然だが、
私には偏った情熱がある(時に自分でももてあますくらい)。
時にとても不毛な熱だったりもする。

それは、「誰かの人」(誰かの妻、誰かの母、誰かの部下、あるいは上司、誰かの子供・・・etc)ではない
自分だけの情熱であることが多いのだけれど・・・。
それにいきなり水をかけられると非常に腹が立つ、というか窮屈になって泣き叫びたい気持ちになる。

JGはそういうことをしない人だ。
それを受け入れたり黙認したりしてくれることにとても感謝している。

私が言うのもなんだけど、JGはいい男だと思う。
男気があって非常に誠実。愛妻家で子煩悩。
って、いくら自分の日記でもここまで書くとなんかヤナカンジだが・・・なんせアホ妻ですから(笑)
しかし、私が彼について思うとき、一番に思うのは今書いたことではなくて、一般的には欠点と言われるようなところが
一番愛しいなぁと思うのだ。

彼にはひじょーに「抜けている」ところがある。「欠けている」というのかな。
具体的に何が?と上手く言えないけれど。間抜けているところがとてもよい。
外の顔は知らない。前の会社がつぶれて失業中だったときも、仕事を評価されて表彰されちゃうくらいだからきっと頑張ってるんだと思われる今も、
うちでの顔はあまり変わらない。
でも私はその調子で頑張れなどと言う気はさらさら無く、
「ずっと抜けたあなたでいて下さい」って言いたい。
あ、でもこれは本人ちっともわかっていない天然物なのできっと止してくれッって言っても直せるものではないんだよな。


私がいったい何故この人とずっと一緒に居るか。そんなことをなんとなく考えるとやっぱりこの点なんだと思う。
かく言う私も「どこか一つ細胞が欠けてる」(友人談)らしい。
きっとそれは世間迷惑な欠け感。
JGの抜けたところとビミョウに違う部分。
・・・・お互い凹凸で補ってやっと人並みか。

感受性が近いと人は魅かれあったりするものだと思うのだが。
果たして感受性が近いか?というとそうでもないと思う。
熱かったり冷たかったり腹黒かったり小心者だったりひねくれていたりする自分とちがって
フラットな感じ。公平な感じ。それにどれだけ救われてきたか。

音楽や映画の趣味はかなり近い。
「たまんねぇなぁーコイツ、勘弁してくれよ」とテレビに突っ込むのも「うわ。これ、すんごいカッコよくない?」と
心揺さぶられるのも、「やってらんないね。いったいどうしちゃったんだろう」と落胆するのも、
「うへぇー、子供の寝顔ってたまんないねー」と馬鹿になるのも、反応するポイントが非常に近い。
それが日々の生活に高濃度で潤いを与えてくれる。
感受性などと言うほどでもない、もっと平凡で取るに足らないこと。

なんだか全て「これでい〜のだぁ〜」とバカボンパパのように言いたくなる。これってとても大事。

私の「個人的な情熱」について追記すると、
“いきなり水をかけられて腹が立つ”まえに思いとどまり、“窮屈になって泣く”まえに熱がさめる。っていう相手がいる。
それは子供達。
まだ小さい息子達。
下手すると「自分の情熱をもって大いなる人でなし」になりえる私も、
彼らを踏んだり蹴ったり(使い方間違ってますか)してまで成しえようとは思わなかったのである。
それに気づいたとき、実はひそかに胸をなでおろした。よかった・・・。

JGの話にもどるが、
今朝はいい天気で、でも寝坊して、でも洗濯干してなくて、私は残り10分を化粧するより洗濯干しを選んだ。
JGはすかさず、「ありがとう」って言った。うれしい。やってよかったって思う。が、よく考えれば私がしなくたって彼がすればいいはずだ。
でも私は自分でやる。腑に落ちないはずなのになんでこれでいいのか?疑問に思ってふと顔をあげると、パンを焼いて子供達に食べさせる姿がみえた。全てを分割できやしない。
どっちがどれだけやっているか、言い出したらきりがない。
(私のほうがやっているに決まってるが。)求め出したらきりがない。

私は、こんな家事うんぬんよりも、自分の情熱(個人的な)に水をかけられることが一番嫌だ。ムカつくし窮屈で泣きたくなる。
でも、夫はそれをしない。だからほかの事は相当なぶん譲歩していると思っている勝手な私。それでバランスが取れているんだと思う。


2003年11月04日(火)



 心の記録

人でも物でもあまり大袈裟なものって好きじゃないんですが。

何て言うか・・・今日はあえて言っちゃっておこう。自分の日記だしいいか。


****************

戦って参りました。
進むしかない橋をなんとか渡って参りました。
自分の事をひたすら信じた一日。
自分の力量を思い知った一日。
悔しさと喜びで複雑に泣けた一日。
たくさんの愛をもらった一日。

どんなにヘッポコでも、

私、踊ることができてよかった。

以上。

2003年11月02日(日)
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