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2007年06月23日(土)
2001.09.29 am10:30

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街を抜けて車で小一時間も走れば、そこはもう立派ないなか。道路のわきの名もない公園の駐車場に車を停めて、山の中へ続く舗装されてない道に踏み入る。どこへ続くとも分からない道で迷いそうなこの感覚はいい。刈り取った稲の藁を焼くこげくさい香りが風に運ばれて鼻先をかすめる。道の角では養分をたっぷりと含んだ湿った土の匂いがした。道は舗装された小路に続いており、道沿いはなじみの深い日本的な家屋が並んでいた。青や赤のトタンの屋根。30分ほど歩く。雲量は4から5といったところ。幸福な空と雲と風がある。

苦行を経ないで悟ったシャカになったような、青の時代を経ないでキュビズムを描いてしまったピカソのような、絶対的な感覚と不安の入り混じった変な気持ちが肺をぐるぐるとまわる。支えるものがないけれど、これ正しい。否定もできるけれど、これ良いことだ。天と地の気をつなぐ依り代になったような、宇宙意識の端末になったような、後で説明するとヤバめの感覚に浸りながら自分では冷静にこの状態の描写を書き取ることができないことを残念に思いながら歩き続けていた。

道の角のカーブミラーはつくられた理由以上の意味を持って存在していた。厳然と、すごい存在感を持って。「ある」ということそのもののようだった。すごかった。ひとりで立っていた。そこに僕が映っていた。真っ正面に立つということから逃げ出したくなるほどだ。見下ろされた。何だろうあの感じ。垣根の向こうからすっくと伸びて空を指した2本の竹竿。さっと飛んで方向を変えたトンボ。誰かに僕の脳の正確な翻訳、もしくは素敵な意訳をしてほしかった。誰かって僕しかいないのだが。僕は読者というもう一人の僕に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。言葉になったものはあまりにもつたない。

道端に重要指定文化財旧奈良家なんて柱が立っている。茅ぶきの屋根だが立派な造り。公開されているらしく受付の窓口がある。裏に回ると蔵や離れが。しばらく見てまわって帰ろうとすると、受付のところで若い職員らしき女の人が動いているのが見えた。ちらりと見えた顔の洗練された化粧や制服が、場にそぐわない感じだった。村上春樹なら、また村上龍なら、彼女とどんな会話をさせるだろう、などと考えた。でも彼らはきっとこんなロケーションを選ばないだろうとも思った。

勾配の急な坂をのぼって高台にでると墓が立ち並び、そこから潟が一望できた。水面を渡る風が光を運んでくる。カメラを持ってくればよかった。心の中におさめるなんて言っても絶対に薄れてしまうものだ。そして忘れてしまう。だから写真はよい。大脳の神秘を信じて、深部に情報を閉じ込めてためておくことにした。自由には取り出せないけど、死ぬ間際にこの美しい情景が目に映ればいい。

車のほうに戻ってきて、公園の屋根のあるベンチでこれを書いている。ノートはもってきていないからレシートの裏に書いている。シャーペンは車に常備している。どこにいても何か思いつく僕にはかかせないものだ。ならノートも置いておけ?僕はレシートを信頼しているのだ。車やシャーペンやレシートや、こんな無駄な原っぱを、無駄だと思わずにつくってくれている文化というものに、感謝の気持ちがある。この時代に生まれてよかったと思っている。どの時代に生まれてもそう思うようでいたとも思っているけれど。未来を少しでもよくする使命を僕たちは持っているのだろうか。

散歩をはじめた午前8時50分ころ、この世に今僕ほど幸せな人間がいるだろうか、と静かな気持ちで思ったのだが、そんな人はあふれるほどにいるということもわかっていたし、そうであればいいと思っていたし、そうあることがとても良いことだと思っていた。そう思っている僕は、確かにこの世で一番しあわせな人間だった。

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というような文章を昔書いた。
もう6年も前になる。あのころはいつもひとりだった。田んぼの真ん中で獅子座流星群をみたこともあったし、深夜の山の中、車で毛布にくるまってラジオを低く流していたこともあった。あれから僕は就職し、結婚し、今日も幸せだ。奇跡だな。



2007年06月19日(火)
正直(?)

『パワーに翻弄されないための48の法則(上・下)』という本を読んだが、途中でやめた。翻弄されまいされまいと、逐一さぐっていたら、それこそ、翻弄されていると言えはしないか。

そもそもその本を読もうと思ったきっかけは、店にヤクザを自称するある人からたびたび電話がかかってきて、商品を家に届けさせたり、大量の商品検索、取り置きを頼まれ(しかも買う買うといって買わない物も)、困ってしまったからだった。前の店長から引き継ぎを受け、以前から商品を届けたりしていたそうなので初めは引き受けていたが、徐々に要求が大きくなり、ついに限界に達した。そのお客様の要望に応えるには、他の多くのお客様が犠牲になる状況に至ったからだ。しかし半年以上はごまかして受け入れていた。

どうすればこの状況を脱せるかだろうかと私は考えた。向こうから見限って離れてくれればありがたいのが。
ヤクザにもヤクザ流の交渉術がある。まずこちらの弱みを握り、最大限に活用する。出鼻を叩いて優位に立つ。大きい声で威圧する。機を見計らって認め、安心、いい気にさせる。再び難癖をつけて怒る。これを繰り返して相手をぐらぐらにし、主導権を握る。
こういう北風な奴には、いいなりになってたまるかというロック魂がムクムクと頭をもたげてくる。いかに相手の思惑からそれた行動をとるか。まず私はどんな小さなことでもいいから、NOを言ってみようと思った。「家に商品を届けろ、2000円を全部10円の小銭で払いたい、いいだろ?」というような要求に、私は、「申し訳ございません、できません」と言ってみた。家の玄関先で10円10枚重ねの塔を20個作るなんて私はやりたくない、とはストレートに言わなかったが、いろいろ理由を付けて断った。当然向こうは気を悪くし、前の店長に電話で怒ったそうだ。前の店長から、「同じお金なんだから引き受けなきゃいけないんじゃないのか?」と連絡が来たが、ネットで法律を調べていた私は、「硬貨は法律上、仮のお金で、会計の際、20枚を越える同種の硬貨は断ってもいいそうです。」と答えた。別に、店頭で2〜30枚の硬貨だったら、数えてもいいのだが、要は理由はなんでもいい、NOを言うことが大事だったのだ。
それを皮切りに、徐々にわたしは要求に応えられない状態にしていった。申し訳ございません、申し訳ございませんと謝りながら、向こうにとって、「使えないヤツ」になっていったのだ。彼は私の動かし方を間違えたといえる。最終的には私は雑言を投げつけられ、彼は、自分の動かし方で動く人間にターゲットを変えた。

私は今回の件でとても勉強になった。自分のハンドルは自分で握る。他人に握られてはいけない。他人が握るのを許して事故っても、被害を受けるのは自分の車だ。
そして、世の中には、他人のハンドルを握りたがる人種がいるのだということは、知っておこう。

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ちなみにこの、「相手から離れさせる作戦」を使うのは2回目だった。夜中に「さみしいから来てくれない?」という知り合いの女に、深入りする気がなかった僕(当時23・4歳)は「父さんが一緒に住んでて、夜中に外出ると怒られるから」というトンデモな理由で断った。以来想定どおりお誘いはない。思うツボ。その気がないのに優しくしても、ねぇ。あなたも実は、「相手から離れさせる作戦」使われていませんか?



2007年06月07日(木)
ゲドを読む。

という小冊子が、6月6日に配布開始となりました。私の店でも配ってます。全国のローソン、書店等においてるようです。無料です。公式サイトはココ。http://club.buenavista.jp/ghibli/special/ged/about.jsp

ゲドだけあって岩波が編集に協力してくれたそうで、文庫本と同じサイズになっています。(『ゲド戦記』全6巻は岩波書店より発行)これを読んでみると、予想以上に中身が濃い。中沢新一や河合隼雄のゲド戦記論が載ってて愉しいです。まあ、つまらなくても損はしません。無料ですから。数量限定らしいので、早い者勝ちですよ。

ところで私のゲド戦記の思い出といえば、姉が読み、兄が読み、私も読んだら、むずかしくてよくわからなかった、というものです。まだ小学校低学年でしたからねー。出会うのが早すぎた。それと、後年ドラマを見ていたら、病気の男の子がベッドで第一部を読んでいて、「ぼく、終わりを読むまで、生きていられるかな」みたいなことを言って、お父さんに「馬鹿なことを言うんじゃない」と叱られていた場面がなぜか記憶に残っています。当時は第三部で終わりかと思っていたのですが、後に続編が発表され、さらに廉価版のソフトカバー版も発売されました。岩波書店、書店員にとってはやっかいな出版社のひとつです。全点買い切り、交渉の余地なし。とはいっても私の本棚にはいくつかの岩波文庫が場所を占めています。「バガヴァッド・ギーター」「デミアン」「ツァラトゥストラはこう言った」「ルバイヤート」・・・。ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」「モモ」もぜひ本棚の一員に加えたいと思うのですが、もう私は時をのがしてしまったのかもしれません。くやしいが財産持ってるぜ岩波。