日々のあわ
あかり 



 蝉の抜け殻

保育園の帰りにいつもの道を通ろうとしたら、
長男Rが急に、「今日はこっちの道からかえろうよ」と後ろから急に言った。
「なんで?いいけどさー」と言いながら曲がりかけた道を戻って、遠回りして帰った。
そうして、初めて通る線路脇の砂利道を自転車3人乗り(笑)で、
よたよた走っていたら、
すんごい高齢のおじいさんがぼやーーーんと立っていて、
通りすがりに、「お母さん。ご苦労様。大変だねぇ」って声をかけてくれた。
日々忙殺されている私には、こういったお言葉が胸にしみるのだ。

結構、高齢の方って「昔はもっと大変だった。」とか、云々といわれる方が
多いのだけれど、たまにいるのよ。こういう、戦争を知っている世代の人で、明らかにそれだけで今より大変だっただろうに、
ちゃんと私ごときに労いの言葉をかけてくれる方が。

うれしくて、テレながら「いえいえ。」なんて言って走り出したら、
後ろから「おーい。」ってまた、そのおじいさんが呼ぶの。
長男Rが「おじいちゃんが何か言ってるよ!!!」と教えてくれて、
再び止まったら、そのおじいちゃんが、長男Rの手にそっと蝉の抜け殻をのせてくれた。

なんだろう。もうすぐ夜の暗闇になる手前の時間で、その光景がとても幻想的で、不思議な出来事だった。
長男Rが急に遠回りして別の道を通りたかった理由はこれなの?
って思ってしまうほど。

世の中には小さいながらも美しい光景はたくさんありますね。


2002年08月27日(火)



 特別な存在

「人間は実はとても弱いものだ」

ということを本当に受け入れること。
そして、

「自分が自分としてこの世に存在するだけで特別な存在。」

だと知ること。

以前一緒にフラメンコを踊っていた友達が私に言った。
今は自分が特別な存在になりたいだけで、自己顕示欲だけで、
踊っている人が多いと嘆いていた。
そうかもしれない。私だって無我夢中で踊っていた頃はそうだった。
とても、「存在するだけで特別」とは思わなかった。
もっと。もっと。と求めていた。
自己顕示欲の塊みたいな踊りでは、
音楽に耳がいかないんじゃないかと思うよね。今では。

なんでだろ。フラメンコ以外では実に自然に、
「誰か私をとめてくれ」ってなくらい純粋に好きになって求めるのに。
自分を通して表現するってことになると無駄な力が入ってしまう。
再び踊り生活再出発する暁には今までの私とは違うスタンスで踊りたいと
つくづく思った。
ま、5年も靴はいてないんだから、すべて一からスタートですね。

そうそう。
先日、長男Rは、豪雨が地面にたたきつけられているのを見て、

「ママ、雨がお星様みたいにキラキラ跳ねてるよ!」

って大興奮していっていた。
子供は感性豊か。すてき。すてき。
子供に対しては「存在するだけで特別なんだよー」っていえるのにな。




2002年08月21日(水)
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